満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

シャウワール月について

2009-09-20 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ラマダーン月が終わり、シャウワール月になりました。
シャウワールには報奨大きい6日間のサウム(斎戒)が推奨されています。ラマダーンでサウム(斎戒)仕様になっている身体には、さほど負担にならないかもしれませんね。
シャウワールの2日めからできる斎戒についての過去の記事をご紹介します。

シャウワールの斎戒
シャウワール月の6日間



アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام



ラマダーンまでのカウントダウン

2009-08-15 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

過去のブログ記事を貼り付けておきます。

毎日少しずつ月が細くなっていきます。シャアバーン月も残すところ1週間ぐらいですね。
ラマダーン月
に備えて、 ナフス(自我)の浄化をしましょう。



 ラマダーン月は、聖クルアーンが啓示が最初に下された月でもあります。聖クルアーンの月ともいえます。いまから聖クルアーンを読誦し、慣れておきましょう。

 夜の礼拝タラーウィーフ(スンナ・ムアッカダ・・預言者さまサッラッラーフ アライヒ ワ サッラムがいつもなさっていたことです)に慣れるために、時々、夜の礼拝もしてみましょう。

 ラマダーン月のドゥアー(嘆願)は、聞き届けられやすい(特にイフタールの時)ので、ドゥアーのエチケットをいま一度確認しておきましょう。

<基本条件>
・自分の祈りはきっと受け入れられると確信すること
・アッラーを畏れる気持ちと心を込めて祈ること
・急かさないこと
・自分が関わるもの(食べ物や飲み物、着る物や収入源など)をハラール一色にすること

<礼儀>
・両手を天に向けて上げること
・アッラーへの称讃と感謝で祈り始めること
・アッラーのみ使いさま(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)に祝福と平安と祈ること
・数あるアッラーの美名の一部にすがること
・ひたすら祈ること
・ドゥアーのあとでサダカを出すこと
・祈りが叶えられるために必要な手順を自分で踏むこと(自分で最善の努力をする「タワックル」、自分ではなにもせずおまかせ「タワークル」ではなく)


 周りをハラール(許されたもの)なものだけにし、ハラーム(禁じられたこと)なことを避けましょう。口に入れるものをつい気にしすぎて口から出すもの(言葉・・悪口や噂や憶測)に注意を怠りがちなので、今から訓練しておきましょう。同じように耳から入ってくるものにも注意を払いましょう。

 お腹いっぱい食べないように気をつけましょう。胃の三分の一は食べるために、三分の一は飲むために、残りの三分の一は息をするためと言われます。つまり飲食のみで腹8分でも多く、6分から7分弱ということです。



ダマスカスにいるシスターからの過去のメールをご紹介します。

最初の夜、つまり「明日から断食です」と言われた夜からラマダーン月ははじまり、その夜はタウバ(悔悟)の夜です。こちらでは、みんなモスクにこもって、一晩中お祈りやドゥアー(祈願)をして過ごします。
ラマダーンの間中、すべての日にバラカ(祝福)がありますが、特に、初夜に、タウバ(悔悟)やイステグファール(アッラーに赦しを請う)をするとよいというハディース(言行録)がいくつかあり、それに依るもののようです。
一生のうちに犯した、大きな罪から小さな罪まで、すべての罪の許しを願って、アッラーに悔悟するのです。
そして、ラマダーンを、真っ白になって、きれいな状態で迎える、という感じでしょうか。
インシャアッラー、アッラーが私たちの悔悟をお受け入れくださいますように。

再び、尊敬するシスターのメールからの転記です。

【】 ラマダーンの徳 【】

1.過去の罪の許し

2.地獄の炎からの防御

3.善行が、ファルド(義務行為)は、普段の70倍に計算される。スンナ(義務でないが奨励される行為)は、ファルドと同じ報酬がある。


(これは、すごいです。例えば、ザカート(喜捨)だと、300円払うと、アッラーの元では2万一千円分の報酬になる!!この月に払っていないザカートがあったら、払っておかないと損。)
 

4.ドゥアーが聞き入れられる

5.ライラトゥ=ル=カドル(クルアーンがアッラーの元からこの世に下った夜、千月よりも良いといわれる)

6.アッラーが、僕(しもべ)達が断食しているのを、お喜びになって、お側にいる天使たちに自慢なさる

《 断食のレベル 》

レベル1.食べ物、飲み物を断つ

レベル2.悪行や、アッラーのお嫌いになることを全て遠ざける
     (悪口は言う方も聞く方も、両方とも罪になるので、注意。不道徳を奨励するドラマなどを見ることも、アッラーのお嫌いになること。)

レベル3.心を、アッラー以外のことに煩わされない

1と2は、している人も多い断食ですが、3のレベルは、すべての行動をアッラーのご満足だけを意図する、アッラー以外の事は何も考えない、アッラーのことだけで心をいっぱいにする。というもので、なかなかみんなができるものではありません。
でも、先生がおっしゃったのは、3のレベルを、熱望すること、そうなりたいと思うことで、そのニーヤ(意図)に、すでに、サワーブ(報酬)があるそうです。
できなくても、目指すところだけは知っておいて、そうなりたいと思うことが大事なんですね。

《 ラマダーン月に奨励される崇拝行為 》

1.できるだけ五回の礼拝を合同礼拝でする。家族で一緒になど、モスクに限らず、誰かと一緒にする。

2.毎日サダカをする。たとえば、10000円をラマダーン月にサダカしよと思ったら、毎日300円づつくらいする、という風にして、毎日小額でもいいからサダカをする

3.親兄弟、親戚関係のつながりを強くする。普段会わない人だったら、手紙を書いたり、電話をして、近況を聞いたりして、連絡を取り合う。

4.毎日決まったドゥアーをする。毎日続けることが大事。

5.善行をする。何かを学ぶこと、学んだことを教えること。普段の七十倍の報酬がある。

6.聖クルアーンを完読する。覚えたスーラを、礼拝で読むようにする。
 聖クルアーンがまだ読めない方は、日本語訳のものを読んで、読んだところを実行する。

とにかく、七十倍ですから、普段はちょっと面倒でできないなぁ、ということも、この月にはやっておくと、七十倍の報酬ですからね。できることから、ちょっとずつやっていきましょう。

アッラーの祝福がありますように。実り多いラマダーンになりますように。

والسلام

子供のためのイスラーム礼儀作法その9

2008-04-16 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(9)家での過ごし方


ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)。

人は家族とともに家で休息の時間を過ごします。

この時、家族や自分自身、また家の諸設備との係わりにおいて、それによって至高のアッラーのご満悦を得るための、そしてそれによって幸福とタクワー(アッラーを畏れる心)が実現するための正しい基礎と健全な規則が必要となります。

私たちムスリムが自分ひとりでの至高のアッラーへのイバーダ(崇拝行為)を行ったり、アッラーが自分をご覧になってらっしゃるということを意識するようにしたり、夜または朝にズィクル・礼拝・ドゥアーを行うことは、自分の家から得られるもっとも重要な糧なのです。

これらの次に重要な糧は、有益な本などを読むことから一般教養・知識を増やすことです。

人々、特に家族や兄弟や親戚と会う時の彼らとの係わりにおいて、彼らとどのように付き合うかということを考えたり準備するための時間も糧の1つです。

また私たちは、休息・睡眠・食事・入浴などを通しての肉体的活動の準備を家でしています。

以下に、「家で過ごすこと」における礼儀作法・注意事項を挙げてみました。
みなさんは幾つ実行できていますか?
またこのほかにも何か心がけることはあるか家族で話し合ってみましょう。

1‐家に入る時には「ビスミッラー」と言って、アッラーの御名を唱えましょう。

ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言うのを聞きました:“人が自分の家に入る折や食事の際にアッラーの御名を唱えれば、シャイターンは(その仲間たちに向かって)こう言う:「ここにはあなた方の寝泊り出来る場所もなければ、夕食もない。」そしてもし家に入った時にアッラーの御名を唱えなければ、シャイターンは(その仲間たちに向かって)こう言う:「ねぐらにありついたぞ。」そして食事の際にアッラーの御名を唱えなければ、シャイターンは(その仲間たちに向かって)こう言う:「ねぐらと食事にありついたぞ。」”」(ムスリムの伝承)

2-家に入る時、預言者(彼に祝福と平安あれ)が唱えたドゥアーを言い、それから家族にサラーム(「アッサラーム・アライクム」という挨拶)を言う。


至高のアッラーは仰りました:
『あなた方が他の家に入ったならば、あなた方の同胞にアッラーからの、祝福に溢れた美しい挨拶をするのだ。』
(アンヌール章24:61)

アブー・マーリク・アルアシュアリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は以下の預言者(彼に祝福と平安あれ)のハディースを伝えています:「ビスミッラーヒ ワラジュナー。ワ ビスミッラーヒ ハラジュナー。ワ アラー ラッビナー タワッカルナー(アッラーよ、アッラーの御名において私たちは入り、アッラーの御名において私たちは出ました。そして我らが主に全てをお任せしました)。こう言って、それから家族に挨拶をするのだ。」(アブー・ダーウードの伝承)

3-中にいる人に知らせずに急に家に入らないようにしましょう。

例えば通学・遊び・用事などでしばらく家を空けた後で家に戻った時には、中にいる人に
これから家に入るということを知らせる何らかの合図(例えばドアを鍵で開ける音やノック、チャイムなど)をしてから入るようにしましょう。特に旅行などで長く家を空けていた場合には気をつけるようにしましょう。これは特に家の中にいる人を不必要に驚かせたり困らせたりしないように、また見られたくないことを見ないようにするためです。

至高なるお方は仰りました:
『あなた方が家の裏口から入ることは善行ではない。()家の門から入りなさい。アッラーを畏れよ。そうすればあなたがたは幸福になるだろう。』
(アルバカラ章2:189)

4-1人の時でも常にアッラーが自分のことをご覧になっていらっしゃるということを思い出し、アッラーから禁じられていることをしないようにしましょう。

5-家族や隣人たちに迷惑になるような大声を出すこと・騒ぐこと・迷惑をかけるような遊びを避けましょう。特に周りの人たちの休む時間・寝る時間帯にラジオやテレビなどのボリュームを上げることは避けましょう。

至高なるお方は仰りました:
『血縁のある隣人、血縁のない隣人に懇切を尽くしなさい。』
(アンニサー章4:36)

アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によると預言者(彼に祝福と平安あれ)はこう仰られました:「アッラーと最後(の審判)の日を信じる者は、よき言葉を語るか,さもなければ黙っていよ。アッラーと最後の日を信ずる者は,隣人に寛大であれ。アッラーと最後の日を信ずる者は、よく客を歓待せよ。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

6-ムスリムが見るべきでないものは見ずに、聞くべきでないことは聞かないようにしましょう。

イスラームの教えに反するものを避けるようにしましょう。
例えば性的な欲望や残虐性をあおるような本・ドラマ・ゲームなどは避けるようにしましょう。

至高なるお方は仰りました:
『聴覚と視覚と心、これら(の働きの)すべてが(アッラーに)問われるのだ。』
(アルイスラー章17:36)


