スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

因果律の目的は霊性の進化

2014-02-28 13:51:24 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて

・「因果応報」というが、問題はいったい何が善で何が悪かということである。スピリチュアリズムではそ
 れを「霊性の進化」を基準にして考える。すなわち進化を促すものが善であり、それを妨げるものが悪
 あるという考えである。となると、一般通念から言って、それは必ずしも愉しいもの、楽なもの、幸せな
 ものとはかぎらないということになろうむしろ、辛く、苦しく、そして我慢を強いられるものであるこ
 との方が多いであろうスピリチュアリズムがいわゆる「ご利益」を説かない理由はそこにある。

・このようにスピリチュアリズムでいう因果律は、機械的に自動的に作動するものではあっても、その背後
 に霊性の進化を促すという目的があるという点が肝心なところであるが、その他にも大切な要素が二つあ
 る。一つは、因果律は一平面上の図式的なものではなく無数の次元があり、それらが複雑に絡み合ってい
 ること。もう一つは、それとも関連していることであるが、因果律は自動的にすぐさま作動するものであ
 るが、今も言うように次元の異なる要素が複雑に絡み合っているために、必ずしも地上生活の期間中に結
 果が生じるとはかぎらないということ。端的に言うと、こういうことをすればこうなるという因果関係は、
 人間の推理の範疇を超えているということである。

「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅 近藤千雄著より」

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「因果律」「因果応報」と聞くと、なんか「悪いことをしたら罰が与えられる」に直結してしまいますよね。

「カルマ」という言葉のニュアンスもそうですね。

「カルマ」をググってみると、「業」のページに飛びます。 カルマ - 仏教の基本概念。日本語では「業」と訳される。

となっています。

業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマン(真我)に代々伝えら

れる考えられた。アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、心の流れ(心相続)に付随するものとされ

た。中国、日本の思想にも影響を与える。「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、のちに一種の運命論となった。

現在日常的にこの語を使う場合は、行為で生じる罪悪を意味したり(例えば「業が深い」)、不合理だと思っても

やってしまう宿命的な行為という意味で使ったりすることが多い。by wikipedia

 

それはともかく・・・

私たちは、現世ご利益を願い、「辛いこと」「苦しいこと」が起きませんようにと祈るわけですが、スピリチュアリズム

では、その「辛いこと」「苦しいこと」が霊性を高める、進化を促すのであれば、「悪」ではなく「善」だという事のよう

です。できることなら、平穏無事、何事も無いのが平和・・・・と思ってしまいますけれど。しかし、挫折を乗り越えた

り、窮地を脱したりする経験をすれば、人間的に一周りも二周りも大きくなり、懐が深くなるのも確かですよね。

 

もう一つ・・・

この「因果律」は、今世(地上生活時代)において、跳ね返ってくるとは限らないようです。どんなに悪行を重ねても、

何も悪いことが起きずに幸せの中で死んでいく人もいるかもしれない、しかし、それはあの世において清算される

のかもしれない。次の再生時に持ち越されるのかもしれない。因果律は機械的・自動的に作動するものだけれど、

それが何時起きるかは分からないようです。

 

私的には、出逢った事象において、それぞれに対する「思いやり」や「寄り添い」などを無視した自己中心性が、

眼の前のカガミに映し出されて跳ね返される精神・思考の攻撃が因果律なのではないかと思うのです。


コナン・ドイル/スリ・ユクテスワ/マイヤースの霊界図

2014-02-12 17:16:22 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて

「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅 近藤千雄著より」にコナン・ドイルの霊界図が載っていました。

他の霊界図と比較してみてください。表現の仕方が違いますが、大枠でほぼ同じ内容を伝えています。

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↑「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅 近藤千雄著より」より打ち替えたものです。

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↑「あるヨギの自叙伝 パラマハンサ・ヨガナンダ著」に出てくるスリ・ユクテスワの報告を図にしたものです。

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梅原伸太郎氏作製の「魂の旅の旅程表」。これは、マイヤーズ通信(『不滅への道』『人間個性を超えて』)を

