スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

スリ・ユクテスワの霊界通信5

2010-02-28 12:08:05 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
以上で霊界通信の内容は終わりですが、霊界通信の内容を大雑把に表にしてみましょう。
マイヤーズ通信で語られた霊界と対比するのも面白いと思います。



●類魂に触れる記述は一切ないが、下記のような記述がある。

幽界に生まれる者は、宇宙意志の力を借りて精妙な幽質の波動を凝縮し、自分の性
質に応じた幽体をつくる。地上で死んだ人間は、同じような精神的および霊的傾向
をもつ幽界の家族のもとへ招き寄せられて、そこに生まれるのだ。

幽界人は、折にふれて、彼がかつて地上に何回も生まれ変わっていた間に縁を結ん
だ父や、母や、夫や、妻がそれぞれ何人も、無数の親戚、友人などともに、幽界の
あちこちに住んで居るのに出会う。すると彼は、自分にとってだれが特に親しい相
手なのか戸惑いを感ずる。だが、こうして彼は、すべての人々を、同じ神の個別表
現である神の子として平等に愛することを学ぶのである。

●35の基本的観念(19の精神的・生命的要素と16の鈍重な要素)

個々の魂としての人間は、本質的には観念体をもった存在である。この観念体は、
神の創造活動に必要な三十五の基本的観念の母体で、神は後にこれから、十九の要
素から成る鈍重な肉体をつくられた。

幽体の十九の要素とは、精神的、生命力(ライフトロン)的なもので、それらは、
理性(英知)、自我意識、直覚、感覚意識の四つと、五つの感覚器官ー肉体の視聴
嗅味触の五官に相当する幽体器官ーと、五つの行動器官ー生殖、排泄、会話、歩行
、手仕事等を行う精神的器官ーと、五つの生命力の器官ー身体の細胞形成、消化、
廃棄、新陳代謝、循環等の機能を遂行する器官ーによって構成されている。これら
十九の要素で出来ている精妙な幽体は、十六の鈍重な要素で出来ている肉体が死ん
だ後もなお存続するのである。

ヒトの必須16種元素
主要ミネラル(必須主要元素):ナトリウム、カリウム、燐、カルシウム、マグネシウム、硫黄、塩素
微量ミネラル(必須微量元素):鉄、亜鉛、マンガン、銅、沃素、セレン、クロム、モリブデン、コバルト

スリ・ユクテスワの霊界通信4

2010-02-26 00:00:07 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
●観念界
観念界における欲望は、知覚作用のみによって満たされている。観念体だけを身に
着けている魂は、いっさいの執着や束縛からほとんど解放されている。彼らは全宇
宙を、神が夢みられた観念の具現化したものであると観ており、どんな物でも、ま
た、どんな事でも、想念の中で実現させ、客観的に知覚することができる。彼らの
繊細な感受性は、もはや肉体の感覚的喜びや、幽界人の楽しみを、粗野で息苦しい
ものとしか感じない。創造主と同じように、いろいろな宇宙をつくり出すこともで
きる。

魂は本来、姿や形をもたないものであって、身にまとう衣すなわちからだをもつこ
とによってのみ識別される。しかし、一つでもからだをもっているということは、
また、満たされぬ欲望があることを意味している。しかし、英知によって完全な無
欲の境地に達すると、ついに束縛の殻から脱け出して無限なるものと一つになり、
完全な自由(解脱)を達成るのである。

観念界の人々はみな、物質界の究極の構成要素が電子でもなければ、また、幽界の
根本要素がライフトロンでもなく、両者とも実は神の想念の超微粒子から出来てい
て、それがマーヤという相対性の法則によって分離され、そのために、被造物が創
造主とも、またお互いどうしとも、別個に存在して見える、とうことを会得してい
る。

観念界の魂たちは、お互いを、至福の宇宙霊が個別化した点として認識している。
彼らにとっては、自分の周囲のことがらはすべて自分が考えたことがらなのだ。彼
らは、自分のからだと想念との違いは単に観念の問題にすぎないことを知っている


観念界の住人は、考えるだけで見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、さわっ
たりすることができる。彼らは、宇宙心の力によって、どんな物でも創造したり分
解したりすることができる。

