満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

大切なお子さんのために残してあげられるもの

2010-04-21 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

 【大切なお子さんのために残してあげられるもの】

ある先生の講話で、実際にあった話を聴いたことがあります。

ある敬虔な学者が、モスクで礼拝をして帰ろうとすると、見知らぬ男が彼のところへ来て、「私はすごくお金が必要です、どうか、貸してもらえませんか?」と言ったそうです。その学者が、自分の持っていたお金をすべて彼に与えると、彼はお礼を行って帰っていきました。
お金がまったくなくなった学者が、モスクを出て、家に帰ってみると、家族が大騒ぎしています。 話を聞くと、彼の小さな子供が、数階建てのマンションのベランダから下に落ちた、と言うのです。 彼が真っ青になって、子供の安否を尋ねると、絶対に助からないような高さだったのにもかかわらず、子供は奇跡的に何の怪我もなく、無事だったそうです。
彼が、子供が落ちたのは、何時の出来事だったかと尋ねると、ちょうど、彼が、見知らぬ男に、持っていたお金をすべて与えて、サダカをしていた時間帯だったそうです。

先生は、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)のハディースの
احْفَظِ اللهََ يَحْفَظُكَイフファジッラーハ ヤフハズカ
(日本語訳:アッラーを守りなさい。そうすれば、アッラーがあなたを守ってくださいます。)

を言われました。

ここで言う、「アッラーを守る
」というのは、彼のご命令に従い、彼が禁止されることを避ける、ということです。アッラーのご命令を守ると、アッラーはあなたのすべて、大切なお子さんも、ご主人も、財産も、家も、家族も、すべてあなたのために守ってくださいます。預言者さま( صلى الله عليه و سلمが言われたことに、嘘はありません。間違いはありません。アッラーのご命令に従い、禁止されている事を遠ざけることで、アッラーは私たちのすべてを守ってくださると、アッラーは約束してくださっています。

そう思うと、心配事はたくさんあるように見えても、実は、ひとつだけで、「 アッラーを守る、このことができているかどうか?というこの一点にすべては懸かっているのです。
 先生が言われていたのは、いろんな悩み事や心配事があるときには、「アッラーを守る」というこの一点だけをしっかり見直しなさい、そうすれば、あとは、アッラーがあなたのために、あなたの大切なものをすべて、アッラーのお力で、お守りくださいます、ということです。

 私たち人間の力や能力は、とても限られたものです。できることもあれば、できないこともたくさんあります。でもアッラーの能力に限りはありません。お母さんが、精一杯自分の力で大事なお子さんを守ろう!といくら決心しても、突発的な事故や、怪我や、病気などから、お子さんを完全に守ることは不可能です。しかし、もしアッラーのお力で、お子さんが守ってもらったとしたら、何を恐れることがあるでしょうか。アッラーに不可能な事はありません。アッラーは、お約束になっているからです。


 アッラーを守りなさい。そうすれば、アッラーがあなたを守ってくださいます。

 このハディースは、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)の後ろを歩いていた、まだ少年だった教友のアブドゥッラー・ブン・アッバース(رضى الله عنهに向かって言われたものです。ハディースの始めは、こうです。

يَا غُلامُ، إِنِّى أُعَلِّمُكَ كَلِماتٍ少年よ、私は、君にある言葉を教えよう。〉

 預言者さま( صلى الله عليه و سلم)が、子供に必要だと判断された言葉というのが、この〈 アッラーを守りなさい、そうすれば、アッラーがあなたを守ってくださいます。〉というフレーズで始まるハディースです。この後、預言者さま( صلى الله عليه و سلمは、こう続けます。

 〈アッラーを守りなさい。そうすれば、彼をあなたの目前に見るであろう。何かを尋ねるときには、アッラーに尋ねなさい。助けを求めたくなったときには、アッラーに助けを求めなさい。そして、知るがいい、もしウンマ(共同体)のすべての人が集まって、なんとかして君を助けようとしたとしても、アッラーが君に書かれたこと(運命)でしか、あなたを助ける事はできない、ということを。また、彼らが君を損なおうと(害するために)集まったとしても、アッラーが君に書かれたこと(運命)でしか、君を損なう(害する)ことはできない、ということを。すでに、ペンは置かれ、ページは乾いてしまったのだ。〉 ティルミズィー出典(40のハディース第19の伝承)

 つまり、このハディースでわかることは、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)が忠告された、ムスリムの子供に必要なことというのは、結局のところ、「アッラーを信頼しなさい」、というこの一点です。困ったときには、アッラーに助けを求めなさい、あなたの運命は、人々の手の中にあるのではなく、アッラーの手の中にのみにあることを知りなさい、ということです。

 どんなに親が子供を大切に育てたとしても、親というのは先立つものですし、いくら大切に子供を守っていたとしても、結局のところ、最後にひとりで残されるのは、子供です。親が一生子供を守ってあげることはできません。ですから、親として子供のためにしてあげられる最善の事は何か?、を考えたとき、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)が、少年に伝えられたこの言葉は、子育ての真髄をついています。

 自分はいなくなってしまう存在だけれども、永遠にいなくなることがない、この宇宙の主、アッラーのみを、頼って生きていきなさい、と子供に教える事が、どんなに子供の将来を助けてくれる事でしょうか。将来襲いかかるであろう人生の荒波を、どんなにたやすく渡れるようにしてくれるでしょうか。お母さんは、今から、大切な子供の一生を託すのに、もっとも安全な、もっとも頼りになる存在は、何か?、をきちんと考えてあげましょう。
子供のために親ができる最善の事は、子供のためにお金を沢山残しておいてあげる事でしょうか?それとも、頭のいい子になるように塾に行かせて、子供を有名な大学に入れることでしょうか?子供を一流企業に就職させる事でしょうか?これらのものを子供に残してあげてはいけない、ということではありません。ただ、これらのものだけに、頼って生きるように教えることに、問題があるのです。なぜならは、これらは、すべて、消えてなくなるものだからです。確実に、死と共に消えてなくなってしまい、墓の中やあの世には持っていけないものである以前に、子供が生きている間にも、いつ有名企業が倒産するかもしれず、お金を残したとしても、火事や事故でいつ破産してしまうかもしれず、これから子供が乗り越えていかなければならない長い人生には、数え切れない、様々な落とし穴が潜んでいます。子供が、こうした落とし穴のひとつに落ちてしまったときに、これらの消えてなくなるものにしか価値を置かずに育った子供は、どうやってその困難に耐えられるのでしょうか?この世のはかないものだけを追いかける人生のレールを引いた親の責任は、重大です。そして、これらが手に入らないと幸せではない、という価値観に犯された子供は、泡のようにいつ消えてなくなるかわからない不安定な価値観にしがみついて一生を生きていくことになり、それらが消えてしまったときには、何も頼るものがなくなり、人生を見失ってしまいます。親がそのときに、子供を助けてあげられるのでしょうか?それまで、自分が生きていられるという確信があるのでしょうか?

 イスラームにおいては、子供は次の世代を担う、次の世代の社会を構成する、大切な大切な宝物です。だからこそ、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)は、まだ少年だったアブドッラー(رضى الله عنه)に、あなたを守るのは、アッラーしかいないのですよ、と教えました。子供の人生には、どんな困難が待ち構えているかもしれません。子供を預けるのに、一番安全な場所はどこか?を考えたとき、アッラーの元にしか確実に安全だと言える場所はないのです。