もとに同氏が作製したもので、世界心霊宝典の『人間個性を超えて』に収録されたものです。

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スピリチュアライズ!&霊性進化の程度は一人ひとり違う

2014-02-11 08:10:59 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて

スピリチュアリズムは人間性をスピリチュアライズするところに意義があるのであるから、当然それは

 個人の日常生活における自覚をまつべきものであり、どこかの機関が外部から規制すべきことではない。

●スピリチュアリズムは「霊性の進化」を基準にして考える。霊性の進化の程度は一人ひとり違うのである

 から、同じ教理、同じ信条を唱えて、同じワクの中で行動するということは、理屈から言っても不可能な

 ことであり、それを無理強いしようとすると、軋轢が生じる。そんな対立から生じる悩みは、霊性を歪め

 ることにしかならない。

「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅 近藤千雄著より」

スピリチュアライズ・・・excite辞書より

spir・it・u・al・ize /sprtulz/

1 〈…を〉精神[霊]的にする; 霊化する.
2 〈…に〉精神的な意味を与える.

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「スピリチュアライズ」という言葉がいいですよね。ググってみましたが、「スピリチュアライズド」という

ロックバンドくらいしかヒットしませんでした(笑)

「霊性の進化の程度は一人ひとり違う」・・・比ゆ的に学校に照らせば、この世は、幼稚園児から大学生まで、

ごった煮状態。その様々な生徒を同じ教室に入れて、同じように教えを説いても難しいということなのでしょう。

それでも、人は霊的進化したいと願い、教えを請おうとして、右往左往する。独りでは寂しいからと仲間を求め

ることもあるでしょう。人間だもの^^ それも旅の途中^^


4.魂と類魂(グループソウル)について(生まれ変わり、カルマ)

2014-02-09 12:25:42 | ◆魂と類魂(グループソウル)について

  

●魂の構造図

 

●類魂(グループソウル)の構造図

 

魂と類魂(グループソウル)について      

この「魂の構造図」及び「類魂(グループソウル)の構造図」は、フレデリック・マイヤースが、死後、
ジュラルディーン・カミンズ女性霊媒を通じて送ってきた自動書記通信(「永遠の大道」)と、「シル
バーバーチの霊訓10」をまとめたものです。 
魂にも親がいてその親の親をたどって行くと、そこには大きな魂の家族が存在する。(霊的祖先)
これをマイヤースは「グループソウル」と呼び、浅野和三郎氏が「類魂」と訳しました。  

私たちは、何回くらい生まれ変わるのでしょうか?ときどき何百回とか聞くことがありますが、どうな
んでしょう?

前回の地上生活と時と同じ人物がそっくり再生してくることは有りえません。人物像は肉体の死とともに消滅
します。それはインディビジュアリティの物的表現にすぎません。(シルバーバーチ)

原始的な人間の中には、向上心、つまり動物的段階から抜け出ようとする要求がなかなか芽生えない者が
いるであろうし、そういう人間は例外的に何度も再生を繰り返すかもしれない。が、大部分の人間は、二
回から三回、せいぜい四回くらいなものである。(マイヤース)

たった二回や三回の地上生活では十分な経験は得られないのではないか?その矛盾を説くのが、類魂の原
理である。われわれは、無数の地上的体験と知識とを身につけるために、わざわざ地上に戻ってくる必要
はない。他の類魂が集積した体験と知識とを我がものとすることができる。(マイヤース)

もう一度生まれ変わりたいという願望をもつようになる人がいます。奉仕的活動をしたいという場合もあ
ります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的な’借金’が残っている場
合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。二度、三度とくり返すこともあります。が、い
ずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです。再生したく
ないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚
めた人は再生してくる必要はありません。 (シルバーバーチ)

上記を読むと、生まれ変わりは2~4回。(但し魂の構造図の一つの霊相の面(E)が生まれ変わるのか、
E面の次にF面などの他の霊相の面が生まれ変わるのかよく解りません)

一個のスピリットの中に含まれる魂の数は20、100、1000の場合もあり一定しない。 (マイヤース)

また、上記から仮に類魂内の魂の数が100個だとして各々の魂が2~4回転生を繰り返すならば、200~400回
類魂内では転生することになります。前世記憶が類魂内全てであるなら、何百回生まれ変わるとも捉える
ことができますね。

生まれ変わり(転生)は、どのような理由でおきるのでしょうか?      
       