観念界では、死も生まれ変わりも想念の中にある。ここの住人たちは、尽きること
のない永遠に新しい知識を聖なる唯一の楽しみにしている。彼らは平安の泉を飲み
、何の執着も残さぬ知覚の大地を自由自在に歩きまわり、果てしない至福の大海を
泳いでいる。

観念体をまとった魂は、たいてい数千年間観念界にとどまっている。そして、さら
に深い至福を経験することによって完全に解脱すると、ついに一個の観念体から脱
け出して、広大無辺な観念宇宙を自分のからだとするようになる。こうなると、そ
れまで身に着けていた個別的な観念の渦や、個々の力、愛、意志、喜び、平和、直
感、安心、自己統御、精神集中等のあらゆる波が、永遠の至福の海に溶け込んでし
まう。魂はもはやその喜びを、一個の意識の波として経験する必要はなくなり、大
宇宙意識の海と一つに溶け合って、そのすべての波をわがものとする。それは永遠
の笑いであり、永遠の歓喜であり、永遠の感動である。それはついに、個性をもっ
たまま、無限なるおかたと一つになるということである。

●イエス
イエス・キリストの魂は、イエスとしてこの地上に生まれる前にすでに最高の解脱
を達成しておられた。すなわち彼もまた、その過去世において三つの進化段階を経
て、宇宙霊の中によみがえる力を獲得されたのである。彼の死から復活までの三日
間は、人間が解脱に至るこの三つの段階を象徴している。

霊的に未熟な人間は、三つのからだから脱け出すまで、地上界、幽界、観念界に無
数の生まれ変わりを経験しなければならない。しかし、ひとたび最高の解脱を達成
した大師たちは、人々を神のもとに導くために救済者すなわち救い主とし再び地上
に生まれることも、また、わたしのように幽界にすむことも自由なのである。

●地上界~幽界~観念界のつながり
地上から来た魂が長く幽界に住みつくことができるようになるためには、その前に
、肉体的カルマや欲望をすべて果たし終えなければならない。

幽界には二種類の魂が住んでいる。まだ果たしきれぬ地上のカルマをもち、それを
果たすために地上に再生する必要のある者は、肉体の死によって地上から幽界に来
ても、一時的訪問者として、幽界の定住者とは区別される。

地上のカルマをまだ果たしきっていない魂は、幽界の滞在期間が終わって幽体を脱
ぐ時期が来ても、すぐに高い観念界にはいることは許されず、引きつづき肉体と幽
体に交互に身を包んで、地上界と幽界の間を往復しなければならない。

霊的にもっと未熟な魂の場合は、肉体の死によって幽界に移っても、その間のほと
んどが死の眠りという深い昏睡状態に陥っているため、幽界の美しさすら意識しな
い。そして、幽界でしばらく休息すると、再び物質界での経験を積むために地上に
帰って行く。こうして何度か訪問の旅をくり返しているうちに、彼はしだいに精妙
な幽界に自分を順応させることができるようになる。

幽界の定住者は、すべての物質的欲望から完全に解放されているので、もはや粗雑
な波動で出来た地上の世界に帰る必要はない。彼らに残っているのは、幽体のカル
マと、観念体のカルマだけである。彼らは幽体を脱ぐと、より霊妙で限りなく精妙
な観念界に昇って行く。そこで、宇宙法則によって定められたある一定の期間を過
ごすと、今度は幽界で果たしきれなかったカルマを完全に取り除くために、再び新
しい幽体を身に着けて、ヒラニャローカまたはこれに似た同様の高い幽界の星に生
まれ変わって来るのである。

地上のたいていの人間は、生前、幽界生活のより高い喜びや幸せを瞑想によって味
わう修練を怠っているために、死後もなお地上の粗野なはかない快楽に戻りたいと
願う。ちょうどそれと同じように、多くの幽界人もまた、彼らの幽体が正常に崩壊
してゆくときでも、観念界の高い霊的喜びの状態を想像することができないために
、依然として幽界の濃厚ではでな幸福に執着して、再び幽界の楽園に生まれ変わり
たいと希望する。このような人たちは、幽界のそうした根強いカルマを完全に果た
さないうちは、創造主との間にわずかな薄い仕切りしか残していない観念界に定住
することはできないのである。

