スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

7.表現媒体3-3

2010-11-26 16:57:18 | ◆「黎明」考察
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・本書では説明の都合上、現象の表現領域を色々な名称の波動領域に分けて、それぞれの波
動領域における表現媒体も○○体というような名前を付けていますが、実際には幾つもの表
現媒体があるわけではなく、一つの表現媒体が様々な波動スペクトルを持っているといった
が、より正確です。
しかしながら、肉体からより高次の媒体が抜け出るというような、ひとつの個的表現が異な
る波動領域に複数の媒体を保有して、それぞれが別の場所で独立した表現を行うといった現
象も存在しますから、この問題の取り扱いは、かなり複雑な要素があることも承知しておい
て下さい。

・こうした現象の表現領域には上限がなく、地球圏での様々な生命活動の媒体を表現してい
る波動領域の更に上にも、無限に続く精妙なヴァイブレーションの表現領域(現象面)があ
り、そこでは私達の日常の意識からは想像を絶する、高度な精神活動が営まれています。

・私達のひとりひとりは、誰でも潜在意識の奥底にこのような超越的な表現領域を持ってい
るのですが、これらの潜在意識下で表現されている大いなる生命の営みを顕在意識の下に顕
わし(顕在意識の範囲の拡大)、各波動領域にわたる表現媒体を通して、量り知れない潜在
能力を発動させて往くことが、大いなる生命の個的表現形態である私達人間の進化であり、
宇宙全体の進化でもあるわけです。

・地球圏(地球生命系)では、個的表現における意識の進化には個人差が大きいが、平均的
な人類の進化レヴェルでは、生命エネルギーや各種の情報を下位媒体に伝達するという基本
的な機能を除くと、アストラル体や下位メンタル体は、単純に感情や思念の表現及び知覚を
行っているだけで、他の潜在能力はほとんど眠っている状態にあります。

・これは、人間の意識が五官から入ってくる色々な情報のために、物質的ヴァイブレーショ
ンの外界を知覚することに専念させられていることと、肉体を構成する物質から生じる濃密
なオーラが障害物になって、現象としての外界から入ってくる情報に対する高次媒体の知覚
能力を、著しく制限もしくは沈黙させているからです。(オーラとは、総ての表現媒体が
それぞれの波動領域に応じて「外側に放射している、様々なヴァイブレーションのエネル
ギーのこと)

・しかしながら意識の発達に伴って、チャクラや、アンテカラナ、シルヴァー・コード(玉
の緒)等の媒体間の連絡通路が開かれていくことや、高次媒体が発達することによって、障
壁となっている肉体のオーラの外側に、高次媒体やそのオーラがはみ出てくること、更には
肉体とそのオーラが精妙化されて、高次媒体の機能を妨げなくなること等が重なって、高次
媒体の持つ各種の潜在能力が発現されるようになります。なお、顕在意識の範囲がどのよう
な発達状況にある人でも、ブッディ体以上の高次媒体は時空間を超越しているので、潜在意
識下では総てを認識しています。
「黎明 上巻」 葦原瑞穂 太陽出版より
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それぞれの波動領域の表現媒体を、肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体・ブッ
ディ体と見てきたわけですが、これらは、一つの表現媒体が連続した様々な波動スペクトル
を持っていると理解した方がよさそうです。しかし、この世に生きている我々人間にとって
は、「死」のハードルはとても高いものです。

エーテル体を表現媒体とする、幽界からのいわゆる「霊界からの報告」を読みますと、確か
にこの世の延長線上のようで同じ様な生活をしているようです。ただ五官で認識される以上
の波動領域を認識しているようで、そこでは聴いた事の無いような素晴らしい音楽や、見た
事も無いような美しい色彩を、肉体をまとっていた時の慣れ親しんだ五官での表現として、
伝えてきています。

地球圏(地球生命系)という言葉が出てきていますが、本来の精神階層には、分離した意識
状態というものは実在していないのですが、地球のメンタル・レヴェルまでの波動領域で
は、物質的なヴァイブレーションの世界観が絶えず想念として反映され続けているために、
時空間や、他から分離した個体があたかも実際に存在しているかのように見える、地球圏独
特の表現世界が生じています。

このような正しくものを観ることができない状態は幽界まで続いているようです。そして、
幽界から地上界へ五官以外の異なった波動領域を、いわゆる直感や第六感覚を通して伝え、
顕幽両界は相互に交流しているようです。
シルバーバーチは次のように語っております。
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地上のいかなる天才画家といえども、霊の世界の美しさの一端たりとも地上の絵具では表現
できないでしょう。いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律のひと節たりとも表
現できないでしょう。いかなる名文家といえども、天上の美を地上の言語で綴ることは出来
ないでしょう。地上の誰一人見たことのないような花があり色彩があります。その他小鳥も
おれば植物もあり、小川もあり、山もありますが、どれ一つとっても、地上のそれとは比
較にならないほどきれいです。そのうちあなた方もその美しさをじっくり味わえる日が来ま
す。その時あなたはいわゆる幽霊となっているわけですが、その幽霊になった時こそ真の意
味で生きているのです。
(霊訓4 P131-5)

こちらの世界へ来てしばらくすると、地上の人間のために何か役立つことをしたいと思うよ
うになり、やがて自分と同質の人間を見出します。あるいは見出そうと努力します。地上で
詩人だった人は詩人を探すでしょう。音楽家だった人は音楽家を探すでしょう。そして死後
に身につけたことの全てを惜しげも無く授けようとします。問題は波長の調整です。すべて
のインスピレーション、すべての叡智、すべての真理、すべての知識は、人間側の受信能力
に掛かっております。
(霊訓3 P138-9)

(霊界からのものか地上からのものかの思念の区別の仕方について)
両者をはっきり線引きすることはとても困難です。思念には地上の人間が発したものが地上
の他の人間によって受け取られることもありますが、霊界からのものもあります。思念はつ
ねに循環しております。そのうちのある種のものが同質の人に引き寄せられます。これはひ
っきりなしに行われていることです。
しかし、インスピレーションは霊界の者がある種の共通の性質、関心、あるいは衝動を覚え
て、自分がすでに成就したものを地上の人間に伝えようとする、はっきりとした目的意識を
もった行為です。地上の音楽、詩、小説、絵画の多くは実質的には霊界で創作されたもので
す。
(霊訓3 P140)
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6.表現媒体3-2

2010-11-20 15:53:54 | ◆「黎明」考察
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それでは、人間の表現媒体を、ヴァイブレーションの低い方から順に看ていくことにしましょ
う。

・肉体
物質的なヴァイブレーションには、人間の下限媒体としての肉体(ヨガでいうアンナ・マヤ
コシヤ)が物質原子の集合体として表現されており、特定の時空間を占有して、可視光線の
波動領域を眼という知覚器官を通して見たり、可聴帯域の空気の振動を耳で拾って音として
聞いたり、物を掴んで動かしたり、その他の所作をすることによって、この波動領域(物質
世界)の外界に対して様々な表現を行います。

・エーテル体
この波動領域の媒体をヨガではプラーナ・マヤコシヤ、神智学ではエーテル体と呼んでいます。

物質よりも少し上のヴァイブレーション(肉眼では見えない)の領域には、自律神経として
呼吸や内臓器官のはたらき、心臓の鼓動等をコントロールし、肉体を統一した全体として機
能させるための、補助的な役割を果す媒体が表現されています。

この媒体が潜在意識としてはたらくことによって、私達が肉体の全機能を自分の意識下に置
いて直接コントロールしなくても、日常の生活が支障なく営めるような仕組になっています。

ヨガの行者等は、顕在意識の範囲を拡大する訓練を行って、このような物質よりも高い波動
領域まで自分の顕在意識下に置く技術をマスターすることにより、この波動領域の媒体を肉
体の手足を動かすのと同じ様に操って、呼吸や脈拍、更には体温まで自分の思い通りにコン
トロールすることができます。

エーテル体には、生命エネルギー(プラーナ)の流れる通路があり、これを漢方では経絡と
呼んでいますが、この経絡は他の部分に比べて電気抵抗が小さいために、雷に打たれる等し
て大きな電流が流れると、経絡に添って、肉体に電紋と呼ばれる網目状の火傷痕が生じるこ
とがあります。

・アストラル体
エーテル体よりも高いエネルギーの表現領域には、ヨガでいうマノ・マヤコシヤ、神智学で
はアストラル体と呼ばれている表現媒体があります。

一般に表現媒体をある波動領域に限って見た場合に、ひとつの機能として、より高い波動領
域のエネルギーや情報を下位の波動領域に伝達するという役割があり、アストラル体も後述
するメンタル体やその他の高次媒体からのエネルギーの情報を、下位媒体であるエーテル体
や肉体に伝達する機能を果しています。

例えば、物質レヴェルの肉体が生命を保っているのは、高次媒体で波動変換されたエネルギ
ーが供給されているからですし、動物の胎児や植物が成長するときの形態形成に関する情報
も、物質レヴェルのDNAが持っているものと、高次媒体からくるものとが相補的な役割を
演じています。

・メンタル体
アストラル体よりも更に高いエネルギーの波動領域には、人間の理性的な思考を表現するメ
ンタル体と呼ばれる媒体があり、このうち抽象的な思考に関係する媒体を上位メンタル体も
しくはコーザル体(ヨガのグニューナ・マヤコシヤに相当します)と呼んでいます。

平均的な地球人類の精神活動に関係するのはこのあたりまでですが、この上にはブッディ体
(ヨガのアーナンダ・マヤコシヤ)と呼ばれる媒体があり、エネルギー的には時空間の表現
される境界に向う側にあって(媒体の構成要素が、プランク長以下の紐で表現されます)自
他の分離のない、普遍意識が初めて顕現されるヴァイブレーションでもあります。
「黎明 上巻」 葦原瑞穂 太陽出版より
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上記の○○体は、個別に存在するわけではなく、肉体に重なるように存在し、各々の波動
領域で表現される媒体のようです。

「黎明」での表現では、

肉体-エーテル体-アストラル体-メンタル体-ブッディ体

下記のスリ・ユクテスワの表現では、

肉体-幽体-観念体

更に、マイヤーズ通信では、

肉体-エーテル体-霊妙体-火焔体-神体・光明体-最高精神

となっています。

スリ・ユクテスワ、マイヤーズ通信は、霊界の界層に合わせて記載されていますが、これは
「黎明」でいう「各々の波動領域」=「霊界の各々の界層」で、表現媒体に当たるわけで
す。