「魂の人」(霊的に成長した魂)は大部分は二度と地上に戻りたいと思わないが、彼らを統一しているス
ピリットは幾度でも地上生活を求める。そして、そのスピリットが類魂どうしの強い絆となって、進化向
上の過程において、互いに反応し合い刺激しあう。(マイヤース)

あなたは今歩んでおられる道を地上に来る前に選択されたのです。その時は大きな意識で自覚しておられ
たのです。それが肉体に宿り脳を通して意識するようになって曇らされているのです。脳の意識では潜在
意識の深奥は探れないからです。その誕生前の意識を目覚めさせるためには、その触媒となるべき危機的
体験を積まねばなりません。いつかは明瞭に意識する日がきます。(シルバーバーチ)

再生してこない人がいるのは、支払うべきカルマの負債もなく、やらねばならない仕事もないからです。
地上での用事がすっかり終わったということです。もう地上へ戻ってきてすることがないのです。地上と
の一切の縁を切って、霊界での向上進化に専念することができます。(シルバーバーチ)

(カルマに関して)自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそ
うなるとはかぎりませんが、その場合は霊界において精算されます。そういうものなのです。カルマは霊
界でも清算することができます。しかし地上でしか支払えない借りがある場合もあります。地上の危機存
亡の時に当たって何かの貢献をしたいという自発的な願望から、再生の道を選ぶのです。みんな何らかの
貢献をするために再生してくるのです。すべてに計画性があるのです。選択の自由は与えられています。
が、忘れないでいただきたいのは、その自由意志も相対的なものであることです。やりたくてもできない
ことがあり、また、どうしても選べないコースというものがあります。最終的にはあなたがそれまでに到
達した霊的進化の程度が、次に取るべき手段を決定づけるからです。(シルバーバーチ)

地上に戻って来る人がいることは事実です。再生してくるわけですが、それまでの間隔は別に一定の年数
が決められているわけではなく、あくまでも一つの計画に基づいてそうなるのです。カルマによる義務の
遂行のために戻って来る人もいれば、自発的に地上での貢献を目的として戻って来る人もいます。男性と
して戻ってくるか女性として戻ってくるかは、格別に重大なことではありません。私たちの世界には性差
別防止条例はありませんので!霊的進化の程度が唯一の基準です。男性であるか女性であるかは問題では
ありません。大切なのはその人の行為です。(シルバーバーチ)

支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業をもった人が因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化
した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命をもって降誕する場合もあります。
その霊のもつ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。(シルバーバーチ)

中心霊から再生を促されるようですが、決定するのは自分自身のようですね。そして再生の目的は、奉仕
的活動、貢献がしたい、成し遂げたい仕事をしたい、カルマの返済をしたいなどの理由のようです。その
人の霊的進化の程度の範囲内で、再生への道の選択は自由なのですね。カルマの返済において、地上でし
か支払えない借りがある場合もあるようですから、そのような人は間違いなく再生してくるのでしょう。
地上でしか支払えないカルマって、どんなものなのでしょうね?

魂の多面(霊)の転生により、一個の魂が霊的向上に向かい、更に類魂の中の魂同士の体験・知識を共有
して霊的成長を図っていく~~具体的にはどういう事でしょうか? 

私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは
言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大
きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによ
って得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。
(シルバーバーチ)

(経験)不足を補うための二つの方法として、類魂の記憶の中に入っていく方法、もう一つは、地上に誕
生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類魂とともに地上生活
を送る方法がある。(マイヤース)

こちら(霊界)で進化を遂げると、同一の霊系の魂の記憶と経験の中へ入り込むことができるようになる。

上記の説は、天才のケースに適応した時に興味深い。ある特殊な類魂の内部で、ある特殊な能力、たとえ
ば音楽的才能jが連続的に開拓されたら、最後にはその特殊な能力が地上の代表者の上に顕著に現れるは
ずである。(マイヤース)

前世とは、自分の生涯といえると同時に、自分の生涯でないとも言える。つまり前世とは自分と同じ霊系
の魂のひとつが、かつて地上で送った生活をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえて
いる。また、自分が送った地上生活によって類魂の他の一人に型を残すことにもなる。かくしてわれわれ
は、いずれも独立した存在でありながら、同時にまた、いろいろな界(幽界、霊界他)で生活している他
の霊的仲間たちからの影響を受け合う。(マイヤース)

われわれは、この死後の世界へ来て霊的に向上していくにつれて、次第にこの類魂の存在を自覚するよう
になる。そして、ついには個人的存在と別れを告げて類魂の中に没入し、仲間たちの経験までも我がもの
としてしまう。(マイヤース)