 子供に、この預言者さま( صلى الله عليه و سلم)の忠告を教えてあげましょう。アッラーがいつも彼のことを見守っていてくださって、アッラーの御手の中に、彼の未来がすべてあることを教えてあげましょう。アッラーのご命令を守って、禁止事項を遠ざけたら、アッラーが、必ず彼を守ってくださることを、早く大切なお子さんに教えてあげましょう。
 もし私たちが、本当にすべてのものは、すべてのことは、アッラーの御手の中にある、と分かっていたら、アッラーのご満足を得られないこと以外に、怖いものはなくなります。でも、もし私たちが、アッラーを信じていなければ、すべてのものが恐れるものになります。例えば、お金しか信じていなければ、お金がなくなること、貧乏になることが怖くなってしまうし、ひいては、お給料をくれる社長の怒りを買う事が、怖くなったり、家に泥棒が入って金庫を盗んでいってしまったらどうしよう、お金を預けている銀行が破綻してしまったらどうしよう、地震などで家が潰れてしまったらどうしよう、すべてのことが、恐れる対象になります。自分の子供だけに依存している人は、子供が病気になったらどうしよう、交通事故にあったらどうしようか、学校でいじめにあったらどうしようか、子供を取り囲むすべてのものが恐れる対象になってしまいます。

 でもアッラーの御手の中に、それらすべてのものがあって、アッラーがお望みになられれば、《كُن فَيَكُون あれと言われれば、それは存在する
いうことを知っていれば、アッラーのお嫌いになられる事をしてしまうことだけが、恐れるもので、アッラー以外のなんにも怖いものはなくなります。
 私達がアッラーを求めれば、すべてのものは、私達の後ろからついてきます。もし私たちが、太陽に顔を向けていれば、影は自分の後ろにできますよね。そして、どこに行こうと、私たちについてきます。しかし、もし私たちが影を捕まえようとすると、影はどこまで追いかけても捕まえる事はできません。つまりこの世のはかない飾りを捕まえようとすると、それは、どこまで追いかけても捕まえることはできません。そして、私達は、終わる事のない追いかけっこに人生を費やし、疲れてきってしまいます。

 ただ私達に必要なのは、太陽に顔を向けること、そうすれば、影は私たちの後ろから自然に私たちを追ってついてきます。私たちがアッラーに顔を向けていれば、影・この世のものすべて・お金・仕事・家族などは、全部後ろからついてきます。影が私達の後ろから付いてくるように。
 なぜならばアッラーは、この世に向かって、こう命令されたからです。お前にひざまずくものをお前の奴隷にしてやりなさい。そして、私にひざまずくもののために、お前は彼の奴隷となりなさい、と。ですから、もし、私達がこの世をアッラーがお喜びになられるように使うのなら、この世は私たちの奴隷になります。もし私達がこの世の飾りだけを愛するなら、私達はこの世の奴隷になります。
大切なお子さんをこの世の奴隷にしてしまうのか、この世のすべてをお子さんの奴隷として与えてあげる事ができるか、は、お母さんにかかっています。
 預言者さま( صلى الله عليه و سلم)は、アブドゥッラー(رضى الله عنه)のみならず、ムスリムすべての子供たちを、この世の奴隷にすることなく、この世を、奴隷として使うことが出来る人に育って欲しいと願われ、この忠告をされました。

アッラーを守りなさい。〉と。

 どうかこれだけは、お子さんに伝えてあげてください。アッラーは、あなたのことをとても愛していて、この世に存在させてくださったんだよ、ということ。あなたが幸せにこの世とあの世で生きられるために、ルールを作ってくださって、それを守れば、アッラーはあなたのすべてを守ってくださるんだよ、ということ。このことを知ったお子さんの人生には、何も怖いものはなくなります。誰がいなくても、何もなくても、安心しきった状態で、心から幸せに人生を生きていくことができ、あの世でも、笑ってお母さんに再会する事ができます、اِن شاءَ اللهインシャーアッラー。どうか、大切なお子さんに、すべての主であられるアッラーを、残してあげてください。アッラーが、私たちの家族と子供たちをお守り、お導きくださいますように。