「魂の旅の旅程表」(マイヤーズ通信による他界の構造)

あの人とこの人

2010-11-20 15:07:01 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
先日、乙武洋匡さんがテレビに出ておられました。生まれつき両腕両脚がないというハンデ
ィキャップを背負いながら、スポーツライター、教師として活躍されていますね。

時々、ホストクラブを経営している友人の所へ飲みに行かれたりするようです。ええ~、
ホストクラブの経営者と友人?と私などは、それまで蓄積された私の潜在意識の価値判断に
囚われてしまって、そう思ってしまうわけですが^^;;

その後の話で、そのホストクラブの経営者は、世間から落ちこぼれてしまった若者を、ホス
トクラブという社会と接点のある場に引き入れて教育しようと考えているようでした。どう
せホストクラブは若いうちにしか勤まらない仕事であり、いずれは社会に出て行かなければ
ならない。そのステップ台になればということのようです。

形はどうあれ、そこには愛があり、教育というキーワードで乙武さんと結び付いているので
しょうね。ホストクラブというと、なんとなく金儲け?という印象があったわけで(世間の
潜在意識包囲網)、このように本質に愛があり、そこを動機として経営されている人もいる
わけですね。脱帽です^^;;

話は変わりますが、乙武さんにインタビューされると、ついつい深いところまで話してしま
う、とか、普段あまり喋らないことでも引き出されてしまうと言われます。おそらくは乙武
さんのストレートな容姿や、かもし出す「気」を前にすると、隠してはいられない、語り合
わねばならないと思ってしまうのかもしれません。

この感覚は、五官では表現できないものなのでしょうね。


昨日は、金スマに戦場カメラマンの渡部陽一さんが出演されていました。初めて彼をテレビ
で見た時、お笑いの人かなあと思いましたよ^^ ギャクで、あのような話し方をしているの
かと思いました。

でも何度か見かけるうちに、その口調や話し方にも慣れてきて、戦場の話をされる時には、
引き込まれる様になってきました。金スマでは、中学校に訪問して授業や講演をされていま
したね。

彼の表現される気の場もすごいですね。まずは、誰もが彼が語り出すと思わず笑ってしまい
ます。その場を解き解してしまうんですよね。人と人の壁を取り除く、境界線を無くしてし
まう。人と人が素直に向き合う場にしてしまう。

その場の中で、究極の戦争での体験の話や子どもたちの写真を披露する。とき解されている
場ですから、ぐぐっと引き込まれるわけです。そして、元々誰もが持っている良心にストレ
ートに訴えかけるのです。

彼のそんな気質が、戦場でも子どもたちが文字通り気を許し、あまり見せない表情を見せた
りして、それを写真に収めているのでしょう。乙武さんのインタビュー同様に、日頃見せな
い表情を見せてくれるのでしょうね。誰にも真似できない素晴らしいコミュニケーションの
成果がそこにあるのでしょう。

彼の話を聞く子どもたちは、ホントに真剣な表情で、また泣いている子どもたちもいまし
た。彼の話が、子どもたちの魂に届く。自分の魂の琴線に触れた子どもたちは、この日の事
を生涯忘れる事はないでしょう。戦場の様子は、写真と言葉でしか伝わらないかもしれない
けど、そんな五官で識る以上の情報を受け取ったに違いありません。

戦争の悲惨さを伝える戦場カメラマン・・・それだけでも命をかけた大変な仕事なのに、
彼のパフォーマンスは、さらにそれらを広げ増幅し、聞くものに生命の尊さを深いレベルで
訴えます。子どもたちもきっと、イジメの問題や動物愛護、生命連鎖の地球環境にまでイマ
ジネーションを広げて考えられるような土台を形成することでしょう。

5.表現媒体3-1

2010-11-19 22:02:27 | ◆「黎明」考察
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・現象として生じているそれぞれの世界で、個々の存在物になっている様々な表現形態は、
最も低い波動領域に表現されている媒体(下限媒体)から始まって、無限大のヴァイブレー
ションに至る様々な波動領域に、それぞれの表現に応じたスペクトル分布(色々な波動の集
まり方)を持った媒体を有しています。そして個々の存在物は、その媒体内の異なる波動領
域の間や、(現象として外界との分離が生じる波動領域においては)媒体と外界との間で、
複雑な相互作用を行っています。

・夜空を見上げると、そこには無数の星が瞬いていますが、電波天文学の分野では、x線や、
その他の様々な波長の電磁波を使って、私たちの肉眼や光学式望遠鏡では見えない星々が、
また数多く存在することを明らかにしています。このような天体の中には下限媒体が物質体
ではなく、もっと高い波動領域に属しているものがあります。

・近代の天文学では、宇宙創世当時に存在していたはずの厖大なエネルギーの大半が行方不
明になっていて、観測されている天体の質量の合計だけでは辻褄が合わないことが大きな謎
とされていますし、渦巻き形銀河が回転する速度と、その質量が理論的に一致するためには、
銀河の質量は観測される値の十倍程度の大きさが必要であるため、計算が合わないこと等が
問題になっています。これらの矛盾は、物質よりも高い波動領域に媒体として表現されてい
るエネルギー(これらのうち、物質に近い波動領域に表現されているものは、僅かに質量を
持っています)を認知していないことが原因のひとつになっています。

○人間の場合

人間の場合にも、物質的ヴァイブレーションに物質原子の集合体として表現されている、下
限媒体としての肉体の他に、個的表現としての意識の進化に正確に対応したスペクトルを分
布を持つ高次媒体があります。

インドのヨガやチベットの密教等では、訓練によって観測者の意識を自らの高次媒体の様々
な波動領域に合わせて、その意識状態で世界を知覚するという方法が昔から行われていて、
長い歴史の間に、数多くの先達の努力によって得られた、高エネルギー領域についての厖大
な知識と情報の体系が既に存在しています。

私達の多くが「確かに存在しているはず」だと思っていた物質的表現世界も、私達の肉体に
備えられた知覚器官、すなわち五官の仕組みと、外界に表現されているエネルギーとの相互
作用に因って、心の中に造られた映像のひとつに過ぎないわけで、この肉体の五官に全面的
に意識が依存している、「正常」と思われる状態から離れて観ることができるようになると、
様々な波動領域の媒体に焦点の合った意識の状態が、外界のエネルギーと関わることによって
無限ともいえる「外の世界」を心の中に現象化しており、そのどれもが相対的なものである
と言う事実が明らかになります。
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ここまでは、科学的に証明されている各々の分野の五官を超えた延長線上での創造力を駆使
した表現媒体の説明なのですが、それらは、人間の場合にも当てはまるとしています。それ
らの説明の根底にあるものは、ヨガやチベット密教のようです。

4.物質という存在2-2

2010-11-19 21:18:21 | ◆「黎明」考察
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・エネルギーの表現されている状態の本来の姿は共時的なものなのですが、物質の世界で
は、肉体の脳が外界を認識する機能によって意識が制約されている結果、私達の意識が「現
在の瞬間」という断面を造り出しているために、「過去から未来に向かって流れる時間」と
いう感覚が生じて、「運動する粒子」という概念が生まれるのです。

・このように粒子という概念は、自然界に表現されている物質レヴェルの波動を、ある時間
軸に添った瞬間の断面で参照していった時に観測される状態を、心の中に理解できるような
形で投影した映像のひとつなのですが、人間がより高いエネルギーの領域に意識を向けるに
つれて、その領域を表現するために、更に「細かく精妙な粒子」という解釈が造られ続けて
きたという事情があります。

・近代の物理学では、物質の最小単位を表現するモデルは、粒子という形を採ってきました
が、1980年代になって、物質的な表現を持つエネルギー状態を、粒子の代わりに一定の長さ
の運動する紐によって表わす、超紐理論というモデルが注目されるようになりました。超紐
理論は幾つかの点で、物質を粒子として扱っている理論よりも自然現象を説明するのに有利
な上に、人間の意識に関係のある領域に橋渡しする要素を含んでいます。

・この超紐理論の持つユニークな点の中でも特に際立っているのは、紐の運動する空間が二
十六次元も必要だということです。

・私達の知覚している「三次元の空間と時間」という感覚や、それについての概念もまた、
自然界そのものの状態ではなく、自然界と、私達人間の五官との関わりによって、心の中に
生じている像(もっと正確に言えば波動)に過ぎません。

・実際、私達の五官では感知できないエネルギーの表現領域は無限に続いているのですが、
更に高いエネルギーの表現領域(「ヴァイブレーションが高い」という表現をします)にな
ると、原理的に時間と空間が存在できないと言う、私達の多くにとっての日常の感覚では、
想像することが困難な事態が生じてきます。

・私達が日常経験している時間の感覚は、五官や神経、そして情報処理を行うための脳が物
質によって構成されているために、物質にはたらく自然法則によって規定される、これらの
器官が機能するための過程そのものが、ひとつの時間の参照方向、つまり物差しになってい
ます。地球上では全ての人が、肉体という共通の物質からできた媒体を持っていますから、
肉体が機能する過程で、これを通して知覚される時間の感覚は必然的に似通ったものになり
ます。

・このようにして、現在という瞬間の断面によって参照される、「過去から未来に向かって
流れる時間」というような、地球人にとって共通の感覚が造られ、しかも大勢の人達が遥か
古代から、この共通の感覚を意識し続けて(チャネルして)きたために、強力な想念のエネ
ルギーが地球の精神階層に固定観念を造り出しています。こうした事情があるために、私達
の多くにとっては、時間が実際にあるものであるかのように現実感を生み出しているわけで
す。

・本書ではこの自然界の表現領域に関して、物質的な検出手段には掛からない程度のスケー
ルでは、高次元の表現様式を持つ可能性があり、更にプランク長(通常の時空概念が成立す
る大きさの限界)以下のスケールでは、時間と空間の表現されていない高エネルギーの表現
領域が無限に続いているような、宇宙のモデルを設定して話を進めることにします。

・光は波としての側面と、粒子としての側面を併せて持っていると書きましたが、物質を構
成するあらゆる粒子もまた、粒子としての表現の他に、波としての表現という、二つの側面
を持っています。この波動は、物質波とか、ドブロイ波という名前で呼ばれています。

