満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその36

2012-12-01 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم


السلام عليكم


疑わしいことは避ける(さまざまなハディースより⑪)

 《アン=ヌアマーン・イブン・バシール(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い様(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「許されたことは明らかであり、禁じられたことも明らかですが、二つの間には人々の多くが知りえない疑わしい事柄があります。疑わしいことを避ける者には信仰(宗教)と名誉が守られますが、疑わしいことに手を出す者は禁じられた行為を犯します。」(アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)。《「疑わしいことは捨て置いて、疑いのないことを取りなさい。真実は心を安らげ、虚偽は心をかき乱します。」》(ア=ッ=ティルミズィーによる伝承)(注:アラビア語では、許されたことをハラール、禁じられたことをハラーム、疑義をシュブハという。)




 ムスリムには、生活する上で合法なことや禁じられたことを、クルアーンとスンナ(預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の言行)を通じて教えられており、それらの法を守ることが信仰を実践していることになります。法と信仰については次のような預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の言葉があります。
 シャービル(رضى الله عنه)によると、ヌアマーン・ビン・カウファル(رضى الله عنه)が預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の処に来てこういった。「もしも私が礼拝義務を守り、シャリーア(イスラーム法)で禁じるものを避け、許すものを守ってゆけば、私は天国に入れるでしょうか。」これに対し預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は《その通りです》と言われた。(ムスリムによる伝承、信仰の書より)
 この言葉から分かるように、イスラームの法を守ることは、礼拝や喜捨(ザカート)などと同じく、信仰を実践(体言)していると評価されます。
 今回のハディースは、生活の中で、合法なのか禁じられていることなのか確信できない疑わしい事柄に直面し、判断をせまられる場合には、どう対応すべきかの心構えが説かれています。
 物事を判断するときに、これから行なおうとしていることが、許されるのか、善なのか悪なのか、この事柄はアッラーの目から見て、正しいのか。これをすることにより、信仰の道から外れることになりはしないかと、疑問や迷いが、生じたら、疑わしいことは捨て、疑いのないことを選択すること。それが、あなたの信仰と名誉を守る道だ、と説明されています。理由は、疑わしいことは、悪に通じるからです。
 時には、私利私欲のために、疑わしくても受け入れ、自分の都合のいい口実を見つけて正当化しようとしますが、疑わしいことに手を出した先に待っているのは、自分の軽率さとやましさからくる後悔の念だけです。ですから、疑わしさが感じられる物については、これを選択することはイスラームでは禁じられており、正しい道から逸脱し悪の道に陥ると考えて避けるべきです。
 わたちたちは、ハディースに述べられているように、シャリーアを守ることで、天国に入れて頂けることに感謝し、シャリーアを日々の生活の中で体現しながら信仰をゆるぎないものにしましょう。


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام




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