私のいう色彩界(幽界の上層部)、特に次の火焔界(霊界の下層界)までくると、全体としての内面的な
調和の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。’存在’の意義がここ
に来て一段と深まり、そして強くなる。またここに来てはじめて、地上生活では免れない 自己中心性、
つまり自己の物的生命を維持するために絶え間なく他の物的生命を破壊していかねばならないという、地
上的必要悪から完全に解脱する。(マイヤース)

いや~壮大な計画の元に私たちは生きているわけですね。 個の魂、さらには類魂全体のカルマの解消
のために、そして、地上で貢献するために転生してくるようです。それは、今生きているこの世界と向こう
の世界とが切り離されているわけではなく、常に繋がっているという事です。「われわれは立派な個性をも
つ独立した存在であると同時に、また全体の中の不可欠な一存在でもある。」けして一つの側面(霊相)
で生きているのではなく、所属する魂、延いては類魂内の全仲間たちと共に霊的成長に向けて歩んでいる
わけです。そう考えると「孤独」などということは有り得ませんね。

 

このような表現もありました。

一つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流するわけではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性
をもっている場合のみ、それが有りえます。親和性がなければ再会はありません。意識のレベルが違うか
らです。夫婦の場合であれば、身体上の結婚だけでなく魂と精神においても結ばれていなければ、霊界で
の再会は不可能です。再会を決定づけるのは霊的親和性です。死後しばらくは血縁によるバイブレーショ
ンが残っていますが、それには永続性がありません。(シルバーバーチ)
  
霊的親和性、意識のレベル・・・・・魂と精神のレベルでも結ばれるという事・・・う~む・・・・・・

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まとめると、

●地上生活と時と同じ人物がそっくり再生してくることは有りえない。

●生まれ変わり、前世の回数は3~4回のようだが、類魂内の記憶となると、何百回という捉え方もできる。

●類魂という共同体の仕組みによって、蓄積された各々の魂の地上再生時代の体験、経験、知識などを共
 有して霊的進化をしていく。

●奉仕的活動、貢献がしたい、成し遂げたい仕事をしたい、カルマの返済をしたいなどの理由によって生
 まれ変わってくる。 カルマも返済もなく、やらねばならない仕事もなければ再生してこない。

●中心霊が再生を促すが、決定するのは自分である。

●カルマの返済は霊界において精算される場合もあるが、地上でしか支払えない借りがある場合もある。

●再生への道の選択は自由だが、それは霊的進化の程度の範囲内である。

●各々の魂の経験不足を補うために、二つの方法がある。一つは類魂の記憶の中に入っていく方法、もう
 一つは、地上に誕生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類
 魂とともに地上生活を送る方法がある。

●類魂内のカルマや型は、魂の相互間で影響が大きいようである。まさに連帯責任のようである。

●類魂内においても、いろいろな界(幽界、霊界他)の住人(魂)がいるようで、それらの霊的仲間たち
 からの影響も当然受けている。

●死後の世界において霊的向上を果たすと個人的存在と別れを告げて類魂に没入する。全体としての内面
 的な調和の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。 

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魂と類魂(グループソウル)についての記述は以上でおしまいです。

補足

単に「前世」といっても自分自身の人生なのか、同じ類魂の中の誰かの前世であるかは、分からないとい
うことになりますね。過去世退行催眠で、前世の自分を思い出したとしても、同じ類魂の中の誰かの前世
なのかもしれません。

カルマに関しても、自分自身のカルマを継承している場合もあれば、同じ類魂の中の近しい魂のカルマを
継承しているのかもしれません。これは、いくら現世で自分自身で悪いカルマを生み出すことに注意を払
っても次の転生において、同じ類魂の他の魂が持つカルマを引き継ぐ可能性もあるということでしょう。

要するに、同じ類魂内の他の経験も吸収し、効率よく霊的成長を図る手段として類魂の仕組みがあるわけ
ですが、良くも悪くも連帯するということ、それはまさに、「連帯責任」ということなのでしょう。

「われわれは立派な個性をもつ独立した存在であると同時に、また全体の中の不可欠な一存在でもある。」

「前世とは自分と同系の魂の一つがかつて地上で送った生活を指す」マイヤース

500回転生したとか聞いたことがありますが、この類魂の原理によれば、例えば120個の類魂集合体が一人
4回生まれ変われば、480回転生したということになりますね。