・私達の多くは物質と言うと、何か恒久的な存在とか、確かな実体があるものというイメー
ジを思い浮かべがちですが、これらのイメージは心の中で造り上げた固定観念に過ぎないこ
とを、よくよく理解して頂くことが重要です。

・一口に物質といっても、肉眼で普通に物や風景を見ているときと、それを構成している原
子のレヴェルで考えるときには、状況は全く違っています。このことを「参照波動が異な
る」といいますが、前者が可視光線の領域に表現されている世界を、肉体の五官を通して知
覚しているのに対して、後者は電子線とか、γ線といった、もっと高い波動領域でなければ
観測できない表現を、観測器材によって五官で知覚できる情報に変換し、こうして得られた
様々な実験データを基にして考えられるモデルを、ひとつに概念として心の中に映像化して
いるわけです。


・科学で扱う概念は、あくまでも自然界を人間の心に投影したものであり、理解という意識
の働きによって、心の中に組み立てられた自然界のモデルであって、自然界そのものではあ
りません。しかしながら、私達はこのモデルを使って結果を予測することができます。この
ことが科学という方法を用いて、自然界そのものを把握しているわけはないにも係らず、テ
レビや電話、自動車等、実際に動作して日常生活に使える道具を作ることができる理由で
す。

・このような科学的な方法は、どのように正確に組み立てられたモデルであっても、自然界
の一部分を投影しているだけであり、それもたったひとつの側面だけを見ているに過ぎませ
ん。こうした事情のためにこれまでの科学では、ひとつの目的に向かって何かを行った時
に、それから派生する全体への無数の影響が私達から丸ごと抜け落ちてしまっており、これ
らの当初は気付かない様々な作用が、新しい病気とか公害といった、現在人類の抱えている
色々な問題を生み出してきたわけです。



・人間が進化して、エネルギーのより一層高い波動領域を理解しようと試みると、「超紐」
のような概念も造られるわけですが、景色や原子や超紐が別々に存在しているわけではな
く、同じエネルギー状態をどの波動領域で看るかによって、それぞれ違った現象に見えると
言うだけのことなのです。例えば超紐も、少しヴァイブレーションの低い波動領域では粒子
のように振る舞うのであって、こうした波動領域に注目していた時代には、陽子や中性子、
電子といった素粒子として、エネルギーの物質的な表現を取り扱っていたわけです。

・このような陽子や中性子が幾つか組み合わさって原子核を構成し、その周囲をそれに応じ
た数の電子が廻っている、というように理解するならば、それは物質原子という、心の中で
造られたモデルになりますし、全く同じ状況を、人間の五官を通して知覚される可視光線の
波動領域で、しかもマクロ(巨視的)なスケールで見るならば、水や雲、石や建造物、草や
紙、猫や三味線、そして人間やサッカー場の群衆といった、複雑な表現を持った存在物とし
て認識されるわけです。また、このスケールの近辺だけでも、森、一本の木、一つの枝、一
枚の葉、一個の細胞というように、色々な認識のレヴェルがあることに注意して頂ければと
思います。
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このように、私たちの知覚する「物質という存在」は、私たちの五官のみ、いわば四次元
(三次元の空間+時間)の領域を元に認識しているようです。それはあくまでも「物質とい
う存在」のある側面しか認識していません。そしてその側面のみの法則を導き出して、いろ
いろな工業製品などの開発を行ってきたわけです。

私達の五官では感知できないエネルギーの表現領域は無限に続いているのであれば、どんな
世界が広がっていても不思議ではありません。また、逆に無限の表現領域から見れば、私た
ちの認識しているこの世界の方が、あまりに限られた特異な世界なのかもしれませんね。

このように考えると、私たちは、無限の世界の極々小さな側面を、四次元(三次元の空間+
時間)&五官で認識して「生きている」ということになります。

下記にこの分野の関連項目を載せておきます。
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○核分裂反応
ちなみに、核分裂反応とは、不安定核(重い原子核や陽子過剰核、中性子過剰核など)が分
裂してより軽い元素を二つ以上作る反応のことです。例えば 中性子を吸収したウラン235
が、クリプトン92とバリウム141に分裂する際、平均2 - 3個の高速中性子が放出される。こ
の中性子が別のウラン235に再び吸収され、新たな核分裂反応を引き起こすことを核分裂連
鎖反応という。
この連鎖反応をゆっくりと進行させ、持続的にエネルギーを取り出すことに成功したのが原
子炉である。一方、この連鎖反応を高速で進行させ、膨大なエネルギーを一瞬のうちに取り
出すのが原子爆弾である。(by wiki)

核反応には、核分裂と核融合があるが、太陽活動のエネルギー源は核融合と考えられている。

○下記は、国立天文台 藤本教授の講演「宇宙が発する声を聞きたい」~重力波天文学への
挑戦~からの抜粋です。

長い間、人類は目に見える光(可視光)だけで宇宙を見てきたが、電波や赤外線、紫外線か
らエックス線、ガンマ線まで電磁波の全波長域が観測に使われるようになり、これまで見え
なかった星間ガスや星の誕生前の姿から中性子星やブラックホールなど星の終末の様子まで
知ることができるようになった。星の最後である超新星爆発で発生したニュートリノという
素粒子も検出され、ニュートリノ天文学も始まった。最後に残された観測手段のフロンティ
アが重力波なのである。

重力波の特徴

重力波は重力の波であり、電磁気力の波である電磁波と同様、真空中を光速度で伝わる横波
であると予想されている。重力波をはじめに予言したのはアインシュタインで、一般相対論
では重力は4次元時空間の歪みによって生じ、歪みの変化は周囲に伝搬することを見出し
た。この時空間の歪みの波動的伝搬が重力波である。重力波と電磁波の重要な相違点の一つ
は透過力の圧倒的な差である。この差は重力と電磁気力の本来的な強さの違いに由来したも
ので、素粒子間に働く力で比較するとおよそ40桁も重力が弱い。透過力が大きく地球をも
楽々すり抜けられるニュートリノと比べても重力はさらに20桁も弱く、文字通り桁違いに弱
い。そのため一度発生した重力波は、ほとんど何物にも吸収されることなく宇宙の中を飛び
交うことになる。重力波が完全吸収できるのはブラックホールだけである。この際だった透
過性が重力波の魅力で、他の観測手段では決して見えない宇宙の深部を探ることが可能にな
るのである。

重力波で何が分かるのか?

重力波が大量に発生するのは強い重力が激しく変動する時で、たとえば超新星爆発とかブ
ラックホールや中性子星どうしの衝突や合体、あるいは宇宙初期の相転移の産物であるバブ
ルや宇宙紐などの衝突や激しい振動、などといった宇宙の中でも非日常的な激しい現象から
である。

これらの現象の中心部でどのような変動が起こっているかを直接窺うことができるのは、重
力波のほかにはない。たとえば宇宙初期の観測を考えよう。

現在のビッグバン宇宙モデルによると、宇宙のはじまりから30万年経って宇宙空間を電波
が自由に飛び回れるようになる時期以降が電磁波で観測可能な宇宙である。一方、ニュート
リノで観測可能な範囲は、ニュートリノが自由に飛び回れるようになる宇宙開始後1秒以後
の宇宙である。それ以前のはじまったばかりの宇宙で、真空の相転移が起こりインフレー
ション的な宇宙膨張が生じたなどという推測が、物理学の基礎理論に基づいて盛んになされ
ているが、重力波だけがこの時代の宇宙をも自由に飛び回ることができるので、開始直後の
宇宙の姿についての観測的証拠をつかむ可能性があるのである。

従来の観測手段とは全く質的に異なる重力波の観測によって、これまで予想もしていないよ
うな新しい天体現象が発見される可能性があるのも重力波天文学の魅力の一つである。
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3.物質という存在2-1

2010-11-09 00:01:43 | ◆「黎明」考察
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●物質という存在

・私達が最も良く知っている(と思っている)物質をひとつ挙げるとすれば、水が良いかも
 しれません。では、水とは一体何でしょうか。コップの中の水や、水滴、口に含んだ時の
 感触、せせらぎの音、水蒸気、氷など、私達は多くの水というものを知っていると思って
 ます。

・しかし、「水」という概念の全て、水について考え付くことのできる一切のものは、注意
 深く観ていくと、どれも五官を通して入ってきた限られた情報を、心の作用で表象化した
 ものであり、このようにして過去に造られた心の中の創造物を、記憶から引き出して再現
 しているだけであって、そこに実在しているものとは、根本的に違っているのかもしれな
 いのです。

・この問題を、科学的なもの見方を例にして、よく調べてみましょう。水を、これ以上細か
 くすると水と呼べなくなるところまで分けていくと、最後には「水の分子」と称される、
 最小の単位に行き着きます。水の分子が一個の酸素原子と、二個の水素原子からできてい
 ることは良く知られていますが、このうち最も構造の単純な水素原子は、中心に陽子と呼
 ばれるプラスの電気(電荷)を持つ粒子が一個あり、その周りをマイナスの電荷を持つ一
 個の電子が回転しているという説明が、現在の物理学における定説です。

・このように説明されると、実際にそのような粒子が存在し、かつ回転運動をしていると考
えてしまいがちですが、この説明は、あくまでも様々な実験によって得られた、このスケー
ルの情報を矛盾なく解釈するための、想念の中のモデルに過ぎないのです。つまり物理学を
始めとする科学全般で用いる理論や概念は、そこに顕れている現象を人間が理解するための
手段、あるいは説明のための方策として使われているのであって、実際に起こっている現象
そのものではないと言うことなのです。

・このことを、もう少し具体的な事例を挙げて観てみましょう。光は可視光範囲の 電磁波
ですが、この光には各種の実験によって、光子と呼ばれる最小の単位があることが知られて
います。つまり、光は無数の粒子からできていると考えると、色々な実験の結果が巧く説明
できるというわけです。ところが一方、別の実験によって、光が波であると考えた方が都合
の良いような結果も出てくるのです。

・光の持つこうした二面性は、大変理解に苦しむ問題なのですが、この二面性の実 相は、
波とか粒子とかいうものは只の観念であって、私達の心の中に写し出されている映像でしか
なく、光としてそこに表現されているエネルギーのある状態が、様々な実験結果を通して私
達の心の中に、波と粒子の両方の概念を生じさせるような関係を造り出している、と言うこ
となのです。

