スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

’死後の世界を知ると、人生は深く癒される―退行催眠中間域全記録’10

2007-11-29 18:16:31 | ◆退行催眠・中間域の記録2
’死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」―退行催眠中間域全記録’
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死後の世界を知ると、人生は深く癒される―退行催眠下で語られる魂の世界と
転生、数々の体験事例に基づくさらに詳細なケース・スタディ (単行本)
マイケル ニュートン (著), Michael Newton (原著), 三山 一 (翻訳)
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内容(「MARC」データベースより)
死後の世界は秩序正しく、魂はガイドに導かれ、転生をくり返す。私たちがこの
世で体験することもすべて、魂の「気づき」と「成長」のためのプログラムで
ある。死後はもちろん、今生きていることを納得するための知恵を解説。


○終章 私たちの精神のたどる道

●スピリットの世界は、ユートピア的ものです。スピリットの調和が、隅々まで行き届い
ているからです。正義、正直、ユーモア、そして愛こそが、死後の生活の主な基礎をなす
のです。その記憶は覚醒時においては蘇らないのは残念ですが、こうした障害は、催眠術
、瞑想、祈り、チャネリング、ヨガ、想像力、夢といった、身体を行使した果てにいたる
精神状態を通じて克服できるものです。

●二十一世紀の世界が直面しているのは、物質主義に支配された人口過密社会では個性や
人間の尊厳が蝕まれてしまう、という問題です。グローバリゼーションとか、都市のスプ
ロール現象や巨大化は、孤独や乖離へたどる道です。生き残ることにしか価値を認めない
人も少なくありません。

●前世の記憶障害が人間にきちんと組み込まれたのは、カルマのせいで起きるある一定の
事柄に、あらかじめ備えることができないようにするためです。この利点は、いまや薬物
による無気力の生活の欠点にも勝る、とまでは言えないのかもしれません。現実逃避をは
かる人もたくさんいます。自らのアイデンティティに目的や意味があるとは、いまや思え
なくなっているからです。それは自我の感覚に支配されてしまっているからです。

●私たちは各人各様の存在であり、他の誰とも違うので、自らの精神のありようを探るの
も、内なる安らぎを求める者それぞれの責務ということになります。他人の経験をもとに
創られた思想体系に一から十までならったら、その途中で個性も多少失ってしまうでしょ
う。自己発見の道をだどり、組織の教説に従わずに自分自身の哲学を打ち立てるのには、
努力もいりますが、見返りも大きいのです。

●人生をあるがままに受け入れて、何の疑問も持たず、結局なるようになるんだと思い込
むのも、悪いことではありません。しかし、もっと多くを知りたいと願う人にとっては、
人生を単純に受け入れるだけでは、満足できません。また、単に信仰を持つだけでは、知
識が本当に明かされたことにはならないのです。

●私のよく知るスピリットの世界では、自分よりむしろ他人に対して何をするのかを忖度
(そんたく)するのです。

●あの世への信仰は、被験者たちと催眠療法にあずかった当然の結果として、ゆっくりと
芽生えていきました。私自身が精神的に目覚めたのは、このリサーチについて何年も身を
もって黙想や内省を重ねた末のことです。

●精神世界の存在に感づくには、身をもって探さなければなりません。でないと、意味が
ありません。人はみんな、自分でじかに接した現実に大きく左右されます。ならば、当の
現実をもとに一歩一歩行動してゆけばいいのです。あまり先のことを予見する必要もあり
ません。たとえ間違った方へ踏み出しても、教えを施すための道は多い、ということを看
破できます。魂の自己が物質環境に溶け込むように、選択の自由も与えられています。そ
してここにいる理由を探すにあたっても、自由意志をふるうわけです。人生の途上では、
たとえ逆風が吹いて不幸になっても他人のせいにせず、すべての判断に責任を負わなけれ
ばならないのです。

●すでに述べたように、任務で実効のあがるように、途上で出会った他人はいつでも可能
なかぎり助けるものとされています。人助けをすることで、自分も助けるのです。他人に
手を差し伸べるのを手控えるのは、独自性を育むあまり、全く自分のことばかりに没頭す
るようになってしまったときです。けれども自分がお留守では、人として役立たずになっ
てしまいます。身体は偶然で与えられたわけではありません。精神世界のアドバイザーが
皆さんのために選んだものです。宿る身体の候補をあらかじめ見せられて検分した上で、
現有の身でいいということになったのです。したがって、皆さんは境遇の犠牲者などでは
ありません。この事を忘れてはなりません。

●人生で有意義なものは、少しずつ切れ切れに現れることもあれば、大きな塊となって全
部一度にくることもあります。さらに自己認識にいたると、そもそも目的地だと思ってい
たところよりもっと先へ連れて行かれることもあります。カルマとは、学習を促進してく
れる途上の条件を始動させる、ということです。

●人生とは、充足を目指して絶えず変化してゆくものです。自分の世間での立場も、今日
と明日とでは違うかもしれません。人生では、こうした種々の展望にも順応できるように
ならないといけません。それもまた、向上計画の一環をなすからです。そのような体験を
繰り返すうちに、自己が現身におおい隠されていく過程を越え、不朽の霊魂の奥深くに潜
む過程へ移るにいたります。このように心意気を高め、憑き物の落ちたような幹事を抜け
だすには、意識を広げる一方で、間違いを犯した自分も許さなければなりません。自分の
ことや、道すがら愚かな苦境にはまったことを笑い飛ばすのが、精神衛生上肝心なことだ
と思うのです。人生は争闘だらけです。私たちがここにいる理由も、痛みや幸福を味わう
、ということに尽きます。毎日が新たな始まりなのです。


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