満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその11

2007-06-30 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

賞賛に値する人格、性質について[その6](恥じるべきことを知る)

 アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「人々が手にした初期の預言(ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)以前の預言者たちの言葉)の中に『恥ずかしいと感じないなら、あなたの望むことをするがよい』という言葉があります。」(アブー・ダーウードよる伝承)

 伝承学者の注釈によると、このハディースは
①恥を感じない限りは人間は良心の命じるままに行動できる。
②羞恥心を持たぬ者に対しては好き勝手な行動をやめさせる手段はない。
の二つの解釈が可能とされています。
 恥の訳としては自分の良心に聞きなさいという意味合いから恥ずかしい気持ちだけの羞恥心よりも、恥じるべきことを知る意味の廉恥心と理解したいと思います。恥が主題のこのハディ―スを礼儀作法の根源と見なし「このハディースを軸にイスラーム社会全体は動いている」と評する伝承学者もいます。

 そう受け止めますと、後世のムスリム学者たちが人間の行為は五つに区分(①義務行為、②奨励される行為、③許容される行為、④嫌悪される行為《マクルーフ:度と越えずハラームにつながる行為をしない限り罰や責任は問われないもの》、⑤禁止行為《ハラーム:来世において罰を受け、現世においても法的責任に問われる行為》)されると考えたのは、創造主の元へ帰る者として自分の行いがアッラーの規準から外れ、恥じいることがないようにとの思いが強かったからだろうと想像されます。
 
 アッラーからの目から見て徳とは日常行為によって測定されるとの意識から、人間の行為を類別し共同体内での規範・行動原理にしたものと理解できます。このような廉恥心は道徳意識の出発点であり、日常的行為の中で恥じるべきことを知る人が最も尊敬される社会が健全で好ましいとなります。

 ここで常に絶対者と向き合う宗教的態度を基盤とするイスラームの道徳論に対し、神を信じず生きている今の世しか考えない現世中心主義の道徳論との違いが明確になります。
 それはこの世で魂を磨き人間性向上を目的とする考えと、単に人間関係を円滑にするために身の処し方や生き方しか考慮しない不安定で迷いやすい有限な存在の人間を中心に据えた考え方の違いともいえます。
 

 創造主を認めないこの世中心の世俗的価値観では、人間は運命共同体の一員であるという連帯の感覚が薄れ、公共の益よりも個人の権利と個性が優先されます。他人に干渉しないことを理由に他者の存在理由に真正面から向き合うことなく、人間の本性や人生に対し深い洞察をめぐらす時間を惜しんで日常生活での利便性や快適生活、物質的豊かさのみを追求することに専念するため、道徳は敬遠されます。共同体の原理であろう道徳や社会規範を軽視する社会そのものの軽視につながります。

 生かされていることを悟らず神から離れる人間は罪の観念が希薄になり個人を束縛するものはないと錯覚し、謙虚さがなくなり自己を肯定するが他人は否定する傾向が強まります。
 常に神への感謝と畏れを失うことを恥とする人間でいたいものです。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)⑦

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

さて重要な問題が残った。アリーはいつ、ファーティマに加えて別の妻を迎えようとしたのであろうか。
ムスリム史家もハディースの大家たちも、この婚約の時期については無言である。大変に重要な事柄であるのに。

恐らく結婚してまだ年月の浅い時期であったろうと考える。
確かな伝承はないのだが、状況から推測して、恐らく子供が生まれる前のことであったろう。
ファーティマとアリーが二人の生活を始めて間もなくの頃、ファーティマはアリーの荒けずりな頑固さに馴めず、アリーもまた、実家を離れた悲しみから暗く沈んだファーティマとの暮らしに耐えられなかった頃のことであろう。

そこで我々はこの時期をヒジュラ暦二年、最初の子を授かる三年目に入る前の出来事と限定したいと思う。

どのくらいの期間がかかったのか定かではないが、ファーティマの心にかかっていた雲は消えた。家庭は爽やかな雰囲気に包まれていた。励調と友愛に支えられて、夫婦は幸福な良き家庭生活を築いていった。ファーティマは家にいて夫によく仕え、少しずつ少しずつ心の奥に残されたわだがまりも悲しみも消えていった。ムハージル(移住者)たちの多くがそうであったようにファーティマもマディーナの気候になかなか馴めずにいた。アリーはそんな妻の体調を思いやって優しく気を配り、努めて家事を手伝い協力して彼女の健康を大事にした。

そこで神はファーティマを喜ばせ、ファーティマを愛する人びとをも喜ばせたのだった。ヒジュラ暦三年に長男ハサン・イプン・アリーが誕生した。吉報が父・預言者のもとに伝えられ、父は満身に喜びをたたえて飛んで来た。両腕に赤ん坊を抱えると、赤ん坊の耳にアザーンを唱えた。そして赤ん坊を抱きしめ、慈しみの眼でいとおしそうにその顔をじっと見つめた。まだ離乳も完了しない幼ない年で神に召されて逝った二人の息子を思い出していたのだろう。

マディーナは町中をあげてハサンの誕生を祝った。祖父となった預言者は貧しい人びとに赤ん坊の髪の毛の量に等しい銀を施した。

そして日に日に成長していくこの新しい大切な生命を見守るのを大変に楽しみにしていた。
ハサンが一歳、あるいは一歳を少し過ぎたときに、母ファーティマは弟フセインをヒジュラ暦四年シャアバーン月(第八月)に産んだ。

使徒は『父親のお母さん』ファーティマの胸に抱かれたこの幼ない大切なふたりに、自分の生命の延長を見る思いであった。ハディージャ亡き後、息子に恵まれる望みを失べていた父性の感情が再びその大きな心を満たし始めるのを感じていた。

使徒はその時ほぼ五十七歳であった。ハディージャを失ってから十七年余りが過ぎた。その間五人の妻を迎えている。年老いた未亡人サウダ・ビント・ザムア、幼ない処女であったアーイシャ・ビント・アブーバクル、知的なハフサ・ビント・オマル、貧しい人びとの母と呼ばれたザイナブ・ビント・ホザイマさらにウンムサラマ。このウンムサラマ、すなわちヒンド・ビント・アブーウマイヤとはヒジュラ暦四年のシャッワールの月(第十月)に結婚した。彼女には前夫アブドッラ・イブン・アブドルアサド(使徒の従兄弟にあたる)との間にサラマ、オマル、ドッラ、ザイナブと四人の子供たちがあった。
それなのに使徒はこれらの五人の夫人たちの誰からも子供を授からない。
ムハンマド・イブン・アブドッラーの子孫はこのファーティマの息子ふたりだけであった。

多くの妻を迎えながら息子に恵まれない使徒がハサンとフセインを溺愛し、溢れ出る父性愛を思う存分注いだのは無理がらぬことであった。使徒はふたりの孫を『我が子よ』と呼んで目がなかったという。
アナス・イプン・マーリクが伝えるには・・・預言者はファーティマに言った。「私の子どもたちを呼んでくれ」そしてふたりの幼児が来るとロづけして抱きしめた・・・。

アルティルミズィーのスンナ集にウサーマ・イブン・ザイドの言葉が載っている・・・ウサーマが言った。
「用事があったので預言者の家の戸を叩いた。預言者が出て来たが衣服の中に何かくるんでいた。何だか分からなかった。用件を済ませてから訊いた。『一体、何をくるんでいらっしゃるのですか』すると開けて見せてくれたところが、ハサンとフセインだった。『私のふたりの子ども、娘の子どもたちだよ。ほんとうに私はこの子たちが大好きだ。彼らを愛する者を私は愛する・・・』」

ふたりの名前は使徒の口からこぼれ出る甘く楽しいメロディーであった。
ふたりの名前をロにするのが好きであった。ふたりには格別な肉親の情を抱いた。

神はこのような大きな恩寵をファーティマに与えられた。彼女だけに預言者の子孫を授けられた。
預言者の後裔となる栄誉を受けて、以来ずっと彼女の存在は後世に記録されて生き続けている。

アリーもまた神に愛されて、この氷遠の誉れを賜わった。
神はアリーの息子を人類に送られた最後の預言者の血をひく子孫に選ばれたのだ。

恐らくムハンマドがどの娘から後継者を望むか、どの婿をこの聖家族の父に望むか選ぶことになったら、神が選ばれたとおりを選んでいたことであろう!

アリーはムハンマドにとって最も身近な男、最も血のつながりの濃い婿である。
ハーシム本家を血脈としてアブドルムッタリブで預言者と血が結ばれている。

ムハンマドは八歳になってからはアブーターリブの家で息子と同じように養育された。
ハディージャ夫人と結婚後に生活が安定すると、今度はそのアブーターリブの息子アリーを引きとって父親代わりとなって育てた。

アプールアースにも、オスマーンにも、これほどのつながりはない。
二人ともクライシュきっての高い地位にあった人物だったが.・・・。
殊にオスマーンはイスラーム史上でも大変に重要な人物であったのだが・・・。

アリーはそんな自分の立場をよく知っていた。それを誇りとし、自信を持っていた。
あるとき感情余って預言者にこう訊いたほどである。
「使徒よ、どちらがお好きですか。娘のファーティマと、その夫のアリーと!」

預言者はにこやかに答えた。
「ファーティマの方があなたより愛しいよ。あなたの方がファーティマより私には頼みになるよ・・・」

以後、使徒がファーティマとアリーに寄せる深い愛情の証しに誰もが気づいたことであろう。
通りかかったときは必ずアリーの家に立ち寄った。
また暇な時間を見つけてはアリーの家に赴き、その幸せな家族を大きな愛で包み、孫の成長に目を細めるのだった。

あるとき娘と夫は深い眠りにおちており、ハサンがお腹を空かせて泣いていた。
立ち寄った使徒は眠っている二人を起こすのも可哀そうと思ったのだろう、家の中庭に繋がれたヤギのところへ急ぎ、乳を絞ってハサンが満腹するまで飲ませたという!

