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満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

イスラームにおける結婚(妻の権利=夫の義務)

2009-05-22 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

女性の勉強会では「妻の義務」についてだけ伝えています。男性の義務(女性の権利)については男性の勉強会で話されるのが望ましいからです。それそれが自分の義務を果たすことに熱心である社会は成功し、自分の権利ばかり主張する社会は失敗します。同様に成功する夫婦というのは自分の義務を気にしている夫婦で、そういう夫婦には愛情がめばえてきます。

今回夫の義務を日本のシスターにお話するのは、ムスリムの夫自身が自分の義務を知らないとその息子に伝えることができず、次世代の健全な家庭つくりに支障になる惧れがあるからです。

日本のシスターたちはここでお話することを夫への糾弾材料にするのではなく、次世代の育成に役立つものとして捉えて下さい。

夫の義務というのは基本的に夫婦双方にとっても義務であることが多いがとくに夫に課せられるものです。

アッラーが仰っています。夫は妻のことが好きでなくても、丁寧に扱いなさい、嫌いでもよく遇すればよいことがあると

《出来るだけ仲良く、かの女らと暮しなさい。あなたがたが、かの女らを嫌っても(忍耐しなさい)。そのうち(嫌っている点)にアッラーからよいことを授かるであろう。 》(4:19)

アッラーの命令のとりこになっている者は、現世で幸福を得て、来世でも報奨を得られる

感情のとりこになっている者は、現世では失敗し、来世でも報奨を得られない

離婚の際にも妻の権利を傷つけずに穏便に別れるように

妻を痛めつけて妻のほうから離婚を申し立てするように仕向けマハル(婚資)を放棄させるなとクルアーンにも書いてある

《あなたがたが、かの女らに与えたマハルの一部を取り戻すために、かの女らを手荒に扱ってはならない。》(4-19)

ハディースには「女性に親切にしろ」それを「言い伝えていけ」というのがある。「女性に関してアッラーを畏れなさい」というハディースもある。

〈アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「女性によくしなさい。 女性は肋骨から創られました。肋骨の一番湾曲した部分が 一番高い部分です。もしそれを真っすぐに伸ばそうとすれ ば折ってしまいます。放っておけば曲がったままです。で すから、女性にはよくしなさい。」〉(アル=ブハーリーによる伝承)

〈アーイシャ(رضى الله عنها)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「最も完全な信仰を持っ た信者とは、最も性格がよく、最も家族に優しい者のこと です。」〉(ア=ッ=ティルミズィーによる伝承)


どうやって実際したらいいのか

1.妻を呼ぶとき彼女の好む呼び方で呼んで上げること

「おい」とか「のろま」とか「おデブ」とか相手の嫌がる呼び方では呼ばないこと。人前でも。

アーイシャという女性に「アイーユシュ」という呼び方もあるが本人がそれを望むならそう呼び本人が「アーイシャ」と呼ばれたいならそう呼んであげること

夫は仕事から帰ってきて疲れていても、妻の気持ちを尊重して話をきいてあげること
(妻は殆ど他の人を接触せずに家にいる場合、夫だけが話し相手や相談相手だったりするので邪険に扱わないこと)

妻がいいことをしたら「すごいね」「おいしいね」と感情を込めていってあげること→妻は励みになり更によいことをしようとする

男性はこういう細かいことを気にしないが、こういう夫の一言がどれだけ妻の励みになるかを意識すること

2.社会的に大きな責任があるからといって妻の感情を無視せずに大切にすること

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はイスラームを人類へダウワするという大きな責務があったが、妻を大切にしていた

アーイシャ(رضى الله عنها)がまだ幼い時、二人でかけっことした、その時は身軽な彼女が勝った。数年後、彼女が身体が大きくなったとき、再びかけっこをして、今度は預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が勝って、「これは数年前に勝ったお返しだ」と言われた。

かけっこという子供が喜びそうな遊びを一緒にして、かつそのことを数年経っても覚えていた。アーイシャ(رضى الله عنها)はこのことがよほど嬉しかったらしく、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)がお亡くなりなってかなり経ってからもこの話をしていた。

3.妻に相談すること

妻の意見を採用しようが採用しまいが、妻に相談し、彼女の意見も聞いてみること

フダイビーヤの誓いの際、ウムラの件で、信者達に不満があったとき、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は妻のウンム・サラマー(رضى الله عنها)に相談し彼女の助言を採用した。

妻に相談し、その意見と逆のことをしなさいというハディースがあるという人がいるが、そういうハディースはなく、間違いである。

4.間違いをしても細かいことはいわず、大きな間違いだけ正す。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はアーイシャ(رضى الله عنها)に「あなたが怒っているときと怒っていないときは、すぐわかる。怒っていないときは『アッラーとアッラーのみ使いさまに誓って』と私の名前を言うが怒っているときは『カーバの主に誓って』というのだから」
と彼女が冷静のときに言われた。

いちいち「どうして私の名前を言わないのだ」と問い詰めたりなさならかった。

5.適度なやきもちをやく

嫉妬しすぎるのも駄目、全くしないのも駄目

アッラーが嫌う嫉妬の種類がハディースに書かれている
「男が疑う必要のないことで家族を疑うこと」
である。

6.生活費をもつ

女性は生活費を負担するべきではない。婚前は父親が、結婚後は夫が負担する。

夫の収入によって要求すること
サハーバが預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に尋ねた
あなたが食べたら同じように彼女に食べさせなさい
あなたが着たら同じように彼女に着せなさい

外食したら、妻にも同じようなチャンスを与えること。一緒に外食できないときは、その店のものを持ち帰って食べさせるなど。

ただ夫に従わないような妻の場合は、生活費を払う必要がない
いい妻に戻ったら、生活費を払うこと

7.妻にイスラームの学習ができる機会を与えること

他の女性にいい見本があるなら、その彼女に倣うように学習させる

いい見本がなく、モスクに行っても益にならない場合は、夫自ら妻を教え、他の女性のいい見本になるように妻をし、他の女性が妻の許に習いに来るようにさせる

他の誰ともあわせないで家に閉じ込めることはよくない。社会とも関わりがあるようにさせること


アッラーの同意がありますように

والسلام


イスラームにおける結婚について(夫の権利=妻の義務)

2009-05-21 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ウスラأُسْرَةٌ(家族)は大切なもの 
アーダム(عليه السلام)とハッワーの子孫である人間をアッラーは家族にしないで個々別々の形にすることもおできにになったが、人間への手紙(啓示)で人間には家族が必要であるとお伝えになった

その家族の中にも規則がある

男性に対しての規則と女性に対しての規則と双方に定められた規則があり、遂行すれば天国が約束され、怠れば地獄が用意されているだけではなく、その規則に従うことで家族がうまくいく、その世でもあの世でも幸せになれる

それこそアッラーがくださった英知である

結婚は男性が相手を選ぶときの留意すべきことと女性が相手を選ぶときに留意すべきことがある

女性が男性を選ぶときには大切なことはその男性が
・信仰がしっかりしていること
・性格がいいこと
であり、

男性が女性を選ぶときに大切なことはその女性が
・信仰がしっかりしていること
・性格がいいこと
・女性の家族がしっかりしていること・・子育てをするときその女性の育った環境が影響を与えるから
・家系がいいこと
である

女性が美しいことも選択のひとつではあるが、イスラームではそんなに優先されない

イスラームは離婚は望まないのでアッラーは上記のような規則を設けられた。

離婚する夫婦は、結婚するとき選んだ理由が↑に従っていない場合が多い。

顔だけを見て好きになって結婚している人たちは、自分達がつくる家族が社会の基礎になるものだとわかっていない。男性が夫としてしなければならないことを怠ったり、女性が妻としてすることを怠ったりしたことが離婚の原因になっている。
アッラーがおつくりになった規則は、全ての人間に、また全ての時代に適ったものであり、それに従っていれば天国にいける

男性の義務と権利
女性の義務と権利
どちらも同等なものであり、補完的なものである

お互いがお互いを思いやって生活していくこと、自分が幸せになることよりも相手が幸せになることを望み、結婚とは相手を幸せにすること、イスラーム法の中で、一生懸命相手を満足させることである

イスラーム法に反する(アッラーに背く)ことは、夫婦の間でも、先生、国の首長でも従うことはない

夫に「礼拝するな」とか「外出時にヒジャーブをするな」と言われても従うことはない

結婚は契約。。お互いに共有している権利として
他の女性とは許されないことが妻とはできる
他の男性とは許されないことが夫とはできる
ことなので、夫から望まれたときは、ハイド(生理中)の時以外は、拒まずに応えること

あるサハーバの妻が預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に「夫は毎日昼はサウム(断食)をし、夜は礼拝をしている」と訴えにきた。それで預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はそのサハーバに「あなたの身体の権利は妻の権利でもあるから↑のイバーダを毎日ではなく一日おきにするように」と言われた。

2代めのカリーファであるウマル・イブン・アル=ハッターブ(رضى الله عنه)にもサハーバの妻が「夫が昼はサウムをして夜は礼拝をしている」と同様に訴えにきたが、ウマル(رضى الله عنه)は「素晴らしいご主人だ」と褒めた。他の人が、彼に「彼女は文句にきているのですよ」と教えてくれたので、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のアドバイスを思い出し、同様のアドバイスを当のサハーバに言われた。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は夫婦間の楽しみをサダカと譬えられた。妻ではない女性との性交渉はハラームであるが、妻とだったらサワーブ(アッラーからの報奨)があると言われた。

また夫婦は相手が亡くなった場合、遺産相続の権利がある

夫の権利とはすなわち妻の義務である

1.妻は夫に従うこと

女性のイバーダは男性に従っていなかったら受け入れられない(スンナの礼拝やスンナの断食など)→スンナ行為より夫に従うほうがサワーブがあるということ

イスラーム集団にはリーダーが必要であり、リーダーに他のものは従うのが集団としてうまく機能する

サハーバが二人で旅するときでもどちらかをリーダーと決めなさいと預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は言われた。

リーダーなしでの集団を認めていないので夫婦・家族という長い時間一緒にすごす集団にはリーダーが必要である

「従う」というのは何でも言ったことにいいなりになるのではなく、決定権を委ねるということである
女性は人生の中で女性にしかできない定められた義務(家を守ることや子育てのこと)があり、その義務の遂行とリーダーであることを同時にはできないことがある

アッラーが男性に命じたのは家族全体の責任を負うことである
女性には出産・子育てという義務があり、それを果たすだけでも女性は日々忙しいので、社会とかかわっていくようになると更に忙しくなってしまう。女性は男性の保護のもとにいる方が心が安らかである
アッラーは男性に「責任感」という感情をお与えになった。そのようにアッラーは男性をそして女性をお創りになった。

アッラーは夫婦の意見が異なる場合は、決定は男性に任せておきなさいと言われた。

男性は家族を扶養する義務があるので、家族の費用は男性がもつ
女性自身の財産やお金は女性のものであるから、家族扶養の費用に充てる義務はない

2.夫婦間の秘密を他人に話さないこと

妻は家を守ることが義務であるので、夫の嫌う人を家に入れてはいけない

また夫婦の間で問題がおこった場合でも、イスラーム法に従って問題解決できる人物以外に話すことは、単なる「愚痴」になるので、気をつけること。相談する相手を吟味すること。相談される相手は夫婦の間を修復することを第一に考える人物でなければならない。

相談する場合も、「私が」「夫が」と人物特定しないで、「こういう人がいて」「こういう場合」と第三者のような言い方で相談するとよい(これは豊田モスクの講師が言ったこと)


3.妻をいちばんきれいな状態でみることは夫の権利であり妻の義務である

4.妻が興味のある男性は夫だけ

(つまりアイドルにうつつを抜かす奥さんはイスラーム的にはNGだということですね。)

5.ベッドを別にしない

カバーイル(大きな罪)
夫と喧嘩して他の部屋で妻が寝るのはハラームであるので、そうしないように気をつけること


アッラーを信じる女の信者は夫が嫌っている人を家に入れることをしません。(禁じられています)
アッラーを信じる女の信者は夫婦間に何事も入れません。
(夫婦の間の問題で誰かにアドバイスをしてもらっても、それが夫婦の間にヒビが入るようなことはいけません)(夫のベッドの誘いは断りません、拒みません)←ベッドを拒んだ妻に天使は朝まで「彼女に呪いがありますように」と言います。
一番よい女性(妻)は夫がみたとき喜びを感じ夫が望んだときそれに従う女性で夫の留守中に自分自身と家を守る女性です。

いい妻になるには

1人間としてよい人であること(男女とも)
《本当にムスリムの男と女、信仰する男と女、献身的な男と女、正直な男と女、堅忍な男と女、謙虚な男と女、施しをする男と女、斎戒(断食)する男と女、貞節な男と女、アッラーを多く唱念する男と女、これらの者のために、アッラーは罪を赦し、偉大な報奨を準備なされる。》
(33-35)

2 天国の女性(フール)の性質はそのまま良い妻の性質である


視線が度を越えない→他の男性をじっと見ない

「天国にいる乙女(フール)」クルアーンでは↓のように書かれている
《قاصرات الطرف》
《眼差しを押さえた(淑やかな)乙女たち》
「カサラقصر(制限する)」「タルフطرف(目)」
彼女達にとっては、彼らが美しいから、自分のパートナーしか目に入らない、彼ら以外を見ない女性たちのこと。
《مقصورات》
《美しい乙女は永遠の天幕に(引き籠る)》(55:72)
「マクスール(制限された)」は受動分詞で、名詞「マクスーラ(仕切り席、私室)」の複数形は「マクスーラートمقصورات」引き篭っているのは、配偶者に首っ引きで貞淑ある(マハスーナート)という意味だそうです。
《عربا أترابا》
《愛しい、同じ年配の者》(56:37)
「ウルブعرب」は「アルブ」(熱愛し)「ウルーブعروب」(汚れていない、純粋な)の複数形。従順で、夫に対してもベールをしているほどの女性だそうです。
《خيرات حسان》
《そこには素晴しく美しい乙女がいる。》(55:70)
「ハイラートخيرات」は「ハイラخيرة(最良の人)の複数形で「ヒサーンحسان」は「ハサナحسن(美しい)」の複数形で、性質・育ち・栄誉などに優れ。顔立ちも美しいもののことです。

参考資料「アル=ジャーラーライン」(中田香織さん訳)「イスラームの天国」(水谷周さん訳) جزاءهما الله خيرا


美を他の人に見せない(夫だけ)→外に行く時だけ着飾って家では構わないのは対極をなす行為である、他の人には飾りはみせない
清いこと
*内側の清さ→他の男性に惹かれないこと 夫に嫉妬しすぎないこと(しすぎるということは夫を信頼していない、安心感をもっていないということであり、すなわち心が汚れている、ということになるから)
*外側の清さ→臭い、変な臭いをさせず、いつもいい匂いでいること、例えば台所での調理した服で臭いをさせたまま、夫を迎えないで、香りのよいきれいな服で迎えるなど、汗臭い場合は、夫の帰る前にシャワーをしてさっぱりしておくなど

総括
1 信仰深い
2 夫に自分からすすんで従う(信頼して愛情から従う)
3 自分と家を守る

アッラーの同意がありますように


والسلام

タワックル(アッラーに委ねる)について②

2008-05-14 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)もタワックルの意味をご存知の方だった。
クライシュ族の迫害がひどくなり、マッカからマディーナにヒジュラ(聖遷)するようにアッラーの啓示があった。啓示から実際に行われるまで、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)には準備期間があり、それは預言者さま(صلى الله عليه و سلم)自身が為すべきことがあるということ。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の命が危険に晒されることが、アッラーによって啓示がなく突然に起こった場合は、アッラーが彼をお守りになった。
例えばヒジュラ前におきたことだが、アブー・バクル(رضى الله عنه)と預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が一緒に座っていた時、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)を殺そうと男がやってきた。そして男はアブー・バクル(رضى الله عنه)に尋ねた。「預言者はどこにいるのだ?」と。アブー・バクル(رضى الله عنه)には見える預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が、その男には見えないのだと彼は気がつく。男が去ったとき、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は「アッラーがお守りくださっているのだ」と言われた。大天使ジブリールが彼を包んでいたため、彼を殺害しようとしていた男には見えなかったのだ。

ヒジュラ(聖遷)を命じられたときはこれと異なり、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は自分でできるだけのことをされた。

・ヒジュラ(聖遷)の計画をアブー・バクル(رضى الله عنه)に知らせに行ったときも、通常の訪問時間ではない時間を選んだ。客が来ていたので、その客の前では話さず、彼らが去って、二人だけのときに話した。

・決行は夜を選んだ。

・従兄弟のアリー(رضى الله عنه)を身代わりにした。あたかも自分が家で寝ているかのように彼に自分の寝所で寝てもらった。

・マッカから出た時も、マディーナへ直接行く道ではなく、追手を撹乱させるために反対の方向へ向かい、追手が捜索に疲れるまで、三日間、洞窟で過ごした。

・アブー・バクル(رضى الله عنه)の娘アスマー(رضى الله عنها)にその間の食物を用意させていた。またアブー・バクル(رضى الله عنه)の息子アブドッラー(رضى الله عنه)にはクライシュ族たちがどのように動いているかの諜報活動をさせ、伝えさせた。

・羊飼いに羊の足跡で自分たち2人の足跡をわからなくさせた。

こうして預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は自分でできる限りのことをなさった。

クライシュ族は、足跡で誰のものかわかる専門家をつれてきて、それによってクライシュ族は、彼らの行き先を洞窟の前までトレースできた。

人間のできることが尽きた。

しかし彼らが洞窟にたどり着く前にアッラーは洞窟の入り口にくもの巣をはり、卵を産んだ鳩の巣を置かれた。

クライシュ族が洞窟に着くと洞窟いっぱいくもの巣がはり、鳩が巣に卵を産んでいた。
クライシュ族は、もし預言者さま(صلى الله عليه و سلم)たちが、洞窟に入ったのなら、くもの巣は破けているだろうし、鳩が安心して卵を産むこともないと考え、この洞窟にはいないと判断した。

アッラーが預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のために、ご用意なさったものが、頑丈な鉄のドアでも重い木のドアでもなく、最も弱いもののひとつである「くもの糸」であった。それでアッラーは預言者さま(صلى الله عليه و سلم)をお守りくださった。

アッラーに従い、タワックルしていれば、どんなものを使ってでも、守ってくださる。預言者だけでなく、タワックルな人は誰でもアッラーの助けがある。

本当の意味でタワックルな人が少ない。(アッラーの命に従い、アッラーの禁じるものを遠ざける)今のムスリムは、アッラーの命には従わないで、困った時だけドゥアーをしている。

イスラームの初期、アラブはペルシャとローマという軍隊も巨大で歴史もある二大帝国に挟まれていた。その大帝国を50年にも満たない歴史を持つ少人数のムスリム軍が、ヤルムークの戦いやカーディスィーヤの戦いで破ったことを考えると、本当の意味で当時のムスリムはタワックルをしていた。(アッラーの助けなしには成しえない)

ムスリムの家庭に生まれ、単に周りのやることに追従しているだけで、本当のムスリムとはいえず、名前だけのムスリムが多い。

今のムスリムの誤解していることには

①タワックル

のほかに

②ズフド

がある、これを「清貧」「禁欲」と勘違いしている。

この世のものに執着せず、自分の持っているものをアッラーの道に使うのも喜びの一つであるのが本来の「ズフド」である。

しかし、ムスリムの中には、イバーダをするためには、この世のものを捨てなけばいけないと勘違いしている者がある。この世で何ももっていないほうがあの世ではいいと考え違いをしている者がある。

来世のために現世を捨てる人も、この世のためだけに生き、来世のことを気にしない人もよくない。この世とあの世を集める人がいい。

何ももたないということは
知識もお金も持たないということで、それでは、ザカーにも費やせないし、人の役にも立たなくなってしまう。
そういう人のことを「カスラー(努力を嫌う人)」とイスラームではみなす。

アーニサIは25歳のとき、ダマスカス大学の宗教科で学んでいた。そこは当時大学で唯一宗教の専科があった。そして男女一緒に授業を受けていた。
アーニサIが、女性たちにイスラームを教授しているのを適齢期の息子を持つ母親が見初め、息子の嫁になってもらおうとアーニサIの家に訪ねてきた。
男女共学のダマスカス大学で学んでいることを知ったその母親は驚いて
「あなたは偽信者じゃないのか」と言ったという。
実は、アーニサIはその前は小学校しか卒業していなかった。彼女は信仰深い女の子だったので、男女共学になる中学校・高校に通うのを断念したのだった。
ある時、将来の師になるアハマド・クフタロー師に「なぜ小学校までしか出ていないのか。健全に社会を維持し守るためにも、本当のムスリムに教育は必要なことですよ」と諭された経緯があった。

そのアハマド・クフタロー師がパキスタンを訪問し、パキスタン首相にパキスタンの印象を尋ねられた。
彼は首相にこう答えた。
「あなたの国は衰弱していると思います。」
首相は驚いて更に尋ねた。
「パキスタンにはムスリムがたくさんいて、マスジドもたくさんあるが、どうして衰弱しているだなんてそんなことを言うのですか。」
「確かに、マスジドがたくさんあります。しかし、工場や会社がありませんね。働く場所がないということです。ムスリムは礼拝するところだけではなく、働くところも必要です。」

この世のこと全く見ず、全て捨てて、あの世のためだけに生きる→これはイスラームではない。

この世で生産しきちんと生活を築いていながら、執着しない→これがイスラーム

シリアで、アポロが月面に降り立ったのをテレビで放映され、それを見た人が、イスティグファールをしなさいと言って、ミスバハをみんなに配っていた。月に人類が到達することは、人間の範囲を超えたことと考えていた。→これは無知なこと。

聖クルアーンでアッラーはこう仰せになっている。

《地上を旅して観察せよ。》(29-20)
《かれらは地上を旅して、かれら以前の者の最後がどうであったかを観察しないのか。》(40-21)

本当のムスリムは怠け者でも働かない者でもない

ムスリムの武器が当初、他の者から買ったものだったので「自分の手で作りなさい」と預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は言われた。
→ムスリムは生産性を持たなければならない。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は人々の前に出て行く時、身だしなみをきちんとなさっていた。鏡がなかったので、容器の水に自分の姿を映して髪などを整えられた
→この世のことにも注意を払わなければならない。

最後にI先生から
【日本のムスリムへのアドバイス】

どこであろうと、理性的に考えておかしなことをムスリムの中に見ても、それがイスラームだと思って悲しまないで下さい。
本当のイスラームは聖クルアーンとスンナ(預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の言行)の中にあります。もしそれが難しいようであれば、知識のある(言行が一致している)ムスリムに尋ねてみてください。

忍耐・誠実・努力を忘れないように
一人一人が計画をたて、ムスリムであることに満足して、後に来るムスリムの(自分がした)苦労がいかに(少しでも)軽減できるか、それを一番に考えてください。

アッラーのタウフィークがありますように
والسلام

タワックル(アッラーに委ねる)について①

2008-05-12 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

現在のイスラーム社会と本当のイスラーム(預言者さまصلى الله عليه و سلمから伝わったもの・・すなわち聖クルアーンとスンナ)と明白にしていくとそこには多くの違いがある

イスラーム社会にいるムスリムはイスラームを遺伝のように受け継いでいる
自分がムスリムの家族に生まれただけで充分だと考えている
しかし本当は、自分で勉強して知識を求める必要がある。

医者の家族に生まれたからといって、その息子が努力なしに医者になれないのと同様の論理である。

本当のイスラームとは本当の知識をもつことなのだが、現在の多くのムスリムはこれを学んでいない。

シェイフ・アフマド・クフタロー師曰く、イスラームを攻撃している人は、ノンムスリム(彼らはイスラームをよく知らないので害はない)ではなく、ムスリム(ムスリム社会に影響があるので、害が大きい)である。

イスラームの知識は、信仰と行動に反映する
「タワックル(アッラーに委ねる)」というのを間違えて理解している→そのため向上しない状態になる→衰弱後進していく→現在のイスラーム社会の殆どが後進国となっている

本当のイスラームだった社会は、預言者さまصلى الله عليه و سلمとサハーバの時代である。サハーバたちは預言者さまصلى الله عليه و سلمを実際に見ているから違うんだという人がいるが、当時実際に預言者さまصلى الله عليه و سلمを見た者の中にはアブー・ラハブのようにムスリムの敵もいたから、それだけが理由にはならないのは明らかである。
彼らサハーバたちは、預言者さまصلى الله عليه و سلمから本当のイスラームを教わっていた。

「タワックル(アッラーに委ねること)」には条件がある
それは自分たちでまずできる限りのことをするということである。それをした後にアッラーにお任せすることである。

サハーバたちはタワックルのことをよく知っていた。
→ムスリム軍が少数であったにも関わらずクライシュ族に勝利したのは「タワックル」をしていたから

現在のムスリム社会には知識が正しく伝わっていない。本来、最大限の努力が前提条件の「タワックル」を「アッラーが既に何もかも決めているから、自分は何をしても仕方がない」と考えて努力をしない→これは無知に基づいている

人間の能力は限られたもの→アッラーにタワックルが必要
将来のことはわからない→人間は不安を覚える→「タワックル」を知らないと不安に苛まされる
「タワックル」とは自分の能力だけに頼るのではなく自分以外の外にある大きな存在に頼ること
その状態を得るためには、アッラーを完全に信じることが必要→アッラーを頼るには①アッラーを知ることが必要、そして②アッラーがなんでもできる存在だと知ること。
《①東と西の主であられ、かれの外に神はないのである。それで②かれを、御槌すべき方として仰ぎなさい。》(73-9)

もしアッラーを知らなければ頼ることはできない→アッラーを知らなければ難しい。

預言者たちがどのようにタワックルしていたか。

ヌーフ(عليه السلام)は950年間アッラーの道に従っていた。「船を作りなさい」というアッラーの命が下ったが、彼の住んでいた町には、海がなかった。しかし、ヌーフ(عليه السلام)はアッラーにタワックルして船を作り始めた。(アッラーへの信頼がないとできない)人々は海のないところで船を作る彼を馬鹿にしていた。しかし船が完成したとき、洪水が町を襲い、彼と彼と共に船に乗ったものは難を逃れ、助かった。→ヌーフ(عليه السلام)の民をアッラーが救いたいと思い、アッラーが彼らを助けようとしたら全能なるアッラーは何でもできるのに、なぜわざわざヌーフ(عليه السلام)とその民に船を作らせたのか→かれは彼らが自分の力でできることをさせたから。

ムーサー(عليه السلام)はファラオと彼の軍隊に追われ、前に海が立ちはだかり、逃げられない状態の時に、「杖で海をたたけ」というアッラーの命が下った。タワックルなムーサー(عليه السلام)はそれに従った。すると海が二つに分かれ、彼と彼の民は、海を渡ることができた。海が分かれて、道ができ、そこを彼の民が渡っていると、ファラオと彼の軍隊もその道を通って、追ってきた。迫ってくる軍隊に、彼の民は恐れたが、ムーサー(عليه السلام)は「恐れることはない」と言った。彼と彼の民が、陸地につくと、再び「海をたたけ」というアッラーの命が下り、そのとおりにしたら道は閉じ、ファラオと彼の軍勢は、押し寄せた海に溺れた。→ムーサー(عليه السلام)が「杖でたたく」行為は海には何も作用しないようにみえる。ただアッラーへのドゥアーだけで済ませるのではなく、自分でできることをさせるためにこのような行為をさせた。

マリヤムはイーサー(عليه السلام)を身ごもり、そして父親も分からない赤子を連れて村に帰らなければならなかった。「何も話してはいけない」とアッラーは彼女に命じられた。彼女は村の人々に、いろいろ聞かれたとき、彼女自身は、話すことを禁じられたため、弁護できなかった。アッラーは生まれたばかりの乳飲み子に話させて彼女を弁護させた。

イブラーヒーム(عليه السلام)が偶像崇拝の彼の民に「アッラー以外に神はいない」と一神教を説いたために、彼の民は彼を火で処刑することに決めた。火の勢いがあまりに強くて、彼の民は彼を投げ矢のように、投げ込んだ。火の中にくべられるとき、大天使ジブリールが現れて、「お前は私に何をしてもらいたいか」と尋ねるとイブラーヒーム(عليه السلام)は「あなたに頼むことはない。頼むのはアッラーにだけだ」と答えた。それを聞いたアッラーは火に「冷たくなりなさい」と命じ、火は冷たくなり、彼は火によって傷つくこともなく、心も平安であった。
→火に投げ込まれてもアッラーが火を冷たくしたため、死ぬことはなかった。そのようにアッラーに信頼して、アッラーが全能だと認知していたが、自分を殺そうとする民の中にいつまでもいなかった。民から逃れて他の地に移った・・自分のできることをした。

アッラーに委ねる人→アッラーに従う人でなければならない→アッラーへの信頼がなければできない・・・「アッラーは自分のためになることしかお命じにならない」という確固たる信頼

タワックルな人→自分の能力の限りをせいいっぱいする

他の人に頼る人は、人に任せて自分は何もしないものだが、タワックルな人は、自分の能力の限りを尽くし、その後にアッラーに頼る

学生の勉強で例えると
「タワックル」・・自分でできる限りの勉強をしてテストに万全の対策をして臨む。テストのとき、思い間違いをしないように、アッラーに頼る
「タワークル」・・自分は勉強をしないで、ただアッラーにお願いする。



現在のムスリムの問題は、アッラーに従っていないでタワックルをする
(うそをついてはいけない、婚前交渉をしてはいけない→こういうことに反しながらタワックルをしている)

《信仰する者よ、あなたがたがアッラーに助力すれば、かれはあなたがたを助けられ、その足場を堅固にされる。》(47-7)

「アッラーに助力する」というのは「アッラーに従うということ」である。「アッラーに従う者をアッラーはお助けになる」ということなのである。

アッラーのタウフィークがありますように
والسلام

ズィクル

2008-05-11 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

「ذكر(ズィクル)」聖クルアーンの中でもハディースの中でも言及されている

ムスリムの中には「ذكر(ズィクル)」(アッラーの御名を唱えること)を否定しているグループがいる。彼らは「ذكر(ズィクル)」は
・聖クルアーンを誦むこと
・礼拝をすること
・イスラームの知識のあること
だと言っている。

確かに聖クルアーンの中で上述の意味で書かれている箇所がある。

《礼拝の呼びかけが唱えられたならば、アッラーを念じることに急ぎなさい。》(62-9)
→ ここでは「ذكر」は礼拝のことを意味している

《و ذكر اْسم ربِّهِ فصَلَّى(かれの主の御名を唱念し、礼拝を守る)》(87-15)

→ ズィクル(唱念)とサラー(礼拝)の間に「ف 」があり、これはズィクルとサラーがイコールであるとも考えられる。

《訓戒(クルアーン)がかれらのもとに来た時、》(41-41)
→ これは聖クルアーンのことである

《もしあなたがた、これが分らないなら訓戒を受けた民に聞け。》(21-7)
→ アハル=ッ=ズィクルとは「知識のある人」という意味である

と「ذكر(ズィクル)」には様々な意味があるが、それだけこの単語は重要だということを示している。

《あなたがかれら(信者)の中にあって、かれらと礼拝に立つ時は、(まず)かれらの一部をあなたと共に(礼拝に)立たせそしてかれらに武器を持たせなさい。かれらがサジダ(して第1のラカート「礼拝の単位」)を終えたならば、あなたがたの後ろに行かせ、それからまだ礼拝しない他の一団に、あなたと共に礼拝(の第2のラカート)をさせ(て礼拝を終わり)、かれらに武器を持たせ警戒させなさい。》(4-102)
《あなたがたは礼拝を終えたならば、立ったまま、また座ったまま、または横になったまま、アッラーを唱念〔ズィクル〕し、安全になった時は、(正しく)礼拝の務めを守れ。》(4-103)

ここでは戦時中の礼拝の仕方を述べたあとズィクルしなさいと言っている
→「礼拝」と「ズィクル」は別物である

戦時中は普段の礼拝と変えることをお許しになっているが、その時ズィクルをするように勧めている。→ ズィクルの重要性がわかる

【ズィクルの特徴】

「礼拝」「断食」は期間や時間が決まっているが、ズィクルはそのような定められた時間がなく、できるだけたくさんするように仰せになっている

《アッラーを讃えて多く唱念しなさい。》(62-10)

ズィクルを忘れて、破滅した民がいる。

《訓戒を忘れて破滅の民となりました》(25-18)

ズィクルは車のガソリンのようなもので、人間にとっては活力の源となる。

スライマーンの言葉で「ズィクルによって善行することが好きになった」というのがある。

預言者(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は言われた
「お前たちの誰でも,悪行を見かけたら自分の手でそれを変えるようにするがよい。それができなければ自分の舌で。それもできなければ心で。」
→ 「心で」つまりズィクルのことか(アッラーフ アアラム)

《あなたの主の御名を唱えなさい》(56-74、69-52、73-8、76-25、87-1)

これは聖クルアーンや知識でないことは明白

ズィクルとはアッラーの御名だけを唱えることを意味するときとその複数形であるアズカール(例えば ラー イラーハ イラッラー やスブハーナッラー)もズィクルに含めるグループもある。

いろいろな派があり、「アッラー」の御名だけ唱えるのは高い信仰心に達した段階の者だけに限ると考え、アズカールだけするグループもいるし、ズィクルを始めてまもない者でも「アッラー」の御名だけ唱えることを是とするグループもいる。

そういうグループでも座ってすぐアッラーの御名から始めるのではなく、イスティグファール(アスタグフィッラーと唱える)、開端章、純正章、サラワート(預言者さまサッラッラーフ アライヒ ワ サッラムへの祝福祈願)をしてからアッラーの御名を唱える。

《あなたは過誤の赦しを請い願い、朝夕、主を讃えて唱念しなさい。》(40-55)

と仰せなので、ファジュルとアスルの礼拝後10分ぐらいから始め20分、30分と長くしていけばいい。

《あなたがた信者よ、アッラーをつねに唱念〔ズィクル〕しなさい。》(33-41)
《朝な夕な、かれの栄光を讃えなさい。かれこそは、あなたがたを暗黒から光明に連れ出すために、天使たち共々あなたがたを祝福なされる方である。》(33-42&43)
《偉力ならびなく慈悲深き御方に(後は)御任せしなさい。あなたが(礼拝に)立つのを見ておられる方に、またサジダする者たちの間での、あなたの諸動作を(も見ておられる方に)》(26-217&218&219)
《本当にアッラーは、主を畏れる者、善い行いをする者と共におられる。 》(16-128)

礼拝後のズィクルをする者と共にいらっしゃるので、キブラを向き座って、預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)のなさっていた回数する。

タリーカとは道のことであり、本当のムスリムを輩出する学校のようなものである。それぞれの学校があるように、やり方は異なっていても、心が浄化され、アッラーへ近づくという目的は同じである。

派の創始者たちはそれが分かっていたが、その中の何人かも弟子はわかっていなくて、他の派を否定したり自分の派の方が優れていると考え、論争をしているが、これは無知のせいである。

やり方は違っても目的は同じ → 魂の浄化とアッラーへ近づくため

例えばリファーイ派とナクシュバンディー派では一緒にできないと考える人がいるが、アッラーのことを思ってお互いのやり方ですれば一緒にできるのではないか。

ただどんなやり方であろうと正しい方法というのは聖クルアーンとスンナに沿っていなければならない。聖クルアーンとスンナからはみだしていなければ全て正しい。

1.声を出すやり方
2.人に聞こえないように小さい声でいうやり方

個人で、またはグループで どちらもOK

ズィクルによっては時間・回数などが限られていないものと限られているものがある
・朝のズィクル
・カーバでのズィクル
・アラファでのズィクル
・預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)が回数を明言なさったもの

預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は「私が死んだら聖クルアーンとスンナ、この二つにすがりなさい。これにすがれば迷わない」と言われた。

そして聖クルアーンの例えば「開端章」を何も考えずに100回唱えるよりは、99回分を意味解釈に費やしなさい。もっと深い知識を得ることに費やしなさい。

何回唱えればいいというわけではなく、ズィクルはムスリムに力を与えるものだと捉えること。

1.言葉によるズィクル・・・場所や時間が決まっているものがある。
2.行動によるズィクル

行動をおこす前に、それがアッラーがお喜びになるかどうか考える。アッラーがお定めになったことしか行わない→ アッラーが禁じられた悪いことはしない。

《本当に主を畏れる者は、悪魔がかれらを悩ますとき、(アッラーを)念ずればたちどころに(真理に)眼が開くだろう。》(7-201)

3.思考によるズィクル・・例えば「ごはんを食べる」「どうしてこれが私のもとにあるのか」「思考を重ねていくとアッラーに辿りつく。」「車のガソリンのようなものでアッラーを愛することで信仰が強くなる」

マスバハがなければできない、シェイフや友人とでなければできない→思考による
ズィクルではそういうことは関係ない。

《立ち、または座り、または横たわって(不断に)アッラーを唱念し、天と地の創造に就いて考える者。》(3-191)

天と地を見て、その間にあるさまざまなものを見て、そこにはアッラーを思い出す徴に満ちている。→ アッラーの偉大さがわかる。

《本当に天と地の創造、昼夜の交替、人を益するものを運んで海原をゆく船の中に、またアッラーが天から降らせて死んだ大地を甦らせ、生きとし生けるものを地上に広く散らばせる雨の中に、また風向きの変換、果ては天地の間にあって奉仕する雲の中に、理解ある者への(アッラーの)印がある。》(2-164)

《かれらは天と地の大権に就いて観察し、またアッラーが創られた凡ての事物に就いて考察しないのか。》(7-185)

《あなたがたは、あなたがたの射出するもの(精液)に就いて考えたか。それを創ったのはあなたがたなのか、それともわれがその創造者であるのか。》
(56-58&59)

4.心によるズィクル・・頭(思考)→心→ アッラーの偉大さが感じる

一番レベルが高い。しかし、これは1から3までのことをしなければ達せない。ここまで来ると悪いことは全くせず、アッラーの意志の沿った行動しかしないムスリムとなる。

1のことばによるズィクルから2と3をしないで4の心のズィクルに行こうとする人がいるがこれは誤りである。

4の心のズィクルができると心の平安さ大悟の状態が得られる。

子供が母を捜し、母にやっと会えて、母に抱かれてとても安心するような気持ちに似ている。

4つのズィクルができたものはアッラーの全てを委ねて心が安らかになる。

真のアウリヤー(聖者)とはアッラーに近づいた者で、その者の心境は悲しみも恐れもない状態である。

預言者ムハンマドさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)がマディーナにヒジュラする際に追手が彼とアブー・バクル(ラディヤッラーフ アンフ)が隠れた洞窟の前まで追い詰めた時も、不安で恐れるアブー・バクル(ラディヤッラーフ アンフ)に彼は「恐れることはない。我々にはアッラーがついている」と落ち着いた様子で言われた。

エジプトから脱出しようとするムーサー(アライヒッサラーム)とイスラエルの民のすぐ後ろにファラオと彼の軍隊が迫ってきて、イスラエルの民が捕らえられそうになった時も、ムーサー(アライヒッサラーム)に恐れはなかった。


ズィクルは現実逃避ではなく、現実に立ち向かい、現世でよりよく生きるためにある。


アッラーのタウフィークがありますように
و السلام

知識(イルム)について

2008-05-11 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

「崇拝行為」と「イスラームの知識の習得」、この二つをどういう形でとるのがいいのか

「崇拝行為」に重点を置くことは・・
《ワ マー ハラクト=ル=ジンナ ワ=ル=インサ イッラー リ=ヤアブドゥーン(ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため)》(51-56)
と至高なるアッラーが仰せになっているので、それを主張する者たちにはその権利がある。この「イッラー」という言葉は「限定」を表している。自分をアブド(僕)であると意識し、崇拝行為に重点をおくのは当然である。

ここでの崇拝行為にはファルド(義務)とスンナ(推奨)があり、ファルドの崇拝行為については何においても優先するべきであるが、スンナにおいては「知識の探求(タラブ=ル=イルム)」と同時にできない場合は、後者を優先するべきである。


アッラーが始めに啓示されたのが凝血章で「誦むこと」であり、次の筆章で「書くこと」をお命じになっている。

預言者ムハンマドさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は言われた。「学ぶ者、教える者以外は私の仲間ではない」

そこまで大げさに言っているのはその重要性を述べているということ。

「崇拝行為」は「知識」に基づいていなければばらない。人との関係や商売の仕方など、知識がないとその行いが無効になってしまう。
「崇拝行為」と「知識」はお互いに欠かせないものである。

「アッラーを知る」ことが「畏れ」になり、「信仰心が強くなる」 ことにつながる

《アッラーのしもべの中で知識のある者だけがかれを畏れる。》(35-28)

崇拝行為をたくさんしても、知識がないとイスラームを捨ててしまう危険がある。
現実に、結婚する前はヒジャーブをし、家族と共に礼拝をしていた女性が、結婚後、夫次第で、何もしなくなるという事例がある。こういう人は環境に従っているだけで知識がないからである。

預言者ムハンマドさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はミスワークを使っていらした。
ミスワークは口をきれいにし、アッラーのご満足も得られ、目にもいい 。
預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)が亡くなってからもサハーバたちがミスワークを使っていたのは、その効用を知っていたからである。

夜の礼拝は、イスラーム以前の宗教熱心な人の習慣であったし、体の悪いところが癒されて体が丈夫になり、長生きするという効用がある。

科学的知識・・発見した学者がイスラームに入信することが多い。
知識は信仰へ導き、信じることによって知識が広がる。

知識に基づいた信仰は、環境が変わっても揺るがない。

イルム(知識)とは「跡を残す」という意味で、同じ語根の「アッラマ」とは「たたいて頬に赤みが残ること」

スーフィー学者のアブド=ル=カーディール・ジーラーニが夜中に起きて礼拝していた時、光に包まれて、こういう声が聞こえてきた。
「あなたは素晴らしいお祈りをしているから、もう充分である。これ以上しなくても大丈夫だ。」
彼はこれがシャイターンであるとわかった。もしお祈りが免除されるのであれば、それはまずわれ等が指導者ムハンマドさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)にその啓示が降りるはずであり、預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)が至高なるアッラーに一番近しい人だと彼は知っていた。預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はアッラーとより近しくなるにつれて、むしろイバーダを増やしていった、ということを彼は知っていたからシャイターンに騙されなかったのである。
イスラームの知識がない人は、私は高い知識を得たので、礼拝もしなくてもいいし、クルアーンを誦まなくてもいいという人がいるが、これは大きな間違いである。
《知識を与えられた者の胸の中にある明瞭な印である。》(29-49)
《アッラーはあなたがたの中信仰する者や、知識を授けられた者の位階を上げられる。》(58-11)

「ウル=ル=アルバーブ(思慮のある者)」は「ルッブを持っている者」であり「ルッブ」とはエッセンスの集まりであり、すいかの中心のようなものである。エッセンス(知識を持っている者)を称賛している。

ファキーフ(理解した人)(フィクフ・・理解する)
一人のファキーフの方は1000人のイバーダしている人(何もしらずにただやっている人)に値する。
ファキーフは人に教えることができる。
知識を持っていればシャイターンに騙されない。

アフマド・ブン・ハンバルが死の床にいたとき、彼の周りのひとがタルキーン(ラーイラーハイッラッラー)を繰り返していたとき、彼は「まだだ」「まだだ」と言っていた。
死の間際に彼が意識を取り戻し、なぜ「まだだ」と言っていたか説明した。
シャイターンが「アフマドよ。とうとうお前を惑わせることができなかった」と悔しそうに言っていた。これに、もし「そうだ」と答えていたら自分に満足した状態で死んでしまう。彼はこの「騙し」にひっかからなかった。だから彼は「まだだ」と答えていたのだ。
このように死の直前までシャイターンの罠がある。

現実の社会においてイスラーム学者やハーフィズの中にはシャイターンに負けている人がいるが、こういう人は勉強し、暗記しているだけで知識があるとはいえない。
知識(あとを残す)とは、知識が心の中にあとを残し、行いが正されることである、
知識を極めた人は預言者ムハンマドさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)であり、行動によって、人々に知識を広められた。

そういう彼を見てサハーバも倣った。

言うこととやっていることが違うとよく非難されるが、本当のムスリムとは言動が一致している者のことである。

「言う」のなら自分がやりなさい
知識の伝達方法で一番強いのは「行い」である。

ウマル・アル=ハッターブ(ラディヤッラーフ アンフ)はミンバルでこう言った。
「言葉でいう支配者よりも、行いでいろいろ伝える支配者を必要としている」

ハナフィー学派の祖アブー・ハニーファはフィクフのダルスをしていて「奴隷を解放する」というダルスをしていた時、40日学校を休んだ。
彼は実際には奴隷を解放したことがなかったので、当時少なかった奴隷を実際買って解放するのに40日を要し、その間学校に来なかったのだ。自分のやっていないことを教えるのを彼は恥じたのである。
このように真のムスリムは知識の重要性とそれを行う重要性を知っている。
ダルスなど最近はインターネットで聞けるようになったが、それで世の中がよくならないのは垂れ流しの状態だから・・・本来の知識であるとはいえない。
知識は雨のような恵みである。その土には3種類ある 。
1.自分は雨をためることができるダムのようなもの・・他人には役立つが自分には役立たない・・ただ伝えるだけ・・イスラームを学ぶ学生に多い
2.肥えた土・・自分に植物を生えさせ、それが動物のエサになる・・他人に役立つし自分にも役立つ・・学者のような者
3.吸い込むが溜められず流れてしまう・・他人にも自分にも役に立たない・・多くの学生


知識とは「ハラーム」「ハラール」「礼拝」「商売の仕方」のことだけではないのだから、世界の全て(アッラーは「太陽章」「月章」など森羅万象についても言及なさっている)のものについて勉強する必要がある。

アハマド・クフタロー師はこう言ってた。
「イスラーム国家が後進しているのは、礼拝と断食ばかりモスクで教えていて他の知識に手を出そうとせず、科学的知識を交えて他の世界を見ようとしないからだ。」
いかにムスリム自身が知識を狭めているかの例として・・・
彼の手でムスリムに入信した人がいて、彼は自分の生徒に教えてくれるように依頼した。一年後その入信した人が彼の許にきて「イスラームを辞めたい」と言う。彼は不審に思い、任せた生徒たちに「この一年何を教えてきたのか」と問うと「この一年ウドゥーの水の種類について教えてきた」と答えたと言う。

知識とはそれを知って行い、行うことによってそれを更に知り、それによって悪を避けるようになること。
知識とは自分の益になることと自分に害になることを知り、自分の害になることを避けることである。
たくさんの知識を得たように見えても、アッラーは、ほんの少ししか私たちにお与えになっていないということも知っておかなければならない・・・。慢心してはいけない。知識を得ることでアッラーの偉大さを知り、更に謙虚になれる。

普通の学校は年齢制限があるが、イスラームを学ぶことには年齢制限がない。死ぬまで知識の探求は続けられる。

現代社会においてイスラームに固執しすぎてノンムスリムからは何も得る知識がないというグループがいるが、預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は「中国(当時は距離的にも観念的にもとても遠い国であった)からでも知識を求めよ」と言われた。

知識は海のようなものである。泳ぎ方を知らないと溺れてしまう。
知識の海に入る時は、泳ぎ方を知らないといけない。潜る専門家と一緒に潜ることが必要である。
勝手に潜って間違った知識を得て、それを他の人に教えてしまう惧れがあるからである。

医者が間違ったら人を殺してしまう。
学者が間違ったら社会を殺してしまう。だから気をつけなくてはいけない。

何のために知識を求めるか。それはイバーダを正しくできるようにである。人の称賛を得るためなら、結局それは何の益も得られない。

アッラーのために知識を求めること・・これ自体がイバーダとみなされる。

イスラームにおいて知識は素晴らしいものである。
イバーダはその人が死んだら、それで終わる。
しかし知識はその人が死んでも、本などを残したら、次の世代の益となり、死後も報奨の対象となる。

タラブ=ル=イルム(知識を求めること)を簡単にしてくれる人は天国に入るのを容易にしてくれる人である。

昔のイスラーム学者は、知識を求め、困難な旅にも赴いた。
たったひとつのアーヤを得、それを自分の部族に持ち帰ったものだ。

預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は言われた。
「タラブ=ル=イルミ ファリーダトゥン アラー クッリ ムスリム(知識を求めることは全てのムスリムにとって義務である)」

至高なるアッラーはこう仰せになっている。
《ワ クッラッビ ズィドニー イルマー(そして、言え、「わが主よ、更なるイルムを私に授けたまえ」と》(20-114)

アッラーのタウフィークがありますように
و السلام

シャウワールの斎戒(一部訂正)

2007-10-18 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

 ラマダーン月が終わり、イスラーム暦10月シャウワール月になりました。
ラマダーン月の斎戒はアッラーがお命じになったファルド(義務)です。
そして病気や生理や産褥や旅行などの理由どで、そのラマダーン月に斎戒ができなかった日数分は、埋め合わせしなければいけません。ファルドは怠れば罪になります。

それとは別に、ある定められた期間に斎戒が奨励されています。
これらはスンナ(預言者さまの言行)で、行えばアッラーからの報奨がありますが、行わなくても罪にはなりません。

 アブー・アイユーブ・アル=アンサーリー(ラデイヤッラーフ アンフ)によると、アッラーのみ使いさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は次のように言われました。
「ラマダーン月の断食を行って続くシャウワール月に6日間の断食を行ったものは、まるで彼の一生分の断食をした者のようである。」(サヒーフムスリムNo.1984)


 善行は10倍の報奨があり、ラマダーン月の30日が10か月分、シャウワール月の6日が2か月分、合計12ヶ月分に相当し、毎年ラマダーン月の斎戒を全うし、シャウワール月の6日間を斎戒した人は、一生断食をしたことになるのです。

勉強会では、3つのやり方があると講師の方は言っていました。

1.ラマダーン月にできなかった日数分のカダーの斎戒をした後、シャウワール月の6日間の斎戒をする

2.ラマダーン月にできなかった日数があまりに多く、それをした後では、シャウワール月中にスンナの6日間の斎戒は出来ない場合などは、シャウワール月中に6日間のスンナの分の斎戒をし、シャウワール月を過ぎてから別の月にカダーの斎戒をする

3.シャウワール月にするカダーはシャウワール月のスンナの6日間を兼ねることができる。つまり義務とスンナのふたつのニーヤ(意図)をもつことができる

の3番は、「できない」という見解を紹介しましたが、さらに文献をご提供くださった方によりますと、定説では「カダーとシャウワール6日間のサウムは一緒にできない」ですが、中には「できるとする見解もある」とのことのことです。
その見解に従えば、カダーのニーヤだけサウムをしようとも、カダーとシャウワール6日間のニーヤ両方でサウムをしようとも(もちろんそのほうが望ましい)シャウワール6日間のスンナのサウムをして得られる報奨は得られるようです。

アルハムドリッラー

かつて満月通信アネックスで書きました内容とは少々異なると思いましたが、この訂正により、問題ないことがわかりました。混乱させて申し訳ありません。
アスタグフィルッラー


また、スンナの斎戒はご主人の許可が要ります。
カダーは、義務の斎戒ですから、許可が無くても、できます。
(でもそのことで仲が悪くなるのもどうかと思いますが、ご主人に理解してもらうという意味で知っているといいかと思います。カダーも次のラマダーンまでに済ませるようにすればいいので、夫婦の絆を大切にしましょう。)

ただご主人が奥さんと仲良くする方法としての性的な関係を持つ気がないのにも関わらず、斎戒を許可しないのは、アッラーが嫌う行為であるマクルーフになるそうです。

他にスンナの斎戒をするには
1. 体力維持に問題がないこと
2  自分に課せられた義務をきちんと果たせること
という条件を満たせていなければなりません。体力的に状況的に困難な場合は、無理してすることはないということです。

シャウワール月の6日間はラマダーン月が終わり、イードの翌日からすぐ続けてするのが一番望ましい(ムスタハブ)のですが、6日間を連続ではなく分けて週末にするとか、月の後半にするとかでも全く問題ありません。


アッラーが受け入れてくださいますように
و السلام

妬み

2007-10-07 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

お金持ち
美人
頭がいい人

自分が持っていない富や名声や美や知性を人が持っていると「何であの人が・・」
と思う妬みの心は実はとても罪悪なことなのです。

《アブー・フライラ(رضي الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。「妬みを避けなさい。妬みは、炎が燃料を貪ってしまうように、彼の良い行いを壊してしまいます。」 》
(アブー・ダーウードによる伝承)

《ア・ッ・ズバイル(رضي الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は「あなたがた以前の人々が罹った病、妬みと憎悪という名の病があなたがたに忍び寄って来ました、それは不幸なことです。髪の毛を剃るかのごとく信仰を削ぎとってしまう以外の何物でもありませんと」言われました。》
(アフマド、アッティルミズィーによる伝承)

なぜならばお金持ちの富も容姿端麗な人の美も頭脳明晰な人の知性も全てアッラーがそう望みアッラーがその人に与えたものであり、自分はアッラーの配分に不満をもったり、アッラーのお定めになったことに不平を言っているということだからです。

自分に与えられた恩恵に感謝しないで、自分に与えられなかったことだけに不平をいい、人に嫉妬するのは、アッラーに対して無礼なことなのです。

富や美などを持っている人は、逆に自分の持っているものを持っていないかもしれません。
アッラーはその人その人に合ったものをお与えになっています。それがアッラーのご配分です。

うさぎには新鮮な草を猫には魚をエサとして与えられています。
うさぎがある日自分にはどうして魚をくれないかと不平を言ったとしたら、どうでしょう。
自分がおいしい草を有難がらずに自分を害するものかもしれない猫のエサを羨ましがるのは、愚かなことではないでしょうか。

お金持ちを羨ましがる人に、ある日お金がきたら、その人には大きな負担大きな試練になるかもしれません。

自分の取り分に満足する、すなわちそれは、私たちが必要なときに必要なものを与えてくださるアッラーを信頼することです。

【自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分のために悪いことを、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーは知っておられる。】(2:216)

妬みがおこりやすいのは

 自分でよくやったと思う自己満足
→自分のほうが他人よりいいと思う優越感
→ 自分より下だと思っていた(優越感)人が、自分より上になった時許せなくなる


自己満足
優越感
妬み

はシャイターンの性質です。シャイターンによってこの感情を植えつけられます。

 アッラーにとって自分は特別であるとして自負していたイブリース(シャイターン)は、土で創られたアーダムより火で創られた自分のほうが優れていると思っていたのに、天使たちと共に、アーダムに対しサジダ(跪礼)するようにアッラーから言われ、そのアッラーの命を拒みました。

これを防ぐには
自分が成功したときには、自分の力によるものではなく、アッラーはそうさせてくださったとアッラーに感謝します。
他人が成功したときには、アッラーがそれをお与えになったことを認めます。

次のドゥアーを言うといいでしょう。


اللَّهُمَّ بارِكْلْ لَها رَزَقْتَها وَ أكْرَمْنِي كَما اكْرَمْتَها

(アッラーフンマ バーリク ラハー ビマー ラザクタハー ワ アクラムニー カマー アクラマタハー )
「アッラーよ、彼女にあなたがお与えになったもので、彼女を祝福してください。そして、彼女に寛大になさったように(お与えくださったように)、私にも(寛大になさってください)お与えください。」

自我(ナフス)の浄化について「満月通信アネックス」に前に書きました。参考までに
ナフス(自我)の浄化


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

人より先に

2007-10-07 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

「我先に」という言葉があります。
「譲り合い」という言葉があります。

人間がたくさんいるとき、どちらがコミュニティとして平安があるでしょうか。

ただし、お勧めの「我先に」が2つあります。

1.
السلام عليكم
(アッサラーム アライクム)と言う挨拶の言葉

2. 感情的な行き違いがあったとき、「ごめんなさい」という謝りの言葉


ムスリムはالحمد للهどうやって自分も他人も地域社会も穏やかに幸せに暮らせるかの指針を、アッラーの御言葉(聖クルアーン)と我等が指導者ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)の言行(ハディース)によって、いただいています。

40のハディースの第13の伝承にこう書かれています。

《「自分自身を愛するように兄弟を愛するまでは誰一人信者ということはできない。」》

自分がして欲しいことを人にしてあげる、自分が望むことを人にも望むことは、愛情という絆で信頼関係を結べないとできないものです。イスラームは他人の利益を優先する利他主義です。これと反するのが利己主義で、自分の望むことが人にもたらされると妬み、そういった社会には憎悪がはびこります。
兄弟の悪口をいうのは、その人の死肉を食べるようなものです。

【信仰する者よ、邪推の多くを祓え。本当に邪推は、時には罪である。無用の詮索をしたりまた互いに陰口してはならない。死んだ兄弟の肉を、食べるのを誰が好もうか。】(49:12)

では悪意をもって自分にひどいことをするムスリム兄弟をどうやって愛すことができるのでしょうか。

サハーバの一人であるアブー・ザッル(رضي الله عنه)には奴隷がいました。彼の奴隷が羊を放牧したのち、町に戻ってきましたが、その中の一匹が足が折れていました。それでアブー・ザッル(رضي الله عنه)がどうしたのかと聞く、その奴隷は
「貴方を悲しませるために、私がワザと石をぶつけて羊の足を折った」と言いました。
アブー・ザッル(رضي الله عنه)は、それを聞いても、彼を叱ったり怒ったりせずに
「あなたにそうさせたもの(シャイターン)を悲しませよう」
と言って奴隷を解放しました。
アブーザッル(رضي الله عنه)はシャイターンを困らせるものが「善行」であることを知っていたのです。
人間は過ちを犯します。シャイターンが人を惑わすからです。心弱い人はそのシャイターンの誘惑に負けて悪事や過ちを犯します。
人と人の間を不和にさせるシャイターンの罠にかからないためには
「悪いことをされたら善い事で返すこと」です。

【善と悪とは同じではない。(人が悪をしかけても)一層善行で悪を追い払え。そうすれば、互いの間に敵意ある者でも、親しい友のようになる。】(41:34)

シャイターンはとても巧妙です。
礼拝をしようとすると
「いま見ているテレビの番組が終わってからでいいじゃないか」
と囁いたり
誰かと喧嘩をした時
「悪いのは相手じゃないか。こっちは全然悪くない。こっちから謝る必要はないよ。むこうから謝ってくるまで、謝ることはない。」
と自分に囁くこともあれば、心弱い人を使って自分にひどいことをしてきます。これもシャイターンの手口です。
その時あなたが、自分にひどいことをした人の悪口をいうと、シャイターンとしては、ひどいことをやった人とそれによってあなたが悪口をいうことで一石二鳥になります。

【本当にシャイターンはあなたがたの敵である。だから敵として扱え。かれは、只燃えさかる火獄の仲間とするために自分の手下を招くだけである。】(35:6)

自分も悪口を言うことによって自分自身を損なっていることになります。

【自分の悪行を立派であるとし、それを善事と見る者(ほど迷った者)があろうか。本当にアッラーは、御望みの者を迷わせ、また御望みの者を導かれる。だからかれらのために嘆いて、あなたの身を損なってはならない。】(35:8)

怒りを覚えたら「あ、これはシャイターンだな。自分はシャイターンに負けそうになっている。」と自覚し、「アッラーに守ってもらおう」とアッラーを思い出して、ドゥアーを言いましょう。
أعوذ بلله من الشيطان الرجيم(アウーズビッラーヒ ミナッシャイターニッラジーム)(邪悪な悪魔からどうかアッラー私をお守りください)」

【それからもし、悪魔の扇動が、あなたを唆かしたならば(どんな場合でも)アッラーの御加護を祈れ。本当にかれは全聴にして全知であられる。】(41:36)

アッラーは私たちの人間関係をよくするように命令されています。同胞にいやなことをされて、あなたがその人を憎んだり悪口を言ったりするのをシャイターンは待ち構えています。あなたを地獄に連れて行くために。

嘘はハラーム(禁じれらたこと)です。しかし3つの嘘は許されています。
①人と人の不仲を執り成し仲を取り持つための嘘
②夫婦間の仲を更によくするための褒め言葉
「君は世界で一番きれいだよ」
③戦争などで敵を欺くための嘘

元来、ハラームである「嘘」でさえ、不仲を執り成すための「嘘」は赦されるのです。それぐらい兄弟間の不仲は、罪深いのです。

《アブー・フライラー(رضي الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。「天国は月曜日と木曜日に開かれます。そしてそこへはアッラーに何も配さなかった者たちの全てが入ることが許されます。ただし彼と(宗教上の)兄弟の間に憎悪を持った者は例外です。》
(ムスリム、アハマド、アッティルミズィーアブー・ダーウード、イブン・マージャー、マーリクによる伝承)

人にひどいことをされたら
1.アッラーのために耐える・・・あなたのポイントが増えます
2.相手を憎まないで善行する

サハーバの次の世代であるダービィーンの一人には、自分の悪口を書物に書いたり、人に言い振らしている彼の知り合いがいました。その彼の知り合いに対し、タービィーンはなつめやしの詰め合わせをもって行きました。
彼の知り合いは驚いて「私があなたに対し何をしているか知らないわけではないだろう」と聞くと当のタービィーンは
「私にはハサナート(善行)が必要なんです。」と答えたそうです。

これはタービィーンが人の評価よりアッラーの評価を上に見ているからです。アッラーは全てをご存知で全てをご覧になっていますから。

そういう人を赦したらあなたへのアッラーの報奨はとてつもなく大きなものとなります。

《ある男がモスクに現れると預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はサハーバたちに「あ、彼は天国の住人です。」と言われました。
サハーバの一人は、彼はどんな特別なことをしているのだろうと思って、暫く彼の家に滞在することを申し出て、彼の家に泊まります。
しばらく様子を見ていたが、礼拝も断食も喜捨も特に際立ったことは見出せなかったので、とうとうサハーバは本人に尋ねました。
「預言者さまがあなたを見て『天国の住人』と呼ばれたのですがその理由を思い当たりませんか」と質問するとその男自身も「わからない。」と言います。サハーバががっかりして暇を告げ、帰ろうとすると、その男は「これが特別なことかどうかわかりませんが、私は夜寝るときに『私を害した全ての人をお赦しください』とドゥアーを言ってねます」》

心に憎しみや憎悪をためないことです。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が褒められたサハーバは家を出るときこういうドゥアーを言っていました。

اللهم إني قد تصدقت بعرضي على الناسا(アッラーフンマ インニー カド タサッダクトゥ ビイルディー アラ=ン=ナース)
(アッラーよ 私は自分の尊厳を人々にサダカしました) 」

嫌なことをされたら、それに耐えることでアッラーからポイントをゲットするチャンスとなり、その人を赦すことでさらにアッラーから大きな報奨があります。

لا تدخلون الجنة حتى تؤمنوا،
و لا تؤمنوا حتى تحابوا
あなたたちは誰一人天国に入れない
信じるまでは
誰一人信者といえない
ムスリム同士愛しあわなければ 」

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

結婚

2007-10-07 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

Damascus アジャック先生(アブンヌール大学ダウア学部学部長)のダルスより

☆ イスラームにおける結婚 ☆

 アッラーは、人間を試験するためにこの世にお創りになりました。アッラーがクルアーンの中で言われています。人間は、ただ何の目的もなくこの世に創られたわけではないと。ただ食べて眠って、そんなことだけのために存在させられているのではないのです。人間には目的があって、そのために創られました。その目的は2つあり、ひとつは、アッラーを崇拝すること、そしてもうひとつは、この世界の代理人としてです。
 ですからムスリムには、この世界を創ったアッラーが決められた法(イスラーム法)を守ることが求められています。
そのイスラーム法の中には、その理由が理解できるものもあり、また他の一部のものには理由がないようにみえます。例えば昼の礼拝は、どうして3回でなくて2回なのか?とか、カアバ神殿の周りを周るのが、どうして8回ではなく、7回なのかなどです。これは宗教的な儀礼です。しかし、ほとんどのイスラーム法には、その理由・叡智があります。なぜそうするのかと問われれば、答えがあります。

 その中に、結婚と離婚のイスラーム法があります。私がイスラーム法の中で、一番すばらしいと思うものが、結婚の法です。家族をどうやって守っていくかという法です。
まず、イスラームでは、家族を守っていくための第一段階は、結婚する前から既に始まっています。異性をじろじろ見ることが禁じられており、そこから結婚前の婚外交渉に至るまでのこと全てが禁じられています。男性が自分の奥さんでもない女性をじろじろと見ることは、禁じられており、女性も同じです。結婚している人であっても、独身であってもです。
 なぜなら、結婚前の婚外交渉は、結婚の楽しみを減少させるからです。
 例えば断食をしている人が、もし誰にも内緒で断食を破って、一人でこっそり食べてから、断食明けの食事を家族と一緒に囲んだとしたら、その人は本当に断食している人と同じような喜びがあるでしょうか?ありません。なぜなら、みんなを騙しているからです。
 結婚生活も同じです。結婚前に他の人と婚外交渉があった人は、結婚相手に対して、同じように感じるため、結婚前にそういうことのなかった人のように、純粋な喜びを感じることが出来ません。
 ですから、結婚前にイスラームでは、きちんとした人を選ぶように忠告します。ただの恋愛感情だけで相手を決めるのではなく、頭を働かせるように忠告します。その目安として、例えばある女性がイスラームにのっとった服装を守っていれば、結婚後も彼女はイスラームにのっとった家庭生活を続ける努力をしてくれるでしょう。ある男の人が、礼拝をちゃんとしていれば、アッラーを畏れて、家族を守る努力をしっかりしてくれるでしょう。よい結婚生活の第一歩、家族を守る第一歩は、結婚相手に、ただ自分の欲望のはけ口として異性を扱う人ではなく、一緒によい結婚生活を築き、家族関係を築いていってくれる人を見極める事です。

 イスラームは、婚外交渉を認めません。それには責任がないからです。これは、イスラームが婚外交渉を禁止する理由のひとつです。もし女性が妊娠してしまったら、責任を取れません。結婚には責任が伴います。子供に対しての責任、母親としての責任です。
 これらのことは全て、結婚の前に気をつけなくてはいけないことです。

 よい家族の関係を築くために、イスラームの結婚においては、結婚の際にいくつかの条件があります。

‡@ 結婚に対する男女、双方の合意

‡A 結婚に対する男女双方の家族の同意

‡B 結婚に対す当人以外の2人以上の証人

‡C 責任の所在が夫にあること(夫婦の話し合いをしたときにも、夫が決定し、その責任も彼にあります。夫は、家族を養う義務があり、家族のために働かなくてはいけません。そして家族の中でのことを決め、その責任を負います。)

‡D 夫の妻に対する義務があり、妻の夫に対する義務があります。

夫の義務 
1)妻の扶養義務
2)妻に教育を与える義務
3)妻の世話をする義務
4)妻の秘密を人に話さない義務。離婚、死別後も。お互いの信頼関係に基づき、これを守ること。

妻の義務 
1)夫の秘密を人に話さないこと。 
2)夫婦生活において夫の求めに応じること(家族を守るために夫の権利を守るべきです)
3)自分自身を守ること 
4)家事と育児(これは、夫だけが働いていて、妻が家にいる場合、家事は妻の義務になりますが、夫婦で共働きの場合には、家事や育児は夫婦で分担することもでき、夫と妻の二人共の義務になることもあります。
 預言者様(S)は、奥さんが働いていなかったにもかかわらず、縫い物をしたり、パンをこねたり、料理をしたり、と多くの家事をしていました。) 

 これらの夫婦間のイスラーム法は、夫婦関係がうまくいくように定められていることで、夫にとっては、妻はアッラーからの預かりものであり、彼女に対して責任があり、妻にとって夫は、アッラーからの預かりものであり、彼に対して責任があるからです。もしこの義務を遂行しなければ、この世で問題が起こるばかりでなく、あの世でもアッラーからの清算があります。そしてこのイスラーム法は、夫婦間だけでなく、結局は家族全体を守ることになり、その夫婦から産まれる子供たちもこれによって、守られることになります。
 このイスラーム法は、本当に私たちムスリムにとって、とても居心地のいいものです。

 そして、もし夫婦の間に問題があるときは、当人同士で解決できなければ、第三者に仲を取り持ってもらうことや、夫には夫婦関係をよくするように努力するステップがあります。
 もし夫婦間に問題が起こったときは、まず第1ステップとして、夫が妻に対して的確な忠告をし、彼女との問題を解決するために、彼女にいろいろな訓戒をし、問題解決に向けて努力します。その努力をし、妻に対しなだめたり、アドバイスをしたり、忠告を繰り返した上で、それでも問題が解決しないときには、第2ステップに移ります。第2ステップでは、一緒の家にいながら、妻に背を向けて寝ます。もしこれを実行しても、解決しないときには、最後のステップとして、彼女を手の平で、手を振り上げたりせずに、ばちっと弱く叩くか、歯ブラシくらいの長さのもので、彼女をちょっとつつきます。この弱く叩くことは、本当に最終手段であり、他の手段を散々使った上で、最後に辿り着く夫婦間をとりなすための最終的な治療法なのです。これは治療です。夫婦のお互いの自我の治療です。
 また、年上の第三者に入ってもらって、夫婦間をとりもってもらうこともできます。夫も妻も、自分の信頼のおける年上の人に、夫婦間を取り戻すために助けを求めます。夫婦間を取り戻すためです。家族を守るためにです。
 それでも、どうしても問題が解決しなければ、離婚をすることになります。その離婚のためにも、離婚が双方に平等に、公平にうまくいくために、イスラーム法で、いろいろな条件が決められています。

 一方、結婚生活の中で、結婚がうまくいくためには、夫婦で、アッラーに向かって、夫婦間がうまくいくように、ドゥアー(祈願)します。
「アッラーよ、どうか私の夫(または妻)と子供たちを、心のやすらぎとしてください。」
とアッラーにお願いします。
 健全な子供たちが育つには、健全な夫婦関係が必要です。それには、ただ自分たちの努力だけでは、十分ではありません。アッラーは、全てを変える力を持っていますから、いつでもアッラーに帰って、祈願をすることが大切です。
 私は、イスラーム法にのっとった夫婦生活をしている上で、とても幸せで、自分でこのイスラームを選んだことにとても満足しています。
 人生を生きるうえで、多々ある自由の中の一部を、自らアッラーの法で、制限することで、何の問題も起こることなく、幸せな夫婦生活を送ることができることに対し、とても満足しています。

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

斎戒

2005-09-22 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


中秋の名月も過ぎ、月が少しづつ細くなっていきます。
祝福と祈りに満ちた月ラマダーンまで残すところ二週間ほどです。

ー「アブー・フライラー(رضى الله عنه)は伝えている
 アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は次のように言われた。『ラマダーン月になると慈悲の扉と言う扉は広々と開放され、そしてシャイターン等は鎖でつながれる』」
(サヒーム ムスリムⅡ 185p)

イスラームの崇拝行為である五柱のひとつ斎戒が義務付けられている月です。

2-183



ー『信仰する者よ、あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。 』(2:183)

ラマダーンの語根は(رمض)で、意味は「(異常な熱で)土地がからからになる」「喉がからからになる」「焦がす」という意味です。

ラマダーンはやはり「暑くて喉が渇く」というイメージなのです。また「焦がす」は斎戒によって己の罪を焦がすという意味にもなります。

斎戒は「アッラーのため」にするもので、それによってアッラーとの絆がより強くなります。

ー「アブー・フライラー(رضى الله عنه)は伝えている
 アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は次のように言われた。『至高偉大なるアッラーは《断食を除き人間の行為の一つ一つはその者のためである。しかるに断食はわがためにある。故にわれはそれに対して報酬を与えるであろう。》と言われた。その断食は盾である。あなた方は誰でも、断食をしている日には不品行な言葉は慎み、声を張り上げてはならない。それで誰かが悪口をいったり口論をしかけて来たら、『私は断食をしている』と言うがよい。ムハンマドの命に手中にされている御方に誓い、断食を行っている者の息は、アッラーには麝香の香より香しいのである。そして断食をしている者には二つの喜びがある。その一つは、断食を終えた時の食事の喜び、他のひとつは、主にお目通りした時、果たした断食(による報酬)の喜びである』
(サヒーフ ムスリムⅡ 229p)

ー「サフル・ビン・サアド(رضى الله عنه)は伝えている
 アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は次のように言われた『天国にはライヤーンと呼ばれる門があり、復活の日、断食を行っている者はその門より入り、彼等以外の者は一緒に入ることはできない。そこでは先ず『断食をしている者達は何処か』という呼び掛けがあって、彼等はそこから入って行く。そして彼等の最後の者が入った時、その門は閉じられ(その後は)誰一人入ることはできない。』
(サヒーフ ムスリムⅡ 230p)

ー「アブー・サイード・フドリー(رضى الله عنه)は伝えている
 アッラーのみ使いは(صلى الله عليه و سلم)次のように言われた『アッラーの道のために一日断食を行う下僕は、アッラーがこの日(一日)のために彼の顔を七十年の間(地獄)の火より遠ざけて下さる』
(サヒーフ ムスリムⅡ 231p)

夜に起きてタハッジュド(深夜の礼拝)するということは「アッラーと話すこと」に他なりません。


斎戒を課せられる者は、

1. ムスリム・ムスリマ
2. 第2次性徴を迎えた者
3. 正気(気が狂っていない)

の3つの条件を持っているものです。

斎戒はニーヤ(意図)をもってはじめます。声に出す必要はありません。しかし、ニーヤ(意図)のない斎戒は無効です。

ドゥアー(アッラーへの嘆願)を全部知らなくても大丈夫ですが、できるだけ努力しましょう。心で唱えたり、声に出して唱えたり様々な方法で。

بِصَوْمِ غَدٍ نَّوَيْتُ
<ビ=サウミ ガディンーナワイトゥ>

ー「アブー・フライラー(رضى الله عنه)によると
アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は次のように言われた。『本当にアッラーはあなたがたの外見や財産をご覧になっているわけではなくあなた方の心と行為をご覧になっているのです』
(サヒーフ ムスリムⅢ 524p)

そして今日は2時間やったけど、明日は10分だけ、明後日は全くしなくなるようなやり方ではなく、短時間でも継続的に行いましょう。

ー「アーイシャ(رضى الله عنها)は伝えている。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)がアッラーの最も好まれる行為について尋ねられた時『それがたとえ少しであっても継続的になされるものである』と言われました」
(サヒーフ ムスリムⅠ 537p)

ラマダーンに入ると、普段の集まりには聖クルアーンの解説やハディースを勉強の題材として取り上げていた教友たちも聖クルアーンの読誦に勤しんだと言います。

もしまだ聖クルアーンが読めないのであれば、CDやカセットを流して、耳から聖クルアーンに接するのもいいでしょう。ラマダーンは聖クルアーンの月でもあります。

斎戒におけるムスタハブ(推奨行為)は

スブフ(ファジュル)の前にスフール(斎戒に入る前の食事)を摂ることです。スブフ(ファジュル)の時間にできるだけ近い時間がより望ましいとされています。

イフタール(断食を解く)はマグリブを知らせるアザーンが鳴ったらすぐに摂るのが望ましいとされています。イフタールにはデーツ(なつめやしの実)が最もよく、なければ、水を摂ります。

اللهُمَّ لَكَ صُمتُ وَ بِكَ آمَنْتُ وَ عَلَى رِزْقِكَ أفْطَرْتُ
<アッラーフンマ ラカ スムトゥ ワ ビカ アーマントゥ ワ ’アラー リズキカ アフタルトゥ>


夜の間に斎戒のニーヤ(意図)をもちます。

ラマダーンに飲食を断つことは、「飢え」を感じることで、それによって、食事をまともに摂れないほどの貧しい人々を思いやることができます。お腹が空かないようにとたくさん食べることは避けてください。人間は食べ過ぎると怠けやすくなるようにできています。

逆にアッラーが嫌われる行為、マクルーフは

ボールペンなどのプラスティック製品やガムなどを噛むこと

味見をすること(一旦味見してそのあと、吐き出す)・・女性は許されるというファトワがありますが、それはご主人が味に対して厳格で、ちょっとの味の違いでも不機嫌になる場合であり、それでもマクルーフであることには変わりありません。自分が断食中であることを忘れてうっかり飲み食いしても断食は無効になりませんが、「一旦食べてしまったから無効になってしまった」と思って、そのまま食べつづけてしまった場合は、無効になり、ラマダーン後にカダー(埋め合わせ)しなければなりません。

唾を集めて飲み込むこと

スブフ(ファジュル)までにはグスル(沐浴)をしなければいけない状態と知っていながら意図的に遅らせること


歯磨き粉を使うこと・・代わりにミスワークを奨励しています。ミスワークの使用は、ハナフィーの場合は、終日OKです。シャーフィイーの場合は、午後はあまり望ましくないと言われています。それは断食者の口臭は、麝香よりもアッラーが好まれるというハディースを根拠にしているようです。

必要以上にうがいをすること

話しすぎること、口喧嘩

断食していなくても陰口・嘘をつくことや罪なこと、禁じられたことをすること。断食している場合はこれらのことは更に罪深いことです。

空腹や喉の渇きに対して文句を言うこと

ウドゥー時に、鼻に思いっきり水を入れて洗うこと(サイナスを通って喉に至り、その水を飲み込んでしまうと断食が無効になってしまいます)

インシャーアッラー、斎戒についてもうすこし次回説明を致します。

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام



預言者アーダムについて<創造>

2005-08-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

人間の祖である預言者アーダム(عليه السلام )は地上の代理人として至高なるアッラーが創造されました。

至高なるアッラーは、こう仰せになっています。

ー『またあなたの主が(先に)天使たちに向かって、「本当にわれは、地上に代理者を置くであろう。」と』(2:30)

 至高なるアッラーは、預言者アーダム(عليه السلام )を自らの御手で土よりお創りになりました。そして形作られ、聖霊を吹き込まれました。

ー『泥から人間の創造を始められる。』(32:7)
ー『泥からあなたを創られたのは、かれの印の一つである』(30:20)

ー「至高なるアッラーは、地上のあらゆる所から寄せ集めた片手いっぱいほどの土で預言者アーダム(عليه السلام )をお創りになりました。このため、預言者アーダム(عليه السلام )の子供たちは、土の性質や色によって出来上がっています。その中には、白いものもあれば、同様に、黒や赤などもあり、またそれらの色が交わっているものもあります。また、それらは、悪い性質もあれば良き性質もあり、柔軟だったり、厳しかったり、またはその中間だったりします。」
(アハマド)

 それから40年の間、その土でできた身体は、そのままの状態で置かれます。天使たちは彼の前を通って、その姿を見ると恐れました。イブリース(シャイターン)はその中でも最も恐れました。イブリース(シャイターン)は、彼の前を通った時、叩いて見ました。そうすると、ガタガタと陶器のような音がしました。

ー『(かれは)陶土のような乾いた土から人間を創られ、』(55:14)

「これは何かあるに違いない」と思い、イブリースは彼の口から入って見ました。そして、肛門から出た後、天使にこう言いました。
「恐れることはない。あなたがたの主はサマド(固体)であり、これはアジュワ(穴)に過ぎない。もし彼より力があったら、私は彼を打ち壊すだろう」
(キサス=ル=アンビヤー 36p)

ー「アナス(رضى الله عنه )によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は次のように言われました。『アッラーは天国でアーダム(عليه السلام )を形作ったとき、アッラーは御心のままにそれを放っておかれた。そこでイブリース(シャイターンの別称)は彼(アーダム)(عليه السلام )の周りを廻りながら彼を詳しく調べました。そして彼の空虚な内側を調べたとき彼が自らをコントロール出来ないように作られていることを知りました。』」
(サヒーフムスリム Ⅲ550p)


 至高なるアッラーは、時が来て、アーダム(عليه السلام )の中に聖霊を吹き込もうとなされようと思い、その前に天使たちに「我が聖霊を吹き込んだら、彼、アーダム(عليه السلام )にサジダしなさい」と仰せになりました。

ー『それからかれ(人間)を均整にし、かれの聖霊を吹き込まれ、またあなたがたのために聴覚と視覚と心を授けられた御方。』(32:9)

アーダム(عليه السلام )は頭まで聖霊が吹き込まれると、くしゃみをしました。天使たちに「アル=ハムド リッラー(全ての称賛はアッラーに有)と言いなさい」と言われ、アーダム(عليه السلام )は「アル=ハムドリッラー」と言いました。すると至高なるアッラーは「ラヒマカ ラッブカ(あなたの主はあなたに慈悲をたれました)」と仰せになりました。

 聖霊が彼の目に入ったとき、彼は楽園の果実を目にし、それが胃に入ると、彼は何か食べるものが欲しくなりました。それで、聖霊が足まで届いていないにもかかわらずに、楽園の果実のところまで急ぎました。

至高なるアッラーは以下の節でそれを言及なさっています。

ー『人間は気短かに創られている。』(21:37)

「アナス(رضى الله عنه )によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は次のように言われました。『アッラーはアーダムに聖霊を吹き込みそれが頭に達したとき、彼はくしゃみをし、【アル=ハムドリッラーヒ ラッビ=ル=’アーラミーン(世界の主であるアッラーに全ての称賛を)】と言いました。アッラーはそれに【ヤルハムクッラー(アッラーあなたに慈悲をかけられますように)】とお応えになりました」(イブン=ヒッバーン サヒーフ)



ー『仰せられた時を思い起せ。かれらは申し上げた。「あなたは地上で悪を行い、血を流す者を置かれるのですか。わたしたちは、あなたを讃えて唱念し、またあなたの神聖を讃美していますのに。」かれは仰せられた。「本当にわれはあなたがたが知らないことを知っている。」』(2:30)

人間の尊厳は、その意志の力で感情を制御し、それらを正しく働かせながら進歩発展するところにあります。しかし天使は、独立した意志を持たないものと考えられています。(日ア聖クルアーン、注釈21より)


ー『かれはアーダムに凡てのものの名を教え、次にそれらを天使たちに示され、「もし、あなたがた(の言葉)が真実なら、これらのものの名をわれに言ってみなさい。」と仰せられた。』(2:31)

「名」とは、ものの内面の性質や属性をも意味し、感覚を越えた面をも含みます。人間の性質の中には、天使には授けられていない感情上の資質があります。人間は愛しまた愛を理解することができ、これにより地上における、アッラーの代理者となり得る計画性と主導力をもつことになるのです。主から授かった、知識と才能を備える人間は、主の許しと指導のもとに初めて地上の管理ができるのです。現代科学技術の進歩も、この範囲を逸脱するものではありません。すなわちアッラーの許しと導きと助けのもとに、すべてのものの「名」が、開発せられ運営されているにすぎないのです。(日ア聖クルアーン、注釈22より)

ー「アブー・フライラ(رضى الله عنه )によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )に言われました。『アッラーはアーダム(عليه السلام )を身の丈六十腕尺のものとして創造なさった後、【行って、あの天使達に挨拶し、彼らが挨拶する言葉に耳を傾けよ。それがお前とお前の子孫の挨拶の言葉となるのだから】と命じられた。そこでアーダム(عليه السلام )は、【アッサラーム アライクム(あなた方に平安あれ)】とよびかけると【アッサラーム アライクム ワ ラフマトッラー(あなたに平安とアッラーのお恵みあれ)】と応えた。このように彼らは【アッラーのお恵み】を付け加えた。天国に入る者は誰でも、アーダム(عليه السلام )と同じ姿で入るのであるが、ただその身長は今日まで減りつづけている』」
(アル=ブハーリーⅢ 286p)

ー「アブーフライラ(رضى الله عنه )によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は『太陽が最も美しく輝く日は金曜日である。その日、アーダム(عليه السلام )は創造された。その日、彼が楽園に入れられた。そしてその日、彼はそこから追放された。」
(ムスリムⅡ 29p)

ー「アブーフライラ(رضى الله عنه )によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は、私の手をとって、次のように言われた。『アッラーは、土曜日に土を創り、日曜日にそれを使って山々を創り、月曜日は木々を創り、火曜日にはこまごまとしたものを創り、水曜日には火を創った。そして木曜日には動物たちをそれらの中に分布した。金曜日のアスル(夕刻)の後には、アーダム(عليه السلام )を創った。それは、この日の金曜日の最後(即ち、夕刻から夜の間)に創られた最後の創造物であった』」
(ムスリムⅢ 679p)

インシャーアッラー、続きます。

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام




タジュウィード(聖クルアーン読誦法)③

2005-08-01 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

النون الساكنة ヌーン・ナーキナ(ヌーンن の子音だけのもの)とタンウィーン(名詞の最後に発音されるヌーン・サーキナで、停止するときには発音されない)の規則についてご紹介します。

1.الاظهار イズハール(明示)

ヌーン・サーキナのあとに喉からでる六つの文字ء ه ح ع خ غ が来た場合、ヌーンは口蓋の上にしっかりつけて発音します。

2.الادفام イドガーム(同化)

ヌーン。サーキナの後に、يرملون 「ヤルマルーン」と呼ばれる六つの文字が来た場合、متحرك 母音のついた文字に重なり、مشددا 二重子音になります。

A.الادغام بغنة イドガーム ビ=グンナ(鼻濁音のイドガーム)

يومن 「ユーミン」と呼ばれる四つの文字です。

B.الادغام بلا غنة イドガーム ビラー グンナ(鼻濁音なしのイドガーム)

ر ل の二文字です。

3.الاقلاب イクラーブ(転化)

ヌーン・サーキナの後にب が来ると、ن ヌーンが鼻音と共にمミームに転化します。

4.الاخفاء イフファー(隠蔽)

ヌーン・サーキナの後にص ذ ز ث ج د ش ف س ك ض ظ ط ق ت の十五文字が来たら、そのマハラジュ(音の出る場所)である場所に持っていくために、ヌーンの音は、隠れてしまいます。

上向き音の文字خص ضغط قظ が来たら、ヌーン自身も上向き音になり、重い音になります。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

タジュウィード(聖クルアーン読誦法)②

2005-08-01 | ハルカ
بسم الله الرحملن الرحيم

السلام عليكم

صفات الحروق 文字の性質

1.対象的性質

الاسعلاء 上向き音 ⇔ ②الاستفال 下向き音

الهمس 無声音 ⇔ ④الجهر有声音

الشدة 強音とالتوسط 中音 ⇔ ⑥الرخاوة 弱音

الاطباق 接着音 ⇔ ⑧الانفتاح 開舌音

الاذلاف 口端音 ⇔ ⑩الاصمات 重黙音

2非対象的性質ー余剰性質

القلقلة カルカラ(振動音)

カルカラは次の五つです。

قطب جد 「クトゥブ ジャディン」と呼ばれ、文字がスクーン(子音のみ)の時に音の打ち出しを明瞭にします。舌をいつまでもマハラジュ(音の出るところに)につけておかずに、強く出します。الجهر有声音の性質とالشدة 強音の性質を持っています。

الصفير サフィール(歯擦音)

サフィールは文字は次の三つです。

س ز ص

対象の文字を発音する際に、両唇の間から、鳥の鳴き声に似た余剰音が出ます。
スクーン(子音)の時は、الصفير サフィールサフィールの音が強くなります。الهمس 無声音は、息が出方が顕著で、الصفير サフィールは、それに比較すると摩擦音が顕著と言えるでしょうか。

التفشي タファッシー(拡風音)

対象の文字は、ش です。
口の中に空気を充満させます。الاستفال 下向き音
で少しこもった感じです。

التكرير タクリール(反復音)

対象の文字は、ر です。繰り返すのは一回だけで、発音時に舌の先端を巻き戻すことによって、繰り返しを避けます。、ر が二重母音の時に「ララ・・」と巻き舌でころがすようなことを避けます。

الستطالة イスティターラ(伸張音)

اللين リーン(平易音)

النحراف インヒラーフ(傾斜音)

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

子供の誕生

2005-07-28 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

حياء ハヤーをもつこと

 子供が生まれる前から母親はできるだけحياء ハヤー(慎み)も持ち、寝室など人が見ていないようなところでも、身体を顕わにしないなどのハヤーの気持ちを失わないように心掛けます。

なんでも人前に曝すのは、まるでロバのようなものだと考えられています。

ー「アブー・フライラー(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は『信仰には六十数本の枝があり、慎みはその一つである』と言われました。」(アル=ブハーリーⅠ 31p)

السلام 心穏やかに過す事

 胎児が母胎にいるときの胎教が後々まで影響を与えることは医学的にも証明されていますが、その間、妊婦はできるだけ穏やかで落ち着いた精神状態を保つようにします。胎児に聖クルアーンを聞かせつづけるのもいいでしょう。
 母親が摂取した食べ物も臍の緒を通して胎児に行きますので、食べ物にも責任を持ちましょう。

أذان و إقامةアザーンとイカーマを聞かせること

この世に誕生した赤子は、必ずといって泣きますが、これはシャイターンがその二本の指で赤子を抓るからだという話もあります。汚れのない赤子の時からシャイターンはこのように人間に対して悪さをすることからも、人間にとっては、公然な敵であることは明らかです。赤子をシャイターンから守るのも母親の務めです。

生まれた赤子には、他の雑音を聞かせる前にできるだけ早く右の耳にアザーンを左の耳にイカーマを唱えます。

アザーン・イカーマを唱えるのは男性が好ましいとはいえ、できるだけ早く赤子に唱えることのほうが、優先されますので、その場に居合わせた者(母親は出産のあとなので、難しいでしょうから、他の者)が唱えます。

新生児へドゥ’アー(アッラーへの祈願)

أَعُوذُ بِكَلِماتِ اللهِ التَّآمَّةِ مِنْ شَرِّ شَيطَانٍ وَّهَامَّةٍوَّمِن شَرِّ كُلِّ عَينٍ لآَّمَّةٍ


(私はアッラーの完全な言葉によってシャイターンの悪から有害な生き物から害を為す邪視からのご加護を求めます。)


تحنيك スンナ・タハニーク

敬虔な者や宗教的に尊敬する人などがデーツ(なつめやし)を噛み砕いて、ほんの少し赤子の歯の後ろなどに擦りつけます。

ー「アブー・ムーサー(رضى الله عنه)によると『わたしに男の子が生まれたとき、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )のもとに連れて行くと、彼はそれにイブラーヒームという名をつけ、なつめやしを噛み砕いて喉に塗り、祝福して私に返してくださった。』このイブラーヒームは、アブー・ムーサー(رضى الله عنه)の長子でした。」(アル=ブハーリーⅤ 158p)

よい名前を付けること

最後の審判に至高なるアッラーから自分の名前と父の名前で呼ばれます。ですので、名前を付けることは、その子だけに留まらす、将来インシャーアッラー生まれてくるその子の子供たちにも響きます。名前はその者の性格ともなる場合があります。良い名前をつけましょう。

ー「イブン・ウマル(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は『まこと、あなたがたの名前でアッラーが最も好まれる名はアブドッラーとアブドル・ラフマーンである』と言われました」(サヒーフムスリムⅢ 215p)

ー「イブン・ウマル(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は(ある女性の)アースィヤ(”不従順な女性”と意味であるが、ジャヒリーヤ時代に付けられたもので、おそらく前述のものとは違って、その時代は歓迎された意をもっていたと思われます。フィルアウンの妻の名前もそうです。)という名前を変えられた。そして『あなたの名前はジャミーラ(”美しい女性””善良な女性”という意味)である。』と言われました。」(サヒーフムスリムⅢ 219p)

至高なるアッラーは
ー『アッラーは各々の女性が、妊娠するのを知っておられ、またその子宮の(胎児の時が)直ぐ終るか、また延びるかを知っておられる。凡てのことは、かれの御許で測られている。 』(13:8)
と仰せになっています。最近は医学の飛躍的な進歩で、出産前に性別が告げられる事が多いですが、完全にはそれを信じないようにしましょう。

ちなみに管理人も出産前に「どちらですか」と聞いてみました。聡明な産婦人科医だったらしく「大丈夫です。どちらかです。」とにこやかに応え、性別を教えてくださいませんでした。 الحمد للهアル=ハムドリッラー

名前は遅くともアキーカ(後述)までにはつけましょう。

العقيقة アキーカ

生後七日めに赤子の髪を剃り、犠牲の羊を屠り、アッラーのご加護を願います。

ー「サルマーン・イブン・アーミル(رضى الله عنه)は、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )が『子供にはアキーカが必要である。子供のために犠牲の羊の血を流し、災いを払いのけよ』と言われるのを聞きました。」(アル=ブハーリーⅤ 150p)

男児なら羊もしくは山羊二頭を、女児なら羊もしくは山羊一頭を屠ります。そして家族、親類縁者、貧しい人などで分けます。肉は細かく切り刻まないようにします。国によってはBBQなどがポピュラーな食べ方だと聞きました。
日本で屠るのが難しい場合は、エージェントに頼んで海外で屠るのを代行してもらっても構いません。そしてその屠った肉は貧しいひとに分け与えます。

剃った髪と同重量の銀をサダカします。またはその銀の重さに相当するお金を。

ختن 割礼

割礼を施します。長じると、痛みの感覚も発達し、辛くなりますから、体力的なこと受け入れ病院の手配など条件が整い次第、割礼をすることを勧めます。

男児にとっての割礼は、法学派によって意見が分かれています。ハナフィーではスンナ行為と見られています。
女児への割礼は、法学派によっては、「栄誉なこと」や「ムスタハブ」など、忌むべきことではないという意見が、主流です。ただし、アフリカの一部で女児に行われるファラオ式割礼は、イスラームではありません。
男児に行われる割礼は、医学的にもその良さが実証されています。

預言者イブラーヒーム(عليه السلام )は八十歳になってから、割礼をしたと言います。

ー「アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は『イブラーヒーム(عليه السلام )は八十歳以上のとき、カドゥームで割礼を受けた』と言われました。」

اتَّبِعْ مِلَّةَ إِبْرَاهِيْمَ حَنِيْفًا

ー『「純正なイブラーヒームの道に従え。」と(告げた)。』(16:123)

「アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )は『イスラームが受け継いだ古来の慣習には五つあり、割礼、陰毛をを剃ること、脇毛を抜くこと、ひげを刈ること、そして爪を切ることだ』といわれました」(アル=ブハーリーⅤ 404p)

「アブー・フライラ(رضى الله عنه)は、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلام )が「五つの習わしがあり、それは、割礼、陰部を剃ること、口髭を刈ること、爪を切ること、そして脇毛を抜くことである」と言われるのを聞きました。」(アル=ブハーリーⅤ 470p)

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام