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満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

最後の審判 最終回

2012-05-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم 

前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパ(生きている物がすべて死ぬ) → ④2回目のラッパ(全員復活) → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場) → ⑥全人類の結集  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧アッラーから記録書の授与 → ⑨自分の行いがはかりにかけられる → ⑩スィラート(地獄にかかる橋)を渡る → ⑪報奨(天国と地獄)


最後の審判の日を信仰することの影響

1.常にアッラーを心に留めること:


例えば、万引きしようと思った人が、万引きをしたら100%どんな例外もなく確実に職場や家庭に連絡されて警察に引き渡される、とわかっていたら、やめるでしょう。その確信が100%ではなく、もしかしたら見つからないかもしれない、ばれないかもしれない、また見つかっても支払えば許してもらえるだろうと思っていれば万引きしてしまうかもしれません。最後の審判の日に対する信仰も同じで、その確信が深まれば深まるほど、100%確実にアッラーにお会いして絶対に問われる、ということがわかることで、常に自分を客観的に見て清算することができるという効果があります。

アッラーの判定は絶対に公正で、自分のした事で何一つ見逃してしまうようなことはなく、アッラーはすべてご存知で、その日には自分の行いがすべて書かれた記録書、もしくは録画されたビデオのようなものを見せられて、何も言い訳をすることができない、そしてその判決によって、天国に行く人たちと地獄に行く人たちに分かれると100%わかっていれば、日ごろから何かをするときに、そのことを思い出してアッラーのことを心に留めることができます。ですから最後の審判の日を信仰する人は、人々の前であっても、誰も見ていないところであっても、アッラーを心に留めて、アッラーの目の前でしても恥ずかしくないことをしようと心がけます。そして、あの世で清算される前に、自分を常に清算して、審判の日の準備をすることができます。

【 あなたがたは、アッラーに帰される日のために(かれを)畏れなさい。
その時、各人が稼いだ分に対し清算され、誰も不当に扱われることはないであろう。】クルアーン雌牛章281節
【كُلُّ نَفْسٍ مَّا كَسَبَتْ وَهُمْ لاَ يُظْلَمُون  وَاتَّقُواْ يَوْمًا تُرْجَعُونَ فِيهِ إِلَى اللّهِ ثُمَّ تُوَفَّى】



2.行動が正される:


 アッラーの元で自分の行いが清算されるということを確信を持って知ることで、犠牲を払ってでも善いことをがんばってしようという気持ちが増えます。善いことをするのは、時にはすごく難しいかもしれません。善いこととわかっていても簡単にはできないこともあるかもしれません。それでも、必ずアッラーが見ていてくださって、それについて近い将来ご褒美がもらえると確信を持って知っていることは、善い事をするための努力をする強い原動力になります。また、必ずアッラーがご覧になっていて、近い将来、そのことを問われると知っていることは、悪い事をするのを何とかしてやめようと努力する原動力にもなります。そうした努力をすることによって、結局、善行が増え、悪行が減ることになり、審判の日には自分の記録書を右手でもらえる人の中に入り、彼の報奨は人々に公にされて、人々が見ている前で天国入りのチケットを授かる名誉を与えられることになります。

【それで右手にその(行状)記を渡される者は言う。「ここに(来て)、あなたがたはわたしの(行状)記を読みなさい。」(彼は言います。)「いずれ私は、清算(審判)に合うことが、本当に分っていました。」こうしてかれは至福な生活に浸り、高い(丘の)園の中で、様々な果実が手近にある。「あなたがたは、過ぎ去った日(現世)で行った(善行の)ために、満悦して食べ、且つ飲みなさい。」(と言われよう)。】クルアーン 真実章 19~24節
فَأَمَّا مَنْ أُوتِيَ كِتَابَهُ بِيَمِينِهِ فَيَقُولُ هَاؤُمُ اقْرَؤُوا كِتَابِيهْ إِنِّي ظَنَنتُ أَنِّي مُلَاقٍ حِسَابِيهْ19فَهُوَ فِي عِيشَةٍ رَّاضِيَةٍ فِي جَنَّة】ٍ
【 ِ عَالِيَةٍ21قُطُوفُهَا دَانِيَةٌكُلُوا وَاشْرَبُوا هَنِيئًا بِمَا أَسْلَفْتُمْفِي الْأَيَّامِ الْخَالِيَة



3.現世のための行いと来世のための行いのバランスをとる:


 現世というのは、私たちが試される所で、来世の種を植え育てる所です。信仰する人は、現世の装飾に騙されてそれだけを大切にしてそれに振り回されて溺れる人生を送ることはなく、また現世を欲しがる欲に従って来世を台無しにするということがないように注意することができます。そうかと言って、現世の生活を全く省みず、家に篭ってお祈りだけして、他の人に食べさせてもらって生活し、ただ来世への望みだけの中に生きるということもありません。イスラームにおける中庸の教えを守り、現世と来世のどちらも大切にします。

【アッラーがあなたに与えられたもので、来世の住まいを請い求め、この世におけるあなたの(務むべき)部分を忘れてはなりません。そしてアッラーがあなたに善いものを与えられているように、あなたも善行をなし、地上において悪事に励んではなりません。本当にアッラーは悪事を行う者を御好みになりません。】クルアーン 物語章77節
وَابْتَغِ فِيمَا آتَاكَ اللَّهُ الدَّارَ الْآخِرَةَ وَلَا تَنسَ نَصِيبَكَ مِنَ الدُّنْيَا 】
【وَأَحْسِن كَمَا أَحْسَنَ اللَّهُ إِلَيْكَ وَلَا تَبْغِ الْفَسَادَ فِي الْأَرْضِ إِنَّ اللَّهَ لَا يُحِبُّ الْمُفْسِدِينَ


4.アッラーの公正さに対する信仰が深まる:


信仰する人は、私たちが今いる現世というのは、ずっと住むわけではなく、ただ通り過ぎる場所だという事を知っています。日本語で仮の住まいと言いますが、まさに現世は私たちの仮の住まいです。現世というのは、報奨を受ける場所でもなければ、永遠に私達が住む場所でもありません。また、現世というものは、常に不足していて、満ち足りる事がなく、いろいろな種類の災難や不幸がたくさん起こる場所で、来世に比べてそんなに大きな価値を置くべき所ではないということを知っています。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハディースで、
≪もし現世が、ハエの羽ほどの価値があったなら、不信者は水一杯も飲むことはできないでしょう。≫
というものがあります。つまり、それほどアッラーの元では現世の喜びというのは、来世の喜びに比べて比較にならないものだということです。ハエの羽一枚よりも価値のないものだということです。

一方、来世は、報奨と公正さの実現する場所であり、公正で絶対に正しい基準のある場所です。そこでは、アッラーの公正さが実現され、誰一人不公平に扱われる事は決してありません。アッラーの判決によって権利を侵害されたり、虐げられたりする人は1人もいません。また、アッラーの判決によって、報奨が確定された人の報奨は必ず与えられ、誰もそれを邪魔する事はできません。これは、アッラーがお約束なさった事で、アッラーのお約束は必ず実現します。

【(行いを記録した)書冊が(前に)置かれ、犯罪者がその中にあることを恐れているのを、あなたがたは見るでしょう。かれらは言います。「ああ、情けない。この書冊は何としたことだ。細大漏らすことなく、数えたててあるとは。」かれらはその行った(凡ての)ことが、かれらの前にあるのを見ます。あなたの主は誰も不当に扱われません。】クルアーン 洞窟章 49節
وَوُضِعَ الْكِتَابُ فَتَرَى الْمُجْرِمِينَ مُشْفِقِينَ مِمَّا فِيهِ وَيَقُولُونَ يَا وَيْلَتَنَا مَالِ هَذَا الْكِتَابِ لَا يُغَادِرُ】
【صَغِيرَةً وَلَا كَبِيرَةً إِلَّا أَحْصَاهَا وَوَجَدُوا مَا عَمِلُوا حَاضِرًا وَلَا يَظْلِمُ رَبُّكَ أَحَدًا



 こうして、最後の審判の日の信仰を持つことによって、アッラーの公正さへの信頼が高まり、その日に、すべての公正さは実現し、現世での不平等や不公平の清算が必ずあるということに信仰する人は安心感を覚えます。現世で不当に扱われ苦しみ泣いていた人たちも、その日はこれまでの報奨を受け取り、笑うことになり、現世で不正を働いて笑っていた人たちは、自分のした事の罰を受け泣くことになります。これは必ずそうなります。アッラーの公正さは、現世だけで実現されるのではなく、来世とセットになって実現されるものだからです。最後の審判の日を信じることは、アッラーの公正さを信じることにつながり、現世で信仰する人にやすらぎを与えます。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام




【最後の審判の日 ― 報奨その3】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم                                            


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパ(生きているものがすべて死ぬ) → ④2回目のラッパ(全員復活) → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場) → ⑥全人類の結集  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧アッラーから記録書の授与 → ⑨自分の行いがはかりにかけられる → ⑩スィラート(地獄にかかる橋)を渡る → ⑪報奨(天国と地獄)



⑪ 報奨その3


質問:天国に、真っ先に入るのは誰でしょうか?また、一番最後に入るのは誰でしょうか?

答:預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はおっしゃいました。

≪「復活の日、私は天国の門に行きそこを開けるよう頼むが、番人はその時『あなたは誰ですか』とたずね、私が『ムハンマドです』と答えると『私はあなたのため、あなたがおいでになるまで誰にも門を開けてはならないと命じられていました。』ということだろう。」≫ ムスリム伝承

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の後に続いて、彼のウンマの人たちが次々に入っていきます。
≪その結果、天国の門を開けることを彼は許されます。こうして、生前信頼されていた者、親族に尽した者、次いで道の右と左の両側に立って待っていた者らは順次天国に送られて行きますが、あなたたちのうち、最初に送られる者は、まるで雷光のような速さでそこを通り過ぎることだろう」
この話に関連し、フザイファ(رضى الله عنه)は次のように伝えている。
「私はこうたずねました。『私の父母よりも尊いお方よ!“雷光の通りすぎるように”とはどんなことですか』
これに対し、み使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。
『あなたは雷光が、目ばたきする間にむこうに、またこちらにと走り回り、光る様子を見たことはありませんか。
その後の人々は風が吹き通って行くように、次いでは、鳥たちの飛び去り行くように通り過ぎて行くのです。
人々の通過する速さは、生前の行為のいかんによるのです。また、あなたたちの預言者(ムハンマドصلى الله عليه و سلم)はその道に立って“主よ、彼らを救い給え、救い給え”と祈り続けるのです。このようにして、生前の行為のもたらす力の弱いしもべらまで通って行き、遂には、這いずって道を進み行く者さえ現われるのです』」≫ ムスリム伝承

問:一番最後に天国に入る者は、どういう人でしょうか?最後になった人は、どうして最後なんでしょうか?また彼が天国で何をもらえるでしょうか?それについてのハディースがありますが、アッラーは、その人に、この世のすべてのものに比べてどのくらいのものを天国で与えるとおっしゃっていますか?

答:預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はおっしゃいました。

≪実に私は最後に地獄から出て、最後に天国に入る者を知っています。男は地獄から這い出してくると、祝福、至高なるアッラーは彼に言われます。「行って天国に入りなさい。」彼がそこに行くと、彼にはまるで満員のように見えます。そこで戻ってこう言います。「あぁ、主よ、そこは満員でした。」×2回・・「行って天国に入りなさい。実にあなたには、そこで、この世と同じものと、その10倍のものがあります。」・・・それが、天国で最下位の者です。≫ ブハーリーとムスリムの伝承

これはクルアーンの次に信憑性の確かな真正ハディースです。天国で一番最後に地獄から出されて、一番最後に天国に入る者でさえ、この世の10倍の恩恵が与えられるということは、もっと前に天国に入ることができたら、また、天国の一番上のフィルダウスに預言者さま(صلى الله عليه و سلم)と入る人たちは、どんなにすばらしいものを手に入れるのでしょうか?また、それがこの世のもののように一時的なものではなく、永遠に自分のものになることを考えると、いかに私たちが執着しているこの世がはかなく取るに足らないものかがわかります。アッラーよ、どうか私たちに、フィルダウスの最上階をお与えください。

問:天国に入る者に与えられる者で、誰にとってももっとも愛おしいものとハディースで言われているものは何でしょうか?


答:≪「天国の住民が天国に入って来た時、アッラーは
『あなた方に何かもっと望みのものを与えましょうか』とおたずねになるだろう。これに対し彼らは
『私たちの顔を輝かして下さったではありませんか。
私たちを天国に入らせ、地獄から救って下さったではありませんか』といって感謝することだろう。
するとアッラーはベールをお上げになります。アッラーから与えられるものの中で、至高偉大なる彼らの主を拝すること以上に彼らにとって愛おしいものはないであろう。 アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)はその後、次の聖句をお唱えになった。
【善行をした者には、天国に入るという素晴しい報奨もあり、また追加もある。】クルアーン第10章ユーヌス26節≫
ムスリム伝承




◇地獄の炎とその様

問:地獄には何個の扉がありますか?

答:【それ(地獄)には7つの門があり、各々の門には、かれら(罪人)の一団が割り当てられます。」】聖クルアーンヒジュル章 44節

すべての門にひとつの段階があるため、地獄には7つの段階があります。
7つの段階の名前:ジャハンナム(地獄)、サイール(燃え上がる)、ラザー(炎)、サカル(皮膚を焦がす地獄の火)、ジャヒーム(業火)、ハーウィヤ(欲望、落ちる、道楽する)、ハタマ(残骸、破壊)



・地獄の深さと熱さについて

≪私たちが、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)と一緒の時、なにかが落ちる音を聞きました。預言者(صلى الله عليه و سلم)が「なんの音かわかりますか」と言われたので、私たちは「アッラーとそのみ使い(صلى الله عليه و سلم)だけが、最もよくご存知です」と言いました。み使い(صلى الله عليه و سلم)は、その折、「これは七十年も前に地獄に投げこまれた石の音です。それがずっと地獄の中を落ちつづけ、今地獄の底に着いたのです」と言われました。≫ムスリム伝承

≪預言者(صلى الله عليه و سلم)は「アダムの子孫が燃やすあなた方の(この世の)火は、地獄の全業火の70分の1程度の熱さにすぎない。」と言われた≫  ムスリム伝承

・地獄の罰の性質:

1. 常に続く罰:【かれらの皮膚が焼け尽きる度に、われは他の皮膚でこれに替え、かれらに(飽くまで)
懲罰を味わわせるでしょう。】クルアーン 婦人章 56節

2.地獄の食べ物はどんなもの?

①【その時あなたがたは(どうであろう)、迷って(真理を)虚偽であるとした者よ。必ずあなたがたはザックームの木(の実)を食べ、それで満腹になるでしょう。】クルアーン 出来事章 51,52節

【それは地獄の底に生える木で、その実は、悪魔の頭のようである。かれらはこれを食べて、腹はそれでいっぱい。】クルアーン 整列章 64-66節
ザックームの実:そのひとかけらがこの世に落ちたら、この世の食べ物全てを腐らせるほど強力な実。

②【かれらには苦い茨の外に、食物はなく、それは栄養にもならず、飢えも癒せない。】クルアーン 圧倒的事態章 6,7節 
ダリーウ:とげがあり、毒を持つ植物。動物さえそれには近寄らない。

③【その日かれは、そこに友は無く、また、穢しい腐敗物の外に食物はない。それを食べるのは、罪人だけである。」】クルアーン 真実章 35-37節
ギスリーン:地獄で焼かれる人たちから流れ出る膿

3.地獄の飲み物の種類は?

【この者の後ろは地獄であって、汚らわしい水を飲まされる。かれはそれを飲み込もうとするが、なかなか飲み込めない。また死が凡ての方向から迫るが、かれは死にもしない。尚かれの後ろには容赦のない懲罰がある。】クルアーン イブラーヒーム章 16.17節

【本当にわれは、火を不義者のために準備している。その(煙と炎の)覆いは、かれらを取り囲む。もしかれらが(苦痛の)軽減を求めて叫ベば、かれらの顔を焼く、溶けた黄銅のような水が与えられよう。何と悪い飲物、何と悪い臥所であることよ。☆信仰して善行に勤しむ者には、本当にわれは、(唯)一つの善事にも、必ず報奨を空しくしない。これらの者にはアドン(エデン)の園があろう。川が下を流れ、そこで黄金の腕輪で身を飾り、美しい緑色の絹の長い衣や、厚い錦を装い、高座にゆったりと身を託す。何と幸福な恵み。何とよい臥所よ。】クルアーン 洞窟章 29―31節

アッラーが私たちに地獄の恐ろしさをこと細かく何度も繰り返しクルアーンやハディースでおっしゃるのは、何のためでしょうか。小さなお子さんが、交通事故にあうのを恐れるお母さんは、お子さんが外に出るときに、信号をちゃんと守るように、車には気を付けるようにと、口をすっぱくして教えませんか?小さなお子さんが針を出して遊んでいたら怒りませんか?窓から身を乗り出していたら、窓を開けたらだめ、としかりませんか?たたいてでも教えませんか?何のためでしょう?

私たちへのアッラーの大きな愛に気が付きましょう。地獄の記述を繰り返し読むたびに、またその恐ろしさや気持ちの悪さを聞くたびに、それをこの世で私たちに伝えてくださっているアッラーが、どんなに私たちのことを愛しているか。あの世ではなく、この世で私たちに知らせてくださっているアッラーが、私たちにどんなにそこに行ってほしくないと思って、繰り返し教えてくださっているかを考えましょう。無事に私のところへ来るんですよ、この世に騙されずに、あなたたちは頑張って私のところへ来るんですよ、とアッラーは繰り返しクルアーンの中でおっしゃっています。

→ 次回は、最後の審判の日に対する信仰の効果、إن شاء الله

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


【最後の審判の日 ― 報奨その2】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパ(生きているものがすべて死ぬ) → ④2回目のラッパ(全員復活) → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場) → ⑥全人類の結集  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧アッラーから記録書の授与 → ⑨自分の行いがはかりにかけられる → ⑩スィラート(地獄にかかる橋)を渡る → ⑪報奨 天国について


⑪ 報奨その2


質問:「ライヤーン」は、断食をしている時に亡くなった人が入る門か、常にスンナの断食をいつもたくさんしていた人が入る門か?

