満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

シャウワールの斎戒(一部訂正)

2007-10-18 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

 ラマダーン月が終わり、イスラーム暦10月シャウワール月になりました。
ラマダーン月の斎戒はアッラーがお命じになったファルド(義務)です。
そして病気や生理や産褥や旅行などの理由どで、そのラマダーン月に斎戒ができなかった日数分は、埋め合わせしなければいけません。ファルドは怠れば罪になります。

それとは別に、ある定められた期間に斎戒が奨励されています。
これらはスンナ(預言者さまの言行)で、行えばアッラーからの報奨がありますが、行わなくても罪にはなりません。

 アブー・アイユーブ・アル=アンサーリー(ラデイヤッラーフ アンフ)によると、アッラーのみ使いさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は次のように言われました。
「ラマダーン月の断食を行って続くシャウワール月に6日間の断食を行ったものは、まるで彼の一生分の断食をした者のようである。」(サヒーフムスリムNo.1984)


 善行は10倍の報奨があり、ラマダーン月の30日が10か月分、シャウワール月の6日が2か月分、合計12ヶ月分に相当し、毎年ラマダーン月の斎戒を全うし、シャウワール月の6日間を斎戒した人は、一生断食をしたことになるのです。

勉強会では、3つのやり方があると講師の方は言っていました。

1.ラマダーン月にできなかった日数分のカダーの斎戒をした後、シャウワール月の6日間の斎戒をする

2.ラマダーン月にできなかった日数があまりに多く、それをした後では、シャウワール月中にスンナの6日間の斎戒は出来ない場合などは、シャウワール月中に6日間のスンナの分の斎戒をし、シャウワール月を過ぎてから別の月にカダーの斎戒をする

3.シャウワール月にするカダーはシャウワール月のスンナの6日間を兼ねることができる。つまり義務とスンナのふたつのニーヤ(意図)をもつことができる

の3番は、「できない」という見解を紹介しましたが、さらに文献をご提供くださった方によりますと、定説では「カダーとシャウワール6日間のサウムは一緒にできない」ですが、中には「できるとする見解もある」とのことのことです。
その見解に従えば、カダーのニーヤだけサウムをしようとも、カダーとシャウワール6日間のニーヤ両方でサウムをしようとも(もちろんそのほうが望ましい)シャウワール6日間のスンナのサウムをして得られる報奨は得られるようです。

アルハムドリッラー

かつて満月通信アネックスで書きました内容とは少々異なると思いましたが、この訂正により、問題ないことがわかりました。混乱させて申し訳ありません。
アスタグフィルッラー


また、スンナの斎戒はご主人の許可が要ります。
カダーは、義務の斎戒ですから、許可が無くても、できます。
(でもそのことで仲が悪くなるのもどうかと思いますが、ご主人に理解してもらうという意味で知っているといいかと思います。カダーも次のラマダーンまでに済ませるようにすればいいので、夫婦の絆を大切にしましょう。)

ただご主人が奥さんと仲良くする方法としての性的な関係を持つ気がないのにも関わらず、斎戒を許可しないのは、アッラーが嫌う行為であるマクルーフになるそうです。

他にスンナの斎戒をするには
1. 体力維持に問題がないこと
2  自分に課せられた義務をきちんと果たせること
という条件を満たせていなければなりません。体力的に状況的に困難な場合は、無理してすることはないということです。

シャウワール月の6日間はラマダーン月が終わり、イードの翌日からすぐ続けてするのが一番望ましい(ムスタハブ)のですが、6日間を連続ではなく分けて週末にするとか、月の後半にするとかでも全く問題ありません。


アッラーが受け入れてくださいますように
و السلام

アラブ社会と女性その3

2007-10-10 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

理想像・模範像

 女性の人権擁護を強く訴えてきたイスラームのシャリーア(聖法)及びその他の法規範の実例をここに書き加えて検討する必要はないであろう。宗教という名日のもとに長い間枷をかけられてきた東洋の女住たちを救おうと女性解放連動の第一声が湧きあがったわけだが、結局、最初の解放運動の起点であったのはイスラームのシャリーアだと、すでに多くの人びとが認めている。女性の隷属と宗教とは何のかかわりもないのだ。読者はもう十分ご承知のことであろうが、それでも敢えてここに、ムハンマドSの女性観を伝えてくれるエピソードの幾つかを拾い出し、女性に対する彼のやりとりの様子を書き留めておくことは意義のあることと思われる。これから私が書こうとする四人の娘たちの父親、その人物像を映し出す良き鏡となることであろうから。アルブハーリーのハディース集に拠ると……アーイシャ夫人、が言った。私のところに二人の女の子を連れた哀れな母親が物乞いに来ました。そのとき私のところには棗椰子の実がたった一つ残っていただけでした。彼女はそれを二つに割つて二人の娘に分け与えると、(自分は何も口に入れずに)立ち上がって出て行きました。そこへ使徒様が入ってこられたので、彼女のことを話すと、こう言われました。「(不学にして娘たちの親となった者が)娘たちを通して試みられたのだ。娘たちを立派に養育した親は、娘たちはその者には業火を避ける囲いとなることだろう(その娘たちが地獄への道を防いで救ってくれるの意)ムスリムのハディース集にアナス・イブン・マーリクから聴聞して伝えられたハディースが載っている……預言者は言った。「ジャーリヤ(奴隷の少女)をふたり、成人するまで家族同様に差別なく面倒を見た者は、最後の審判の日に、私とその者は2本並んだ指のように一緒に並んで(天国に入る)……」アブーダーウドのスンナ集にイブン・アッバースが伝えたハディースがある……預言者Sは言った。「女児を得て生き埋めにせず、泣き悲しませることなく男児と同等に育てた者を、神は楽園に迎える」 アルブハーリーもまた、サハーバのひとりが預言者Sのもとに遺産のことで許諾を求めにやって来たときの様子をこう伝えている……その男は息子がないので、死後に財産をムスリムのために残したいと言った。まだ遺産相続の啓示は降りていなかった。そのとき預言者Sは「女の子はいるのか?」と聞いた。「はい」と答えると「それならば財産をムスリムのために残すことはならない」と言った。アンサールのサアド・イブン・アッラビーウの妻が二人の娘を連れてやって来たときも同様であった。「使徒様よ、この二人はあなたと一緒にウフド戦に参加して死んだサアド・イブン・アッラビーウの娘です。伯父がこの娘たちの分まで財産を私有してしまいました。使徒様よ、どう思われますか、財産がなければ、この娘たちの結婚にも差し支えます」預言者Sは「あなたの訴えは神が聞き届けてくれるでしょう」と、彼女を帰らせた。相続の啓示が降りた。そこで預言者Sは言った。「婦人とその連れを私のところへ呼んで下さい」ふたりが来ると、娘たちの伯父に向かって言った。「二人に2分の3を与えなさい。母親に八分の1を与えなさい。残った分があなたの取り分です」彼ほどに女性にきめ細かな配慮を見せた人物は史上に見あたらない。アーイシャが伝えるハディースに拠ると……ある娘が面会を求めて来て、苛立った様子で言った。「父はお金のために、私の大嫌いな従兄と結婚させようとするのです」アーイシャは彼女を坐らせて、預言者Sが来るのを待った。預言者は娘の不満を聞くと、彼女の父親のもとに使いをやって、娘のことは娘に任せるようにと論した。すると彼女はもはや父親に対して感じていた攻撃的な気持が消え、こう言った。「私は父の決めたことを承諾しました。本当に知りたかったのは、女にも大事を決める権利があるかどうかでした」アブーアルアースがまだイスラームに改宗する前のこと、アディーナで捕虜となったとき、預言者の娘ザイナブが彼を救った。この話は後で彼女の章に載せた。またウンムハキーム・ビント・アルハーリスは、マッカ開放の年にイクリマ・イブン・アブージャフルを保護したいと申し出た。イクリマは、たとえカアバの覆いの下に隠れても見つけ出したら殺せと名前を呼び上げられた者のひとりであったのに、預言者は彼女の申し出に応じて彼の身を保護した。またマッカ開放の日、マフズーム家の二人の男がアブーターリブの娘ウンムハーニーの家に保護を求めて来た。「どうしても殺してやる」と、アリーが二人を追跡した。彼女は戸を諦めて二人を匿うと、マッカの町の頂上に天幕を張っていた預言者Sのもとへ走って行き、マフズーム家の二人を保護した旨を中し出て、兄弟のアリーがその二人を殺すと言ってきかないことを訴えた。すると預言者は「あなたが助ける者は私たちも助けよう。ウンムハーニーよ、あなたの保護した者は私たちも保護しましたよ。殺しはしない」預言者Sが女性に示したこのような思いやりはジャーヒリーヤ期を抜けたばかりの当時では、彼女たちが望み、期待した以上のものであった。新しい社会が古い時代の女性観を打ち砕くために、ぜひとも必要としていたのが、使徒Sの人柄の中にみるこの理想像・模範像であったのだ。二冊のサヒーフ (アルブハーリーとムスリムによるハディース集)が伝えるオマル・イブン・アルハッターブの話を思い出してみても、その必要性がどれほどであったか推察できよう。……全く、我々がジャーヒリーヤの時代には女は何の重要性もないものと思っていたが、神の啓示が降りて女にも権利を与えたから……私があるとき、あることを行なおうとすると、妻が「こうだったら、こうやって」と口を出す。そこで「あなたには関係ないだろう。私のやることはあなたの知ったことではない」と言った。すると彼女は私にこう言った。「あらあら、おかしいですね。オマルよ、あなたは未だ頑固にそんな古い考えを変えないのですか。あなたの娘も頑固者で我を張って、使徒様Sをまる一日怒らせたけれど?」そこで私は急ぎ、着替えてハフサのところへ出かけた。私は彼女に言った。「娘よ、使徒に逆らって怒らせたというのは本当なのか?」すると彼女は「ええ、本当よ」と言うではないか!そこで親戚にあたるウンムサラマのところへ寄って事情を話した。すると彼女は「おかしいですね。オマルよ、あなたは何事にも関与なさいますが、使徒様とその妻の間にまで介入なさいますのか」彼女の言葉にショックを受けて、これにはもう何も言えなかった……。長い間に培われた女性観の変革のためにイスラーム社会にぜひとも模範となる人物が必要であったことを、オマルのこのエピソードがはっきりと教えてくれている。このオマルは預言者Sの妻ハフサの父であり、イスラームが最も誇りとするサハーバ(教友)のひとりである。クルアーンを十分得心していたはずのこの人でさえ、自分の妻が、物事に口をはさむのを疎ましく思い、意見を述べるのを嫌った。そして妻が娘のハフサの例をあげたとき、まさかと思い、娘のもとへ直行して耳にした件を尋ねてみると、娘は「そんなことありません」と答えるものと思ったが、彼女は「本当よ。私も預言者Sの他の妻たちも、頑固に言い張って使徒様Sを怒らせてしまいました」と言うではないか! オマルは信じられない娘のことばに怒り心頭に発する想いでその場を出たが、なんとウンムサラマの返答は打ちのめされるようなショックな葉であった。「おかしいですね、オマルよ。あなたは何ごとにも関与なさいますが、預言者Sと妻たちの問にまで介入なさいますのか」オマルは預言者Sの家で大きな教訓に出会った。他のサハーバも、ムスリムたちも、また同じであった。かつての習慣から抜け切れず、古い信念と新しい教訓との狭間で揺れていた。勇士アブーダジャーナのエピソードも奇妙な話とはいえまい。彼はウフドの戦いで預言者の刀を預かると勇敢に飛び出した。彼は頭にイサーバ(ターバン)を巻いていたので、「死のイサーハ」と呼ばれて恐れられた。敵を見つけるやー刀のもとに斬り捨てた。その彼がヒンド・ビント・オトバがムスリム壊滅を叫んで多神教徒の士気を鼓舞している場にやって来た。彼女の脳天に刀を振りかざしたものの、こう言いながらその場を去ってしまったという。「使徒Sの刀を尊んで女を打たず……」細やかな心づかい、深い思いやり、理想的な人間性と情け深い父性、これがムハンマド・イブン・アブドッラーSであった。さて、それでは四人の娘たちの父親ムハンマドSの様子を見ていこう。彼の娘たちは皆、啓示が下る前に生まれ、その後、父の聖なる戦いに勝利の栄光が目映ゆく輝く日々を生きたのである。

إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

アラブ社会と女性その2

2007-10-10 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

  さて本来のアラブ社会の女性の地位について話を戻そう。古い文献から拾った実例を添えて、女性も十分に人格を発揮でき、敬意と信望を受け得た存在であったこと、そしてワアドはすべての少女に降りかかった悲劇ではなかったとの見方に確信を持ったものの、どのように調べあげてもやはり、女の子の誕生と男子の誕生は同等ではなかった。アラブには、あるとき砂中に女児を埋めた人びとがいた。またいやいやながら女の子を育てた人がいた。娘の行く末に気を揉んで眠れぬ日々を過ごした人もいた。また娘に死を選んで安息を得た人もいた。アラブはそういう時代をすぎてきたのだ。イスラームの時代が訪れて、この悲劇は幕を降した。ワアドについて最初に降された啓示は、恐怖の日の警告であった。「埋められた女児が、どんな罪で殺されたのかと問われるとき」……クルアーン・第八一章(アッタクウィール)八~九節。そしてこの後にマッカ啓示・第一七章(アルイスラーウ)31節で「困窮を恐れて、あなた方の子女を殺してはならない、われは彼らをもあなた方をも養うものである。彼らを殺すのは本当に大罪である」 またマッカ啓示の第六章(アルアンアーム) 一五一節ではこう述べられた。「言ってやるがよい。わたしは主があなた方に禁じられたことを読誦しよう。彼に何者でも同位者を配してはならない。両親に孝行であれ、困窮するのを恐れて、あなた方の子女を殺してはならない。われはあなた方をも彼らをも養うものである。また公でも隠れていても醜い事に近づいてはならない。神が神聖化された生命を、正義のため以外には殺害してはならない。このように彼は、命じられた、恐らくあなた方は理解するであろう」アルアーン注釈者たちは、この二章にある「子女を殺してはならない」の一節を、女児のワアドを指したものであると断言している。子女を殺す人びとは愚かで裡造する者、迷える失敗者とされた。「無知のため愚かにもその子女を殺し、神が彼らに与えたものを禁じ、また神に対し捏造する者たちは正に失敗者である。彼らは確かに迷った者で、正しく導かれない」……クルアーン・第六章(アルアンアーム) 一四〇節。ムスリムのハディース集には様々な個所にアブドゥッラー・イブン・マスウードの話が採録されている。……彼は言った。「どんな罪が一番重いのですか」と使徒に尋ねた。すると彼は言った。「神に配偶者を置くことだ。彼こそあなたの創造主であられる」そこで訊いた。「それは確かに大罪です。「その次は?」彼は言った。「その次は、食べられないからと恐れて子供を殺すことだ」「その次は?」「隣人の妻と不義を犯すことだ」ワアドは禁じられたが、女児を嫌悪する心情と女性に対する禁欲の心はすぐには解けなかった。前代からの長い年月を継承するうちに、いつの間にが我々アラブの自然なオリジナリティと化して、初めに何故こうなったのか理由のないまま、心に染み付いてしまったのだろう。新しい女性が社会に進出し、仕事を持ち、生活の収入を得るようになり、文芸の面でも、科学・技術面でも指導的な役割を果たすほどになったけれど、女児の誕生はやはり男子の誕生と同じではないのだ。イスラーム期のアラブの詩集(ディワーン)の民謡にうたわれたょうに、誕生のその瞬間から、女児は嫌悪の視線を浴びて迎えられる……ここにアルジャーヒズが伝える数行の詩がある。女児を産んだ結果、夫が自分から離れてしまった母親の悲しみを詠んだものである。夫は隣人の家から(恐らくこの隣人は彼のもう一人の妻であろう)戻らない。「アブーハムザよ、 なぜ戻ってくれないの。 となりの家に行ったまま…… 男児が生まれぬばかりに怒ってしまった…… それは私たちの手には届かぬこと…… ああ、私たちに与えられたものを授かりましょう」ここでクルアーンの次の一節を誦んでおこう。「また彼らは神には女児があると言う。何ともったいないことよ、自分たちには自分の願うもの(男児)があるというのに……。彼らのひとりに女児(の出生)が知らされると、その日は終日暗く悲しみに沈む。知らされたものが悪いために恥じて人目を避ける。不面目を忍んでそれをかかえているか、それとも土の中にそれを埋めるか(と思い感う)。ああ、彼らの判断こそ災である」……第一六章(アンナハル)五七~五九節。経済の仕組みが変わっても、社会の女子に対する嫌悪の心情は変わらなかった。娘の不祥事が家名を汚すのではないかとの恐れや不安も、遺産相続の際の差別も残った。これについては社会体制の問題ではないのだと断言しよう。人の素行など気にしない進歩的で自由奔放な社会にあっても、所有財産が限られて家柄の良し悪しなど問題にされない社会主義的社会にあっても、やはり女子は歓迎されてないのだ。それは遠い昔からひき継いだ心情である。社会の動向の中で生育し、経済的な要因に影響されつつ、長い間、我々の心に注がれて浸み込んだ心情で、社会体制が変わり経済的要因が消滅しても、その流れの跡を拭い去ることは容易でないのだ。クルアーンはその比類なく深い人間への愛と造詣から、またいがなる要因にも左右されぬ超越した英知から、伝統や慣習の力に支配され、抜け出ることが出来ずにいる人間の心情を汲み取った。人間に寄せる深く尊いその愛は、女性を嫌悪や虐待から守るため、ムスリムの再教育に惜しみない努力を重ねている。繰返し、何度も啓示が下されて、娘たちのことは神に委ねるように、そして出来る限りの範囲で男子と差別なく平等であるようにと、声援を送り続けた。

إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

アラブ社会と女性その1

2007-10-10 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

 男児と女児は同じではない

 種族の継続は生殖による。すべての生物がこの種族保存の本能に支配されて生きている。そして人間のみがこの本能を自覚し、生殖の仕組みを知る別格な生き物である。さらに人間は己の子孫の繁栄と豊かな生活を願って、財産を築くことに執着する。この自然の法則に合致しないアブノーマルな事例があった。それは女児の誕生が忌み嫌われたことである。成長してその子宮に胎児を宿し待望の子孫を授けることの出来る女性であるのに。アラビア語で出産(インジャープ)とは、元来、男児を出産する意味であり、以下のような派生語があるムンジバ(アラブの母―すなわちインジャーブした女)とは、三人以上の男子を産んだ母親を指す。そしてこれらの婦人たちには部族の人々から敬意と信望が払われた。なぜ女児の誕生が疎まれたのだろう。母親となるべき女児なくして子孫繁栄の道はないではないか?我々は昔の生活環境が男子の多きを必要としたため、女子を忌み嫌わせたと考えることが多い。女は合戦となったら一族を守る力となることが出来ないばかりか、襲撃を受けた後には女たちは勝利した敵の獲物とされ、捕虜となり、彼女たちもその子孫も、いやしい身分となって隷属の羽目に陥るおそれがあったからである。このような事例は歴史に多く見られることでアラブだけが咎められる事柄ではなかった。クルアーン第3章(アール・イムラーン)35~36節にこのような言葉がある。「イムラーンの妻がこう祈って言ったときのことを思え。『主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたの奉仕のために献げます。どうか、わたしからそれをお受け入れ下さい。本当にあなたは全知全聴の方であられます』そして女児を生んだとき彼女は言った。『主よ、わたしは女児を産みました』神は彼女が産んだ者をご存じである。男児は女児と同じではない。『私は彼女をマリヤムと名付けました。あなたの御加護を願いまず。どうか彼女とその子孫の者をのろうべき悪雲からお守り下さい』」アラブ社会の問題としては、彼らが殊更に女児を疎んだこと、また女性に関心を向けなかったことが、あまねく知られた事実である点に目を向けてみようと思う。あるアラブ詩人がこう詠んだ。「私は結婚などしたくない。たとえ巨万の財宝が贈られても。おお、とんでもない。女を娶るなど。私はむしろ墓の中をのぞもう」ジャーヒリーヤ期の婚約の席では、同席した花嫁側の身内の者たちは次のように言ったという。彼女の結婚相手がアシーラ(一門)の出身者であれば、花嫁が連れて来られると花嫁の父あるいは兄は言った。「安喜に暮らせ。元気な男の子が授かるように、女の子でないように。子孫に繁栄あれ、末の世までも……」そして一門外の者との結婚の場合は彼女にこう言ったという。「安喜に暮すことはない。男の子でなくてよい。あなたはよそに行き、よそ者を産むのだから……」母性を崇め神聖視し、恋愛詩の中では女性への愛を切々とうたいあげているというのに、彼らの女性に対する態度がこのようであるのは全く不可解な現象である。しかも多くの息子を産んだ母親はムンジバと呼ばれ敬まわれたが、多くの息子を持っても父親の方はムンジブと呼ばれて敬意を表された記録はなく、ムンジブの子と呼ばれて称賛されたという例もない。さらに不可思議な現象がみられる。そんな彼らが天使の名前に女性名を宛てていることだ。「本当に来世を信じない者は天使に女性の名を付けたりする。彼らは何の知識もなく憶測に従っているだけだ」・・・クルアーン第53章(アンナジュム)27~28節。彼らは天使を神の娘と呼んだ。同じように偶像にも女性の名を付け、神々として崇め祭った。「あなた方はアッラートとアルウッザー(共に偶像神)を(何であると)考えるか。それから3番目のマナートを。あなた方には男の子があり、神には女の子があるというのか。それでは本当に不当な分け方であろう」・・・クルアーン第53章(アンナジュム)19~22節。彼らは不思議な儀式を行った。神々にいけにえの動物を捧げるのだが、その動物の肉と皮および雌の乳から採れる物は男たちだけのものとされ、女は分け前に与れなかった。神々に捧げたその動物が死んだ場合は別で、その場合、その肉を食べるのには女も加わった。「彼らは言う。この家畜の胎内にあるものはわたしたち男の専用であり、わたしたちの婦女には禁じられている。だが死んだ場合は誰でもみなそれに与れる」・・・クルアーン第6章 (アルアンアーム)139節。埋められた女児が(どんな罪で殺されたのか、と)間われるときそして神に娘があると言い、天使を女の名で呼んだり偶像神に女の名を付けたりする、これらの人びとが女児を生き埋めにしたのだ。生き埋め(ワアド)……人間の尊厳を否定する何と非人道的ないたましい行為であろう。このワアドの行為を弁解しようと、幾つか理由があげられた。病弱な娘や身体に障害を持った娘の行く末の良縁を案じて、あるいは不吉に感じて、ワアドしだのだという。あるいは娘が不名誉な身となるのを怖れてワアドしだのだという。最初にワアドを行なった男は遊牧民のルクマーン・イブン・アードであったろうといわれている。彼の場合は妻たちの背信行為を知って驚き、彼女らを殺して復讐を果した。気を静めて、その後に道を下って行くと自分の娘に出会った。妻たちの背信に悩まされていたことから、彼はそのとき娘に飛びかかり、彼女をも殺した。それ以後、娘が捕虜の身に陥るのではと憂慮する父親や、娘の社会的に認められぬ不名誉な結婚を怖れる父親によってワアドが行なわれたという説が採られた。例えば・・・ヌアマーン・イブン・アルミンザルはタミーム族が税を払わなかったため彼らを襲撃して女たちを捕虜とした。タミームの首長カイス・イブン・アースィムが捕虜の返還を求めに行くと、娘のひとりが彼の意に反してヌアマーンの許に残りたいと言う。戻ったカイスは怒り狂って自分の娘たちをみな生き埋めにしてしまった。以来、彼は生まれるとすぐ女児をワアドした。タミーム族の男たちが彼の行為を真似た。他部族の中にもそれを真似た男たちがあった。ズバイル・イブン・バッカールの『アルマウフィキヤート』を典拠に、ハーフィズ・イブン・フジュルが『カイス・ビン・アースィム』の件を採り上げて書いている。・・・・アブー・バクルがカイス・イブン・アースィムに言った。「なぜワアドなどしだのか」カイスは第一にワアドを行なった男であった。彼は[彼女らが不祥な奴らと結婚すると困るからだ」と言った……。また、アンサールのヌアマーン・イプン・バシールまでイスナード(口伝者の一連の経路)が遡行するハーフィズが伝達した『イブン・マンダ』に拠れば……彼は言った。「殺された女児が問われたら」の一節について尋ねられたとぎに、オマル・イブン・アルハッターブがこう言うのを聞いた。[カイス・イブン・アースィムが使徒を訪ねて来て『私はジャーヒリーヤの時代に8人の娘をワアドしました』と悔悟すると、使徒は、ワアドした娘ひとりにつき、それぞれ一人の奴隷を自由にしなさい]と言った]弱く無力な女に悲惨な境遇が襲うのを哀れと思い、ワアドを行なった父親もいた。苛酷な運命に晒されて生きながらえるよりもと、死を彼女たちに選んだのだ。彼らは娘たちを手許に置き思い悩み続けるより、子を失う痛ましい不幸に耐える道を選んだ。ある詩人がこう詠んでいる。「私は生き延びなければ、生さていなければと願う。 娘が哀れな孤児となり、近親の男たちから虐待されることのないように。 叔父兄弟から荒々しく扱われることがないように。 ひと言でも愛する娘を傷つける言葉が吐かねたら、私は彼女のために泣くだろう……。 娘が私の生をのぞむのに、私はただ哀れと思い娘の死をのぞむ……。 女には死は生きるより清く安らかな道。 娘が私を慕って泣き叫ぶ姿を思いめぐらすとぎ、私の流す涙は血の涙……」 そして娘が死んだ後の安らぎのおとずれた心を詠んでいる。「私は眠る…… もはや想い煩う苦悩に眠れぬ夜は無い。 この静けさの後に情熱は消え、 夢を見ることも無く、私は眠る……」このワアドの行為には、古い信仰の流れを汲んだ部分があると言われている。娘たちを神々に生賛に捧げた古代の信仰で、我々が知っている事例ではイスラーム以前のエジプトにみられたナイルの花嫁が挙げられよう。もしかしたら先に言及したこと-天使を女性名で呼んだり偶像神に女性名を付けたり、これも何らかのつながりを持った行為なのかもしれない。非論理的な考え方であるけれども。もっともこのような行動が適正な理性や論理に基づいてとられるものであったなら、恐らく女性名の付いた偶像神など当時のアラブが拝むことはしなかっただろう。これらの行為は旧い慣習で、継承した伝統にすぎないので、それを行なうのに理性的判断など要らない。人間に男と女があるのなら、神ととも分け合おうではないか。男も女も。人間の彼らには男児があり、神には女児があるなんておかしなことだ。「神は娘を持ち、彼らは息子を持つというのか。それとも彼らは、われが天使たちを女に創ったと証言するのか。見よ、彼らの言うことは作りごとである。神が子を産まれるとは彼らも嘘つきの徒である。神は息子よりも娘を選ばれるというのか。どうしたのか、あなた方はどう判断するのか」……クルアーン・第三七章(アッサーファート) 一四九~一五四節。貧しさのあまり、ワアドせざるを得なかった父親がいた。これについては、貧困に疲れ果てワアドしようとする父親たちの手から何人もの少女を救い出した男サアサア・イブン・ナージャのエピソードが多くの文献に残されている。また十人のサハーバのひとりに数えられたサイードの父、ザイド・イブン・アムル・アルアドゥィーに助けられた少女たちの話も語り伝えられている。サアサアの場合、初めてこの善行の一歩を踏み出しだのは、タミームの男が穴を掘っているところに偶然に彼が通りかかったときだという。そう遠くないところで、女が生まれた子どもを抱いて泣いていた。サアサアが訳を尋ねると、男の方を指してこう言った。「あの私の夫が、この子を埋めるというのです」サアサアは男のところへ行って言った。「どうしてこんなことをするのです?」「貧しいのです……」と一言、男は言った。サアサアは雌のラクダ2頭を与えて、その子を救った。以来、この心ある善き紳士は貧困に喘ぎ子をワアドしようとする男のことを耳にすると耐えかねて出かけて行き、その娘を救ったという。そして子孫に素晴しい誉れを残して世を去った。サアサアの孫にあたるアルファラズダクが誇っている。「私の祖父は何人もの少女たちの命を救った。ワアドをせねばならない貧しい父親たちを助けた。