魂が、もはや目に楽しい幽界の経験を願わず、また、そこに帰りたいという誘惑に
も陥らなくなったとき、初めて観念界にとどまることができるようになる。そして
、さらにそこで、いっさいの過去の欲望の種子である観念体のカルマを完全に根絶
し終わったとき、魂は、これまで自分を閉じ込めていた三つの無知の栓の最後の分
を開いて、観念体という最後の容器から脱け出し、ついに永遠なるおかたと一つに
融け合うのである。

●最後に
この精妙なからだも、精妙な星も、結局いつかは消え去ってゆくだろう。それは神
が宇宙夢の中で演じておられる観念の相対的表現にすぎないのである。

スリ・ユクテスワの霊界通信3

2010-02-24 08:42:02 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
●三重のからだ
幽体の死とは、幽体の生命を構成しているエネルギーの顕現形態であるライフトロ
ンが消散することである。

地上の人間が死ぬと、彼はその肉体意識を失い、生まれ変わった幽界の精妙な幽体
を自分自身として意識するようになる。そしてやがて幽界の滞在期間が終わって幽
体の死を迎えると、彼は、幽体の生死を自分の生死と思う意識から、再び肉体の生
死を自分の生死と思う意識に変わる。こうして肉体と幽体との間に生まれ変わりを
くり返すいわゆる輪廻は、迷妄の中に生きるすべての人間にとって、避けることの
できない運命なのである。

個々の魂としての人間は、本質的には観念体をもった存在である。この観念体は、
神の創造活動に必要な三十五の基本的観念の母体で、神は後にこれから、十九の要
素から成る鈍重な肉体をつくられた。
幽体の十九の要素とは、精神的、生命力(ライフトロン)的なもので、それらは、
理性(英知)、自我意識、直覚、感覚意識の四つと、五つの感覚器官ー肉体の視聴
嗅味触の五官に相当する幽体器官ーと、五つの行動器官ー生殖、排泄、会話、歩行
、手仕事等を行う精神的器官ーと、五つの生命力の器官ー身体の細胞形成、消化、
廃棄、新陳代謝、循環等の機能を遂行する器官ーによって構成されている。これら
十九の要素で出来ている精妙な幽体は、十六の鈍重な要素で出来ている肉体が死ん
だ後もなお存続するのである。

神は、観念体の三十五の観念を基にして、それらを入念に組み合わせ、十九の要素
から成る幽体と、十六の要素から成る肉体を、それぞれ人間の観念体の似姿につく
られた。

肉体は、創造主の夢が固形化され、客観化されて出来たものである。肉体を脱いで
も、魂は依然として幽体と観念体に包まれている。人間の三つのからだを結び付け
ている力は、欲望である。物質的あるいは肉体的欲望は、利己心と感覚的快楽に根
ざしている。感覚的経験がもたらす誘惑や強制は、幽界における楽しみや、観念界
における知覚的欲望よりもはるかに強力なものである。

幽界人の欲望は、物事を波動として楽しもうとするものである。彼らは天界の霊妙
な音楽を楽しみ、万物を、たえず変化して尽きることのない光の表現として眺め楽
しんでいる。彼らはまた、光を嗅いだり、味わったり、さわったりもする。彼らは
あらゆる事物や経験を、光で描き出したり、、あるいは想念を凝縮した夢にしたり
して楽しむ能力をもっている。

●地上人間
人間の三つのからだが互いに関連しあっている証拠は、いろいろな面で人間の性質
の三重性となって現れている。地上の人間は、目を覚ましているとき、その意識は
多かれ少なかれ三つのからだのうえにある。視聴嗅味触の感覚に集中しているとき
は、彼は主として肉体を通して働いているし、想像したり計画したりしているとき
は、おもに幽体を通して働いている。また、観念体は、思索や、内観や、瞑想に深
く沈潜しているときに活動している。天才といわれる人たちの宇宙的な構想は、自
己の観念体とたえず接触している者に降来するのである。この意味で人間は、官能
的人間と、知能的人間と、霊感的人間に分類されるだろう。

人間は一日のうち、目を覚ましている十六時間は、自己意識が肉体にある。それか
ら眠って夢を見ている間は、自己意識は幽界にあって、幽界人と同じように何でも
自由につくり出すことができる。また、夢も見ないほど十分に睡眠が深いときは、
数時間意識の座を観念体に移すことができる。このような眠りには、心身の疲労を
回復させる力がある。夢を見ているときは、意識は観念体ではなく幽体にあり、こ
のような睡眠には十分な回復力はない。

スリ・ユクテスワの霊界通信2

2010-02-22 08:29:40 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
●人間の魂

人間の魂は三重のからだで包まれている。第一に他の二つのからだの根源をなす観
念体(根源体)、第二に人間の知能や感情の座である精妙な幽体、そして第三に粗
雑な肉体である。
地上の人間は、肉体的感覚器官をそなえている。
幽界の人間は、意識と直覚と、ライフトロンで出来た幽体で活動している。
観念体のみをまとった人間は、至福に満ちた観念の世界に住んでいる。

わたしの仕事は、幽界から観念界に進む準備をしている人々を対象とするものだ。

●幽界
幽界には、幽界人のおおぜい住んでいる幽質の星がたくさんある。
そこの住人たちは、一つの星から別の星へ旅行するのに、幽体の飛行機である光の
かたまりを用いる。これは電気や放射性エネルギーよりも速いものだ。

幽界の宇宙は、いろいろな色彩に輝く精妙な光の波動から出来ていて、その大きさ
は、物質界の宇宙の何百倍もある。物質界全体は、幽界という巨大な光り輝く気球
の下にぶら下がっている小さな固形のバスケットのようなものだ。

幽界の星座にも太陽や月があり、物質界よりもはるかに美しく、光はオーロラに似
ている。

幽界の昼と夜は、地上の昼と夜よりも長い。

幽界は、限りなく美しく、清潔で、純粋で、整然としている。

幽界は常に春のような暖かさで、ときおり光り輝く白雪や、多彩な光の雨が降る。

幽界の遊星には、オパール色の湖や、きらきら輝く海や、虹色の川がたくさんある。

普通の幽界には、地上から来たばかりの何百万という人間と、無数の妖精、人魚、
動物、妖鬼、小人、魔人、精霊などが、それぞれのカルマによる資格に応じて、異
なった遊星に住んでいる。

善霊は自由に旅行することができるが、悪霊は限られた区域に閉じ込められている。

地上の生き物と同じように、幽界の生き物も、それぞれの階級に応じて適当な波動
領域を割り当てられている。

他の世界から追放されたいわゆる悪魔(地獄に落ちた天使)たちの間では、ライフ
トロンの爆弾や、呪文という精神光線による戦いや争いが繰り返されている。これ
らの人々は、陰惨な下層幽界に住んでいて、邪悪なカルマを遂行している。

こうした一部の暗い牢獄のような区域を除いては、すべてが広大な光の領域で、そ
こではあらゆるものが美しく輝いている。

幽界にあるものはみな、本来神のご意志の具現化したものだが、部分的には幽界人
の意思によって改造されたものもある。彼らは、神がおつくりになったものの形や
美しさを、好みに応じて修正したり改良したりする能力をもっている。

幽界では、幽界人の意志だけで、直ちに固体を液体や気体やエネルギーに変えるこ
とができる。

幽界は、調和と平和の幸福を楽しんでいる。

幽界の生き物は、自分の姿形を意のままに解体したり、つくり変えたりすることが
できる。花や魚や動物でさえも、一時的には人間の姿に変身することができる。容
易に語り合うこともでき、カルマによる一定の制約はあるが、どんな生き物にも等
しく自分の姿形を自由に選ぶ権利がある。幽界の万物は、活力にあふれる神の創造
の光で出来ているのだ。

幽界に生まれる者は、宇宙意志の力を借りて精妙な幽質の波動を凝縮し、自分の性
質に応じた幽体をつくる。地上で死んだ人間は、同じような精神的および霊的傾向
をもつ幽界の家族のもとへ招き寄せられて、そこに生まれるのだ。

●幽体
幽体は、温度その他の自然条件の影響を受けることはない。

人体の幽体構造の根幹は、千枚の花びらをもつ光の蓮の花にたとえられる幽体の脳
と、スシュムナと呼ばれる幽体脊髄に並ぶ六つの目覚めた中枢だ。

幽体の心臓は、幽体の脳から光と宇宙エネルギーを導入し、それを幽体の神経や細
胞(ライフトロンで出来ている)に送っている。

幽界人は、ライフトロンの力や聖なるマントラの振動によって、自分の姿形に変化
を加えることができる。

幽界人のまとっている幽体は、ほとんどの場合、前世において肉体の内側にまとっ
ていた原型と同じ姿をしている。顔つきやからだつきは、前世の地上における青年
時代のそれとよく似ているが、私のように年をとってからの姿を好んでとる者もい
る。