またある日彼は用事で急いでいたのだが、通りがかりにフセインの泣き声を耳にして、家に寄り娘に注意した。
「フセインが泣くのには耐えられないのを知らなかったのか!」

筆者はここで、この父の深い愛が幼ない頃から悲しみの日々を送ってきたファーティマをいたわり慰めようとする父性愛の表れだと言うつもりなのではない。
また貧しく厳しかった娘の結婚生活に訪れた幸福が、どんなに限りなく喜ばしいものであったのがを述べるつもりなのでもない。ファーティマは父にこれ程までに愛される息子たちの母となったことで十分に幸せだった。神の賜物によって最愛の父にふたりの子孫が授けられ、これ程の喜びを与えることができたことが何よりも嬉しく満足なのであった。

アリーの喜びもファーティマに劣るものではなかった。
従兄の預言者の生命の延長を自分の体に受けとめ、預言者の血と交わり、アラブの指導者となるべき預言者の娘の息子を生み出したのだ。全人類の中から自分が預言者の後裔の父粗となり、聖なる家族の柱となる栄光を担うのだ。

神の恵みは続いた。
ファーティマはヒジュラ暦五年に長女を産み、祖父はその子にザイナブと名付けた。忘れ得ぬ長女の名である。
赤子の伯母にあたるザイナプを偲んでの命名であった。ファーティマもまた姉を忘れることがなかった。

ザイナブの誕生から二年後、ファーティマは次女を産んだ。預言者はウンムクルスームの名を選んだ。
そのわずか二年の後に彼女を失う日がやって来ることを感じていたのであろうか。

そしてこの娘たちによってファーティマは二人の姉、預言者の娘たち、ザイナブとウンムクルスームの思い出を身近に大切に守ることができたのだ。

ファーティマに関しては、神は預言者を悲しませるようなことはなさらず、ファーティマはその後も父・預言者に喜びを与え続けた。預言者が神に召されるその日まで、ファーティマもその子供たちも幸せに生きて預言者を悲しませることはなかった。

ふたりの息子アルカースィムとアブドッラーは幼くして死んだ。
高齢になってから三番目の息子イブラーヒームが授かった。
ヒジュラ暦八年ズルヒッジャの月(第十二月)であった。預言者の喜びはひとしおであったが、この喜びも続がなかった。二歳にならないうちに三番目の息子も失った。預言者はすでに六十歳を越えていた・・・。

同じように三人の娘たちも他界した。ザイナブ、ルカイヤ、ウンムクルスーム、みな若い身であった。
父は心砕かれ、悲しみに沈んで娘たちをひとり、そしてひとり、ヤスリブの土の下に埋葬した。
ヤスリプの土には父アブドッラーがまだムハンマドが母のお腹にいた頃に埋められている。

ファーティマは生きた。その子供たちも生きた。預言者の人生に喜びを満たして生きた。
最愛の娘、このファーティマひとりが預言者に失ったものに代わるものを与えることができたのだった。

預言者の存命中ファーティマは生きて「お父様!」と呼びかける者をいつもその身近かに置いた。

ファーティマのふたりの息子は元気に生きて「子供たちよ!」と慈しみ甘やかす者を身近かに持つ喜びを人間・預言者に与えた。

ファーティマのふたりの娘ザイナプとウンムクルスームは優しい祖父にいつもその名を呼ばれて、亡き二人の娘を偲ばせた。

歴史はこの預言者の姿を息を止めてじっと見ていた。
そのあふれる父性愛が、大きな人間愛が、選ばれたる者が成した大偉業の数々とともに記録に残され、しばしば語り継がれるのを聴いていた。

إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)⑥

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

否、しかしながら問題は別の一面を符っていた。
アリーはアムル・イブン・ヒシャームの娘と言った。
神はアリーの家で使従の娘と神の敵の娘が生活を共にすることを望むであろうか?
彼女の父親アムル・イブン・ヒシャームとはアブールハカム、すなわちアブージャフルなのである!
預言者も、その信徒も、彼のイスラームに対する仕打ちは決して忘れはしない。
彼はクライシュの人びとにこう言った敵である。
「クライシュの人びとよ、ムハンマドは知ってのとおり我々の神々を非貧し、我々の狙先をいやしめ、我々の希望を茂んだ。明日こそ必ず奴のとなりに坐って奴がサジド(平伏礼)したら大石で頭を一発打ちのめしてやるつもりだ。
そのときにあなた方が私に味方しようが反対しようがかまわない。
奴を殺したその後のことは私を引き渡してアプドマナーワー族の勝手にするがいいさ!」

彼は預言者を嘲笑して言った。
「クライシュの人びとよ、ムハンマドは神の兵士が地獄であなた達を捕えて業火で苦しめると言っている。神の兵士は十九人だそうだ。あなた達は人数も多い、百人の我々が敵の一人にも立ち向かえないというのか?」

そこで啓示が下された。
「われは業火の看守人として、天使たちの外に誰も命じなかった。彼らの数を(十九と)限定したことは不信者たちに対する一つの試みに過ぎない」・・・クルアーン七四章(アルムッダスィル)三一節。

彼はこのクルアーンを聴いてどう思うかと訊いたアルアフナス・イブン・シャリークにこう答えている。
「何を聴いたんだって?我々はアブド・アナーワの一族とは同じように名誉をかけて競ってぎたのだ。二頭の競走馬のようにな!権利も義務もだ。我々にも預言者が天の啓示を伝えて現れるはずだ。それはいつわかるのだろう? 決して奴には従わないし、奴など信じない!」

彼こそマッカの身分良き市民がイスラームに改宗したと聞くと、一番に非難を浴びせて罵った男だった。
「先祖の教えを棄てるのか。奴が先祖より大切なのか?
全く、お前の信仰はお笑いものだ。お前の名誉を汚してやるぞ!」
そしてイスラームに帰依した者が商人であったらこう言う、「マーケットから締め出してやるぞ。財産をつぶしてやる」
そして弱い立場の者であったら暴力をふるって痛めつけた。

またこの男こそハーキム・イブン・ヒザームが囲いの中で窮乏に苦しむ伯母ハディージャに差し入れようと食料を届けたとき、それを見つけて妨害した男である。
「ハーシム家の奴らに食物を運ぶ気か。そんなことをしてみろ、マッカ中に言い触らしてやるぞ」そして掴み合いの喧嘩になったとい この男に対しては次の神の御声が下されている。
「ザックームの木こそは罪ある者の糧となる。溶けた銅のようにお腹の中で煮えたぎる!」・・・クルアーン第四四章(アッドハーン)四三~四五節。

この男はムハンマドの噂を聞いてハパシャからやって来たキリスト教徒の代表団にも敵対した。
彼らはムハンマドに会って話を聴くと、すぐ彼を信じた。
帰って行く彼らの背に、アブージャフルは罵倒を浴びせた。
「何という大ぼか者だ! お前たちの民がムハンマドのことを調べてこいと送ったというのに、奴に会ったらすぐに自分たちの立場を忘れて奴を信じてしまうとは!全くの大ばか者だぜ!」

彼こそヒジュラ直前にクライシュが決議したムハンマド殺害計画の張本人だった。
各支族から屈強の若者を一人ずつ選び出し、おのおのに鋭利な剣を与えてムハンマドを襲わせ、全員が一打ずつ切りつけて彼を打ち殺す。
そうすれば血の復讐は全支族に分散して返り、それぞれが代償金を分担して支払うだけで済む・・・と。

使徒がマディーナに逃れたときにはアブージャフルを含む数人がしつこく追跡した。
アブーバクルの家の戸口に立ち構え、迎え出たアスマーにきつく質問をあびせた。
「アブーバクルは何処に行った?」
「父は何処にいるのかわかりません」と彼女は答えた。
するとアブージャフルは手を上げて、耳飾りが吹っ飛んだほど彼女の頬を強く打った。
パドルの合戦に備えてムスリム軍、クライシュ軍、双方が準備を整えていたとき、クライシュ軍はひそかに敵の様子をさぐる者を送った。偵察者がこっそり戻ってくるとハキーム・イブン・ヒザームはオトバ・イブン・ラビーアのところに行き、合戦を避けて軍を引き上げようと勧告した。
オトバは賛成したが、ハキームにアブージャワルに話すようにと頼んだ。
オトバは彼だけは絶対に反対すると知っていたからである。
それを聞くなりアブージャフルは言った。「とんでもない、戦いだ!」

彼は、パドルの日に使徒が神に戒めを願った七人のひとりだった。
「彼を捕まえよ!」戦場で預言者は教友に呼びかけていた。

そして彼は呪われた邪教徒のまま殺され、その首は使徒のもとに届けられた。彼の愛用したラクダは使徒のもとに保有されて、四年の後、使徒がオムラのためマッカに向かったとき生費用として連れて行かれ、フダイビーヤで約定が成った日にザバハされた。

この男の娘が預言者の娘の夫のもう一人の妻となるのか?
神も、使徒も、納得するはずがない。
使徒は怒ってマスジドヘ向かい、ミンバル(説教壇)に立つとこう言って人びとに説教した。
「ヒシャーム家の者が自分たちの娘をアリー・イブン・アブーターリブに嫁がせたいと言ってきた。
私は許さない。許さない。許さない。
アリーが私の娘と離婚して彼らの娘を娶るなら別だが、私の娘は私の一部、彼女が怖れることは私の怖れだ。
彼女が苦しむことは私が苦しむことなのだ。私は彼女の信仰が迷わされるのを怖れている・・・」

使徒は長女の婿アプールアースのことを想った。
彼はアリーのようにアブドルムッタリブ家の身内ではなく、アブドシャムス家に属していたのだが、婿としては立派で使徒は彼を誉めた。
「言うことはいつも正しく、約束は必ず守る、信念に心の底から誠実な男だ・・・。
私は許されたことを禁じたり、禁じられたことを許したりはしない。
だが、神は一つの家に使徒の娘と神の敵の娘を一緒に住まわせることはなさらない」

このハディースは六正伝(六つの主要ハディース集)及びアハマド・イブン・ハンバルのハディース集に載っている。
しかしそのどこにもこの話をマディーナのムスリムたちがどう受けとめたのかは書かれてない。

恐らくマディーナの人びとは預言者の言葉を再確認しようと、その晩は眠らずに語り合いながら過ごしたのではないだろうか。人びとはそこに慈愛にあふれた理想の父親の姿を見てとって胸打たれたにちがいない。
そして娘への愛の証しの新しい表現を知った。
この愛こそ、娘を生き埋めにした時代に生きた人々のために神が預言者の心に注ぎ込みたかった愛だったのではないだろうか。

預言者の説教を聴いた後、重い足どりに重い心でマスジドを去っていくアリーの後姿を追うことができるだろう。
彼は何を考えながら家路に向かったのだろうか。

本当にアリーはファーティマがいるのにイスラームの敵の娘と結婚したかったのだろうか。
一体、長い年月をかけた彼のイスラームのための努力は何だったのだろうか。
どうして預言者の愛娘に不安を与えたり、胸を苦しませたりしてまで、このように別のタイプの女性を好んで結婚したいと考えたのか?

預言者の結婚はどの夫人にもそれぞれ特別な事情があった。
なぜ彼は五十歳に到るまで二十五年もの間ハディージャ以外に妻を迎えなかったのだろう。
彼が抱えた大きな問題に忙殺され、新しい宗教の伝道活動に時間を取られていたためだったのか?

アブージャフルの娘はアリー以外の人と結ばれたらよいではないか?
彼はこのような事で従兄であり義父でもある預言者を悩ませたりはしまい!
ムスリムでもないアプールアースがムハンマドの娘に忠誠を尽すのに、アリーがアブールアース以下のはずがなかろう。ムハンマドの娘婿として不誠実であるはずがなかろう!

家にたどり着いた。そこにひとり悲しみに沈んでいるファーティマを見つけ、歩み寄ると黙ってそばに坐った。
ファーティマは涙を流していた。彼は静かな声で許しを願った。
「あなたへの義務を忘れ間違いを犯してしまうところだった・・・。許してくれるか、ファーティマ」夜は更けていた。
ファーティマは答えた。
「神があなたをお許しなさいますように・・・」

アリーは彼女をやさしくひき寄せて、マスジドの話を聞かせた。
預言者がファーティマの不幸に胸を痛めアプージャフルの娘との結婚を許さなかったこと、そして使徒の娘と神の敵の娘を一緒に同じ家に住まわせてはならないと命じたことを・・・。

父の深い愛を感じて、また父の苦しい立場を察して、ファーティマの瞳から涙があふれ落ちた。
彼女は静かに立ち上がると、祈った・・・。

إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)⑤

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ファーティマの年齢は結婚当時十八歳であった。
ラーマンスは理性を欠いた好奇心から彼女は実際はもっと年長であったと考える。
「ただ彼女が望まれずに婚期を逃がしたと言わぬために、使徒伝の著作者たちが誕生の日付けを遅らせたのである」など言う。

では彼に尋ねてみよう。なぜ使徒伝の著作者たちは同じょうなことをハディージャやアーイシャにやらなかったのだろう? ハディージャの年を少し若くし、アーイシャには十歳、いや二十歳ほど加えたら、夫・預言者と年齢の釣り合いがとれたであろうに? 我々がラーマンスにこの質問をしても、恐らく答えは得られないだろう。

恐らくラーマンスはファーティマの誕生について書かれた様々な異なった記録に左右されて、自分の一番好奇心の納得するものを採り入れたのだろう。
異なった記録を比較検討したり、理論的に分析することなく、ファーティマの誕生をヒジュラ前八年とするマスウーディーの説を採り上げた。その一方でヤコービーに拠る、彼女は啓典の下された後に生まれたとある説に目を向けた。
ラーマンスはこの件について、信用度の高い説-例えばイブン・イスハークやイブン・サアド、アッタバリー、イブン・アブドルバッリなどが彼女の誕生はほぼ創教の五年前と言っている-を無視している。

数字の違いは先にも述べたょうに、それ程目角を立てるょうなことではない。
伝承による歴史学には一般にこのような相違はよくあることだ。
記録のない時代のロ述による伝承は写本の際にこれらの相違がどうしても含まれてしまう。
特に生年月日については、伝記を綴る際、当然その人の成長後に顕著となった偉業に対して初めて注目が集まって成されることであるから。
このような一般的現象とみなされる相違点をこの東洋学者はそんな一部分として採り上げるのではなく、それを採り上がて悪意に満ちた説明にあてがう。

ラーマンスに異なった史料を比較・参照する際に必要な分析方法の知識がないとは思わない。
しかし彼はファーティマの誕生に関しては創教前五年とある史料には全く目を向けようとしなかった。
しかも一般論としても預言者の娘たちは全員が創教前に生まれたと言われているのに、ラーマンスはこの説を無視したばかりでなく、ハディースを伝えたイマームたちの意見、歴史家や教友たち、その道の権威者たちの意見にも耳をかさずに、ひたすらマスウーディーの見解を採り上げようとし、使徒伝の著作者たちは婚期を逃したといわせぬためにファーティマの誕生を遅らせていると述べ、それぞれの意見を退けょうと、ヤアコーピーの創教後誕生説まで待ち出してマスウーディーのそれさえも打ちこわしているではないか。

一部の東洋学者たちはこのように史料を偏見と独断で引用し、ファーティマの結婚年齢を遅らせているが、イブン・イスハークの説にしても十八歳という年齢は三人の姉たちが結婚した年齢と比べればとても遅いし、信徒の母アーイシャ・ビント・アブーバクルの年齢に比べればとてつもなく遅い。
しかし本当のところ、この遅い結婚は彼女が望まれなかったのではなく、彼女は尊い預言者の娘であったからなのだ。彼女はザイナブ、ルカイヤ、ウンムクルスームの妹である。
まだ若い頃がらクライシュの青年たちが嫁にと所望していた姉たちの妹である。
しかも彼女は性格も振舞いも一番父親似の娘であった。
その父はというと、堂々とした体格、立派な容姿の人物なのである。
人びとはファーティマの晩婚の理由が父・預言者への執着であることを知っていた。
ムハンマド家での彼女の立場を知っていた。
ハディージャ亡き後、『父親のお母さん』が父の心の支えとなっていることを思いやった。

これでも十分でないというのなら、ではこう述べよう。
彼女が晩婚だったのは人びとの彼女への畏敬の心からであると。
父は神の使徒として遣わされた者、彼女はそのたった一人残った大切な末娘。
彼女が五歳のとき人びとは二派に分かれた。「ムハンマドの娘なんてとんでもない」という異教徒の人びと。
すでにクライシュがムハンマドと縁組みした三人のもとに押し寄せ、娘たちを離婚させてムハンマドを困らせようとしたことを知っている。
一方で信者たちはムハンマドに忠実に従い、その啓典を信じた。
彼らの預言者に対する気持は尊敬以上のもので身命をも献げ尽す覚悟でいたから、ムハンマド家との縁組みなど考えるのも畏れ多いことであった。
『父親のお母さん』ファーティマを敬い、自分の結媛相手に望むことなどなかったのは少しも無理のない話である。

オスマーンがルカイヤを望んだことでこれに反諭しないで欲しい。
預言者の教友の中でも、またクライシュ全体を見回しても、オスマーンほどに財力にも名声にも恵まれた男はそうはいない。また彼が預言者の娘との結婚を望んだのもアブーラハブの息子から離婚された後のことであって、ファーティマの場合とは事情が異なっている。

我々は今日だって良家の冷たもがその相応しい相手が数少ない故、自然と晩婚になるのを見聞きしているではないか。彼女が知的にも財力にも優れば優れるほど相応しい相手が少なくなってしまうのが一般的なきまりである。

畏れとためらいを感じながらもファーティマとの結婚を申し込んだ者はアリーが最初だったわけではなかった。
その栄誉を授かりたいと、以前に教友のアブバクルとオマルが申し出たことがあった。
この話は「アンサーブ・アルアシュラーフ」や「タバカート」、アンナサーイーの「スンナ集」に載っており、このとき父は丁重に断ったとある。

それなのにラーマンスはファーティマが晩婚であったのは彼女が容貌に劣り、明朗さ賢さに欠けていた故としている!

ファーティマの夫の家は豪華でも豊かでもなかった。
むしろ質素で貧しい暮らしといえた。
彼女はこの点でも姉たちが皆経済的に恵まれた生活を送ったのとは違っていた。
ザイナブはマッカの数少ない資産家の商人アプールアースと結婚した。
ルカイヤとウンムクルスームも最初は金持ちのアーブラハブの息子たちと、その後ひとりひとり大資産家でかつ名門のオスマーン・イブン・アッファーンに嫁いだ。

しかしアリーは経済的には自分で稼いだ資金も遺産として譲り受けた財産もなかった。
父親は尊敬を受ける立場にあったけれど、子供が多く生活は苦しかった。
ムハンマドが叔父アッハースに、それぞれ息子をひとりずつ養育してアブーターリブの苦労を軽くしようと申し出たほどであった。そしてその子供たちの中からアリーがムハンマドに選ばれた。

ムハンマドが使徒として遣わされると少年アリーはすぐに信者となった。
イブン・イスハークに拠ると十歳であったという。
以後アリーは十歳の年からずっと、生活の資金を稼ぐかわりに聖戦に加わった。
預言者の教友たちが邪教徒との戦いに向かう彼の出費をまかなった。
作物の育たないワージー(澗谷)での生業として当時のマッカ市民が主に携わっていた商業に精を出すこともなかったから、ファーティマとの婚約を申し込んだ際も、勇敢に活躍したパドルの戦利品の楯以外にマハル(結納金)として与えるものは何も彼の手もとにはなかったのだ。

父がアリーの申し出を伝えたとき、ファーティマにはその点もよく分かっていた。
アルビラーズリーの話が仮に本当で、ファーティマが彼の貧しさに不満をこぼしたとしても、恐らく父・預言者がこう諭したであろう。
「彼はこの世のムスリムのりーダーとなる人物、天国に迎えられる正しい人物だ。
賢者であり、イスラームの最良の教友だ・・・」

この話が本当であったとしても、このような場合によくある話の一つにすぎないと思う。
しかしラーマンスは、これに目をつぶって済ますことが出来なかった。アリーの評価を低めようと必死になった。
貧しさは預言者自身が貧しい孤児であった故、アリーにも少しも失点とならないと考えると、別の欠点を捜し始めた。
そしてアリーは容姿の点で劣ると言い出した。
ラーマンスがよくよく考え直してみれば、どうしてそのような見方が正しいものかと気づいたであろうに・・・。
ファーティマについて述べたときも彼女が重要視されたのはずっと後のこと、シーア派の人びとが脚色した結果だと言ったが、これと同じように、それならファーティマだけでなく、アリーの話だって同じ原典から採っているのではないか!

私が言いたいのは、よくよく考えてみればラーマンスも次の点に気がついたであろうということ、すなわち、なぜラーマンスの言うようにイスラーム史家たちはイマーム・アリーについても、その理想像を創り出すため、容姿の美しさや経済力を補足して書き加えたりしなかったのかということだ。
ただ彼らはアリーについて『カッラマッラーフ・ワジュハフ(神は、その顔を尊く守られた)』と唱え、『貧しく、背が低く、低い鼻、細い腕』と言っているのであって、そこには少しも彼を低める気持はなく、平均的男性像と比較して形容しただけの詣である。卑しめる気持も、英雄としての力量に相応しく飾りたてるつもりも毛頭ない。

さて十八歳で新しい人生を迎えようとしているファーティマの話に戻ろう。
彼女の迎えた生活が、かなり倹しく厳しいものであったことをムスリム史家たちは誰も否定しようとはしない。
花嫁道具は美しい家具に柔らかな寝具などと言いはしない。
彼女は板のようなべッドにリーフ(ヤシの木の繊維)の詰まったクッション、そして粉挽き臼と水飲み用の食器、少しばかりの香を持参して新居に移ってきたと書いている。

夫は貧しく、妻のために家事の重労働を助け、引き受ける下女を雇ってやることが出来なかった。
彼女はひとりでこの重労働をこなさればならなかった。
アリーには彼女がこのように働き続けるのを見ているのが辛かった。出来るかぎり手助けした。
五歳の年を迎えて以来、彼女の辛く厳しかった生活-囲いの日々、ヒジュラの苦労と努力-その後までも、彼女に残った体力をこの厳しい家事労働が奪っていくのではないかと気掛かりであった。

辛抱を続けていたふたりに好い機会が訪れた。父・預言者がある合戦から凱旋して、戦利品の家畜や捕虜を連れて戻ったという。そこでアリーは妻に言った。

「ファーティマ、あなたが訴える不満は私を悲しくさせる。神が好い機会を下さった。行って、あなたのために一人求めて来たらよい」

粉挽き臼を横において、疲れ切ったファーティマは言った。「そうしますわ」

しばらく、歩く元気が出るまで中庭で休んでから、彼女はスカーフを巻くと疲れた足を引きずって父の家に向かった。
娘を見た預言者は和やかな表情を見せて訊いた。
「娘よ、どうかしたのか?」
「いえ、ご挨拶に来たのです」と彼女は答えた。何のために来たのか、とても言い出す勇気が湧かなかったのだ。

もと来た道を彼女は戻った。父に何か物を頼むのは心苦しいと夫に告げた。

そこでアリーは彼女を連れて預言者の家に行き、気がひけてうな垂れている彼女に代わってお願いをした。

預言者は答えた。
「いや、それは出来ない。ひもじい思いをしているもっと貧しい人びとをほっておいて、あなた方のために捕虜をあげることは出来ないのだ。捕虜を売り、その金額を貧しい人びとのために使いたい・・・」

ふたりは礼を述べて帰った。ふたりの訴えた不満が優しい父の心に触れて、終日それを気に掛けていたことなど二人には分からなかった。

夜更けて、寒さが非常にこたえた。二人は固い床に入って眠ろうとしても、あまりの寒さに眠れずにいた。
すると戸か開いて二人の部屋に使徒が入ってきた。
二人は掛け蒲団に縮まっていて、頭を隠せば足が出て、足を被えば頭が出てしまう。
二人は起き上がって大切な客人を迎えようとしたが、「そのままで」と使徒が制した。

そして二人の生活の厳しい状況を察して同情し、優しく語った。

「あなた方に良い答えを見つけなよ。教えようか?」
「はい」と二人は答えた。
「ジブリール(天使)が私に教えてくれた言葉だ。スブハーナッラー(神に讃えあれ)を祈りの最後に十回、アルハムドリッラー(神に感謝します)を三十三回、アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)を三十三回、そしてベッドに入る前にはスブハーナッラーを三十三回、アルハムドリッラーを三十三回、アッラーフ・アクバルを三十三回唱えるのがよい」

苦難を乗り切るための精神的支えとして、このような個人的なアドバイスを二人に与えて帰っていった。

三分の一世紀を経た後でも、イマーム・アリーは使徒のこの言葉を忘れずに守っていた。
「教えてもらってから、いつも欠かさずやっていた」と言った。教友のひとりが訊いた。
「スィフィーナ(ユーフラティス河畔の地名、戦場となった)で過ごした晩もですか」

アリーははっきりと答えた。「そうだ。スィフィーナの夜もそうした」

この厳しい暮らしがファーティマの健康に差し障ったのは当然であった。
彼女は幼少の頃から、ずっと戦いの真只中を生きてきた。
遊び興じた日々もなく、それに重なった母の死の深い悲しみは彼女の心に暗い影をおとした。
彼女は父・預言者のそばに身を置いて絶えず気を配り、近くにいても遠くにいても父を想い案じた。
心は戦いに出る父のあとを追いかけた。
父に従って遠征に出たときは彼女自身も戦場で働いた。ウフドの活躍で知られるように負傷者の手当をひき受け、瀕死の戦士たちに水を含ませて彼女は走り回った。

このような過去の境遇が、彼女の性格形成に強く影響したこともあったのだろう。
気楽に生きて、明るく楽しんで生活を送る気待にはなれなかったようだ。
恐らくファーティマも父・預言者の家の夫人たちのように振舞おうとしたことだろう。

彼女は信徒の母アーイシャ夫人が、意欲的に明るい家庭を築き、家に戻る英雄を朗かな微笑と心はずむ楽しい会話で迎え入れるのを見ている。

恐らく彼女もそのように心がけようとしたことだろう。
家庭から陰りを追い払い、潤いのある楽しい結婚生活を築き上げようと努力したことだろう。
しかし、父や夫の身を案じるあまり、また自分が、家族が、そしてムスリムたちが受けた忘れがたい苦しみの跡を拭い去ろうとするとき、それ故に家庭におとしてしまう陰りでもあった。
彼女にはそばに彼女を優しく包み込んでくれる温かく、陽気でおおらかな夫が必要であった。
しかしアリーはこのタイプの夫ではなかった。
鋭く、厳格で、頑画といえるほど堅物であり、むしろ粗野で荒けずりな面のある男であった。
ファーティマが心の傷跡を癒すのに柔かな大きな手を必要としたように、アリーだって同じように少年時代からの辛かった日々を忘れさせてくれる優しい肌かな手が欲しかった。深い安らぎが欲しかった。

だから時おり、二人の間に生じる諍の話を聞いても、さ程驚きはしない。
二人の諍はしばしば父・預言者の耳に届き、預言者も気にかけて二人にもう少し辛抱をと論すこともあった。