私の祖父のような人物こそ、よく知っていたのだろう。後悔と恐れのない最後の日が迎えられることを……」ザイド・イブン・アムルの方は、娘を埋めようとする貧しい男のことを耳にすると、その男のところへ行き言った。「子を殺してはいけない。私が代わって育てよう」そしてその娘が成人した後に父親のもとに連れて行き、その娘の将来を父親に一任させた。彼女を親のもとに返すか、あるいはそのまま保護した者のもとに滞め置くかを選ばせた。イブン・イスハークの使徒伝に拠れば……このザイド・イブン・アムルの息子サイードとオマル・イプン・アルハッターブのふたり(この二人は従兄弟同士であり、また婿姻関係でも結ばれていた)が、ザイドの死後、預言者に「ザイド(ムスリムでなかった)のために、神の許しを乞うてもよろしいですか」と凧くと、預言者はこう答えたという。「よいだろう。そうすればザイドは別の一団として最後の審判の席に送られ神から特別の配慮があるだろう」結局、ワアドが行なわれた理由は、貧しさ故の場合がほとんどだったようである。クルアーンの次の2節がこれについて言及している。「イムラーク(困窮)するのを恐れて、あなた方の子女を殺してはならない。われはあなた方をも彼らをも、養うものである」……クルアーン・第六章(アルアンアーム) 一五一節。「イムラーク (困窮)を恐れて、あなた方の子女を殺してはいけない。われは彼らをもあなた方をも養うものである。彼らを殺すのは本当に大罪である」……クルアーン・第一七章(アルイスラーウ)三一節。このイムラーク(困窮)という単語が、この二個所以外に使われている例はなく、その意味は、とにかく貧しいこと金銭的な欠乏-すなわち、赤貧洗うがごとしで何も無い状況のことである。イムラークの語根となっているマラクについては、アラビア語では次のような使い方もある……「衣服をマラクする」この場合のマラクは『洗う』の意味である。また「子供が母にマラクする」この場合は『乳をもらう』の意味で使われている。……クルアーンのこの二節中に見られるイムラークの単語についてであるが、ふつう貧しさは、ほとんどの場合「ファクル」という単語で表記されていることからみて、このワアドの状況が父親のもとには全く何も無いという、酷い金銭的欠乏の状況下で行なわれたものだという例証になる。ザマフシャリが、どのょうにワアドが行なわれたかを描写したくだりがある……男は娘を連れて出た。彼女のためにすでに砂漠に穴が掘ってあった。彼女をその中に入れると、砂を掛けた。穴が完全に埋め尽されるまで砂を掛けた……。また妊婦に臨月が近づくと穴が掘られた。出産の瞬間はその近くに運ばれて、女児が誕生すると穴に投げ、男児が誕生すると受けとめて家に連れて戻った……。以上、ジャーヒリーヤ期の女性の地位が不当に低く、また醜く矛盾した有様で示されたが、この醜い光景を別の一面、アラブ女性の輝やがしい一面を示すことでカバーしようと思うのも当然であろう。これからここに登場する女性たちは勇気と情熱に満ちあふれた光かがやく存在である。だが同時にまた、あの暗い記録がこの輝やがしい明るい記録を拭い消していくのも当然なのであった。一部でアラブがいかに娘たちを大事に保護したか、また彼女たちがいかにのびのびと自由に活動したかを語っても、生き埋めにされた女児たちの叫び声や母親たちの泣き悲しむ声はこだまとなって人びとの耳もとに鳴り響いて返ってくる。人びとは耳を塞ぐ……。遠い昔の砂漠の彼方からやって来る、もう一つの響きに耳を煩けてみよう……ジャデイスの娘の話に……。ジャデイスの娘の物語はアルマスウードが『黄金の牧場』の中で伝えている彼女は一族をタスムの暴君の悪政から解放しだ勇者であった。ジャデイスの花嫁たちには夫の許へ嫁ぐ前夜には必ずこの独裁者の床で一晩を過ごさなければならぬ掟があった。掟に違反した結婚は許されなかった。この暴虐な掟に対して彼女は立ち上がった。王の部屋から飛び出すと、屈辱の血に汚れ破れた花嫁衣裳のまま村の人びとの前に現われて叫んだ。「ジャデイス!なんと惨めではないか! このように花嫁を迎えるとは!」そして彼女は夫の許には向かわず、勇敢に戦いを先導し、人びとを指揮して、ジャデイス族に勝利をもたらした。独裁者は殺された……。このようなワアドの悲話にとって替わるたのもしいエピソードが幾つも記録に残っている。例えば、バヒーサ・ビント・アウスのエピソードは……アバスの首長であったアルハーリス・イブン・アウフが彼女との婚約を済ませ、いざ結婚しようとした際、彼女は夫が自分に触れるのを拒絶した。アバスとズブヤーンの二つの村落を破壊して、戦いが続いている最中というのに、女のことに気をとられているとは!そこで彼は仕方なく、妻を満足させようと出陣した。彼もハラム・イブン・スナーンも、双方が(死者の)血の代償金(ディヤ)を支払うことで停戦になった……。また、ワアドの悲劇の裏でうっかり忘れられそうな事柄がある。それは娘の名をクンヤ(呼び名)に待つ父親たちがいることだ。アブー・ウマーマ (ナービガ・ズブヤーニ)、アブー・アルハンサー(カイス・イブン・マスウード)、アブー・サルマー(ラービウ・イプン・ラッバーハ、この人はズハイイルの父親である)、そしてアブー・アフラー(ハンザラ・アッターイ)、そしてアブー・サファーナ(ハーテム・タイイ)など。娘の名のクンヤを持つ例はイスラーム時代になってからも数多く残っている。サハバの中にも、クンヤの個所の索引を見てみると、何十人も娘の名のクンヤを持った人びとがいる。母親系の名を受け継いだ人びともいる。もう一つ、これもあまり知られてないようだが、アラブには娘の見事な活躍が称賛され、それ故に尊敬された男たちがいた。アウフ・アッシャイバニーの娘のように助けを求めた者を立派に保護した娘たちの父である。アッスライク・イブン・アッスラカを助けたファキーハ・ビント・カダードも、彼の詩集『善きを称える』の中で称揚されている。困ったことに、ワアドがアラブの全部族で行なわれた悪習であったかのようにアルマイダーニーやヌワイリーが伝えてしまった。しかしながら、他の史家たちが確かに書き残しているように、ワアドはタミーム、カイス、アサド、ハディール、そしてバクル・イブン・ワイルといった部族の間でのみ行なわれた風習だった。しかもタミーム族を除き、これらの部族もイスラーム以前にその悪習を絶っていた。タミーム族の問では、イスラーム期になってからもワアドが行なわれていたということである。ワアドが広くアラブに一般化した風習ではないと言い切ることは出来ても、恥ずべき行為であることには相違なく、我々アラブの汚点であったことを否認することは出来ない。古い文献の処々に記録され、クルアーンにも明示されたこの醜い行為が、疑うことの出来ない史実であるのは本当に悲しいことである。結論として、我々に断言できることはワアドは決して一般化した風習ではなかったということで、もっともそうでなければ集団自殺、民族崩壊という馬鹿げた道を進んだことになってしまう。ワアドの非一般性については人間の本能の面からも、また部族強化の面からも様ざまな制約が加わって、そのような行為の一般化を阻止しようとする方向に働いたはずである。かつて部族が、或いは個人が母親の家系に帰属した『母系時代』があった。母系の名を拝した部族や女性名の付けられた偶像神や天使たちが現れた。その名残りが、否その根源であったものが、女性神聖化への動きにつながって、女性を護り救おうとする働きになり、それが時おり矛盾対立した行動をひき起こす力と化して-これは一部の社会学者たちの見解であるのだが-それが女児のワアドであったろうという。ナイルの花嫁にみられるごとぎ古代の宗教的儀式と、ワアドは何らかの関連をもった行為だという。種族存続と生への願いは本能である。この本能は他のいかなる本能よりも強力に作用して、可能な限りワアドからアラブの少女たちを救ったはずである。男たちの人生には必ず女たちが参加している。母であり、妻であり、妹であり、恋人である。彼女たちが女性蔑視の偏見を正して人生に広がりと充実を与えたはずである。それに並行して、否それに優先して、自然の法則に縛られた社会的・経済的働きかけがある。少女は成長して子を産む、アラブが一方的に女性を負担になる存在と考え、側面を見落としていたとしても、それでも女が妊娠して子孫を得るのである。乳児を保育し、幼児の世話をし、少年をしつけ、成人として育て上げ、社会に送り出すのである。人間の一生は定められた段どりで進んでいく。人間が生存し、世代を継いで生き続けるには、部族の男たちが気付こうと気付くまいと少女たちの存在は重要なのだ。そこで、我々も気持を楽にしてワアドは一般的行為でないと考えよう。そしてジャーヒリーヤ期のアラブ社会に生きた女性像を別の視角から捉えていこうではないか。ワアドを免れ育てられた少女たちは、部族の仲間から大切な扱いを受けてのびのびと自由に暮らした。先に私の著書「預言者の母たち」で『女性と母性』の章に女性たちが得た称賛と敬服、また大活躍の物語を文献からひろい出し載せておいた(ので参考にして欲しい)。同一の時代、同一の社会環境の中に相矛盾する二面が存在することは少しも不思議な現象ではない。女児の誕生を忌み、女児に嫌悪感を募らせ、さらに女性に対して極端に禁欲的になったり女性の身持ちを極端に憂慮したり、それなのに一族の女性を護るために男たちは命を賭け、献身した。女児の誕生は嫌悪されたが女性は天使の地位にまで高められ、母と呼ばれて尊ばれた。少しも不思議なことではない。人生は航路に沿って進んで行くが、そこには相対立する矛盾が集合しているのだ。ワアドも、女性崇拝も、伝統と旧慣に起因するもので個人の思考や理性から離れて集団社会の動行の中で育成されたものである。古代アラブが偶像神に女姓名を奉ったことも同様で、これは女性神聖化の一面から、ワアドは惑悩あるいは忌み禁欲の一面から生じたものであろう。今日でも、我々の保守的社会の中では似た現象が見られるではないか女性は教育を受け、就職して社会に進出する機会が与えられたというのに、婚約者が彼女と会うことは許されてない。女性は大学の教授職まで昇格していても、アラブ・イスラーム機関などでは女性をそのメンバーに加えることはしない。事務職には迎え入れたとしても。イスラーム会議などで女の参加者があれば不快を表わし、また女が夜の社交場で働いたり人前で洒をたしなんだり、避暑地で裸に近い格好などすれば、それはもう黙っていない。このような矛盾した動きが起こるのは、先に述べたように、あくまでも慣習の問題であり理性の問題ではないからだ。個人が社会集団の感情に没しており、自らの行為を意識することなく集団の動行に流されてきたからだ。もし個人が仮に社会の成員に属さず、慣習や伝統の力に左右されぬ立場にあったとしたら、恐らく理性が否定したであろうことも、社会集団の中にあってはすなおに受け入れてしまうのだ。

