スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

永遠の別世界をかいま見る 「臨死共有体験」

2014-10-22 16:32:42 | ◆スピリチュアリズム・本

2013.2に発刊された「生きる/死ぬ その境界はなかった・死後生命探究40年の結論」 著者:レイモンド・ムーディ、

ポール・ペリーを読み、「臨死共有体験」を知りました。更に詳しく知るために、この「臨死共有体験」の本を読んで

みました。

永遠の別世界をかいま見る 臨死共有体験

レイモンド・ムーディ(著),ポール・ペリー(著),堀 天作 (翻訳)

単行本: 282ページ 出版社: ヒカルランド (2012/5/22)

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ムーディ博士は「臨死体験研究の父」と呼ばれていますが、臨死体験の証言を聞く中で、人の死の際に、

それまで一般的に知られていなかったもう一つの側面があることを発見した。それは、人の臨終の際の

臨死体験が、ときに身近な家族や友人に「分かち合われ」、「共有される」ことがあるということです。

ムーディ博士はその体験を「臨死共有体験」と呼びました。これは死にゆく当人ではなく、そのかたわら

に付き添うなどしている健康な人々の体験です。つまり、死ななくてもできる臨死体験なのです。

 

●臨死共有体験の事例がたくさん載っていますが、臨死共有体験に特徴的な7つの要素を挙げてみます。

1.空間が変容して見える。

2.神秘的な光を見る。

3.音楽が聞こえる。

4.対外離脱する。

5.人生回帰を共にする。

6.天的な領域に入る。

7.遺体から上がる煙のようなものを見る。

これらは、一人がすべての要素を経験する場合は少なく、多くの場合、これらのうちの幾つかを経験する

ようです。(一つだけの場合もある)

 

●臨死体験は酸素欠乏状態に置かれた脳内の幻覚だとか、恐れから来るものだとか、麻酔薬の過剰投与、

もしくは不充分な投与によるものだなどの説明がある。彼らはそう言うことによって、臨死体験は死後の

生命を確証するものだという考えを、否定した。しかし、彼らは、その同じ論法を、臨死共有体験に対して

は使うことができない。

 

●古代エジプトの宗教は、復活信仰を持つ最初の「系統だった宗教」と一般的には考えられている。それゆ

え、なぜ彼らがそのように死後の世界を信じるようになったか、という疑問がわいてくる。

臨死体験や臨死共有体験が語られて生まれたのではないか?→オシリス崇拝へ

秘教的書物「ペル・エム・フル」→「エジプトの死者の書」を読むと、あたかも臨死体験、臨死共有体験の

証言集を読んでいるかのようである。

 

●臨死共有体験をしやすい環境や状況

臨死共有体験者のほとんどは、たいてい逝去者に対する深い愛情や同情を持っていた。

体験者は、愛する者が死ぬことを、心で受け止め、受け容れていた。

 

●共感する神経細胞・ミラー・ニューロンとの関わり

ミラー・ニューロンとは、他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように、「鏡」の

ような反応をすることから名付けられた神経細胞。

もしかすると、臨死共有体験を可能にしているのも、ミラー・ニューロンかもしれない。この共感する神経

細胞により、死にゆく者の思いや感情が共感する人に結びつけられ、そこに鏡のように映し出されるの

かもしれない。

 

●人間の脳の右側頭葉は「神秘に通じる回路板」なのか

人間の脳には遠隔精神感応(テレパシー)の能力が備わっているのではないか?神秘的な事象が起こった

とき、脳のこの領域はある種の刺激を受ける。この領域が臨死体験中にいかに刺激されているかを

見るのは、簡単である。そのときその領域は、異常に活発な反応を示す。臨死共有体験中も同じ領域が

(ミラー・ニューロンの作用により)刺激され、「神秘に通じる回路板」が活性化した結果なのかもしれない。

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上記の要約の他に、よく知る人の身の上に何か悪いことが起こった時に、離れた場所でそれを知覚したり、

いわゆる「虫の知らせ」が働いたりするのも、「遠隔精神感応」であるでしょうし、その知人が亡くなった場合

の知覚は、「臨死共有体験」の一部となるのでしょう。

 

私の知り合いにも、愛する人が突然亡くなったその時刻に、頭の表皮が異常なほどに痛む体験をしています。

また、別の知り合いは、義父が亡くなった時刻に、お風呂の脱衣所でグワンと空間が変容した体験をしています。

このような話はあちこちで聴きますね。

 