7-羞恥心をもち、アウラとなる部分をなるべくあらわにさせないようにしましょう。

特に衣服を着替える時やウドゥーやグスル・入浴時にはアウラを人に見られないようにしましょう。くつろいで座っている時や寝ている時にもアウラが隠れるよう心がけ、他の人のアウラも見ないようにしましょう。

8-アッラーが自分に分け与えてくださった分け前に満足するようにしましょう。

アッラーが分け与えてくださった物すべてに満足し、感謝するようにしましょう。自分の置かれた状況に満足せず不満を募らせることはよくありません。(これは向上心を持ってはいけないということではありません。ただし、感謝せず不満を心に抱くことはよくないことです。)

9-家の中の物・付属品・設備などを丁寧に取り扱いましょう。修理が必要なところは問題が大きくなる前に直すようにしましょう。


10-室内の清潔さに気をつけ、掃除などを含め手伝いを進んでするようにしましょう。

預言者(彼に祝福と平安あれ)は家のホウキがけをしたり、服のほころびを縫ったりして家事を手伝っていました。

アルアスワド・ブン・ヤズィードは言いました:アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は「預言者(彼に祝福と平安あれ)は家で何をしていたのでしょうか?」と尋ねられ、次のように言いました:「彼は家族の者の手伝いをしていました。そして礼拝の時間になると礼拝に出かけていきました。」(アルブハーリーの伝承)

11-家や家族間の秘密は守り、他人に言いふらさないようにしましょう。


12-外出する時には許可を求め、挨拶し、家族にどこに行くのかを知らせましょう。


13-家を出る時のドゥアーを言いましょう。

ウンム・サラマ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は家を出る時にはこう言ったものでした:「アッラーフンマ インニー アウーズ ビカ アン アディッラ、アウ ウダッラ、アウ アズィッラ、アウ ウザッラ、アウ アズリマ、アウ ウズラマ、アウ アジュハラ、アウ ユジュハラ アライヤ
(アッラーよ、私は自分が迷い迷わされることから、また過ちを犯し犯されることから、また不正を働き働かれることから、また無知に陥り無知に陥らされることから、あなたにご加護を求めます)。」
(アッ=ティルミズィーとアン=ナサーイーの伝承)

アナス・ブン・マーリク(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「家から出る時に、“ビスミッラー。 タワッカルトゥ アラッラー。ワ ラー ハウラ ワ ラー クウワタ イッラー ビッラー(アッラーの御名において、私はアッラーにこの身を委ねます。そしてアッラーの他に諸事を司り事象を変転させる、いかなる威力もなし)。)”と言えば、その時その者は(天使から)こう言われる:“あなたは正しく導かれました。そして心配することもなく、ご加護を受けました。”そしてシャイターンたちは彼から遠ざかり、互いにこう言う:“正しく導かれ、心配する必要もなく、ご加護を受けた者をどうやって迷わせられるというのか?”」(アブー・ダーウードとアッ=ティルミズィーの伝承)

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『ヒスヌルムスリム』サイード・ブン・アリー・ブン・ワハブ・アルカハターニー著
「『ダール・アルイスラーム』の日本語サイト


アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام

子供のためのイスラーム礼儀作法その8

2008-03-08 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(8)話すこと



ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)

アッラーは人間を最も美しくお創りになられ、また人間のために聴覚や視覚、知性を授けてくださりました。
そして学習のための手段を授けてくださりました。

至高なるお方は仰りました:
『言ってやるがいい。「かれこそはあなた方をお創りになり、あなた方のために聴覚・視覚・感情(知性)を与えられた方である。何とあなた方の感謝の念の薄いことよ。』
(アルムルク章67:23)

『われらは彼のために両目を創ったではないか。また舌と二つの唇を。』(アルバラド章90:8-9)

私たちは言葉や会話という手段によって、人々に自分の気持ちや考えを表現したり、必要な情報を伝えたり受け取ることもできます。

至高なるお方は仰りました:
『慈悲あまねくお方が、このクルアーンを教えられた。(かれは)人間を創り、物言う術を教えられた。』(アッラフマーン章50:1-4)

至高なるアッラーはムスリムに行動に気をつけると同様に言葉にも気をつけるように命じました。
そしてアッラーはムスリムに真実を口にし、口から発せられる全ての言葉に気をつけるように命じました。

預言者(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「ある者は軽はずみにある言葉を口にし、その言葉によって70年間火獄に留まる。」(アッティルミズィーの伝承)

至高のアッラーは仰りました:
『彼がまだ一言も言わないのに、彼の傍の看守は(記録の)準備を整えている。』
(カーフ章50:18)

アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーと最後の日を信じる者は、よいことを口にするか、さもなくば黙っていよ。”」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

以上のことから、私たちの口から発せられる「言葉」が、イスラームにおいて審判の日にアッラーの清算の対象となるのだ、ということがわかります。

それでは「話すこと」に関してのイスラームの礼儀作法を以下に挙げます。
それらを守れているか自分で、あるいは家族で確認してみましょう。

1‐人との会話において、美しい言葉と良い単語を選びましょう。また人からの質問や呼びかけには丁寧に礼儀正しく答えるようにしましょう。

良い言葉はサダカにもなり、地獄の業火を遠ざける原因にもなります。

ウダィユ・ブン・ハーティム(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「デーツの半分ででも火獄から身を守れ。それすら持たない者は良い言葉でもって(身を守れ)。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

2-聞き手がその話の内容を理解できるようにゆっくりと明確に話すようにしましょう。

アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)はあなた方のこの早口のように話を続けざまに言うことはなく、もし数える者が数えたならば(言葉数を)数えられるほど(ゆっくりと明確に話したもの)でした。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

3-聞き手の理解力・知識・学術的レベルに合わせて話すようにしましょう。

アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)の言葉はそれを聞いた者たち全員が理解できるほど(言葉が区切られていて)明確でした。」(アブー・ダーウードの伝承)

4-知らないことやその情報が正しいのか明らかでないことについては話さないようにしましょう。

5-質問に対しての答えやアドバイス、あるいは善行を命じ、悪を禁じること、またはイスラームの布教を目的としたこと以外では口数を少なくしましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『彼らの秘密の集まりの多くは無益なものである。ただしサダカや善行を勧め、人々の間をとりなすことは別である。それらをアッラーのご満悦を願って行う者にはわれらが偉大なる報奨を授けよう。』(アンニサー章4:114)

イブン・ウマル(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました:「至高のアッラーの念唱以外で口数を多くするのではない。至高のアッラーの念唱以外で口数を多くすることは心を頑なにする。本当に至高のアッラーから最も遠い人々とは心の頑なな者である。」(アッティルミズィーの伝承)

6-益の少ないお喋りや無駄口などは避けましょう。

アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“アッラーと最後の日を信じる者は、よいことを口にするか、さもなくば黙っていよ。”」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

7-実際に話す前にこれから話そうとしていることを理解し、その言葉を発することによって何が起きるかを考えることなしに言葉を口にすることを避けましょう。

至高のアッラーは仰りました:『彼がまだ一言も言わないのに、彼の傍の看守は(記録の)準備を整えている。』(カーフ章50:18)

8-人の話を切ったり、(話が終わらないうちに)言葉を正したり、傷つけたり、間違いを指摘したり、嘲ったりするのを避けましょう。

至高のアッラーは仰りました:『人々には良い言葉をかけよ。』(アルバカラ章2:83)

9-通常の会話などでは必要以上に声を張り上げず、落ち着いて話すようにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:『歩き振りを穏やかにし、声を低くしなさい。』(ルクマーン章31:19)

10-優しく静かに語り、また微笑ながら話すようにしましょう。

アブー・アッダルダーは言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は話す時には必ず微笑んだものだった。」(アハマドの伝承)

アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アーイシャよ、アッラーはお優しいお方であり、ゆえに優しさを愛でられる。そして優しさに対して、荒々しさやその他の何ものに対しても与えられないものを与えられるのだ。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

11-悪い言葉や汚い言葉を避けましょう。信仰する者はそれらの言葉を口にしません。

アブドッラー・ブン・アムル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は下品なことを口にすることもなければ、卑俗な性質でもありませんでした。そしてこう言っていたものです:“あなた方の内で最良の者は、もっとも人格の優れた者である。”」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

アブー・ムーサー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「(教友たちは)言いました:“アッラーの使徒よ、イスラームにおける最良の者は、どのような者でしょうか?” (預言者は)言いました:“他のムスリムをその口と手でもって害さないような者だ。”」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

12-話中に誓い(「アッラーに誓って」という言葉を言うこと)をするのは必要な時だけにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:『あなた方は自分の誓いを守れ』(アルマーイダ章5:89)

13-誓いを言う時に「預言者」「カアバ」「天使たち」「先祖たち」「命」「頭」「栄誉」などのアッラーの被造物に誓うのを避けましょう。

イブン・ウマル(彼にアッラーのご満悦あれ)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は言いました:「至高のアッラーはあなた方に、あなた方の先祖たちに誓うことを禁じられた。だから誓いを立てる者はアッラーに誓うか、あるいは黙っていよ。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

14-罪や過ちを犯すたびに(あるいはそれ以外でも)イスティグファールをたくさん言うようにしましょう。また集まりの締め括りにはドゥアーやズィクルを言うようにしましょう。

イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は、教友たちのために(次のような)ドゥアー(祈願)の言葉でもって祈願するまでは、集まりの場を立つことは滅多にありませんでした:“アッラーよ、私たちとあなたへの不服従との間を阻む、あなたへの畏怖の念を私たちにお与え下さい。そして私をあなたへの天国へと到達させてくれる、あなたへの服従を。そしてあなたがそれでもって現世での災難を和らげて下さる、(あなたの宗教への)確信を。またあなたが私たちを生かし続けて下さる間、私たちにその聴覚と視覚と力を堪能させて下さい。そしてそれを末永く継続させて下さい。また私たちを抑圧する者たちにお報いを与え、私たちを敵に勝利させて下さい。そして私たちの宗教において災厄を被らせないで下さい。現世を私たちの最大の関心事や、学識の目的としないで下さい。そして私たちをいたわらない者を、私たちの統治者としないで下さい。”」(アッティルミズィーの伝承)

アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“下らない戯言の多い集まりに参加した者で、そこを立つ前に:「スブハーナカッラーフンマ ワ ビハムディカ、アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラー アンタ、アスタグフィルカ ワ アトゥーブ イライカ。(アッラーよ、崇高なあなたを賛美と共に讃えます。あなたの他に真に崇拝すべきものはないと証言し、あなたのお赦しを乞い、あなたに悔悟します。)」と言った者は、その集まりにおいて起こった(罪深い)ことに対してのお赦しを得るであろう。”」(アフマドとアッティルミズィーの伝承)

15-舌(口にすること)を監視し、自分や人に害を与えることや禁じられたことから舌を守るようにしましょう。

ムアーズ・ブン・ジャバル(彼にアッラーのご満悦あれ)の伝える預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)のハディースの一部に以下のようなものがあります:

彼(預言者)は舌をつまんで言った:「これを慎むのだ。」私は尋ねた:アッラーの使徒よ、私たちは口にしたことで評価されるのでしょうか?」すると彼は言った:「お前もお袋泣かせだな。人々の舌が収穫したもの以外に、一体彼らを地獄に逆落しにするものがあるだろうか?」(アッティルミズィーの伝承)