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و السلام

アラブの父性像

2007-10-08 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

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イスラーム期・啓典クルアーンに見る父性とムハンマドSの父性


 ムハンマドSに啓示が降されると、ごく初期の頃からクライシュはその一神教の教えがマッカの神々を受け入れず先祖伝来の生き方に反駁するものであると知った。ムハンマドSの教義の核心が神の唯一性を認めることでなかったなら、決して偽りを言わぬ誠実なこの男の言葉に彼らが進んで耳を傾けることもあったろう。しかし、ムハンマドSは旧来の神々を一掃せずには満足しなかった。 「彼らに、『神が啓示され給うものに従え』と言えば、彼らは『いやわたしたちは祖先の道に従う』と言う。彼らの祖先は全く蒙昧で(正しく)導かれなかったではないか」・・・クルアーン・第2章(アルバカラ) 170節 クルアーンには邪教徒の一掃が説かれているが、親に対する敬愛の情は大変に尊ばれ、神の唯一性の教義に続いて親孝行が奨励されている。 「主は命じられた・・・神以外の何者も崇拝してはならない。そして両親に孝行せよ、もし両親の片方、または両方があなたと一緒に暮し老齢に達しても、両親に対して舌打ちなどしてはいけない。荒い言葉を使わず親切な言葉で話しかけよ。そして敬愛の情を込めて両親に対し謙虚に翼を低く垂れて(優しく思いやりをもって)。『主よ、両親が幼少の私を愛育してくれたように、ふたりの上にご慈悲をお授け下さい』と祈るがよい」・・・クルアーン第17章(アルイスラーウ)23~24節 イスラームはたとえ多神教徒の親であっても、息子が親に逆らうことを許してはいない。許されることは多神教徒の道に従わないことのみであって、親としての権利を奪うことはしない。現世では親を大切に孝養するようにと説いている。「われは両親への態度を人間に指示した。人間の母親は苦労にやつれてその子を胎内で養い、さらに離乳まで二年を要する。われとあなたの父母に感謝せよ。われに終着の帰り所はある。だがもし両親があなたの知らないものをわれに(同等に)配するように強いても、かれらに従ってはならない。だが現世では懇切に両親に仕えよ。そして悔悟してわれの許に帰る者の道に従え。やがてあなたがたはわれの許に帰り、われはあなたがたの行ったことを告げ知らせる」・・・クルアーン第31章(ルクマーン)14~15節 またクルアーンは子どもについて、子どもはこの世の生活を飾るもの、信じる人々に神が授けられた最大の恵みであると言っている。 「天はあなたがたの上に豊かに雨を降らせ、あなたがたの財産や子どもをふやし、あなたがたのために、数々の園や川を設けた」・・・クルアーン第71章(ヌーフ)11~12節 「財産と子どもはこの世の生活の飾りである」・・・クルアーン第18章(アルカハフ)46節 それは我々の子どもに寄せる愛が本能と認められるからこそで、そこでクルアーンは我々の子どもへの盲目の愛について警告を与えている。 「様々な欲望の追求は人間の目には素晴しく見える。婦女・息子・莫大な金銀財宝・焼印を押した名馬・家畜・田畑、これらは現世の生活の楽しみである。だが神のみもとにこそ最高の安息所があるのだ」・・・クルアーン第3章(アール・イムラーン) 14節 「あなたがたの財産や子どもは一種の試みであり、神のみもとにこそ、最高の報奨があることを知れ」・・・クルアーン第8章(アンファール)28節 我々の子どもに注ぐ愛、ときには目も見えず耳も聞こえぬほどに溺れてしまう、そんな強力な愛の支配下におかれた我々に覚醒を呼びかけたものである。 親子の絆をクルアーンは至高のものと考える。宗教や信仰の壁も乗り越えるもので、この関係については最後の審判の日の恐怖を告知する啓示の中で述べられたごとくである。 「彼らは互いに顔を合わせることができないほど恐れる。罪ある者はその日自分の罪をあがなうために自分の子どもたちをさし出し供えようと願うであろう。妻や兄弟、自分をかばった近親まで」・・・クルアーン第70章(アルマアーリジュ)11~13節 「人々よ、あなたがたの主を畏れよ。かの時の震動は全くすさまじいものである。その日、あなた方は見るであろう。すべての哺乳する者は自分の赤子に哺乳することを忘れ、妊婦はみな胎児を流し、人びとは酔わないのに酔いしれたように見えるであろう。実に神の懲罰が厳しいからである」・・・クルアーン第22章(アルハッジ)1~2節 預言者Sは信者たちにとって正しい模範であり、理想の人物であった。ムスリムたちは彼の言動の中に、自分たちの心の琴線に触れるものを感じとった。父性を呼び覚まし、親を慕い子を慈しむ、人間の天性の気高い愛のあり方を感じとった。預言者Sは言う。「あなたがたに最も大きな罪を知らせよう。多神教に惑わされること、親不孝、それと嘘の証言だ」 親孝行は神のためのジハード(聖戦)より大切とされた。ある男が預言者Sの許に進み出て言った。「神の報奨がいただきたいのです。どうぞジハードとヒジュラにお供させて下さい」預言者Sは尋ねた。「両親のどちらかが存命か?」「はい」「神の報奨を願うのであろう?」「はい」「それでは親のもとに戻って孝行しなさい」 教友のひとりムアーウィヤ・イブン・ジャーヒマが伝える話に拠ると・・・彼は使徒Sのところへ行き、こう願い出た。「使徒よ、私はあなたのお供をしてジハードに参加したいのです。神に召され、来世は神の家に招いていただきたいのです」預言者Sは言った。「困ったことだ。あなたには母親がいるのではないか?」「はい」「戻って孝行しなさい」そこで別の機会をみて彼の前に出て言った。「使徒よ、神の家に入れていただきたいのです。ジハードにお連れ下さい」「困ったことだ。母上が生きておられるであろう?」「はい」「彼女のところへ戻って孝行しなさい」またもや彼の前に進み出て同じことを言った。すると預言者Sは「困った者だ。彼女の片足になりなさい。それから天国だ・・・」と言った。 二冊のサヒーフ(ブハーリーとムスリムによる伝承集)にアブドゥッラー・イブン・アムルが伝えたハディースが納められている。使徒Sが言った。「その男のことで親までを悪く言うことは罪になる」人々は尋ねた。「他人の親の悪ロを言うことがですか」「そうだ。他人の父親を謗る者は自分の父親の謗りを免れない。他人の母親を謗る者は自分の母親が謗られる」 アプー・ウマーマが伝える伝承に拠ると・・・ある男が尋ねた。「使徒よ、子に課せられた親の権利とは何なのですか」「親はあなたの天国であり、あなたの劫火(地獄)である」と預言者Sは言った・・・。 それは異教徒であっても失うことのない親の権利であった。アブーバクルの娘アスマーが言った。「母が私のところへやって来ました。母は使徒様の時代になってもまだ多神教徒でしたので、私はこう言って使徒様のご意見を求めました。『母がやって来ました。彼女は神を拒む者のひとりですが、母と親しく行き来してもよいのでしょうか』するとこう言われました。『そのとおり、母上を温かく親しく迎えてあげなさい。』」 ムスリムの「サハーバの功績を称える書」にアブーフライラが伝えたハディースが載っている・・・私は母にイスラームヘの入信を勧めていたのだが、彼女は多神教徒のままであった。ある日も私が彼女に入信を勧めると、使徒のことでいやなことを言う。そこで私は泣きながら使徒のところへ行ってお願いした。「使徒よ、私が母にイスラームヘの入信を呼びかけると、母はそれを拒みます。今日も入信を勧めましたら、あなたのことをひどく言うのです。どうぞ、神に祈って、アブーフライラの母をイスラームにお導き下さい」「神よ、アブーフライラの母を導き給え!」預言者Sみずからの祈願に心安らいで家路を戻り、戸口まで来ると、戸が閉まっていた。私の足音を聞いて母が言った。「少し待っていて下さい」そして氷を掻き回す音が聞えた。彼が言うには、彼女は身体を洗い身なりを整えてから戸を開けて、こう言った。「アブーフライラよ。神以外に神はなし、ムハンマドはその使徒であることを証言します」そこで、喜びの涙に浸りながら使徒Sのもとに走った。「使徒よ、喜んで下さい。神があなたの祈りを開き届けられ、アブーフライラの母を導いて下さいました」使徒Sは神を称えて深く感謝した。そして言った。「それはよかった」 死んだ後にも親には孝行をすべしとされた。マーリク・イプン・ラビーウが伝えている……我々が使徒Sの傍に控えていると、サルマ家の者がやって来て尋ねた。「使徒よ、両親に孝行を尽しました。死んだ後にもまだ尽くすべきことがあるのですか」使徒Sは答えた。「そのとおり、両親のために祈り、彼らのために許しを乞い、両親が生存中にやり遂げることが出来なかったことを彼らに代わって行なうこと。そして両親と血のつながる人々との親交を深め、両親の友人たちを大切にしなさい」 たしかに親はそれだけの敬愛を受けるに値する。子供のために汗水を流し労苦を厭わず、深い真実の愛情を注ぎつづける。親の心はまさに奉仕と犠牲と愛にほかならない。そして使徒は、この無償の愛を最も大切にした人であった。マディーナの預言者の面前に連れて来られた捕虜の子供のエピソードを伝えよう・・・人びとの中にいた女が赤ん坊に乳を含ませていた。ふと捕虜の中に幼児がいるのを見て、その子を呼び寄せると自分のお腹の上に乗せて乳を飲ませた。預言者Sは教友たちに言った。「あの婦人が地獄の業火の中で我が子を投げ出すと思うかね」教友たちは「いいえ、投げ出しはしないでしょう」と言った。すると預言者Sは言った。「神は子を想うこの母より、もっと信者には慈悲深いお方なのだ・・・」 アブドゥッラー・イブン・オマルが伝えている・・・我々が使徒Sに従って遠征に出たときだった。あるを通り過ぎたところ、そこの女が火をおこしていた。子供が一緒だった。炎をあげて火が燃え盛ってきたとき、ゴホンゴホンとむせった。すると女は預言者Sのところにやって来て尋ねた。「あなたが神の使徒様ですか」「そうだ」「どうか、教えて下さい。神は誰よりも慈悲深いお方なのではありませんか」「そのとおりだよ」「子どもをいたわる母親より、神はもっともっと慈悲深いお方なのではありませんか」「そのとおりだ」「母親は子どもを火の中に投げて苦しめたりは致しません(たとえ悪い子どもでも預言者Sはうつ伏して泣き、女の方に顔を上げると、声を詰まらせて言った。「神は決して人間を苦しめたりなさらない。背信する者、唯一なる神の存在を信じない者だけが苦しむのだよ」 アブーフライラの話に拠ると……あるとき、子どもを連れた女が預言者Sを訪ねて来た。「どうぞ、この子のために祈って下さい。もう三人も埋葬したのです」「三人も埋葬した? それではあなたには業火から護ってくれる堅固な囲いがもう出来ている」ムスリムのハディース集に採録されているアーイシャが伝えた話に拠ると……アーイシャは言った。ベドウィンの男たちが使徒様Sの面前でこう言いました。「あなた方は子どもを抱きしめたり、口づけなどするのか!」「ええ、そうしますよ」そこにいた人びとが答えると、彼らは「我々はそんなことはやらない」すると、使徒様Sがこう言われました。「おやおや、神はあなた方から慈しみの心を取り除かれたのかな?」 アブーフライーラが伝えるハディースに拠ると……アブーフライラは言った。孫のハッサンを愛撫する預言者Sを見てアルアクラア・イブン・ハービスが「私には息子が10人いるが、ひとりも抱きしめたり、ロづけなどしたことがない」と言うと、使徒Sは「慈しまぬ者は慈しまれない」と言った。 イスラームの教義が子に対して親への孝養を強く説きながら、親に対しては子への義務を説いてないのには少しも不思議はないだろう。 人間の天性は、子が親を裏切ることはあっても親に子を裏切る心は無いからである。この見地からシャリーア(聖法)では「(子が父を殺した場合は死刑となるが)父は子を殺しても死刑にされることはない」と定めている。父は子のためには身命を投げ出すことさえ厭わないのが本能である。我が子を殺すごとき事態は止むに止まれぬ状況下に置かれた場合、あるいは正気を失った場合のみなのだ。

إن شاء الله

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ジャヒリーヤ時代

2007-10-08 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ジャーヒリーヤ期預言者の娘たちについて書こうと思い立ち、その準傭にむけて使徒伝やハディース(伝承)、歴史書などの古典をひもとき始めた。歴史に傑出する人物を父とする大変な栄光を背負ったこの四人の娘たちの姿を、古典の中からひき出していこうと考えたからである。だが、読み進んでいくうちに、まずはムハンマドSの父性像をつかむことが肝要で、この探究なくしては問題の核心を正しくかむことは出来そうもないと気付いた。だが、この探究は容易ではない。当時のアラブの社会構造およびその内部状況から父権の位置づけまで、詳細かつ十分な知識が必要とされる。背後の事情に照明をあてて、はじめて使徒の父性像がくっきり浮び上がってくるのだから、そしてその威信もより明確に我々に伝達されることになるであろう。だが「アラブの父性像」を求めてハディースや史料を検討していくとなると、これは膨大な量になってしまう。さらにこの本の題名が定めている本流から外れていってしまうおそれも多分にある。そこで次の三点に沿って整理し、考察してみようと考えた。まず最初に「ジャーヒリーヤ期の父性」、それから「クルアーンに見る父性」、そして「使徒であり人間であるムハンマドSの父性」である。「ジャーヒリーヤ期の父性」については、これは直接のテーマとは関係なかろうと思われるかもしれないが、ムハンマドSが結婚をしたのは啓示を授かる十五年も前であったこと、4人の娘たち全員の誕生がジャーヒリーヤ期であったこと、さらに啓示が降されたときにはすでにそのうち三人までが結婚をしていたことを思えば、さらにまた伝統的・環境的に確立された思考や慣習が人間に及ぼす影響の大きさを思えば、ムハンマドSの父性像を考えること、ジャーヒリーヤ期のアラブの父性を知ることと、テーマとの繋がりは、とてもないがしろには出来ない重要な関係を含んでいることがわかっていただけるであろう。論理的に考えて、人間をその人の置かれた環境から切り離して考察することは不可能である。世代から世代に父祖伝来、肉体の深奥を流れ続ける血筋も、また無視されるわけにはいかない。人間である預言者Sについて考える際も、これらのことは思い起こすべき点である。預言者S自身がしばしばこう言っている「あなたの子孫のために良き配偶者を選びなさい。血は続いていくのだから」と、遺伝として残される力の大きさを認めている。「神は私を正しい血筋の男の肉体から移して滑らかな良き母胎に宿し、尊いふたりの結晶から私を創られた」とも言った。預言者Sはまたこういった。「神はイスマーイールの子孫の中からキナーナを選び出され、キナーナからクライシュを、そしてクライシュの中からハーシム家を、そしてハーシム家の中から私を選ばれた・・・」そして母方の祖先たちを『イスラムの清き婦人たち』と称え、彼自身をカディード(乾燥させた肉あるいは.パンのこと、当時の主要な食糧であった)を食べるクライシュの女の息子であると言った。ムハンマドSの人間性に宿るこの孤高の資質こそ、すでに何度も述べたように信仰や民族の隔たりを越え、長い年月の流れを越えてなお、敬服される彼の偉大さの証し、偉大さの秘密なのだ。だから我々はムハンマドSの父性について語るにあたって、使命を帯びる以前のムハンマド・イプン・アブドッラーSの初期の基盤となる父性をはっきりと見極めておこうと、ジャーヒリーヤ期まで遡り、ハディースを求めてアラプ社会の奥深く、その背景をさぐって行こうと思う。そこから神が彼を預言者として選ばれたのであるから。それでは初めに整理しておこうと考えたジャーヒリーヤ期のアラブ社会についてであるが、この社会は部族制度をとっていた。部族組誠において父親は危険性を孕むほどに強大な存在であった。というのも部族とはもともと血の源流となる一人の父祖に由来する。そのー本の根本から生長して肢を広げたにすぎない。それが時の流れとともに、大きく伸びた技は独立した支族巣団となり新たな生長を始め、その元の大木を必要とせずに生計の立つ準備が出来上がったときに、はじめてその源の集団と社会的な連帯関係が切れていく。ときおり母系に基いた部族も見られたが、これはジャーヒリーヤの古い時代の一時期にアラブに現れた形態であった。アラブ系ムスリムの家系の中に一部その形跡を残しているものがある。部族制社会の生活様式から、部族の首長たる人物は(実質上の部族の最年長の父祖であることから)自然と冠のない支配者・菅理者として絶対君主のごとき権力を持った。その管理下からのがれようとする成員は部族の保護を失い、さらに部族制社会全体から勘当され、追放を受ける身となった。ジャーヒリーヤ期の父権の強さについてはあまねく知られたことなので、改めてここに実例を求める必要もないであろう。 クライシュは特にそうであったといえる。クライシュが当時のアラブ社会において際立って父権を重視していたのは、当時クライシュが有力部族で様々な利権・特権を掌中におさめていたからであろう。この点でクライシュに匹敵できる部族は他に見られない。疑いもなく彼らは祖先の偉大な美徳を誇りとし、その血の正統性を守ろうとしたことであろう。それを裏付ける史料がクライシュの各支族およびその分家にあたる総ての家系を集録した文書「アンサーブ」である。何世紀、何世代にもわたる膨大な系図であり、そこにはクライシュのいかなる父・母もその名を忘れられることなく記録されている。遠い昔の、しかも文盲がほとんどの時代のことであるから、けっして容易な作業ではなかったろう・・・これを、でっち上げの系図であってアドナーン (北アラブ、カイス族の祖)とカハターン(南アラプ、ヤマン族の祖)に逆らなる部分だけが正しいとか、あれやこれや言う人々のことは気にしないでおこう。これらの批判は根拠に乏しい。ここでは部族の運命に父系の力が重要な役割を持っていた、その証しとなるものとして、この系図を受けとめよう。さもなければアラプ民族の長い歴史の変遷の中で時が指先で結びを残してつなぎ留めてきたこの鎖り、すなわちこの一族の系図を記録に残し続けてきた彼らの努力はどう酬いられると云うのだろう。 事実、祖先の美徳を誇りとするのはアラプ社会に特有現象であって、父祖を尊ぶことは彼らの民族的伝統であったといえる。アラブ民族の宗教上の歴史は、先祖イスマーイールが創造主の御心に背くまいと父の命令に従って身を捧げんとした故事に始まることを想い起こしてほしい。さらにその旧宗教史が、ジャーヒリーヤ期のアプドルムッタリブの息子たちの故事で諦めくくられていることも想い起こしてほしい・・・息子に恵まれなかったアプドルムッタリプは、「もし十人子供が授かったら、そのうちの一人をカアバ神殿で犠牲に捧げる」と誓った。父のその誓いを告げられたとき、息子たちはためらいも見せず、父に応えてカアバに矢軸を運び、父の傍らに立ち並んで犠牲に捧げられる者が自分たちの中から選ばれるのを待った・・・。またムハンマドSが唯一絶対なる神の存在を説いて布教を始めたとき、アラブは頑に偶像崇拝を守ろうとしたが、これも祖先が確立した慣わしだからという理由にすぎなかったのだ。 「彼らに神が啓示され給うものに従えと言えば、いや私たちは祖先の道に従うと言う。彼らの祖先は全く蒙昧で(正しく)導びかれなかったではないか」・・・クルアーン・第二章(アルバカラ)170節 「だから、これらの人ひとが崇拝するものについて、あなたは思い煩うことはない。彼らは祖先が以前から崇めてきたとおりに崇めているにすぎない」・・・クルアーン・第十一章(フード) 109節 彼らはムハンマドS個人についてはいかなる点も攻撃していない。彼が祖先の評価を貶え、祖先が仕えた偶像神を価値なきものと公言したことに対して非難したのだった。預言者Sの伯父であり養父であったアブ・ターリブも、甥の呼びかけに応えたいと思いながらも先祖代々の信仰を断つことにこだわりを感じたひとりであった。彼はこう陳謝した。「甥よ、私には祖先が守った信仰や祖先が踏み行うべきとした道から逸脱することはできない。しかし私が生きている限り、必ずあなたを護ってあげよう」 この点では古代のアラブも全く同じことを行なった。クライシュがその使徒に対抗した如く、アードの民は彼らにつかわされた預言者フードにこう言った。 「あなたは私たちが神だけに仕え、私たちの・祖先が崇めていたものを捨てさせるために来たのか」・・・クルアーン・第七章(アルアアラーフ70節) またサムードの民はこう言った。 「サーリフよ、あなたは私たちの中で、以前望みをかけた人物であった。それなのにあなたは私たちの祖先が崇めたものに仕えるのを禁じるというのか。あなたが勧める教えについて、私たちは真に疑いをもっている」・・・クルアーン・第11章(フード)六二節 彼らには、信仰に父祖伝来のスンナ(ならわし)が必要なのであった。祖先のならわしに忠誠を尽すことは、大切な義務を全うすることであった。これは彼らの抜き難い信念であった。 部族制度はアラブの父にこのような威信を与えた。それはまたアラブの男子を望み、1孫に恵まれ家系が強化拡大するようにとの願望につながっていた。数と力は繁栄の証しであった。このような社会構造下では、勢力を保っていくために部族間の競争や対立が、水場の権利や収益の問題をめぐって絶えずひき起こされていた。数多く息子に恵まれることは大変な優位となったから、多妻制が自然発生的に現れてきたのも少しも不思議ではない。ここでもう一度、預言者の祖父アプドルムタリブのエピソードを思い起こそう。アブドルムタリブが彼の祖父クサイイから巡礼者に水の供給をまかなう水場の支配権を譲り受けたとき、彼はそのためにかなりの労苦を重ねていた。遠い昔に砂に埋もれたというザムザムの井戸の話を聞いて以来彼は考えた。アラブの祖先イスマーイールに神が恵みを授けられ、不毛のワージー(涸谷)地帯に生命を甦えらせたといわれる、その奇跡の井戸の調査に踏み出す決意を固めた。アブドルムタイブは息子のアルハーリスを連れて歩いた。当時彼にはこの息子がひとりだけであった。道具を用意して井戸を堀起こそうとすると、クライシュの男たちが立ちはだかって、アサーフとナーイラの二大偶像神が安置されている、ちょうど中間の、その場所を掘らせまいと邪魔をした。アブドルムタリブは自分に子孫が少ない故に軽くみられ侮られたのだと悟り、それでは自分に十人の息子が生まれてもなお人々が井戸を掘らせまいとするのであれは息子のひとりをカアバで犠牲に捧げよう、そして神のお思召しを得ようと誓った。そして有名なエピソードとして語り伝えられてきたように、十人の息子を連れてカアバに向かった。占矢は一番末の息子アプドッラーに当った。このとき、もし身代わりが用意されなかったら、アブドッラーは犠牲に捧げらるところであった! このエピソードも部族社会の「子は力」の実態を示したものといえよう。部族を護る力となる子孫に恵まれない場合は、いかなる部族にも残存する望みはないのである。 旧アラブ社会に生きた父と子について、その締め括りにクルアーンから抜粋した人間味豊かな一節をここに示しておこうと思う。 父の子に対する感情にはどうにもできない理不尽さが混じっていることを、それは神に選ばれた預言者たちですら、そうであったということを読みとってほしい。これは自分と自分に従う者たちを方舟に乗せたときのヌーフ(ノア)の姿である・・・。 「方舟は彼らを乗せて山のような波の上に動き出した。その時ヌーフは離れたところにいる彼の息子に叫んで言った。息子よ、一緒に乗れ。不信者たちと一緒にいてはいけない」息子は(答えて)言った。「わたしは山へ避難します。そこは私を水から救ってくれます」ヌーフは言った「今日は神のご命令によって、神のご慈悲に浴する者のほかは何者も救われないのだ」そのとき二人のあいだに波が来て、息子は溺れる者の一人となった。御言葉があった。「大地よ、水を飲み干せ。天よ、(雨を)降らすことを止めよ」水はひき、事態は終り、舟はジューディ山上に乗り上げた。また御言葉があった「不義を行なう民を追い払え」ヌーフは主に申し上げた。 「主よ、わたしの息子はわが家族の一員です。あなたの約束は本当に真実で、あなたは裁決に最も優れた御方であります」主は仰せられた。「ヌーフよ、彼は本当にあなたの家族ではない。彼の行いは正しくない。あなたが知らないことをわれに求めてはならない。われはあなたが無知な者とならないよう戒めておく」ヌーフは申し上げた。「主よ、本当にわたしが知りもしないことについて、あなたに請い求めたりすることのないようお許しを願います。あなたがわたしをお許しになり、慈悲を与えられなければ、わたしはきっと失敗者の仲間になるでしょう」御言葉があった。「ヌーフよ、われからの平安によって、(舟を)降りて行け。あなたに祝福あれ、またあなたと共にいる人々の上にも。ほかに、われが(少しの問の生活を)亨受させる人々もあるが、結局彼らはわれからの痛ましい懲罰を受けることであろう」・・・クルアーン・第11章(フード)42~48節 息子の不義を呪えず、息子への救いを求める父の心のなんと優しいことであろうか。この啓示はイスラームが預言者達の欠点も弱みも持った人問味を大事にし、人間の本能に根ざした情愛を決して拒もうとしない証しなのであると言えよう。これらの情愛を持たない生命は生命といえない。 神は父が迷える息子のために祈るのを疎むことはなさらなかった。それゆえヌーフを退けようとも、神の使徒の栄光の序列から外そうともなさらなかった。ただ忠告を与えたのみで、彼に舟を降りるよう命じ、彼および彼と共にいる人々に平安と祝福を授けられた。 また、神にこう祈ったというイプラーヒームに平安あれ!「主よ、この町を安泰にして下さい。また私と子孫を偶像崇拝から遠ざけて下さい。主よ、偶像は多くの人々を迷わせました。私の道に従う者は本当に私の身内であります。わたしに従わない者は・・・だが、あなたはたびたびお許しなされる方、慈悲深い方であられます。」・・・クルアーン第14章(イブラーヒーム)35~36節 このように旧アラブ社会に生きた父と子は今日の我々の想像をはるかに越えた強い絆で結ばれていた。今日、我々の社会にみる父と子は大きくその伝統的な絆を緩めている。父親には子孫の数を限定する権利が認められ、一方、子には一個人としての自由な独立した人格が認められた。それどころか、ときには子供たちには明日を担う次の世代としてより多くの権利が認められ、親は彼らのために道を開け身をひかねばならない! 今日、我々は個人の先祖や家系についてまで調査したり、またそれに目を向けたりすることはめったにないが、旧アラプ社会では先祖の名誉や系譜の正当性、血筋の純粋性が誇示され、それらを守ることに部族の成員は面目をかけていたのである。

إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

妬み

2007-10-07 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

お金持ち
美人
頭がいい人

自分が持っていない富や名声や美や知性を人が持っていると「何であの人が・・」
と思う妬みの心は実はとても罪悪なことなのです。

《アブー・フライラ(رضي الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。「妬みを避けなさい。妬みは、炎が燃料を貪ってしまうように、彼の良い行いを壊してしまいます。」 》
(アブー・ダーウードによる伝承)

《ア・ッ・ズバイル(رضي الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は「あなたがた以前の人々が罹った病、妬みと憎悪という名の病があなたがたに忍び寄って来ました、それは不幸なことです。髪の毛を剃るかのごとく信仰を削ぎとってしまう以外の何物でもありませんと」言われました。》
(アフマド、アッティルミズィーによる伝承)

なぜならばお金持ちの富も容姿端麗な人の美も頭脳明晰な人の知性も全てアッラーがそう望みアッラーがその人に与えたものであり、自分はアッラーの配分に不満をもったり、アッラーのお定めになったことに不平を言っているということだからです。

自分に与えられた恩恵に感謝しないで、自分に与えられなかったことだけに不平をいい、人に嫉妬するのは、アッラーに対して無礼なことなのです。

富や美などを持っている人は、逆に自分の持っているものを持っていないかもしれません。
アッラーはその人その人に合ったものをお与えになっています。それがアッラーのご配分です。

うさぎには新鮮な草を猫には魚をエサとして与えられています。
うさぎがある日自分にはどうして魚をくれないかと不平を言ったとしたら、どうでしょう。
自分がおいしい草を有難がらずに自分を害するものかもしれない猫のエサを羨ましがるのは、愚かなことではないでしょうか。

お金持ちを羨ましがる人に、ある日お金がきたら、その人には大きな負担大きな試練になるかもしれません。

自分の取り分に満足する、すなわちそれは、私たちが必要なときに必要なものを与えてくださるアッラーを信頼することです。

【自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分のために悪いことを、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーは知っておられる。】(2:216)

妬みがおこりやすいのは

 自分でよくやったと思う自己満足
→自分のほうが他人よりいいと思う優越感
→ 自分より下だと思っていた(優越感)人が、自分より上になった時許せなくなる


自己満足
優越感
妬み

はシャイターンの性質です。シャイターンによってこの感情を植えつけられます。

 アッラーにとって自分は特別であるとして自負していたイブリース(シャイターン)は、土で創られたアーダムより火で創られた自分のほうが優れていると思っていたのに、天使たちと共に、アーダムに対しサジダ(跪礼)するようにアッラーから言われ、そのアッラーの命を拒みました。

これを防ぐには
自分が成功したときには、自分の力によるものではなく、アッラーはそうさせてくださったとアッラーに感謝します。
他人が成功したときには、アッラーがそれをお与えになったことを認めます。

次のドゥアーを言うといいでしょう。


اللَّهُمَّ بارِكْلْ لَها رَزَقْتَها وَ أكْرَمْنِي كَما اكْرَمْتَها

(アッラーフンマ バーリク ラハー ビマー ラザクタハー ワ アクラムニー カマー アクラマタハー )
「アッラーよ、彼女にあなたがお与えになったもので、彼女を祝福してください。そして、彼女に寛大になさったように(お与えくださったように)、私にも(寛大になさってください)お与えください。」

自我(ナフス)の浄化について「満月通信アネックス」に前に書きました。参考までに
ナフス(自我)の浄化


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

人より先に

2007-10-07 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

「我先に」という言葉があります。
「譲り合い」という言葉があります。

人間がたくさんいるとき、どちらがコミュニティとして平安があるでしょうか。

ただし、お勧めの「我先に」が2つあります。

1.
السلام عليكم
(アッサラーム アライクム)と言う挨拶の言葉

2. 感情的な行き違いがあったとき、「ごめんなさい」という謝りの言葉


ムスリムはالحمد للهどうやって自分も他人も地域社会も穏やかに幸せに暮らせるかの指針を、アッラーの御言葉(聖クルアーン)と我等が指導者ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)の言行(ハディース)によって、いただいています。

40のハディースの第13の伝承にこう書かれています。

《「自分自身を愛するように兄弟を愛するまでは誰一人信者ということはできない。」》

自分がして欲しいことを人にしてあげる、自分が望むことを人にも望むことは、愛情という絆で信頼関係を結べないとできないものです。イスラームは他人の利益を優先する利他主義です。これと反するのが利己主義で、自分の望むことが人にもたらされると妬み、そういった社会には憎悪がはびこります。
兄弟の悪口をいうのは、その人の死肉を食べるようなものです。

【信仰する者よ、邪推の多くを祓え。本当に邪推は、時には罪である。無用の詮索をしたりまた互いに陰口してはならない。死んだ兄弟の肉を、食べるのを誰が好もうか。】(49:12)

では悪意をもって自分にひどいことをするムスリム兄弟をどうやって愛すことができるのでしょうか。

サハーバの一人であるアブー・ザッル(رضي الله عنه)には奴隷がいました。彼の奴隷が羊を放牧したのち、町に戻ってきましたが、その中の一匹が足が折れていました。それでアブー・ザッル(رضي الله عنه)がどうしたのかと聞く、その奴隷は
「貴方を悲しませるために、私がワザと石をぶつけて羊の足を折った」と言いました。
アブー・ザッル(رضي الله عنه)は、それを聞いても、彼を叱ったり怒ったりせずに
「あなたにそうさせたもの(シャイターン)を悲しませよう」
と言って奴隷を解放しました。
アブーザッル(رضي الله عنه)はシャイターンを困らせるものが「善行」であることを知っていたのです。
人間は過ちを犯します。シャイターンが人を惑わすからです。心弱い人はそのシャイターンの誘惑に負けて悪事や過ちを犯します。
人と人の間を不和にさせるシャイターンの罠にかからないためには
「悪いことをされたら善い事で返すこと」です。

【善と悪とは同じではない。(人が悪をしかけても)一層善行で悪を追い払え。そうすれば、互いの間に敵意ある者でも、親しい友のようになる。】(41:34)

シャイターンはとても巧妙です。
礼拝をしようとすると
「いま見ているテレビの番組が終わってからでいいじゃないか」
と囁いたり
誰かと喧嘩をした時
「悪いのは相手じゃないか。こっちは全然悪くない。こっちから謝る必要はないよ。むこうから謝ってくるまで、謝ることはない。」
と自分に囁くこともあれば、心弱い人を使って自分にひどいことをしてきます。これもシャイターンの手口です。
その時あなたが、自分にひどいことをした人の悪口をいうと、シャイターンとしては、ひどいことをやった人とそれによってあなたが悪口をいうことで一石二鳥になります。

【本当にシャイターンはあなたがたの敵である。だから敵として扱え。かれは、只燃えさかる火獄の仲間とするために自分の手下を招くだけである。】(35:6)

自分も悪口を言うことによって自分自身を損なっていることになります。

【自分の悪行を立派であるとし、それを善事と見る者(ほど迷った者)があろうか。本当にアッラーは、御望みの者を迷わせ、また御望みの者を導かれる。だからかれらのために嘆いて、あなたの身を損なってはならない。】(35:8)

怒りを覚えたら「あ、これはシャイターンだな。自分はシャイターンに負けそうになっている。」と自覚し、「アッラーに守ってもらおう」とアッラーを思い出して、ドゥアーを言いましょう。
أعوذ بلله من الشيطان الرجيم(アウーズビッラーヒ ミナッシャイターニッラジーム)(邪悪な悪魔からどうかアッラー私をお守りください)」

【それからもし、悪魔の扇動が、あなたを唆かしたならば(どんな場合でも)アッラーの御加護を祈れ。本当にかれは全聴にして全知であられる。】(41:36)

アッラーは私たちの人間関係をよくするように命令されています。同胞にいやなことをされて、あなたがその人を憎んだり悪口を言ったりするのをシャイターンは待ち構えています。あなたを地獄に連れて行くために。