アッラーのご満悦がありますように

والسلام عليكم

イスラームにおける夫婦円満の秘訣

2010-04-13 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم



 【イスラームにおける夫婦円満の秘訣】

 イスラームにおいて、夫婦というのは、社会の構成要素として、とても重要なものです。ご夫婦が円満にうまくいって、子供がそのご夫婦の元で安心して育つ事で、家庭が安定し、安定した家庭の集合によって、よい社会が形成されます。
 将来の社会を担う子供たちの教育もご夫婦の協力によって、達成されますから、健全な社会の基本は、夫婦によって始まると言っても過言ではありません。
ですから、夫婦がうまくいくよう、アッラーは、クルアーンの中でも述べられています。

《またかれがあなたがた自身から、あなたがたのために配偶を創られたのは、かれの印の一つである。あなたがたはかの女らによって安らぎを得るよう(取り計らわれ)、あなたがたの間に愛と情けの念を植え付けられる。本当にその中には、考え深い者への印がある。》(30:12)

《かの女らはあなたがたの衣であり、あなたがたはまたかの女らの衣である。》(2-187)

 夫婦の関係というのは、日本では、恋愛の延長のように考えられていますが、イスラームにおいては、お互いに責任が発生する「契約」です。
アッラーの元で、結婚契約をしたからには、お互いがその契約に従って、自分の役割を果たし、自分の責任を果たしていく努力をする必要があります。
その責任を果たす努力をする事によって、アッラーのご満足が得られ、お互いに天国に入ることが近くなるのです。

 日本での結婚においては、夫婦の役割は、特に妻の役割と夫の役割が、分担されていず、あいまいなので、その価値基準に沿って結婚生活を送っていると、問題が生じてくることが多々あります。
 例えば、共働きの場合、妻には、仕事の負担と、家事の負担と、子育ての負担が全部彼女一人にかかってしまうことがあります。夫は家事を手伝う、と言っても、基本的には、料理は奥さんに作ってもらうのが当然、子育ても妻がするのが当然、となっているので、その負担を分担するために、夫婦で話し合っても、基本的な義務の分担基準がないので、折り合いがつかないこともあります。

 しかし、イスラームにおいては、妻は基本的に働く義務がありませんから、奥さんの負担は必然的に少なくなります。
 イスラームにおいて、基本的に夫には、妻と子供を養う義務があります。家族のために働いて稼ぐのは、結婚契約をした夫の義務です。つまり結婚契約によって、妻には、「養われる権利」が与えられます。そこが基本ですから、奥さんが家計を助けるために働いてもいいわ、という場合には、イスラーム的に見ると、妻は、自分の権利(養ってもらう権利)を放棄して、夫の義務を手伝って、働いている事になり、「アッラーのために、夫を手伝って仕事をします」というニーヤ(意思)をすることで、アッラーの元では善行になります。(もちろん、ご主人が奥さんが仕事をすることに同意している場合に限ります。)
毎日のことですから、このنيةニーヤ(意思)をすることで、働いている間中、右の天使が、あなたが善行をしていると、ずーっと書きとめてくれます。

 夫には家族を養う義務が発生するように、一方、妻には家庭を守り家族の世話をする義務が発生します。イスラームにおいて、結婚というのは、こうしてお互いに義務と権利が発生する契約です。
 
 夫婦二人して、アッラーに天国に入れてもらうために、奥さんが、円満な家庭を築くために、最初にご主人に聞くと良いことが、5つあります。

 特に、外国人と結婚された方は、日本の文化というのは、日本にいると全くわかりませんが、実際、世界中の文化に比べて、本当にものすごく特殊な文化なので、ご主人の文化との違いがすごく大きいため、奥さんは、この5つをあらかじめご主人に尋ねておかないと、後から、「あなたがそんな風に考えてるなんて知らなかったわよ!」ということになりかねません。その5つは、

①親戚関係 ②時間の使い方 ③料理 ④して欲しい事 ⑤して欲しくない事

①親戚関係*ご主人が、自分にどんな風にご両親や親戚と付き合って欲しいと思っているか。自分の両親、親戚との付き合い方、ご主人のご両親、親戚との付き合い方。どういう風に付き合っていって欲しいかを、ご主人に聞く。日本では親戚付き合いが深くないため、同じようにご主人の親戚とも付き合っていると、ご主人の親戚からは、常識がないと思われているかもしれません。例えば、シリアの場合だと、毎週、親戚一同が集まって、食事会をするのが習慣なので、一ヶ月間も音沙汰がないと、びっくりされます。また、気楽だからと言って、自分の両親とばかり交流して、ご主人の両親を放っておいていないか?自分の親戚には何か物をあげたりするが、ご主人の親戚には何も送らないなど、不公平な対応をしていないか?など。

②時間の過ごし方*どうやって私が毎日の時間を過ごすのが好きですか?何か仕事をして欲しい、仕事をして欲しくない、買い物にはいつ行ってほしい、いつも子供と一緒にいてほしい、イスラームの勉強をしてほしい、してほしくない(自分が義務のことをできるようになるまでは、これは義務なので、外で勉強して欲しくないご主人は、自分が奥さんに教えることになります)、ご主人の休みの日は、これをして欲しい、など。

③料理*どういう味付けの料理が好き?野菜は何が好き?果物は?お肉は?辛いものが好き?薄味が好き?お菓子、お茶?週に一度は食べたい好物がある?量は?3食のご飯の時間帯はいつがベスト?

④私にして欲しい事は全部言ってください、それをするように努力します。とご主人に言ってみましょう。

⑤私にして欲しくない事は何?それをしないように努力します。とご主人に言ってみましょう。

 すでに結婚後何年も経っていると、改めてこんなこと聞かなくても全部彼の考えていることはわかってるわ、と思われるかもしれませんが、思い違い、というのは、よくあることです。もしかしたら、ご主人は、あなたが思ってもみないことであなたのことを好きだったり、思ってもみなかったことに腹を立てている、ということが、大いにありえます。同じ日本人でもありえることで、ましてや、文化の違うご主人をお持ちの方は、大いにそういうことがありえます。
 例えば、日本人にとって、女性が男性に口答えする、盾をつく、などということは普通になってしまっていますが、文化の違うご主人にとっては、ものすごく驚く事だったりします。ですから、日本人の奥さんが、ただ、自分では自分の意見を言っているだけと思っていても、実は、ご主人のプライドを知らず知らずの内にものすごく傷つけている、ということが、よくあります。ちょっとした一言、「なんでこんな事も知らないの?」とか、「そんなことあるわけないじゃない。」といった言葉が、ご主人のプライドをめちゃくちゃにしてしまっている、ということがありえます。文化の違いを知らない、というのは、恐ろしい事です。それが、余計な誤解とトラブルの元になってしまうことがあるのです。
また、日本人は、何かと「あ、うん」の呼吸で言葉で言わなくても相手はわかっているわ、と思ってしまいがちですが、それは日本人だけの思い込みで、他の国ではまったく通用しません。
 ご主人にきちんと「言葉」で示してあげないと、余計な誤解を招いたり、まったく何も伝わっていないという事もよくあります。

 ですから、改めて、この5つを、今日家に帰ったら、言葉で確認してみましょう。
「今日、勉強会で、こんなことを習ってきたんだけど」、と言って、ご主人がお仕事などで疲れていないときを見て、話し合う機会を作ってみましょう。

 ここで、もしかしたら、「何で私だけが相手の言うなりにならなければいけないの?やっぱりイスラームは男尊女卑だ!」という疑問がわいてくる方もいるかもしれません。
でも、イスラームの教えは、すべての人が幸せになるための万全の教えです。
奥さんにここまで言われて、自分を反省しないご主人はいません。
人間の常として、絶対に相手が悪いと思っていても、その相手が頭を下げて謝ってきたら、「いやいや、自分もちょっと悪いところがあったし」と思うのと同じで、奥さんに、「私に、して欲しくない事があったらどうか教えてください、しないようにこれから努力しますから。」と言われれば、ご主人も、自分は、相手の嫌がることをしていないかな?とちょっと反省するものです。

 でも、あくまでも、これを聞くのは、ご主人の反省を促すのが目的なのではなく、自分がアッラーにもっと好かれるために、アッラーにもっと好かれる自分に自分を変えるために聞く、というのが大切な基本です。
それによって、アッラーのご満足を得ることが目的です。

 夫婦は鏡のようなもので、奥さんを見て、ご主人もだんだん変わっていきます、インシャーアッラー。
相手が変わるのを望むなら、まずは、自分から変わりましょう。

 人間、自分が何をしたいか、というのは、考えなくても、自然に頭に次々と浮かび、「これが食べたい、どこに行きたい」、など、自分の好きなことは次から次へときりがないくらいどんどん思いつきます。
これもしたい、あれもしたい、と。
 それに比べて、相手の望み、相手が何をして欲しいか、は、立ち止まって、ちゃんとしっかり考えないと、わかりません。
ですから、常に、相手が何をして欲しいかな、何をしたら喜ぶかな、と考えて行動するよう心がける事が大切です。
 自分のしたいことは、考えなくても自然に浮かぶので、放っておけばいいのです。
でも、相手の望む事、というのは、ちゃんと気をつけて考えてあげないと、思いつきません。

 相手が、自分に何をして欲しいか、と考えるときに注意するのは、「相手の満足を得ること」自体を目的にしないことです。
ご主人があなたに満足すること、それ自体が目的、なのではなく、それは、アッラーへと進むための「手段」だということを、ちゃんと知っておきましょう。

 どんなときでも、私達の人生の目的は、「アッラーが、自分にご満足されること」、です。
アッラーが自分に何をお望みか、を考え、アッラーのご満足を得る事を一番の目的にすると、「自分のしたいことだけをしたい!」、という利己主義の檻(おリ)から解放され、それによって、すべての人間関係のわずらわしさから開放されます。
アッラーのために、イスラームの利他主義(自分より相手をう優先する徳)を心がけることで、自分が変わるのみならず、不思議に周りの人の対応も変わってきます。
ハディースにもありますが、アッラーがその人のことを好きになると、アッラーが、天使たちに彼のことを好きになるよう、命じます。そして、天使たちが彼のことを好きになると、天使たちが、地上の人間たちに、彼のことを好きになるよう命じるからです。

 私たちの目的は、アッラーが自分をもっともっと好きになってくれるように、がんばって努力をすること、なのです。
 自分が努力するのは、アッラーに自分が好かれるため、であって、ただ単にご主人に好かれるため、ではありません。
 ここが、ムスリムと、ノンムスリムの大きな違いです。

 アッラーのことを知らない、ムスリムでない人にとって、夫婦円満の目的は、円満に生活してこの世で幸せになること、だけですが、ムスリムの夫婦円満の目的は、それによって、アッラーのご満足を得る事、アッラーに好かれること、です。
そこには大きな違いがあります。
 アッラーを目的にすることによって、ムスリムは、心の底から幸せと安心感を得、この世とあの世の両方で幸せを手に入れることができますが、アッラーを目的にしないと、こうした努力する事で、ますます不幸になる、という悪循環に陥ってしまう事さえありえます。

