オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

てゆーか、それは「適応思考」とちゃうやん。

2010年12月08日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
前記事への自己ツッコミです。読み返してちょっと考えて思いました。

> んで何が問題かというと。
> この「(びっきぃ流)プチ認知療法」に慣れてきてしまうと、嫌な気分になり「そう」という段階で「適応思考」を探して、本来の自然な感情を抑え付けてしまう場合がある、ということ。

いや、あのね。
そもそも感情を抑えつけなくてすむ考え方のことを「適応思考」と言うのであって。

…ま、いいや。これからこれから。

それよりも、「感情をありのままに感じる」ことをまず意識しないとね。ワタシの場合。
そんなフツーのことが出来ない(知らない)ままこの歳、というかココロが壊れるまで生きてきたわけでして。

感情を感じる、というのは自分を大切にすること。
自分を大切にするというのは、表面的なことではなく、自分の存在とか尊厳?とかいう本質的なものを「無条件に自分が認められる」ようになること。

ずーっと、周りの評価だけで自分が出来上がってた状態だったからね(あ、まだ進行形でもあるか、苦笑)。
で、評価されるためにあらゆることに完全を期したい、でもそんなの無理だから、とにかく批判されないよう限界まで頑張る。
というか、ワタシみたいなタイプの人間は、ココロに「限界」があるなんて考えもしなかったわけだし。
「大したことじゃない、もっと頑張れるはず。」
んで、「よくやったな」って自分を褒めるどころか、「まだまだやな、もっともっと上手いことやれたで」とハッパをかける。

そーゆー自分を縛り付けている思考(これはもう中核信念=スキーマだね)から、自分を解放していくことが、これからの目標です。
それはきっと、ゴールの無い目標なんでしょうね。でもそれだから(ってどれだから?)生きていけるのかもね。

…てなことでここ2~3日すごしているんですが、なんか気分が安定している感じ。
自分で自分の感情を、まずはそのまま認めてあげることで、自分自身が安心しているよーな。

なんか、自分の中に2つの存在があるみたい(笑)。
一つは感情を生み出したり体動かしたりする、いわば計算機(演算機?)としての脳。
もう一つは、その計算機を制御している良くわからない実体。現れたり消えたり。

でもこの良くわからない実体が本質的な自分自身のような気がするなあ。

…って、何のハナシだったっけ(苦笑)。
それに、メンタル異常の経験のあるヒトじゃないと、何を言っているのか判らんかもねえ(苦笑)。
「感情を感じる」だの、「自分を大切にする」だの…(苦笑)。