幽界は、総合的な第六感すなわち直覚によって認識される世界だ。直覚だけで見た
り、聞いたり、嗅いだり、味わったり、さわったりしている。彼らは三つの目をも
っており、そのうち二つは半ば閉じている。第三の目は、ひたいの中央に垂直方向
についていて、開いており、これが最も主要な目だ。

幽界人は、目、耳、鼻、舌、皮膚等の外面的な感覚器官をみなもっているが、すべ
て直覚によって経験している。

希薄な幽体もまた、ときには切り傷や打ち傷を受けることがあるがそれらは治そう
という意志を働かせることのよって直ちに治ってしまう。

幽界における人の美しさとは、外見的な容貌のことではなく、霊的な性質をいう。

幽界人には、新しい多彩な幽体に自由に衣替えをする特権が与えられている。地上
の人たちが祭の日などの晴れ着を着るように、幽界人も、ときには特別な趣向をこ
らした姿で身を飾ることがある。お祝いのときなどには、主はその愛する信仰者を
喜ばせるために、彼が望むどんな姿でもおとりになる。

過去世において友達どうしだった者は、幽界ですぐにお互いをそれと見分けること
ができる。彼らは友情の不滅を喜び合い、地上で死別したときに悲しみとともに疑
った愛の不滅性をあらためて悟るのだ。

幽界人の直覚は、地上の人間の活動を、次元のヴェールを貫いて見透かすことがで
きるが、地上の人間は、ある程度第六感を発達させなければ幽界を見ることはでき
ない。

幽界人どうしの意思の伝達は、すべて幽界のテレパシー(精神感応)とテレヴィジ
ョン(視覚的精神感応)によって行われる。

幽界人は呼吸を必要としない。主として宇宙光で生命を保っている。幽界の畑には
発光体のような光の野菜が豊富にある。幽界の住人は、野菜を食べ、輝かしい光の
泉や幽質の川から甘露を汲み上げて飲んでいる。幽界の住人は、エーテル中に浮遊
している目に見えない、神のつくられた野菜その他の植物の青写真を、自らの意志
で幽体化する。用が済むと再びエーテル中に解消してしまう。

ヒラニャローカのような高い天国の部類に属する星の住人は、ほとんど食べる必要
から解放されている。そして、さらに高い観念界に住むほぼ完全に近い解脱に達し
た魂たちは、至福のマナ以外には何も食べない。

幽界人は、折にふれて、彼がかつて地上に何回も生まれ変わっていた間に縁を結ん
だ父や、母や、夫や、妻がそれぞれ何人も、無数の親戚、友人などともに、幽界の
あちこちに住んで居るのに出会う。すると彼は、自分にとってだれが特に親しい相
手なのか戸惑いを感ずる。だが、こうして彼は、すべての人々を、同じ神の個別表
現である神の子として平等に愛することを学ぶのである。

宇宙のあらゆる原子には、消すことのできない個性が与えられているので、幽界の
友人がどんな衣裳を着けていても、すぐにそれと見分けることができる。

幽界人の寿命は、地上の人間の寿命よりもはるかに長い。普通の進化程度の幽界人
の平均寿命は、地上時間の五百年ないしは一千年くらいだろう。当人の物質的カル
マの程度により、おのおのの定められた期間だけ滞在すると、再び地上い帰って行
く。

幽界人は、その光の幽体を脱ぎ捨てる際に、死と苦闘する必要はない。いくらか心
残りを感じる程度である。

幽界では、自分の意志に反して死んだり、病にかかったり、老衰したりすることは
ない。

スリ・ユクテスワの霊界通信1

2010-02-20 14:53:16 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
’あるヨギの自叙伝’ パラマハンサ・ヨガナンダ (著) の中に、スリ・ユクテス
ワによる幽界から語られた霊界通信があります。霊界の様子が詳しく述べられてい
ますので、まとめてみようと思います。