 ムスリムにとって、円満で幸せに生きることは、ただの「結果」であって、「目的」ではありません。
 それを間違えてしまうと、こんなに自分は努力したのに、夫はまったくわかってくれない、こんなに自分は彼のためにやっているのに、夫はまったく変わらない、という、相手に対する不満が出てきます。
そういう思いがわいてきたら、「أستغفر اللهアスタグフィルッラー(私はアッラーにお許しを請います)」と言って、自分のニーヤ(意思)が間違っていないか、立ち止まって考えましょう。
ちゃんと、アッラーを目的に行動しているか、反省しましょう。

 相手に「よくやったね。」と言われるために努力していると、あなたの幸せは、相手の反応によって、得られたり得られなかったりする、ということになり、ご夫婦の間では、あなたの幸せは、ご主人の反応次第、ということになってしまいます。しかし、人間というのはいい加減なものですから、あなたが努力した事に対して、ご主人は満足するかもしれませんが、もしかしたら、あなたの努力を認めてくれないかもしれません。それどころか、せっかく努力したあなたに対してケチをつけて、怒り出すことさえあるかもしれません。なぜならご主人は人間で、アッラーのように完璧ではないからです。もし上手くいって、ご主人があなたの努力を認めてくれたとしても、それは、ただのこの世での一時的な幸せしかもたらしません。

しかし、アッラーのご満足をあなたの努力の目的にすると、アッラーは、あなたのしたどんな善行も無駄にすることはありません。必ず、必ず、どんなときにもあなたを見ていてくださって、あなたがした芥子粒ほどの小さな小さな善行も、10倍、もしくはそれ以上にして、あなたに返してくださいます。この世のすべての所有者であられるアッラーが、彼のために努力をしたあなたに対してくださる報酬は、私たち人間の想像を超えたものです。アッラーのために努力をした人を、アッラーが放っておく事は絶対にありません。そして、人間と違って、アッラーーの裁量は、絶対的に公正なもので、必ずあなたが満足する報酬をくださいます。

 アッラーを目的にすることに比べて、他の人の反応をあなたの目的にすることが、どんなに損かがわかります。
もし、相手があなたに感謝すればあなたは喜び、相手があなたを認めてくれなければ怒る、悲しむ、というのは、あなたのنيةニーヤ(目的)が、間違っていないか、早めに気がつかせてくれるアッラーからの信号、サインです。

 また、あなたの目的が、「アッラー」ではないと、自分が頑張った事に対して、自分はこんなにも相手のためにしたのだから、と、相手に対して恩着せがましくなります。
でも、「アッラー」が目的だと、アッラーに自分が好かれるために努力していれば、相手の反応は、ただの「結果」であって、それ以上でもそれ以下でもありません。

 努力をした後、アッラーが目的の人は、自分が、アッラーに好かれるよう努力できたことに対して、アッラーに更に感謝して、出来なかった事に対しては、アッラーにお許しを請うことで、ますますアッラーに好かれます。
そうすることで、人間は、すべてのことから解放された、アッラーから与えられた人間本来の「アッラーのしもべ」という、他の何にも支配されない、自由な存在になります。
しかし、アッラーが目的でないと、相手の反応にしばられたり、自分の欲にしばられたり、人間は、ちっとも自由でなくなってしまいます。

 あなたがアッラーのために一生懸命努力した結果、もしご主人が、認めてくれなかったとしても、アッラーがあなたに満足していれば、この世でもあの世でも、まったく問題はありません。あなたがあなたにできることを一生懸命努力したことで、アッラーがあなたを認めてくださってご満足してくださっていたら、あの世であなたの貯金がどんどん貯まるだけです。そして、私たちを天国に入れるのは、アッラーのみです。
 
ちょっと考えてみましょう。他の人があなたはすごくよくやった、と言ってくれても、それが、あなたを天国に入れてくれるでしょうか?他の人が、あなたのことを最低だ、と思ったとしても、それが、あなたを地獄に陥れるでしょうか?

そんなことはありません。

 他の人は、あなたを天国に入れてもくれないし、あなたを地獄に入れることもありません。

アッラーのみがあなたを天国に入れてくださいます。

この原則をわかっていると、人はとても安心します。
 自分が努力すべきは、ただただ、アッラーのためのみであって、他の誰のためでもないことがわかります。

 そして、夫婦が、家庭において、アッラーのご満足を求めることで、自然と夫婦の関係も強まります。
 なぜなら、アッラーは、ご夫婦を、お互いが、お互いを天国に入れる鍵となれる存在としたからです。
 家の中は、お二人が天国に行くための訓練場です。

預言者さま( صلى الله عليه و سلم)こう言われています。

〈あなた方の中で、善い者というのは、自分の家族に善くするものです。そして私は、あなた方の中でも、自分の家族に善くする者です。〉(スナン イブンマージャ 伝承)

私たちの模範、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)は、もっとも自分の家族に善くするお方でした。
 男性も努力なくしては天国にとても入れません。
ですから、奥さんは、ご主人が天国に入れるよう、ご主人をサポートしてあげましょう。
どうしたら、彼が天国に入れるか、考えて、家族全員が笑って天国に入れるよう、サポートしていきましょう。
 ご主人もお子さんも、あなたの周りの人たちすべては、アッラーが、彼らを使って、あなたが天国に行けるようにと用意してくださった、大切な人たちです。

 売り言葉に買い言葉で、夫婦喧嘩をすることに、アッラーのご満足があるでしょうか?
 子供の前で、ご主人に逆らって言葉を強める事に、アッラーのご満足があるでしょうか?
 ご自分も、ご主人も、一緒に天国に行くために、アッラーのために、あなたが、彼の売り言葉を買わないことで、アッラーのご満足が、あなたにどんなにあるかわかりません。
預言者さま( صلى الله عليه و سلم)は、ハディースで言われています。

〈 誰でも、(議論、喧嘩をしていて、)自分の意見が間違っているときに、それを取り下げる者は、アッラーがその人のために、天国に家を建ててくださいます。そして、誰でも、(議論、喧嘩をしていて、)自分の意見が正しいときに、それを取り下げる者は、アッラーは、その人のために、天国の中でも、一番最上の場所に、家を建ててくださいます。〉 (ティルミズィーの伝承)

 天国の一番最上の場所に、家を建ててもらうために、それ以上議論にならないよう、自分の主張を取り下げたら、アッラーが、どんなにあなたにお喜びになられるでしょう。
普段から、アッラーのお喜びを得る事を、第一に考える癖をつけましょう。
喧嘩の最中に、これを思い出すことができるように。
 そして、アッラーのお喜び、天国の最上の場所に家を建ててくださるというアッラーのお約束を信じて、頑張って、自分の意見を取り下げてみましょう。
アッラーがその代償に、どんなにすばらしいものをあなたにくださるかわかりません。

この心の中の自分の欲(「自分の意見を通したい」という欲)と戦うジハードは、武器を使って敵と戦う聖戦よりも、もっと大きなジハードだと、預言者さま( صلى الله عليه و سلم)も言われています。
それは、自分の欲よりも、アッラーのご満足を上に置く事でしか、達成できないジハードだからです。
 天国の家は、誰にでも建てられるわけではありません。
 このジハードに打ち勝って、自分に打ち勝ってこそ、与えられるものです。
 ご家庭は、アッラーが与えてくださった天国に家を建てるための修行の場です。

 うまくお互いを生かして努力すれば、彼を使って、あなたは、アッラーのご満足を得、天国に入れますし、あなたを使って、彼はアッラーのご満足を得、天国に入れます。
 お互いがお互いの天国への梯子(はしご)となるように、頑張りましょう。
二人で笑って天国に行けるように、新たなニーヤ(目的)を立てましょう。

 まずその第一歩として、家に帰ったら、この5つの質問をご主人に聞いてみましょう。
ご自分がアッラーにもっと好かれるようになるために。

アッラーのご満悦がありますように

والسلام عليكم