人びとの話では、ある晩預言者は娘フアーティマの家に出かけたが気が重く心配そうな様子であった。
だがそこで時間を過ごした後出て来たときには、とても明るく爽やかな表情であった。そこで教友のひとりが訊いた。
「神の使徒よ、入るときは沈んでおられたのに、出て来たときのお顔はとても嬉しそうですね!」

預言者は答えた。
「そう、私の一番愛する二人の間を仲直りさせたのだから、とても嬉しいよ」

またあるとき夫の頑固さに苛立ってファーティマ、が言った。
「本当に、使徒様に言いつけるわ」

そして外に飛び出した。アリーは彼女の後を追いかけた。
父の家に来ると、彼女は夫の気に入らぬ点をあげて不平を述べた。
父は優しくなだめてから言い含め、アリーのことを受け入れさせた。

アリーは妻を連れて家路に向かいながら言った。
「あなたの嫌がることはしないよ、絶対に!」

しかし故意ではなかったにしてもファーティマが本当に嫌がることが起きようとした。

ファーティマにとって、夫が、従兄が、もうひとり別の夫人を迎えることほど耐えがたいことかあろうか・・・。

アリーにとってファーティマとの結婚は特別に大切であったものの、シャリーヤ(聖法)で許された範囲の行動ならば問題はないと考えた。
預言者の娘に対しても他のムスリマたちと同じようにシャリーヤが定める多妻制が認められると思った。
恐らく彼はファーティマも多妻をさ程気に留めないであろうと思ったのだろう。
同じようにアーイシャ・ビント・アブーバクルも、ハフサ・ビンド・オマルも、ウンムサラマ・ビント・ザートッラフキブも多妻を受け入れている。
それに、あるとき物を盗んだマフズミーの女が預言者が目をかけているザイド・イブン・パーリサの子ウサーマに頼んで助けてもらおうとしたことがあったが、そのとき預言者は「神が許された範囲での許しだろうか?」と問いかけて、人びとにこう言ったのだ。
「以前の人びとの考えは消滅したのだ。彼らは良き家柄の人々を治し、弱い立場の人々に罰を与えた。神の定めに従って、たとえムハンマドの娘ファーティマが盗んだとしても、同じくその手を切る!」と。

しかし事はアリーの思ったようには進まなかった。
アムル・イブン・ヒシャームの娘との婚約をファーティマに告げると、彼女は激怒し、父もまた娘を想って憤った。
彼の立場は難しいものとなった。

預言者はアリーのその結婚が正統なものであると知っている。
たとえムハンマドの娘ファーティマに対してであっても。
しかしムハンマドの胸中は父親としての情愛から、最愛の娘が多妻に怯えている姿に苦悶した。
娘の受ける苦しい試練に同情した。彼女がこの試練に耐えられないのを知っていた。
できることならアリーよ、一人の妻で辛抱して欲しい。
ちようどその従兄(預言者ムハンマド)がハディージャを失うまで四分の一世紀もの間そうであったように!
そうすれば父親・預言者の立場は楽になる・・・。

大切な娘が悲しみと不安にくれて弱り切っている。怯えながら試練を迎えようとしている。
父はどのようにしてでも、この苦しみを取り除いてやりたいと思ったことだろう。
まぶたを腫らし、不安に眠れぬ日々を送る娘を見て、ぜひ救ってやりたいと思ったことだろう。
しかし預言者が神の許されたことを禁じたり出来るのか?


إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)④

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ヒジュラから数ケ月後、アーイシャがムハンマドの家に嫁いで来てハディージャの座を占めた日、その晩はファーティマは亡き母を偲んで過ごしていたことだろう。恐らくその晩ファーティマは熱い涙を流し続けていたことだろう。
しかし間もなく我が身以上に大切な父が若い花嫁を大変に可愛がり、ハディージャ亡き後五年の間、暗く淋しい時期を過ごしてきた父の心が彼女によって慰められることを知って、ファーティマの気持も落着いた。
父、ムハンマドとアーイシャの結婚は娘にとっても他の人びとにとっても突然の話ではなかった。
この婚約はすでにマッカの時代に取り交わされていた。ハウラ・ビント・ハキームがやって来てこう勧めた日のことであった

「使徒様よ、ハディージャに代わる婦人を迎えてはいかがでしょう」
このとき使徒は彼女を遣わして、サウダ・ビント・ザムア及びアーイシャ・ビント・アブーバクルの二人と同時に婚約をしたのだった。

ファーティマは父・預言者が心を寄せて安らげる愛妻を得たことに異存はなかった。
父が布教のためにいかに苦しい重荷を背負っているかを彼女はよく知っていた。
異郷での父の淋しい想いも、一族の人びととの辛い対立や訣別の悲しみも、よく分かっていた。

サウダがアーイシャより先に嫁いできたが、ファーティマには(恐らく彼女以外の人には感じられなかったろうが)、
預言者の夫としての家庭生活は以前と同じく空虚なものであると思われた。
サウダと結婚したのは、夫アッサクラーン・イブン・アムルに先立たれた彼女を憐れと思い、その苦しみを救うためであった。夫アッサクラーンはハバシャからの帰途、年老いた妻を残して死んだ。
一人残された彼女は苦しかった長い年月と負い重なる不幸に打ちのめされて気力を失っていた。

ファーティマにもサウダにも使徒のの結婚が深い同情心、慈悲の心から出た義務感によるもので、男女の愛の交わりでないことは分かっていた。だからサウダの存在をさ程意識せずにファーティマが『父親のお母さん』の役をそのまま演じていることがでぎたのだった。

しかしアーイシャがやって来たとき、事は全く異った!
だからこそアーイシャが嫁いで四ケ月も経たぬうちに、ファーティマはアリー・イブン・アブーターリブの家に向かったのだ。

アリーはファーティマを妻として預言者の家から迎え入れる相応しい時期を待って、ためらってきたのだった。

何年もの間待ってきたが使徒が愛妻アーイシャを迎え入れると、いよいよ念願を達成する時期だと思った。
だがそれでもなおしばらくの間控えていた。
マハル(結納金)を与えようにも手許に何もなかったからである。
さらにアブーバクルとオマルがファーティマとの結婚を申し込んだところ、父・預言者が丁重に断ったと聞いてますます躊躇してしまった。

それは一大事とアリーの友人たちは彼にファーティマとの婚約申し込みを急ぐべきだと勧めた。
血のつながりの強さ、預言者にとってのアリーの立場、両親の一族における立場を諭して励ました。
父はアブーターリブである。
母ファーティマ・ビント・アサド・イブン・ハーシムはハーシム家の者と結婚してハーシム家の子孫を産んだ最初のハーシム家の婦人である。だがアリーは絶望的な声を出した。「アブーバクルとオマルが申し込んだ後にか?」

人びとは言った。
「なぜだめなのかい? 神に誓って言う。ムスリムの中には、たとえオマルだってアブーバクルだって、あなたほど血筋からみても使徒に近い人はいないではないか。あなたの父が使徒を養育したのだし、あなたの母が彼の養母なのだ。それにあなたは彼の家で養育された。あなたは最初のイスラームの信者だ」

友人たちに励まされ元気づけられて、アリーは従兄の家に向かった。
ムハンマドが出迎えると、イスラーム式の挨拶を済ませてから遠慮がちに何も言わずにそばに坐った。

預言者は兄弟でもあり従弟でもあり友でもあるこの男、が言いにくい事情でやって来たことを察し、優しく尋ねた。

「何の用件だろうか。アリーよ」

小さな声で俯いたままアリーは答えた。

「使徒の娘ファーティマのことで伺いました」

預言者は「マルハバン・ワ・アハラン (それは歓迎だ)」と二語、喜んだ様子であったがそれ以上は何も言わなかった。

無言のままであった。アリーは困惑し、不安のまま預言者のもとを去った。
預言者の返答を持ち帰る自分を待っている友人や家族たちに何と結果を報告すればよいのだろうと・・・。
そこで聞かれるとこう言った。
「分からない。使徒にその話をしたら、「ただマルハバン・ワ・アハランとふた言、言っただけなのだ・・・」

皆は「それで十分だ。そのどちらかー言だけだってO・K・なのだよ」と言った。そしてアリーに期待を持たせて帰って行った。ひとり残されたアリーは坐って深く溜息をついた。

翌日アリーは預言者からあまり遠くない声の届く場所にいてこう言った。
「使徒の娘と婚約を望んでいる旨を告げたが、私には何も資金がない・・・彼との関係の深さを思い起こして申し込みに行ったのだが・・・」

ファーティマの父が顔を向けて、深く同情した様子でこう言ったのでアリーは驚いた。
「何もないのか?」
「使徒よ、私には何もないのです」

そのとき使徒はパドルの戦利品の楯がアリーの手もとにあったのを思い出してアリーに訊いた。
「あの日に与えた楯はどうした?」
アリーはムハンマドの心配りに感激した。
「はい。私のところにあります」
預言者は「それを彼女に上げればよい」と言った。

アリーは急ぎ楯を持ってきた。預言者はそれを売って、その金で結婚の準備をするようにと命じた。
オスマーン・イブン・アッファーンが申し出て楯を四百七十ディルハムで買い、アリーはそれを使徒の前に置いた。
使徒はその手で受け取ると、そのいくらかでビラールに香を買い求めさせ、残りをウンムサラマに渡して結婚の仕度に必要な品々を用意させた。

預言者は教友たちを呼び、慣例に従って四百ミスカルの銀で娘ワァーティマとアリーを結婚させると公言し、彼らはその証人となった。ふたりのために子孫繁栄の祈願がなされ、ハーシム家の花嫁花婿の婚約が成立した。来客たちには棗やしの実が入った器が差し出された。

このように筒単に、質素に、預言者の娘ファーティマと従兄アリーとの結婚がまとまった。
イスラームの栄光に輝く歴史上で最も重要な縁組みがここに成されたのであった。

マディーナにヒジュラしだ年のラジャブ月(第七月)にアクド(契約)が成立し、同じ月に入婚した。ヒジュラ歴の二年目を迎えパドルの戦いから戻って、アリーは自分の家を借りることが出来、そこに花嫁を迎えた。

アブドルムッタリブー族は盛大にこの結婚を祝った。ハムザ(ムハンマドとアリーの叔父) はラクダ二頭を連れてきて犠牲に捧げ、預言者の町(マディーナ)の人びとに振舞った。祝宴が終り人びとがお祝いや言葉を残して立ち去ると、預言者はウンムサラマを呼んで花嫁を連れてアリーの家に行き、そこで自分を待つようにと言った。

ビラールがイシャーの祈り(夜の祈り)のアザーンを呼びかけた。
預言者はムスリムだちとマスジドで礼拝を済ませ、その足でアリーの家に向かった。

そこで水を求めて、それにクルアーンの一節を詠み上げ、花嫁と花婿に飲むように勧めた。残りの水で清めを行ない、ふたりの頭に振り掛けた。その後帰り際にこう言った。
「神よ、ふたりに祝福を・・・。そして子孫を恵み給え・・・」

ファーティマは涙を堪えぎれなかった。父は少しの間足を止めて娘を気遣った。
最も信頼できる男であり、信仰厚く知性も人格もこの上ない人物のもとに残すのであっても、父にはやはり娘が気になった。

花嫁を残して父が去ると、ハディージャの幻が初夜の花嫁を優しく見守って父との別れの淋しさ、母のいない悲しさをいたわるのだった。

神は預言者の祈順に応えて、この結婚に預言者の子孫を授けられた。

إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)③

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ヤスリブヘの旅も無事平穏ではなかった。マッカの町を出て閻もなくラクダが北に向かってはぐれ、一隊と離れてしまった。
クライシュの嫌がらせが追いかけてきた。マッカで預言者を悩ませてきた一人、アルフワイルス・イブン・ナキーズが現れてふたりにまつわりつき、ラクダを刺して驚したために、ふたりは砂上に投げ出されてしまった。

ファーティマはその頃、細く弱い身体であった。成長期に遭遇した数々の苦難の出来事ゆえに体の発育が遅れてしまったのだろう。囲いの苦しい生活は彼女の健康に影響し、精神的には強くなっていったが身体は丈夫とはいえなかった。
アルフワイルスがラクダを突ついたため、砂漠の奥地に投げ出された二人は残りの道を足を引きずり歩かねばならなかった。マディーナに到着したときの二人はぐったりと疲れ果てていた。マディーナの皆がアルフワイルスを呪った。
何年か過ぎた後も、父・預言者はこのときの出来事を忘れずにいた。
ヒジュラ歴八年、マッカ征服の大勝利の日に、預言者が次の者は、もしカアバの覆いの下に隠れたとしても見つけ出したら殺せと命じて詠み上げた名簿の中にアルフワイルスの名があった。

アリー・イブン・アブーターリブはアルフヮイルスヘの復讐に使命を燃やし、使命を全うした。
預言者はマディーナで住まいとマスジドが完成されるまでの間、愛用のラクダ・カスワーが歩みを止めた場所-アンサールのアブーアイユーブの館-に滞在した。
この館はアブーアイユーブが死んでから、その使用人アフラフのものとなっていたので、アルムギーラ・イブン・アブドッラハマーン・イブン・ハーリス・イブン・ヒシャームが千ディルハムで買い求め、修繕して町の貧しい人びとを何人か住まわせていた。

預言者は住まいとマスジドの建立に精出して働いた。ムハージルたちもアンサールもそれに刺激されて、こう歌いながら競って仕事に励むのだった。

「預言者が精を出し、我々が坐っていられようか。
 とんでもないこと、そんなことは出来ないさ」
 ムスリムたちがそれに応えて歌う。
 「来世の幸せなくして、何の人生ぞ。
 アッラーよ、ムハージルとアンサールに慈愛を垂れ給え」

話では、そのとき使徒は重い日干しフンガの荷を運んできたアンマール・イブン・ヤーセルの頭髪にかかった埃をその手で払っていたという。

アリー・イブン・アブーターリブが声を張り上げて歌うのが聴かれた。
 「立って坐って働いて、
 マスジド建立に尽す仲間には、
 埃まみれが相応しい(埃から遠ざかろうとする者は神の御前で平等には扱われない)・・・」

ひき継いでアンマールがこの歌をマスジド完成の日まで歌い続けたという。

新しい住まいは立派な城ではなかった。マスジドの中庭に面した質素な長屋風の建物であった。ある家は石を積み上げて築いたもの、またある家はシュロの木を粘土で固定して作られた。どの家もシュロの葉で屋根が葺いてあった。

その高さは預言者の孫であるファーティマの息子ハサン・イブン・アリーが語ったところに拠ると・・・
「預言者の家に入ると、私はまだ十代の少年であったけど、手が天井に届いた・・・」

アルブハーリーのハディース集には・・・預言者の家の戸は爪でひっ掻いただけで開いてしまう、すなわちドアの周囲に縁がないのだ!・・・とある。

家具もまた、その当時のマディーナの暮らしにしてもかなり粗末で簡素なものであった。
彼のベッドはりーフが敷かれただけの紙切れであった。

この質素な新しい住まいにファーティマがマッカからやって来た。
そして今や指導者として尊敬される地位を得た父と安住したムハージルたちに会った。
異郷での淋しい生活を慰め合いお互いに助け合おうと、アンサールとムハージルたちのそれぞれが兄弟となった。
この兄弟の契りはファーティマがマッカから移り住む前に行なわれたものだった。
仮にそのとき彼女がそこに居合わせたとしても、父が教友たちにこう言ったのを少しも不思議と思わず受けとめていたことだろう。
「それぞれ信仰上の兄弟となりなさい」そしてアリーの手を取って言った。
「これは私の兄弟……」 そしてジャアファル(そのときまだハパシャにいた)のためにムアーズ・イブン・ジャバルを、アブーバクルにはハーリジャ・イブン・ズバイル・アルハズラジーを、オマル・イブン・アルハックーブにはイトバーン・イブン・マーリク・アルアウワィーを、アブーオバイダ・イブン・アルジャラーフにはサイード・イブン・ムアーズを、そしてオスマーン・イブン・アッファーンにはアウス・イブン・サービトを、そしてズハイル・イブン・アルアッワームにはサラマ・イブン・サラーマを・・・のようにしてムハージルたちにはそれぞれ兄弟ができた。

アリー・イブン・アブークーリブは預言者の兄弟となったのだ!

また遠からず、我々はこのアリーが兄弟となった預言者の最愛の娘の夫となって、より深い絆で結ばれたのを知ることになる。

当時ファーティマは十八歳になろうとしていたが、彼女にまだ結婚の意志はなかった。
その昔最愛の姉ザイナプが幼ない自分を残してアブールアースの家に嫁いで行ってしまった日の感傷から影響を受けた点は見逃せない。すでに年月が径ち、幼ない少女は大人に成長し、結婚の意義を知った。
ハディージャも、ザイナブも、そしてルカイヤもウンムクルスームも、すべての女が心に留めたようにこの自然の仕組みを受け入れる準備は彼女にも自然と出来ていた。

新しい住まいに移ってから、従兄のアリーが今まで以上に身近な人と感じられるようになった。
アリーが父・預言者と常に一緒に行動しながら、言葉に出さず胸にしまってある想いを彼女は感じとった。
ファーティマには従兄の胸の中の秘密が読みとれた。適齢期を迎えて以来彼女は自分の心の呼びかけを聴いている。
アリーは自分に関心を持ち、自分以外の誰をも念頭に置いていないのだと・・・。

アリーは彼女の一番身近な人、最も頼りになる人であった。彼は同胞以上の人、血のつながった従兄である・・・クライシュの青年の中でも勇気と知性、意志の強さは秀でており、誰よりも早くイスラームに帰依した預言者に一番近い教友である。

しかしながら彼女の心の扉は他の男性にも開かれなかったように、アリーに対しても閉じられていた。
最愛の父の傍らで暮らすこと、父の家における自分の役割に固執していただめかもしれない。
彼女は母ハディージャ亡き後の家庭を守る主婦であると、いつも英雄を励まし労わった亡き母の跡を継ぐ者であると、自負していた。そのためファーティマには『父親のお母さん』の呼称がつけられたほどだ。

実にこれ以上の名誉な立場があるだろうか!だが、一体いつまで・・・?

これはフアーティマが考えてもみないことであった。否、考えたことはあったかもしれない。
しかし、いつか先行き将来に迎える出来事として気に掛けなかった。
今現在の自分の立場を疎かにしたくなかったからであった。

妻として主婦としてアーイシャ・ビント・アブーバクルがムハンマドの家庭に入ってくると、ファーティマは好むと好まざるとに拘らず父の家を出る時が来たと悟ることになった。若く美しく賢い妻に主婦の座を明け渡すためであった!


إن شاء الله
続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)②

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

彼の部族であるクライシュの人びとへの呼びかけに始まり、血筋を共にする一門のマナーワの人びと、そして叔父・叔母であるアッバースとサフィーヤ、そして最後に娘ファーティマの名があげられた。
父はこの尊い教訓の讐えに彼女の名を採り上げた。そしてこの教訓は彼女の名で締めくくられた。
ムハンマドが最も大切に思う娘のファーティマにさえ何もしてあげることが出来ないなら、一体誰を-否、誰であろうとも-神の定めから救うことが出来ようか?
サヒーフ(公認の伝承)に拠ると、預言者はこう言った・・・
「ファーティマは私の一部。彼女を苦しめることは私を苦しめること、彼女を恐れさせることは私を恐れさせる・・・」
「この世に生きた最も良き四人の女性、マリヤム(聖母マリア)、アーシア(幼ないモーゼを救い育てたファラオの妻)、ハディージャ、そしてファーティマ」
「神はあなた(ファーティマ)が満足なら満足なさる。あなたが怒れば、それに対してお怒りになる・・・」

イブン・ジャリージュの話では・・・
「彼は私に何度か話してくれた。ファーティマは預言者の末娘で彼が一番愛した娘だと」

先に一部の東洋学者が使徒伝やハディース集に満載された預言者の娘ファーティマに寄せる愛情物語について批判し、これらの話はシーア派の教義が発展していった段階でイスラーム史上に大きな反響をねらって創り上げられた話だと主張したと述べたが、この件でラーマンスはこう言った。
「ムスリム史家たちはファーティマのことは初め念頭に入れなかった。しかしイスラームにシーア派の思想が浸透してくると彼女に関心が集まった。彼女の姉たちについては相変わらず何も書かれなかったが、ファーティマに関しては時代を遡り、ハディースに様々な物語が加えられた」

ムスリムのオマル・アブールナセル氏がラーマンスの主張にこう反論している。

「使徒伝の著者たちがファーティマについて、またその姉妹の預言者の娘たちについて記さなかったのは彼らがイスラームや預言者の教えを重点的に書き残そうとしたためであって、イスラームの教義や発展そのものは預言者の娘たちと直接に関係ないからである。特に娘たちが聖戦に加わって目覚しい戦績を残したわけではないし、預言者の打ち出した政策やシャリーア(聖法)においても、著者が詳細に彼女たちの記録を残さればならぬほど重要な存在ではなかったのだ。よって自然に大事と思われた事柄以外に彼女たちにまつわる記事は残されてないのである」

だがこの応答ではラーマンスの主張を覆すことにはならない。氏はこう応じるべきであった・・・、
まずファーティマが『父親のお母さん』と呼ばれたほどに預言者の愛と信頼を得ていた件については、
これは初期の口承の時代を代表する人びとや、使徒伝の研究者や創教時代の歴史家たちの、預言者・教友たちの時代までの正統なイスナードを持つ信頼のおける記録から採って、今日の我々た伝えている話なのだと。

これらの古い文献は各時代の代表的な学者・批評家たちが引き継いで研究を重ね、正統な理論に基いて編集された信憑性の高い史料である。内容的にも、イスナードの点からも、信憑性の十分高いもので、この根拠に欠けた主張への応答として、これ以上付け加える必要はあるまい。意固地な東洋学者のグループに示そうか『首飾りの話』で使徒が「私の一番好きな人に・・・」と言いながら、孫娘のウマーマ・ビント・アプールアースに首飾りをかけてあげた話を・・・。
このハディースには誰も文句をつけなかったのに、実の娘ファーティマヘの愛についてはあらゆる記録と史実を結んでいる糸を断ち切ろうとする。そして、おかしなことに同じ出典の物語であるのに、彼らは首飾りの話は信頼できるものとして鵜呑みにし、ファーティマ夫人にまつわる話には疑いを持ってかかる。

彼らが冷静に理性的に見たならば、首飾りの話は母のザイナブ夫人を亡くした幼ない孫娘を不胴に想う預言者の優しい同情の気持が表われた話としてみたことだろう。預言者はいつも家族や身近かな女たちのことを心に掛けていたのだと・・・。そして別の折に錦織りの布地が贈られてきたときに、アリーにこう言っている、預言者を発見できたことだろう。
「ファー・ァィマたちに分けてあげなさい」そこでアリーは布地を四等分して、その一枚をファーティマ・ビント・ムハンマドに、二枚目をファーティマ・ビント・アサド(アブーターリブの妻で、アリー、ジャアファル、オカイル兄弟の母) に、三枚目をファーティマ・ビント・ハムザに、そして四枚目をファーティマ・ビント・アブーターリブ (ウンムハーニー) に与えた。
別のハディースでファーティマ・ビント・シャイバ(オカイル・イプン・アブーターリブの妻)に与えたとも言われているが

では、どうしてファーティマは父親にこんなに大切にされたのだろう。

これはファーティマについて書こうとする者に必ず問われる問題点である。
それなのに一部の東洋学者はムハンマドのファーティマに寄せる深い愛を記す物語は、その死後に生まれたシーア派の創作物語だなどと勝手にいとも簡単に片づけている。だが、あまり驚きもするまい。
このようにイスラームの史実を勝手にねじ曲げて独断の色に染めたとしても、我々はそれを非難したりはしない。
彼らも人の子、独断と偏見からは逃れられまい。
ただ残念に思うのは彼らが研究に十分な努力と熱意を持たなかったことだ。この二つは良き研究成果を産むために必要であった。たとえ偏見の誤ちを含んでいたとしてもである。

誠実な研究者は即座にてっとり早く採り上げるなどということはしない。
深く見据えて遠く成果を求めて行こうとするはずである。
預言者の四番目の娘への愛も、男性優位の当時のアラブの社会的背景と結んで考えてみようとすることだろう。
恐らくファーティマへの愛には、三人姉妹に続いて誕生した女児として周囲から望まれずに迎えられた者に対するムハンマドの深い同情の心が秘められていたのであろう。この点も見逃してはなるまい。

ムハンマドはその大きく温かい父性と人間性ゆえに、望まれずに迎えられたこの娘に十分な愛情を注ぐことが出来た。
また彼女が望まれぬ誕生であったなど夢にも思うことなく過ごせるよう、大きな愛情で包み込むことが出来た。
我々母親の身であっても二番目も女児、三番目も女児の誕生を迎えたときには、深い母性愛を試みられるではないか。
それでは愛しい父であり、使徒として選ばれ送られた者の立場はどうであったのだろう。
彼のような人は必ずやその娘から『四番目も女の子』の暗い誕生の陰を払い除けようとするだろう。
だからファーティマの特別な存在は他の三人の姉妹たちへの父の愛情を失なわせるようなものではなかったのだ。
父の愛を一身に受けたファーティマの幸運は三人の姉妹を失った後に倍増したものと思われる。
さらにハサンフセインの二人の息子を産むと、たった一人残った末娘に授かった二人の息子のみが子孫となったことからも、より一層深く大きく愛されたのだろう!

ファーティマはハディージャ夫人のもとへ飛んで行って告げたことだろう。
「ほんとうに、私はこの上なく幸せなの! この胸に入りきれない程の喜びよ! だって、お父様が人びとの前でこう呼びかけたのですもの。皆々よ、自分の心を買いなさい。誰も神の定めに対しては何も出来ない。ファーティマ・ビント・ムハンマドのためであっても、父・預言者は何もしてあげられないのだ。彼女に信仰する心がないのなら・・・」

彼女は神を信じ、その預言者・使徒を信じた。そして自分の人生を来世のために、永遠の幸福を買うために捧げようと決めた。

温かい優しい手で母は小さな娘の額をなで、静かにつぶやくのだった。
「私は今日・明日とも知れない命、そして充分な人生だった・・・。
姉たちザイナブとルカイヤの二人は良き夫のもとで暮らして私は安心。ウンムクルスームはすでに大きいし経験もあってもう大丈夫でしょう。でもファーティマよ、あなたはこんな幼ない時期から、こうやって苦労を覚悟の人生に向かうのですね・・・」

偉大な父の任務を思い、ファーティマはこう答えた。
「安心して下さい。私のことは少しも心配要らないわ。クライシュの邪教徒がどんなに激しく弾圧しようとしても、そんな圧力にムスリマの心は乱されたりしないわ。ファーティマは預言者の一番深い愛を受ける幸運を望んでいるの。預言者への忠誠の心があるがら耐えられるのよ」

神は彼女の願いに応えられた。彼女の信仰心を厳しく試みられた。彼女を父親と共に歩ませた。
父親に投げかけられる惨禍を目のあたりに見せた。父親に従う人びとが受ける苦しみで彼女をも苦しませた。
猛暑の季節、彼らの上に置かれた焼けるほどの岩石の熱さ重さを、彼女もまた同じように感じていた。
クライシュが無力な下層の人びとの背に打ちおろす鞭の痛みを、彼女もその肌に感じていた。

ファーティマは父と共にアブーターリブの山麓谷へ移った。辛い囲いの生活に何年も耐えた。
囲いが解けてマッカに戻ってからは母ハディージャの死に会った。
マッカに居場所のなくなった父はヤスリブヘのがれた。その後を追って従兄のアリーが三日遅れで旅立った。
一足早く発った預言者に代わって、預言者のもとにあった人びとの預り物等の返却を済ませるためであった。

ファーティマとウンムクルスーム姉妹はマッカにとどまり、父の使いがヤスリブから迎えに来る日を待った。
そしてついにマッカのムハンマドの家の戸が閉められた。ヒジュラしたムスリムの家々の戸も閉められた。
そこにはもう誰も住む人々はいない・・・。


إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)①

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

「預言者の娘たち」は現在在庫がなく、再販の予定も今のところないようなので、他のサイトで紹介されていたものがありましたので、こちらでも一部ご紹介します。


「父親のお母さん」と呼ばれた娘



彼女は男児を尊ぶ当時の社会環境にあって四番目の女児として誕生した。
創教の五年前であった。
以来、彼女は父に続いてイスラーム史上に輝かしく登場して後世にはかり知れない影響を残して逝った。

神は彼女の誕生を晴れある出来事に重ねられた。
それはカアバ再建の折、黒石を納める栄誉をめぐって仲間割れが生じていたのだが、その仲裁役にクライシュの人びとがムハンマドを選んだことであった。
この記念すべき日に重なった娘の誕生をムハンマドはことのほか大切に思い慶び祝った。
すでに女児三人が生まれた後で女児の誕生を祝うことなど、マッカではまず考えられないことであったろう。
幼少の時代は両親の深い愛に育まれ、優しい姉たちに甘えて幸福に過ごした。
ことに長女ザイナブは彼女の小さなもうひとりのお母さんであった。

ザイナブが従兄のアプールアースの家に嫁いで間もなく、ルカイヤとウンムクルスームがアブドルオッザー・イブン・アブドルムッタリブの息子たちと結婚し、相次いで姉妹たちが家を離れてしまった日々をファーティマは淋しい想いで過ごしていた。幼ない彼女には娘を両親や兄弟姉妹と引き離してしまう結婚というものの意義がよく理解できなかった。
このことは長く彼女の心に掛かっていて、無邪気な彼女の心の底に大きく跡を残してしまった。
さらに当時家族が遭遇した事態ゆえに、その跡は一層深く心に沈んでしまった・・・。
父は俗世界から身を遠ざけ、孤独な瞑想の世界に競った。
母もまた最愛の夫と同じ道を歩み、父が一緒のときは細かく気を配り、不在のときはその後を心で追う毎日であった。
三人の姉たちは新居に移って結婚生活を送っていたので、ファーティマはほとんどの時をひとりでいることが多かった。
彼女を独りぼっちにさせるこれらの出来事をあれこれと考えをめぐらして過ごすのだったが、それが自然と彼女の性格形成にも影響を及ぼした。

彼女は父が実の息子のように大事にした従兄のアリー・イブン・アブーターリプを兄とも友とも思い、特別な親しみを抱いてきた。アリーとは年齢が四歳程しか違わなかったので、自分が結婚についてあれこれ考えたことなど、とても気恥ずかしくて話題に出来なかったであろう。仮に話し合ってみたいと考えたとしても、とても彼女から口に出して話題にすることは出来なかったであろう。
そのうち定めの時が到来して、アラビア半島は揺れ動いた。ファーティマももはやあれこれ思いめぐらしてなどいられなくなった。夢見る少女は否応無しに目覚めねばならなかった。父に下された神の啓示に続いて、彼女の周辺でめまぐるしく様々な出来事が起きた。

彼女は五歳そこそこであったが、苦難に直面した自分を知った。
卑劣な偶像信仰者たちが新しい教えに対抗して巻き起こした嵐の真只中に立たされた自分を知った。

彼女は楽しい遊びの時間を失っても、何の苦労もなく過ごした幸せな日々がこのように急に消えうせてしまっても、泣き悲しんだりなどしなかった。彼女は喜んで幼年期を卒業した。ためらいなく友だちとの遊びから身を引いた。幼ない年齢であっても神に選ばれて使徒となった父への娘としての義務を自覚し、すすんで新しい人生を受け入れた。これから背負うべき重荷もわかった。抑圧された僅かな数の人びとのみを味方として、信仰以外に何の武器も持たずに、クライシュの全勢力に立ち向かう英雄たちの間に自分の人生を求めた。

もはや以前の独りぼっちの感情はなかった。
イスラームが自分と選ばれた父・預言者、信徒の母ハディージャ、ムスリマの同胞たちとを血縁よりも強くかたく結びつけていた。ムハンマドの家族は誰もがそれぞれの雑念を忘れて一つの宗教のもとに集まった。
唯一絶対なる神を敬い崇め、その至高の 神に祈りひれ伏し、神以外の何者をも畏れない・・・。

兄と慕うアリーがイスラームに最も早く帰依した三人のひとりであったことが彼女には嬉しかった。
ふたりが別々の宗教に従って暮らすことや、アリーなくしてイスラームの恩寵を受けることなど、彼女にはとても考えられないことであった。

彼女はハーシム宗の長老アブーターリブも、ぜひイスラームに帰依して欲しいと祈った。長老には父・預言者もこう言った。
「あなたこそ、私は心からこの忠告を伝え、神の導きに呼びかけたい人なのです。最もそれに相応しい方であり、それに応えて欲しい方です・・・」と。

彼女はまた姉の夫である従兄のアブールアースもぜひイスラームに入信して欲しいと願う。
いやハーシム家の人びと全員が入信してくれたらと順う。彼らは父の生家の人びと、同じ血でつながった親戚の人びとである。彼らと訣別することは何よりも辛いことにちがいない。まして戦い合うことなど、父には堪え難いことであろう。

しかしながら神は預言者の一族に苦しい試練を与えて試みられた。至大至高の尊い計らいから、選ばれた使徒を確固たる信念、揺るぎない信仰と献身の理想像に創り上げようとなさった。

また神はファーティマ・ビント・ムハンマドに大変な苦難の試みを与えられた上で、最も尊い愛を得る幸運を彼女に授けられた。幼ない頃から聖なる戦いの渦中を生き抜き、姉たちが皆、世を去ってしまった後も父と共に生きて、この英雄が天の使いに召されて逝くまでの一部始終を見届けたのだった。彼女はそれらの出来事すべてに相応しい人だった・・・。

遊び場から、友達からも離れて父の傍らに自分の身を置いた幼ない彼女は、父について家を出た。
クライシュの居住区の東へ西へ出向いて神の教えを伝道する父は、その度に低俗な嫌がらせや陰謀に出会う。

彼女は父のすぐ近くに立っていた。父はカアバに向かって進み、神殿の黒石に口づけした。すると彼を見つけた邪教徒たちが集団になって襲いかかって来た。彼をとり囲み、こう言らだ。「お前がこうこう言う奴か・・・?」

預言者が「そうだ。私がそう説いた者だ」と答えた。

ファーティマは気をしっかりと持った。彼女は男たちの一人が父の服の胸ぐらを掴んだのを見て足が竦んでしまった。
そのときアブバクルが立ち上がり、こう戒めた。

「神をアッラーと呼ぶ故にこの男を殺すつもりなのか?」

彼らは怒りに燃えた目で睨みつけた。そして彼の髭をひっ張り、頭を殴打すると去って行った。

ムハンマドはカアバを出て道を歩いた。近くを娘がついて歩いた。
道で出会う人びとは、自由人も奴隷も、彼をにせ預言者呼ばわりして罵倒を浴びせる。家に辿り着くまでにすっかり傷つき、疲れ果て、床に入ると毛布にくるまった。

ある日、彼女は父の近くに立って注意深く気を配っていた。
ハラム(カアバの周辺)で礼拝してひれ伏すと、そばに何人か多神教徒たちがいて、そのうちのオクバ・イブン・アブームイートがひれ伏した背中に汚れた動物の臓物の皮を投げた。娘が来てその皮を取り払いながら、卑劣な行為を罵ると、預言者は顔を上げ、こう言った。
「クライシュの面々、アブージャフル・イブン・ヒシャーム、オトバ・イブン・ラビーア、オクバ・イプン・アプームイート、それにウバイヤ・イブン・ハルフ、彼らの上に呪いあれ!」

多神教徒たちはその祈祷に恐れをなし、怒りに燃えた視線を投げつけた。預言者は礼拝を終えて家に帰った。娘ファーティマが後をついて行った。

その後何年も経ずして、ファーティマは父がこのときの祈祷の中で神に戒めを求めたこれらの人びとが、パドルの水場の周囲に殺され倒れているのを見た。

使徒がクライシュの人びとの問に出向いて伝道したある日のこと、ファーティマもやはりそこにいた。
それは『あなたの近親者に警告しなさい(クルアーン第二六章二一四節)』の神の御言葉が下された日であった。
「クライシュの人びとよ、神を信じ、善行にいそしみ徳を買いなさい。神の定め(懲罰)の前には私は無力で何もできない。アブドマナーフの子孫たちよ、私は神に代わってあなた方に何もしてあげられない。アドハース・イブン・アブドルムッタリブよ、私は神に代って、何もしてあげることができないのだ。叔母サフィーヤよ、私は何もしてあげられない。愛する娘ファーティマ・ビント・ムハンマドよ、私に出来ることなら何でもしてあげたい。だがあなたがいかに私に乞い願っても、私は神の定めの前には無力でどうすることもできないのだ・・・」

ファーティマの胸は打たれた。心の内で叫んだ。
「お父様、私はあなたと一緒に参ります・・・」

彼女は気をしっかりと持ち、華奢な体に徴笑みを浮かべて誇らしく人びとの中を歩いた。
父・預言者は姉妹の中から特に自分を選んで、いや家族の人びとの中から特に自分を選んで譬えとし、彼にとって最も身近かで大切な者であっても神を信じなければどうしてあげることも出来ないのだと人びとに伝えたかったのだと・・・。



إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام