ありがとうございます

「ありがとうございます」(平成19年9月発行 無料贈呈 複製自由 名も無きボランティアグループより)の内容ご紹介ブログ。

いつもありがとうございます!

2013-11-16 10:29:50 | 日記
このブログに訪れてくださって
心より感謝しております。

テンプレート・デザインが変わらないようにするために
半年以内に新規記事を更新しなければならないのですが、
その半年がアッ!という間に過ぎようとしています。

そういうわけで、
最近は、半年に1回くらいの更新しかしていませんが、
普段あまり見たこともないアクセス・ランキングを
覗いて見ると、下記のようになっていました。

トータルアクセス数

トータル閲覧数(PV) 154238PV
トータル訪問者数(IP) 75328IP

本当にどうもありがとうございます!
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

2013年09月18日(水)

2013-09-18 08:00:56 | 日記
このブログにいつもご訪問いただいてありがとうございます。
心より感謝いたします。

今年も半分過ぎて後半に入りましたね!

2013-07-02 01:02:22 | 日記
いつも、このブログを訪問して頂いてありがとうございます。
心より感謝してます。
今年の後半もよろしくお願いいたします。

ありがとうございます

2013-04-16 21:51:10 | 日記
今日も生かして頂いてありがとうございます。
地球さん、ごめんなさい。
いつもありがとうございます。
読者の皆さん、ありがとうございます。
いつも訪れてくださって本当にどうもありがとうございます。
心より感謝です。

gooブログ「ありがとうございます」再開のお知らせ

2013-01-20 19:13:51 | 日記
現在でも、gooブログ「ありがとうございます」にアクセス頂いていることに感謝いたします。
ブログのテンプレートを元に戻すことができるように、更新を時々再開します。

よろしくお願いいたします。

102 真理の言葉は、神さまの叡智を呼び出す祈り言葉

2010-12-07 11:19:51 | 日記

 真理の言葉は、神さまの叡智を呼び出す為の、祈り言葉です。真理の言葉を読んだり、聞いたりすることは、神さまの叡智を呼び出すことになるのです。神さまの叡智を呼び出すということは、本心の自分を呼び出し、輝かすことなのです。お祈りを忘れたり、お祈りのし難い状態の時は、真理の言葉を読んだり、聞いたりすることによって、本心の自分を呼び出すことができるのです。
 本心の自分を呼び出せば、お祈りがし易くなるのです。真理の言葉・正しい知識は、神さまを呼び出し・知る為の、大事な道具です。業想念の言葉・間違った知識は、心を曇らせるだけの不用品です。
 真理の言葉・正しい知識は、心に整理し、集大成して、いつでも使えるようにしておく必要があるのです。業想念の言葉・間違った知識は、捨てて捨てて捨て切って、心に残さないようにすることです。真理の言葉を忘れ、捨てるのが損なら、業想念の言葉を溜め込むのは、大損です。何故なら本心の自分を忘れ、本心の自分から遠ざかることになるからです。
 真理の言葉は使えば使うほど、本心の自覚が深まるのです。業想念の言葉は使えば使うほど、本心の自覚が失われるのです。本心の自覚を深め、本心の自分をしっかりと生きれば、いつも無限の無限の幸せで一杯!になれるのです。どのような人生を歩むにしても、どんなことをしてゆくにしても、本心の自分を生きることが大切なのです。本心の自分は常に、完全燃焼した生き方ができるのです。内在の無限力を100パーセント発揮して、不可能を可能にし、高い目標を達成してゆけるのです。困難に戯れ、高い目標に挑戦し、内在の無限力を発揮することに、大きな大きな喜びを見出してゆけるのです。本心の自分を生きることそのことが、無限の無限の喜びなのです。
 生き甲斐のある人生を歩む為には、真理の言葉を駆使して、本心の自分を呼び出し、本心の自覚を深め、本心の自分をしっかりと生きることです。真理の言葉を積極的に使うことによって、業想念の言葉を使わなくて済むのです。真理の言葉だけを使おうと、前向きに努力することによって、真理の言葉が使い易くなってくるのです。業想念の心の自分では、何をしても儚い・虚しいものになってしまうのです。本心の心の自分に戻ってこそ、生き甲斐と喜びが湧き上がってくるのです。だから何を始めるにも、先ず一番にしなければならないことは、業想念の心を捨てて、本心の自分に戻ることなのです。本心の自分に戻ってから、何でもしてゆけば良いのです。これが本当の幸せを掴む為の、一番の近道なのです。
 真理の言葉を常に心に唱えながら、真理の言葉を常に口ずさみながら、本心の自分の立場から、何でもしてゆけば、いつも楽しく・喜んで、生き甲斐のある・幸せ一杯の人生を歩むことができるのです。


 


管理人からのお知らせ


いつもお読みいただいてありがとうございます。


2010年11月09日「 天地の初発は、常に『今』」の記事の後でお知らせいたしました、第1章の58頁から102頁までの本文のアップが今日でおわりました。


今後は、ポッドキャストのアップを続けながら、電子書籍化を検討してみたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


何かありましたら、また、お知らせいたします。


どうもありがとうございます。


100 愛の心・感謝の心・一体感の心

2010-12-06 05:31:06 | 日記

 本心の心は、愛の心・感謝の心・一体感の心です。本心の心は常に、本源(神)から新生してくる心です。だから『すべては神さま』『すべては神さまの現れ』『すべては神さまと一体』ということをよく知っているのです。本心の心の立場に立てば、みんな天照大御神! みんな新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!と拝めるのです。
 神さまを一本の大樹に例えると、このことが良く判るのです。根幹から全体を眺めると、すべては一つに繋がっていると見えるのです。末端の枝葉だけを眺めると、すべてはバラバラに離れているように見えるのです。表面の姿だけを眺めていては、すべてが繋がりの無い別個のものに見えるのは当然です。この世は表面の枝葉に相当する世界です。この世だけを見ていると、誰でも間違った一面観に陥るものです。
 本心の心は、全体を達観する心です。全体を知る心は、全体と一体の心です。本心の心は、全体の心です。本心の心は、すべては自分』『自分はすべてと無理なく自然に思えるのです。表面の小さな部分だけを掴んでいるから、小さな自分になるのです。大きく全体を掴めば、大きな自分になるのです。
 本当の自分は神さまです。本当の自分は、宇宙全体です。本当の自分は、すべてのすべてです。みんな自分なのです。
 本心の心は、祈り心です。本心の心は、常に常に、祈っているのです。本心の心は、新たに新たに、祈り続けているのです。本心の心は、祈ることによって、神さまの全徳の無限の無限の輝きを表現してゆくのです。祈りによって、神さまの御心を顕現するのです。
 祈りこそが、神さまの御心をこの世へ現す、絶大なる力なのです。本心の自分は、祈りに始まって祈りに終わるのです。祈り一筋に生きるのみです。祈るだけです。ただただ祈るだけなのです。祈りによって心を調律し、その心を投影して、現実世界に神さまの御心を現すのです。現実世界は、心の通りに・運命のままに、自然に移り変わるのみです。
 祈りを忘れ、心の調律を怠っていては、現実世界を改善することはできないのです。過去を掴み、現実に執着する業想念の心では、どのような生き方をしても、現実を善くすることはできないのです。逆に心にマイナスを取り込んだ分だけ、現実を悪くしてゆくのです。
 現実のマイナスを掴めば、マイナスを繰り返すだけでは無く、マイナスを増幅してゆくことになるのです。現実を善くしてゆく為には、先ず心をプラスに変えてゆかなければならないのです。心をプラスに変える為には、現実世界のプラスだけを数え上げる楽天的な生き方が必要です。またマイナスの極に立って、すべてを光一元にプラスに思い返す楽観的な生き方がもっと必要です。
 更にもっともっと必要なのは、祈りによって、神さまの全徳の無限の無限の輝きを、しっかりと心に受け入れてゆく生き方です。


98 『受けの達人』が本当の自分

2010-12-05 16:36:07 | 日記

 『受けの達人』が本当の自分です。『神さまのすべてを受けるのが受けの達人です。神さまの絶対・創造・統一・自在・限定の五つの働きのすべてを受けるのが、神さまのすべてを受けることです。神さまは唯一無二の実在です。神さまの他には、何ものも存在しないのです。神独在です。神は絶対です。神さまの絶対の働きは、無限に無限に凄いものです。筆舌を遥かに遥かに超えたものです。
 無限の無限の直感力・洞察力・推理力・達観力を駆使しても、絶対の働きの凄さに気付くだけです。絶対は海全体に例えることができます。相対・表現は海の表面の波の変化です。絶対は海(生み)です。絶対から生み出されるのが、海の表面の波の変化、創造・統一・自在・限定の働きです。絶対から相対が生まれ、表現が生まれるのです。絶対の中に全徳(すべての働き)が在るのです。
 神さまの全徳が、相対の両極に振り分けられ、それらを円融無碍自在に組み合わせる働きが、創造の働きです。神さまは絶対者であると同時に、創造主なのです。相対に分かれたすべての要素を、左旋回・右旋回の螺旋状の動きとして、無限に伸展させて、すべてを尽くした組み合わせを、一瞬一瞬新たにするのが、創造の働きです。
 全大宇宙のすべてのすべてを、すべての時間・すべての空間を生み出す働きが、創造の働きです。同じものは何一つとして無く、同じことは二度と繰り返さない、完璧な表現が、神さまの創造です。神さまの創造は、無限の無限の創造です。永遠無窮に続く不断の創造です。すべてのすべてを尽くした神さまの創造は、それらを光一元に(他の要素も一元に)、大調和に配列して、一大統一してこそ、その全体像は最高に輝くのです。創造されたすべてのすべてを、最高の完璧な状態に配列・配置して、その全体像を最高に輝かせる働きが、統一の働きです。神さまは絶対者・創造主であると同時に、統一者なのです。
 全体像を構成する各部分の表現は、神通自在・神変自在な働きの精華です。また各部分は自らの自由意志で、喜んで統一の働きに参画して、全体像を最高の完璧なものにしているのです。そこには自由自在ないのちの躍動・無限の無限の輝きがあるのです。神さまはすべてのすべてと現れて、各部分に自由自在に働いているのです。各部分の自由自在な働きは、神さまの自在の働きなのです。
 最終的なすべての表現は、自分のすべてを捧げ尽くして奉仕する、最高の愛の結晶です。自らの自由自在な動きを完全に殺して、無限の縛りの中に入って静止するのは、愛の心による自由の限定の働きです。すべての表現は、神さまの愛の心の結晶、自由の限定の結果です。
 『ありがとうございます』(宇宙絶対統一神・天照大御神 今ここに 在します。新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!)と感謝するのは、神さまの五つの働きのすべてを、しっかりと受ける為です。受けの達人・本当の自分に戻る為です。


97 本心の心はいつも自由自在

2010-12-04 05:41:12 | 日記

 本心の心はいつも自由自在なのです。本心の心は神通自在なので、何者もその自由を縛ることはできないのです。もし何かに縛られていると感じるならば、その時は本心の心を忘れて、業想念の心に陥っているのです。光を追いかけて、捕まえることはできないのです。大魚をたもで捕らえることはできないのです。無限のスピードと無限のパワーを持っている本心の自分を縛れるものは、何一つとして存在しないのです。この世的な縛りも、本心の自分を縛ることはできないのです。
 本心の自分は、十の仕事を強いられたら、二十の仕事をするのです。上着を奪われたら、下着も脱いで与えるのです。だから何者も本心の自分を縛ることはできないのです。本心の自分は、どんな環境でも、一瞬に消せるのです。本心の自分は、どんな環境でも、新たに創れるのです。本心の自分は、どんな環境の中でも、自由自在に活躍できるのです。本心の力を発揮すれば、不可能は無いのです。本心の自分を忘れ、本心の力を発揮するのを怠るから、何をしてもスピードとパワーの不足した状態に陥るのです。その時に周りの環境に縛られているように錯覚するのです。
 本心の自分を縛るものは、何も無いのです。何者も自分を縛ってはいないのです。自分が勝手に、縛られている、と錯覚しているだけです。錯覚し続けているだけなのです。鶏を強く抱き締めて、地面に寝かせ、周りに白墨で線を引くと、鶏は縛られているものと錯覚して、じっと動かないでいるのです。これと同じように、すべての縛りは、自分自身の思いの縛りなのです。縛られているという思いが、自分を縛っているのです。本心の心は自由な心です。
 業想念の心は縛りの心です。本心の心を忘れると、業想念の心・縛りの心に陥るのです。本心の心をしっかりと生きていたら、不可能を可能にし、高い目標を達成し、自由を満喫できるのです。
 過去世からの自分の思いに、いつまでも縛られているのは、愚の骨頂です。本心の自分は、今を新たに、自由自在に生きることができるのです。過去世からの業想念・自己限定の思い・どんな縛りも、本心の無限力を発揮して、吹っ飛ばしてしまえばよいのです。業想念の心を自分の心として、いつまでも掴んでいないで、本心の心の立場に立てば良いのですl。
 本心の心を自分の心として、しっかりと生きることです。祈り言葉を駆使して、本心の無限力を引き出すことです。何事に対しても、全力を出し尽くすことです。他に頼る甘えの心を捨てて、他を幸せにする為に、与えて与えて与え尽くすことです。そうすれば本心の心が完全燃焼して、大きく輝くのです。全徳の無限の無限の輝きで一杯!の自分になる為に、いつも限界破りに挑戦するのです。困難に戯れるのです。大きな目的・目標を掲げて、前進するのです。


95 宇宙は、神さまの御心(全徳・真・善・美・聖)

2010-12-03 11:45:50 | 日記

 宇宙(世界)は、神さまの御心(全徳・真・善・美・聖)の表現です。宇宙絶対神は、マイナス無限大の極を出発点にして、光一元の完璧な表現を、一瞬一瞬新たに、創造し続けているのです。神さまと一体である本心は、神さまの御心を正しく理解し、宇宙のどんな小さなものにも、そこに無限の絶対価値を見出して、褒め讃え・感謝し・喜ぶことができるのです。本心の自分をしっかりと生きることこそが、無限に大きい本当の幸せを掴むための絶対条件なのです。
 本心の自分は常に、"今"を最高に生きるのです。宇宙のすべての表現を、神さまの現れと見て、そこに無限の絶対価値を見出して、一瞬一瞬新たに、無限の喜びをもって受け続けるのです。本心の自分は感謝一筋に生きて、すべてに神さまの愛を感じ取るのです。神さまの愛をしっかりと感じ取った時に、人は本当の幸せを知り、無限の無限の喜びに打ち震えるのです。
 神さまの愛とは、①心に貯め続けてきたマイナスの言葉の集積を、プラスの言葉で打ち消し、本心の無限の素晴らしさを拝み出し・引き出し・輝かして、神さまの愛を感じ取れる本心の自分に戻して下さるのです。②幸せをより大きく深くしてゆく為に、必要なものを豊かに、いかなる報いも求めることなく、無償で与え続けて下さるのです。決してお返しを求めたり、恩に着せたり、条件を付けることは無いのです。③いついかなる時にも、自由を決して縛ることなく、暖かく・忍耐強く・蔭から助けながら、見守り続けて下さるのです。命令や強制は決して無く、あくまでも本人の自由意志を尊重して、幸せな正しい生き方になるのを待ち続けて下さるのです。
 神さまが与え続けて下さるものは、プラスのものばかりです。決してマイナスのものを与えることは無いのです。今マイナスに見えるどんなものも、自分の心の中にある大きなマイナスを、大きなプラスを与えて、軽く小さなマイナスに修正して下さった結果です。プラス思考で光一元に生きる者にとっては、プラスの極楽世界のみが存在して、マイナスの地獄世界は存在しないのです。マイナス思考で、光一元の生き方を忘れた時に、マイナスの地獄世界が存在するかのように、大きく浮かび上がってくるのです。
 本心の自分はプラスの言葉のみを駆使して、完璧な・素晴らしい・美しいものとして、宇宙のすべてを感じ取るのです。もし不完全な・つまらない・醜いものとして、宇宙の何かを感じるとすれば、それは自分が過去にマイナスの言葉を使った結果なのです。常にプラスの言葉のみを駆使し、宇宙を最高に味わうことができるように、言葉の使い方の修練を、しっかりと積み重ねてゆくことが、何よりも大事なこの世の修行なのです。


94 悟る・解脱するとは本心の自分に戻ること

2010-12-02 05:20:34 | 日記

 悟る・解脱するとは、自由自在な本心の自分に戻ることです。一切の縛りから自由になることが、悟り・解脱なのです。本心の心で自由自在に生きることが、無限の無限の幸せを感受する為には必要なのです。何かに縛られているというのは、心が奴隷状態になっているのです。心が奴隷状態になっていては、決して真実の幸せを感受することはできないのです。心が自由自在な主人公の立場に立ってこそ、真実の幸せを掴むことができるのです。それでは自分を縛っているのは、一体何者でしょうか? その正体さえ突き止めれば、この問題は簡単に解決するのです。
 自分を縛っているのは、果して外部環境にあるものでしょうか? 環境の所為にしたり、他人の所為にすることが、本当に正しい考え方なのでしょうか? もし自分以外の何かが、自分を縛っているのであれば、その何かが変化して、自分を縛らなくなるまでは、永遠に自由にはなれないということになるのです。自分以外の何かが、自分に自由を与えてくれるのを待っていたら、それは永遠に訪れては来ないでしょう。何故なら自分を縛っていると見えるものは、余りにも多すぎるし、その変化を期待することは、不可能に見えるからです。だからこの考え方では、決して自由にはなれないのです。
 本当の自由を得る為には、『自分を縛っているのは、自分自身なのである!』という考え方を受け入れなければならないのです。神さまは自由の本体ですから、神さまの分身である本心の人間にも、同じ自由の徳性が与えられているのです。本心の人間は本来、自由自在なのです。決して何者にも縛られないのが、本心の自分なのです。この本来自由自在な本心の自分を忘れるところから、種々様々な縛りが夢・幻のように現れてくるのです。形に縛られていると見えるこの世も、本来自由自在な自分が、愛の心を表現する為に、自分の自由意志で、形の自由に限定を加えた姿なのです。決して心の自由は縛られてはいないのです。
 しかしながら自由自在な本心の自分に戻るまでは、形の縛り・心の縛りがまだ残っているかのように錯覚してしまうのです。五欲の心に代表される"求める心"は、他人の自由を縛ろうとする業想念の心です。
 自由自在な本心の心は、決して他人の自由を縛ろうとはしないものです。本心の自分は、他人に対して縛りになるような言葉を使うことも無いのです。だから自分の使った言葉が自分に帰ってくる、自業自得の法則に照らしてみても、自分が縛られるということは決して有り得ないのです。本心の自分は何事をする場合も、他を縛ろうとしないから、決して縛られることは無いのです。業想念の心で他を縛ろうとする時に、それが自分に返ってきて、自分自身を縛ることになるのです。


91 『与える心』『捧げる心』『尽くす心』

2010-11-30 11:51:24 | 日記

  『与える心』『捧げる心』『尽くす心を起こすということが、神さまの祝福を大きく受ける秘訣です。何故なら、神さまの御心とは、与える心・捧げる心・尽くす心そのものです。それに心の波長を合わせることによって、神さまのすべてを受けることができるからです。神さまは全大宇宙のすべてのすべてです。そのどの部分に対して、与える心・捧げる心・尽くす心を起こしても、神さまに対して、与える心・捧げる心・尽くす心を起こしたのと同じです。神さまの祝福は必ず、大きく降り注がれてくるのです。
 与える心・捧げる心・尽くす心は、本心の心です。本心の心は、神さまの祝福を、"素直に・喜んで"大きく受けることができるのです。またその与える心・捧げる心・尽くす心は、どんなに小さなものであっても、その心は神さまの祝福を大きく受ける資格を持っているのです。だから大きく大きく受けてゆかなければならないのです。与えるものが少ないから、大きく受ける資格が無いなどと思うのは、業想念の心に惑わされた結果です。決して決して神さまの愛の御心を無視し、拒絶するようなことがあってはならないのです。
 本心の心は常に、明るいものと波長が合って、明るいものを引き寄せ・明るいものに引き寄せられるのが本性です業想念の心は常に、暗いものに波長が合って、暗いものを引き寄せ・暗いものに引き寄せられるのが本性です。『今』自分自身が、本心の心を自覚するか、業想念の心の奴隷となるか、一瞬一瞬の選択が、幸・不幸を決定することになるのです。本心の心の自覚を深めるには、常にプラスの言葉を使うことです。マイナスの言葉を使えば使うほど、業想念の奴隷になってゆくのです。
 自分自身を『無限の無限の愛で一杯!』と常にプラスに思い続けることは、本心の与える心・捧げる心・尽くす心を、自然に呼び起こすことになるのです。そしてその愛の心を捧げる対象を見出して、心の交流・愛の交流・光の交流が行われ、一体感(悟り)が深められてゆくのです。愛するということは、相手のすべてを自分の中に摂取することです。"与え尽くす"純粋な愛の心であれば、愛する対象がどんなに業想念で汚れていても、その愛の光で洗い清めることができるのです。
 しかし自分に"求める"業想念の心が残っているならば、業想念の少ないものを、愛する対象に選ぶのが良いのです。お互いの心が交流され、業想念と業想念が交流されたら、業想念の心に惑わされて、愛したくても愛せなくなってしまうからです。だから先ず一番に、神さまを愛することから始めるのが良いのです。神さまは無限の無限の愛の持ち主です。神さまの為に、与え・捧げ・尽くすことによって、神さまの無限の無限の愛を受けることができるからです。そうして次に神さまを愛するように、周りの人を愛してゆけば良いのです。


