前回の続きですが、エレメンタルの創造を具体的に観ていきましょう。メッセンジャー
とエソテリック・ティーチングを参考にしてまとめてみます。
●「欲望→思考型(欲望的思考)エレメンタル」
★潜在意識によってつくられる。
・主に感情によって波動することによって作られるエレメンタル。
(感情や欲望の影響下にあり、思考は二次的な役割)
・このエレメンタル形成は、物質的な対象→反応として興奮→欲望の発生→満足でき
る状況の設定によって創造される。
・この欲望的思考のエレメンタルは、思考や欲望の性質を理解していない普通の人の
特徴である。
・ほとんどの人は、アストラル~メンタル体の構成を潜在意識レベルで行っている。
なぜなら、ほとんどの人たちはアストラル~メンタル体の個性を、自分の欲望や感
情に任せっきりにしているからである。
・この欲望的思考のエレメンタルは、結果として、自分のつくったエレメンタルの餌
食になってしまうことが結構ある。
・人が外に投影したエレメンタルは、いずれそれを作った人間の潜在意識に戻って来
る。そうして、記憶の中から意識の表面に上がって来て、新たなエネルギーを吸い
込んだら再び沈んで行く。
人間の潜在意識にもっと長くいられるまで、これらと同じサイクルが繰り返され、
更に、人のエーテル・ダブルからエネルギーを吸収して、生命を持続させる。
こうやって、タバコ、賭け事、アルコールの依存症や習慣が形成されていく。
・エレメンタルは、それが生じる原因となった欲望が強ければ強いほど、激しく放た
れる。またエレメンタルが目的を遂げようと猛進し、それが達成された時、必ずそ
のエレメンタルを創った人間のもとに戻り、さらに増大した力でもう一度投影され
ることになる。
こうした過程が何度となく繰り返され、その結果、私たちのアストラル~メンタル
体の中に、それが低次元のエレメンタルであれば陰惨な闇の状況を、思考→欲望型
の良いエレメンタルであれば強い愛の環境を創りだしていく。
・このエレメンタルは、「汚れた霊ども」「悪魔」と呼ばれたものである。
・敵対的な行動や暴力だけが他者を傷つけるわけではない。握りこぶしで殴ることと
同じか、時にはそれ以上にダメージを、私たちはアストラル~メンタル界の活動で
他者に与えている。
・「みだらな思いで他人の妻を見るものはだれでも、既に心の中でその女を犯したの
である。(新約・マタイ5-27~28)」この言葉は、欲望的思考のエレメンタルをうま
く顕している。
●「思考→欲望型(思考型欲望)エレメンタル」
★意識的につくられる。
・意識的な思考によって作られるメンタル体のエレメンタル。
(思考の影響下にあり、視覚的なイメージが操れる)
・欲望が形成される以前に、コントロールされた思考によって創られるのが、この
思考的欲望のエレメンタルである。
・このような思考的欲望のエレメンタルの方が欲望的思考のエレメンタルよりも長く
持ち、そして力より強く、目的の仕事をずっと早くこなすことができる。
・このエレメンタルは、人間を安全で真っ直ぐな道へと導き、環境を浄化し、人類
全体の進化に役立つ状況をもたらす。
・一つひとつの設定をどう理解して対応するのかー荒々しい感情で対応するのか、穏
やかな理性で対応するのか。
物質や活動に酔い、低次の感情や欲望から引き起こされる力に弄ばれて意識を形作っ
ている人類は今、非常に嘆かわしい状況にある。
意識とは、自分の権限と意志によって自己決断できるようにしていくものであって、
単に「時間・場所」の環境で遊ぶための道具ではない。
・真理の探求者は、欲望と感情が自分を助けてくれる役割を持つような強くて良い
エレメンタルを、強い思考を通して創造する訓練をするべきである。
・私たちは自分の創るエレメンタルによって自己のパーソナリティー(アストラル~
メンタル体)を害することもできれば、浄化することもできる。浄化することこそ、
私たちが自らの個性を進化させていく方法なのである。
・「自己暗示」は、ある特定な目的のために自己意識を持って作られたエレメンタル
と云える。
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上記を読むと、「思考→欲望型(思考型欲望)エレメンタル」の創造が、私たちの個性
を進化(悟りや解脱に向けて)させていく方法だと説いています。しかし、この世で生
きている限り、感情や欲望をコントロールすることは至難の業でしょう。
感情が発生する前に思考する。欲望が生まれる前に思考をコントロールする。この
ような事が可能なのでしょうか?
喜怒哀楽は、人間の自然な表現だと思っていました。芸術活動もまた、感情の表現
の一部なのだと解釈していました。
ある事象に対して、何よりも先に、感情や欲望が表現されてしまえば(反応されてし
まえば)、すでに「欲望→思考型(欲望的思考)エレメンタル」が生み出されてしまい
ます。
例えば、誰かに悪意に満ちたことをされてカッとなったりすれば、その相手に対して「嫌悪」
や「憎しみ」や「怒り」を抱きます。その思いが生まれる前(エレメンタルが創造され
る前)にコントロールするとなると、いわゆる「よくできた人」にならなければなりま
せん(苦笑)
さて、ここで「シルバーバーチの霊訓」から「未熟」という言葉をキーワードにして
引き当てた部分を抜粋してみます。
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あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指
標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけで
す。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時、
あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります。
(霊訓5 P96)
まじめに、あなたなりの最善を尽くすことです。そして他人に対して寛容と慈悲の
心を向けてあげることです。それができるということが進化しつつある霊の証です。
人間は誰一人として完全な者はいません。煩悩をそなえた存在であり未熟である
が故に、時には的はずれのことを考えて間違いを犯すものです。だからこそお互い
に寛容と慈悲と受容性と愛が大切となるわけです。
(霊訓12 P72-3)
私は’悪’とは同じエネルギーの用途を誤っていることだから許すべきではないと
いう考え方をとります。あなたが’悪い奴ら’と思っている人間は未熟な人間とい
うことです。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためにも使用で
きるのです。悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。
(霊訓12 P95-6)
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「シルバーバーチの霊訓」に限らず、スピリチュアリズムでは、「悪い奴ら」に対し
て、敵対するような感情を抱くのではなく、相手は、霊的成長段階にある、未熟な魂
である、自分もまたそのような段階を経て今に至っている、という解釈の仕方を訓え
ています。
この辺りに感情や欲望のコントロールのヒントがあるように思えます。
次回は、私たちの抱くさまざまな「感情」に対して、どのように向き合い、解釈して
いけばいいのか、掘り下げてみたいと思います。