しかし、20個(20人)の類魂ならともかく、1000個(1000人)の類魂で霊的成長していくのはタイヘン
だろうなあ。前世は同じ類魂の中での「前世」として、一般的によく使われるカルマに関しては「個的霊
のカルマ」と表現した方がよいのかもしれませんね。


3.魂と類魂(グループソウル)について「類魂」

2014-02-01 08:27:38 | ◆魂と類魂(グループソウル)について

●魂の構造図

●類魂(グループソウル)の構造図

魂と類魂(グループソウル)について      

この「魂の構造図」及び「類魂(グループソウル)の構造図」は、フレデリック・マイヤースが、死後、
ジュラルディーン・カミンズ女性霊媒を通じて送ってきた自動書記通信(「永遠の大道」)と、「シル
バーバーチの霊訓10」をまとめたものです。 
魂にも親がいてその親の親をたどって行くと、そこには大きな魂の家族が存在する。(霊的祖先)
これをマイヤースは「グループソウル」と呼び、浅野和三郎氏が「類魂」と訳しました。       

シルバーバーチは次のように語っています。

さらにダイヤモンドがいくつか集まって一個のインディビジュアリティを構成しています。例えばこの
霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジ
ュアリティに所属しております。一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがあるわけです。
つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティのごくごく小さな一部ということです。

ダイヤモンドに例えられているのは一個の魂のことであり、その魂がたくさん集まって一個のインディ
ビジュアリティを構成している。地上で’自分’として意識しているのは脳を中枢として顕現している
地上特有の人物像であって、その中において霊的自我の占める要素はきわめて少ない。

ここで語っている「インディビジュアリティ」とは、先の投稿では、「魂の構造図」全体の意味でしたが、
ここでは、「類魂の構造図」全体の意味です。紛らわしいですね。原文はどうなっているのでしょうか?
ともあれ、今ここにいる私は、類魂の中の、一つの魂の中の、一つの霊相、であるわけですね。

フレデリック・マイヤースは次のように語っています。

一個のスピリット(中心霊=本霊、守護神、産土神)が複数の魂を一つにまとめている。 各魂は中心
霊から霊的養分をもらう。

一個のスピリットの中に含まれる魂の数は20、100、1000の場合もあり一定しない。
      
魂の多面(霊)の転生により、一個の魂が霊的向上に向かい、更に類魂の中の魂同士の体験・知識
を共有して霊的成長を図っていく。

1000個!!!すごい数の場合もあるのですね。転生の仕組みを学校に例えるなら、20個の場合は
小さな学校、1000個の場合はマンモス校といったところでしょうか。ただしIQ面ではなくEQ面での
学校ということでしょう。

 

浅野和三郎氏は、「永遠の大道」で下記のような創造的再生説を述べています。

 

創造的再生説

・分霊A~Fは、それぞれ異なった時代に転生する。
・例えば転生中の分霊Aを守護する分霊B(守護霊)は、A、B互いの転生の時代も互いの関係も深い
 が、C~Fとも連動関係にある。
・霊的進化の各段階の分霊A~Fの間には、反射作用、連帯責任を持っている。

こちらの創造的再生説も、シルバーバーチのインディビジュアリティやマイヤースの類魂(グループソウル)
と、ほぼ同じ内容ですね。

魂を類魂と置き換えれば、更に高みの階層の図になるのではないでしょうか?
原子核<原子、電子<分子<物質・・・・の構造に似ているような気がしますね。
そして分子内の引力は、魂相互の霊引力に置き換えられるようにも思います。

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まとめると、

●たくさんの霊相を持つ魂が集まって類魂(グループソウル)を作っている。

●中心霊(本霊、守護神、産土神)が類魂内の複数の魂をまとめている。

●類魂内の魂の数は、20,100,1000の場合もあり一定しない。

●シルバーバーチの霊訓では、「インディビジュアリティ=魂」の語りもあれば「インディビジュアリティ=

 類魂」と表現している箇所があるが、いずれにせよ霊相側からみれば運命共同体の一人ということになる。

●魂の多面の霊相による転生、さらには類魂内の経験・知識などを共有して霊的成長を図っていく。

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次回は、「生まれ変わり、カルマ」について記述します。