スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

14.普遍意識5-6

2011-01-31 18:01:40 | ◆「黎明」考察
ここで読者の皆様に、重要なことを認識しておいて頂きたいと思います。これはあら
ゆる状況の判断に際して共通していることですが、外側からくる情報は、それが書物
であれ人の意見であれ、あるいはインスピレーションのようなかたちを採って心に生
じたものにしても、決して鵜呑みにせず、それまでに得たあらゆる知識や直観を総動
員して、その時点で自分の到達できる最も高い意識状態において、内側から識別する
ことが非常に大切です。そして、もし自分で確かめることができないものであれば、
その問題については判らないと言うことを明確にすべきです。単なる好みで、確かめ
ていないことを自分の考えにしたり、安易に受け売りにして人に伝えたりした場合に
は、後でそれなりの責任を取らなければならなくなることを覚悟して下さい。

自分以外からもたらせる情報、またその情報による各々各人の潜在意識に蓄積された
関連付けられたインスピレーションさえも疑ってかかるべきであるということでしょ
う。たとえそれが高級霊からの情報だとしてもです。自分自身に根を下ろすが如く、
文字通り「腑に落ちる」ものでなければ、その情報を理解できているとは言えないと
いうことです。また、その情報に繋がり、表現される言葉が、ともすれば全部正しい
だろうと感じても、それが憶測であるならば、自分の精神とのズレが生じ、表面だけ
をなぞるような伝言ゲームで調子に乗って他者に伝えてしまえば、責任が生じカルマ
となるわけです。


心は未体験のあるものについて外部から情報が提供されると、それについての何らか
の心象や観念を造り出す働きをします。この観念はその人の極めて限られた経験の中
で組み立てられた推測に過ぎないもので、智慧、すなわち普遍意識の展開に因る正し
い認識とは全く異なるものですが、いかにも真実であるかのように、その人の識別心
を幻惑する作用を持っています。ところが普遍意識は、偽物、すなわち心の中で造り
出された一切の心象や観念が消え去った状態でのみ顕現されるものですから、説明す
ることは一見親切なようで、真実が顕れるのを妨げる障害物をわざわざ築くような、
お節介になってしまう場合も非常に多くあり、そのことに対する注意を促しているわ
けです。

この辺りが非常に難しい判断を強いられるのではないかと思います。感動する言葉や
語句に接し、これこそが探し求めていたもの、捜し求めていた真理だと感じ、傾倒し
ていく場合も多いのではないかと思います。しかし、数年経てば、その言葉や語句が
色褪せてしまったり、のめり込むほどに違和感が生じたりすることもあります。自分
で造り上げている自分自身の潜在意識のカゴを大きく広げていき、自我、小我からの
判断領域を減らしていくことにより、より正しい視点で普遍意識に近い状態からの選
択や判断がなされるように思います。例えば、撮りたい被写体が目の前に現れた時、
すぐにシャッターを切れば撮れるわけですが、構図の事を優先し、太陽の位置、シャ
ッタースピード、露出設定などに囚われてチャンスを逃すという、いわゆる「知識が
邪魔をする」こともあるわけです。


観念はいわば地図のようなものです。地図はある場所の状況を知るには大変便利な道
具ですし、地図なしに旅に出れば、自分のいる場所や目的地の見当が全く付かずに、
途方にくれてしまうかもしれません。しかし同時に地図はあくまでも一枚の紙切れで
すから、地図を見ることと、実際にその場所に行って地図が表わしている世界を体験
する行為とは、全く違った出来事であるわけです。つまり、普遍意識の理解について
は体験が全てに優先するものであって、自我意識によるどんな推測も、その代用には
なり得ないのです。

本書をお読み頂くにあたっても、自我意識がいつもやるように、自分の過去の経験と
関連させて心の中に何らかの観念を造り出したのであれば、それは単なる知識であり、
あなたの魂にとっては制約をひとつ増やしただけに過ぎません。しかしながら本書の
内容が切っ掛けになって、あなたの内なる自己、遍在する普遍意識の展開を促す心の
変容を起こすことができたのであれば、本書の書かれた目的は成就されたことに成り
ます。

要するに頭であーだこーだ考えたり、知識を幾ら持っていても、体験しなければ解ら
ないということですね。「百聞は一見にしかず」ということです。ですから、この「
黎明」に書かれていることも地図として受け取ればよいのだと思いますし、読み込む
につれて自我意識を客観視できるようになってくれば、入ってくる情報に対しても、
段階的に処理ができるようになるかもしれません。この本の素晴らしいところは、あ
る程度、情報を伝えたら、必ず、自我意識による理解の警鐘を鳴らしているところだ
と思います。


黒文字部分:「黎明・上巻」より

13.普遍意識5-5

2011-01-24 17:09:30 | ◆「黎明」考察
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・解脱というものは、それを体験したことのない人から見た場合、何か人間らしい感覚を失
って、無味乾燥な世界に入ってしまうかのように誤解されていることがありますが、事実は
全く反対で、それが余りにも素晴らしい体験であるために、地上でのどんな出来事にも、大
した魅力を感じなくなってしまうだけのことなのです。普遍意識は絶対的な平安ですが、何
の刺激もない退屈な状態等では決してなく、次から次へと溢れる喜びが込み上げてくる、生
命のエネルギーに満ちたダイナミックな平安とでも言うべきものです。

・普遍意識を一瞬覗き見した状態(サヴィカルパ・サマーディ)ではなく、二十四時間普遍
意識の中に在ることができる状態(ニルヴィカルパ・サマーディ)にまで進化した魂にとっ
ては、この地上における表現もまた、至福の中で行うことが可能に成ります。勿論このよう
な魂であれば、地上の出来事に一喜一憂するようなことはなく、外界の出来事が何であろう
と、内なる喜びしか感じられなくなるのです。

・ひとりの人間(もう少し正確にいえば、ひとつの魂)は、その意識の進化に応じて、それ
よりも低いヴァイブレーションを支配している自然法則から解放されていきますが、普遍意
識のレヴェルでは、地球という特殊な表現の場を形成し、魂の進化に必要な環境を現象化す
るために、地球上を支配している物理的及び精神的な自然法則から完全に自由に成り、逆に
この自然法則を自ら決め、司る側に移ります。つまり、普遍意識は地球レヴェルの神として
の位置に在るわけで、この意味では、キリスト教にある「神の唯一の息子」と言う表現は、
実質のある言葉なのです。

・転生(生まれ変わり)や、自分の行ったことが自分に返ってくる、いわゆるカルマを現象
化している法則も、この普遍意識のレヴェルでは消滅し、地上という迷妄の視点、すなわち
自分を肉体に限定された個人であると思い、外側の出来事に反応して心が造り出した、様々
な感情や想念の動きを事実と誤認している状態から離れて、総ての状態を正しい視点から眺
めることができるように成ります。
(「黎明 上巻」より)
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ここで言われている「解脱」や「進化した魂」とは、向こうの世界の構図に照らし合わせる
と、すでに幽界を卒業し、霊界レベルに達した魂です。という事は、何か事情が無い限りは、
もう地上へは転生してこないレベルの魂ということでしょうか。カルマの返済すら終えてい
るとうことでしょうか?地上生活中に、ここまで魂を進化させることはできるのでしょうか?

このような高いレベルでの内容は、私的には、とてもイメージ難いのですが、「あるヨギの
自叙伝 パラマハンサ・ヨガナンダ (著)」 の中のスリ・ユクテスワによる霊界通信があり
ますので下記に記しておきます。(地上界→幽界→霊界が一般的な向こうの世界の階層にな
りますが、この霊界通信の内容での用語は、高い幽界は霊界と見做して良さそうです。)
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スリ・ユクテスワは生前、弟子のカルマを軽減してやるために、ときおりその病の
重荷を自分の身に引き受けられたが、それと同じように、幽界においても救い主と
して、ヒラニャローカの住人たちがすみやかに進化を遂げてより高い観念界へ昇れ
るように、彼らのカルマの一部を代わりに背負ってやることを言われたのである。
(彼の仕事は、地上から昇って来た魂よりも、観念界から戻って来た魂を助けるこ
と。それが神のご命令である。)

完全に解脱した魂の中には、再び観念界に戻って、そこの住人がすみやかに観念体
に包まれた生存期間を終えて’絶対の自由’を達成するよう助力する仕事に携わる
者も居る。

ちょうど預言者たちが、地上の人々の肉体的カルマの成就を助けるために地上につ
かわされたように、わたしもまた幽界の人々の救済者として奉仕するように神から
命じられたのだ。
そこはヒラニャローカと呼ばれる星で、幽界の中でも目覚めた魂たちの住んでいる
星だ。わたしはそこで、霊的に進化した人々の幽体的カルマを取り除き、幽界での
生まれ変わりから解放されるよう手助けするのだ。ヒラニャローカの住人たちは、
すでに霊的に高い進化を遂げており、みな最後の地上生活で、自己の肉体から意識
的に脱出する能力を、瞑想によって会得したひとたちだ。地上の生涯で、サビカル
パ・サマディを超えてさらに高いニルビカルパ・サマディの段階に達した者でなけ
れば、このヒラニャローカに来ることはできない。

ヒラニャローカに生まれて来る人たちは、地上で死んだ人々のほとんどが行かなけ
ればならない普通の幽界の生活をすでに卒業して来た人たちだ。かれらはここで、
前の幽界生活でまいたカルマの種子を完全に取り除くのだ。(地上から来て、まだ
地上のカルマを少しでも身につけている魂は、ヒラニャローカのような高い幽界の
星にすぐに昇ることはできない)


12.普遍意識5-4

2011-01-18 18:32:26 | ◆「黎明」考察
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・それでは「真理を悟る」とは、一体どのようなことなのでしょうか。この当然の疑問は、
思考を超えたものを思考によって捉えようとする、よくある間違いに陥る可能性を含んでい
ますから、慎重に話を進めたいと思います。

・私達の個的意識が進化して、自らの内に在る本質が顕れていくと、顕在意識の上限がある
特定の波動領域に達したとき、「自分は宇宙そのもので在り、宇宙を創造した主体で在る」
と言う真理が、疑う余地のない実感を伴って体験されます。この強烈な体験をいったん通過
してしまうと、地上での喜びや幸福といわれているものの一切が、色褪せたガラクタ同然の
ものとなり、それまでに造りあげてきたものの考え方や、最高の認識だと思っていた知識の
全てが、極めて制約された視野の中で造られたものであり、間違ったものの見方であったこ
とに気付きます。

・この意識状態に達したときの人は、時空間に制約された物質世界特有の意識構造や、地球
生命系の歴史の中で造り上げられてきた、あらゆる固定観念から解き放たれ、もはや物質的
ヴァイブレーションという、意識の牢獄の中での限定された表現にとどまることなく、自由
自在、融通無碍である生命の本来の状態に戻ります。この意識状態を普遍意識と呼ぶわけで
すが、ここで重要な点は、ある時点から個人意識が普遍意識に変化するのではなく、初めか
ら普遍意識の他にはなかったことに、ある時点で気付くのだと言うことです。個人意識の幻
影い囚われたままの状態で、認識していることの一切を「在るがまま」として肯定してしま
うといった事実関係の誤認が、これまでにも多くの人達の間であったことには注意して頂き
たいと思います。

・この普遍意識が自覚される波動領域では、意識の媒体は物質原子のように特定の時空間を
規定する波動を持っていないので、肉体の場合のように、意識を特定の個体内に制約するよ
うな効果を持ちません。従ってこの波動領域より上のヴァイブレーションでは、個人という
境界が存在しなくなるために、総ての個的表現形態の意識が、初めて唯一つの意識に統合さ
れ、またこの唯一つの意識が、総ての個的表現形態、すなわち私達ひとりひとり、象や桜の
木、ダイヤモンドから一個の原子に至るまで、その内なるヴァイブレーションの領域に浸透
します。

・普遍意識は色々な意味においてひとつのゴールであり、この波動領域では、不安、恐怖、
憎しみ、怒りといった、あらゆる否定的な想念が、自我意識によって造り出された幻影であ
ることが客観視できるので、一切の不調和に囚われなくなります。

・自分自身が宇宙そのもので在ったことを識るとともに、宇宙の創造者で在ったことを悟り、
「事成れり」と言う想いに至ったとき、それまでの気が遠くなるような転生の経験の全てが、
迷っていた意識の造り出した幻影であり、同時にこれから必要な様々な能力を身に付けるた
めのトレーニングであったことを悉く理解することができたとき、それからが生命としての
本当の表現が始まるのです。

・普遍意識は、初めて個人意識から解放されて全体を自覚するレヴェルが最終的な到達点と
いうわけではなく、現象世界においては、意識の進化に対応した様々なヒエラルキー(階層
構造)があって、より深い全体との一体化、より大きな力と、より深い叡智の顕現と言う、
意識の進化の過程が無限に続いています。
(「黎明 上巻」より)
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「顕在意識の上限がある特定の波動領域に達する」為の具体的な手法はあるのでしょうか?
まだまだ読み始めなので、これから示されるのかもしれません。また、「個人という境界が
無くなり、唯一つの意識に統合され全ての個的表現形態の領域に浸透する」というイメージ
も捉え難いですね。瞑想や夢、白昼夢などで、そのような状況下で似たような意識の拡大が
得られる場合もありそうですが、判断するのは難しそうです。いずれまた読み進めるうちに
回答が得られるかもしれません。

それらの手法とはべつに、普遍意識には様々な階層があるようですが、その第一段階として、
上記に書かれている「否定的な想念(不安、恐怖、憎しみ、怒りなど)が幻影であると客観
視し、不調和に囚われなくなる」ことが入り口となりそうです。この状態を維持し続けるこ
ともまた、普遍意識の波動領域を高める道なのかもしれません。そのときから「生命として
の本当の表現」が始められそうです。

下記にシルバーバーチが語っているように、霊的理解の活用もまた同じでしょう。
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霊的実在を信じた時、あなたに霊的な備えが出来たことになります。すなわち一
種の悟りを開きます。
(霊訓1 P33)

地上生活に何一つ怖いものはありません。取り越し苦労は大敵です。生命力を枯
渇させ、霊性の発現を妨げます。不安の念を追い払いなさい。真実の愛は恐れる
ことを知りません。その愛が宇宙を支配しているのです。そこには恐怖心の入る
余地はないのです。それは無知の産物にほかなりません。つまり知らないから怖
がるのです。ですから知識を携えて霊的理解の中に生きることです。
(霊訓1 P73)

霊的真理は、これを日常生活に活用すれば不安や悩み、不和、憎しみ、病気、利
己主義、うぬぼれ等々を追い払い、地上に本物の霊的同胞精神に基づく平和を確
立することでしょう。
(霊訓1 P97)

あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指
標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけで
す。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時
、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります。
(霊訓5 P96)

その人生の難問がどの程度の影響を及ぼすかは、各自の霊的進化の程度に掛かって
おります。ある人には何でもないことが、あなたには大変に思える場合があります
。反対に、ある人には大変に思えることが、あなたには些細なことに思えることも
あります。各自が自分なりの運命を切り開いて行くのです。
(霊訓12 P213)
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