●本気でも冗談でも嘘をつかないようにしましょう:嘘は大罪の中でも最も酷いものです。

●陰口を叩かないようにしましょう:「陰口」とは相手が言われて嫌なこと(例えそれが真実であっても)を陰で口にすることです。

●ナミーマ(仲違いをさせるための悪い噂話)をしないようにしましょう。

●むやみに論争しないようにしましょう。

●人々の名誉を傷つけるようなことを口にしたり、馬鹿にして目配せしたりするのをやめましょう。

●冗談を言い過ぎたり、人を笑わせてばかりいたりすることを避けましょう。

●必要以上に褒めすぎることをやめましょう。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『ヒスヌルムスリム』サイード・ブン・アリー・ブン・ワハブ・アルカハターニー著
『40のハディース』イマーム・アンナワウィー著

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام



子供のためのイスラーム礼儀作法その7

2007-09-23 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(7)サウム


ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)。

私たちムスリムが1年間待ち望んでいたラマダーン月がやってきました。
ラマダーンとはイスラームの暦の9番目の月の名前です。
ラマダーン月のサウム(スィヤームとも言う)はイスラームの5柱の1つで、これはアッラーが成人ムスリムに課した義務の1つです。

至高のアッラーは仰られました:
『信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちに対しても義務付けられたように、あなた方にもスィヤームが義務付けられた。おそらくあなた方は畏れるだろう。』(アルバカラ章2:183)

また次のように仰られました:
『ラマダーンの月こそは、人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。それであなた方の中、この月にいる者は、この月中サウムしなければならない。』(アルバカラ章2:185)

預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「イスラームは5つの(柱の)上に成り立っている:アッラー以外に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であると証言すること、礼拝を行い、喜捨を払うこと、そしてラマダーン月のスィヤームと(アッラーの)家に巡礼することである。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

サウムの徳について

サウムは私たちを地獄の業火から守る盾のようなものです。
アッラーはサーイム(サウムする者)のサウムによる口臭をお好みになられ、それは麝香の香りよりもかぐわしいものであると仰られています。
またサウムは審判の日に執り成しをしてくれます。

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「サウムは盾である。サーイム(サウムする者)は淫らな言葉や行為、また無作法を働くな。もし人がサーイムに争いを仕掛けてきたり、悪口を言ってきた時には『私はサーイムです、私はサーイムです。』と言え。私の魂がその手中にあるお方(アッラーのこと)に誓って、サーイムの口臭はアッラーのもとにおいてじゃこう麝香の香りよりもかぐわしい。『サーイムは食べ物と飲み物と欲望をわれのために避ける。サウムはわれのためであり、われはそれに報いよう。善行に10倍の報奨で報いよう。』(とアッラーは仰られる。)」(アルブハーリーの伝承)

アブドゥッラーフ・ブン・アムル(アッラーが彼をお悦びになりますように)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「スィヤームとクルアーンは審判の日にしもべの執り成しをする。スィヤームはこう言う。『主よ、私は彼に日中食べ物と欲望を禁じました。ですから私を彼の執り成しとして下さい。』そしてクルアーンはこう言う。『私は彼に夜、眠りを禁じました。ですから私を彼の執り成しとして下さい。』」(アハマドの伝承)

サハル(アッラーが彼をお悦びになりますように)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「天国にはライヤーンと呼ばれる門がある。審判の日、サーイムたちがそこから入り、彼ら以外の者がそこから入ることはない。その時彼らが『サーイムたちはどこだ?』と言われると、彼ら(サーイムたち)は立ち上がり、彼ら以外の誰もそこから入らない。彼らがそこへ入ると門は閉じられ、彼ら以外の者は誰も入らない。」(アルブハーリーの伝承)

ラマダーン月とラマダーン中の行いの徳について

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「ラマダーンが来ると天国の数々の扉が開かれる。」(アルブハーリーの伝承)

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「ラマダーン月に入ると、天の数々の扉は開かれ、地獄の数々の扉は閉められ、シャイターン(悪魔)たちは鎖に繋がれる。」(アルブハーリーの伝承)

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「ライラトゥルカドゥル(クルアーンが下された夜)に、イーマーン(信仰)をもってアッラーのご満悦を願い礼拝に立った者は、過去に犯した罪が赦される。ラマダーンにイーマーンをもってアッラーのご満悦を願いサウムした者はその者の過去に犯した罪が赦される。」(アルブハーリーの伝承)

まだ成人していないムスリムの子供たちも、サウムの訓練をするのが好ましいとされています。

確かにアッラーは子供たちにはサウムを義務付けてはいませんが、今まで一度もサウムをしたことがなかった子供たちが、アッラーからの諸義務が課される1人前のムスリムとなった時に初めてサウムを始めるのは、肉体的にも精神的にもとても大変なことです。
ですから1人前のムスリムになった時にきちんと正しくサウムをすることができるように、小さい頃から少しずつサウムに慣れるようにしましょう。

栄誉あるサハーバ(預言者の教友たち-アッラーが彼らをお悦びになりますように)は彼らの幼い子供たちが断食に慣れる様にサウムの訓練をさせていました。そして預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はそれを承認していました。

ルバイイウ・ビント・ムアウウィズ(アッラーが彼女をお悦びになりますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)はアーシューラー(ムハッラム月の10日。ムハッラムはイスラーム暦の1番目の月。)の朝にアンサールの村々に使いを送り、『サウムを解いた状態で朝を迎えた者は残りの日をそのように過ごし、サウムをした状態で朝を迎えた者はそのままサウムをするように。』と命じました。」(ルバイイウは言いました):「私たちはその後サウムを続け、また私たちの子供たちにもサウムさせていましたが、私たちは子供たちのために染めた羊毛で玩具を作り、子供たちの誰かが食べ物を欲しがって泣くと、イフタール(サウムを解くこと)までその玩具を与えたものでした。」(アルブハーリーの伝承)

サウムとは具体的に何をすればよいのでしょうか?
忘れてはならないのは特に次の2つのことです。
①ニーヤ(サウムをするということの意図)をファジュルの前までにすること。ラマダーンのサウムに関してはラマダーン1日目のファジュルの前に「ラマダーン月のサウムを行う」というニーヤをします。(毎晩このニーヤを繰り返さなければならないとしている学派もあります)
②ムファッティラート(それを行うとサウムが無効になること)をファジュルが始まった時間から日没まで避けること。

ムファッティラートについて

サウムを始めたら、以下のムファッティラート(それを行うとサウムが無効になること)を避けなければなりません。

①意志をもって食べたり飲んだりすること:誰かに強制的に飲み食いさせられたり、サウム中だということを忘れて飲み食いした場合にはサウムは無効になりません。ただしサウム中だったと気付いた時点で飲み食いをやめなければなりません。
②意識的に(わざと)嘔吐すること。
③生理や悪露(出産後の出血)の状態になること:サウムを始め、マグリブ(日没)の直前にこれらの状態になった場合には、その日のサウムは無効となり、後でカダーをしなければなりません。
④接吻や抱擁や手など、その他の自分の意志で行った行為により精液が出ること:これらによりその日のサウムは無効になり、後でカダーをしなければなりません。何かを見て精液が出た場合にはサウムは無効とはなりません。
⑤性交:その日のサウムは無効となり、カダーとカッファーラ(ここでの説明は割愛します)が課されます。

*女性は生理中、サウムをすることができません。ラマダーンが明けてから、翌年のラマダーンが来るまでにカダー(決められた日時に行えなかった埋め合わせとして)のサウムを行います。また病気や旅行、その他の理由でラマダーンの義務のサウムを行わなかった者は翌年のラマダーンまでにカダーのサウムを行います。
ファジュルの前に生理が終わった女性はグスル(生理などの後に決められた方法で身を清めること)をしていない状態でもサウムを始められます。グスルをしなかった場合、その後で礼拝のためにグスルをしなければなりません。


それではサウムをする時の礼儀作法を確認していきましょう。

1‐ラマダーンに入ったことを示す三日月を見たらドゥアーをしましょう。

「アッラーフ アクバル。アッラーフンマ アヒッラフ アライナー ビルアムニ ワルイーマーン。ワッサラーマティ ワルイスラーム。ワッタウフィーキ リマー トゥヒッブ ラッバナー ワ タルダー。ラッブナー ワ ラッブカッラー。(アッラーは偉大なり。アッラーよ、私たちが安寧と信仰、そして平安とイスラームにある状態にあるまま、月を三日月にして下さい。そしてあなたがお望みになり御満悦されることにおける成功によって。私たちとあなたの主はアッラーです。)」と預言者は仰りました。(アッダーリミーの伝承)

2‐ニーヤを正しましょう。

サウムを至高のアッラーのために、そしてアッラーからのお赦しとご満悦を求めて行いましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼をお悦びになりますように)によると預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「ライラトゥルカドゥル(クルアーンが下された夜)に、イーマーン(信仰)をもってアッラーのご満悦を願い礼拝に立った者は、その者の過去に犯した罪が赦される。ラマダーンにイーマーンをもってアッラーのご満悦を願いサウムした者はその者の過去に犯した罪が赦される。」(アルブハーリーの伝承)

3‐スフール(ファジュル前にとる食事)を摂り、またスフールの時間をなるべく遅らせましょう。

スフールを摂ることは、その日のサウムをまっとうするために大切なことです。

アナス(アッラーが彼をお悦びになりますように)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は仰りました:「スフールを摂りなさい。本当にスフールには祝福がある。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

スフールの量は多くても少なくても構いません。
また水などの水分であっても構いません。
スフールの時間は真夜中からファジュルの前とされていますが、制限時間内でなるべく遅らせるのがよいとされています。

4‐スィヤームの目的にそぐわないことを控えましょう。

サウムとは食べ物と飲み物を断つだけではありません。
アッラーが禁じたこと全てを避けなければなりません。
例えば嘘の証言・うわさ・インチキ・人に害を与えることなどはアッラーから禁じられていることですので、当然サウム中にはそのようなことはしないようにします。
また無駄話は「禁じられた行為」ではありませんが、アッラーから報奨を得られる行為でもありませんから、特にサウム中にはなるべく控えるようにしましょう。
祝福されたラマダーンの一秒一秒を無駄にしないように過ごしましょう。

5‐スィワーク(口を清浄にし、歯をみがくための小枝)を使用しましょう。

イフタール(サウムを解くこと)の前後、そしてサウム中にスィワークを使って、口の中を清潔に保ちましょう。

6‐善行に励むようにしましょう。

ラマダーン中には特に善行に励みましょう。
何が自分に出来るか考えてみてください。
イバーダを頑張る(回数、集中力などで)・サダカ・クルアーンを朗誦する・その意味を学ぶ・人に親切にする・親孝行する・親子や兄弟またはムスリム同胞たちとサウムを励ましあうなどなど・・・

7‐フトゥール(マグリブの後のサウムを解くための食事)をなるべく早い時間に摂りましょう。

フトゥールは奇数のデーツで、もしなければ水で摂るのが好ましいとされています。

8‐イフタール時にドゥアーを言いましょう。

「ザハバッザマウ ワブタッラティルウルーク、ワ サバタルアジュル イン シャーアッラー。(喉の渇きを癒し、血管を湿らせ、そしてアッラーの思し召しならば(サウムの)報奨を確実なものとされたまえ。)」と預言者はサウムを解く時に仰られました。(アブー・ダーウードの伝承)

