海鳴記

歴史一般

日本は母系社会である(48)

2017-04-14 10:32:55 | 歴史

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 それでは、吉本の「起源論」(『共同幻想論』所収)を参考にしながら、これらの統治形態(けいたい)比較(ひかく)してみたい。

 まず、現在の歴史学では大和(やまと)統一(とういつ)王朝政権を<国家>の起源のように定義(ていぎ)していることに対して、吉本のそれ基本的(きほんてき)に違っていることを(ことわ)っておかなければならない。

 かれは、<国家>の原初(げんしょ)的形態村落(そんらく)社会の<共同幻想>がどんな意味でも、血縁(けつえん)的な共同性から独立(どくりつ)に現れたものを(さ)している」と捉えていることである。より具体(ぐたい)的にいえば、「同母の<兄弟>と<姉妹>の間の婚姻(こんいん)が、最初に禁制(きんせい)になった村落社会では<国家>は存在する可能性をもった」のである、と。

 明解(めいかい)である。もちろんこれは、論理的な展開(てんかい)の上であり、こういう禁制がなかったとしても<国家>のプリミティブな形態はありうるとしている。だから、こういう定義であればエンゲルスらが土器(どき)漁労(ぎょろう)(ぐ)武器(ぶき)(など)の生活形態で区分する、野蛮(やばん)とか未開の時期に<国家>が存在しなかったとは言えまい

 そういう観点(かんてん)からすれば、「魏志」は日本における最初の<国家>の形態を、また、原初(げんしょ)の<国家>の萌芽(ほうが)からすれば、数千年(すうせんねん)(へ)た、かなり進んだ<国家>の様子を伝えているものだとしている。

 さて「倭国」は、もと百(よ)(こく)にわかれており、そのうち名前のわかっている国名は三十国であり、((やまたい)(こく)がその中でもっとも強大(きょうだい)な国家である。そしてそこでは、卑弥呼(ひみこ)という女性が女王であり、(き)(どう)(つか)える「シャーマン的な神権」を(にな)っている。   また、実際の政治は(兄)(おとうと)仕切(しき)っている。そして、この王国のもとには、それなりの官僚制(かんりょうせい)があり、<ヒコ>とか<ミミ>、あるいは<ワケ>のような上層(じょうそう)官僚とそれを補佐(ほさ)する官人(かんじん)がいる。また、倭の三十国は、大陸(朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)も含む)と外交関係をもっている。訴訟(そしょう)機関(きかん)刑罰(けいばつ)(あた)える<法>もあり、それを施行(せこう)できる組織もある。だからといって、モルガン・エンゲルスらが言っているような古代父権制社会における専制(せんせい)とかギリシャ的な民主(みんしゅ)制でもない。それにも関わらず、倭国のような母権的遺制が強い日本の古代社会でも、かなり進んだ<国家>は存在していたと言えるだろう。

 そして吉本は、「邪馬台国家(ぐん)は、その権力の構成(ゲシュタルト=形態・全体(ぜんたい)性)は<原始>的ではない。それにもかかわらず<共同幻想>のゲシュタルトは、上層部分で強く氏族的(あるいは前氏族的)な遺制を保存している」と結論づけている。この日本的特異性(とくいせい)は、現在における共同体の基層(きそう)を考える上でも、非常(ひじょう)示唆(しさ)的である


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