答:その人の人生の中でもっとも多い善行が、断食だったという人が入ります。人と比べて誰よりもたくさんしていた人が入るというわけではなく、あくまでもその人の人生の中で、どの善行が多いかによって、どの門から呼ばれるかが決まります。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

≪アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は「アッラーの道のために一対のものを捧げた者は『おおアッラーの下僕よ』と呼ばれて天国に招き入れられます。これは素晴らしいことです。また礼拝を規則正しく行っている家族の者は礼拝の門から招き入れられます。聖戦に参加した家族の者は聖戦の門から招き入れられます。サダカを行っている家族の者はサダカの門から招き入れられます。断食を行っている家族の者はライヤーン(注)の門から招き入れられる」と申されました。
アブー・バクル・シッディーク(رضى الله عنه)は
「アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)よ、人はどうしてもそれらの門の一から呼ばれて入らねばならないのでしょうか。
人はそれらの門だけから入るのでしょうか」と尋ねました。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は、
「その通り、私はあなた方がその人々の一人であるよう願っている」と仰いました。≫ムスリム伝承

一対のもの:銀と金、牛ニ頭や馬二頭、奴隷二人など、対にしてサダカするという解釈と、全ての崇拝行為、例えば、礼拝を2回することや、断食を二日することなどという解釈もあります。

天国にあるもの

2.高く構えた部屋

【だが主を畏れる者に対しては、館の上に高楼(高く構えた部屋)があり、その下には川が流れます。アッラーの御約束である。アッラーは決して約束を破られません。】聖クルアーン 集団章 20節

この部屋というのは、高い城のことです。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこの城が誰のものかと尋ねられて、こう言われました。

≪良い言葉を話し、食べ物を与え、夜、人々が寝ている時に。礼拝をした人のものです。人々が寝ている時に。≫
ティルミズィー伝承

《「天国の信者は、彼らの上層に住む人々を彼らよりも秀れた人たちであるため、丁度、東や西の空の方角に輝きながら移動する星を眺めるように仰ぎ見ます。」
人々が「み使い様(صلى الله عليه و سلم)、そこは預言者たちだけの住む所で、彼ら以外には行けない場所なのですか」とたずねると、み使い(صلى الله عليه و سلم)は、「いや、私の生命を御手にされる方に誓って!アッラーを信仰し、その御言葉を信ずる者らは誰でもそこに行くことができます。」と言われました。 》
アル=ブハーリーとムスリム伝承

天国にあるもの

3.大きな木:

質問:天国にある大きな木はどのくらい大きいでしょうか??

答え:預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

《天国には、乗り手がその日陰を100年旅しても踏破できないほどの距離を持つ一本の樹があります。 》
アル=ブハーリーとムスリム伝承


天国にあるもの

4.果物:
【長く伸びる木陰の、絶え間なく流れる水の間で、豊かな果物が絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。】聖クルアーン 出来事章 20節

【かれらは、錦を張り詰めた寝床の上に寄り掛かり、楽園の果物は近く(手の届く所)にあろう。それであなたがたは、主の恩恵のどれを嘘と言うのか。】聖クルアーン 55慈悲あまねくお方章 54、55節

質問:天国というと必ず出て来る果樹園、この果樹園に、この世にいながら行くことができる方法があります。さて、それは何でしょうか?

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

≪病人を見舞う者は戻るまで、いまだ天国の果樹園に居ます。≫ ムスリム伝承

天国にあるもの

5.市場

質問:天国の市場に行って帰ってくると、人々はどうなりますか?

≪天国には人々が毎週金曜日に集まる市場があります。そこでは、北風が吹いて、彼らの顔や衣服の上に芳香をまき散らし、彼らの魅力と美しさを増加させます。このような魅力や美を増した彼らが家族の許に戻ると、家族の者たちに『アッラーに誓って!あなたたちは、外出してから、一層、魅力的で美しくなりました』と言われるが、彼らはそれに対し『アッラーに誓って!留守の間にお前たちも魅力的で美しくなった』と言うことだろう≫
ムスリム伝承

天国にあるもの

6:家族

天国は、一人で住むところではありません。永遠の伴侶や子供達、家族と一緒に暖かな家庭の中で暮らします、إن شاء الله


【信仰する者たち、またかれらに従った信心深い子孫の者たち、われは、それらの者を(楽園において)一緒に
します。かれらの凡ての行為に対し、少しも(報奨を)軽減しないであろう。誰もがその稼ぎにたいし、報酬を受けます。またわれは果物、肉、その外かれらの望むものを与えよう。かれらはそこで互いに杯を交そう。その時にも虚しい話にふけることなく、乱暴も犯しません。】聖クルアーン 山章 21-24節

信仰する者と、その子孫を一緒にするという記述は、敬虔な親を持つ子供達は、彼らの善行が親の善行に届かなくとも、親のいる天国に入ることができる、という意味です。イブン・カシールのタフシール(クルアーン解説書)の中には、こうあります。「預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はおっしゃいました。≪もしある男が天国に入ると、彼の両親と妻と子供のことを尋ねます。するとこう言われます。「実に彼らは、あなたの位には追いつかなかったのですよ。」すると、男はこう言います。「ああ、主よ。私が善行を行ったのは、自分と、そして彼らのためです。」すると彼らは、彼に追いつくように命じられます。そして、イブン・アッバースは、【信仰する者たち、またかれらに従った信心深い子孫の者たち、われは、それらの者を(楽園において)一緒にします。】という節を読みました。これは、至高なるアッラーが、両親の善行の祝福によって、その子供達に与えられる恩恵です。一方、子供達の行いの祝福により両親に与えられる恩恵については、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこうおっしゃっています。≪実にアッラーは、天国において敬虔な僕の位を高められます。そして、彼はこう言います。「ああ、主よ。本当にこれが私のものですか?」すると、こうおっしゃいます。『あなたの子供があなたのためにしたイスティグファール(アッラーにお許しを請うこと)によるものです。』」イマーム・アハマド伝承

これを裏付けるムスリム伝承の別のハディースがあります。

≪もしもアーダムの息子(人間)が亡くなったら、次の三つのもの以外の彼の行いは断ち切られます。サダカ・ジャーリア(続くサダカ。本や井戸を寄付したりして、その恩恵をまだ人々が受け続けるサダカ。)、それによって役立つ知識、敬虔な子供が彼のためにするドゥアー。≫ ムスリム伝承

 クルアーンの中には、これに限らず、様々な天国の描写があります。お給仕をする永遠の少年、サルサビールと言う泉、美しい洋服、銀のブレスレット、銀の水差しとコップ、生姜の入った飲み物、などなど。一部をご紹介します。
【 かれらが耐え忍んだので、かれは楽園と絹(の衣)でかれらに報われ、その(楽園の)中で、寝床の上にゆったりと身を伸ばし、かれらは酷暑の太陽も、凍る寒気もおぼえないであろう。(樹木の)木陰はかれらの上を覆い、(果実の)房は慎ましく垂れ下る。銀の水差しとガラスの杯は、かれらの間に回されよう。ガラス(の杯と見えたの)は銀で造られていて、かれらは好みの量をそれに満たす。かれらはそこで、生姜を混ぜた杯の飲物を与えられよう。そこに、サルサビールと名付けられる泉がある。また永遠の少年たちがかれらの間を往来し、あなたがかれらを見ると、捲き散らされた真珠であると思うであろう。あなたは視線を向けると至福の壮大な王国を認めるであろう。かれらは美しい緑色の絹と錦の外衣を纒い、銀の腕輪で飾られ、主はかれらに純良な飲物を飲ませられる。「本当にこれはあなたがたに対する報奨である。あなたがたの努力が受け入られたのである。」(と仰せられよう)。われこそは、段階をおってあなたにクルアーンを下したものである。だから(伝道に専念し)、あなたの主の審判を耐え忍んで待て。かれらの中の罪ある者や、不信心者に従ってはならない。朝な夕なあなたの主の御名を唱念しなさい。そして夜の一部をかれにサジダし、長夜のしじまに、かれを讃えなさい。】聖クルアーン 76人間章 12-26節

→ 次回は、إن شاء اللهこの天国に、真っ先に入る人と一番最後に入る人について。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


【最後の審判の日 ― 報奨】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم
                                            
前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパ(生きているものがすべて死ぬ) → ④2回目のラッパ(全員復活) → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場) → ⑥全人類の結集  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧アッラーから記録書の授与 → ⑨自分の行いがはかりにかけられる → ⑩スィラート(地獄にかかる橋)を渡る



⑪報奨


 前回の講義では、スィラート(地獄の上にかかる橋)を渡ることによって、人々は2種類のグループに分かれることがわかりました。スィラートを渡れなかった人たちは橋から落ちて地獄へ、渡れた人は天国へという2グループです。これは、この世で私達がする行いによる結果です。このしくみについて、まずは次の2つのことを確認しておきましょう。

1.天国の恩恵と地獄の罰は、魂だけが受けるのではなく、体も受けるものである。:

復活も、結集も、清算も、すべては、魂だけのものではなく、体を伴ったものです。

2.天国も地獄も、一度入ったら、一部の例外を除いて、永遠にそこに住むことになる。:

アッラーは、天国と地獄に永遠に住み続けることについてこう仰いました。

【その時、みじめな者たちは、火獄の中にいよう。その中でかれらは、ため息とすすり泣き(に喘ぐだけである。あなたの主の御好みにならない以上、天と地の続くかぎり、その中に永遠に住むであろう。本当にあなたの主は、お望みのことを(必ず)成し遂げられる。(その日)幸福な者たちは楽園に入り、あなたの主の御好みによる以外、天と地の続く限り、その中に永遠に住むであろう。限りない賜物である。】聖クルアーン フード章106-108節

【本当に信仰を拒んで不信者として死ぬ者たち、かれらの上にはアッラーの譴責と、天使たちおよび全人類の呪いがある。かれらはその中に永遠に住むであろう。その懲罰は軽減されず、また猶予もないであろう。】聖クルアーン フード章161-162節

「一部の例外」というのは、地獄に入っても永遠に住むことにならない一部の例外的な人たちのことです。それは、誰だかわかりますか?

罪を犯したムスリム達です。彼らは、もしアッラーがお許しくだされば、そのまま天国に入ることができますが、もしお許しくださらなければ、この世で行なった悪事の罰として地獄に一旦入ってから、この世で持っていた信仰(イーマーン)の報奨として天国に行くことになります、إن شاء الله地獄に永遠に留まるムスリムはいません。彼らの永遠の住処は、最終的には天国です、إن شاء الله。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

《「『アッラー以外に神はない』と証言する者は、たとえ心に僅か大麦粒の重さほどの善意を持つ者であっても、業火から連れ出されるだろう。
また『アッラー以外に神はない』と証言する者は、たとえその心に小麦粒の重さほどの善意を持つ者であっても、業火から連れ出されるだろう。
更にまた『アッラー以外に神はない』と証言する者は、たとえその心に微塵の重さほどの善意を持つ者であっても、業火から連れ出されるだろう」》アルブハーリーとムスリム伝承

《執り成し役を許された人々は『アッラー以外に神はない』と証言し、心の中に大麦粒の重さほどの善意を持つ者であれば、それらの者が地獄から出られるよう、アッラーに懇願する。その結果彼らは天国の庭園に連れ出される。住民らが彼らの上に水を注ぎかけると、彼らは洪水の中で種が新芽をふきだすように蘇生し、焼けどの跡も消え去ってしまう。その後、彼らは主に懇願し、この世界の数々の恩恵を共々10倍にして与えられるのである」》ムスリム伝承

《私が主にむかって平伏すると、主は『ムハンマドよ。顔を上げよ。言うことがあれば聞きとどけ、願いごとがあればかなえ、執り成すことがあれば受け入れるであろう』と仰せになるでしょう。私が「主よ、私の民(ウンマ)を! 私の民を!」と言うと、
主は
一回目:『行って、心に小麦粒や大麦粒の重さほどでも信仰を持つ者があれば、地獄から連れだすように』とお命じになることだろう。
二回目:『行って、心にからし種の重さほどでも信仰を持つ者があれば、地獄から連れ出すように。』
三回目:『行って心の中に極く極く最少のからし種の重さほどでも信仰を持つ者があれば、地獄から連れ出すように”四回目:それで私が“主よ、アッラー以外に神はない と告白した者に対する権限を私にお与え下さい”と申しあげると、主は“心底からそれを告白したかどうかを識別することはお前の役目ではない(もしくは、お前に課せられた仕事ではない)。ともあれ、私の名誉、栄光、威厳、そして権力にかけて申すが、アッラー以外に神はない、と告白した者を私は必ず地獄から連れ出すであろう”といわれる』」》 ムスリム伝承

 こうして、天国の住人がすべて地獄から出されて天国に入り、地獄にもそれにふさわしい人しかいなくなったときに、両方に向って、そこに永遠に住むことが告げられます。

 《「アッラーは天国に入るべき者らを天国に入らしめ、地獄に入るべき者らを地獄に入らしめました。その後、告知役の者が、彼らの間に立って、『天国の住民たちよ、お前たちには“死”はない。地獄の住民たちよ、お前たちには“死”はない。お前たち全ての者は、そこで永遠に過すことだろう』と告げます。」》ムスリム伝承

質問:天国と地獄は、現在すでに存在しますか?

答え:スンニー派の学者達は、天国と地獄はアッラーの被創造物で、現在すでに存在するとしています。その証拠としては、
1.アーダム様(عليه السلام)とハワー様が天国に住んでいたというクルアーンの記述から。
2.聖クルアーンでも、すでに天国、地獄が人々のために用意されていると過去形で述べられているため。
【人間と石を燃料とする地獄の業火を恐れなさい。それは不信心者のために用意されています。】
聖クルアーン 雌牛章24節
【あなたがたの主の御赦しを得るため、競いなさい。天と地程の広い楽園に(入るために)。それは主を畏れる者のために、準備されています。】聖クルアーン イムラーン家章 133節

質問:天国とは?どこにありますか?

答:アラビア語では「ジャンナ」と言い、元の語源は、「 ن ن ج 」で、この意味は、「覆う」です。天国は緑が多くて、覆われているという感じでしょうか。アラビア語で天国「ジャンナ」という単語の意味は、木々で覆われた庭園という意味です。

 天国の定義は、「アッラーが、ご自分の僕達の中の善良な者たちに、約束された、来世のすみか住処」です。

では、天国の場所がどこにあるか?というと、七つの天の上にあります。その頂上にあるものは、アッラーの玉座です。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)がイスラーとミーラージュで旅をされたときに、七つの天の上でジブリールに会ったときのことが、こうクルアーンに記述があります。

【本当にかれ(ムハンマド)は、再度の降下においても、かれ(ジブリール)を見たのである。(誰も越せない)はて涯にある、スィドラ木の傍で。そのそばに終の住まいの楽園があります。】聖クルアーン 星章 13-15節
 
七つの天の上にあるスィドラ木のそばに天国があるということです。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

 《天国には100の段階があります。それぞれの段階の間は、空と大地の間ほどあります。フィルダウスは、その最も高い段階です。そこから、天国の4つの川が流れ出し、その上には、アッラーの玉座があります。あなた方がアッラーにお願いする時には、フィルダウスを望みなさい。》ティルミズィー伝承

質問:天国に入るには、いくつの扉があるでしょうか?

答:8つの扉があります。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。
《天国には8つの扉があります。その中にライヤーンという名の扉があり、断食をしている人以外は入ることはできません。》アル=ブハーリーの伝承

《天国にはライヤーンと呼ばれる門があり、復活の日、断食を行っている者はその門より入り、彼等以外の者は一緒に入ることはできません。そこでは先ず『断食をしている者達はどこか』という呼び掛けがあって、彼等はそこより入って行きます。そして彼等の最後の者が入った時、その門は閉じられ(その後は)誰一人入ることはできません。》ムスリム伝承

質問:天国の鍵は何でしょうか?

答:「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はいない。)」という言葉です。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

《天国の鍵は、アッラー以外に神はいない、というシャハーダ(証言)です。》ティルミズィー伝承
 
質問:天国には、どんなものがありますか?

答:天国にあるもの

1.建物
預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

「アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)さま、人間は何から創られましたか?」と尋ねると、《液体からです。》と仰いました。「天国の建物は?」と尋ねると、《銀のブロックと金のブロックです。そして、壁に塗られているのは、最も香り豊かなじゃ香で、(天国の)小石は真珠と宝石、(天国の)土は、サフランです。》ティルミズィー伝承

→ 次回は、天国にあるものと天国にはいる人たちについて、
إن شاء الله


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


【最後の審判の日 ― 秤&スィラート(道)】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم
                                            
最後の審判の日 ― ⑨ 秤(はかり)


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパによって、生きているものがすべて死ぬ → ④次のラッパによって、全員復活、再生する。 → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場)で、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にお会いする。 → ⑥全ての人類が結集され、自分の清算の番を待つ。  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧最も公正なアッラーの前に、整列し、記録書を受け取り、清算が始まる


⑨秤(はかり)


最後の審判の日、私達のこの世の行いが全て計られる秤があります。私たちがこの世で行った悪行と善行、その全てが、その秤の上に載せられます。その秤は、最も公正なアッラーが、精巧にお創りになったもので、狂いもなく正確で、間違えるということが決してありません。

【私は審判の日のために、公正な秤を設ける。1人として仮令芥子一粒の重さであっても不当に扱われることはない。私はそれを(計算に)持ち出す。私は清算者として万全である。】クルアーン 預言者章 47節

【 秤はその日、真正である。(善行の)目方の重い者は、成功する者である。また目方の軽い者は、わが印を軽んじたため、自分を損なう者である。】クルアーン高壁章8~9節日訳P179

 このときに秤の上に載せられる物は、私達の記録書か、行いそのものなのか、どちらでしょうか?大多数の学者の一致するところによると、それは、本ではなく、行いそのものです。その証拠として、以下のハディースをあげています。

《清潔は、信仰の半分です。「アル=ハムドゥリッラー(アッラーに全ての称賛あれ)」は、秤を満たします。「スブハーナッラーヒ ワ=ル=ハムドゥリッラー(アッラーに讃えあれ、アッラーに全ての称賛あれ)」は天と地の間を満たします。 》ムスリム伝承

《慈悲深きお方にとって愛しい言葉で、舌にとっては軽い言葉で、秤にとっては重い言葉は、「スブハーナッラーヒ ワ ビハムディヒ スブハーナッラーフ=ル=アズィーム(アッラーに讃えあれ、全ての称賛はアッラーのもの、偉大なるアッラーに讃えあれ。)」です。》アルブハーリーの伝承

 これらのハディースにあるのは、秤の上に、記録書が置かれるわけではなく、直接、「スブハーナッラー」と私たちが唱えた言葉が置かれる、という表現だからです。

 そして、その日、自分の行いをすべて秤にかけられる人々は、3種類の人に分かれます。

種類1)悪行よりも、善行の天秤の皿が、重かった者。この人たちは天国の住人になります。アッラーは仰いました。
【それで、かれの秤が(善行で)重い者は幸福で満ち足りて暮らすであろう。】クルアーン 恐れ戦く章 6、7節

種類2)善行よりも、悪行の天秤の皿が、重かった者。この人たちは地獄の住人になります。アッラーは仰いました。
【だが秤の軽い者は、奈落が、かれの里であろう。それが何であるかを、あなたに理解させるものは何か。(それは)焦熱(地獄)の火。】クルアーン 恐れ戦く章 8-11節

種類3)善行の皿と、悪行の皿が、まったく釣り合ってしまった者。彼らの行く先は、至高なるアッラーに一任されます。

 この秤は、どういう秤なのでしょうか。私たちはこの世で、いろいろなものを測るのに多くの器具があり、それぞれの器具には特有の役割があり、構造も違います。温度計・質量計・血圧計など様々です。讃えあるアッラーは、人間の行いを測る事ができる器具、秤を存在させる能力を当然のことながら持っています。そしてこの秤の真実は、讃えあるアッラーの知識に一任されているもので、私たち人間の頭で考えて知ることができるものではないことは確かです。


⑩スィラート(道)


秤にかけられた後、人々はスィラートと呼ばれる道へと向います。

1.スィラートの意味
アラビア語で、スィラートというのは、「道、進路」のことです。この世では、スィラートというのは、アッラーが、従うよう人間に命じているルールのことです。

【本当にこれはわれの正しい道である、それに従いなさい。(外の)道に従ってはならない。それらはかれの道からあなたがたを離れ去らせよう。このようにかれは命じられる。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。】クルアーン 家畜章 153節

また、来世では、最後の審判の日に、地獄の炎の上にかかっている橋のことです。全ての人間は、その橋をわたらなければなりません。信仰者は、それぞれの行いによってそこから救われ、そうでない者達は地獄の炎に落ちていきます。クルアーンでもそのことをこう説明しています。

【そしてあなたがたの中一人もそれを通り越せない。これはあなたがたの主が、成し遂げられる御神命である。それから、われは主を畏れる敬虔な者たちを救い出し、不義を行った者はそこにひざまづいたままで放って置こう。】クルアーン マリヤム章 71,72節

2. スィラートの特徴

①足がとても滑りやすい橋である。
《その後、地獄の上に一本の橋がかけられ、執り成し(弁護者)が許されるが、彼らはこの折『主よ、安全を守り給え。ご加護をお願い致します!』と述べることでありましょう」人々が「それはどんな橋ですか」とたずねると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は「すべりやすい所で、ここには鉤(かぎ)や鉄串(てつぐし)、それにナジュド地方でサアダーンと呼ばれているとげの樹のような針などが付いています」といわれ、また次のように話を続けられた。「ともあれ信者らはその橋を、雷、または風、或いは鳥、更には速い馬やらくだのように、まばたきする間に通ってしまいます。或る者らは安全に、或る者らは鉤(かぎ)でひっかけられながらも通り抜けるが、とらわれて捕われて地獄の火中にひとまとめに落される者らもいます。また信者らの中には更にその業火から救出される者もいます。》アルブハーリーとムスリム伝承

②髪の毛よりも細く、刀の先端よりも鋭い橋である。
預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

《私はその橋が髪の毛よりも細く、剣よりも鋭いと聞きました。》ムスリム伝承

3.スィラートの超え方

預言者ムハンマド様(صلى الله عليه و سلم)とそのウンマ(共同体)が、一番最初にそこを渡ります。

《 その後地獄の業火の上にかけられた一本の橋の上を、私と私の信徒たちは最初に渡ることになりますが、その日には使徒たち以外には誰も声を発する者はなく、その日の使徒たちの祈りも『アッラーよ、安全をお守り下さい。無事をお願い致します。』という言葉のみでありましょう」地獄には、サアダーンの樹のとげのように長い鉄製の鉤(かぎ)が置かれている。アッラーのみ使いは「サアダーンの樹を知っていますか」とおたずねになり、彼らが「はい」と答えるとこう言われた。「まことにこれらの鉄鉤(てつかぎ)は、サアダーンの樹のとげにも似ていますが、アッラー以外にその大きさについて知る方はおられない。これらの鉤(かぎ)が悪行を犯した者を捕らえるのです。信者のうち、善行者は捕らえられることはなく、その善行の故に救済され報奨される者もいます。》ムスリム伝承

また信仰者はその橋を渡るときに、光が照らし、困難なことは何もありません。クルアーンにある通りです。

【その日あなたは、信者の男と信者の女の、前の方や右側に、かれらの光が走るのを見るであろう。(かれらには言われよう。)「今日は、あなたがたへの吉報がある。川が下を流れる楽園のことである。永遠にその中に住むのである。それこそは、本当に偉大な幸福の成就である。」】クルアーン 鉄章 12節

 これらの人々は、この橋をいとも簡単に、雷のように、突風のように、鳥のように渡ります。それぞれのこの世での行いとイフラース(その行いをアッラーの為に純粋にしたかどうか)に応じて、橋を渡る早さは違います。

《それで人々は主の後に従って一緒に進み出すのである。その後、偽信者、篤信者の別なく全ての人々は明りを持たされ、彼に従って地獄の橋の上に行くが、そこにはアッラーが命ずるものを捕らえるための鉤(かぎ)や大串が用意されている。ここで偽信者らの明りは消える。そして篤信者らのみは救済されることになる。こうして救われた最初の一団は七万人にも及び、彼らの顔は満月の夜の光のように喜びに輝く。彼らは罪を問われることはないのである。続いて彼らのあとに従って橋をわたった者らも喜びのため、天空で最も明るい光を放つ星のような顔を見せる。》ムスリム伝承

一方、不信仰者たちは、足が滑ってどうしてもその橋を渡りきることはできず、次々と地獄へ落ちていきます。ウドゥーで足を洗う時のドゥアーにも、この時のことをアッラーにお願いするドゥアーをしながら洗います。右足を洗う時には、
اللَّهُمَّ ثَبِّتْ قَدَمَيَّ على الصِّراطِ المُستَقِيمِ مَعَ أَقْدَامِ عِبادِكَ الصَّالِحِين アッラーフンマ サッビトゥ カダマイヤ アラ=ッ=スィラーティ=ル=ムスタキーム マア アクダーミ イバーディカ=ッ=サーリヒーン」(アッラーよ、どうか私の両足を、あなたの誠実な僕達の足と共に、まっすぐな道に固定してください。)
左足を洗う時に、
اللَّهُمَّ إِنِّى أَعُوذُ بِكَ أَنْ تَزِلَّ قَدَمَيَّ عَلَى الصِّراطِ فِي النَّارِ يَومَ تَزِلّ أَقْدَامُ المُنَافِقِينَ وَ المُشرِكِين アッラーフンマ インニー アウーズビカ アン タズィッラ  カダマイヤ アラ=ッ=スィラーティ フィ=ン=ナーリ ヤウマ タズィッル アクダーム=ル=ムナーフィキーナ ワ=ル=ムシュリキーン」(アッラーよ、私は、あなたに、偽信者や不信者達の足が滑る日に、私の両足がスィラートから地獄に滑ることからの、ご加護を求めます。)
と言います。

4.スィラートにおける英知とその恐怖

全ての人が通らなければならないスィラートは、この世での、アッラーのお決めになられたイスラーム法のルールの象徴です。誰でも、この世で、ハラールのものだけを取り、アッラーが禁じられたハラームの物を避けて、アッラーの道からそれることなく、自分の生活を窮屈にさせた者の前には、地獄の炎の上にかかる橋が、広々と広がり、橋から落ちることはありません。反対に、誰でも、この世で楽々と、自分の欲するものだけを取って、それがハラールかハラームか気にかけず、気楽な生活を送って、アッラーのお決めになった限界を超えていた者には、明日、目の前のそのスィラートが、狭く通ることのできない橋になるでしょう。


→ 次回は、⑪報奨 について、إن شاء الله

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام






家族でラマダーンを楽しむための下準備

2011-07-16 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


家族でラマダーンを楽しむために




ラマダーン月を「天国のバーゲンセール月」とよぶシェイフもいらっしゃるほどたくさんポイントをつけてもらえる。まず毎日の義務の行いが、70倍に換算されるので、一日義務の礼拝を5回しただけでも、2ヵ月半近く毎日5回義務の礼拝を欠かさずしたのと同じポイントが、たった一日でつきます!

①できるだけ5回の礼拝を合同礼拝でする。家族で一緒になど、モスクに限らず、誰かと一緒にする。

下準備→ これは、今から、ご主人とお子さんにお願いしておくといいですね。

②毎日サダカをする。毎日小額でもいいので、サダカをする習慣をつけるために、毎日300円とかサダカをする、一ヶ月終わったら、まとまった金額のサダカになっている。

下準備→ 日本では、モスクが遠くて毎日行くのが大変なので例えば、家の中に、サダカボックスを設けて、ラマダーン中に家族でサダカし合う。これも今からサダカボックスを作って、貯まったら、ラマダーン最後の日に、どこにあげに行くか?を、家族で話し合って、わくわく感を盛り上げる。

③親兄弟、親戚関係のつながりを強くする。普段会わない人だったら、手紙を書いたり、電話をして、近況を聞いたりして、連絡を取り合う。

下準備→ 親戚の名前を、ご家族で一緒に、書き出して表にする。ここ数ヶ月間連絡を取り合っていない名前に丸をつけたりする。

④毎日決まったドゥアーをする。毎日続けることが大事。

下準備→ 子供と一緒にご家族で「ムスリムの砦(フスヌ=ル=ムスリム)」などのドゥアー集を今からチェックして、ドゥアーが叶うチャンスが満載のラマダーン中に、叶えて欲しいことが含まれているドゥアーを書き出す。

⑤善行をする。何かを学ぶこと、学んだことを教えること。
普段の70倍の報酬がある。


下準備→  ラマダーン中は、ご家族で、毎日5分でも、難しければ、週に何日かお休みの日だけでも、お互いにイスラームに関することを教えあう時間を持つ。本やインターネットからでも、テキストをちょっと書き出したりしておくなど。

⑥クルアーンを完読する。覚えたスーラを、礼拝で読むようにする。クルアーンがまだ読めない方は、日本語訳のものを読んで、読んだところを実行する。

下準備 → 女性は、毎日ジュズ(20ページ)読むだけでは、生理の期間読めないので、完読が終わらない。今から、ラマダーン中に、一日何ページ読めば完読できるか計算して出しておく。一人で完読するのは無理、という場合は、家族みんなで完読できるように、一人ひとりの担当パートを決める。例えば、お母さんは、1~200ページ。お父さんは、早く読めるから、P201~550、子供達は、P551から最後まで、とか。アラビア語が読めなければ、イクラを、一日何ページ進めて、ラマダーン終了後には、どこまで進んでいるようにする、とか目標を設定する。



★ お子さんと一緒に楽しむラマダーン目標を立てよう!


①ラマダーンは特別な月だということを知らせるために、子供の部屋に飾りをつけたり、ラマダーンに入る前に、家族で集まって、子供にプレゼントをして、ラマダーン突入おめでとうプレゼントをあげる。

②子供の好きな食べ物を、ラマダーン月の毎日の献立にする。一緒に献立を立てて、ラマダーンを楽しみにさせる。

③サフールに子供を起こすため、いいにおいのする子供の大好きな料理を作る。

④子供は断食しなくても、親と一緒にサフールを食べたら、ほめる!

⑤子供は、少しづつ断食できるように、練習をして整えていく。子供がやりたい分やらせるようにする。絶対に無理強いしない。

⑥水遊びとかウドゥーをすると、喉が渇いているのを忘れる。

⑦お子さんのお友達(ムスリムでもノンムスリムでも。)を招いて、イフタールパーティーをする計画を立てる。
                  
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


シャアバーン月にすると良いこと

2011-07-15 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


今月の1日か2日から、イスラーム暦で、ラマダーン月の前月、シャアバーン月が始まりました。

ウサーマ・イブン・ザイド(رضى الله عنه)によると
「『アッラーのみ使いさま、私はあなたさまがシャバアーン月ほど他のどの月にも断食をなさったのを見たことがありません。』と私が申し上げるのに対し彼(صلى الله عليه و سلم)は言われた:《その月こそ、ラジャブとラマダーンに挟まれた多くの人が忘れがちな月。その月に万有々の主に全ての行いが上げられるのであり、私は断食している間に己の行為が上げられるのが好きなのだ。》」(イマーム・アフマドとア=ン=ナサーイー)
New Islamic Deiection Imam Zaid

しもべの行いは毎日、一週間分の行いは月曜日と木曜日、一年分の行いはシャアバーンにアッラーに提示されることについて二つ見解があります。
                                                 
注意:シャーフィー学派では、シャアバーン月の16日以降、ラマダーンに入るまではスンナの断食をしませんので、ご注意ください。 

シャアバーン月の15日目は、「ニスフ・シャアバーン」と言い、こういうハディースがあります。
《ニスフ シャアバーンの前夜にあったなら、その夜は祈りに立ち、昼は断食をしなさい。実に至高なるアッラーは、太陽が落ちると、地上の空に降りてきて、誰か、許しを乞う者はいませんか?私が許しましょう。誰か、恩恵を求める者はいませんか?私が与えましょう。誰か災難に遭っている者はいませんか?私が救いましょう。誰かこれこれの者は、誰かこれこれの者は、と仰り、それはファジュルになるまで続きます。》 イブンマージャの伝承
シャアバーン月の15日目「ニスフ・シャアバーン」は、今年は今度の金曜日か土曜日がその日にあたり、スンナの断食をするといい日で、そのニスフ・シャアバーンの前夜(つまり、7月15日(金曜)の夜(マグリブ)から、明朝のファジュルに入る前までの時間か、16日(土)の夜からファジュルまで。)には、大きな徳があり、ドゥアーが叶う5夜のうちの一つでもあります。(この夜以外の4夜は、シャアバーンの15日の前夜、金曜日の前夜、2つのイードのそれぞれの前夜)弱いハディースによる。
またニスフシャアバーンについて別のハディースがあります。
≪アッラーは、その夜(シャアバーン15前夜)に、すべてのムスリムをお許しになります。ただ、占い師や魔法使い、お互いに嫌い合う者、酒に酔っている者、両親に背いている者を除いては。≫
この夜は、アッラーの特別、大判振る舞いの夜で、すべてのムスリムが許されますが、もし、嫌い合っている相手がいる場合、または自分か、ご主人の両親に親不孝をしたままの場合には、その夜のアッラーの寛大なお許しから、自分だけが除外されてしまいます。すべてのムスリムが許されるその夜に、どんなにお願いをしてドゥアーをしても、自分だけは、対象外になってしまうのです。こんな損なことはありません。
もし嫌い合っている相手がいる方は、電話ででも何でも連絡を取って、とにかく状態を改善しましょう。相手が怒っていてどうせ何を言っても改善できないと確信している場合も、相手が120%悪いと思っていても、この夜にアッラーの寛大な許しを受けるために、連絡を取って、自分から謝ってしまうことが大切です。喧嘩をしてしまった相手に、自分が謝って、もし相手がまだ嫌悪感を持ち続けていたら、イスラームではそれは自分の責任ではなくなります。
イスラームにおいて、ムスリム姉妹兄弟を嫌うということは、お酒におぼれている人と並べられるほどの大きな罪です。誰かを嫌う、憎むということは、ものすごく大きな心の負担となり、大切な心が汚れてしまうからです。ですから、例え人との付き合いで、相手が自分にひどいことをしても、相手を憎んだり、仕返しをするのではなく、アッラーのためにその人を許す、という美徳を重視します。
預言者様の時代に、ある教友がいました。
彼がモスクに入ってくると、預言者様(صلى الله عليه و سلم)は「天国の住人が入ってきた。」と言い、彼を見かけるたびに、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、「彼は天国の住人だ」と言いました。
未来に関して預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)が言われることは、アッラーから、彼だけに教えられている知識によって言われることで、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は絶対に嘘をつくことがないので、何の根拠もなく未来のことを仰ることはありません。ですから、彼が天国の住人になるということは、アッラーから教えられている確固たる未来の事実です。そこで、ある教友が、その天国に住むと言われるその男が、何ゆえそう言われるのか、知りたいと思い、他の理由をつけて、彼の家にしばらく泊めてもらって、どんなことをしているのか観察することにしました。
彼は、逐一その男の行動を見ていましたが、彼は義務の礼拝をする以外には、特に人より多く礼拝するわけでもなく、ただファジュルの前に起きて礼拝をして、ファジュルの義務の礼拝をして、朝になっても、特に断食をたくさんするわけでもなく、サダカ(自由喜捨)をたくさんするわけでもなく、普通の人と同じようなことしかしていません。

何日か家に泊まり込んで観察しても、まったく特別に天国の住民と呼ばれるようなすごいことをしているのを見る事ができなかった彼は、ついにしびれをきらして、その男の人に打ち明けました。
「実は私はあなたの家に泊めてもらおうと思ったのは、預言者様が、あなたのことを、「天国の住人」と呼んでいるのを聞いたからです。それで、あなたが何をされているのかをどうしても知りたくなり、お宅に泊まらせていただいたのです、申し訳ありませんでした。しかし数日経ちましたが、どうしても私には、あなたがそう呼ばれる理由を見つけられませんでした。どうか、教えてください。そう呼ばれるような、あなたがしていることは何でしょうか?」と。
すると、男は驚きましたが、考えに考えて、困り果てて言いました。「いや、私は、あなたがご覧になったように、礼拝も特に人よりたくさんしているわけではないし、断食も、たくさんしているとは思えないし、貧乏でサダカも多くしているとは思いませんし・・・・、いや~、どうして預言者様が私の事を「天国の住人」などと呼んでくださっているのか、全くわかりません・・・すみません。」

男の言葉を聞いた彼は、がっかりして、あきらめて礼を言って、男の家から、帰りかけたとき、その男が、彼を呼び止めました。
「待ってください、私はひとつだけ、毎日していることがあります。」
彼は喜んで、「それは何ですか?」と勢い勇んで尋ねました。
すると、男は、「私は寝る前に、『今日私を害した全ての人を、許します。』とアッラーにお願いして、どんなひどいことをされても、必ずその日の夜にアッラーに『全ての人を許します』とドゥアーをしてから、寝ています。」と言いました。
それを聞くと、彼は、「あなたが、天国の住人と呼ばれる理由がわかりました。どうもありがとうございました。」と言って、満足げに帰っていきました。

心の中に、憎しみや、憎悪をためないこと、が大切です。それは、私たちを地獄に連れて行く以外、何もしてくれません。自分にひどいことをした人のために、私たちは地獄に行きたいのでしょうか?
ムスリムは、自分が天国に入るために、アッラーのために人を許します。
けんかをして、3日以上口を利かないことがあってはならない、と預言者様(صلى الله عليه و سلم)は言われています。相手が120%悪いと思っていても、アッラーのために、しいては、あなた自身のために、相手を許しましょう。そうすることで、最後の審判の日に、アッラーがあなたにご慈悲をおかけになり、あなたのことをお許しになります。

シャアバーン月15日前夜の夜までまだ少し時間があります。自分の心の中に、誰かに対する憎しみがないか?嫌い合っている人はいないか?チェックして、改善しましょう。また、親不孝をしたままの状態でないか?ご両親との関係をチェックして、関係改善のための努力を、小さくても確実に一歩踏み出しましょう。アッラーのお許しが、すべてのムスリムにそそがれる月曜日の夜に、その中に入れていただけるように、自分の状態をチェックして、改善しましょう。インシャアッラー、もう2週間ちょっとでラマダーンです。ラマダーンの大きな報酬をゲットするために、ラマダーンの始まる今、準備しておくと良いことが3つあります。(神戸モスクの旧サイトより)

1.自分で自分を秤にかける
年の終わり、有能な実業家は自分の仕事を評価して、どの事業が利益を生み、どの事業が損失を生むかを計算し、来年の利潤を増やすために使います。これはこの世で成功するためにしなければならない事ですが、私達の目標はこの世だけでなく、来世でも幸せになることです。永遠に続く来世のために私達の利潤を増やす事は、短いこの世の利益よりも、さらに重要です。
来世のために私たちが今すること、それはアッラーのもとで、私達の評価がどのような状態であるかを考える事です。「あなた達の行為が量られ勘定され、それらが秤にかけられる(最後の審判の日の)前に、あなた達自身で秤にかけなさい。」と言われます。自分自身を秤にかける事によって、善い行為を増やし、悪い行為を減らす事ができます。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم) は足がはれ上がるほど夜を通して礼拝して過ごし、奥様のアーイシャさま(رضي الله عنها) が尋ねました。「アッラーの御使いよ! あなたは以前の、そして今後の罪もすでに許されているのに、なぜそこまでなさるのですか? 」彼(صلى الله عليه و سلم)は答えて言われました。

≪アーイシャよ、私は感謝するアッラーの僕ではありませんか?≫ムスリム出典

彼(صلى الله عليه و سلم)は、どんなに努力しようとも、アッラー に対する感謝が、全ての瞬間に彼が受けていた祝福に対してとても足りないと誰よりもよくわかっていました。どんなに感謝しても、どんなに礼拝や断食をたくさんしても、私たちがアッラーからいただいた命の重さを、アッラーに十分感謝していると言えるでしょうか?礼拝をすることのできる体さえ、アッラーからいただいたものですし、アッラーに感謝を感じる心をくださったのも、アッラーです。
そのことを誰よりも理解して、自分のできる精一杯のことをしていたのは、預言者様(صلى الله عليه و سلم)です。

私達は誰よりも自分の欠点を知っているため、ラマダーンが始まる前に自分自身を秤にかけ、自分自身を正すことで、ラマダーンの大きな祝福をあますところなく受ける事のできる状態にしてくれます。二つ目のラマダーンを迎える準備は、

2.アッラーへ悔悟する事とアッラーのお許しを求める事。
自分で自分を秤にかけた後、自分の欠点がはっきりと分かり、アッラーに悔悟し、アッラーのお許しを求める事によって罪を清めましょう。クルアーンでアッラーはこう仰っています。

【自分の魂に背いて過ちを犯したわがしもべたちに言え,「それでもアッラーの慈悲に対して絶望してはならない」アッラーは,本当に凡ての罪を赦される。かれは寛容にして慈悲深くあられる。】クルアーン:集団章(アッ・ズマル)39章53節

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、悔悟に関してこう言われています。

《 自分の罪を悔悟する者は、あたかもまるで、罪が全くない者のようである。》

一部の人は、自分の犯した罪があまりにも大きいため、お許しを得る事が決してできないだろうと絶望し、お許しを請うこともしなかったりします。しかし、アッラーの寛大さよりも、自分の罪の方が大きいと思うことは、自分のことを過大評価しすぎていて、アッラーに対してとても失礼です。アッラーは悔悟する人を必ずお許しになりれます。

 「かつて99の魂を奪った殺人者が住んでいました。ある日彼は、勘定の日(審判日)を思い出させられました。彼は恐ろしくなり悔悟したく思い、そして彼は信仰深い人のもとへ行き言いました。『私は99人殺しました。アッラーが私をお許し下さるとあなたは思いますか?』その聖職者は、『いいえ、残念ながらそうは思いません。』と言いました。その男は100人目の彼を殺し、彼の道を進み続けました。彼は知識深い人を見つけ、彼に同じ質問をしました。その有識者は、『あなたが本当に悔悟する限り許されるでしょう。しかし、あなたは、この町とあなたが持っている悪い仲間達から離れ、正直で善良な人々が住んでいる町に行かなければいけません』と言いました。そこで彼はその町に向け出発しましたが、旅の途中で亡くなってしまいました。困ったのは死の天使です。彼を天国に連れて行ったらいいのか、地獄に連れて行くべきなのか、わからないからです。すると、アッラーは、彼がその町に向け歩んだ距離を測るように天使に仰せになりました。そして、元の町により近ければ、彼を地獄に、良い町により近ければ彼を天国に、連れて行きなさい、と。そしてアッラーは、元の町から彼までの距離をぐーーーっとお広げになり、彼を良い町により近くなされ、彼を天国に入れられました。

3.変わるための断固たる意志
先ほどの話の中の殺人者を見ると、彼が反省していただけではなく、より良くなるよう自身を変えようとしていた、ということがわかります。亡くなった時には、良い町に行くために悪い町から離れようとすでに旅立っていました。この変わろうとする強い意図は、彼の悔悟をアッラーに受け入れられるものにしました。もし悪い行いをする事を止めないのなら、悪い行いについて泣いてアッラーにお許しを求める事には意味がありません。まず私達は私達自身を変えなければなりません。まとめると、悔悟を完全にするための、条件は3つです。
1.その行為について悔悟する事。ア=ン=ナダム
2.アッラー のお許しを求める事。アル=イスティグファール
3.その悪い行為を再度する事が決してないよう強い意図ニーヤすること。

私達が、これら3つの事をすれば、一ヵ月後に来る寛大なラマダーン月にアッラー がお恵みになる大きな利益・祝福を受けいれる準備が整います。私達の魂は過ちから清められ、心が光で満たされ、ラマダーンの光は、光の中の光のように私達の心で輝くでしょう。3つを確認してみましょう。
1.自分で自分を秤にかける
2.アッラーへ悔悟する事とアッラーのお許しを求める事。
3.変わるための断固たる意志

ラマダーン前の今月は、この清算に励み、インシャーアッラー、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)への祝福をたくさん送りましょう。アッラーが私たちを祝福多きラマダーンを迎える事ができるように助けてくださいますように。


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام





ラマダーン_断食の効用とニスフ・シャアバーン前夜(ライラト=ル=バラー)

2011-07-15 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


ラマダーンの意味



これまで死後に起こることを学んできて、前回は、いよいよ私達の行いが、秤にかけられたところで終わりました。行った善行と、悪行を、天秤の秤にかけ、どちらが多いか?それによって、自分の永遠の行き先が決まることを学びました。クルアーンでアッラーはこう仰っています。

【その日あなた方は、(審判のために)皆さらけ出され、何一つとして隠しおおせないであろう。それで右手にその記録所を渡される者は言う。「ここに(来て)あなた方は私の記録書を読みなさい。いずれ私が、清算に合うことが、本当にわかっていました。」こうして彼は至福な生活に浸り、高い(丘の)園の中で、様々な果実が手近にある。「あなた方は、過ぎ去った日に行った(善行の)ために、満悦して食べ、かつ、飲みなさい。」(と言われよう。)だが、左手にその記録書を渡される者は言う。「ああ、私の記録書が渡されなかったならば。私は自分の清算がどんなものであるかを知らなかった。ああ、死が私の終末であったならば(よかったのに)。」 】クルアーン真実章18節から27節 日訳721p


この世には、病気や、災難や、うまく行かないことや、辛いことが、沢山沢山あります。時には疲れてしまって、生きているのが辛くなることさえあるかもしれません。それはどうしてでしょうか?前回勉強しました。覚えていますか?どうしてか?なぜなら、私達が試験中だからです。試験を受けているときには、解けない問題があってあせったり、どきどきしたり、悩んだり、パニックになったり、試験に合格するために、必死になり大変なのが普通です。私達は、試験会場であるこの世で、いろいろな災難にあうのは、言ってみれば当然のことなのです。私達を何とかして天国に入れてくださろうと、試験をしてくださっているのですから、自分が試験中なことを忘れないようにすべきですが、私達は、この人生が試験中だということをすぐに忘れてしまいます。そんな私達を心配して、何とかして天国に入れるようにお優しいアッラーが定めてくださったのが、年に一度のラマダーン月の断食です。この月は、天国の大バーゲンです。すべての義務の行いは70倍にカウントされます。あの世で厳密に測られる、私達の善行の秤の上に、この月は、ど~~んっと普段の70倍の善行が追加されます、インシャアッラー。

今月の31日か8月1日から、ラマダーン月に入ります。あと2週間ちょっとです、インシャアッラー。ラマダーン月は、私達のことをアッラーが本当に愛してくださって、私達のことを思って定めてくださったもので、天国の大バーゲンである上に、一年のうち一ヶ月間の体と心の治療コースでもあります。

至高なるアッラーは、雌牛章の中でおっしゃられています:【信仰する者たちよ、あなたがたに斎戒が課された。それは、あなたがたの前の民にも課せられたものである。おそらくあなたがたは(主を)畏れるだろう】(クルアーン雌牛章183節)

 預言者(صلى الله عليه و سلم)のお言葉に:《斎戒すれば、健康になる》とあります。

クルアーンの中で語られる斎戒というものは、偉大なる創造主の命令である宗教儀礼の一つであるため従うべきだということと、科学が私たちに示してくれる事実を、儀礼が定められた理由であるとしてはいけないということです。なぜなら、科学はどんなによい方向に進んでも、アッラーの全ての叡智を網羅することに不可能だからです。しかし、科学が斎戒について発見する事実を、アッラーが人間のために課した義務によって、得られる効果として語ることは、間違いではありません。


断食の体への効用


断食は、段階的にもたらされる栄養と、生活の規則で、人間の心身に深い影響を与えます。そしてそれは多くの病の治療法でもあります。おそらく、消化器は断食の効果を一番強く受ける部分でしょう。ここで、人間の消化機能についてお話します。口、唾液、胃、肝臓、それらの体液など全てが、一口の食べ物の消化に関わってきます。血液は肝臓に栄養を送り、肝臓はそれをろ過し、余分なものを貯蓄します。そして詳細に、体が必要としている分の栄養を与えます。消化運動はこれで終わらず、さらに栄養は、毛細血管によって体の隅々に送られます。

 このように食事という行為は、一口飲み込むだけで終わるのでなく、実はそこからが、始まりです。全ての体内の器官を動かす、この一口の食事。私たちのうち誰でも、身体的、精神的、思考的運動を怠けることがあっても、1日中、口の中に入れる食べ物を消化する胃を動かさない人はいないでしょう。ですから、消化器は、他の器官に比べて、一番多く働いているといえます。そこで、確たる規則で体を、特に消化器を一ヶ月の間休めることが出来たら、私たちは、否定に値しない多くの効果を得ることが出来ます。

①体内にある重い脂肪を分解。脂肪は増えると難しい病気を引き起こします。空腹は、肥満を解決し、脂肪を溶かす一番良い自然な方法です。
②溜まった不要物、毒物を排出。
③体の各部位を休ませる。
④血管に脂肪が入る量を少なくし、血管を、脂肪の付着から保護する。
⑤空腹は、斎戒後、体に反発感を与える。食欲、代謝、新鮮な気持ちが起こる。

預言者(صلى الله عليه و سلم)が私たちに示してくださったマナーを遵守した斎戒が実現した場合に、空腹という治療法の効果が一番良く現れます。欧州では幾種かの病の治療の際、断食という治療法に興味を示しました。バルセロスというスイスの医者は言っています「空腹という治療法は、薬を使うことよりも効果がある」。ヘルバという医者は、数日間患者に食べ物を禁じた後、軽い栄養食を与えていました。

 重要な2点について。
 第一:断食は、ある特定の人々や、断食を全うできない人々に害を及ぼすことや、悪い影響を与えることがあります。この場合、断食を避けることは懸命で、アッラーは、彼らのために断食の義務を免除しています。【病にあるか、旅行中の者は後で(断食しなかった分の)埋め合わせをすること】(クルアーン雌牛章184節)そういう人は、断食を禁じられています。

 第二:断食の理想的な効果を得るためには、断食のマナーに正しく従うことが大切です。スフール(断食開始前に取る食事)を遅らせること、フトゥール(断食を解く食事)を早くすること、食べ物の浪費を避けることです。

イスラームにおける断食は、24時間食べないのではなく、朝ごはんを夜明け前にとり、夕飯を日の入りと共に取ります。ですから、実質、食事を抜かすのは、昼食だけです。昼食を一食抜かすだけのことで、人間の体に、これらの偉大な効果が得られるのです。


断食の精神面での効用


1.何かを行うときに、アッラーの御満足しか求めない気持ちを育てる。
イスラームにおける様々な崇拝行為の中で、断食だけが、他人には外から見えず、自分とその主であるアッラーの間のみで行われる。断食を遂行するさいに、それを破らない様に自分を監視するのは、自分の心と、アッラーの御満足を得たいという願いしかない。預言者様(صلى الله عليه و سلم)は言われました。《至高なるアッラーはこういわれました:アーダムの子孫(訳注:人間)の行いは、断食を除いては、全て彼自身のためである。本当にそれ(訳注:断食)は私のためである、そして私がそれに対して褒賞を与えるのである・・・》

2.空腹により、傲慢さがなくなり、悪事を行いたい欲求が減少する。
傲慢や高慢さは、アッラーのことを忘れておごる原因になるが、その気持ちを砕く最も良いものは、空腹である。又断食は神経系を静める働きがある。

力や欲求のエネルギー源は、食べ物であるので、それを減少させる或いは断食する事は、全ての欲望と力を弱めることになり、断食する人が欲望を抑制しイスラームの教えを守るのに役立つ。又、空腹に加えて、断食をする人が、常にアッラーに見られていると意識すること、自分は至高なるアッラーのための崇拝行為をしているのだという自覚も、欲望抑制に役立つ。

3.頭をすっきりさせる。
なぜなら、大量の食物と飲物は、体をだるくさせ、思考を鈍らせ、眠りを誘うからである。断食のし始めは、神経の興奮を伴うかもしれないが、追ってそれは弱まる。

4.意思を強くし、我慢強くなり、少量の食物に耐えられるようになり、習慣を改めることができる。
イスラームの断食を行うものは、起床、就寝、食事、仕事、休憩などの時間を変えなければならなくなるので、日常の習慣とは異なったことを行うことになるからである。こういった事は、断食以外の時期に自分で変えようと思っても難しい。又、断食を行うものは、空腹感とのどの渇きに耐えるが、忍耐とは、個人や共同体が目的を達成するためになくてはならない要素である。アッラーの使徒(صلى الله عليه و سلم)はこう言われた。《断食は忍耐の半分です。》又こうも言われた。《忍耐は信仰の半分です。》

5.共同体に一体感を生み出す。
貧富の差に関わらず、全員が一緒に、空腹感やのどの渇きのつらさに耐えるので、(訳注:貧困者のつらさが身にしみるため、又社会に一体感が生まれるため)後に貧困層撲滅に力が入るからである。古いことわざに、-満腹の人は空腹と空腹の人たちのことを忘れる-とある。

以上のことから、ラマダーンの断食は、たくさんの心と体の病から身を守る一年に一回の予防コースであり、又いくつかの病気を直す治療コースでもある。また断食をしている中庸なまじめなムスリムを、成人病から防ぐ働きもある。なぜならば、そのほとんどは、体の部位を一生の間使いすぎることにより生じるからである。以上のことから、アッラーの使徒(صلى الله عليه و سلم)の言葉の正しさがわかる。彼(صلى الله عليه و سلم)はこういわれた。《断食をして健康になりなさい》

―イスラームの断食は、治療医学と言うよりは、予防医学と言える。又病人は、クルアーンの一節【病気にかかっているもの、または旅路にあるものは、後の日に、同じ日数を(斎戒する)。】(雌牛章185節)にあるように、ラマダーンの断食をしないことができる。


【ラマダーンの徳】




①過去の罪の許し。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は言われました。 《ラマダーンの間、アッラーの報酬を願って、心を込めて礼拝に立った者は、以前に犯したどんな罪も赦される。》(アル・ブハーリー他6本で認められたアブー・フライラのハディース)
つまり、タラーウィーフという特別な夜の礼拝がラマダーン中はありますが、イシャーの後に行われる2ラカーづつのする礼拝で、8ラカーか20ラカーするのがスンナです。よくモスクに行かないとタラーウィーフの礼拝はできないと思っている人がいますが、そんなことはなくて、特に女性は、夜に外出する事でよくないことがあれば、家で自分ひとりでも、だんな様と一緒にでも、タラウィーフの礼拝をすることができます。ただニーヤを「アッラーを称えて、タラーウィーフの礼拝をします。」とし、ファジュルの礼拝のように、2ラカートづつやるだけです。それを8ラカートすれば、スンナのタラーウィーフの礼拝を預言者さま(صلى الله عليه و سلم)がされたように、したことになります。

②地獄の炎からの防御。ラマダーン月の30日の間、斎戒ができれば、ラマダーンの後も、自分自身を悪いものから守るよう心がける癖がつきますので、それによって、私たちは自分自身を地獄の炎から守ることが出来ます。

③善行が、普段の70倍に計算される
( 義務の行為が普段の70倍の報酬に計算され、義務以外の善行は、義務の行為をしたのと同じ報酬がつきます。
これは、すごいです。例えば、義務の善行のひとつのザカート(義務の喜捨)だと、ラマダーン以外の月に3,000円ザカートを払うと、アッラーの許は善行には10倍の報酬がつきますから、3万円として記録されますが、ラマダーン月は、10倍×70倍で、700倍の報酬になり、3000円のザカートがアッラーの許では21万円分の報酬になる!!ということです。この月に払っていないザカートがあったら払っておかないと損です。)いつもついついファジュルの礼拝を逃してしまう、としたら、ラマダーン月は義務の礼拝の報酬も70倍ですから、普段するよりも700日分の報酬が手に入りますから、ぜひ、ラマダーン月だけでも、義務の礼拝を時間内にできるように、頑張ってみましょう。一回が700日分の報酬がつくとなれば、ちょっと眠くても、疲れていても、頑張ってやってみる価値は十分あります。

④ドゥアーが聞き入れられる。斎戒が定められたクルアーンの節を見てみると、雌牛章185節、186節
【(185)ラマダーンの月こそは人類の導きとしてまた導きと識別の明証としてクルアーンが下された月である。それであなた方のうち、この月に家にいるものは、この月中、斎戒しなければならない。この後の節にすぐ、(186)われのしもべたちが、われについてあなたに問うとき、われは本当に僕たちの近くにいる。かれがわれに祈るときはその嘆願の祈りに答える。】
ラマダーンが定められた節の後に、ドゥアーの節がすぐ来ています。
これには意味があります。ラマダーン月は、ドゥアーが叶う月だからです。
まず、断食をしている人のドゥアーは、彼が断食を解くまで、叶う、というのと、イフタールのときにするドゥアーは叶えられる、というのがあり、毎日断食をするラマダーンは、毎日がドゥアーがかなう時間の宝庫です。極めつけは、千ヶ月よりもよライラトゥ=ル=カドゥルの夜で、この夜には、特別な祝福があります。
アッラーーは、私たちがドゥアーを心からすれば、必ず答えてくださるとクルアーンではっきり言われています。 雌牛章1866節
【(186)われのしもべたちが、われについてあなたに問うとき、われは本当に僕たちの近くにいる。かれがわれに祈るときはその嘆願の祈りに答える。】
すべてのこの世のものは、アッラーの手の中に、あることと確信することです。人を金持ちにするのも、アッラー、頭をよくするのも、アッラー、きれいにするのも、アッラー、アッラーは私たちの心の中まですべてをご存知で、アッラーはすべてをご覧になっており、アッラーは私たちの行いを全て清算なさる。全てのものは、アッラーの許にあり、彼が「あれ」とおっしゃれば、全てのものは存在するのだ、無から全てをお創りになったのだということに確信を持ちましょう。
私たちは、そのアッラーに、何でも頼むことができます。欲しいもの、お金のことでもどんな小さなことでも何でも構いません。何でも頼みましょう。

⑤ライラトゥ=ル=カドゥル(クルアーンがアッラーの許からこの世に下った夜、 
千月よりも良いといわれる)ラマダーン月最後の10日間にこの一夜はあります。

⑥アッラーが、僕(しもべ)達が断食しているのを、お喜びになり、お側にいる天使たちに自慢なさいます。
ドゥアーの叶うラマダーン月に、お互いにドゥアーをしあいましょう。ラマダーンが終わって、イードには皆で笑顔で祝福できるように、ここに来ている人全てのために、日本の、世界のムスリム達のために、たくさんドゥアーをし合いましょう。


シャアバーン月について~ニスフシャアバーンの前夜



シャアバーン月の15日目「ニスフシャアバーン」は、今年は今度の土曜日か日曜日がその日にあたり、スンナの断食をするといい日で、そのニスフシャアバーンの前夜(つまり、7月15日(金曜)の夜(マグリブ)から、明朝のファジュルに入る前までの時間か、16日(土)の夜からファジュルまで。)には、大きな徳があり、ドゥアーが叶う5夜のうちの一つでもあります。(この夜以外の4夜は、シャアバーンの15日の前夜、金曜日の前夜、2つのイードのそれぞれの前夜)弱いハディースによる。

《ニスフシャアバーンの前夜にあったなら、その夜は祈りに立ち、昼は断食をしなさい。実に至高なるアッラーは、太陽が落ちると、地上の空に降りてきて、誰か、許しを乞う者はいませんか?私が許しましょう。誰か、恩恵を求める者はいませんか?私が与えましょう。誰か災難に遭っている者はいませんか?私が救いましょう。誰かこれこれの者は、誰かこれこれの者は、と仰り、それはファジュルになるまで続きます。》 イブンマージャの伝承
≪アッラーは、その夜(シャアバーン15日前夜)に、すべてのムスリムを許します。ただ、占い師や魔法使い、お互いに嫌い合う者、酒に酔っている者、両親に背いている者を除いては。≫
この夜は、アッラーの特別、大判振る舞いの夜で、すべてのムスリムが許されますが、もし、嫌い合っている相手がいる場合、または自分か、ご主人の両親に親不孝をしたままの場合には、その夜のアッラーの寛大なお許しから、自分だけが除外されてしまいます。すべてのムスリムが許されるその夜に、どんなにお願いをしてドゥアーをしても、自分だけは、対象外になってしまうのです。こんな損なことはありません。
まとめ:ラマダーンまでに、以下の3つのことをしましょう。
1、ムハーサバトゥ=ン=ナフス。自分で自分を秤にかける
2、アッタウバとイスティグファール。アッラーへ悔悟する事とアッラーのお許しを求める事。
3、アル=アジーマ。変わるための断固たる意志

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


【最後の審判の日 ― 清算】

2011-07-02 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
① 死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③ 最初のラッパによって、生きている物がすべて死ぬ → ④ 次のラッパによって、全員復活、再生する。 → ⑤ 預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場)で、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にお会いする。 → ⑥ 全ての人類が結集され、自分の清算の番を待つ。  → ⑦ 預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成しを受ける

今回は、インシャアッラー、その後、私たちに何が起こるかを見て行きます。



⑧整列、清算、秤、記録書


全ての創造物は、清算のために、アッラーの御前に引き出されます。アッラーは、クルアーンの中で仰っています。

【 かれらは列をなして、主の御前の所定の位置に付かされる。(主は仰せられるであろう。)「あなた方は、われが最初に創ったように、今、正にわれの元に来た。いや、われがあなた方に対し(会見の)約束を果たさないと、決め付けていた。」 】クルアーン洞窟章 48節 日訳P361

その後、アッラーの清算が、一人ひとり始まります。

【 われは審判の日のために、公正なはかり秤を設ける。一人としてたとえ芥子粒の重さであっても、
不当に扱われることはない。われはそれを(計算に)持ち出す。われは清算者として万全である。 】
クルアーン預言者章 47節 日訳P397

クルアーンではっきりと何度も述べられているように、その日、誰一人として不当に扱われることはなく、分不相応に優遇されることもありません。すべては、最も公正なアッラーが、まったく間違いなく、まったく少しの狂いもなく、公正にきっちりと私達のこの世でした行いを、清算してくださいます。

【 その日人々は分別された集団となって、(地中から)進み出て、かれらの行ったことが示されるであろう。
一微塵の重さであっても、善を行った者はそれを見る。一微塵の重さであっても、悪を行った者はそれを見る。】
クルアーン 地震章 6~8節 日訳P793

【 その日各人は行ったことによって報いられる。不正のない日である。
本当にアッラーは清算に迅速であられる。】クルアーン ガーフィル章 16節 日訳P580

この清算を受けるときには、私達は3グループに分けられます。
・グループA:何の清算もなく、直接天国に入る人たち。

・グループB:清算のときに、言い争うこともなく、厳しい清算も受けず、簡単な清算で済む人たち。
【そのとき右手にその書冊を渡される者については、かれの計算はすぐ容易に清算され、かれらは喜んで
自分の人々の元に帰るであろう。】クルアーン割れる章7~9節 日訳P765

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。
《あなた方のうちの誰でも、主に近づき、その御翼の陰に入るほどになるとき、アッラーは彼に彼の罪について告げられます。「これこれの罪の事をわかっていますか?」(信者は)言います。「知っています。」― 繰り返し ―「主よ、知っています。」すると、(アッラーは)こう仰います。「この世で、私はそれを隠しました。そして、今日はあなたのために、それを許しましょう。」》アル=ブハーリーの伝承

そして、彼の善行の記録書はしまわれます。一方、他の人々や不信者達は、証人たちの前に呼び出され、その悪行を証言されます。【 彼らは主の身元に引き出され、その証人達は、「これらの者は、主に関していつわった偽った者です。」と言うであろう。】クルアーンフード章18節 日訳P264

・グループC:困難な清算を受ける人たち。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。
《誰でも清算を受ける者は、すでに罰せられている。》アーイシャさま(رضي الله عنها)が、「至高のアッラーは、【かれの計算はすぐ容易に清算され、】と言われたのではありませんか?」と言うと、仰いました。「それは、提出(最初に簡単に見せられること)です。だが、清算について討論される者は、滅びます。」アル=ブハーリーの伝承

この清算を無事に乗り切るために、私達が知らなければならないのは、私達の行いの何を、まず、アッラーは、清算なさるのか?アッラーにとって、私達のこの世の行いの中で、何が一番の重要事項なのかということです。これを知らないと、審判の日にアッラーに清算を受けるときになって、「ええ~~!それがそんなに重要だとは知らなかった!!」と言っても、後の祭りです。

清算の上で、最も重要視される最初のものは、2種類あります。
一つ目は、アッラーの権利を侵したことに関するもの、もう一つは、僕たち、つまり、人間の権利を侵したことに関するものです。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

《実に、審判の日に、僕がその行いの中からまず最初に清算されるのは、彼の礼拝です。もし、正しく行われていれば、すでに彼は喜ばされ、救われます。もし、怠っていたら、失敗し、損をします。そして、もし彼の義務の礼拝から足りない所があれば、至高偉大なるアッラーはこう仰います。「私の僕に、スンナの(礼拝)はあるか見なさい。」そして、それによって義務の足りない所は補われ、そして、彼の残りの行いもこのようにされます。 》

そして、二つ目の重要事項は、人間の権利に関するもので、それは殺された者の血の清算です。

また、アッラーが決して許してくださらない罪のことをここで話しておかなければなりません。

【 本当にアッラーは、(何ものをも)彼に配することを許されない。
それ以外のことについては、御心にかなう者を許される。】クルアーン婦人章48節 日訳P101

また、人に対して犯した罪は、その人が許してくれるまで許されないので、注意が必要です。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

《 破産者とは、誰のことは知っていますか?》人々は、「私達のところで破産者とは、ディラハム(通貨単位)も物も持っていない人のことです。」すると、仰いました。「実に、私のウンマ(共同体)の中で破産者とは、審判の日に、礼拝や、断食や、ザカート(義務の喜捨)を持ってやって来るが、彼は、ある人をけなし、ある人を中傷し、ある人のお金を不正に手に入れ、また、ある人の血を流し、ある人を殴り、これに対し、彼の善行から与えられ、また、これに関しても善行から与えられ、そうして彼の義務を清算される前に、すでに彼の善行が無くなってしまい、彼らの悪行を受け取ることになり、彼にそれが投げ捨てられ、ついには、(地獄の」炎の中に投げ込まれる者です。」》ムスリムの伝承

そして、私達のこの世の行いが全て書かれた記録書を、渡されます。

【 その日あなた方は、(審判のために)皆さらけ出され、何一つとして隠しおおせないであろう。それで右手にその記録所を渡される者は言う。「ここに(来て)あなた方は私の記録書を読みなさい。いずれ私が、清算に合うことが、本当にわかっていました。」こうして彼は至福な生活に浸り、高い(丘の)園の中で、様々な果実が手近にある。「あなた方は、過ぎ去った日に行った(善行の)ために、満悦して食べ、かつ、飲みなさい。」(と言われよう。)だが、左手にその記録書を渡される者は言う。「ああ、私の記録書が渡されなかったならば。私は自分の清算がどんなものであるかを知らなかった。ああ、死が私の終末であったならば(よかったのに)。」 】クルアーン真実章18節から27節 日訳721p

そして、いよいよ私達の行いが、秤にかけられます。行った善行と悪行を天秤の秤にかけ、どちらが多いかによって、自分の永遠の行き先が決まります。
このときになって、「もう一度この世に返してくれたら、きっとお祈りを5回して、人の悪口も決して言いませんから」、とアッラーに誓っても、誰一人この世に戻されることはありません。試験はもう終わってしまったのです。試験会場から出て、合格発表の日になって、「もう一度試験を受けさせてください。今度はきっと頑張りますから。」と受験生が泣いて頼んでも、誰も聞いてくれないのと同じです。

私達が生きているこの世は、試験会場です。それを忘れてしまっていようと、試験は、続いています。そして、発表の日は、必ず来ます。そのときになって、後悔しても遅いのです。
私達が、試験会場にいるとき、私達はどんな気持ちでいるでしょうか?試験会場で試験を受けている最中に、リラックスして、好きなときに居眠りして、好きなときに食べたいだけ食べて、試験中なことをすっかり忘れて遊んでいたら、合格できるでしょうか?この世は、試験会場です。私達がそれを思い出していても、忘れていても、その事実は変わりません。
この世には、病気や、災難や、うまく行かないことや、辛いことが、沢山沢山あります。時には疲れてしまって、生きているのが辛くなることさえあるかもしれません。それは、なぜなら、私達が試験中だからです。試験を受けているときには、解けない問題があってあせったり、どきどきしたり、悩んだり、パニックになったり、試験に合格するために、必死になり大変なのが普通です。リラックスするのは、試験が終わった後、試験会場から出てからです。私達は、試験会場であるこの世で、いろいろな災難にあうのは、言ってみれば当然のことなのです。試験中だからです。アッラーは、私達を何とかして天国に入れてくださろうと、試験をしてくださっているのですから、私達は自分の試験問題に真剣に取り組んで、自分が試験中なことを忘れないようにすべきです。リラックスをするのは、試験会場から出た後です。

さて次回は、いよいよ私達の行いが、秤にかけられます。
إن شاء الله

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام








預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)に平安を送ること

2010-11-13 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


【預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)に平安を送ること】


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。①死の天使が体から魂を抜き取る。→ ②(墓の中の)バルザフの世界 → ③最初のラッパによって生きている物がすべて死ぬ → ④次のラッパによって全員復活する。 → ⑤ 預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド → ⑥全ての人類が、結集され自分の清算の番を待つ。 → ⑦執り成し(預言者さま(صلى الله عليه و سلم)とクルアーンなど)

 前回の勉強会で、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が私たちのためにアッラーに執り成ししてくださって、天国に最終的には全ムスリムが入ることができるという話をしましたが、最後の審判の日に預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にとって最優先される人というのは、彼に一番多く祝福を送った者だというハディースがあります(ティルミズィーとイブンハッバーン出典)。天使によって録画されているこの世で行った自分の行いが全て上映される最後の審判の日に、アッラーに最も愛されている預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が一緒にいてくださって、彼の執り成し(シャファーア)を優先的に受ける事ができたらどんなに心強いかわかりません。

 一般的に、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のお名前を聞いたら「(صلى الله عليه و سلم)サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム」(彼にアッラーの祝福がありますように。)と言って、彼に祝福を送るのは良く知られているかもしれませんが、お名前を聞かなくても、私達は預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に祝福を送ることが大切です。それはクルアーンでアッラーが私たちに命令されています。

【本当にアッラーと彼の天使達は、聖預言者を祝福する(サラートを送る)。信仰するもの達よ、あなた方は彼を祝福し、最大の(敬意)を払ってあいさつしなさい。】 33章 部族連合章 56節 日訳P519

また、別のハディースによると、私たちが預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラートを送るとき、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のところに、私たちの名前と私たちの父親の名前が届けられ、≪○の娘の○が、あなたにサラートを送っています。≫とそれを伝える専用の天使が、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のところに行って、私たちのサラートを伝えてくれます。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が、私たちの名前を聞いてくださって覚えてくださるかもしれません。
 今回は、そのサラートを預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に送ることに関しての、イエメンのシェイフ、アリージェフリー先生の講義のお話しようと思いますإن شاء الله・
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アリー先生の講義「アッラーを求める者よ」からの抜粋

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、私たちが彼に「サラート」を送ることを必要となさっているでしょうか?
もちろん、そんなことは必要とされていません。

【本当にアッラーと彼の天使達は、聖預言者を祝福する(サラートを送る)。信仰するもの達よ、あなた方は彼を祝福し、最大の(敬意)を払ってあいさつしなさい。】 33章 部族連合章 56節 日訳P519

アッラーは、ご自分が預言者さま(صلى الله عليه و سلم)を祝福し、天使たちがみな預言者さま(صلى الله عليه و سلم)を祝福していると伝えた後で、私たちに預言者さま(صلى الله عليه و سلم)を祝福するようお命じになられています。これにはアッラーの英知があり、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が、私たちが「サラート」(祝福)を送ることを必要としていると間違った想像を私たちがして、誤解しないためということがあります。アッラーは、ご自分がすでに預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラートを送っていることを伝え、アッラーに祝福を送られている預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、あなた方がサラートを送ることを必要としていませんよと伝えた上で、それでもあなた方は、もっと上に上りたいですか?もしそうなら、この祝福に入りなさいと言われています。ご自分もされ、天使たちもしている祝福された行為をあなたもしなさいと言われています。アッラーは、この行為をご自分に帰し、天使たちにも帰しています。

この預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラートを送るようにという命令のアーヤが啓示されたとき、あるサハーバが預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のところに行って尋ねました。「預言者さま、私達は、あなたに挨拶をするのは、「アッサラーム アライクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ(あなたにアッラーから平安とご慈悲と祝福がありますように)」と言うことは知っていますが、どうやって、あなたに「サラート」を送ればいいのでしょうか?」すると、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、

≪「اللهم صل على سيدنا محمد و على آل سيدنا محمدアッラーフンマ サッリ アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマド」と言いなさい。≫(日本語訳:アッラーよ、どうかムハンマドとそのご家族を、祝福してください。)

と言われました。

また、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に「サラート」を送ることには、すべての悩み事・心配ごとからの解決があります。ハディースで伝えられている通りです。あるサハーバが言いました。

「預言者さま、あなたにどのくらいサラートを送りましょうか?」
≪あなたがお好きなだけなさい。≫
「では、私の4分の1の時間を使いましょう。」(注:クルアーンを読んだりズィクルをしたりするアズカールの時間の内の4分の1)
≪好きなだけ。もし増やせば、それもいいでしょう。≫
「では、3分の1の時間を使いましょう。」
≪好きなだけ。もし増やせば、それもいいでしょう。≫
「では、私の時間の半分を。」
≪好きなだけ。もし増やせば、それもいいでしょう。≫
「では、私の3分の2の時間を使いましょう。」
≪好きなだけ。もし増やせば、それもいいでしょう。≫
「では、私の時間の全部を使いましょう、預言者さまよ。」
すると預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は言われました。

≪では、あなたの心配ごとは、補償されて、なくなります、そして、あなたの借金は返済されます。また、あなたの罪は許されます。≫

私たちが、それを必要としているのです。誰も、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)がサラートを必要としていると間違った想像をすることはできません。これが、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に「サラート」を送ることの徳です。
でも更に、これ以上にすばらしいことが、あります。人生の心配事を補償され、悩みがきれいさっぱりなくなり、借金も全部なくなり、しかも罪まで許される、でも、これ以上のものをアッラーは用意なさっています。
ハディースサヒーフによると、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

≪誰でも、私にサラートを送った者は、アッラーが、それによって、彼に10のサラートをお送りくださいます。≫

アッラーから私たちへのサラート(祝福)というのは何でしょうか。アッラーの「サラート(祝福)」というのは、アッラーのご慈悲です。クルアーンに詳しく述べているアーヤ(節)があります。
【かれこそは、あなた方を暗黒から光明に連れ出すために、天使たち共々、あなた方を祝福なされる方である。】 33章 部族連合章 43節 日訳P516

私たちが預言者さま(صلى الله عليه و سلم)を祝福する徳は何かというと、アッラーが私たちを祝福してくださることです。では、私たちがアッラーから祝福されることで、何を得られるのでのしょうか。【あなた方を暗黒から光明に連れ出すために】 
アッラーが、私たちを暗闇から光へと救い出してくださるということです。もし、私たちが預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラートを一回送ったら、アッラーが私たちを10、暗闇から光へと救い出してくださり、もし私たちが10回送ったら、私達は100、暗闇から光へと救い出され、もし100回送ったら、私たちは1000、暗闇から光へとアッラーによって救い出されます。

では、これよりももっと奥深い意味があるでしょうか。暗闇から光へ救い出されるのは、すごいことですが、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に祝福を送ることに関して、もっと奥深い意味があります。

では預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は私たちにサラートを送られる権利があるでしょうか。もしこういった徳がなくても。それともないでしょうか。
預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、私たちに、よくしてくださいましたか?
預言者さま(صلى الله عليه و سلم)には、私たちに対する権利がありますか?
彼はあなたに善いことをしてくださいましたか?

アッラーに誓って、すべての人類の中で預言者さま(صلى الله عليه و سلم)ほど私によくしてくださった御方はいらっしゃいません。私たちを暗闇から光へと救い出してくださいました。不信・多神の状態から、信仰へと救い出してくださいました。忘恩の状態からアッラーの存在の実感へと導いてくださいました。背かれていた状態から受け入れられる状態に、地獄から天国に導いてくださいました。この世の人類の中の誰ひとりとして、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)よりも、私に権利のあるお方はいらっしゃいません。もし預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラートを送ることが、先ほど言ったものすごくたくさんの徳、利益がなかったとしても、私たちが預言者さま(صلى الله عليه و سلم)への愛を誠実に実現したら、私たちのすべての時間は、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラートを送ることに使われてもいい程です。では、それによって私たちが手に入れることのできる多くの徳がある場合は、どのくらいそれをすべきでしょうか。
どうか毎日、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラート(祝福)を送ってください。

アリー先生の講義「アッラーを求める者よ」からの抜粋より
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 シリアにいたときに訪れたシェイフで、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に何万回とサラートを送る会をしていらっしゃる、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のことが大好きなことで有名な先生に、あるムスリマからの質問をしたことがあります。「非イスラーム国で暮らしているムスリムたちには、指導してくれるようなシェイフもいなくて、イスラームの知識を教えてくれるような先生もいない中で、どうやって信仰を育てていけばいいのでしょうか?」こう尋ねると、先生は即答で、「預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラートを送りなさい。そうすれば、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が、その方たちに必ずイスラームを教えてくださいます。」ときっぱりと、即答でお答えになりました。私は相談を受けた非イスラーム国にいたその人に、その言葉をそのまま伝えて、先生が仰った「一日に1000回彼に祝福を送ってみなさい。」というのをそのまま伝えました。彼女がそれをし始めると、本当にびっくりすることに、すぐに、誰も教える人がいなかった彼女の町に遠くの村から突然、イスラームを教える先生が引っ越してきたのです!すぐに電話がかかってきて、先生が来たからいらっしゃいと言われ、彼女はその先生のところに毎週通うようになり、その先生は本当に尊敬できるとてもすばらしい方で、先生からムスリマとしてのあり方や信仰など、いろいろなことを教わることができました、アルハムドゥリッラー。まさに、ハディースで言われた、≪誰でも、私にサラートを送った者は、アッラーがそれによって、彼に10のサラートをお送りくださいます。≫ というアッラーのサラート、【暗黒からこうみょう光明に連れ出す】 をアッラーが実現してくださったような状態でした。私たちのような非イスラーム国に住んでいるムスリムにとっては、直接預言者さま(صلى الله عليه و سلم)とつながりを持つことが、とても大切です。

今月は、聖なる月ズルヒッジャ月(巡礼月)で、私たちは今、この期間に崇拝行為をすることが聖戦に参加するよりもよいと預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が仰った、月の最初の10日間の最中にいます。今日は、ズルヒッジャ月7日目です。

ハディース:預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が、≪巡礼月の最初の10日間に行われる崇拝行為は、他のいかなるものにも勝ります。≫と仰ったとき、人々が、「アッラーのための聖戦よりも、ですか?」と尋ねると、≪そうです、聖戦よりも。ただし、生命と財産を投げ出して出陣し、何も得ずに帰還する者は別です。≫と仰いました。  ― アル・ブハーリーの伝承 ―

この期間にズィクル、「لا إله إلا اللهラー イラーハ イッラッラー」と「الله أكبرアッラーフ アクバル」をたくさん言うとよいというハディースがあります。また、他のハディースでは、この9日間は、ドゥアーが拒まれないというものや、この9日間の中にする一日の断食が、一年の断食に相当するというハディースや、善行に700倍の報奨がつくというハディースもあります。
特に、アラファの日(巡礼月9日目)の断食について、預言者ムハンマド様(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。
≪前の一年と、残りの一年(前後2年間)の罪を許されます。≫ ムスリム伝承

アラファの日には、アッラーのご慈悲が、アラファの丘にいる巡礼者たちに降り注がれ、そこから、世界中に広がる日です。その日に、たくさん言うといいズィクル:

≪لا إله إلا الله وحده لا شريك لهラー イラーハ イッラッラーフ ワハドフ ラー シャリーカ ラフ
(訳:アッラー以外に神はなし。唯一で、他に並べるものない御方、
له الملك وله الحمد وهو على كل شيء قديرラフルムルク ワ ラフルハムド ワ フワ アラー クッリ シャイイン カディール≫
彼に大権は属し、彼に全ての賞賛はあり、彼にはすべてのことが可能であられる。)

 この祝福に満ちた10日間に、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に祝福を送ることも、一日に10回でも始めてみるといいでしょう。言い方は、いろいろありますが、最初にご紹介したハディースで、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が言われている形式、「アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマド」(アッラーよ、どうかムハンマドとそのご家族を、祝福してください)という形が一番簡単です。また、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)を「ムハンマド」と呼び捨てにするのは、失礼な感じがして、お名前の前に「سيدناサイイディナー(敬称)」をつけることもあります。また、他のハディースで、彼に祝福を送りながら、彼の家族に送らないのはよくないというものもあるので、「اللهم صل على سيدنا محمد و على آله وصحبه وسلمアッラーフンマ サッリ アラー サイイディナー ムハンディン ワ アラー アーリヒ ワ サハビヒ ワ サッリム」(アッラーよ、我らのムハンマド様と彼のご家族と教友たちに祝福と平安がありますように。)という形式もあります。

16日の夜(マグリブから翌日のファジュル前まで)、イードの日の前夜は、起きて崇拝行為をする人の天国入りが義務となる夜です。夜間中礼拝をずっとするのは、疲れて難しいかもしれないですが、ズィクルやクルアーンの読誦をしたり、今回お話した、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にサラートを送るというズィクルも、できるだけたくさんできるといいですね。إن شاء الله

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام



最後の審判の日 ― (預言者さまSの執り成し)

2010-11-01 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


最後の審判の日 ― (預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成し)


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
  ①死の天使が、体から魂を抜き取る。
→ ②(墓の中の)バルザフの世界 
→ ③ 最初のラッパによって、生きている物がすべて死ぬ 
→ ④ 次のラッパによって、全員復活、再生する。 
→ ⑤ 預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場)で、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にお会いする。
→ ⑥ 全ての人類が、結集され、自分の清算の番を待つ。

今回は、インシャアッラーその後、私たちに何が起こるかを見て行きます。

最後の審判の日に行われる執り成しは、2種類あります。一つ目は、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成し、そしてそれ以外に他の預言者たち(عليهم السلام)や敬虔な人たちやクルアーンによる執り成しがあります。まずこちらから見ていくと、アッラーはクルアーンの中でこう仰っています。

【その日は、慈悲深いお方にお許しを得ているもの以外の執り成しは無益であろう。
その者の言葉はかれ(アッラー)に受け入れられる。】20章ターハー章109節 日訳P390

また預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。
≪最後の審判の日には、3種類の人々が執り成しをします。
預言者たち(عليهم السلام)、そしてイスラーム学者たち、そして殉教者たちです。≫
(イブン・マージャの伝承)

この種の執り成しは、不信者のまま亡くなった人には、役に立ちません。アッラーは、クルアーンの中で言われています。
【本当にアッラーは、(何ものをも)彼に配する事を赦されません。
それ以外のことについては、御心にかなうものを赦されます。】
4章 婦人章 48節 日訳P101

その日は、太陽がものすごく近づいて灼熱の中、アッラーの玉座の影に入らない人たちは、ものすごく暑く、自分の汗が罪の度合いによって、のど元まで迫る程、大変な状態で清算を待ち続けなければならず、その辛さに耐えかねて、人々は行き先が地獄でもいいから、この状況から何とか逃れたいと切望するようになります。まさに、そのとき預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が皆の前に進み出て、すべての人類のためにアッラーに執り成しをしてくださいます。この執り成しを、アラビア語で「シャファーア」と言います。これが執り成しの2つめの種類です。

この「執り成し(シャファーア)」は、クルアーンにもハディースにも記述があり、確実に起こることです。まずクルアーンでは、こう言われています。

【かれ(アッラー)が受け入れる者の外は、執り成しをしない。】
21章預言者章28節日訳P395

【かれ(アッラー)の許しなくして、誰がアッラーのみもと御許で執り成す事ができようか。】
2章雌牛章255節日訳P50 (アーヤトゥ・ル・クルシーの一部)

またハディースで、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

≪私は、私以前の誰にも与えられなかった5つのものを授かりました。第一に、一ヶ月の行程(も遠くにいる)敵の(心にアッラーが吹き込んだ)恐れによって勝利を与えられました。第二に、全ての地は、私にとって礼拝の場所、そして清めの手段とされました。ですから私のウンマに属する人は誰でも、どこで礼拝の時が来ようと礼拝しなさい。第三に、私は以前の誰にも許されなかった戦利品を得ることが許されました。第四に、私は執り成しする権威を与えられました。第五に、他の預言者たちは自分たちの民だけに特別に遣わされましたが、私は全人類に対して遣わされました。≫ (アル=ブハーリー伝承)

他の預言者たち(عليهم السلام)には与えられなかった預言者さま(صلى الله عليه و سلم)だけに与えられた特別な執り成しが、最後の審判の日に行われるわけです。

まず、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成し、これには2種類あります。
一つ目は、太陽がものすごく近づいて灼熱の中、人々が地獄でもいいからこの状況を何とか終わらせたいと切望するようになるとき、人々はこの世で自分が信じていた預言者たちのところへそれぞれ自分の番が早く来るように自分のことをアッラーに執り成してくれるよう、お願いに行きます。しかし全ての預言者たち(عليهم السلام)は、その日「自分のことで精一杯だ。」と言って誰も取り合ってくれません。しかし預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は皆の前に進み出て、すべての人類とジン達すべてのために、アッラーに執り成しをしてくださるのです。ムスリムであっても、不信者であっても、ジンさえも、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成しは、すべての清算を待つ創造物たちに与えられます。この全創造物に対する執り成しはハディースにも記述があります。

≪私は天国で最初に執り成しをする者となるだろう。そして、使徒たちの中で復活の日には、私は最も多くの追従者を持つことだろう。≫ (ムスリム出典)

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成しの2つ目は、イスラームのウンマだけに対して行われるものです。一部のムスリムたちが、清算なしの天国入りを得るための執り成し、またムスリムが、天国での段階の上昇を得るための執り成し、そして、自分の悪い行いから、地獄に入ることが決定しているムスリムたちに対する執り成しまでなさいます。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成しによって、地獄入りが決定しているムスリムたちの中にも救われる者がいます。また預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成しによって、誰でも「ラー イラーハ イッラッラー(アッラーの他に崇める対象はない)」と言った者は、地獄の炎から救い出されます。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

≪すべての預言者には、各一回の懇願のための祈りが認められる機会が与えられています。その預言者たちは、祈りを急いで行うが、私は復活の日まで私の信者の執り成しを祈願するために、残しておくつもりです。もしアッラーがお望みになられれば、アッラーに何者をも同意に配することなく死んだ、私の信者に対する執り成しは、認められるでしょう。≫(ムスリム伝承)

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成しは、最後の審判の日に全てのムスリムのために使われます。それは預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の私たちへの愛情を表します。次のハディースにもそれは現れています。アブドゥッラー・ブン・アムル・アース(رضى الله عنه)はこう伝えています。

≪預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、アッラーの啓示をお読みになったが、それはイブラーヒームさま(عليه السلام)の言葉【主よ、彼らは人々の多くを迷わせました。私の道に従う者は、本当に私の身内であります。】(第14章36節)及び、イーサーさま(عليه السلام)の言葉【あなたがたとえ彼らを罰せられても、誠に彼らはあなたの僕です。またあなたが、彼らをお赦しになるとしたら、本当にあなたこそは威力並びなく、英明であられます。】(第5章118節)に関するものでした。その後、彼(預言者さま(صلى الله عليه و سلم)))は両手を上に上げて、「おお、主よ、私のウンマを!私のウンマを!(お赦しください!)」と仰り、お泣きになりました。それを見て、アッラーは、『ジブリールよ、ムハンマドのところに行き、-もとより私はその理由を十分知っているが-何が彼を泣かせているのか、彼に尋ねなさい。』とお命じになりました。それゆえ、ジブリールは彼のところに来て、尋ねました。そこで、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、訴えた言葉を-アッラーは十分ご存知でありますが-告げました。すると、アッラーは仰いました。『ジブリールよ、ムハンマドのところへ言って、告げるがよい。誠にアッラーは、あなたのウンマに関し、あなたを満足させるであろう。あなたを悲しませる事はないであろう。と。』≫ (ムスリム伝承)

