満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

イスラームとは・・特にムスリムになって間もない人に贈ります

2007-09-23 | アキーダ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

イスラームというのは、私達をお創りになったアッラーが、私達がこの世とあの世で、一番幸せになるためにとアッラーから送られたこの世を生きるための説明書、カタログです。

 コンピューターを作った技師は、そのコンピューターが、このボタンを押すとちゃんと動いて、ここのボタンを押すと壊れてしまう、というのを一番良く知っています。それと同じで、私達を創られたアッラーは、このボタンを押すと私達がちゃんと幸せに生きることができて、このボタンを押すと、私達が壊れてしまうというのを一番良くご存知です。そこで私達が、ちゃんと幸せに生きることができるように、説明書、カタログを私達に送ってくださったのです。それがイスラームです。
 このボタンを押すとあなた達は自分を損ないますよ、というのが、ハラームですね。殺人・盗み・人の陰口を言う。その中でも、アッラーと並べて何かを崇拝する事が一番悪い。アッラーと並べて何かを崇拝すること、以外の罪は、アッラーはお許しくださる。アッラーと並べて何かを崇拝する事、偶像を崇拝する、家にある神棚に力があると信じていること、仏様にお祈りする事で、願いがかなうと信じていること、それ以外にも、アッラーと並べてお金を崇拝する事、お金があれば絶対に幸せになれると信じていること、それらは、全部シルクと呼ばれ、アッラーはその罪だけはお許しくださいません。それ以外の殺人、盗み、などは、それ人が本当に後悔して、悔悟して、2度と同じことをしないと決意してアッラーにお許しを乞えば、アッラーは、インシャーアッラー、お許しくださいます。
 でも注意しなければならないのは、自分とアッラーの罪ではなく、他の人に対する罪です。誰かをたたいたら、いくら後悔してもその人が自分を許してくれるまで、許されません。借金もそれを返すまで、その人が天国に入る事はありません。

 私達を創ったアッラーが、私達のために創造されたものを見てみましょう。
 私達が今いる地球は、太陽系の7つの星の中のひとつで、この太陽系と同じような星団が、現在の科学でわかっているだけで、4000億個のうちのひとつしかありません。そして、その4000億個ある星団は、1250億個ある銀河の内のひとつでしかありません。この数字は、現在の科学が憶測することができた宇宙の果ての大きさで、本当のところは、宇宙はもっともっと大きいのかもしれません。この偉大な宇宙が、なんの意図もなく自然にできた、などということがあるでしょうか?

 創られたものには、必ずそれを創った人がいます。砂浜を歩いていて、すごく綺麗で、大きな、よくできた砂の城があったら、それが風と波で自然にできたと思うでしょうか?それとも、誰かそれを作った人がいる、誰だろう?と思うでしょうか?
 では、この世界、宇宙は、どうでしょうか?砂の城よりも、もっと大きくて、すべてが規則正しく運行していて、太陽は一定の時間に昇り、決められた時間が来ると沈み、この美しい地球にある山々や海や川や空、そういった全てのものが、それを創ったお方なしに、どうやってこんなに精密にできていることがありえるでしょうか?
 鉄くずを放っておいたら、自然に車になったり、飛行機になったりしますか?紙になにか文章を書いて、それを小さく破って、宙に投げたら、それが自然と文章になるということがありますか?そこに意志が働かなければ、それを拾って文章にする人がいなければ、自然に文章になることはありません。ではこの宇宙が、自動車や紙の書かれた文章よりも、もっと精密で規則的に運行しているこの宇宙が、自然にできているなどということがあるでしょうか?!
 創られたものを見ると、創ったお方の偉大さを想像することができます。この1250億、もしくはそれ以上あるかもしれない偉大な宇宙を創られたアッラーは、どんなにすばらしいお方でしょうか。どんなに偉大なお力があるのでしょうか。
 そして偉大なるアッラーは、私達人間を創造になったあと私達をただ放っておくことはなさいませんでした。アッラーは、私達人間になんとか幸せに生きてほしいとお思いになり、私達にイスラームをお送りになり、私達にハラールとハラームを教えてくださいました。
 アッラーにはこの広大な宇宙をお創りになり、私達をただ、この地球上に置き去りになさることもできたのです。何の啓示もなさらず、何もお教えにならずに、ただ私達を野放しになさって、食べて寝るだけの生をお与えになることだって、できたのです。でもアッラーは、そんなことはなさいませんでした。
 なぜでしょうか?
 なぜ私達に、クルアーンをお下しになり、預言者を遣わされ、私達にハラールとハラームをお教えになるのでしょうか?
 なぜなら、アッラーは、私達を愛していらっしゃるからです。アッラーは、私達を一人ひとり、愛してくださっています。その証拠に、アッラーは、私達に預言者を遣わされ、啓示を下されました。もし、私達を愛していらっしゃなかったら、私達が地獄に行く事も厭わなければ、クルアーンを下す必要も、イスラームを教える必要もありません。 でもアッラーは、私達を愛していらっしゃるからこそ、私達に、なんとか天国に行ってほしいと思われたからこそ、私たちにイスラームを教えてくださいました。
 私達が何かを自分の手で作ったとき、それを愛おしく思います。自分で作ったクッキーは、どんなにへんてこな形でも、自分の作ったものには愛着がわくということは、誰にでもあると思います。  アッラーを同様に例えることはできませんが、アッラーは、ご自分で創造された人間である私達をとてもとても愛してくださって、24時間忘れることなく、私達と一緒にいてくださいます。
 アッラーを知っている、ある敬虔な人の言葉に、こんな言葉があります。
「アッラーがこの広大な宇宙を創ったということは、私を驚かせない。しかし私を心底驚かせるのは、そんな偉大なアッラーが、私というちっぽけな存在を愛してくださっているということだ。」
 ムスリムは、このことだけで幸せを感じる事ができます。アッラーが私を愛してくださっている、そのことだけで、安心してこの世を生きる事ができます。
 アッラーから来るものをすべて受け入れて、「アルハムドゥリッラー」(アッラーにこそ賞賛あれ)という状態が、ムスリムにとって一番の幸せです。
 アッラーが自分を愛していてくださっていると知っているムスリムにとっては、アッラーを満足させないことだけが、一番恐れる事で、この世で起こるすべてのそれ以外のことは、何も怖くなくなります。
 すべてのものは、すべてのことは、アッラーの御手の中にあると分かっていたら、アッラーのご満足を得られないこと以外に怖いものはありません。
 しかしアッラーを信じない人にとっては、すべてのものが怖いものになります。例えばお金しか信じていない人は、お金がなくなること・貧乏になることが、怖くなってしまうし、ひいては、お給料をくれる社長の怒りを買う事が怖くなったり、家に泥棒が入って金庫を盗んでいってしまったらどうしよう、お金を預けている銀行が破綻してしまったらどうしよう、地震などで家が潰れてしまったらどうしよう、とすべてのことが、恐れる対象になります。
 子供が大好きな人は、子供が病気になったらどうしよう、交通事故にあったらどうしようか、学校でいじめにあったらどうしようか、とすべてのものが恐れる対象になってしまいます。
 でもアッラーの御手の中に、それらすべてのものがあって、アッラーがお望みになれば、
「あれ、と言われればそれは存在する」
ということを知っていれば、アッラーのお嫌いになる事をしてしまうことだけが、恐れるもので、アッラー以外のなんにも怖いものはなくなります。
 私達が、アッラーを求めれば、すべてのものは、私達の後ろからついてきます。もしみなさんが、太陽に顔を向けていれば、影はどこにできますか?自分の後ろにできますよね。そして、どこに行こうと、みなさんについてきます。
 しかし、もし私が影、つまりこの世の飾りを捕まえようとすると、影はどこまで追いかけても捕まえることはできません。そして私達は、終わる事のない追いかけっこに人生を費やし、疲れてきってしまいます。
 ただ私達に必要なのは、アッラーに顔を向ける事。アッラーに顔を向けていれば、影・この世のもの・お金・仕事・家族などは、全部後ろからついてきます。影が私達の後ろから付いてくるように。
 もし私達がこの世をアッラーがお喜びになるように使うのなら、この世は、私たちの奴隷になります。もし私達がこの世の飾りだけを愛するなら、私達は、この世の奴隷になります。
 例えばある人が、アッラーのご満足を得るために、貧しい人たちに、サダカを与えたら、アッラーは絶対に、彼のことを放ってはおくことはなさいません。必ず、必ず、助けてくださいます。アッラーを信用しましょう。彼がしたサダカよりも、もっとずーーっといいものが、ずーーーっとたくさんアッラーからいただけます。その信頼を持ちましょう。アッラーは、私達がアッラーのためにしたことを、絶対に放ってはおくことはなさいません。

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

子供のためのイスラーム礼儀作法その7

2007-09-23 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(7)サウム


ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)。

私たちムスリムが1年間待ち望んでいたラマダーン月がやってきました。
ラマダーンとはイスラームの暦の9番目の月の名前です。
ラマダーン月のサウム(スィヤームとも言う)はイスラームの5柱の1つで、これはアッラーが成人ムスリムに課した義務の1つです。

至高のアッラーは仰られました:
『信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちに対しても義務付けられたように、あなた方にもスィヤームが義務付けられた。おそらくあなた方は畏れるだろう。』(アルバカラ章2:183)

また次のように仰られました:
『ラマダーンの月こそは、人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。それであなた方の中、この月にいる者は、この月中サウムしなければならない。』(アルバカラ章2:185)

預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「イスラームは5つの(柱の)上に成り立っている:アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であると証言すること、礼拝を行い、喜捨を払うこと、そしてラマダーン月のスィヤームと(アッラーの)家に巡礼することである。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

サウムの徳について

サウムは私たちを地獄の業火から守る盾のようなものです。
アッラーはサーイム(サウムする者)のサウムによる口臭をお好みになられ、それは麝香の香りよりもかぐわしいものであると仰られています。
またサウムは審判の日に執り成しをしてくれます。

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「サウムは盾である。サーイム(サウムする者)は淫らな言葉や行為、また無作法を働くな。もし人がサーイムに争いを仕掛けてきたり、悪口を言ってきた時には『私はサーイムです、私はサーイムです。』と言え。私の魂がその手中にあるお方(アッラーのこと)に誓って、サーイムの口臭はアッラーのもとにおいてじゃこう麝香の香りよりもかぐわしい。『サーイムは食べ物と飲み物と欲望をわれのために避ける。サウムはわれのためであり、われはそれに報いよう。善行に10倍の報奨で報いよう。』(とアッラーは仰られる。)」(アルブハーリーの伝承)

アブドゥッラーフ・ブン・アムル(アッラーが彼をお悦びになりますように)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「スィヤームとクルアーンは審判の日にしもべの執り成しをする。スィヤームはこう言う。『主よ、私は彼に日中食べ物と欲望を禁じました。ですから私を彼の執り成しとして下さい。』そしてクルアーンはこう言う。『私は彼に夜、眠りを禁じました。ですから私を彼の執り成しとして下さい。』」(アハマドの伝承)

サハル(アッラーが彼をお悦びになりますように)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「天国にはライヤーンと呼ばれる門がある。審判の日、サーイムたちがそこから入り、彼ら以外の者がそこから入ることはない。その時彼らが『サーイムたちはどこだ?』と言われると、彼ら(サーイムたち)は立ち上がり、彼ら以外の誰もそこから入らない。彼らがそこへ入ると門は閉じられ、彼ら以外の者は誰も入らない。」(アルブハーリーの伝承)

ラマダーン月とラマダーン中の行いの徳について

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「ラマダーンが来ると天国の数々の扉が開かれる。」(アルブハーリーの伝承)

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「ラマダーン月に入ると、天の数々の扉は開かれ、地獄の数々の扉は閉められ、シャイターン(悪魔)たちは鎖に繋がれる。」(アルブハーリーの伝承)

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「ライラトゥルカドゥル(クルアーンが下された夜)に、イーマーン(信仰)をもってアッラーのご満悦を願い礼拝に立った者は、過去に犯した罪が赦される。ラマダーンにイーマーンをもってアッラーのご満悦を願いサウムした者はその者の過去に犯した罪が赦される。」(アルブハーリーの伝承)

まだ成人していないムスリムの子供たちも、サウムの訓練をするのが好ましいとされています。

確かにアッラーは子供たちにはサウムを義務付けてはいませんが、今まで一度もサウムをしたことがなかった子供たちが、アッラーからの諸義務が課される1人前のムスリムとなった時に初めてサウムを始めるのは、肉体的にも精神的にもとても大変なことです。
ですから1人前のムスリムになった時にきちんと正しくサウムをすることができるように、小さい頃から少しずつサウムに慣れるようにしましょう。

栄誉あるサハーバ(預言者の教友たち-アッラーが彼らをお悦びになりますように)は彼らの幼い子供たちが断食に慣れる様にサウムの訓練をさせていました。そして預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はそれを承認していました。

ルバイイウ・ビント・ムアウウィズ(アッラーが彼女をお悦びになりますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はアーシューラー(ムハッラム月の10日。ムハッラムはイスラーム暦の1番目の月。)の朝にアンサールの村々に使いを送り、『サウムを解いた状態で朝を迎えた者は残りの日をそのように過ごし、サウムをした状態で朝を迎えた者はそのままサウムをするように。』と命じました。」(ルバイイウは言いました):「私たちはその後サウムを続け、また私たちの子供たちにもサウムさせていましたが、私たちは子供たちのために染めた羊毛で玩具を作り、子供たちの誰かが食べ物を欲しがって泣くと、イフタール(サウムを解くこと)までその玩具を与えたものでした。」(アルブハーリーの伝承)

サウムとは具体的に何をすればよいのでしょうか?
忘れてはならないのは特に次の2つのことです。
①ニーヤ(サウムをするということの意図)をファジュルの前までにすること。ラマダーンのサウムに関してはラマダーン1日目のファジュルの前に「ラマダーン月のサウムを行う」というニーヤをします。(毎晩このニーヤを繰り返さなければならないとしている学派もあります)
②ムファッティラート(それを行うとサウムが無効になること)をファジュルが始まった時間から日没まで避けること。

ムファッティラートについて

サウムを始めたら、以下のムファッティラート(それを行うとサウムが無効になること)を避けなければなりません。

①意志をもって食べたり飲んだりすること:誰かに強制的に飲み食いさせられたり、サウム中だということを忘れて飲み食いした場合にはサウムは無効になりません。ただしサウム中だったと気付いた時点で飲み食いをやめなければなりません。
②意識的に(わざと)嘔吐すること。
③生理や悪露(出産後の出血)の状態になること:サウムを始め、マグリブ(日没)の直前にこれらの状態になった場合には、その日のサウムは無効となり、後でカダーをしなければなりません。
④接吻や抱擁や手など、その他の自分の意志で行った行為により精液が出ること:これらによりその日のサウムは無効になり、後でカダーをしなければなりません。何かを見て精液が出た場合にはサウムは無効とはなりません。
⑤性交:その日のサウムは無効となり、カダーとカッファーラ(ここでの説明は割愛します)が課されます。

*女性は生理中、サウムをすることができません。ラマダーンが明けてから、翌年のラマダーンが来るまでにカダー(決められた日時に行えなかった埋め合わせとして)のサウムを行います。また病気や旅行、その他の理由でラマダーンの義務のサウムを行わなかった者は翌年のラマダーンまでにカダーのサウムを行います。
ファジュルの前に生理が終わった女性はグスル(生理などの後に決められた方法で身を清めること)をしていない状態でもサウムを始められます。グスルをしなかった場合、その後で礼拝のためにグスルをしなければなりません。


それではサウムをする時の礼儀作法を確認していきましょう。

1‐ラマダーンに入ったことを示す三日月を見たらドゥアーをしましょう。

「アッラーフ アクバル。アッラーフンマ アヒッラフ アライナー ビルアムニ ワルイーマーン。ワッサラーマティ ワルイスラーム。ワッタウフィーキ リマー トゥヒッブ ラッバナー ワ タルダー。ラッブナー ワ ラッブカッラー。(アッラーは偉大なり。アッラーよ、私たちが安寧と信仰、そして平安とイスラームにある状態にあるまま、月を三日月にして下さい。そしてあなたがお望みになり御満悦されることにおける成功によって。私たちとあなたの主はアッラーです。)」と預言者は仰りました。(アッダーリミーの伝承)

2‐ニーヤを正しましょう。

サウムを至高のアッラーのために、そしてアッラーからのお赦しとご満悦を求めて行いましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「ライラトゥルカドゥル(クルアーンが下された夜)に、イーマーン(信仰)をもってアッラーのご満悦を願い礼拝に立った者は、その者の過去に犯した罪が赦される。ラマダーンにイーマーンをもってアッラーのご満悦を願いサウムした者はその者の過去に犯した罪が赦される。」(アルブハーリーの伝承)

3‐スフール(ファジュル前にとる食事)を摂り、またスフールの時間をなるべく遅らせましょう。

スフールを摂ることは、その日のサウムをまっとうするために大切なことです。

アナス(アッラーが彼をお悦びになりますように)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「スフールを摂りなさい。本当にスフールには祝福がある。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

スフールの量は多くても少なくても構いません。
また水などの水分であっても構いません。
スフールの時間は真夜中からファジュルの前とされていますが、制限時間内でなるべく遅らせるのがよいとされています。

4‐スィヤームの目的にそぐわないことを控えましょう。

サウムとは食べ物と飲み物を断つだけではありません。
アッラーが禁じたこと全てを避けなければなりません。
例えば嘘の証言・うわさ・インチキ・人に害を与えることなどはアッラーから禁じられていることですので、当然サウム中にはそのようなことはしないようにします。
また無駄話は「禁じられた行為」ではありませんが、アッラーから報奨を得られる行為でもありませんから、特にサウム中にはなるべく控えるようにしましょう。
祝福されたラマダーンの一秒一秒を無駄にしないように過ごしましょう。

5‐スィワーク(口を清浄にし、歯をみがくための小枝)を使用しましょう。

イフタール(サウムを解くこと)の前後、そしてサウム中にスィワークを使って、口の中を清潔に保ちましょう。

6‐善行に励むようにしましょう。

ラマダーン中には特に善行に励みましょう。
何が自分に出来るか考えてみてください。
イバーダを頑張る(回数、集中力などで)・サダカ・クルアーンを朗誦する・その意味を学ぶ・人に親切にする・親孝行する・親子や兄弟またはムスリム同胞たちとサウムを励ましあうなどなど・・・

7‐フトゥール(マグリブの後のサウムを解くための食事)をなるべく早い時間に摂りましょう。

フトゥールは奇数のデーツで、もしなければ水で摂るのが好ましいとされています。

8‐イフタール時にドゥアーを言いましょう。

「ザハバッザマウ ワブタッラティルウルーク、ワ サバタルアジュル イン シャーアッラー。(喉の渇きを癒し、血管を湿らせ、そしてアッラーの思し召しならば(サウムの)報奨を確実なものとされたまえ。)」と預言者はサウムを解く時に仰られました。(アブー・ダーウードの伝承)

9‐特にラマダーンの最後の10日間はイバーダ(崇拝行為)に励みましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女をお悦びになりますように)は伝えています。「預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は最後の10日間には他の日では見られないほどの努力されていました。」(ムスリムの伝承)

また最後の10日間にモスクでお籠りをするのはスンナです。

親として・・・
親は経験から自分の子供がサウムをする力があるか判断し、子供にその能力があり、サウムをしたがっている時には、サウムの徳とアッラーのもとにおける報奨を明らかにした上で子供にサウムするように促し、励ますようにします。
またサウムは子供にとって義務ではありませんから、慣れるまでは断食の時間を3つくらいに分け(例としてズフルまで、アスルまで、マグリブまでなど)、強制的にではなくそれぞれの子供の能力に合わせて、かつ励ましながら約束の時間までサウムを続けられるようにしていきます。
サウムが子供に害をなさないように子供の体調や行動をよく観察することは大切ですし、また励ましのために時としてご褒美をあげるのもいいでしょう。
またサハーバが行っていたように時として玩具やピクニック、マスジドへ連れて行くなどして、子供の食べ物への欲求を紛らわしてやるのもいいでしょう。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『フィクフッスンナ第1巻』サイイド・サービク著
『ヒスヌルムスリム』サイード・ブン・アリー・ブン・ワハブ・アルカハターニー著
『日訳 サヒーフ ムスリム 第2巻』(日本ムスリム協会)
『ハディースⅡ』牧野信也訳

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام



200のハディースその12

2007-09-11 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

家族と親類について[その1](家族を大切にする)

アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「あなた方のうちで最も良い人は、家族に最も良くする人です。私はあなたがたのうちで家族に最も良くしています。」、「最も完全な信仰を持った信者とは、最も性格が良く、最も家族に優しい人のことです。」(ア=ッ=ティルミズィーによる伝承)


 全ての宗教が家族を大切にするとは限りません。中には家族生活によって心が散り、物に執着し、自我から解脱できないと考え出家したり、社会生活を否定し神のことのみに意識を集中することが神への愛であり、従順さを表すとする宗教もあるからです。それらの人々は結婚を忌避し独身を通すことが人格を高め自己完成につながると考えています。

 これに対しイスラームでは、「人は結婚によって宗教の半分を成就できる。それで残りの半分はアッラーを畏れるようにしなさい。」(バイハキーによる伝承)とあるように結婚を勧め、健康な家庭生活を送ることが宗教的な生き方であるとします。

 人間は欲望や本能を健全に制御できる力を与えられています。肉体あっての人間です。欲にとらわれやすいからと言って苦行を求める必要はないのです。結婚によって夫は家庭を養うために働き、妻は家計を切り盛りし、子供がいれば世話をします。夫婦の愛情は歳月に鍛えられやがて赦しと尊敬に変わり、二人の絆を強めていくのです。家庭を持つ夫婦は一人の時よりも責任感が強くなり他を思いやる気持ちが育まれ成長していくのです。
 
 家族は楽しみも苦しみも共に分かち合います。子を持ち泣かぬ親はなしと言うように親は子供が怪我をしたり、病気になったりすると自分のことのように心が痛みます。子を慈しむ心が養われるのです。また家庭は子供に愛情を注ぐ場であり、自立できるように育てる場でもあります。たとえ成長した息子や娘が落ち込んで無気力になって家に戻ってきても、温かく迎え入れ食事を作り暖かい寝床を用意し再び元気になるまで寄り添い我が子を見捨てることはありません。子供は自分が愛されている、大切にされていることに自信も持ち強くなります。優しくされた子は他人に対して優しい気持ちを持てる人間になります。家庭を通してお互いが深い愛情を知るのです。このように世間にとどまり日々の生活の中で自分の役目をまっとうしながら心を養い精神を磨くことが可能であり、特別な修行をせずとも普通の生き方で人格の向上が図られ宗教の成就へと向かうのです。

 次のハディースはそのような預言者(صلى الله عليه و سلم)の生き方を端的に示しています。

 教友らが預言者(صلى الله عليه و سلم)の夫人たちに、使徒の日常生活に関して質問した。この折、教友らは
「私は結婚しない」、
「私は肉を食べない」
更には「私はベッドに寝ない」
などと口々に話していた。預言者(صلى الله عليه و سلم)はアッラーを賛美してから、こう言われた。
「そのようなことを言う人々がいるとは一体どうしてですか。私は礼拝し、眠りもします。断食もするし食事も取ります。勿論、女性とも結婚します。私のこういうスンナ(慣行)を無視する人は、私と関係ない人です。」
(ムスリムによる伝承)

 このように、宗教は生活の正しい営みとあるのです。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

子供のためのイスラーム礼儀作法その6

2007-09-08 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(6)衣服


ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)。

今回は「衣服」について学んでいきましょう。

「衣服」は、私たち人間に特別に与えられた至高のアッラーの恩恵の1つです。
私たちは衣服によって暑さや寒さ、強い陽射しや雨などの自然現象から身を守ります。
また衣服によってアウラ(恥部:ムスリムが理由なく見てはいけない、あるいは見せてはならない体の部位)を隠し、尊厳を守り、生活を彩ります。

至高なるお方は仰りました:
『(アッラーは)あなたがたのために衣服を暑熱から身を守るものとし、鎧を攻撃から身を守るものとされた。このように(アッラーが)かれの恩恵を成し遂げられるのは、あなたがたが帰依するためである。』(アンナフル章16:81)

至高のアッラーは人間に色々な形の衣服の製法を教え、それによってアウラを隠し、人生において直面する事柄から身を守るよう命じ、預言者ダーウードについて次のように仰られました:
『またわれらは、あなた方が攻撃から身を守るために、彼に鎖帷子を作る術を教えた。それでもあなた方は感謝しないのか?』(アルアンビヤーゥ章21:80)

今日私たちムスリムは衣服を脱ぎ、アウラを顕わにするよう呼びかける、新たな無明時代の迷いの旋風のさ中にいます。それは人間をみにくい形に変え、無知な動物のレベルへと後退させてしまおうとしているのです。

そして男女問わず、覆うべき肌を顕わにし、それらの服を身に付けることによってアウラを隠すどころかいっそう顕わにし、人々の欲望を掻き立てるような服が街中に溢れています。

預言者(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「地獄に落ちる人たちの中には、私が目にすることのなかった2種類の人々がいる。つまり牛の尾のような鞭を持ち、それで人々を打つ者たちと、体のある部分が顕わになる衣服を身につけて自らと他人を悪事へといざなう女性たちである。そして彼女たちの頭は、さながら美しいラクダのこぶのように飾り付けられ盛り上っている。彼らは天国に入ることもなければ、その芳香すら嗅ぐこともない。その芳香はしかじかの遠い距離から漂ってくるにも関わらず、である。」(ムスリムとアハマドの伝承)

以下は衣服に関するイスラームの礼儀作法です。
すでに身に付けている礼儀作法については「ニーヤ(意図)」を新たにし、アッラーに感謝しましょう。まだ身に付けていないことについては実行できるように努力しましょう。慈悲深いアッラーのお悦びと、かれの預言者(彼に祝福と平安あれ)の満足を得られるように、これらの礼儀作法を学び実践できますようにとの日々のドゥアーを忘れないようにしましょう。

1‐衣服を着替える時には他の行為と同様にバスマラ(「ビスミッラー(アッラーの御名において)」と言うこと)を唱えましょう。

2‐衣服を着る際に、「服の美しさを自慢したり、人に見せるためではなく、アウラを隠すようにという至高のアッラーのご命令に従うために服を着ます。」という「ニーヤ(意図)」を持ちましょう。

至高なるお方は仰りました:
『アーダムの子孫よ、われはあなた方にアウラを隠すために、またそれによって着飾るために衣服を授けた。だが篤信の服(篤信を身に付けること)こそ最も良いことなのだ。それはアッラーの印であり、おそらく彼らは(アッラーのしもべに対する偉大さ・慈悲深さを)思い出すだろう。』(アルアアラーフ章7:26)

3-預言者(彼に祝福と平安あれ)が口にしていたドゥアーを唱えましょう。

預言者(彼に祝福と平安あれ)は服を着る時には次のように仰られました:「アルハムドゥリッラーヒッラズィー カサーニー ハーザ(ッサウバ) ワ ラザカニーヒ ミン ガイリ ハウリン ミンニー ワ ラー クウワ(無力な私にこの服を着させ、恵み与えて下さったアッラーに讃えあれ)。」(アンナサーイー以外のスナン著者による伝承)

また新しい服を着た時には次のように仰られました:「アッラーフンマ ラカルハムドゥ アンタ カサウタニーヒ アスアルカ ミン ハイリヒ ワ ハイリ マー スニア ラフ。ワ アウーズ ビカ ミン シャッリヒ ワ シャッリ マ スニア ラフ(アッラーよ、全ての讃美はあなたにこそあれ。あなたこそが私にそれを着せて下さいました。そこにある良きものと、それによって得られる良きものを与えて下さいますように。そしてあなたにそこにある悪しきものと、それによって得られる悪しきものからのご加護を求めます)。」(アブー・ダーウードとアッティルミズィー、アルバガウィーによる伝承)

また新しい服を着た人には次のように仰られました:「トゥブリー ワ ユフリフッラーフ タアーラー((その服が)着古され、その後更にアッラーが新しい物を与えて下さいますよう)。」(アブー・ダーウードによる伝承)

また次のようにも仰られました:「イルビス ジャディーダン、ワ イシュ ハミーダン、ワ ムトゥ シャヒーダー(新しい物を着なさい。誉れ高く生きなさい。殉教者として死になさい)。」(イブン・マージャによる伝承)

4-あまりに高価なものや派手な物、あるいは粗末な物ではなく、ほどほどの服を身に付けましょう。

5-その服を着た状態でのイバーダ(崇拝行為)が正しく受け入れられるものになるように、服の清潔さとタハーラ(清浄さ)を確認しましょう。


ムウミン(信仰する人)は体と服が清浄であるものです。

至高なるお方は仰りました:
『またあなたの衣服を清浄に保ちなさい。』(アルムッダッスィル章74:4)

6-衣服を自慢したり、男性は高慢さから地面を引きずるほどに裾を長くするのを避けましょう。地面から少し裾が離れている方がより敬虔で、より清潔で、より長持ちします。

アブー・フライラによるとアッラーの使徒は仰られました:「アッラーは審判の日、尊大にイザール(ズボンなどの下半身を覆う衣服)を引きずる者をご覧になられない。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

7-服が破れたり、穴が開いた時にはそれらを直し、破れたり穴が開いたままの服を着ないようにしましょう。預言者(彼に祝福と平安あれ)はご自身で服を繕い、サンダルを直したものでした。

サハル・ブン・アルハンザリーヤ(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)から次のように聞きました:「あなた方はあなた方の同胞のもとに行くのです。だからあなた方の(家畜などの)乗り物を整え、あなた方があたかも人々の間でも際立った者たちであるかのように身だしなみを整えなさい。まことにアッラーは下品なものも、あえて下品にするものもお好みになられない。」(アブー・ダーウードの伝承)

8-服に腕や足を通したり靴や靴下を履く時には右手・右足から、脱ぐ時には左手・左足から脱ぎましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は全てのことにおいて右から行うことを好まれた。ウドゥーと髪を梳かすことにおいても。」(アルブハーリーの伝承)

9-服を着る前や靴下・靴を履く前には害虫がそこにいないことを確認するためにそれらを振り払うようにしましょう。

10-脱いだ服はたたみ、服を置いたり掛けたりする時にアッラーの御名を唱えましょう。服や靴を脱ぎっぱなしにしないようにしましょう。

預言者(彼に祝福と平安あれ)は服を置く時には次のように仰られていました:「ビスミッラー(アッラーの御名において)。」(アッティルミズィーの伝承)

11-身に付けている服や靴・靴下が清潔であるように心がけましょう。特に汗をかきやすい夏は気をつけましょう。

12-シャツや上着の袖は手首までの長さのある物を身に付けるのが良いとされています。


アスマー・ビント・ヤズィード(アッラーが彼女に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)の(服の)袖は、手首までありました。」(アッティルミズィーとアブー・ダーウードの伝承)

13-男性は絹製の服や金を身に付けないようにしましょう。


アブー・ムーサー(アッラーが彼に満足されますように)によると、アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:「絹と金を身に付ける事は私のウンマの男たちには禁じられ、女性たちには許された。」(アッティルミズィーの伝承)

14-男性は女性の服装を真似ないように、女性は男性の服装を真似ないようにしましょう。特に男性は着ている人を女性っぽく見せる刺繍や飾りつけ、色の服を着るのを避けましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:「アッラーは女の服を着る男と男の服を着る女を呪われた。」(アブー・ダーウードの伝承)

15-男女共に体の線をはっきりと現すような服や透けた服を着るのを避け、アウラを隠し着心地の良い服を選ぶようにしましょう。特に女性はそれを見せるのを禁じられた男性の前で着飾ったりアウラとなる部分をみせたりしてはいけません。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『ヒスヌルムスリム』サイード・ブン・アリー・ブン・ワハブ・アルカハターニー著
『日訳 サヒーフ ムスリム 第3巻』(日本ムスリム協会)

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام