満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその6

2006-08-26 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

賞賛に値する人格、性質について(心と行い、親切、挨拶)[その1]

 アブー・フライラ(رضى الله عنه)によるとみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。
「アッラーはあなたがたの体をご覧になっているのでも、容姿をご覧になっているのでもありません。あなたがたの心と行いをご覧になっているのです。」
(ムスリムによる伝承)

 聖クルアーンに
「本当にわれは、人間を最も美しい姿に創った。」(無花果章95章4節)
とあるようにアッラーは人間に晴れ着を着させるごとく美しい体にしてくれたのです。ところがアッラーが見られるのは容姿ではなく、人の心であり人の行為であるというのです。そして
「本当のそれ(魂)を清める者は成功し、それを汚す者は滅びる。」(太陽章91章9-10節)
となり、人の心と行いが魂を清める道であり、人生の目的だと教えています。人は美しい姿にふさわしい心の成長と立居、振舞いを求められているわけです。
 この心をどう磨いていくべきかについていくつのもハディース(以下「」内に表示)があります。

  賞賛に値する人については
「最も優れた者は最も性格がよい者です。」
とあり、アッラーが好まれる二つの性格は
「温和と寛容です。」
と述べています。温和については
「ある男が預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に『助言を下さい。』と言うと『怒らないことです。』と言われた。」
 高ぶる感情をコントロールすることは難しいことです。怒りを静めるため
「アウーズ ビ=ッ=ラーヒ ミナ=ッ=シャイターニ=ッ=ラジーム(私は忌まわしき悪魔から逃れてアッラーに救いを求めまつる)」
と言うのも一つの方法です。

次に「アッラーは思いやり深く、親切を愛される。」、「親切の欠けた者には、あらゆる美点が欠けています。」と親切心は美点の大本となっています。
 
 ある男がアッラーのみ使いに(صلى الله عليه و سلم)に
「イスラームにおいて最善のことはなんですか。」
と尋ねると、
「人を食事に招待し、顔見知りの者にも見知らぬ者にも挨拶することです。」
と答えています。挨拶のマナーについては
「乗り物に乗っている者が歩いている者に挨拶し、歩いている者が座っている者に、また少数の者が多数の者に挨拶するように。」「年下の者が年上の者に挨拶するように。」
と具体的にルールを示し、
「至高なるアッラーに最も近い者とは、最初に挨拶をかける者です。」
とされています。
 さらに人(ムスリム)として行うべき事については、
「ムスリムはムスリムに対し六つの特質を持っています。病気になったら見舞うこと、人が亡くなったら葬儀に参列すること、招待に応じること、出会ったら挨拶する事、くしゃみをしたらアッラーの祝福を祈る事、その者がその場にいなくてもその者に対し誠実である事です。」
「あなたがたは信仰心を持つまで楽園に入ることはありません。互いに愛し合うようになる迄信仰を持つようにはなりません。互いに愛し合うようになる行為について教えましょうか。挨拶を交わすことです。」
とあり挨拶を重視しています。それでイスラームでは挨拶の言葉アッサラーム・アライクム(あなた方に平安ありますように)を大事にしてきました。

アッラーのご加護と祝福がありますように

والسلام

200のハディースその5

2006-08-20 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

審判の日と天国の民、業火(地獄)の民について(その2)

 アブー・フライラ(رضى الله عنه)によるとみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。
「剣で自らの命を絶つ者は、その剣を手に持って自分の腹を突き刺し地獄の火の中に永住することになる。毒を飲んで自らの命を絶つ者は、地獄の火の中で永遠にそれを飲み続けることになる。山から身を投じて命を絶つ者は、地獄の火に身を投じて永遠にそこに永住することになる」
(ムスリムによる伝承)

 聖クルアーンに
「またあなたがた自身を、殺し(たり害し)たりしてはならない。誠にアッラーはあなたがたに慈悲深くあられる。」
(婦人章4章29節)
とあるように、アッラーの慈悲を裏切る行為は避けなければならない。
「アッラーの慈悲に絶望してはならない。」
(集団章39章53節)
のである。

 WHO(世界保健機構)の世界の自殺率統計によるとムスリム諸国での発生率は非常に少ないが、日本では自殺者が毎年三万人にも達し交通事故死の三倍を超えており、自殺率から見ると日本は世界のトップに入っている。日本は古くは万葉集に激務から自殺を図った部下の死を嘆いた歌があり、奈良時代から仕事や人間関係を苦に自殺を図ったことがわかるが、その行為に対し周りの人は嫌悪感を抱く様子はなく、人生を結末を自殺という形で見出す人がかなりいたこと、それも身の処し方、生き方の一つとして容認してきた日本的風土があったように思う。
 厚生労働省の自殺予防対策の報告書によると、自殺の原因・動機としては、うつ病をはじめとする精神疾患が最も多く、経済的・生活問題、家庭問題がこれに続いている。特に近年の自殺の増加の原因は、生きる意味・希望といった精神面での欲求が満たされ難くなっている面や職場や地域において人と人のつながりや絆が薄れ、仲間作りが困難な状況になっていることなどが挙げられている。
 専門家によると自殺防止の鍵は、悩み苦しむ人の話に耳を傾け心を寄り添う「共感」と「傾聴」にあるという。一人ぼっちと孤独を感じている人には、いつも誰かに見守られている安心感が必要になる。人がそばにいてくれて、話を聞いてくれるだけでいいという。
 これに関して、イスラームには仲間意識や連帯感を強める教えは多い。
「互いに憎みあったり、嫉妬し合ったり、敵対しあってはいけない。アッラーの僕たちよ、あなた方は互いの兄弟になりなさい。そしてムスリムは彼の兄弟と三日以上疎遠になってはならない。」
「隣人がかたわらで空腹を抱えている時に腹一杯食べる者は、信者ではない。」
「互いに行為を抱き合い、慈しみ合い、思いやる関係にいる信者は一つの体のようなものだ。もし体の一部が痛めば全体が不眠と熱で反応する」
(以上ムスリムによる伝承)
 このように人を孤立させず、人の苦痛を感じ取り、人間が孤独に陥り生きる力を失わないように支え助け合い、相手を思いやること(ビッル)をイスラームは勧めている。

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام


200のハディースその4

2006-08-19 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

審判の日と天国の民、業火(地獄)の民について

 ウサーマ(رضى الله عنه)によると預言者(صلى الله عليه و سلم)は言われた。
「私が天国の入り口に立つと、そこに入って行った者の大半が貧乏人たちで、金持ちは入り口のところで引き留められていました。一方、業火の住民が地獄に行くように命ぜられていました。そこに入って行った者の大半は女性でした。」
(アル・ブハーリーとムスリムの伝承)

 天国と地獄に関する沢山の伝承記録が残っていることから、千年前の人々にとり終末や死後の世界は、我々現代の人間が想像するより何倍もの関心事であったに違いない。
 この伝承は天国や地獄に入る人たちを述べている。生活の貧しさに耐えた人が金持ちより先に天国に入ることは人情として理解できるが、地獄の大半が女性というのは驚かされる。なぜ、女性がと疑問がよぎる。なぜならイスラームに最初に入信したのは女性ー預言者(صلى الله عليه و سلم)の妻ーではなかったか。そして、預言者(صلى الله عليه و سلم)や教友たちが故郷を追われながらもイスラームの公布活動を続けられたのは妻たちの支えがあったからだと思うからである。
 この理由を知るのに手がかりとなる他の伝承がある。----それで人々は尋ねた。「アッラーの使徒よ。どうしてですか?」「恩知らずだからです。」「アッラーに対して忘恩でしょうか?」「夫に恩を感じないのと、善行をありがたく思わないからです。たとえ、生涯を通して優しくしても何か不快なものをみると、『私はあなたから、何も良い事をして貰ったことがなかったわ』と言うでしょう」
(アル・ブハーリーの伝承)

 このように、毎日平穏な生活ができているのに感謝せず不平不満を述べることを戒めているのだ。結婚は信仰の半分の成就とするイスラームの教えにとり、夫婦不仲や家庭不和の原因を作るのは信仰の半分を失うことになりかねない。また子供を育てる母親の役割は計りしれないことを思うと、母親が父親に対し不満を募らせることにより親子の信頼感をも薄めてしまうことになりかねない。
 こう読んでいくと、家庭の和のためになすべきことを考えさせるのがこの話の主旨かもしれない。そうすると、これは女性に限らず男性にも同じく考えることを促している。
例えば、妻の話をじっくり聞こうとしない男たちはいないかと。彼らも妻や家庭を軽んじている責任を問われるだろう。普段から妻と会話をしていれば不満の多くは解消されよう。相手に対し心底からの思いやりを持つことが問題を解決する。
 この伝承は、夫も妻もそれぞれの責任を果たし、相手を正しく評価すれば、夫婦の絆、家庭の絆が強まることを暗示している。結婚はゴールではない。夫婦愛、家族愛を育ませるスタートなのだ。また、普段の生活の中で何がアッラーの意に沿い、何がアッラーの意に沿わないかを知る手がかりを与えてくれる伝承といえる。

 「アッラーと来世を信じる者は、もし何かを見かけた場合は、それに関し、よい言葉で話すか、さもなければ沈黙を守りなさい。女性には親切にしなさい。」
(ムスリムの伝承)

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام

200のハディースその3

2006-08-02 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عيكم

最後(終末)の時の徴(前兆)

 アブー・フライラ(رضى الله عنه)は預言者(صلى الله عليه و سلم)がこう言われたと伝えている。
「自分の手にしたものが法によって許されているか、禁じられているかを気にかけないような時が人の上にいずれやって来ます。」
(アル=ブハーリーの伝承)
 同じくアブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、
「私の生命を御手にもつ方に誓って。殺人者がどうして殺人を行ったのか分からず、犠牲者がなぜ犠牲になったのかを知らないほど人々が混乱した時代が来るだろう。」(日本ムスリム協会編「日訳サヒーフ ムスリム」「試練と最後の時の書」)

 またアナス(رضى الله عنه)は伝えている。
「最後の時の徴として、(宗教的)知識が乏しくなり、無知が蔓延し、飲酒が広まり、姦通が増え、男が減り女が増え、50人の女に一人の保護者ということになります。」
(アル=ブハーリーの伝承)

 この終末に関する伝承は人間が自ら招き寄せる徴について述べている。伝承の中には今の日本の姿に近いものもある。法意識の欠如から賞味期限や原産地を偽った食品会社、自社株の虚偽記載などにより信用を失墜させた会社などの不祥事が相次いでいる。
 法令順守(コンプライアンス)を指針とする企業も中にはあるが、コスト優先ばかりで法的責任意識の低い企業が多すぎる。次に殺人事件を始め犯罪の増加と犯罪者の若年化の傾向は罪意識の低下と他人の感じる痛みや命の重みを実感できない人間が増えたことが考えられる。国民の知的水準の向上と倫理意識が比例していないのである。
 何故このような社会になって行くのか。預言者(صلى الله عليه و سلم)の伝承からその答えの一つが明らかにされている。それは宗教意識の欠如である。
 他人のものを盗むな、人を殺すなは宗教命令として人類が守ってきた根本的法である。 他者との絆や人間の尊厳を説く道徳倫理の根本は宗教が担ってきた。宗教的知識が欠如すると絶対者に対する畏れの意識が弱まり罪悪観念が希薄化し、善悪の基準、許されるものと許されないものとの境界が不明瞭になってくる。それがひいては人間の存在の重みや生きる目的をあいまいにさせ、物質偏重、機能優先の社会となり、終末の引き金となっていくと説いているのである。
 ただ精神論を説くだけでは社会を動かすことはできない。そこで物質的価値と精神的価値の両方を深く理解し、経論の道を説くイスラームの果たす役割は大きい。

 三大宗教の中でイスラームだけがイスラーム経済という用語があり、経済活動を奨励し、合法的に利益を得ることを認め共同体を発展させてきた。禁欲を求めず人間の物欲を認める一方で儲けに熱心な余りアッラーを失念する(自制心)がないようにとも説く。

 暴力行為についてもイスラームは人の顔を殴ることを固く禁じている。人間の生命を神聖化したのはアッラーである。絶対者を前にして己の卑小さを自覚することができ、他者を思いやる気持ちが育まれる。
 宗教意識を含むモラルの低下は人間不信を招き他人に対し必要以上の警戒心を生み安心確保のためにコストを増やし続けることになる。宗教的知識は人を救い社会を守る源である。知識は人間に与えられた神の祝福である。

アッラーのご加護と祝福がありますように。

و السلام

200のハディースその2

2006-08-02 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

(その2)アッラーへサダカ(善行)

アブー・ザッル(رضى الله عنه)(教友の中でも敬虔さと質素さで知られていた)はこう伝えています。

 教友たちの幾人かが預言者(صلى الله عليه و سلم)に
「アッラーのみ使いよ、富裕な人達は、われわれが礼拝するように礼拝し、断食するように断食し、その上彼らの豊富な財力でサダカを行います。(その結果)彼らが(全ての)報酬をさらって言ってしまいます。」と言った。
 み使い(صلى الله عليه و سلم)は「あなた方にも行えるサダカをお作りになったのではないか。(つまり)『صبحان اللهアッラーを賛美すること(タスビーフ)』の毎回毎回がサダカである。『الله أكبرアッラーは至大なり(タクビール)』を唱えるその都度都度がサダカである。『الحمد لللهアッラーに栄光あれ(タフミード)』と口にするその都度都度がサダカである。『لا إله إلاَّ اللهアッラーの他に神なし(タフリール)』と唱えるその毎回毎回がサダカである。・・・」
(日本ムスリム協会発行「日訳サヒーフ ムスリム」より)

 長者の万灯より貧者の一灯という言葉を想い出しながらこのハディースを読みました。施しの多少という単純な量的なものだけを比べるなら、他のハディースに
「業火から身を守りなさい。例えなつめやしの実の半分(のサダカ)によってでも。それすら持ち合わせていない者は親切な言葉ででも。」
とあるように、イスラームでも経済的余裕のない人がサダカする心の大切さを述べています。さらに同胞間の連帯意識を高め、安心感の得られる社会を作るための行為(親切な言葉)の一つを具体的に述べる配慮までしております。
 ところがこれでサダカの説明が終わりではなく、まだ先があるのです。
 いくら喜捨するものがなくても気にすることはないと言われても、持つ者と持たざる者との心の溝はそう簡単に埋まるものではありません。確かに富者に対しては「右手がしていることを知らぬ程にひそかにサダカする者は審判の日にアッラーの庇護下に置かれる(七類型の一人)」と言われサダカの行為を秘める者の徳を勧めていますが、その一方で「モスクを造る者のために、アッラーはそれと同じものを天国でお造りになる」とも言われています。知らずに沸き起こる裕福な人への嫉妬心と報酬を得られない己の能力の無さを卑下し劣等感に悩む者の心をどう鎮めたらいいのでしょうか。同胞意識を高めようと説く宗教が信じる者に疎外感を持たせるようであっては健全なコミュニティは作れません。
 そんな疑念を持つ人に答えているのがこのハディースです。この問いかけをしている人たちは財力に強くこだわり、物的なものに心が囚われ過ぎています。そこで預言者(صلى الله عليه و سلم)は人々の視点を宗教の原点へと向けさせます。
 まずアッラーを讃えなさい、そして人間の存在を成り立たせている創造主アッラーを想い起こし、今、己が生かされていることに感謝する言葉を唱えなさいと。
 アッラーを讃える言葉を声に出して言うことがアッラーへのサダカ(善行)なのです。
 それに対してアッラーは報償を用意していらっしゃるのです。こうして疑念を持つ人の心を落ち着かせ、報酬を得られない焦りt取り残された者の不安感を取り除いたのです。
 別のハディースにこうあります。
「イスラームに帰依した者、生活可能限度の糧を与えられている者、そしてアッラーがお与えになったもので満足している者は成功した者である。」(ムスリムの伝承)



アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام