スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

4.魂と類魂(グループソウル)について(生まれ変わり、カルマ)

2014-02-09 12:25:42 | ◆魂と類魂(グループソウル)について

  

●魂の構造図

 

●類魂(グループソウル)の構造図

 

魂と類魂(グループソウル)について      

この「魂の構造図」及び「類魂(グループソウル)の構造図」は、フレデリック・マイヤースが、死後、
ジュラルディーン・カミンズ女性霊媒を通じて送ってきた自動書記通信(「永遠の大道」)と、「シル
バーバーチの霊訓10」をまとめたものです。 
魂にも親がいてその親の親をたどって行くと、そこには大きな魂の家族が存在する。(霊的祖先)
これをマイヤースは「グループソウル」と呼び、浅野和三郎氏が「類魂」と訳しました。  

私たちは、何回くらい生まれ変わるのでしょうか?ときどき何百回とか聞くことがありますが、どうな
んでしょう?

前回の地上生活と時と同じ人物がそっくり再生してくることは有りえません。人物像は肉体の死とともに消滅
します。それはインディビジュアリティの物的表現にすぎません。(シルバーバーチ)

原始的な人間の中には、向上心、つまり動物的段階から抜け出ようとする要求がなかなか芽生えない者が
いるであろうし、そういう人間は例外的に何度も再生を繰り返すかもしれない。が、大部分の人間は、二
回から三回、せいぜい四回くらいなものである。(マイヤース)

たった二回や三回の地上生活では十分な経験は得られないのではないか?その矛盾を説くのが、類魂の原
理である。われわれは、無数の地上的体験と知識とを身につけるために、わざわざ地上に戻ってくる必要
はない。他の類魂が集積した体験と知識とを我がものとすることができる。(マイヤース)

もう一度生まれ変わりたいという願望をもつようになる人がいます。奉仕的活動をしたいという場合もあ
ります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的な’借金’が残っている場
合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。二度、三度とくり返すこともあります。が、い
ずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです。再生したく
ないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚
めた人は再生してくる必要はありません。 (シルバーバーチ)

上記を読むと、生まれ変わりは2~4回。(但し魂の構造図の一つの霊相の面(E)が生まれ変わるのか、
E面の次にF面などの他の霊相の面が生まれ変わるのかよく解りません)

一個のスピリットの中に含まれる魂の数は20、100、1000の場合もあり一定しない。 (マイヤース)

また、上記から仮に類魂内の魂の数が100個だとして各々の魂が2~4回転生を繰り返すならば、200~400回
類魂内では転生することになります。前世記憶が類魂内全てであるなら、何百回生まれ変わるとも捉える
ことができますね。

生まれ変わり(転生)は、どのような理由でおきるのでしょうか?      
       
「魂の人」(霊的に成長した魂)は大部分は二度と地上に戻りたいと思わないが、彼らを統一しているス
ピリットは幾度でも地上生活を求める。そして、そのスピリットが類魂どうしの強い絆となって、進化向
上の過程において、互いに反応し合い刺激しあう。(マイヤース)

あなたは今歩んでおられる道を地上に来る前に選択されたのです。その時は大きな意識で自覚しておられ
たのです。それが肉体に宿り脳を通して意識するようになって曇らされているのです。脳の意識では潜在
意識の深奥は探れないからです。その誕生前の意識を目覚めさせるためには、その触媒となるべき危機的
体験を積まねばなりません。いつかは明瞭に意識する日がきます。(シルバーバーチ)

再生してこない人がいるのは、支払うべきカルマの負債もなく、やらねばならない仕事もないからです。
地上での用事がすっかり終わったということです。もう地上へ戻ってきてすることがないのです。地上と
の一切の縁を切って、霊界での向上進化に専念することができます。(シルバーバーチ)

(カルマに関して)自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそ
うなるとはかぎりませんが、その場合は霊界において精算されます。そういうものなのです。カルマは霊
界でも清算することができます。しかし地上でしか支払えない借りがある場合もあります。地上の危機存
亡の時に当たって何かの貢献をしたいという自発的な願望から、再生の道を選ぶのです。みんな何らかの
貢献をするために再生してくるのです。すべてに計画性があるのです。選択の自由は与えられています。
が、忘れないでいただきたいのは、その自由意志も相対的なものであることです。やりたくてもできない
ことがあり、また、どうしても選べないコースというものがあります。最終的にはあなたがそれまでに到
達した霊的進化の程度が、次に取るべき手段を決定づけるからです。(シルバーバーチ)

