華氏451度

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昔話「御領主選び」

2007-09-18 23:57:53 | 現政権を忌避する/政治家・政党

 昔々、海の果てに――。大勢の人々が押し合いへし合いして住んでいる島がありました。

 この島はそのまたずっと昔から、御領主様が治めております。代々の御領主様の中にはとんでもない人もいて、生きていることが嫌になるほど重い年貢を取り立てたり、むやみに細かな規則を作って人々の日々の暮らしを締め上げたりしました。そして、ちょっとでも不満を漏らすと掴まえて首をちょん切られたりしたこともあったのです。そうなると島人たちもさすがに一揆を起こして御領主様に反抗したのですが、それは「悪政はゴメンだ」という意思表示でしかありませんでした。御領主様を追い払って自分達で島のあり方を決めよう、と思ったことは一度もなかったのです。

 島の長い歴史の中で、御領主様一族は何度か変わりました。今の御領主様一族は、60年ほど前に新しく表舞台に立った人達です。この島は60年ほど前に海の外の大きな国々と戦争をしてペシャンコになり、その当時の御領主様たちは力を失って、新しい御領主様一族が登場したのでした。もっとも実のところ、新しい御領主様たちは昔の御領主様達と縁続きでしたし、それに何よりも島で最も古い家系と言われ、なぜか島の人々の尊崇を集めている神官の家がそのまま残っていますから、何も変わっていないとも言えるのですけれども。

 いま、この島は、御領主様選びでお祭り騒ぎが繰り広げられております。100年ちょっと前、海の向こうの国々の「新しいやり方」を取り入れて、御領主様は「選ばれる」ことになりました。60年ほど前の、島が滅びかけるほどの経験をしてからは、それがもっと前面に出されてきたのです。

 御領主様は御領主様。同じ一族の間で誰が御領主様になっても、本当は大した差はありません。それでも島の人々は、つい「次は誰」という話題で盛り上がってしまいます。

 自分達が主導権を握るなんて、考えたこともない。島の人々は「名君幻想」に骨がらみになって、「善政を敷いてくれる」御領主様、つまり名君が欲しいのです。名君と言って言い過ぎならば、「よりマシな御領主様」への期待。他人任せ、他人頼みというのがいかにあやういものであるか、知っているはずであるのに。この島は、やはり――いずれは滅びていくのかも知れません。受動的な生き方は、実は生き物として最悪の選択肢なのですから。

◇◇◇◇

 福田VS麻生の報道には、もううんざりだ。どっちもどっち、五十歩百歩。同じ穴のムジナというやつである。自民党の息の根を止めるチャンスを、うかうかと見逃すまい。

 

 

コメント (3)
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