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の私たちのウンマ、全てのムスリムに対する心配と愛情の深さがどれほど大きなものかがわかります。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、1400年前から後々ムスリムになるであろう私たちのことをとてもとても心配されて、私たちのために泣きながらアッラーに懇願されました。このハディースは、クルアーンのドハー(朝)章にある、【やがて主は、あなたの満足するものをお授けになる。(وَلَسَوْفَ يُعْطِيكَ رَبُّكَ فَتَرْضَى ワ ラサウファ ユウティーカ ラッブカ ファタルダー)】で言われる、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が満足するもの、というのが、この世の飾り(お金・地位・名誉・自分の幸せなど)ではまったくなく、私達ムスリムのことであるということ、私達ムスリムが天国に入ることであることだということを示しています。預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)は、私たちのために祈り、私たちのために啓示を伝え、私たちのために尽くしてくださいました。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)ほど私たちのために親身になって尽くしてくださった方はいらっしゃいません。最後の審判の日、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の執り成しによって地獄から助けられる私達は、本当に幸せです。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام



最後の審判の日 ― ハシュル(結集)

2010-10-14 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

最後の審判の日 ― حشرハシュル(結集)


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。

 死の天使が、体から魂を抜き取る。→ ②(墓の中の)バルザフの世界 → ③最初のラッパによって、生きている物がすべて死ぬ → ④次のラッパによって、全員復活、再生する。 → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場)で、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にお会いする。

 今回は、インシャアッラー、その後、私たちがハウドからどこへ行くのかを見ていきます。

 ハウドで、インシャアッラー、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にお会いして、ハウドから水を頂いて飲むことができると、その後、天国に入るまで、全く喉の乾きは感じなくなります。これは、すご~く重要で、なぜかと言うと、この後に、天国か地獄へ入るまで、灼熱の太陽の中でのなが~~いなが~~い旅が私たちを待っているからです。ハウドを出た、私たちをまず待っているのは、「ハシュル(結集!)」です。ハシュルの意味は、「全ての人類が、最後の審判の日に、至高なるアッラーの元へ集結し、彼の御手の中で清算を受けるために集まることです。」クルアーンには、ハシュルについて書かれている節がたくさんあります。

【われが山々を移させるその日、あなた方は大地が平らになるのを見るであろう。
またわれは、彼らを一斉に集めて誰も残さない。】
(18章 洞窟章 47節 日訳P361)

 この日には、私たちの頭では全く想像もつかないような、超常現象がものすごくたくさん起こります。一つだけ例を挙げると、最後の審判の日には、太陽が、人間にものすごく接近し、最後には1マイル(1.6キロ)のところまで近づきます。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、仰いました。

《「復活の日、太陽が近づき、人々との間には一マイルほどの距離が残されるだけになる。人々は、それぞれの行為の程度によって汗を流す。ある者らは、かかとまで。ある者らは、膝まで。ある者らは、腰までも汗を流し、更には中には馬のクツワに達するほどまで汗を流す者がいる。」と言われ、話しながら、指で口をお指しになった。》
(サヒーフムスリム3巻717頁)

 人々は、この状態で、ず~~っと長時間立って待たなければなりません。人類が地上に登場して以来誕生したすべての人が、全員集まるのですから、それは想像を絶しています。ハッジやウムラに行かれた方は、300万人くらいの人が全世界から集まってきた状態を体験されていますが、現在の地球の人口だけでも60億人で、それが何千年に渡る歴史上の人類が全員集められるのですから、それはものすごい人ごみになります。灼熱の太陽が照りつける中、人の波が押し寄せ、人でごった返して、人々がまるで酔っているかのように見えるほど、アッラーの罰によって錯乱している状態の中、そんな中で、涼しい顔をしている人たちがいます。それが、この世で、アッラーに誠実であった人たちです。アッラーはその人たちをこの状態からお救いになられ、まったく影のないこの日に、彼らはアッラーの玉座の影に入れてもらえます。真正ハディースで預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう仰っています。

《アッラーの影以外、影のない日に、アッラーがご自分の影に入れてくださる7種類の人たちがいます。公正なイマーム。至高偉大なるアッラーへの崇拝において成長した若者。彼の心がモスクから離れない者。アッラーのために好意を持ち合った二人の友、アッラーへの愛において集まり、アッラーへの愛において分かれた者。美しく地位のある女性に誘われても、「本当に私はアッラーを畏れます。」と言う男、サダカ(自由喜捨。義務ではない寄付)をし、それを隠した者、彼の右手が支払ったことを、左手が気付くことすらないほど。ひとりでアッラーをズィクル(唱念)し、その目を涙であふれさせた者。》(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

 この日は、その全人類が自分の清算を待つわけですから、ものすごく長い一日になりますが、このなが~~いなが~~~い一日の長さを全く感じない人たちがいます。一部の純粋な信仰者達です。

《あるサハーバ(رضي الله عنه)が、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)に尋ねました。
「アッラーのみ使いさま、その長さが、5万年ほどもある日、その日はなんと長いのでしょう!」アッラーのみ使いさま(صلى الله عليه و سلم)はこう仰いました。
「彼の御手の中に私の魂があるお方に誓って。
信仰者には、それは、この世で彼が礼拝した義務の礼拝よりも短いほどに、軽減されます」》

 他にも最後の審判の日に、アッラーが信仰者にどれだけお優しいかを示しているクルアーンの節があります。

【われから善行(の記録)を以前に与えられている者は、地獄から遠く離され、そこのわずかな音も聞こえないであろう。そして彼らの魂が念願していた所に永遠に住む。大きな恐れがかれらを悩ますことはなく、天使達は 出迎えて言うであろう。「これが約束された、あなた方の日です。」】
(21章 預言者章 101-104節 日訳P403)
 
【またかれらは、かれ(アッラー)を敬愛するために、貧者と孤児と捕虜に食物を与える。(そしてこう言う。)「私達は、アッラーのお喜びを願って、あなたがたを養い、あなた方に報酬も感謝も求めません。私達は主の苦渋に満ちたお怒りの日を恐れます。」それで、アッラーは、その日の災厄からかれらを守り、素晴らしい喜びを与えられる。かれらが耐え忍んだので、かれは楽園と絹(の衣)でかれらに報われる。】
(76章 人間章 8-12節 日訳P744)

人々はその日、集められるときには、素足で、裸で、失った体のパーツは元に戻された完璧な状態で、また男性は割礼をする前の状態で集められます。アル=ブハーリーとムスリムの伝承によると、

《預言者さま(صلى الله عليه و سلم)がそう仰ったとき、アーイシャ様(رضي الله عنها)は、言いました。
「アッラーのみ使いさま、女性と男性みんな、お互いがお互いを見るのですか?」預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、仰いました。
「アーイシャよ。事は、お互いがお互いを見る余裕などないほどすざまじいのです。」》

 では、私たちがどんな土地に集められるか?ハシュルの行われる土地がどんな所なのかということですが、まず、その日には、宇宙全体のバランスがすべて崩れ、混沌としており通常の状態とは全く異なった状態になります。地面は振動し、動き出し流れていき、天体は、散りぢりに散らばります。アッラーはクルアーンでこう仰っています。

【大地が大地でないものに変えられ、天も変えられる日。(人々は)いっせいに唯一の方、全知全能のお方、アッラーの(御前に)まかり出るであろう。その日、あなたは、罪のある者たちが鎖で一緒につながれているのを見るであろう。彼らの(着ている)下着はタールで、彼らの顔は火で覆われる。アッラーは、各人が、それぞれに行ったことに報われる。本当にアッラーは清算に迅速である。これは人々に対する伝言で、これによってかれらは警告され、かれが唯一の神であることが知らされ、同時に思慮あるものたちは教え諭して慎ませる。】
(イブラーヒーム章 48節 日訳P314)

 ここで言われている、「大地が大地でないものに変えられ、天も変えられる」というのが、どういう状態なのか?これには、学者間で2つの見解に分かれます。

見解①大地:大地の性質が変化し、丘が平坦になり、山が吹き散らされ、地面が引き伸ばされる。
《預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、仰いました。
「大地が変えられると、それは広げられ、市場の皮のように伸ばされる。そこには、曲がったカーブも小高い丘も存在しない。」》

空:太陽と月は、包み隠され、天体が散らばり、または、状態が変化する。ときには溶けた鉛のような空になり、ときには煙のようになる。

見解②天と地が、まったく消えうせてなくなり、代わりのものが現れる。クルトビー氏という学者は、この説の方を有力だと見ていました。いくつかのハディースがあるためです。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、アル=ブハーリーとムスリムの伝承によると、こう仰いました
≪人々は、復活の日、白パンの一塊のような、やや赤味のある、真っ白な(何もない)大地に、なんの印もない状態(大地がだれのものでもない状態で)でしょうしゅう召集される。≫

 こういった平坦な大地に灼熱の太陽の下、ものすごい数の人たちと共に、集められるわけです。

 こうして、清算が始まるわけですが、次回からは、インシャーアッラー、その清算の前にある、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のおとりなし、そして、個人個人の清算について見ていきますが、私たちのすべての行いが、この人類総出の人ごみの中で、ビデオ上映されて、細やかに少しの狂いも無くアッラーによって清算されるときに、私たちのことを最も愛してくださっているアッラーが、一番最初に、私の僕よ、これをしましたか?とお尋ねになることは、何でしょうか?もっともアッラーが、この世で私たちにしてほしいと思われていること。

《預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、仰いました。
「僕が、最後の審判の日に、自分の行いの中で一番最初に清算をされるものは、彼の礼拝です。もし、彼が礼拝をしていたならば、彼は、すでに(アッラーによって)喜ばれ、救われます。」》

 なぜでしょうか?なぜ、アッラーは、私たちの礼拝をそんなに重要視するのでしょうか?

 それは、礼拝というのが、「この時間に私に会いに来なさいよ。私はあなたが私のところに会いに来るのを待っていますからね」というアッラーとの約束だからです。5回の礼拝には、それぞれの時間があって、その時間にアッラーは、待っていらっしゃいます。約束の時間だからです。もし、あなたのご主人や大好きな人が、「君のことを本当に愛しているよ。」と甘い言葉を言って、「何時にどこのカフェで待っているから。」という約束をして、あなたは、その時間にそのカフェに行ったのに、彼は一向に現れず、待ちぼうけをくらったら、彼にがっかりしませんか?それがしかも一回ではなくて、何回も何回も、いつも約束の時間に彼が来なかったら、あなたは、彼が本当にあなたのことを愛していると信じられるでしょうか?もし彼があなたのことを本当に好きだったら、あなたに会える約束の時間が待ちきれなくて、時間よりも早く着いてしまって、あなたが来るのを待っているか、最低でも約束の時間内に来るはずではいないですか?一回や二回くらいなら、遅れることがあっても、毎回毎回、しかも何年にも渡っていつもあなたが待たされて、ぜんぜん彼が約束の時間に来なかったら、あなたは、彼の愛情を疑わないでしょうか?

 アッラーは、私たちとの約束の時間に、私たちが彼に会いに来るのを待っています。私たちが、どんなにアッラーのことを好きだ!と言っても、アッラーが見ていらっしゃるのは、あなたが彼の愛情のバロメーターとして見ていたように、約束の時間に私たちがやって来るかどうかです。あなたがもし来なければ、あなたが彼にがっかりしたように、どんなにかアッラーはあなたにがっかりなさるでしょうか。一日に、24時間を私たちに与えてくださって、大切なお子さんやご主人をくださって、私たちが大好きなものをたくさん毎日お与えくださるアッラーが、その24時間の中の、ほんの5分でいいから自分のことを思い出してください、と面会時間をお決めになられた約束の時間に、私たちがいつも行かなかったら、どんなにアッラーはがっかりなさるでしょうか。

 清算の日が来て、アッラーに尋ねられる前に見直しましょう。私たちのことを大好きなアッラーがどんなに楽しみに私たちが来てくれるのを待っていてくださるか、いつも思い出して約束に遅れないようにアッラーに会いに行きましょう。


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام




大切なお子さんのために残してあげられるもの (再掲)

2010-10-06 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

 【大切なお子さんのために残してあげられるもの】

ある先生の講話で、実際にあった話を聴いたことがあります。

ある敬虔な学者が、モスクで礼拝をして帰ろうとすると、見知らぬ男が彼のところへ来て、「私はすごくお金が必要です、どうか、貸してもらえませんか?」と言ったそうです。その学者が、自分の持っていたお金をすべて彼に与えると、彼はお礼を行って帰っていきました。
お金がまったくなくなった学者が、モスクを出て、家に帰ってみると、家族が大騒ぎしています。 話を聞くと、彼の小さな子供が、数階建てのマンションのベランダから下に落ちた、と言うのです。 彼が真っ青になって、子供の安否を尋ねると、絶対に助からないような高さだったのにもかかわらず、子供は奇跡的に何の怪我もなく、無事だったそうです。
彼が、子供が落ちたのは、何時の出来事だったかと尋ねると、ちょうど、彼が、見知らぬ男に、持っていたお金をすべて与えて、サダカをしていた時間帯だったそうです。

先生は、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)のハディースの
احْفَظِ اللهََ يَحْفَظُكَイフファジッラーハ ヤフハズカ
(日本語訳:アッラーを守りなさい。そうすれば、アッラーがあなたを守ってくださいます。)

を言われました。

ここで言う、「アッラーを守る
」というのは、彼のご命令に従い、彼が禁止されることを避ける、ということです。アッラーのご命令を守ると、アッラーはあなたのすべて、大切なお子さんも、ご主人も、財産も、家も、家族も、すべてあなたのために守ってくださいます。預言者さま( صلى الله عليه و سلمが言われたことに、嘘はありません。間違いはありません。アッラーのご命令に従い、禁止されている事を遠ざけることで、アッラーは私たちのすべてを守ってくださると、アッラーは約束してくださっています。

そう思うと、心配事はたくさんあるように見えても、実は、ひとつだけで、「 アッラーを守る、このことができているかどうか?というこの一点にすべては懸かっているのです。
 先生が言われていたのは、いろんな悩み事や心配事があるときには、「アッラーを守る」というこの一点だけをしっかり見直しなさい、そうすれば、あとは、アッラーがあなたのために、あなたの大切なものをすべて、アッラーのお力で、お守りくださいます、ということです。

 私たち人間の力や能力は、とても限られたものです。できることもあれば、できないこともたくさんあります。でもアッラーの能力に限りはありません。お母さんが、精一杯自分の力で大事なお子さんを守ろう!といくら決心しても、突発的な事故や、怪我や、病気などから、お子さんを完全に守ることは不可能です。しかし、もしアッラーのお力で、お子さんが守ってもらったとしたら、何を恐れることがあるでしょうか。アッラーに不可能な事はありません。アッラーは、お約束になっているからです。


 アッラーを守りなさい。そうすれば、アッラーがあなたを守ってくださいます。

 このハディースは、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)の後ろを歩いていた、まだ少年だった教友のアブドゥッラー・ブン・アッバース(رضى الله عنهに向かって言われたものです。ハディースの始めは、こうです。

يَا غُلامُ، إِنِّى أُعَلِّمُكَ كَلِماتٍ少年よ、私は、君にある言葉を教えよう。〉

 預言者さま( صلى الله عليه و سلم)が、子供に必要だと判断された言葉というのが、この〈 アッラーを守りなさい、そうすれば、アッラーがあなたを守ってくださいます。〉というフレーズで始まるハディースです。この後、預言者さま( صلى الله عليه و سلمは、こう続けます。

 〈アッラーを守りなさい。そうすれば、彼をあなたの目前に見るであろう。何かを尋ねるときには、アッラーに尋ねなさい。助けを求めたくなったときには、アッラーに助けを求めなさい。そして、知るがいい、もしウンマ(共同体)のすべての人が集まって、なんとかして君を助けようとしたとしても、アッラーが君に書かれたこと(運命)でしか、あなたを助ける事はできない、ということを。また、彼らが君を損なおうと(害するために)集まったとしても、アッラーが君に書かれたこと(運命)でしか、君を損なう(害する)ことはできない、ということを。すでに、ペンは置かれ、ページは乾いてしまったのだ。〉 ティルミズィー出典(40のハディース第19の伝承)

 つまり、このハディースでわかることは、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)忠告された、ムスリムの子供に必要なことというのは、結局のところ、「アッラーを信頼しなさい」、というこの一点です。困ったときには、アッラーに助けを求めなさい、あなたの運命は、人々の手の中にあるのではなく、アッラーの手の中にのみにあることを知りなさい、ということです。

どんなに親が子供を大切に育てたとしても、親というのは先立つものですし、いくら大切に子供を守っていたとしても、結局のところ、最後にひとりで残されるのは、子供です。親が一生子供を守ってあげることはできません。ですから、親として子供のためにしてあげられる最善の事は何か?を考えたとき、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)が、少年に伝えられたこの言葉は、子育ての真髄をついています。

 自分はいなくなってしまう存在だけれども、永遠にいなくなることがない、この宇宙の主、アッラーのみを、頼って生きていきなさい、と子供に教える事が、どんなに子供の将来を助けてくれる事でしょうか。将来襲いかかるであろう人生の荒波を、どんなにたやすく渡れるようにしてくれるでしょうか。お母さんは、今から、大切な子供の一生を託すのに、もっとも安全な、もっとも頼りになる存在は、何か?をきちんと考えてあげましょう。

 もし、私たちが、本当に、すべてのものは、すべてのことは、アッラーの御手の中にある、と分かっていたら、アッラーのご満足を得られないこと以外に、怖いものはなくなります。でも、もし私たちが、アッラーを信じていなければ、すべてのものが恐れるものになります。例えば、お金しか信じていなければ、お金がなくなること、貧乏になることが怖くなってしまうし、ひいては、お給料をくれる社長の怒りを買う事が、怖くなったり、家に泥棒が入って金庫を盗んでいってしまったらどうしよう、お金を預けている銀行が破綻してしまったらどうしよう、地震などで家が潰れてしまったらどうしよう、すべてのことが、恐れる対象になります。自分の子供だけが一番大切な人は、子供が病気になったらどうしよう、交通事故にあったらどうしようか、学校でいじめにあったらどうしようか、子供を取り囲むすべてのものが恐れる対象になってしまいます。

 子供のために親ができる最善の事は、子供のためにお金を沢山残しておいてあげる事でしょうか?それとも、頭のいい子になるように塾に行かせて、子供を有名な大学に入れることでしょうか?子供を一流企業に就職させる事でしょうか?
これらのものを子供に残してあげてはいけない、ということではありません。ただ、これらのものだけに、頼って生きるように教えることに、問題があるのです。
なぜなら、これらは、すべて、消えてなくなるものだからです。確実に、死と共に消えてなくなってしまい、墓の中やあの世には持っていけないものである以前に、子供が生きている間にも、いつ有名企業が倒産するかもしれず、お金を残したとしても、火事や事故でいつ破産してしまうかもしれず、これから子供が乗り越えていかなければならない長い人生には、数え切れない、様々な落とし穴が潜んでいます。子供が、こうした落とし穴のひとつに落ちてしまったときに、これらの消えてなくなるものにしか価値を置かずに育った子供は、どうやってその困難に耐えられるのでしょうか?この世のはかないものだけを追いかける人生のレールを引いた親の責任は、重大です。そして、これらが手に入らないと幸せではない、という価値観に犯された子供は、泡のようにいつ消えてなくなるかわからない不安定な価値観にしがみついて一生を生きていくことになり、それらが消えてしまったときには、何も頼るものがなくなり、人生を見失ってしまいます。親がそのときに、子供を助けてあげられるのでしょうか?それまで、自分が生きていられるという確信があるのでしょうか?

 イスラームにおいては、子供は次の世代を担う、次の世代の社会を構成する、大切な大切な宝物です。だからこそ、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)は、まだ少年だったアブドッラー(رضى الله عنه)に、あなたを守るのは、アッラーしかいないのですよ、と教えました。子供の人生には、どんな困難が待ち構えているかもしれません。子供を預けるのに、一番安全な場所はどこか?を考えたとき、アッラーの元にしか確実に安全だと言える場所はないのです。

子供に、この預言者さま( صلى الله عليه و سلم)の忠告を教えてあげましょう。アッラーがいつも彼のことを見守っていてくださって、アッラーの御手の中に、彼の未来がすべてあることを教えてあげましょう。アッラーのご命令を守って、禁止事項を遠ざけたら、アッラーが、必ず彼を守ってくださることを、早く大切なお子さんに教えてあげましょう。
もし、私たちが、本当に、すべてのものは、すべてのことは、アッラーの御手の中にある、と分かっていたら、アッラーのご満足を得られないこと以外に、怖いものはなくなります。でも、もし私たちが、アッラーを信じていなければ、すべてのものが恐れるものになります。例えば、お金しか信じていなければ、お金がなくなること、貧乏になることが怖くなってしまうし、ひいては、お給料をくれる社長の怒りを買う事が、怖くなったり、家に泥棒が入って金庫を盗んでいってしまったらどうしよう、お金を預けている銀行が破綻してしまったらどうしよう、地震などで家が潰れてしまったらどうしよう、すべてのことが、恐れる対象になります。自分の子供だけが一番大切な人は、子供が病気になったらどうしよう、交通事故にあったらどうしようか、学校でいじめにあったらどうしようか、子供を取り囲むすべてのものが恐れる対象になってしまいます。

 
 でもアッラーの御手の中に、それらすべてのものがあって、アッラーがお望みになられれば、《كُن فَيَكُون あれと言われれば、それは存在する
いうことを知っていれば、アッラーのお嫌いになられる事をしてしまうことだけが、恐れるもので、アッラー以外のなんにも怖いものはなくなります。
 私達がアッラーを求めれば、すべてのものは、私達の後ろからついてきます。もし私たちが、太陽に顔を向けていれば、影は自分の後ろにできますよね。そして、どこに行こうと、私たちについてきます。しかし、もし私たちが影を捕まえようとすると、影はどこまで追いかけても捕まえる事はできません。つまりこの世のはかない飾りを捕まえようとすると、それは、どこまで追いかけても捕まえることはできません。そして、私達は、終わる事のない追いかけっこに人生を費やし、疲れてきってしまいます。

 ただ私達に必要なのは、太陽に顔を向けること、そうすれば、影は私たちの後ろから自然に私たちを追ってついてきます。私たちがアッラーに顔を向けていれば、影・この世のものすべて・お金・仕事・家族などは、全部後ろからついてきます。影が私達の後ろから付いてくるように。
 なぜならばアッラーは、この世に向かって、こう命令されたからです。お前にひざまずくものをお前の奴隷にしてやりなさい。そして、私にひざまずくもののために、お前は彼の奴隷となりなさい、と。ですから、もし、私達がこの世をアッラーがお喜びになられるように使うのなら、この世は私たちの奴隷になります。もし私達がこの世の飾りだけを愛するなら、私達はこの世の奴隷になります。
大切なお子さんをこの世の奴隷にしてしまうのか、この世のすべてをお子さんの奴隷として与えてあげる事ができるか、は、お母さんにかかっています。
 預言者さま( صلى الله عليه و سلم)は、アブドゥッラー(رضى الله عنه)のみならず、ムスリムすべての子供たちを、この世の奴隷にすることなく、この世を、奴隷として使うことが出来る人に育って欲しいと願われ、この忠告をされました。

アッラーを守りなさい。〉と。

 どうかこれだけは、お子さんに伝えてあげてください。アッラーは、あなたのことをとても愛していて、この世に存在させてくださったんだよ、ということ。あなたが幸せにこの世とあの世で生きられるために、ルールを作ってくださって、それを守れば、アッラーはあなたのすべてを守ってくださるんだよ、ということ。このことを知ったお子さんの人生には、何も怖いものはなくなります。誰がいなくても、何もなくても、安心しきった状態で、心から幸せに人生を生きていくことができ、あの世でも、笑ってお母さんに再会する事ができます、اِن شاءَ اللهインシャーアッラー。どうか、大切なお子さんに、すべての主であられるアッラーを、残してあげてください。アッラーが、私たちの家族と子供たちをお守り、お導きくださいますように。

アッラーのご満悦がありますように

والسلام عليكم

クルアーンにある25人の預言者たち・使徒たち その4

2010-09-27 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


24.使徒عيسىイーサー(イエス)(عليه السلام)
 場所:西暦1年~33年
 場所:パレスチナ
 年齢:33歳
 クルアーンでは第3章、第5章、第19章
 イーサー(عليه السلام)は、30歳のとき啓示を受けました。そしてインジールإنجيل(福音)を受けました。その頃、ユダヤの民は、悪行に身を染め、十戒に逆らい、アッラーからの正しい内容も否定していました。イーサー(عليه السلام)は、彼らに対してダアワしました。ユダヤの民は、怒って、ローマの統治者に偽りの情報を伝え、ローマの統治者はイーサー(عليه السلام)を処刑することに決めました。彼らが、イーサー(عليه السلام)を捜していると、ある男が「イーサー(عليه السلام)はあそこにいますよ」と教えました。そのときアッラーはイーサー(عليه السلام)を天にあげて、同時にイーサー(عليه السلام)の居場所を教えた男の顔をイーサー(عليه السلام)そっくりに変えました。居場所を教えた男は十字架にかけられて殺されました。三日後、イーサー(عليه السلام)は自分の弟子たちの前にあらわれ、彼らにダアワをしっかりするように言いました。キリスト教のダアワは300年ぐらい秘密に行われていました。ローマの統治者の弾圧が厳しかったからです。
 イーサー(عليه السلام)はそのように昇天したので、再臨するまでの間、生きている状態なのか亡くなった状態なのか誰にもわかりません。
 
25.使徒ムハンマド(صلى الله عليه و سلم)

 時代:西暦570年~632年
 場所:マッカ(メッカ)
 世代:イスマーイール(عليه السلام)の29世代以上あとの子孫
 年齢:63歳
 啓示を受けたのは40歳のときでした。アッラーから受けたメッセージは、マッカのアラブ人のみならず。すべての人間に向けられたものです。マディーナ(メディナ)に53歳のとき、移住しました。
 彼の伝記はアッスィーラالسيرةと呼ばれ、単なる過ぎ去った歴史(التّاريخ)的偉人伝とは異なり、ずっと語り継がれ、私たちムスリムの日々の生活の中の指針として脈々と生き続けているものです。詳細はイスラーム勉強会ブログ週間アラブマガジン The religion of Islam などから一部ご覧になれます。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


クルアーンにある25人の預言者たち・使徒たち その3

2010-09-26 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


14.預言者ذو الكفلズル・キフル(عليه السلام)本名はビシュルبشر

 時代:はっきりは分からないが、紀元前15世紀~16世紀
 場所:ダマスカス
 世代:アイユーブ(عليه السلام)の子ども・・他の説もあります。アッラーフ アアラム
 年齢:75歳
 クルアーンには第38章。名前だけ登場。預言者とは、はっきり書かれていないが、預言者たち(عليهم السلام)と一緒に名前が並んでいる。

15.使徒موسىムーサー(モーセ)(عليه السلام)

 時代:紀元前1436年~1316年
 場所:エジプトで生まれました
 世代:イブラーヒーム(عليه السلام)の6世代あとの子孫。(イスハーク、ヤアクーブعليهما السلام、ラーウィーの血筋 父の名前はイムラーンعمرانだが ウンム・イーサーのマルヤムの父とは別人)
 年齢:120歳
 年齢:クルアーンには多くの章に登場するが、詳しいのは第2章、第7章、第10章、第20章、第26章、第28章
 ムーサー(عليه السلام)は最も優れた使徒の一人です。エジプトで生まれましたが、時の権力者ファラオがムーサー(عليه السلام)を罰しようとしたので、マドヤンにしばらく逃げていました。マドヤンでサフラまたはセフォラ(ツィボラ)(彼女はシュアイブ(عليه السلام)の娘、または彼の甥であるヤズリの娘との説もあり)と結婚し、約10年暮らした後、エジプトに戻ろうとしていました。しかしマドヤンとエジプトの間にあるシナイで啓示を受けました。アッラーは、ムーサー(عليه السلام)をファラオの民のもとにお送りになり、ダアワをするようにお命じになりました。ファラオとかれのまわりの人々は、受け入れませんでした。ファラオと軍隊は滅ぼされ、ムーサー(عليه السلام)はユダヤ民族と一緒にエジプトを出ました。エジプトを出た後、ムーサー(عليه السلام)は十戒を受けました。またエジプトを出たユダヤの民とともにパレスチナに行くように、アッラーは命じられました。しかしムーサー(عليه السلام)はパレスチナに着く前に死んでしまいます。

16.使徒هارونハールーン(アロン)(عليه السلام)

 時代:ムーサー(عليه السلام)と同じ
 場所:同上
 世代:同上 ムーサー(عليه السلام)の兄
 年齢:122歳
 クルアーンではムーサー(عليه السلام)と共に登場。
 ムーサー(عليه السلام)は自分のことを補佐してもらうために、アッラーに自分の兄であるハールーン(عليه السلام)を預言者にして欲しいと頼みました。

17.使徒داودダーウード(ダビデ)(عليه السلام)

 時代:紀元前1043年~973年
 場所:パレスチナ
 世代:イブラーヒーム(عليه السلام)の13世代あとの子孫(イスハーク、ヤアクーブ、(عليهما السلام)ヤフーザーの血筋)
 年齢:70歳
 クルアーンでは第27章、第34章、第38章
 ムーサー(عليه السلام)が亡くなってからユダヤの民はパレスチナに入りました。しかし、世代が下るに従って信仰が弱くなっていき、ムーサーに下された十戒も守らなくなっていました。悪行がはびこり、偶像崇拝も行われるようになっていました。ユダヤの民族間でも戦いがおこり、他の民族とも戦争がおこりました。ダーウード(عليه السلام)は20歳になる前に軍隊を率い、30歳でユダヤの民の王となりました。周辺の敵との戦争にも勝利し、統治し、ユダヤの民の王国の領土は拡大していきました。アッラーはダーウード(عليه السلام)を使徒にして、アッザブールالزبورという詩篇を授けられ、ユダヤの民にお送りになりました。ダーウード(عليه السلام)がタスビーフتسبيح(スブハーナッラーسبحان الله「アッラーに讃えあれ」と唱えること)するとき、山も鳥も応じて同じようにタスビーフしました。ダーウード(عليه السلام)は鳥同士のコミュニケーションも理解できました。

18.使徒سليمانスライマーン(ソロモン)(عليه السلام)

 時代:紀元前985年~932年
 場所:パレスチナ
 世代:ダーウード(عليه السلام)の子ども
 年齢:53歳
 クルアーンでは第27章、第38章
 スライマーン(عليه السلام)は、父親のあとを継いで王となりました。王国は、更に広がり、現在のシリア・アラビア半島・イエメンまで統治しました。その民は、アッラーからの正しい信仰を守っていました。スライマーン(عليه السلام)の王国ほど、素晴らしい王国はありませんでしたし、これからも存在しません。إن شاء الله そこでは、ジンも動物も風もスライマーン(عليه السلام)のいうことに従っていました。スライマーン(عليه السلام)も彼の父親同様に鳥同士のコミュニケーションが理解できました。

19.20使徒إلياسイルヤース(エリヤ)、使徒اليسعアルヤサア(عيهما السلام)
 
 時代:はっきり分からないが、紀元前9世紀
 場所:パレスチナ
 世代:イブラーヒーム(عليه السلام)の10世代あとの子孫(イスハーク、ヤアクーブ(عيهما السلام)、ラーウィー、ハールーン(عليه السلام)の血筋)アルヤサア(عليه السلام)は他の説あり。アッラーフ アアラム。
 年齢:不明
 クルアーンでは、イルヤース(عليه السلام)第37章、アルヤサア(عليه السلام)第6章(名前だけ登場)
 ユダヤの一部の部族は偶像崇拝をしていました。アッラーはイルヤース(عليه السلام)をお送りになり、正しい信仰に戻るようにダアワをするようにお命じになりました。この中で、唯一信じたのが、アルヤサア(عليه السلام)でした。イルヤース(عليه السلام)が亡くなった後に、アッラーはアルヤサア(عليه السلام)を使徒になさいました。その後、アッラーの信仰を否定していた人たちは、滅ぼされました。
 イブン・カースィールの「預言者たちの物語」474pによるとイルヤース(عليه السلام)が送られたのは、ダマスカスの西にあるバールベクという民族で彼らはバールという偶像を崇めてました。彼らはダアワをするイルヤース(عليه السلام)を殺そうとしましたが、彼は彼らから逃げて10年洞窟の中で暮らしました。王が交代した後、新しい王にも正しい信仰を紹介し、ダアワを再開し、それにより多くの人々が正しい信仰に戻ってきました。しかし、最後は王の命令によって、一人残らず殺されてしまいました。アルヤサア(عليه السلام)もイルヤース(عليه السلام)が洞窟にいたときに共にいました。イルヤース(عليه السلام)がダアワを再開したときは、共に行動し、イルヤース(عليه السلام)が亡くなったあとは、彼のダアワ活動を引き継ぎました。

21.使徒يونسユーヌス(ヨナ)(عليه السلام)

 時代:はっきり分からないが、紀元前8世紀
 場所:生まれたのはパレスチナ
 世代:不明だが、ヤアクーブ(عليه السلام)の血筋
 年齢:不明
 クルアーンでは第21章、第37章
 アッラーは、ユーヌス(عليه السلام)を使徒になさり、バビロン帝国のニナワという都市(現在のイラクにある)にお送りになりました。ユーヌス(عليه السلام)は偶像崇拝をやめて、アッラーだけに礼拝するように懸命に人々にダアワしました。しかし、彼はアッラーのご命令がないのに、勝手にニナワを出てしまうという間違いをしてしまいました。アッラーからのメッセージを完遂していないにも関わらず、ニナワから出て、パレスチナに戻るために船に乗り地中海まで航行します。アッラーは彼に教訓をお与えになるために、くじらにお命じになって、ユーヌス(عليه السلام)を飲み込ませられました。

22.23.使徒زكرياザカリーヤ(ザカリア)、使徒يحيىヤフヤー(ヨハネ)(عيهما السلام)

 時代:ザカリーヤ(عليه السلام) 紀元前100年~紀元前20年
    ヤフヤー(عليه السلام) 西暦1年~30年
 場所:パレスチナのエルサレム
 世代:ダーウード(عليه السلام)の血筋
 年齢:ザカリーヤ120歳 ヤフヤー30歳(عيهما السلام)
 クルアーンでは第3章、第19章、第21章
 ザカリーヤ(عليه السلام)はエルサレムの聖殿の司祭でした。司祭の長はイムラーンعمرانでした。イムラーンの妻ハンナとザカリーヤ(عليه السلام)の妻アシュヤ(エリザベツ)は姉妹でした。ザカリーヤ(عليه السلام)の妻は子どもができませんでした。イムラーンの妻は30歳のときに結婚し、その後マルヤムمريم (イーサーعيسى عليه السلامの母)を産みました。マルヤムは心を込めて礼拝する貞淑な女性でした。ザカリーヤ(عليه السلام)はマルヤムをみて、自分たちにもそのような子どもを授けて欲しいとアッラーにドゥアーしました。そのようにしてアッラーがザカリーヤ(عليه السلام)にお授けになったのがヤフヤー(عليه السلام)です。ヤフヤー(عليه السلام)が生まれて何ヶ月かのち、マルヤムはイーサー(عليه السلام)を産みました。ザカリーヤもヤフヤー(عيهما السلام)もパレスチナの統治者によって殺されてしまいました。


インシャーアッラーإن شاء الله続きます。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام