Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

カタリーナ、スケープゴート、フィロクテーテース(13)

2023年12月03日 06時30分00秒 | Weblog
デモクラシーの古典的基礎
 「全てから切り離されたPhiloktetesとて最小限肌身離さないものがある。急いで発つにしてもこれだけは携えて行かねばばならない。凡そ<分節>の、特に<二重分節>の、生命線は、A-B-bにおいてAがbを押さえてしまわないことである。これがA-B間の<二重分節>の試金石になる。Bはbを押さえられるとAに屈服するか、自ら存在を抹消する(potlatch)しかない。枝分節の定義である。その意味でこの小さな二重構造<Bーb>は、これが<二重分節>というわけではないが、<二重分節>にとって致命的なのである。」(p310)
 「・・・もとよりPhiloktetesは絶対的な無価値ないし無限の負の価値を体現している。しかし、これとの連帯が不可欠と言うのがHelenosの診断ではなかったのか。」(p312)
 
 木庭先生によれば、「フィロクテーテース」のメインテーマは「二重分節」ということだが、これを中高生に正面から説くのはちょっときついということなのだろう。
 そういうわけで、「誰のために法は生まれた」には、(「アンティゴネー」とセットで)
 「見捨てられた一人のためにのみ、連帯(政治、あるいはデモクラシー)は成り立つ
という、分かりやすい見出しが付いている。
 「フィロクテーテース」について言えば、「『見捨てられた一人』とどうやって連帯するか」がテーマということになる。
 そもそも、軍事化イニシエーションの妨げになるという理由でフィロクテーテースを見捨てる行為は、ギリシャ軍内部における政治的連帯の破綻を示していた。
 ここに、ギリシャ軍が長年苦戦を強いられた理由が示唆されている。
 もともと、政治的連帯の基礎には軍事化があるのだが、その内部原理は「皆は一人のために、一人は皆のために」である。
 にもかかわらず、儀礼を優先させるために個人を切り捨てるというのは、「皆は一人のために」の部分と明らかに矛盾する。
 結局のところ、オデュッセウスらがやったことは、イニシエーションの自己目的化であり、彼らが「徒党」化していることを露呈したものにほかならない。
 ・・・そう言えば、「昭和陸軍」も、派閥争いが大好きな「徒党」の集団だった。
 また、これと似たことを、”今の霞が関”もやってたりしないだろうか?
 例えば、過重労働で心身に不調を来した人をさらに追い込んだり、厄介払いしたりしていないだろうか?

先輩:「官僚には、3つの落とし穴がある。健康、カネ、女だ。省庁ごとに独自の掟がある」
佐藤:「どれがいちばんヤバイですか」
先輩:「健康だ。健康管理も実力のうちだということをよく覚えておけ。仕事の力配分を間違えて、途中で倒れると、みんなが迷惑する。それから、メンタルヘルス面で問題があると、海外勤務に耐えられない。それだから、そういう人間は、難しい仕事から外す。
・・・外務省は自殺するような状態になる前に、仕事から外し、組織から追い出す。癌や肝硬変などの重病になったときも同じだ。みんな口先では同情的なことを言うが、早く辞めさせることしか考えていない」
佐藤:「どうしてそんなに冷たいのでしょうか」
先輩:「役所には定員がある。病気になって使い物にならなくなった奴が辞めない限り、人員が補充できない。外交官だって、基本的に消耗品であることを忘れてはならない」
佐藤:「わかりました。旧日本軍と同じですね」



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