・素粒子の世界では、エネルギーと質量は本質的に同じであって、それぞれ現象としては異
なった姿(表現様式)を取っていると考えられています。このことは実験の中でも充分に検
証されており、物質を構成する素粒子が、ある状況の下では非物質的なエネルギーである電
磁波に変わることで、質量が空間から消滅したり、その反対に、充分なエネルギーがあれ
ば、何もない(ように見える)空間から物質粒子が発生したりする現象、日常的に観測され
ています。この物質とエネルギーの数量的な関係は、アルベルト・アインシュタインの有名
な方程式E=mc²によって定義されます。
「黎明 上巻」 葦原瑞穂 太陽出版より
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上記の「水とは何か?」の説明のとおり、私たちは、一般的に五官による情報から物質を認
識しています。が、更に細かく見ていくと(個人的には、ややこしい物理の領域で苦しみま
す・笑)、分子、原子、素粒子の領域へ入り、更にはその粒子が電磁波にもなってしまうと
いう、わけの解らない世界へ突入します。

私たちの五官で認識している四次元(三次元の空間+時間)の中で、例えば机という物体が、
その重さを無くして電磁波に変わったり、何も無い空間(波動エネルギーは満ちている)か
ら突如、机が現れたりする・・・とても現実の世界(五官認識の世界)では、想像すらでき
ません。しかし、これはまさに「瞬間移動」「テレポーテーション」「ワープ」ですね。

’あるヨギの自叙伝’ パラマハンサ・ヨガナンダ (著) の中に、スリ・ユクテスワによる
幽界から語られた霊界通信があります。そこには次のように書かれています。
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スリ・ユクテスワは、’1936.3.9 9時’に死去したが、’1936.6.19 15時’に復活し、ヨガ
ナンダの元に物質化して訪れた。

●スリ・ユクテスワの身体

これは血の通った肉体だ。わたしの目にはエーテルのように希薄に見えるが、お前の目には
紛れもない肉体に見えるだろう。わたしは、宇宙原子から全く新しいからだをつくったの
だ。

私は、たこのようにしっかりと先生にしがみついていた。私には、ほのかななつかしい先生
特有の快い体臭が感じられた。先生は、半分は言葉で、半分は精神感応によって、その意思
を伝えられた。こうして私は、先生が伝えられる思想を非常な速さで理解することができた
のである。(ヨガナンダ)

私のこの新しいからだは、前の古いからだと全く同じに出来ている。わたしはこのからだ
を、いつでも自由に、しかも地上に居たときよりもずっと頻繁に、物質化したり解体したり
している。からだを急速に解体することによって、わたしは今では、一つの星から他の星
へ、あるいは、幽界から観念界や物質界へ、光という特急であっという間に旅行することが
できる。(スリ・ユクテスワは地上生活中も、遠方から物質化してヨガナンダの前に現れた
ことのある記述がある)
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2.世界という幻1-2

2010-11-03 00:00:17 | ◆「黎明」考察
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●世界という幻
○聞いているもの

・人間に音として知覚される空気の振動は、もちろん限られた範囲であって、個人差がかな
 りありますが、低い方は十六ヘルツから三十ヘルツ位、高い方は一万五千ヘルツから二万
 二千ヘルツ位が普通です。

・犬は人間よりも一オクターヴほど高い、四万ヘルツから五万ヘルツまで聞こえますので、
 例えば一定の強さの三万ヘルツの音は、人間には聞こえませんから、人間の音の世界には
 「実感のある音の高さ」としては存在しませんが、犬の音の世界では、はっきりとした「
 高さ」を持つ現実の音になっているわけです。

・私達は自分にとって未知の外国語を聞いた時には、単なる音の高低や強弱としてしか知覚
 されませんが、母国語を聞いている時には、単なる音としてではなく、そこに何らかの、
 もっと複雑な意味を生じさせています。意味というものは空気中に発せられた音の中にあ
 るのではなく、それを意識した人間の心の中で造り出されるものだからです。具体的な単
 語や、ひとまとまりの話は、聞き手の意識の中で、その人の過去の経験の記憶や、ものの
 考え方等と作用しながら意味を造り出すわけですが、こうした過去の経験やものの考え方
 というものは、当然のことながらその人によって微妙に、あるいは大幅に異なっています
 から、同じ単語や同一の話を聞いても、それぞれの人の心の中に生じる意味には、共通の
 部分と異なる部分が出てくることになります。翻訳された外国の文章であったり、音楽で
 あったりした場合には、作者と鑑賞する人の間に翻訳者や演奏者の意識が介在するわけで
 すから、状況はかなり複雑になってきます。

・音楽は、外から入ってくる音の変化が主な引き金となって、聞く人の心の中に造られたイ
 メージとして存在するのです。また、私達が主観的に知覚している「高い音」「低い音」
 それぞれの感覚と、その感覚を心の中に生じさせている実際の空気の振動とは、全く異な
 るものであると言うことに注意してください。これは五官から入ってくるあらゆる情報に
 関して共通していることですが、私達が外の世界を意識しているとき、それは外の世界そ
 のものを知覚しているわけではなく、五官を通して入ってきた情報が、知覚システムの基
 本的ははたらきや、過去に造られた認識の様式の影響を受けながら、心の中に無意識のう
 ちに表象を造り上げていること、つまり自分の心の創作物を知覚しているの過ぎないと言
 うことを、注意深く理解するようにして下さい。この事実が色々な宗教において、「この
 世は幻(マーヤ)である」と言われている理由であり、「あなた達は目に見えるものによっ
 て眼を覆われている」という言葉の真意でもあります。