9‐特にラマダーンの最後の10日間はイバーダ(崇拝行為)に励みましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女をお悦びになりますように)は伝えています。「預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は最後の10日間には他の日では見られないほどの努力されていました。」(ムスリムの伝承)

また最後の10日間にモスクでお籠りをするのはスンナです。

親として・・・
親は経験から自分の子供がサウムをする力があるか判断し、子供にその能力があり、サウムをしたがっている時には、サウムの徳とアッラーのもとにおける報奨を明らかにした上で子供にサウムするように促し、励ますようにします。
またサウムは子供にとって義務ではありませんから、慣れるまでは断食の時間を3つくらいに分け(例としてズフルまで、アスルまで、マグリブまでなど)、強制的にではなくそれぞれの子供の能力に合わせて、かつ励ましながら約束の時間までサウムを続けられるようにしていきます。
サウムが子供に害をなさないように子供の体調や行動をよく観察することは大切ですし、また励ましのために時としてご褒美をあげるのもいいでしょう。
またサハーバが行っていたように時として玩具やピクニック、マスジドへ連れて行くなどして、子供の食べ物への欲求を紛らわしてやるのもいいでしょう。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『フィクフッスンナ第1巻』サイイド・サービク著
『ヒスヌルムスリム』サイード・ブン・アリー・ブン・ワハブ・アルカハターニー著
『日訳 サヒーフ ムスリム 第2巻』(日本ムスリム協会)
『ハディースⅡ』牧野信也訳

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام



子供のためのイスラーム礼儀作法その6

2007-09-08 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(6)衣服


ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)。

今回は「衣服」について学んでいきましょう。

「衣服」は、私たち人間に特別に与えられた至高のアッラーの恩恵の1つです。
私たちは衣服によって暑さや寒さ、強い陽射しや雨などの自然現象から身を守ります。
また衣服によってアウラ(恥部:ムスリムが理由なく見てはいけない、あるいは見せてはならない体の部位)を隠し、尊厳を守り、生活を彩ります。

至高なるお方は仰りました:
『(アッラーは)あなたがたのために衣服を暑熱から身を守るものとし、鎧を攻撃から身を守るものとされた。このように(アッラーが)かれの恩恵を成し遂げられるのは、あなたがたが帰依するためである。』(アンナフル章16:81)

至高のアッラーは人間に色々な形の衣服の製法を教え、それによってアウラを隠し、人生において直面する事柄から身を守るよう命じ、預言者ダーウードについて次のように仰られました:
『またわれらは、あなた方が攻撃から身を守るために、彼に鎖帷子を作る術を教えた。それでもあなた方は感謝しないのか?』(アルアンビヤーゥ章21:80)

今日私たちムスリムは衣服を脱ぎ、アウラを顕わにするよう呼びかける、新たな無明時代の迷いの旋風のさ中にいます。それは人間をみにくい形に変え、無知な動物のレベルへと後退させてしまおうとしているのです。

そして男女問わず、覆うべき肌を顕わにし、それらの服を身に付けることによってアウラを隠すどころかいっそう顕わにし、人々の欲望を掻き立てるような服が街中に溢れています。

預言者(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「地獄に落ちる人たちの中には、私が目にすることのなかった2種類の人々がいる。つまり牛の尾のような鞭を持ち、それで人々を打つ者たちと、体のある部分が顕わになる衣服を身につけて自らと他人を悪事へといざなう女性たちである。そして彼女たちの頭は、さながら美しいラクダのこぶのように飾り付けられ盛り上っている。彼らは天国に入ることもなければ、その芳香すら嗅ぐこともない。その芳香はしかじかの遠い距離から漂ってくるにも関わらず、である。」(ムスリムとアハマドの伝承)

以下は衣服に関するイスラームの礼儀作法です。
すでに身に付けている礼儀作法については「ニーヤ(意図)」を新たにし、アッラーに感謝しましょう。まだ身に付けていないことについては実行できるように努力しましょう。慈悲深いアッラーのお悦びと、かれの預言者(彼に祝福と平安あれ)の満足を得られるように、これらの礼儀作法を学び実践できますようにとの日々のドゥアーを忘れないようにしましょう。

1‐衣服を着替える時には他の行為と同様にバスマラ(「ビスミッラー(アッラーの御名において)」と言うこと)を唱えましょう。

2‐衣服を着る際に、「服の美しさを自慢したり、人に見せるためではなく、アウラを隠すようにという至高のアッラーのご命令に従うために服を着ます。」という「ニーヤ(意図)」を持ちましょう。

至高なるお方は仰りました:
『アーダムの子孫よ、われはあなた方にアウラを隠すために、またそれによって着飾るために衣服を授けた。だが篤信の服(篤信を身に付けること)こそ最も良いことなのだ。それはアッラーの印であり、おそらく彼らは(アッラーのしもべに対する偉大さ・慈悲深さを)思い出すだろう。』(アルアアラーフ章7:26)

3-預言者(彼に祝福と平安あれ)が口にしていたドゥアーを唱えましょう。

預言者(彼に祝福と平安あれ)は服を着る時には次のように仰られました:「アルハムドゥリッラーヒッラズィー カサーニー ハーザ(ッサウバ) ワ ラザカニーヒ ミン ガイリ ハウリン ミンニー ワ ラー クウワ(無力な私にこの服を着させ、恵み与えて下さったアッラーに讃えあれ)。」(アンナサーイー以外のスナン著者による伝承)

また新しい服を着た時には次のように仰られました:「アッラーフンマ ラカルハムドゥ アンタ カサウタニーヒ アスアルカ ミン ハイリヒ ワ ハイリ マー スニア ラフ。ワ アウーズ ビカ ミン シャッリヒ ワ シャッリ マ スニア ラフ(アッラーよ、全ての讃美はあなたにこそあれ。あなたこそが私にそれを着せて下さいました。そこにある良きものと、それによって得られる良きものを与えて下さいますように。そしてあなたにそこにある悪しきものと、それによって得られる悪しきものからのご加護を求めます)。」(アブー・ダーウードとアッティルミズィー、アルバガウィーによる伝承)

また新しい服を着た人には次のように仰られました:「トゥブリー ワ ユフリフッラーフ タアーラー((その服が)着古され、その後更にアッラーが新しい物を与えて下さいますよう)。」(アブー・ダーウードによる伝承)

また次のようにも仰られました:「イルビス ジャディーダン、ワ イシュ ハミーダン、ワ ムトゥ シャヒーダー(新しい物を着なさい。誉れ高く生きなさい。殉教者として死になさい)。」(イブン・マージャによる伝承)

4-あまりに高価なものや派手な物、あるいは粗末な物ではなく、ほどほどの服を身に付けましょう。

5-その服を着た状態でのイバーダ(崇拝行為)が正しく受け入れられるものになるように、服の清潔さとタハーラ(清浄さ)を確認しましょう。


ムウミン(信仰する人)は体と服が清浄であるものです。

至高なるお方は仰りました:
『またあなたの衣服を清浄に保ちなさい。』(アルムッダッスィル章74:4)

6-衣服を自慢したり、男性は高慢さから地面を引きずるほどに裾を長くするのを避けましょう。地面から少し裾が離れている方がより敬虔で、より清潔で、より長持ちします。

アブー・フライラによるとアッラーの使徒は仰られました:「アッラーは審判の日、尊大にイザール(ズボンなどの下半身を覆う衣服)を引きずる者をご覧になられない。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

7-服が破れたり、穴が開いた時にはそれらを直し、破れたり穴が開いたままの服を着ないようにしましょう。預言者(彼に祝福と平安あれ)はご自身で服を繕い、サンダルを直したものでした。

サハル・ブン・アルハンザリーヤ(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)から次のように聞きました:「あなた方はあなた方の同胞のもとに行くのです。だからあなた方の(家畜などの)乗り物を整え、あなた方があたかも人々の間でも際立った者たちであるかのように身だしなみを整えなさい。まことにアッラーは下品なものも、あえて下品にするものもお好みになられない。」(アブー・ダーウードの伝承)

8-服に腕や足を通したり靴や靴下を履く時には右手・右足から、脱ぐ時には左手・左足から脱ぎましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は全てのことにおいて右から行うことを好まれた。ウドゥーと髪を梳かすことにおいても。」(アルブハーリーの伝承)

9-服を着る前や靴下・靴を履く前には害虫がそこにいないことを確認するためにそれらを振り払うようにしましょう。

10-脱いだ服はたたみ、服を置いたり掛けたりする時にアッラーの御名を唱えましょう。服や靴を脱ぎっぱなしにしないようにしましょう。

預言者(彼に祝福と平安あれ)は服を置く時には次のように仰られていました:「ビスミッラー(アッラーの御名において)。」(アッティルミズィーの伝承)

11-身に付けている服や靴・靴下が清潔であるように心がけましょう。特に汗をかきやすい夏は気をつけましょう。

12-シャツや上着の袖は手首までの長さのある物を身に付けるのが良いとされています。


アスマー・ビント・ヤズィード(アッラーが彼女に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)の(服の)袖は、手首までありました。」(アッティルミズィーとアブー・ダーウードの伝承)

13-男性は絹製の服や金を身に付けないようにしましょう。


アブー・ムーサー(アッラーが彼に満足されますように)によると、アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:「絹と金を身に付ける事は私のウンマの男たちには禁じられ、女性たちには許された。」(アッティルミズィーの伝承)

14-男性は女性の服装を真似ないように、女性は男性の服装を真似ないようにしましょう。特に男性は着ている人を女性っぽく見せる刺繍や飾りつけ、色の服を着るのを避けましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:「アッラーは女の服を着る男と男の服を着る女を呪われた。」(アブー・ダーウードの伝承)

15-男女共に体の線をはっきりと現すような服や透けた服を着るのを避け、アウラを隠し着心地の良い服を選ぶようにしましょう。特に女性はそれを見せるのを禁じられた男性の前で着飾ったりアウラとなる部分をみせたりしてはいけません。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『ヒスヌルムスリム』サイード・ブン・アリー・ブン・ワハブ・アルカハターニー著
『日訳 サヒーフ ムスリム 第3巻』(日本ムスリム協会)

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام



子供のためのイスラーム礼儀作法その5

2007-05-24 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(5)飲食


ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において)。

私たちの今回の勉強は「飲食」についてです。

「飲食」は私たちにとってとても身近なことで、かつ重要なアッラーの偉大なる恩恵の1つです。

クルアーンの中で食べ物や飲み物について述べられている箇所は多くありますが、それは私たちが毎日行っている「飲食」という行為を通して常にアッラーを思い出し、私たちに糧を与えてくださるお方アッラーに感謝するためです。

至高のアッラーは仰りました:
『人間は自分の食べ物を見るがよい。本当にわれらは水(雨)を豊かに注ぎ、それから、大地を裂いて切れ切れにし、そこから穀物やブドウ、青草やオリーブ、ナツメヤシや繁栄した庭園、果物や牧草を生長させた。あなたがたとあなたがたの家畜のための用益である。』(アバサ章80:24-32)

『彼らへの印の1つとしては、われらが死んだ大地を甦らせ、穀物をそこから実らせ、それを彼らが食べることがあげられる。またわれは、そこにナツメヤシやブドウの園を設け、そこに泉を湧き出させる。彼らはその果実を食べるが、それは彼らの手が作り出したものではない。それでも感謝しないのか?』(ヤースィーン章36:33-35)

『そして水から一切の生き物を創ったのである。』(アルアンビヤー章21:30)

『またあなたがたの飲む水について考えたか?あなたがたが雲から(雨を)降らせるのか、それともわれらが降らせるのか?われらがもし望むなら、それを塩辛くすることもできる。あなたがたはどうして感謝しないのか?』(アルワーキア章56:68-70)

『またわれらは豊沃にする風を送り、天から雨を降らせて、それをあなたがたに飲ませる。だがあなたがたはその(宝庫の)管理者ではない。』(アルヒジュル章15:22)

なぜ私たちが食べたり飲んだりするのか考えた事はありますか?
それは生きるためであり、アッラーへの崇拝行為のために心身を強化させるためです。
私たちの主を崇拝し、善行を行うために生きているのだということを忘れてはなりません。

それらのことについて至高のアッラーは預言者たちに次のように命じました:
『あなたがた使徒たちよ、良く清いものを食べ、善行を行いなさい。』(アルムウミヌーン章23:51)

また信仰するしもべたちには次のように命じました。
『信仰する者たちよ、われらがあなたがたに与えた良いものを食べなさい。そしてアッラーに感謝しなさい。もしあなたがたがかれを崇拝するならば。』(アルバカラ章2:172)

信仰する者はアッラーが与えてくださる糧から食べ、かつ飲みます。そして誰が調理した食べ物であっても、そもそもそれらのものを用意してくださったのはアッラーであり、自分たちがいつもアッラーの恩恵を必要としていて、それらの恩恵に対して感謝してもしきれない状態であることを認め、常にアッラーの寛大さを思い出します。

『かれは私を創られたお方で、かれこそ私を導くお方。またかれこそが私に食べさせ、飲ませるお方。また私が病気になれば彼こそが私を癒し、私を死なせ、それから生き返らせるお方。そして審判の日に、私の罪を許してくださるよう望みをかけるお方であられる。』(アッシュアラーゥ章26:78-82)

イスラームは完全な宗教でクルアーンやハディースに書かれている事は「礼拝」や「断食」などの宗教儀礼のみではありません。私たちが生きていくために必要なあらゆることが網羅されているのです。飲食に関しても同じで、イスラームではその礼儀作法が述べられています。その中にはムスリムでなくても日本人であれば誰でも知っているような常識的なこともあります。その時にはそれを行うニーヤ(意図)を「ただの習慣」から「アッラーから命じられているから。預言者(彼に祝福と平安あれ)のスンナ(慣行)だから」と正しましょう。日本では普通に行われていることでもイスラームで禁じられていることや良くないとされていることは避けましょう。

1‐食前・食後には両手を洗いましょう。

2‐飲食する際にバスマラ(「ビスミッラー(アッラーの御名において)」と言うこと)を唱え、なぜ飲食をするのかという「ニーヤ(意図)」をしましょう。そしてドゥアーをしましょう。

預言者は仰りました:「もしあなた方が食べ物を食べる時には、『ビスミッラー(アッラーの御名において)。』と唱えよ。そしてもしそれを最初に言い忘れた時には、『ビスミッラーヒ アウワラフ ワ アーヒラフ(その始まりと終わりに、アッラーの御名において)。』と言うのだ。」(アッティルミズィーの伝承)

飲食のニーヤは「飲食によって体に栄養を与え、アッラーをよりよく崇拝するため。」などです。

また預言者の言葉として次のドゥアーが伝えられています。
「アッラーによって食べ物を与えられた者は、次のように言うのだ:
『アッラーフンマ バーリク ラナー フィーヒ。 ワ アトゥイムナー ハイラン ミンフ(アッラーよ、それにおいて私たちを祝福し、それ以上に良いものを私たちに施してください)。』(アッティルミズィーの伝承)

3-イスラームで合法(ハラール)な飲食物を口にするようにし、禁じられた(ハラーム)ものは口にしないようにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『そこであなたがたはアッラーが授けられたもののうち、合法で良いものを食べなさい。そしてアッラーの恩恵に感謝しなさい。もしあなたがたがかれを崇拝するのならば。』(アンナフル章16:114)

4-清潔で新鮮なものを口にするようにしましょう。野菜や果物は良く洗ってから食べるようにしましょう。

5-飲食には右手を使いましょう。手で食べる場合には右手の3本の指を使い、手を拭いたり洗う前にそれらの指を舐めましょう。また、食べる時には目の前にあるものから食べるようにしましょう。一緒に食べている人の前に手を伸ばしたり、お皿の中央部分から食べるのはやめましょう。

カアブ・ブン・マーリク(アッラーが彼に満足されますように)によると彼は言いました:「私はアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)が3本の指で食べ、食べ終わったらそれらの指を舐めるのを見た。」(ムスリムの伝承)

ウマル・ブン・アブー・サラマ(アッラーが彼ら両名に満足されますように)は言いました:「私は当時アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)の部屋の小間使いで、食事の時には私の手はあちこちをさ迷っていたものでした。するとアッラーの使徒は私に仰りました:『少年よ、至高のアッラーの御名を唱えなさい。そして右手で食べなさい。そして手前にあるものから食べなさい。』(アルブハーリーとムスリムの伝承)

6-なるべく1口を小さくし、良く噛み、それを飲み込むまでは次の一口を口にしないようにしましょう。

7-水を飲む時には、静かに吸い込むようにして飲み、口に注ぎ込んで飲まないようにしましょう。また水差しやヤカンに直接口をつけて飲まずに、そこからコップなどに注いで飲むようにしましょう。

「口に注ぎ込んで飲む」とは所謂ラッパ飲みで口を容器につけていない状態です。

アナス(アッラーが彼に満足されますように)によるとアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「水を吸い込み、注ぎ込まないようにしなさい。」(アッダールミーの伝承)

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は水やミルクを入れる容器の口から飲むことを禁じられた。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

8-熱い食べ物や飲み物に息を吹きかけないようにしましょう。熱すぎるものや冷たすぎるものを口にしないようにしましょう。

イブン・アッバース(アッラーが彼ら両名に満足されますように)によると、アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は容器の中で呼吸したり、そこに息を吹きかけることを禁じました。」(アッティルミズィーの伝承)

9-飲む時には3呼吸で飲みましょう。

アナスは言いました:アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は3呼吸で飲み物を飲み、「これこそよく水を吸収し、渇きの痛みを癒し、飲み込み易い。」と仰られた。

10-特に1つの食器から大勢で食べる時には、口を食器に近づけないようにしましょう。


11-飲食時には姿勢良くしましょう。寄りかかったり体を斜めにしたりせず、また立った状態や横になった状態、歩きながらの飲食はやめ、座って飲食しましょう。

ワハブ・ブン・アブドゥッラー(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:『私は寄りかかって食べない。』(アルブハーリーの伝承)

アナス(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は立った状態で飲むことを禁じられた。」人々が:「それでは食事はどうですか?」と尋ねると、彼は言った:「それはさらに悪いことである。」(ムスリムの伝承)

12-口にするものを悪く言うのはやめましょう。それらも至高のアッラーの恩恵の1つです。


アブー・フライラ(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は食べ物を決して悪く言わず、もし食べたければ食べ、嫌ならば残しました。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

13-どんなに少量であれ、アッラーの恩恵を無駄にして、それをゴミとして捨てることがないようにしましょう。


ジャービル(アッラーが彼に満足されますように)によると、アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は指と皿を舐めることを命じ、仰りました:「あなたがたは、あなたがたのどの食べ物にアッラーの祝福があるのか知らないのだ。」(ムスリムの伝承)

14-食べ過ぎないようにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『食べ、かつ飲め。だが度を越してはならない。本当にかれは浪費するものをお好みになられない。』(アルアアラーフ章7:31)

アルミクダード・ブン・マアド・ヤクリブ(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:「アダムの子ら(つまり人類)が、彼らの胃ほど悪い器を満たすことはない。何口かの食事だけで、心身ともに維持しておくには十分なのだ。もしそうしないならば、三分の一を食べ物に、三分の一を飲み物に、そして三分の一を呼吸のためのものとするのだ。」(アッティルミズィーの伝承)

15-水を飲みすぎないようにしましょう。特に食事中には飲みすぎることは消化不良を引き起こします。水を飲むのは食前30分前か、少なくとも食後から1時間経ってからにしましょう。

16-料理の種類を自慢したりしないようにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『そして(アッラーは)信仰しない者には(現世の生活を)楽しませ、家畜が食うように(大食)させ、彼らの住まいを業火とする。』(ムハンマド章47:12)

17-食事中には善人たちの物語や善行を命じるなどの役に立つことを話しましょう。

18-食事中に大笑いしたり、誰かを馬鹿にしたり悪口を言ったりするのはやめましょう。また一緒に食べている人の顔をじっと見たりするのはやめましょう。

19-食後すぐに眠ったり入浴したりするのはやめましょう。また、肉体労働や難しいことを考えるのは、食後少し体を休めてからにしましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女に満足されますように)は言いました:アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:「あなたがたの食べ物をズィクル(アッラーを念唱すること)と礼拝で消化し、食後に眠らないようにしなさい。あなたがたの心が頑なにならないように。」(イブン・アッスィニーの伝承)

20-金食器・銀食器はその使用がイスラームで禁じられているので使わないようにしましょう。


ウンム・サラマ(アッラーが彼女に満足されますように)は言いました:アッラーの使徒(彼に祝福と平安がありますように)はこう仰りました:「金銀の食器で飲食することは腹に地獄の業火を飲み込んでいるに過ぎない。」

21-自分より年上の人や知識のある人より先に食事を始めないようにしましょう。

フザイファ(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)と共に食事をした時には、アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)が食べ始めるまでは私たちは食事に手をつけなかった。」(ムスリムの伝承)

22-飲み物を配る時には左手で飲み物の入った容器を持ち、右手でコップなどを渡しましょう。権力者や知識人・社会的地位のある人から配り、その後は右の人から順に配るようにしましょう。また飲み物を配る人が一番最後に飲むようにしましょう。


アナスの伝承によるとアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)のもとに水と混ぜられたミルクが持ってこられた。彼の右手にはベドウィンの男が、左にはアブー・バクルがいた。彼はそれを飲んだ後、ベドウィンの男にそれを与え、「右から、右から。」と仰られた。(アルブハーリーとムスリムの伝承)

アブー・クターダ(アッラーが彼に満足されますように)によると、預言者(彼に祝福と平安あれ)は仰られた:「飲み物を配る者は最後に飲む者だ。」(アッティルミズィーの伝承)

23-2人以上で食事ができる時に1人で食事をするのは避けましょう。


ジャービル(アッラーが彼に満足されますように)は言いました:私はアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)が次のように言うのを聞きました:「1人分の食べ物は2人に十分で、2人分の食べ物は4人に十分である。そして4人分の食べ物は8人に十分なのである。」(ムスリムの伝承)