地上に戻って来る人がいることは事実です。再生してくるわけですが、それまでの間隔は別に一定の年数
が決められているわけではなく、あくまでも一つの計画に基づいてそうなるのです。カルマによる義務の
遂行のために戻って来る人もいれば、自発的に地上での貢献を目的として戻って来る人もいます。男性と
して戻ってくるか女性として戻ってくるかは、格別に重大なことではありません。私たちの世界には性差
別防止条例はありませんので!霊的進化の程度が唯一の基準です。男性であるか女性であるかは問題では
ありません。大切なのはその人の行為です。(シルバーバーチ)

支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業をもった人が因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化
した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命をもって降誕する場合もあります。
その霊のもつ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。(シルバーバーチ)

中心霊から再生を促されるようですが、決定するのは自分自身のようですね。そして再生の目的は、奉仕
的活動、貢献がしたい、成し遂げたい仕事をしたい、カルマの返済をしたいなどの理由のようです。その
人の霊的進化の程度の範囲内で、再生への道の選択は自由なのですね。カルマの返済において、地上でし
か支払えない借りがある場合もあるようですから、そのような人は間違いなく再生してくるのでしょう。
地上でしか支払えないカルマって、どんなものなのでしょうね?

魂の多面(霊)の転生により、一個の魂が霊的向上に向かい、更に類魂の中の魂同士の体験・知識を共有
して霊的成長を図っていく~~具体的にはどういう事でしょうか? 

私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは
言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大
きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによ
って得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。
(シルバーバーチ)

(経験)不足を補うための二つの方法として、類魂の記憶の中に入っていく方法、もう一つは、地上に誕
生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類魂とともに地上生活
を送る方法がある。(マイヤース)

こちら(霊界)で進化を遂げると、同一の霊系の魂の記憶と経験の中へ入り込むことができるようになる。

上記の説は、天才のケースに適応した時に興味深い。ある特殊な類魂の内部で、ある特殊な能力、たとえ
ば音楽的才能jが連続的に開拓されたら、最後にはその特殊な能力が地上の代表者の上に顕著に現れるは
ずである。(マイヤース)

前世とは、自分の生涯といえると同時に、自分の生涯でないとも言える。つまり前世とは自分と同じ霊系
の魂のひとつが、かつて地上で送った生活をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえて
いる。また、自分が送った地上生活によって類魂の他の一人に型を残すことにもなる。かくしてわれわれ
は、いずれも独立した存在でありながら、同時にまた、いろいろな界(幽界、霊界他)で生活している他
の霊的仲間たちからの影響を受け合う。(マイヤース)

われわれは、この死後の世界へ来て霊的に向上していくにつれて、次第にこの類魂の存在を自覚するよう
になる。そして、ついには個人的存在と別れを告げて類魂の中に没入し、仲間たちの経験までも我がもの
としてしまう。(マイヤース)

私のいう色彩界(幽界の上層部)、特に次の火焔界(霊界の下層界)までくると、全体としての内面的な
調和の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。’存在’の意義がここ
に来て一段と深まり、そして強くなる。またここに来てはじめて、地上生活では免れない 自己中心性、
つまり自己の物的生命を維持するために絶え間なく他の物的生命を破壊していかねばならないという、地
上的必要悪から完全に解脱する。(マイヤース)

いや~壮大な計画の元に私たちは生きているわけですね。 個の魂、さらには類魂全体のカルマの解消
のために、そして、地上で貢献するために転生してくるようです。それは、今生きているこの世界と向こう
の世界とが切り離されているわけではなく、常に繋がっているという事です。「われわれは立派な個性をも
つ独立した存在であると同時に、また全体の中の不可欠な一存在でもある。」けして一つの側面(霊相)
で生きているのではなく、所属する魂、延いては類魂内の全仲間たちと共に霊的成長に向けて歩んでいる
わけです。そう考えると「孤独」などということは有り得ませんね。

 

このような表現もありました。

一つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流するわけではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性
をもっている場合のみ、それが有りえます。親和性がなければ再会はありません。意識のレベルが違うか
らです。夫婦の場合であれば、身体上の結婚だけでなく魂と精神においても結ばれていなければ、霊界で
の再会は不可能です。再会を決定づけるのは霊的親和性です。死後しばらくは血縁によるバイブレーショ
ンが残っていますが、それには永続性がありません。(シルバーバーチ)
  