嘘はハラーム(禁じれらたこと)です。しかし3つの嘘は許されています。
①人と人の不仲を執り成し仲を取り持つための嘘
②夫婦間の仲を更によくするための褒め言葉
「君は世界で一番きれいだよ」
③戦争などで敵を欺くための嘘

元来、ハラームである「嘘」でさえ、不仲を執り成すための「嘘」は赦されるのです。それぐらい兄弟間の不仲は、罪深いのです。

《アブー・フライラー(رضي الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。「天国は月曜日と木曜日に開かれます。そしてそこへはアッラーに何も配さなかった者たちの全てが入ることが許されます。ただし彼と(宗教上の)兄弟の間に憎悪を持った者は例外です。》
(ムスリム、アハマド、アッティルミズィーアブー・ダーウード、イブン・マージャー、マーリクによる伝承)

人にひどいことをされたら
1.アッラーのために耐える・・・あなたのポイントが増えます
2.相手を憎まないで善行する

サハーバの次の世代であるダービィーンの一人には、自分の悪口を書物に書いたり、人に言い振らしている彼の知り合いがいました。その彼の知り合いに対し、タービィーンはなつめやしの詰め合わせをもって行きました。
彼の知り合いは驚いて「私があなたに対し何をしているか知らないわけではないだろう」と聞くと当のタービィーンは
「私にはハサナート(善行)が必要なんです。」と答えたそうです。

これはタービィーンが人の評価よりアッラーの評価を上に見ているからです。アッラーは全てをご存知で全てをご覧になっていますから。

そういう人を赦したらあなたへのアッラーの報奨はとてつもなく大きなものとなります。

《ある男がモスクに現れると預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はサハーバたちに「あ、彼は天国の住人です。」と言われました。
サハーバの一人は、彼はどんな特別なことをしているのだろうと思って、暫く彼の家に滞在することを申し出て、彼の家に泊まります。
しばらく様子を見ていたが、礼拝も断食も喜捨も特に際立ったことは見出せなかったので、とうとうサハーバは本人に尋ねました。
「預言者さまがあなたを見て『天国の住人』と呼ばれたのですがその理由を思い当たりませんか」と質問するとその男自身も「わからない。」と言います。サハーバががっかりして暇を告げ、帰ろうとすると、その男は「これが特別なことかどうかわかりませんが、私は夜寝るときに『私を害した全ての人をお赦しください』とドゥアーを言ってねます」》

心に憎しみや憎悪をためないことです。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)が褒められたサハーバは家を出るときこういうドゥアーを言っていました。

اللهم إني قد تصدقت بعرضي على الناسا(アッラーフンマ インニー カド タサッダクトゥ ビイルディー アラ=ン=ナース)
(アッラーよ 私は自分の尊厳を人々にサダカしました) 」

嫌なことをされたら、それに耐えることでアッラーからポイントをゲットするチャンスとなり、その人を赦すことでさらにアッラーから大きな報奨があります。

لا تدخلون الجنة حتى تؤمنوا،
و لا تؤمنوا حتى تحابوا
あなたたちは誰一人天国に入れない
信じるまでは
誰一人信者といえない
ムスリム同士愛しあわなければ 」

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

結婚

2007-10-07 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

Damascus アジャック先生(アブンヌール大学ダウア学部学部長)のダルスより

☆ イスラームにおける結婚 ☆

 アッラーは、人間を試験するためにこの世にお創りになりました。アッラーがクルアーンの中で言われています。人間は、ただ何の目的もなくこの世に創られたわけではないと。ただ食べて眠って、そんなことだけのために存在させられているのではないのです。人間には目的があって、そのために創られました。その目的は2つあり、ひとつは、アッラーを崇拝すること、そしてもうひとつは、この世界の代理人としてです。
 ですからムスリムには、この世界を創ったアッラーが決められた法(イスラーム法)を守ることが求められています。
そのイスラーム法の中には、その理由が理解できるものもあり、また他の一部のものには理由がないようにみえます。例えば昼の礼拝は、どうして3回でなくて2回なのか?とか、カアバ神殿の周りを周るのが、どうして8回ではなく、7回なのかなどです。これは宗教的な儀礼です。しかし、ほとんどのイスラーム法には、その理由・叡智があります。なぜそうするのかと問われれば、答えがあります。

 その中に、結婚と離婚のイスラーム法があります。私がイスラーム法の中で、一番すばらしいと思うものが、結婚の法です。家族をどうやって守っていくかという法です。
まず、イスラームでは、家族を守っていくための第一段階は、結婚する前から既に始まっています。異性をじろじろ見ることが禁じられており、そこから結婚前の婚外交渉に至るまでのこと全てが禁じられています。男性が自分の奥さんでもない女性をじろじろと見ることは、禁じられており、女性も同じです。結婚している人であっても、独身であってもです。
 なぜなら、結婚前の婚外交渉は、結婚の楽しみを減少させるからです。
 例えば断食をしている人が、もし誰にも内緒で断食を破って、一人でこっそり食べてから、断食明けの食事を家族と一緒に囲んだとしたら、その人は本当に断食している人と同じような喜びがあるでしょうか?ありません。なぜなら、みんなを騙しているからです。
 結婚生活も同じです。結婚前に他の人と婚外交渉があった人は、結婚相手に対して、同じように感じるため、結婚前にそういうことのなかった人のように、純粋な喜びを感じることが出来ません。
 ですから、結婚前にイスラームでは、きちんとした人を選ぶように忠告します。ただの恋愛感情だけで相手を決めるのではなく、頭を働かせるように忠告します。その目安として、例えばある女性がイスラームにのっとった服装を守っていれば、結婚後も彼女はイスラームにのっとった家庭生活を続ける努力をしてくれるでしょう。ある男の人が、礼拝をちゃんとしていれば、アッラーを畏れて、家族を守る努力をしっかりしてくれるでしょう。よい結婚生活の第一歩、家族を守る第一歩は、結婚相手に、ただ自分の欲望のはけ口として異性を扱う人ではなく、一緒によい結婚生活を築き、家族関係を築いていってくれる人を見極める事です。

 イスラームは、婚外交渉を認めません。それには責任がないからです。これは、イスラームが婚外交渉を禁止する理由のひとつです。もし女性が妊娠してしまったら、責任を取れません。結婚には責任が伴います。子供に対しての責任、母親としての責任です。
 これらのことは全て、結婚の前に気をつけなくてはいけないことです。

 よい家族の関係を築くために、イスラームの結婚においては、結婚の際にいくつかの条件があります。

‡@ 結婚に対する男女、双方の合意

‡A 結婚に対する男女双方の家族の同意

‡B 結婚に対す当人以外の2人以上の証人

‡C 責任の所在が夫にあること(夫婦の話し合いをしたときにも、夫が決定し、その責任も彼にあります。夫は、家族を養う義務があり、家族のために働かなくてはいけません。そして家族の中でのことを決め、その責任を負います。)

‡D 夫の妻に対する義務があり、妻の夫に対する義務があります。

夫の義務 
1)妻の扶養義務
2)妻に教育を与える義務
3)妻の世話をする義務
4)妻の秘密を人に話さない義務。離婚、死別後も。お互いの信頼関係に基づき、これを守ること。

妻の義務 
1)夫の秘密を人に話さないこと。 
2)夫婦生活において夫の求めに応じること(家族を守るために夫の権利を守るべきです)
3)自分自身を守ること 
4)家事と育児(これは、夫だけが働いていて、妻が家にいる場合、家事は妻の義務になりますが、夫婦で共働きの場合には、家事や育児は夫婦で分担することもでき、夫と妻の二人共の義務になることもあります。
 預言者様(S)は、奥さんが働いていなかったにもかかわらず、縫い物をしたり、パンをこねたり、料理をしたり、と多くの家事をしていました。) 

 これらの夫婦間のイスラーム法は、夫婦関係がうまくいくように定められていることで、夫にとっては、妻はアッラーからの預かりものであり、彼女に対して責任があり、妻にとって夫は、アッラーからの預かりものであり、彼に対して責任があるからです。もしこの義務を遂行しなければ、この世で問題が起こるばかりでなく、あの世でもアッラーからの清算があります。そしてこのイスラーム法は、夫婦間だけでなく、結局は家族全体を守ることになり、その夫婦から産まれる子供たちもこれによって、守られることになります。
 このイスラーム法は、本当に私たちムスリムにとって、とても居心地のいいものです。

 そして、もし夫婦の間に問題があるときは、当人同士で解決できなければ、第三者に仲を取り持ってもらうことや、夫には夫婦関係をよくするように努力するステップがあります。
 もし夫婦間に問題が起こったときは、まず第1ステップとして、夫が妻に対して的確な忠告をし、彼女との問題を解決するために、彼女にいろいろな訓戒をし、問題解決に向けて努力します。その努力をし、妻に対しなだめたり、アドバイスをしたり、忠告を繰り返した上で、それでも問題が解決しないときには、第2ステップに移ります。第2ステップでは、一緒の家にいながら、妻に背を向けて寝ます。もしこれを実行しても、解決しないときには、最後のステップとして、彼女を手の平で、手を振り上げたりせずに、ばちっと弱く叩くか、歯ブラシくらいの長さのもので、彼女をちょっとつつきます。この弱く叩くことは、本当に最終手段であり、他の手段を散々使った上で、最後に辿り着く夫婦間をとりなすための最終的な治療法なのです。これは治療です。夫婦のお互いの自我の治療です。
 また、年上の第三者に入ってもらって、夫婦間をとりもってもらうこともできます。夫も妻も、自分の信頼のおける年上の人に、夫婦間を取り戻すために助けを求めます。夫婦間を取り戻すためです。家族を守るためにです。
 それでも、どうしても問題が解決しなければ、離婚をすることになります。その離婚のためにも、離婚が双方に平等に、公平にうまくいくために、イスラーム法で、いろいろな条件が決められています。

 一方、結婚生活の中で、結婚がうまくいくためには、夫婦で、アッラーに向かって、夫婦間がうまくいくように、ドゥアー(祈願)します。
「アッラーよ、どうか私の夫(または妻)と子供たちを、心のやすらぎとしてください。」
とアッラーにお願いします。
 健全な子供たちが育つには、健全な夫婦関係が必要です。それには、ただ自分たちの努力だけでは、十分ではありません。アッラーは、全てを変える力を持っていますから、いつでもアッラーに帰って、祈願をすることが大切です。
 私は、イスラーム法にのっとった夫婦生活をしている上で、とても幸せで、自分でこのイスラームを選んだことにとても満足しています。
 人生を生きるうえで、多々ある自由の中の一部を、自らアッラーの法で、制限することで、何の問題も起こることなく、幸せな夫婦生活を送ることができることに対し、とても満足しています。

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام