matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

オランダ黄金時代の名品マウリッツハイス美術館、ハーグ

2016-06-21 11:07:27 | 世界の都市




 オランダの旅の続きです。

キンデルダイクからハーグへ
向かいました。

(撮影は2015年9月下旬)

 
 ハーグ

 ハーグは北海に面するオランダ第3の
都市です。

人口約52万人のこじんまりした町は、
緑が多く、公園のなかの町といった
雰囲気です。

政府機関や大使館が集まり、オランダ
の政治の中心地であり、また
ベアトリックス前女王が住んでいた
宮殿もあり、「ロイヤルシティ」の
異名ももちます。

又、近頃話題になっている国際司法
裁判所もここにあります。



ビエンホフには13世紀から17世紀
にかけて建てられた由緒ある建物が
集まっています。

最も古いのが騎士の館と呼ばれる国会
議事堂。



ビエンホフの一角に、オランダで最も
美しい建物のひとつといわれる
マウリッツハイス美術館があります。



17世紀にヨーハン・マウリッツ伯爵
の私邸として建てられたルネッサンス風
の建物です。

17世紀オランダ・フランドル絵画の
珠玉の名品を観ることができます。



ルーベンスの「聖母被昇天」です。

3階にはレンブラント室とフェルメール
室があります。



フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」
と「デルフトの眺望」です。



フェルメールについては、次回デルフト
を旅しながら述べます。


レンブラント・ファン・レイン
(1606-1669年)は、
フェルメール、カラヴァッジョ、
ルーベンス、ベラスケスなどと共に、
バロック絵画を代表する画家です。

「光の画家」または「光と影の
魔術師」などといわれます。

明暗法によって光と影の劇的な効果を
生み出す技法に熟達し、人物の感情が
高揚するドラマチックな瞬間を描写
することを得意としていました。

スペインから独立する(1609年)
直前のオランダ、ライデンで
生まれます。

日本はこの頃、徳川幕府の創設期です。



1632年の「テュルプ博士の解剖学
講義」は、教授が行う解剖の講義を
受ける名士たちを描いた集団肖像画です
が、高い評価を得て、代表作かつ出世作
となりました。

翌年22歳のサスキアと婚約し、多額の
持参金と富裕層へのコネクションを
得ました。

富と名声を得たレンブラントは、豪邸を
所有し、弟子を教育しつつ、あらゆる
ものを対象に描きました。

資料のために、美術品・工芸品・装飾品
などを収集し、投機にも手を出し失敗
したりします。

サスキアの財産を食いつぶしていると
非難されたりします。

又、3人の子供を短命で亡くす不幸にも
見舞われます。

1642年には「夜警」を完成させます
が、この年サスキアは29歳で亡くなり
ます。

サスキアの遺言は、彼が再婚しないこと
を条件に4万ギルダーの遺産を彼に
使わせるというものです。

彼の浪費癖は治まらず、私生活も泥沼を
迎えます。

仕事もめっきり減り、1652年に
英蘭戦争が勃発し、オランダ経済が
不況になると、無一文になり貧民街
に移ります。

晩年にも人生は好転することなく、
1669年に亡くなります。

レンブラントは絵画の革新者として
高い評価と名声を得ましたが、彼の
生き方はプロテスタント的価値観とは
異質でした。

「光と影の画家」そのままに、
浮き沈みの大きい生涯でした。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
観たのは、 (はなこころ)
2016-06-21 14:29:59
東京ですが
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は
思ったより小さくて
それが
一番の印象(汗)でした。

・・はなこころ

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