89 何事も感謝で受けて喜ぶことが、悟りの境地

2010-11-29 05:29:09 | 日記

 何事も感謝で受けて喜ぶことが、悟りの境地です。その為には移り変わる宇宙のすべては、愛と知恵の持ち主である神さまの御心のままに、一人一人に一番相応しいものとして的確に与えられている、と知ることが大事です。神さまの与えるものは、プラスのものばかりです。何事もプラスに受けることが、正しい受け方なのです。いついかなる時にも、すべてをプラスに受ける為には、自分の立場をマイナス無限大に置けばよいのです。
 マイナス無限大は宇宙創造の原点です。神さまはマイナス無限大を創造の出発点にして、そこへ無限の無限の大光明を加えて、光一元の妙趣あるプラス無限大の表現を、一瞬一瞬新たに、創造し続けているのです。マイナス無限大の立場に立つということは、神さまの働きのすべてをプラスに感受して、神さまの御心を正しく理解する為に、必要不可欠なことです。
 何事もマイナスに受けるのは、神さまの御心を正しく理解できていないからです。絶対の愛の神さまを、マイナスの言葉を使って悪者にしているからです。神さまについての勉強不足と、マイナスの言葉を不用意に使った結果なのです。だからマイナスに受けた時は、自分自身に全責任があるのです。
 謙虚と素直は、神さまの愛を喜んで受け入れる心です。謙虚とは、マイナス無限大の立場から、神さまの光一元の表現のすべてを、無限の無限の感謝で受けることです。素直とは、自然に与えられるすべてのものを、プラスに感受して、無限に無限に喜ぶことです。謙虚であれ! 素直であれ!ということは、常に本心の自分であれ! 本心の自分をしっかりと生きよ!という意味です。真実の無限の無限の幸せを感受できるのは、本心の自分だけです。
 本心の自分は常に謙虚で、素直です。本心の自分は、神さまの愛の光を受けることによって、より大きく輝くのです。現実の自分はまだ小さい本心であっても、その本心の自分をしっかりと生きなければならないのです。本心の立場に立つことによって、神さまの愛の光を大きく受け入れることができるからです。そしてより大きな本心となって、本心の立場に立ち易くなり、本心の自分を生き易くなるのです。本心の自分を生きることによって、本心の自覚が更に深まってゆくのです。
 謙虚に素直に生きる為には、『無限の無限の感謝で一杯! 無限の無限の喜びで一杯!』という祈り言葉を絶えず心に唱えるのが一番です。そうすれば自然に謙虚で素直な本心の自分が輝き出て、何事も感謝で受けて喜べるようになってくるのです。マイナスに見ること、マイナスに思うこと、マイナスの言葉を使うことは、神さまの愛を拒絶して、今持っている幸せをも破壊していることになるのです。決して決して業想念の立場に立ってはならないのです。


87 「虚栄心」と「執着心」を捨て去ること

2010-11-28 11:57:46 | 日記

 「虚栄心」と「執着心」を捨て去ることが、本心の自分に戻ることなのです。虚栄心と執着心を掴んでいる限りは、業想念の奴隷であって、本心の自分を見失うことになるのです。虚栄心と執着心が、一切の苦しみの元です。虚栄心と執着心で築き上げた一切のものは、"砂上の楼閣"であって、必ず大音響を立てて(大きな苦しみを伴って)、崩れ去るものです。虚栄心と執着心は、業想念の心です。これを例えれば、業想念は空に浮かぶ雲のようなものです。雲は沢山集まって、黒雲となり、雨雲となり、自壊作用を起こして、雨となって消え去るのです。
 業想念の心で積み重ねたものは、どんなものも多くなれば、必ず自壊作用を起こして、大轟音を発して崩れ去るのです。苦労に苦労を重ねて大きくしたものが、大きな苦しみを伴って崩れ去るのが、業想念の心の奴隷となって生きた結末です。業想念の心の奴隷のままでは、永遠に本当の幸せを掴むことはできないのです。虚栄心と執着心の奴隷となって、不幸に陥っている実例は、至る所に無数に存在しているのです。ああ! それなのにそれなのに! どうしてまだ虚栄心と執着心に未練があるのでしょうか?
 虚栄心と執着心を捨て去る為には、次のような生き方を活用することです。


 ① 業想念の自壊作用からくる苦難の体験によって、虚栄心と執着心への未練を断ち切る。
 ② 自ら進んで、清貧に甘んじ、苦行を課せて、虚栄心と執着心を心から消し去ってゆく。
 ③ 真理を学ぶことによって、虚栄心と執着心を掴む愚かさに気付いて、捨て去る。
 ④ 真理を学び、本心の心を掴むことによって、自然に虚栄心と執着心の掴みを放す。
 ⑤ 本心の心で、神さまへの感謝を積み重ねて、無限の無限の大光明を浴びることにより、虚栄心と執着心の心を全て消し去ってもらう。


