(48)
それでは、吉本の「起源論」(『共同幻想論』所収)を参考にしながら、これらの統治形態(けいたい)を比較(ひかく)してみたい。
まず、現在の歴史学では大和(やまと)統一(とういつ)王朝政権を<国家>の起源のように定義(ていぎ)していることに対して、吉本のそれは基本的(きほんてき)に違っていることを断(ことわ)っておかなければならない。
かれは、<国家>の原初(げんしょ)的形態を「村落(そんらく)社会の<共同幻想>がどんな意味でも、血縁(けつえん)的な共同性から独立(どくりつ)に現れたものを指(さ)している」と捉えていることである。より具体(ぐたい)的にいえば、「同母の<兄弟>と<姉妹>の間の婚姻(こんいん)が、最初に禁制(きんせい)になった村落社会では<国家>は存在する可能性をもった」のである、と。
明解(めいかい)である。もちろんこれは、論理的な展開(てんかい)の上であり、こういう禁制がなかったとしても<国家>のプリミティブな形態はありうるとしている。だから、こういう定義であれば、エンゲルスらが土器(どき)や漁労(ぎょろう)具(ぐ)や武器(ぶき)等(など)の生活形態で区分する、野蛮(やばん)とか未開の時期に<国家>が存在しなかったとは言えまい。
そういう観点(かんてん)からすれば、「魏志」は日本における最初の<国家>の形態を、また、原初(げんしょ)の<国家>の萌芽(ほうが)からすれば、数千年(すうせんねん)を経(へ)た、かなり進んだ<国家>の様子を伝えているものだとしている。
さて「倭国」は、もと百余(よ)国(こく)にわかれており、そのうち名前のわかっている国名は三十国であり、邪(馬台(やまたい)国(こく)がその中でもっとも強大(きょうだい)な国家である。そしてそこでは、卑弥呼(ひみこ)という女性が女王であり、鬼(き)道(どう)に事(つか)える「シャーマン的な神権」を担(にな)っている。 また、実際の政治は(兄)弟(おとうと)が仕切(しき)っている。そして、この王国のもとには、それなりの官僚制(かんりょうせい)があり、<ヒコ>とか<ミミ>、あるいは<ワケ>のような上層(じょうそう)官僚とそれを補佐(ほさ)する官人(かんじん)がいる。また、倭の三十国は、大陸(朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)も含む)と外交関係をもっている。訴訟(そしょう)機関(きかん)や刑罰(けいばつ)を与(あた)える<法>もあり、それを施行(せこう)できる組織もある。だからといって、モルガン・エンゲルスらが言っているような古代父権制社会における専制(せんせい)とかギリシャ的な民主(みんしゅ)制でもない。それにも関わらず、倭国のような母権的遺制が強い日本の古代社会でも、かなり進んだ<国家>は存在していたと言えるだろう。
そして吉本は、「邪馬台国家群(ぐん)は、その権力の構成(ゲシュタルト=形態・全体(ぜんたい)性)は<原始>的ではない。それにもかかわらず<共同幻想>のゲシュタルトは、上層部分で強く氏族的(あるいは前氏族的)な遺制を保存している」と結論づけている。この日本的特異性(とくいせい)は、現在における共同体の基層(きそう)を考える上でも、非常(ひじょう)に示唆(しさ)的である。