matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

 春の江戸城内郭巡りその2

2019-04-18 11:20:31 | 日本100名城




 江戸城

 江戸城は「内郭」と「外郭」で構成さ
れます。内堀通りに囲まれた内郭は、城
の中心部です。

千鳥ヶ淵交差点から半蔵濠に沿って、千
鳥ヶ淵公園を歩くと半蔵門に出ます。


  (半蔵門)

江戸城内郭門の一つで、「こうじまち口」
とも呼ばれ、甲州街道の要衝となってい
ました。

名前の由来は、伊賀者の服部半蔵がこの
あたりに屋敷を拝領していたという説が
あります。

現在、門内には吹上御苑があり、皇族方
の皇居出入り口となっています。


  (桜田濠)

桜田濠に沿って半蔵門から日比谷方面に
向かって、緩やかに下っていくと外桜田
門が見えてきます。


  (外桜田門)

現在この門は桜田門と呼ばれますが、正
式には外桜田門といい、本丸に近い内桜
田門(桔梗門)に対してこの名が付けら
れました。

門の周囲には、有力外様大名の屋敷が多
くありました。桜田の名は、この地が古
代に桜田郷と呼ばれていたことに由来し
ます。

1860年(万延元年)の桜田門外の変
は、大老井伊直弼が屋敷から登城中に水
戸浪士に暗殺された事件です。

1923年の関東大震災で門が壊れまし
たが、再建され現在に至っています。


  (二重橋と伏見櫓)

桜田門から皇居外苑に入りました。

二重橋の正式名称は正門鉄橋。かつては
木橋で、その下に橋桁を支えるもう一つ
の橋があったため、二重に架けられた橋
という意味で「二重橋」と呼ばれます。

奥に見える伏見櫓は現存する二重櫓。濠
の水面までは24mもあります。


  (桔梗門)

外桜田門に対して内桜田門と呼ばれまし
た。本丸南口の通用門で、大手門と並ぶ
登城の門でした。

門の警護は6~7万石の譜代大名があた
っていました。

桔梗濠に沿って大手門まで戻り、これで
内郭一周しました。

現在、皇居として使われているのは西の
丸や吹上などです。

1868年(慶応4年)の無血開城より
以前に、本丸御殿と二の丸御殿は消失し、
実質的な城の中心は西の丸御殿に移って
いました。

明治天皇は西の丸に入り、以後西の丸が
皇室の御座所となりました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