ワハシー・ブン・ハルブ(アッラーが彼に満足されますように)によると、アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)の教友たちは言いました:「アッラーの使徒よ、私たちは食べても満腹になりません。」預言者(彼に祝福と平安あれ)は言いました:『たぶんあなたがたは別々に食べているのではないかね?』教友たちは言いました:「ええ。」預言者(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:『集団で一緒に食事をして、あなたがたを食べ物に関して祝福してくださるアッラーの御名を唱えなさい。』(アブー・ダーウードとイブン・マージャの伝承)

24-飲食後には至高のアッラーに感謝し、かれを讃えましょう。

預言者は食後、次のように仰りました:「アルハムドゥリッラーヒ ハムダン カスィーラン タイイバン ムバーラカン フィーヒ。ガイラ マクフィーイン ワ ラー ムワッダイン、ワ ラー ムスタグナン アンフ ラッバナー(限りない、素晴らしい、祝福された讃美で私たちの主アッラーを称えます。アッラーを称えることにこれで充分ということはなく、またそこには終わりもなく、また私たちの主はそれと切っても切り離せません)。」(アルブハーリーの伝承)

アブー・サイード(アッラーが彼に満足されますように)によるとアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は食事が終わると次のように仰っていました:「私たちに食べ物を施し、私たちに飲み物を与え、私たちをムスリムとしてくださったアッラーに讃えあれ。」(アブー・ダーウードとアッティルミズィーの伝承)

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『ヒスヌルムスリム』サイード・ブン・アリー・ブン・ワハブ・アルカハターニー著
『ハディースⅤ』牧野信也訳
『日訳 サヒーフ ムスリム 第3巻』(日本ムスリム協会)

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام

子供のためのイスラーム礼儀作法その4-2

2007-04-10 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

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子供のためのイスラームの礼儀作法(4)サラート


準備はできましたか?
それでは実際にサラートしてみましょう。

①キブラの方角を向き立った状態で「○○の義務のサラートをします。(○の部分にはファジュル・ズフルなど行うサラートの名前を入れます)」というニーヤ(意図)を心の中でしながら、両手を上げ、最低限自分自身に聞こえる声で「アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり、という意味)」と言います。両手は親指を両耳に平行させ、手のひらをキブラの方へ向けます。

②両手を胸の少し下におきます。このとき左手の上に右手を置き、右手の指で左手首をつかみます。そして目線はタシャッフドの時以外はサジダする場所に置きます。

③「スブハーナカッラーフンマ ワ ビ・ハムディカ、ワ タバーラカ・スムカ ワ タアーラー ジャッドゥカ、ワ ラー イラーハ ガイルカ」と口の中で唱えます。この言葉の意味は、「アッラーよ、あなたに賞賛と讃美あれ。あなたの御名は祝福され、あなたの偉大さは高貴です。あなたの他に神はおりません。」です。

④「アウーズ ビッラーヒ ミナッシャイターニッラジーム」と唱えます。この意味は「呪うべき悪魔から、アッラーに助けを求めます。」です。

⑤クルアーンのアルファーティハ章(第1章)を唱えます。その後「アーミーン(アッラーよ、この願いに応えてください。)」と言います。

⑥その他のクルアーンの章を読みます。

⑦「アッラーフ アクバル」と言って、両手を①と同様に揚げて、腰を直角に曲げた姿勢になります。両手は指をひろげ両膝を掴むようにし、背、膝は曲げないようにします。この状態で「スブハーナ ラッビヤルアズィーム(偉大なる私の主を讃えます、という意味)」と3回、口の中で唱えます。

⑧「サミアッラーフ リマン ハミダ(アッラーよ、彼を賛美する者の声をお聞き下さい、という意味)」と言い両手を上げながら上体をもとに戻し、次に手を下ろしながら「ラッバナ- ワラカルハムド(アッラーよ、彼を賛美する者の声をお聞き下さい、という意味)」と言います。

⑨「アッラーフ アクバル」と言ってサジダを行います。サジダとは額、鼻、両手、両膝、両足をきちんと床につけた平伏の姿勢のことです。この時、両肘は床に着かないようにします。この状態で「スブハーナ ラッビヤルアアラー(崇高な私の主に称えあれ、という意味)」と3回、口の中で唱えます。

⑩「アッラーフ アクバル」と言って、上体を起こします。両手は両腿の上に置きます。

⑪「アッラーフ アクバル」と言って、2回目のサジダを行います(⑨参照)。

ここまでで1ラクアしたことになります。

その後「アッラーフ アクバル」と言って立ち上がり、両手を上げ⑤の状態に戻り2ラクア目を始めます。

2ラクア目が終わったら(つまり2ラクア目の⑪が終わった状態)⑩と同様に「アッラーフ アクバル」と言って上体を起こします。そしてタシャッフドを行います。

「タシャッフド」とは「アッタヒーヤートゥ リッラーヒ、ワッサラワートゥ、ワッタイイバートゥ。アッサラーム アライカ アイユハンナビーユ ワ ラハマトゥッラーヒ ワ バラカートゥフ。アッサラーム アライナー ワ アラー イバーディッラーヒッサーリヒーン。アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラーフ(*この「イッラッラーフ」のところで右手の人差し指を前方に突き出します。) ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン アブドゥフ ワ ラスールフ。」と口の中で唱えることです。この言葉の意味は、「全ての賞賛と祈りとよき行いはアッラーに(帰せられます)。預言者よ、あなたの上に平安とアッラーのご慈悲と祝福がありますように。私たちに、そしてアッラーの敬虔なしもべたちに平安あれ。私はアッラー以外に神は無いことを証言します。私はムハンマドがアッラーのしもべであり使徒であることを証言します。」です。

3ラクア以上あるサラートの時は、タシャッフド後「アッラーフ アクバル」と言って立ち上がり、両手を上げ⑤の状態に戻り3ラクア目を始めます。タシャッフドを行うのは、2ラクア目と4ラクア目の終わりです。マグリブのサラートのように3ラクアで終わるサラートの時には3ラクア目の後にやはりタシャッフドをします。

それぞれのサラートの最後のラクアを終わりまでして、タシャッフドも行ったならば、座ったままで次の言葉を口の中で唱えます。

「アッラーフンマ サッリ アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマディン、 カマー サッライタ アラー イブラーヒーマ ワ アラー アーリ イブラーヒーマ インナカ ハミードゥン マジード、アッラーフンマ バーリク アラー ムハンマディン ワ アラー アーリ ムハンマディン、カマー バーラクタ アラー イブラーヒーマ ワ アラー アーリ イブラーヒーマ、 インナカ ハミードゥン マジード」

意味は、「アッラーよ、あなたがイブラーヒームと彼の一族に至福をお与えになったように、ムハンマドとムハンマドの一族にも至福をお与えて下さい。あなたこそ全ての讃美と栄光の主です。アッラーよ、あなたがイブラーヒームと彼の一族を祝福されたように、ムハンマドとムハンマドの一族を祝福して下さい。あなたこそ全ての讃美と栄光の主です。」です。この言葉は「アッサラート アランナビー(預言者への祝福祈願)」と呼ばれます。

この後に顔を右に向けて、「アッサラームアライクム ワ ラハマトゥッラー(あなた方の上に平安とアッラーのお慈悲がありますように)」と言い、次に左に顔を向けて同様に、「アッサラームアライクム ワ ラハマトゥッラー」と言ってサラートを終えたことになります。

文章を読んだだけでは分かりにくいと思います。サラートの正しいやり方を知っている身近な人に、言葉・動作ともに、繰り返し確認してもらいましょう。今までにサラートをしたことがない人は毎回、毎日少しずつ言葉と動作を覚えていきましょう。物事の最初には困難がつきものですが、サラートは創造主アッラーが私たちに命じた義務です。アッラーのご満悦を願って頑張れば頑張るほど限りない報奨を与えてくださります。

付け足し:
親が子供にサラートを教える時、7歳未満の子供に関しては言葉による直接的な説明ではなく、親がサラートをする姿を実際に見せるという教え方が最善であるということです。特に、小さい子にとって、親が周りのものに目を向けずアッラーを畏れながら集中して立ったり座ったりサジダしながらサラートをする姿は影響が大きいのです。それを毎日見続けることによって子供の心の中に至高のアッラーの偉大さやその地位が植えつけられ、またそれと同時にサラートのそれぞれの動作をより容易く覚えていくことができます。小さな子供は親の真似をしたがるものです。サラートを子供の前で毎日見せ続けることによって子供にとって「サラートをする人の姿」はごく日常的なことになり、実際に子供がサラートをしなければならない年齢になった時にすんなりと受け入れることができるのです。7歳未満の子供にはサラートを「命じない」これがスンナです。その年齢の子供たちは一般にじっとしていることが苦手で、サラートのような決められた動きを「命令されること」は子供にサラートを嫌いにさせる原因にもなります。ただし毎日親がサラートをする姿を子供に見せ続ける事はとても重要です。

子供が7歳になったら子供にサラートを教えるのは親の義務です。「教えた方がいい」のではなく、「義務」であることに注意してください。7歳以上~10歳未満の子供にはタハーラの状態で(つまりウドゥーがある状態で)、そしてサラートの時に覆うべきアウラの部分を覆った状態でサラートさせるようにします。これはそのような状態に慣れるためです。7歳未満の子供がもしウドゥーのない状態でサラートの真似をしても、それに対して厳しい言葉を言ったりしてはいけません。そもそも7歳未満の子供はそのようなことをアッラーから課されておらずむしろ厳しい言葉はその子がサラートを嫌いになる原因となります。7歳近くなったら子供に「7歳になったらサラートしなければならない。」ことを予告し、7歳になり最初の義務のサラートをしたら友達・兄弟たちを集め小さなお祝い会を開き、この機会を祝ってもよいでしょう。また子供がサラートの時間に気をつけるように腕時計(子供に相応しい)をプレゼントしても良いでしょう。7歳以降は常に親が注意して子供にサラートのことを思い出させるようにします。子供ですから何度もサラートのことを忘れて遊びに夢中になったりすることもあるでしょうが、親は注意することにウンザリしてはいけません。また時々はいつもサラートをきちんと行っていることに対してプレゼント(物質的なものでもその他のことでも)をしても構いませんが、プレゼントを貰い慣れると今度は何かを貰わないとサラートをしないということになり兼ねませんから注意しましょう。また時々クルアーンやハディースを引用してサラートの徳やその重要性を話して聞かせることも重要です。

子供が10歳を過ぎて義務のサラートを怠ったら、親はまず彼に礼拝が義務であること、その重要性などを説き、言っても聞かない場合は厳しい口調で叱り、また子供の好きな物事を禁じたりします。また最終的な手段として怪我をしない程度に打つことも許されています。しかしこれは子供が小さいうちから段階を経てきちんと親が礼サラートに関して子供を教育してきた場合に限ります。親自身が子供への教育を怠ってきた場合、このように厳しい処置をとることは許されません。それまでに教育を怠ってきた親は最初から段階を経て改めて教えていかねばなりません。

また子供にサラートを教える際に、子供の心をマスジド(モスク)に結びつけることも大切です。できるだけ集団礼拝にも連れて行き、ムスリム同胞との集まりや対人関係や集団におけるイスラームにおける様々な礼儀作法にも慣れさせるようにします。この際、最初にマスジドに連れて行く前から前もって、マスジドがどういう場所なのか、中で何が行われているのかなど子供がマスジドの中で見る光景に驚かないようにするのも重要です。特に最初に連れて行く時には子供がマスジドを嫌いになるようないかなるもの(例えば初めて行ったマスジドで大人に冷たくされたり怒られたりすれば子供はマスジドを嫌いになり、行きたがらなくなるでしょう)も排除し、また周りの協力(優しい言葉をかけてもらう、温かく迎えてもらうなど)も得られるよう努力しましょう。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『フィクフッスンナ 1巻』サイイド・サービク著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『日訳 サヒーフ ムスリム 第1巻』日本ムスリム協会


アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام

子供のためのイスラーム礼儀作法その4-1

2007-04-10 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

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子供のためのイスラームの礼儀作法(4)サラート



ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねき慈愛深きアッラーの御名において)。

私たちの今回の勉強は「サラート(礼拝)」についてです。
サラートというアラビア語には「良いことを祈願すること」という意味があります。
私たちムスリムが毎日5回行うサラートにはたくさんの祈りの言葉が含まれています。
ですからこの動作がサラートと名づけられたのです。

「サラート」は宗教の柱です。
サラートをする人は宗教を確立させ、サラートをしない者は宗教を失ったとも言われるくらいの大切な行為です。

なぜサラートが大切なのでしょうか?

