それにしても、日本ほどペーパー・テスト崇拝の激しい国も珍しい。かつての司法試験は、はるか昔の中国の科挙のようであった。だが、その反面、どんな社会的落伍者であっても、司法試験に合格すれば「人生の勝者」になれる(?)というので、ウルトラ・カードとして多くの人に夢を与えていたのも事実である。ちなみに、大平光代さんの「だからあなたも生きぬいて」は、少年院でよく読まれている。
だが、ウルトラ・カードとしての司法試験も、ロースクール制度の導入により(あるいはここ10年来の合格者数増加により)崩壊しつつある。来年あたりからは、ドイツやイタリアに見られるような「弁護士資格を持ったタクシー・ドライバー」の出現が予想される。
目を転じてみれば、学歴社会の崩壊は、就職氷河期から始まっていた。要するに、「いい大学」に入って「いい会社」に入るのがお決まりのパターンだったのに、それが通用しなくなったのが約10年前からである。・・・そういえば、先日、テレビで、「うちの長男は慶応卒なのに、板前修業をしているわ。」と話す主婦がいた。
これでいいのか悪いのか、よく分からない。
だが、ウルトラ・カードとしての司法試験も、ロースクール制度の導入により(あるいはここ10年来の合格者数増加により)崩壊しつつある。来年あたりからは、ドイツやイタリアに見られるような「弁護士資格を持ったタクシー・ドライバー」の出現が予想される。
目を転じてみれば、学歴社会の崩壊は、就職氷河期から始まっていた。要するに、「いい大学」に入って「いい会社」に入るのがお決まりのパターンだったのに、それが通用しなくなったのが約10年前からである。・・・そういえば、先日、テレビで、「うちの長男は慶応卒なのに、板前修業をしているわ。」と話す主婦がいた。
これでいいのか悪いのか、よく分からない。