「独りでこの世に生まれ出でて、そして、独りでこの世界を離れていきます。」
この宿命は、変えることはできません。
どう生きればよいのか?
誰もが悩み、答えを見出そうと、もがきます。
スピリチュアリズムには、そのヒントがたくさんあります。
どうせ死んでしまうのだから…
例えば、80歳になったとします。
その時、
どうせ、長生きしたって、あと、10~15年の命なのだから、
美味しいものでも毎日食べて、だらだら過ごそう・・・。
どうせ死ぬんだから…
なにをやっても無意味でしょ。
ギャンブルやって、酒をかっくらって
自暴自棄に人生を投げやりに送る人もいる・・・。
逆の考え方もあります。
死ぬ気になれば、なんだってできるじゃないか。
生死の境を彷徨った人は、一度死んだも同然だから、
怖いものはもうない。やりたい事をやって生きていくんだ・・・。
はやくラクになりたい。
と、痛みと向き合いながら床に伏せている方もおられます・・・。
死と向き合うカタチは様々です。
人それぞれです。
誰もが苦しまずにピンピンコロリを願います。
でも、こればかりは自分の意思ではどうにもなりません。
「神のみぞ知る」です。
「神のみぞ知る」・・・スピリチュアリズムの教えでは、
今のその人の人生は、自分が選んで生まれてきた、と解釈します。
自分では、そんなつもりは毛頭ないと思う方もおられるでしょう。
が、「小我(私心)」はそう思っても、「大我(本心)」は、
自ら、選択して、この世界に生まれ出でたとスピリチュアリズムは
教えています。
少し話が逸れましたが、
どうせ死んでしまうのだから…
この答えは、スピリチュアリズムの教えから、
「人は死なない」「魂は不滅である」「死後に個性存続する」する、となると、
たとえ、80歳から何かを学んだり、奉仕活動を行っても、その生き様は、
魂に刻まれて、無意味ではないということです。
よく、いつまでも好奇心を持つことが若さの秘訣と云われます。
生きている限り、この世の事象に興味を持ち、好奇心を持ち、学び、活動する・・
これらは決して無駄にはならないのです。