霊的親和性、意識のレベル・・・・・魂と精神のレベルでも結ばれるという事・・・う~む・・・・・・

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まとめると、

●地上生活と時と同じ人物がそっくり再生してくることは有りえない。

●生まれ変わり、前世の回数は3~4回のようだが、類魂内の記憶となると、何百回という捉え方もできる。

●類魂という共同体の仕組みによって、蓄積された各々の魂の地上再生時代の体験、経験、知識などを共
 有して霊的進化をしていく。

●奉仕的活動、貢献がしたい、成し遂げたい仕事をしたい、カルマの返済をしたいなどの理由によって生
 まれ変わってくる。 カルマも返済もなく、やらねばならない仕事もなければ再生してこない。

●中心霊が再生を促すが、決定するのは自分である。

●カルマの返済は霊界において精算される場合もあるが、地上でしか支払えない借りがある場合もある。

●再生への道の選択は自由だが、それは霊的進化の程度の範囲内である。

●各々の魂の経験不足を補うために、二つの方法がある。一つは類魂の記憶の中に入っていく方法、もう
 一つは、地上に誕生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類
 魂とともに地上生活を送る方法がある。

●類魂内のカルマや型は、魂の相互間で影響が大きいようである。まさに連帯責任のようである。

●類魂内においても、いろいろな界(幽界、霊界他)の住人(魂)がいるようで、それらの霊的仲間たち
 からの影響も当然受けている。

●死後の世界において霊的向上を果たすと個人的存在と別れを告げて類魂に没入する。全体としての内面
 的な調和の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。 

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魂と類魂(グループソウル)についての記述は以上でおしまいです。

補足

単に「前世」といっても自分自身の人生なのか、同じ類魂の中の誰かの前世であるかは、分からないとい
うことになりますね。過去世退行催眠で、前世の自分を思い出したとしても、同じ類魂の中の誰かの前世
なのかもしれません。

カルマに関しても、自分自身のカルマを継承している場合もあれば、同じ類魂の中の近しい魂のカルマを
継承しているのかもしれません。これは、いくら現世で自分自身で悪いカルマを生み出すことに注意を払
っても次の転生において、同じ類魂の他の魂が持つカルマを引き継ぐ可能性もあるということでしょう。

要するに、同じ類魂内の他の経験も吸収し、効率よく霊的成長を図る手段として類魂の仕組みがあるわけ
ですが、良くも悪くも連帯するということ、それはまさに、「連帯責任」ということなのでしょう。

「われわれは立派な個性をもつ独立した存在であると同時に、また全体の中の不可欠な一存在でもある。」

「前世とは自分と同系の魂の一つがかつて地上で送った生活を指す」マイヤース

500回転生したとか聞いたことがありますが、この類魂の原理によれば、例えば120個の類魂集合体が一人
4回生まれ変われば、480回転生したということになりますね。

しかし、20個(20人)の類魂ならともかく、1000個(1000人)の類魂で霊的成長していくのはタイヘン
だろうなあ。前世は同じ類魂の中での「前世」として、一般的によく使われるカルマに関しては「個的霊
のカルマ」と表現した方がよいのかもしれませんね。


3.魂と類魂(グループソウル)について「類魂」

2014-02-01 08:27:38 | ◆魂と類魂(グループソウル)について

●魂の構造図

●類魂(グループソウル)の構造図

魂と類魂(グループソウル)について      

この「魂の構造図」及び「類魂(グループソウル)の構造図」は、フレデリック・マイヤースが、死後、
ジュラルディーン・カミンズ女性霊媒を通じて送ってきた自動書記通信(「永遠の大道」)と、「シル
バーバーチの霊訓10」をまとめたものです。 
魂にも親がいてその親の親をたどって行くと、そこには大きな魂の家族が存在する。(霊的祖先)
これをマイヤースは「グループソウル」と呼び、浅野和三郎氏が「類魂」と訳しました。       

シルバーバーチは次のように語っています。

さらにダイヤモンドがいくつか集まって一個のインディビジュアリティを構成しています。例えばこの
霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジ
ュアリティに所属しております。一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがあるわけです。
つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティのごくごく小さな一部ということです。

ダイヤモンドに例えられているのは一個の魂のことであり、その魂がたくさん集まって一個のインディ
ビジュアリティを構成している。地上で’自分’として意識しているのは脳を中枢として顕現している
地上特有の人物像であって、その中において霊的自我の占める要素はきわめて少ない。

ここで語っている「インディビジュアリティ」とは、先の投稿では、「魂の構造図」全体の意味でしたが、
ここでは、「類魂の構造図」全体の意味です。紛らわしいですね。原文はどうなっているのでしょうか?
ともあれ、今ここにいる私は、類魂の中の、一つの魂の中の、一つの霊相、であるわけですね。

フレデリック・マイヤースは次のように語っています。

一個のスピリット(中心霊=本霊、守護神、産土神)が複数の魂を一つにまとめている。 各魂は中心
霊から霊的養分をもらう。

一個のスピリットの中に含まれる魂の数は20、100、1000の場合もあり一定しない。
      
魂の多面(霊)の転生により、一個の魂が霊的向上に向かい、更に類魂の中の魂同士の体験・知識
を共有して霊的成長を図っていく。

1000個!!!すごい数の場合もあるのですね。転生の仕組みを学校に例えるなら、20個の場合は
小さな学校、1000個の場合はマンモス校といったところでしょうか。ただしIQ面ではなくEQ面での
学校ということでしょう。

 

浅野和三郎氏は、「永遠の大道」で下記のような創造的再生説を述べています。

 

創造的再生説

・分霊A~Fは、それぞれ異なった時代に転生する。
・例えば転生中の分霊Aを守護する分霊B(守護霊)は、A、B互いの転生の時代も互いの関係も深い
 が、C~Fとも連動関係にある。
・霊的進化の各段階の分霊A~Fの間には、反射作用、連帯責任を持っている。

こちらの創造的再生説も、シルバーバーチのインディビジュアリティやマイヤースの類魂(グループソウル)
と、ほぼ同じ内容ですね。

魂を類魂と置き換えれば、更に高みの階層の図になるのではないでしょうか?
原子核<原子、電子<分子<物質・・・・の構造に似ているような気がしますね。
そして分子内の引力は、魂相互の霊引力に置き換えられるようにも思います。

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まとめると、

●たくさんの霊相を持つ魂が集まって類魂(グループソウル)を作っている。

●中心霊(本霊、守護神、産土神)が類魂内の複数の魂をまとめている。

●類魂内の魂の数は、20,100,1000の場合もあり一定しない。

●シルバーバーチの霊訓では、「インディビジュアリティ=魂」の語りもあれば「インディビジュアリティ=

 類魂」と表現している箇所があるが、いずれにせよ霊相側からみれば運命共同体の一人ということになる。

●魂の多面の霊相による転生、さらには類魂内の経験・知識などを共有して霊的成長を図っていく。

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次回は、「生まれ変わり、カルマ」について記述します。


2.魂と類魂(グループソウル)について「魂」

2014-01-29 18:42:35 | ◆魂と類魂(グループソウル)について

シルバーバーチの霊訓10に書かれている「魂」についての概念を図に現してみます。

「シルバーバーチの霊訓10 P115-8」に記されている事を確認しながら観ていきましょう。

(青字は全てシルバーバーチの霊訓より)

●魂の構造図

この図が、わたしの「魂」とします。わたしはこの「魂」なのですが、今現在生きている(主観的な)
わたしは、この「魂」の中の一部分、例えば「E」の部分です。シルバーバーチはこの魂全体を
「インディビジュアリティ」と呼び、A、B、C、D、E、Fなどの面を「パーソナリティ」と呼んでいます。

パーソナリティは、インディビジュアリティが五つの物的感覚を通して自我を表現するための道具
であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部にすぎません。

パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、つまり本当の自我はめっ
たに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した
時に自覚される大きな自我(インディビジュアリティ)にくらべると実にお粗末なものしか表現してお
りません。

わたしは、この世で生きている主観的な自分だけではないということですね。いや~、不思議です。
わたしE以外のA、B、C、D、F、・・・などは、どんな人なんでしょうねえ。知りたいなあ。。。。。。

人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の
一つにすぎない。その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤ
モンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになる。

ここで云うダイヤモンドは、上記の図の魂の事ですね。図はダイヤモンドに見えませんが(笑)自分
の個性は自分で把握している以上のものなんですねー。自分の知らない自分・・・想像もできないなあ。

死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティに
よって投影された影にすぎません。そのインディビジュアリティが、肉体の死後、地上で発揮されなか
った潜在的可能性を少しずつ発揮していきます。

う~ん・・・とうことは、今のわたしの記憶や個性も保ちながら、同じ魂の中の他の人たちの記憶や
個性も融合していくということなのかな?「わたし」はなかなかでっかい輩ですね^^

一個のインディビジュアリティがいくつもの分霊を出して地上にたくさんのパーソナリティをもつこ
とができます。インディビジュアリティの物的表現、ないしは顕現です。数はたくさんですが、同じイ
ンディビジュアリティから出ているのです。