大昔は、病院なども無く、人の死に接する機会も多かったでしょうから、当然、、「臨死共有体験」をするケース

も多かったと思われます。それらの体験が、その土地土地や各々の文化圏で育まれ、霊的儀式や宗教が生まれ

たとも考えられますね。

 

ムーディ博士は、この本で最後に「・・・こうした体験が、死後生命の証明ではないというなら、それは一体何だと

いうのか?」という、言葉で締めくくっています。

 

ところで話は代わりますが、この本に出てきた「ミラー・ニューロン」ですが、このようにも書かれています。

ミラー・ニューロンにより、幸福、肥満、喫煙、飲酒、さらには自殺行動に至るまで、個人というよりは

社会全体の共通の特徴となる場合がある。私たちは職場の同僚とのつきあいや、遊び仲間に影響され

やすいが、それもこの共感の神経細胞があるためである。

これは、まさに「エレメンタル」ですね。それもどちらかというと「欲望→思考型(欲望的思考)エレメンタル」。

この場合では、「思考→欲望型(思考型欲望)エレメンタル」では、確固とした意志が基盤になりますから、

共感は起き難いように思いますね。


「生きる/死ぬ その境界はなかった・死後生命探究40年の結論」

2014-10-13 16:42:09 | ◆スピリチュアリズム・本

2014.9.14 NHKスペシャルの「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント死ぬとき心はどうなるのか」

を見ました。番組の内容は、NHKですから、まあ、こんな感じなのだろうなと思いましたが、最後に

立花隆さんが、レイモンド・ムーディ博士と再会する場面がありました。その中で、なんと、ムーディ

博士が自殺未遂をおこし、自ら臨死体験をしたという事をはじめて知りました。

 

そこで、レイモンド・ムーディ博士個人について、とても知りたくなり、書籍を調べてみると、下記の

著書が見つかりました。

2013.2に発刊された「生きる/死ぬ その境界はなかった・死後生命探究40年の結論」

著者:レイモンド・ムーディ、ポール・ペリー

そして、なんと、監修は、矢作直樹さん。

 

読んでみました。私の辿ってきたスピリチュアリズム関連の方々もたくさん登場して、実に興味深い

本でしたよ。

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・子ども時代のムーディ博士。

・ライフ・アフター・ライフ(かいまみた死後の世界)発表後の生々しい記述。

・病とのたたかい。

・エリザベス・キューブラロスとの出会いと、死後生命の存在についてのロスとの見解の相違。

・「懐疑」の本当の意味。

・その後の他者の臨死体験の研究。

・自らの自殺未遂による臨死体験。

・退行催眠を受け、9つの過去生を行き来する。

・自らの退行催眠研究。

・イアン・スティーブン博士について。

★「スクライング」・・・水晶、鏡における霊の呼び出し実験。

★死者と再会できる部屋「サイコマンテウム」を制作。

★臨死共有体験~死後生命の確証

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上記のような内容ですが、ムーディ博士の自伝的要素満載です。私的に興味のあったムーディ博士

自身の自殺未遂による臨死体験は、さらりと書かれておりましたが、それよりも後半の★の箇所が

非常に興味深かったです。

スクライングに関しては、水晶玉占いに対する検証実験のような感じで、むむ??と違和感を

持ちましたが、学生に参加してもらい、しっかりと実験を行った結果が記述されています。更に、

鏡を使った実験を経て、「サイコマンテウム」という部屋を作り、一日一人ずつの真面目で丁寧な

実験を行ったようです。

どちらも私的にとても興味をそそられるものでした。

最後の「臨死共有体験」に関しては、死にゆく人と、その死にゆく人を見守る近縁者や知人が、

同時に幽体離脱のような状態に陥り、死にゆく人はそのまま天へ召され、他の人々は、その

幽体離脱状態で、死にゆく人を見送るなどの体験という事で、あまり聞いたことがなかったのです

が、かなりの数の報告例がされているようです。過去生退行催眠も、臨死体験も、懐疑的な目で

見れば、いくらでも難癖つけられますが、この「臨死共有体験」は、複数人が同時に体験する

わけで、集団催眠等さえ否定できれば、幽体離脱に関しては、かなり立証されるように思えます。

ただし、死後存続に関しては、天へ召される向こう側へ行かなければ、どうしたって難癖つける

輩が出てくることでしょう。

調べたら、この著作の前に「臨死共有体験」の本も出ていましたので読んでみようと思います。


「自分探しのアカシックリーディング入門」から 

2014-10-08 15:11:37 | ◆スピリチュアリズム・本
想念形体の最終投稿から、ニヶ月ほど時間が経過してしまいました^^;
 