・この五官による表象の総体、つまり私達が眼で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、手
 で触れることによって知覚している世界が余りにも現実感を伴っているために、私達の多
 くは、それが外の世界として、実際に存在しているものであると思い込んでしまっている
 わけです。

・このような世界観とは、共同幻想とも言える、限られた範囲の中で一般性を持つような側
 面があります。こうした一般性は、共通の感じ方や考え方をする人の数が多ければ多い程、
 またそのことに対する確信の度合が強ければ強い程、その表象にはっきりとした現実感を
 伴ってきます。

・例えば、机の上に置いてある一個の林檎の存在は、人間に限っていえば、見る人の年齢や
 性別、民族の違いや主義主張等には余り影響されませんから、「林檎がある」という事実
 に関しては、多分反論する人はいないはずです。しかし、この「一個の林檎の存在」とい
 う一般性のある表象にしても、ある程度共通した意識状態において、似通った機能の知覚
 器官から入ってきた、共通の情報を基にして造り上げている共同幻想なのであって、そこ
 に実在しているものを観ているわけではないのです。

「黎明 上巻」 葦原瑞穂 太陽出版より
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イヌやネコの訓練などに用いられるホイッスルに犬笛があります。この犬笛は、人間の可聴
範囲よりも高い音が出せるようになっています。人間にやっと聞き取れるような高い音でも
イヌやネコには、はっきりと聞き取れるのでしょう。

また、最近よく耳にする「モスキート音」があります。高周波数の音は、年齢とともに徐々
に聞こえ難くなるため、20代後半以降の者はあまり気にならなりませんが、若者には非常に
耳障りで不快に感じます。この事を利用して、17キロヘルツの音を公園などで流し、迷惑行
為を行う若者を追い出そうという試みを行っています。

私たちは、五官から入ってきたものを、その限られた知覚器官の働きや、過去に造られた認
識の記憶の影響を受けながら、心の中に無意識に幻を造り上げ、その幻を知覚しているに過
ぎないようです。五官という限られた知覚器官からの地球人類的共同幻想、そして国単位の
共同幻想、地域や家庭による共同幻想、そして個人の幻想・・・・・。幻想というよりは限
られた一側面での現実ということなのでしょう。

ですので、日頃、五官で感じている知覚が世界の全てなどではなく、この世においてもその
認識している世界は、ごく僅かな知覚の認識でしかないということになります。

シルバーバーチは、霊界での光の知覚を次のように語っています。
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たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその’全体像’を見ることがで
きれば、地上では見られない美しさが鑑賞できます。内側には地上のような外
側だけの世界に見られない無限の種類の色彩があります。そして物的感覚では
理解できない霊的な実体感を有しております。
(霊訓1 P175)

もし地上生活のあとにも
生活があることを知らず、霊の世界など思いも寄らない人であれば、地上で具えて
いた肉体器官はそっくりそのまま残っていて、肉体的機能を続けていますーあらゆ
る機能です。霊の世界についての理解をもった人の場合は、幽体の精妙化の過程が
スムーズに進行します。ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、そ
の器官が退化しはじめ、そのうち消滅してしまいます。この現象は、自覚の程度に
もよりますが、程度が炊ければそれだけ調整期間が短くてすみます。忘れてはなら
ないことは、私たちの世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚という
ものが最優先されるということです。
最後には外形というものが無くなっていくのです。つまり形による表現が少なくな
っていくのです。そして形態を超越してしまうと、色彩が認識の基本となります。
但し地上生活の基本的色彩となっているものが幾つかありますが、私たちの世界に
はあなた方の理解力を超えた別の色彩の領域が存在します。私たちは高級界からの
霊の姿が発する光輝、そのメッセージとともに届けられる光のよって、その方がど
なたであるかを認識することができます。形態というものがまったく無いこともあ
るのです。ただ思念があるのみで、それに光輝が伴っているのです。
(霊訓4 P128-130)

霊界の生活の全体像をお伝えすることはとても困難です。言語と次元の差が障壁と
なるからです。たとえば音楽を例にとれば、霊界には地上のいかなる楽器にも出せ
ない音色があります。絵画でも、あなた方には想像もつかない色彩と美があります
。それが感識できる人も描写できる人も地上にはいません。地上の人にとって大イ
ンスピレーションと思えるものでも、実際はごくごく小さなかけらにすぎません。
(霊訓8 P84)
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このように、霊界へ行き、肉体を脱ぎ捨て、肉体器官の知覚の窓であった五官から離れる
と、五官での知覚を大幅に増幅し、更なる領域まで知覚できるようになるようです。果して
それはどのように私たちの精神に届き、どのような心の風景を造り出すのでしょうか。霊界
の中に、地球人類的共同幻想や、個的幻想があり、その世界観をベースに知覚が広がってい
るのでしょうか・・・?