サラートによって私たちは本来の自分たちの立場に気付くことができます。

つまり、私たち人間は至高のアッラーのしもべであり、彼に支配されている存在だということです。
勉強・遊び・友達や家族との係わり合いなどの現世における様々なことがらが、この「私たちがアッラーのしもべである」ということを忘れさせ、私たちと来世との関係を忘れさせた時、サラートは、わたしたちがアッラーのしもべであり、支配されている存在だということを思い出させてくれます。

サラートは、私たちの心の中に、「私たちを援助し、恵みを与えてくださるお方はアッラー以外にいない。」ということをしっかりと植え付けてくれます。
表向き、私たちは、現世において多くの執り成しや、原因を目にすることができますが、実はそれらすべて、アッラーが私たちのために用意してくださったものなのです。

私たちはこの真実を忘れたり、現世の「目に見える原因」だけに気をとられてしまうことがあります。
そのような時、サラートは私たちに次のようなことを思い出させてくれます。

★ 原因をおつくりになられるのはアッラーだけであること。
★ アッラーこそ、私たちの援助者で恵みをあたえてくださるお方であるということ。
★ アッラーこそ、役に立たせ害を成すお方であること。
★ アッラーこそ、生かせ、死なすおかたであること。

それから私たちは、サラートを通して、犯してしまった罪のタウバ(悔悟)のためのひと時を得ることができます。
人間は昼も夜も罪を犯す危険にさらされています。
ある時は、罪を犯したという自覚を持ち、また別の時はそのような自覚を持たないでいるのです。
そのような時、1日5回繰り返されるサラートはその罪を私たちから取り除く役目をしてくれるのです。

私たちは生きるために水を飲んだり食事を摂ったりしますが、サラートはアッラーを信仰するための絶え間なく与えられる栄養のようなものです。
人間は現世でのいろいろな出来事やシャイターン(悪魔)からの囁きによって、アッラーへの信仰を忘れそうになることがよくあります。
それはあたかも、水を与えられない植物がしおれ、しだいに枯れていき、しまいには燃やされるための薪などになってしまうようなことなのです。
しかし、私たちがサラートを続けていれば、それが信仰心への栄養となり、現世におこる様々な出来事は私たちの信仰心を弱らせることも、滅ぼしてしまうこともなくなるでしょう。

私たちが1日に行うサラートの名前と回数は以下の通りです。

朝から順に、ファジュル(2ラクア)、ズフル(4ラクア)、アスル(4ラクア)、マグリブ(3ラクア)、イシャー(4ラクア)となります。(「ラクア」とはサラートの動きの1単位です。)
それぞれのサラートは、次のサラートの時刻に入る前に行わなければなりません。
それぞれのサラートの開始可能時刻は諸イスラーム機関発行の礼拝の時刻表を参考にしてください。
時間内にサラートを忘れた人、またはしなかった人はすぐにサラートをしなければなりません。(これは「カダーの礼拝」と呼ばれます。サラートの仕方は同じですが、ニーヤ(意図)が異なります。)

サラートが義務となるのはムスリムの成人男女(*注参照)で、正気の者、清浄な者に、サラートが義務付けられます。

年の小さい子供、正気でない者にはサラートは義務ではありません。
また、生理中の女性は清浄な状態でないため、サラートをすることができません。
上に「年の小さい子は義務ではない」と書きましたが、今までしたことがないことを成人した時にいきなり毎日5回行うというのはとても大変なことです。義務でなくても、小さいうちから少しずつサラートに慣れるようにしましょう。そして、親は「子供にサラートを教える、命じる」前にまず自分が正しいサラートの仕方で毎日5回のサラートをするようになりましょう。子供は親の背を見て育ちます。親が毎日きちんとサラートしていれば、自然と子供もサラートを違和感なく受け入れるようになります。

注:一般に15歳以上が成人とみなされます。それ以下の年齢でも、精通・初潮があったり、陰毛が生えた男児・女児は成人同様の扱いとなります。

具体的なサラートのやり方をお話する前に、サラートの前後・サラート中に注意すべき幾つかの点を挙げておきます。アッラーの恩恵によって、すでにサラートを毎日きちんと行っている皆さんもこれらのことがきちんと出来ているか、いつもの自分を振り返って読んでみてください。

1‐至高のアッラーへの対面のために、自分から進んで、望んで、やる気を出してサラートに向かいましょう。

「やらなければならない義務だから・・・」「サラートしなさいと言われるから・・・」と嫌々サラートに向かってはいませんか?

2‐サラートに入る前に清潔な服を着て、香水をつけ(成人女性が香水をつけた状態で外出したり、夫や家族以外の前でそのような状態でいることは禁じられています)、スィワークを使うか歯を磨き、身なりを整えましょう。

至高のアッラーは仰られました:
『アーダムの子孫よ、何処のマスジド(モスク)でも清潔な衣服を身に付けなさい・・・』(7:31)

私たちは特別なところに外出したり、特別な人に会う時には特に身だしなみに気をつけますね。アッラーと対面する場はそれらのどの場所より重要で、アッラーは誰よりも偉大なお方です。
アッラーに対面するのに相応しい状態でいつもサラートできていますか?

3-至高のアッラーのためだけに心を専念するために、トイレやしておかねばならない重要な事はサラートの前にしておきましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女に満足しますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)がこう言うのを私は聞きました。「食事の用意が出来ている時と大小の用足しを我慢している時の礼拝はない。」(ムスリムの伝承)

4-サラートを行う時には静けさと荘厳さを保つようにしましょう。

特に集団礼拝に参加する人はこれに注意しましょう。サラートに行くまでは走ったりせずに、静かに歩くようにしましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足しますように)は言いました:アッラーの使徒が(彼に祝福と平安あれ)がこう言うのを私は聞きました。「礼拝開始直前の呼びかけ(イカーマ)が詠唱された時でもあなたは礼拝に急いで走ってきてはならない。平静に歩いてくるのだ。礼拝に間に合った部分を礼拝し、遅れた分はその後で完了させるのだ。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

5-心を至高のアッラーへと向け、静かに、そして至高のアッラーの御手の前で謙虚さと畏れを保ちつつ至高のアッラーの偉大さに頭を垂れつつ、畏れ、従順にサラートを始めましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『信者は確かに勝利を勝ち取る。彼らは礼拝においてアッラーを畏れる者である。』(23:1-2)

6-礼拝中、目や顔をキョロキョロさせたり、ぼんやりしたり、笑ったり服や両手をいじったりしないようにしましょう。

アーイシャ(アッラーが彼女に満足しますように)は言いました:「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)に礼拝中他のことに目を向けることについて私は尋ねました。すると彼は言いました:「それはシャイターンがしもべの礼拝から盗み取ることである。」(アルブハーリーの伝承)

7-空(や上方)を見上げたりせずにサジダする場所を見るようにしましょう。

アナス(アッラーが彼に満足しますように)は言いました:アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「礼拝中に視線を空に向ける者たちについてどう思うか?」彼の言葉は次のように言うほど厳しいものとなった:「彼らにそれ(視線を上げること)を避けるべきだ。さもなくば、彼らの視力は奪われるだろう。」(アルブハーリーの伝承)

8-礼拝中は詠む(あるいは詠まれる)クルアーンの節やズィクル(アッラーを念じる言葉)の意味をよく考え、ぼうっとしたり、すべきことを忘れないようにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『災いあれ、礼拝する者でありながら、自分の礼拝をおろそかにする者。』(107:4-5)

アンマール・ブン・ヤースィル(アッラーが彼に満足しますように)によると預言者(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「実にある者は、彼の礼拝の10分の1だけ、9分の1だけ、8分の1だけ、7分の1だけ、6分の1だけ、5分の1だけ、4分の1だけ、3分の1だけ、半分だけ礼拝したと書かれて(礼拝から)去る。」(アハマドとアブー・ダーウードの伝承)

9-礼拝中の動作は急がずに落ち着いて行いましょう。

ウスマーン(アッラーが彼に満足しますように)は言いました:私はアッラーの使徒が次のように言うのを聞きました:「ムスリムのうち、義務の礼拝時間が来た際ウドゥーを丁寧に行い、アッラーを真に畏れ、ルクーウを落ち着いてする者の礼拝は過去に犯した小さな罪を消すだろう。それは全ての時代に続くのだ。」(ムスリムの伝承)

10-礼拝中の咳や欠伸、くしゃみ、ゲップなどを避けましょう。どうしても出てしまう場合は小さい音でしましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足しますように)によると預言者(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「礼拝中の欠伸はシャイターンによるものである。あなた方のうち欠伸をする者はできるだけ我慢しなさい。」(アルブハーリー)

11-なるべく礼拝可能時刻のはじめのうちにサラートをし、理由なしに怠け心からサラートを遅らせないようにしましょう。

至高のアッラーはムナーフィク(偽信者)たちを次のように描写して仰りました:
『彼らはのらくらと礼拝に赴き施す時もしぶしぶ施す。』(9:54)

イブン・マスウード(アッラーが彼に満足しますように)は言いました:私がアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)にどの行為が一番良いのでしょうか?と尋ねると彼は言いました:「時間内に礼拝を行うことだ。」次は何ですか?と私が言うと、彼は言いました。:「親孝行だ。」次は何ですか?と私が言うと、彼は言いました。:「アッラーの道のためのジハードだ。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

12-全てのサラートの後にイスティグファール(アッラーに許しを請うこと)とズィクル(アッラーを念じること)とドゥアー(祈願)のためにムサッラー(礼拝所)にしばらく座りましょう。

アブー・フライラ(アッラーが彼に満足しますように)によるとアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「全ての礼拝の後にタスビーハ(スブハーナッラーと言う事)を33回、タハミーダ(アルハムドゥリッラーと言う事)を33回、タクビーラ(アッラーフ アクバルと言う事)を33回、そして100回目にラー イラーハ イッラッラーフ ワハダフ ラー シャリーカ ラフ、ラフルムルク ワ ラフルハムドゥ ワ フワ アラー クッリ シャイイン カディール(意味は、「唯一で並ぶもの無きお方アッラー以外に神はありません。主権と讃美はかれのもので、かれは全能です。」、と言った者はその者の罪がたとえ海の泡のよう(つまり数え切れないほど)であっても許される。」(ムスリムの伝承)