いずれ、「スピリチュアリズムなどを基盤とした感情や欲望のコントロール手法」、
 
また「想念形体の色や形」について、想念形体(エレメンタル)のカテゴリーで
 
投稿しようと思っています。(いつになることやら・・・^^;;)
 
私的には、このエレメンタルを掘り起こしたおかげで、喫煙の習慣パターンから
 
脱することができて、ほぼ禁煙できるようになりました^^ 後はアルコールですか(笑
 
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「自分探しのアカシックリーディング入門」 齊藤つうり (著)
 
を読みました。アカシックリーディングについては、ここでは触れませんが、
 
本の中に琴線に触れる箇所がありましたので、覚書として書いておこうと思います。
 
 
他の人を救いたい人の周りには、他の人を救いたい人が集まる。
自分を救っている人の周りには、自分を救っている人が集まる。
 
これは、私的には目から鱗といいますか・・・しかし、よくよく考えてみれば、
確かにそうかもしれないと思った次第です。引力でしょうか?個性でしょうか?
今世の目的でしょうか?
 
人の期待に応えようとしない。一切応えようとしない。そこに厳しくあれ。
 
これもまた目から鱗なのですが、人の期待を意識してしまうと、確かに自分自身
を生きられなくなりますよね。何をするにも「動機」がどこにあるのか?です。
 
「認められたい」というのがありながら、シェアリングしていたら、それは、
シェアリングではなくて、コントロールである。餌まいて釣っているだけである。
 
これも手厳しい言葉ですが、動機が不純でしょ、ということですね。純粋に感動
したり、伝えたいと思ってシェアするのならよいと思いますが、閲覧数や「いいね」
を意識したりすると、だんだんおかしな方へと向かっていきます。
 
「期待に応えようとする」=「コントロール」
自分が相手をコントロールしたいから、相手の期待に応えようとする。
 
まさに逆さまの発想です。これもまた新鮮な言葉でした。
 
その人には本人の決めている人生の道筋があって、変化したいタイミングは
本人が決めている。
 
「伝える」人は、諦めたり、嫌になったりせずに、相手にその時期が到来する
のを待つ忍耐が必要です。
 
その意味では、人を救えるのは究極のところ本人だけなのである。
 
扉を開こうとしなければ、救いの手は差し伸べられないということですね。
 
昔の私はすべての人に好かれようとして、とても苦労し、疲れ、それを見せない
ように隠しているけれど、裏では恨みが溜まっていく・・・という性格でした。
 
わたしも、かつて、そういうところがあって、共感しました。
 
葛藤を手放していくと、自分の個性が剥き出しになります。
 
今の私は誰にでも好かれる性格ではないし、私を嫌う人もいます。
でも、それはそれで構わないのです。
 
誰にでも好かれることを目指すよりも、自分自身になる道の方がずっと幸せに
なれるのですから。
 
「自分自身を生きる、生き込む」ことを日々第一優先に考えていくと、とても八方
美人ではいられなくなります。
 
同と和は違う。君子は和して同せず。
本来の日本人は、和のハーモニクスなので、自己信頼を持つことの邪魔に
ならないはずです。
和を持つことは中立であり、ニュートラルな態度を持つ上でもすごく役に立つ。
しかし、周囲が大事で自分はよいというふうになると、マイナスに働く面もある。
 
「和」という言葉の意味を的確に表現しています。
 
何をするか?doingではなく、どうあるか?beingの時代である。
 
この言葉を読むとき、意識は、とてつもなく大きな広がりを見せます。焦りにも
似た、能動的に何をするべきなのか?という思いの時代ではなく、だからと
いって消極的ではなく、一人一人がどうあるべきか?各々が各々の人生を
どう生きていくのか?という生物多様性から価値観の違いまでひっくるめて、
「個を生きる」時代であり、そこに「和」が見出せる時代のように思います。 
 
 
この本に紹介されていた、片鼻穴を交互に変則的にふさぐ呼吸法は、丹田
呼吸法よりもさらに意識的に集中して行わなければならず、より頭を空っぽに
できる呼吸法に感じました。
 
本末には、自分の声で読み上げて録音すればよい瞑想法?が載っていました。
自分自身の声が瞑想誘導にはとてもいいそうです。呼吸法と合わせて実践
してみたいと思った次第です。