海鳴記

歴史一般

日本は母系社会である(47)

2017-04-12 11:10:25 | 歴史

 

                              (47

                      「魏志倭人伝」・「隋書倭国伝」・「古事記」

 さてここまで、母権・母系制の起源をかなり概略的(がいりゃくてき)に捉(とら)えてきたが、今回から、日本の国家の起源や母権・母系制との関連(かんれん)を論じてみたい。

 その史料として、「(ぎし)倭人(わじん)(でん)」、「隋書(ずいしょ)(わこく)伝」、『古事記(こじき)』の三点をあげておきたい。吉本の「起源論」(『共同幻想論』所収)を手がかりとして話を進めることになるからである。

 最初にあげた「魏志倭人伝」は、(や)(ま)(たい)(こく)女王(じょおう)卑弥呼(ひみこ)が出てくる著名(ちょめい)文献三世紀頃の日本状況を伝え「隋書倭国伝」は、七世紀初頭の初期大和政権様子垣間見(かいまみ)

 また、八世紀始めの『古事記』は、「国の(な)(た)ち」を語った神話(しんわ)である「神話」を使用するのは、共同体の深層(しんそう)に(ひそ)んでいる、古い「国のかたち」を暗示(あんじ)したり、象徴したりしている挿話(そうわ)(み)ちているからである。

 ところで、日本(倭国)について、もっとも古い中国の文献は、一世紀(なか)ばに編纂(へんさん)された「漢書(かんじょ)地理(ちり)(し)」とされているが、ここでの記述(きじゅつ)はいたって少ない。「楽浪海中倭人分為百余国以歳時来献云」(HP参照)だけだそうである。つまり、朝鮮半島ののほうの島に百(あま)りにわかれた国があり、定期(ていき)的に中国に使者を送って来る、とう記述のみである。これだけでは、国の様子がわかるとは言えない。では、(わ)が国の様子がわかる最初の史料(しりょう)はというと、「魏志倭人伝江戸期新井(あらい)白石(はくせき)以来、その所在地(しょざいち)が、九州(きゅうしゅう)なのか関西(かんさい)なのか議論(ぎろん)の対象になってきた史料である。最初の記述が、倭国への距離(きょり)方角(ほうがく)っきからだろう。もちろん、ここではそれを(あつか)うわけではない。

 次の「隋書倭国伝」は、中国の統一(とういつ)朝である(ずい)小野(おのの)妹子(いもこ)を送った頃、すなわち、推古(すいこ)(ちょう)の様子を伝えている。魏志隋書情報(じょうほう)三世紀時間(へだ)当時の倭国の統治(とうち)状況(じょうきょう)を比較す現在天皇制と日本の基層(きそう)にある母権・母系社会をあぶり出すように思われる