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スリ・ユクテスワは、’1936.3.9 9時’に死去したが、’1936.6.19 15時’に復活
し、ヨガナンダの元に物質化して訪れた。
(以下は、復活後二時間ほどの中で行われた霊界通信です)

●スリ・ユクテスワの身体

これは血の通った肉体だ。わたしの目にはエーテルのように希薄に見えるが、お前
の目には紛れもない肉体に見えるだろう。わたしは、宇宙原子から全く新しいから
だをつくったのだ。

わたしはほんとうに復活したのだ。ただし、地球にではなく、幽界の星にだ。
そこの住人たちは、地球の人々よりも、はるかによくわたしの高い水準に順応する
ことができる。

私は、たこのようにしっかりと先生にしがみついていた。私には、ほのかななつか
しい先生特有の快い体臭が感じられた。先生は、半分は言葉で、半分は精神感応に
よって、その意思を伝えられた。こうして私は、先生が伝えられる思想を非常な速
さで理解することができたのである。(ヨガナンダ)

私のこの新しいからだは、前の古いからだと全く同じに出来ている。わたしはこの
からだを、いつでも自由に、しかも地上に居たときよりもずっと頻繁に、物質化し
たり解体したりしている。からだを急速に解体することによって、わたしは今では
、一つの星から他の星へ、あるいは、幽界から観念界や物質界へ、光という特急で
あっという間に旅行することができる。(スリ・ユクテスワは地上生活中も、遠方か
ら物質化してヨガナンダの前に現れたことのある記述がある)


●スリ・ユクテスワの仕事とヒラニャローカと呼ばれる星

スリ・ユクテスワは生前、弟子のカルマを軽減してやるために、ときおりその病の
重荷を自分の身に引き受けられたが、それと同じように、幽界においても救い主と
して、ヒラニャローカの住人たちがすみやかに進化を遂げてより高い観念界へ昇れ
るように、彼らのカルマの一部を代わりに背負ってやることを言われたのである。
(彼の仕事は、地上から昇って来た魂よりも、観念界から戻って来た魂を助けるこ
と。それが神のご命令である。)

完全に解脱した魂の中には、再び観念界に戻って、そこの住人がすみやかに観念体
に包まれた生存期間を終えて’絶対の自由’を達成するよう助力する仕事に携わる
者も居る。

ちょうど預言者たちが、地上の人々の肉体的カルマの成就を助けるために地上につ
かわされたように、わたしもまた幽界の人々の救済者として奉仕するように神から
命じられたのだ。
そこはヒラニャローカと呼ばれる星で、幽界の中でも目覚めた魂たちの住んでいる
星だ。わたしはそこで、霊的に進化した人々の幽体的カルマを取り除き、幽界での
生まれ変わりから解放されるよう手助けするのだ。ヒラニャローカの住人たちは、
すでに霊的に高い進化を遂げており、みな最後の地上生活で、自己の肉体から意識
的に脱出する能力を、瞑想によって会得したひとたちだ。地上の生涯で、サビカル
パ・サマディを超えてさらに高いニルビカルパ・サマディの段階に達した者でなけ
れば、このヒラニャローカに来ることはできない。

ヒラニャローカに生まれて来る人たちは、地上で死んだ人々のほとんどが行かなけ
ればならない普通の幽界の生活をすでに卒業して来た人たちだ。かれらはここで、
前の幽界生活でまいたカルマの種子を完全に取り除くのだ。(地上から来て、まだ
地上のカルマを少しでも身につけている魂は、ヒラニャローカのような高い幽界の
星にすぐに昇ることはできない)

’幽界の太陽’’幽界の天国’ともいうべきヒラニャローカにはまた、もっと高い
観念界(根源界)から来たほぼ完成の状態に近い魂も住んでいる。
ヒラニャローカの進化した住人たちは、宇宙政治上の複雑な問題の解決や、神を忘
れて物質のとりこになっている魂たちの救済に尽力している。

幽界の住人は、まだ精神的苦悩から完全に解放されてはいない。高い段階のヒラニ
ャローカに住む人たちは、真理の知覚や遂行に何か誤りがあったりすると、非常に
苦痛を感じる。こららの進化した人たちは、自分の意志や行為がすべて完全に霊的
宇宙法則にかなうよう努力している。