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吉本は、これらの連関から、邪馬台国が直接、大和王権に結びついたなどと言っているのでは勿論(もちろん)ない。また、『古事記』の編纂者(へんさんしゃ)たちが、邪馬台の官制をそのまま踏襲(とうしゅう)したと言っているわけでもない。ただ、「初期天皇の名称(めいしょう)から、その世襲(せしゅう)的な宗教(しゅうきょう)的王権の根拠(こんきょ)として、たかだか邪馬台国的な段階と規模(きぼ)の<国家>しか想定していなかった」のではないかと言っているだけである。
おそらく吉本は、現在まで続いている天皇制が、どこから由来(ゆらい)し、どのように出現(しゅつげん)してきたかわからないにしても、それほど古く起源を遡(さかのぼ)れることはできないと考えているようである。そして、天皇の天皇たる由縁(ゆえん)である大嘗祭(だいじょうさい)の意味合いが解(と)ければ、また天皇陵の発掘(はっくつ)が実現すれば、天皇制は今すぐほぼ解体(かいたい)するようなことをどこかで言っていたような記憶(きおく)がある。しかし私には、それはそう簡単(かんたん)にいかないように思える。なぜなら、天皇が掌握(しょうあく)したと考えられる神権(しんけん)は、最初に発生した母権・母系と結びついていたと考えられるからである。もし、そうだとすれば、邪馬台のような高度な国家社会より、数千年前という国の起源まで遡(さかのぼ)れることになるのではないだろうか。