「虚栄心」と「執着心」を捨て去ることが、本心の自分に戻ることなのです。虚栄心と執着心を掴んでいる限りは、業想念の奴隷であって、本心の自分を見失うことになるのです。虚栄心と執着心が、一切の苦しみの元です。虚栄心と執着心で築き上げた一切のものは、"砂上の楼閣"であって、必ず大音響を立てて(大きな苦しみを伴って)、崩れ去るものです。虚栄心と執着心は、業想念の心です。これを例えれば、業想念は空に浮かぶ雲のようなものです。雲は沢山集まって、黒雲となり、雨雲となり、自壊作用を起こして、雨となって消え去るのです。
業想念の心で積み重ねたものは、どんなものも多くなれば、必ず自壊作用を起こして、大轟音を発して崩れ去るのです。苦労に苦労を重ねて大きくしたものが、大きな苦しみを伴って崩れ去るのが、業想念の心の奴隷となって生きた結末です。業想念の心の奴隷のままでは、永遠に本当の幸せを掴むことはできないのです。虚栄心と執着心の奴隷となって、不幸に陥っている実例は、至る所に無数に存在しているのです。ああ! それなのにそれなのに! どうしてまだ虚栄心と執着心に未練があるのでしょうか?
虚栄心と執着心を捨て去る為には、次のような生き方を活用することです。
① 業想念の自壊作用からくる苦難の体験によって、虚栄心と執着心への未練を断ち切る。
② 自ら進んで、清貧に甘んじ、苦行を課せて、虚栄心と執着心を心から消し去ってゆく。
③ 真理を学ぶことによって、虚栄心と執着心を掴む愚かさに気付いて、捨て去る。
④ 真理を学び、本心の心を掴むことによって、自然に虚栄心と執着心の掴みを放す。
⑤ 本心の心で、神さまへの感謝を積み重ねて、無限の無限の大光明を浴びることにより、虚栄心と執着心の心を全て消し去ってもらう。
本心の心とは、例えれば太陽から来る光のようなものです。絶対から一瞬一瞬新たに、無限の無限の大光明となって、放射されてくる光の自分が、本当の本心の自分なのです。本心の自分は一瞬一瞬新たに、新生してくる自分です。絶対の世界に本住の地を置き、永遠不滅に新生し続ける、無限に無限に輝いている自分です。この本心の自分を肯定し、受け入れるならば、人は常に神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯!となるのです。即ち次のようになるのです。
無限の無限の幸せで一杯! 無限の無限の喜びで一杯! 無限の無限の安らぎで一杯! 無限の無限の健康で一杯! 無限の無限の恵みで一杯! 無限の無限の愛で一杯! 無限の無限の叡智で一杯! 無限の無限の活力で一杯! 無限の無限の美しさで一杯! 無限の無限の素晴らしさで一杯! 無限の無限の清らかさで一杯! 無限の無限の感謝で一杯! 無限の無限の楽しさで一杯! 無限の無限の輝きで一杯! ・・・・・・