 本心の心とは、例えれば太陽から来る光のようなものです。絶対から一瞬一瞬新たに、無限の無限の大光明となって、放射されてくる光の自分が、本当の本心の自分なのです。本心の自分は一瞬一瞬新たに、新生してくる自分です。絶対の世界に本住の地を置き、永遠不滅に新生し続ける、無限に無限に輝いている自分です。この本心の自分を肯定し、受け入れるならば、人は常に神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯!となるのです。即ち次のようになるのです。
 無限の無限の幸せで一杯! 無限の無限の喜びで一杯! 無限の無限の安らぎで一杯! 無限の無限の健康で一杯! 無限の無限の恵みで一杯! 無限の無限の愛で一杯! 無限の無限の叡智で一杯! 無限の無限の活力で一杯! 無限の無限の美しさで一杯! 無限の無限の素晴らしさで一杯! 無限の無限の清らかさで一杯! 無限の無限の感謝で一杯! 無限の無限の楽しさで一杯! 無限の無限の輝きで一杯! ・・・・・・


86 プラスに受けるか、マイナスに受けるか

2010-11-27 05:09:08 | 日記

 "今・此処に"与えられているものを、プラスに受けるか、それともマイナスに受けるかによって、その人の運命が善くなるか、それとも悪くなるかが決定されるのです。プラスに受けるものが多いほど、その人の運命は善くなってゆき、マイナスに受けるものが多いほど、その人の運命は悪くなってゆくのです。
 自分の運命を改善してゆきたいと願うならば、プラスに受けるものを増やしてゆかなければならないのです。どんな物事でも、プラスに受けようと思えば、プラスに受けることができるのです。マイナスに受けようと思えば、マイナスに受けることができるのです。その受け方を決めるのは、あくまでも自分自身なのです。本当に無限の無限の幸せを願っていれば、必ずプラスの受け方をしてゆくものです。
 この世のどんな七難八苦も、地獄の苦しみと比較すれば、万分の一以下の軽い小さな苦しみに過ぎないものです。神さまの無限に大きく・無限に深い大慈愛の守護によって、一番楽に魂を清めることのできる、この世という魂の修行場に生を受けているのです。そして過去世に積み重ねた無限の業想念(マイナスの想念行為)を消し去る為には、当然受け続けなければならない大難を、より苦しみが小さくなるように、小難か無難に修正して、助け続けて下さっているのです。
 何故かと言えば、大難をプラスに受けることは、至難の業です。だから少しでもプラスに受け易いようにして、魂の進化を促進して下さっているのです。この神さまの大恩を忘れては、本当のプラスを受けることはできないのです。
 人類の積み重ねて来た業想念(マイナスの想念行為)は、慈母なる地球を傷つけ、破壊し、今瀕死の状態にまで追い詰めているのです。もし地球が滅亡すれば、地上の生物も同じ運命を辿るしかないのです。地球滅亡の予兆は、心の世界だけではなく、現実界にも大きく現れつつあるのです。小さな自分のことばかりを考えて、このまま利己的な生き方を続けてゆくならば、地球の滅亡は目前に迫っているのです。しかし心配の余りに悲壮感に走るのは、マイナスを積み重ねるだけで、却って地球滅亡に拍車を掛けるようなものなのです。
 今ほど真実の祈りの必要な時は無いのです。無限とも言えるマイナスの想念行為を打ち消せるのは、大きなプラスの想念行為の積み重ねです。特に無限に無限に大きなプラスの思い返しのできる、真実の祈りが必要なのです。病苦の真っ只中にあっても、無限健康を思い、競争の真っ只中にあっても、完全平和をしっかりと思い続けられる、真実の祈りが必要不可欠なのです。
 『ありがとうございます。みんな天照大御神! 新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯! ありがとうございます・・・・・・・』