一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それに幾つもの部分的側面があります。それ
らが別々の時代にパーソナリティとして地上に生をうけます。が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も
一個のインディビジュアリティの側面であることに変わりありません。

今生きているこの世の中に、わたしと同じ魂から出てきている人はいないのかなあ。上記を読むと、
別々の時代となっているけど・・・。もしかしたら、前世ってこのたくさんのパーソナリティの事なの
かな。

二人の人間がアフィニティ(霊的親族)であることがあります。別々の人間でありながら一個の魂の
半分ずつなのです。地上でそういう関係の人といっしょになれた時は、物的な富みでは測れない豊かさ
がもたらされます。アフィニティは同じダイヤモンドを構成している部分的側面です

地上ではあなたという存在はあくまでも独立した一人物ですが、霊的なインディビジュアリティは必
ずしもそうではありません。例えばアフィニティというのがあります。これは一個の魂が半分に分かれ
た存在で、二つが同時に地上へ誕生することがあるのです。

同じダイヤモンドの仲間の別の側面が同時に地上へ誕生することは有り得ます。が、すべては法則と
秩序によって規制されております。その時期が来るまでは余計な心配はなさらぬことです。

こららの言葉はどう解釈したらいいのでしょうか?「一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があ
って、それに幾つもの部分的側面があります」と云っているのに対して「一個の魂の半分ずつ・・・」、
また部分的側面は、「別々の時代にパーソナリティとして地上に生をうけます」と云っているのに対し
て「地上でそういう関係といっしょになれた時・・・」と云っています。

これは、①一つの面、わたしEが二つに分割されて、この世に転生してきたという事でしょうか?それと
も②魂を単純に二つに割ってそれぞれが同時に転生してきたという事でしょうか?それとも、③単に二
つの側面(EとFなど)が同時に転生してきたという事でしょうか?どうとでも解釈できるのですが、私
的にはアフィニティの事柄も含めて①もしくは③ではないかと推測しますがどうでしょう?

地上での特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きな部分ー多くの側面ー
がまとまって一個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むという
目的も兼ねているのです。転生は、因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化した高級霊が特定
のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命をもって降誕する場合もあります。

ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。いかなる身体もインディビジュアリティの
すべてを宿すことは不可能だからです。

インディビジュアリティというのは魂の全体像です。その全体像を地上での70年や80年、あるいは
90年の間に発揮することは到底不可能です。

要するに意識の中枢であるインディビジュアリティがあって、その分霊を受けた魂の集団、いわゆる
グループソウルがある。その魂の一つ一つにも相があり、その相が地上へ誕生してくることもある。一つ
だけのこともあれば二つ、三つ、あるいはもっと多くの相が一度に一個の人間として誕生してくることも
あり、全部が、つまり一個のダイヤモンドがそっくり誕生してくることもある。魂が大きいというのは相
を数多く携えているということである。使命が大きいほど多くの相を携えている

ここでも矛盾ありますね。「ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはない」、「一個のダイヤモン
ドがそっくり誕生してくることもある」・・・困りましたね(苦笑)ともあれ、これは幾つかの霊相がま
とまって転生することはあるという事です。一つ一つの側面A、B、C、D、E、F、・・・などがそれぞれ転
生してくるだけでなく、例えばA+B+Cがまとまって一人となって転生する事もあるわけです。魂の沢山の
霊相が集まって生まれてくるのは大きな使命を携えているという事なのでしょう。どんな人なんしょうね。
歴史的に尊敬されるような人たちもそうでしょうし、もっと小さな事でも関わった人たちに大きな影響を
与えた人たち・・そんな人たちなのでしょうね。

※上記では、双子霊(アフィニティ)については、「一つの面が二つに分割」となっているが、「二つの
面が同時に地上に誕生」とも考えられる。

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まとめると、

●本当の自分は、この「魂の構造図の全て」である。

●一つの魂の中の各々の面(霊相)A,B,C,D・・がそれぞれ転生する。

●人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、霊相の一つにすぎない。

●死後に生き続けるのはパーソナリティ(個の面・霊相)ではない。

●一つの魂の中の霊相A,B,C,D・・は、別々の時代(時として同時)にパーソナリティとして地上に生をうける。

●アフィニティ(霊的親族)が同時に転生してくることがある。Aの霊相の1/2ずつ、もしくは、A、Bの二つの霊相

 が同時に転生してくると考えられる。

●大きな使命をもって、霊相A+B+C(や魂全体?)が一個の人間として転生する事がある。 

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次回は、「類魂」について記述します。