13-サラートの後、次のサラートのために待つことが好まれます。

例えばマグリブのサラート後イシャーのサラートの時間まで待ち、それまでズィクルやクルアーンの読誦や暗記、勉強会に参加したりその他の知識を求めることに時間を費やすことです。

14-義務のサラートの前後のスンナのサラートをきちんとしましょう。

これらのスンナのサラートはアッラーにより近付くための行為であり、また義務のサラで足りない部分を埋める役目をします。

ラムラ・ビント・アビー・スフヤーン(アッラーが彼女に満足しますように)は言いました:私はアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)が次のように言うのを聞きました:「しもべのうち義務以外で自発的に毎日12ラクアを至高のアッラーのために礼拝する者には、アッラーが彼のために天国に家を建ててくださる。」(ムスリムの伝承)

15-近くのモスクでなるべく集団で(男性の場合)サラートを行うようにする。

イブン・ウマル(アッラーが彼に満足しますように)によるとアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は言いました:「集団での礼拝は個人での礼拝よりも27倍良い。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)

16-至高のアッラーの念唱を続けるほか、いつでもアッラーの監視を忘れずかれを畏れること、また下品な言葉や悪い行いを避けるなどのサラートによる効果を得られるようにしましょう。

至高のアッラーは仰りました:
『私を念じるために礼拝しなさい。』(20:14)
『礼拝をしなさい。本当に礼拝は(人を)醜行と悪事から避ける。』(29:45)

礼拝の時間に入ったら、清浄な場所・体(ウドゥーのある状態)・衣服で、アウラ(男性は臍から膝まで。女性は顔と両手以外。)を隠し、キブラの方角に向かってサラートをしましょう。これらを怠るとサラートは無効になります。

インシャーラー
後半に続きます。

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام



子供のためのイスラーム礼儀作法その3

2007-04-10 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

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子供のためのイスラームの礼儀作法(3)ウドゥー




ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねき慈愛深きアッラーの御名において)。

「ウドゥー」はサラー(礼拝)が正しく行われるための条件です。
またクルアーンを手にする時やタワーフ(カアバの周りを7回まわること)でもウドゥーをした状態であることが求められます。

至高のアッラーは次のように仰りました。
『信仰する者たちよ、あなたがたが礼拝に立つ時にはあなた方の顔を洗い、ひじを含む両手を洗い、頭を撫で、くるぶしを含む両足を洗いなさい。』(5:6)

ウドゥーは礼拝や至高のアッラーに向き合う準備として、水で顔・手・頭・足を洗うことです。

ウドゥーは私たちの体を罪や過ちから清めてくれます。
また、アッラーの御光や知識や英知を受けることを遮ること、アッラーを忘れることやアッラーが禁じたことから心を清めてくれます。

ある学者は次のように言いました:

「ウドゥーをする時は、これから至高の主を訪れるのだということを知り、悔い改めなさい。なぜならアッラーは水での清めを罪からの浄化の一歩としたのですから。

あなたがうがいをしたら、あなたの舌を嘘や陰口や噂話から清めなさい。
あなたの舌は至高のアッラーを念じ、クルアーンを詠むために創造されたのです。
そしてアッラーの創造物を舌によって導き、あなたの宗教と現世において必要なことを表現するために創造されたのです。
だから、創造された目的とは違うことに舌を使えば、それは舌に関してアッラーの恩恵を踏みにじったこと、つまり不信仰を犯したようなものです。
あなたの体はアッラーの恩恵の1つなのです。それらをアッラーへの不服従のために使えば、それは不信仰極まりない行為となります。

鼻をすすぐ時は、鼻を禁じられた匂いを嗅ぐことから清めなさい。

顔を洗う時はあなたの視線を次の3つのことから清めなさい。
それらは禁じられたものを見ること、ムスリムを軽蔑の目で見ること、他人の恥部を見ることです。
両目は暗闇において正しく導かれるように、必要なことに利用するために、またそれらによって天地のアッラーの創造物の不思議を見、アッラーの偉大さを考えるために創造されたのです。

両手を洗う時は、自らの手でムスリムに害を与えたり、禁じられた財産を得たり、あるいは発言してはいけないことを書くことから両手を清めなさい。
舌をそれから守らなければならないことからペン(書くこと、つまり手)を守りなさい。

頭を撫でる時は、この撫でる行為はアッラーの命令への服従であり、至高なるお方への服従であり、そのお方の前に低く頭をたれ、かれを必要としていることをあらわしているのだということを知りなさい。

両足を洗う時には、それらを禁じられたものへの歩みから清めなさい。
預言者(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:「しもべは一歩の歩みでさえその歩みによって何を望んだのかと問われる。」(アブー ナイームの伝承)」

これが預言者(彼に祝福と平安あれ)が「ウドゥーを完全に行う者のもろもろの罪業は、体から、はたまた、爪の下からさえも、流れ落ちることだろう。」(ムスリムの伝承)と仰った、正しいウドゥーです。

「ウドゥー」では次の6つのウドゥーが有効になるための必要最小限の動作(アラビア語では「アルカーン」)を行わなければなりません。

① ニーヤ(「これからウドゥーを行います」という意図)を心に念じる。
② 顔を洗う。
③ 両肘を含めて両腕を洗う。
④ 頭を水をつけた手で撫でる。
⑤ くるぶしを含めて両足を洗う。
⑥ ①~⑤を順番どおりに行う。

そして「ウドゥー」は、一例としてトイレで用を足したりおならをすると無効になります。
その後で、礼拝やクルアーン読誦をしようと思ったら、もう一度ウドゥーをやり直さなければなりません。

さらに今回は、私たちムスリムがウドゥーをする時の心構えも合わせて一緒に勉強していきましょう。上のハディースにもあるように、ウドゥーに使った水が流れ落ちる時に、小さな罪が一緒に流れ落ちていく様子を思い浮かべながら丁寧にウドゥーをしていきましょう。


1‐バスマラ(ビスミッラーと言うこと)を言おう。



2‐ウドゥーをする時は、落ち着いて心を込めて行おう。


ウドゥーにおける心の静けさとアッラーへの畏れが、礼拝でのアッラーへの畏れに導きます。


3-ウドゥーのたびにスィワーク(歯を磨くための小枝)か歯ブラシで歯を磨こう。


預言者は仰りました:「スィワークは口を清潔にし、アッラーのお喜びをもたらす。」(アハマド、アンナサーイー、アッティルミズィーの伝承)


4-ウドゥーの最中に話したり笑ったり、水で遊んだりしないようにしよう。



5-ウドゥーで顔を洗う前に手を洗い、口と鼻をすすぎましょう。



6-顔や頭に水を叩き付けないようにしよう。



7-頭を撫でた後に水を新しく手につけ、両耳を撫でよう。



8-ウドゥーの後に水を切るために手を振ったりしないようにしよう。



9-特に両腕・両足に関してはひじ・くるぶしまでだけではなく、その上までウドゥーを行うようにしよう。また両腕の場合は右から、両足の場合は右足から洗おう。


これらは審判の日に信仰者の光となります。
特に寒い冬はウドゥーをいい加減にしがちですので、このことに注意しましょう。

預言者はこう仰りました:「審判の日の信仰者の光はウドゥーが達したところまで達する。」(ムスリムの伝承)


10-皮膚の毛穴、かかと、指の間にも水が行き届くようにしよう。


預言者(彼に祝福と平安あれ)はかかとを洗わない男を見て仰りました:「両踵は業火のもと故、気をつけよ。」(ムスリムの伝承)

またある人はウドゥーを行いましたが足の爪の部分を洗いませんでした。それを見て預言者は次のように仰りました:「ウドゥーをきちんとやり直しなさい。」(ムスリムの伝承)


11-頭と耳以外は3回ずつ洗おう。



12-ウドゥーの後に預言者が言ったドゥアーを言おう。


預言者はウドゥーの後には次のようなドゥアーを口にしていました。:

「アシュハドゥ アッラー イラーハ イッラッラーフ ワハダフ ラー シャリーカ ラフ。 ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン アブドゥフ ワ ラスールフ。アッラーフンマジュアルニー ミナッタウワービーナ ワジュアルニー ミナルムタタッヒリーン。スブハーナカッラーフンマ ワ ビハムディク。 アシュハド アッラー イラーハ イッラー アントゥ。アスタグフィルカ ワ アトゥーブ イライク。」

このドゥアーの意味は、「彼に並ぶ者なきアッラー以外に神はなく、ムハンマドは彼のしもべであり、使徒であることを証言します。アッラーよ、私をよく悔悟する者に、そしてよく沐浴する者として下さい。アッラーよ、あなたに賞賛と讃美あれ。私はあなた以外に神はないと証言し、あなたに許しを請い、あなたに悔悟します。」

預言者は仰りました:「あなた方のうちだれでもウドゥーをきちんと終えてから『アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーのしもべであり、御使いである。』と証言する者に対して天国の8つの門は開かれ、どれでも好きな門からそこに入ることができるだろう。」(ムスリムの伝承)


13-ウドゥーの後に2ラカートの礼拝をしよう。


預言者は仰りました:「ウドゥーを丁寧に行い、心と顔をキブラに向けて2ラカートの礼拝を行う者には誰でも天国が約束される。」(ムスリムとアブー・ダーウードの伝承)


14-水を無駄遣いしないようにしよう。


袖や裾をめくってから水を出すようにしましょう。
また水はケチらず、と同時に無駄遣いしないようにしましょう。

サアド(アッラーよ彼に満足したまえ)は言いました:「ウドゥーをしている時にアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)が私を通りかかりました。すると彼はこう仰りました:『無駄遣いするな。』私は言いました:「アッラーの使徒よ、水にも無駄遣いということがあるのでしょうか?」彼は仰りました:『そうだ。たとえあなたが川の傍に住んでいても(無駄遣いしてはならない)。』(イブン マージャの伝承)


15-常にウドゥーをした状態であるように心がけよう。


ウドゥーは信仰者にとって、悪やアッラーを忘れること、罪や禁じられたことから自らを守る武器のようなものです。
またウドゥーをした状態であることは、礼拝やクルアーン読誦の準備ができている状態でもあるのです。

付け足し:
子供がウドゥーを学ぶのに最も適しているのは夏だといわれています。子供は熱すぎたり冷たすぎる水に触れるのを一般的に嫌がりますが、夏に水に触れることは子供にとってそれだけで気持ちがよく、楽しいことでしょう。ウドゥーで水に触れるのが精神的あるいは肉体的な負担にならないように、子供がウドゥーを積極的にしたくなるような適温の水を用意するのも1つの手かもしれません。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『フィクフッスンナ 1巻』サイイド・サービク著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『日訳 サヒーフ ムスリム 第1巻』日本ムスリム協会

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام



子供ためのイスラーム礼儀作法その2

2007-04-08 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


子供のためのイスラームの礼儀作法(2)排泄



ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねき慈愛深きアッラーの御名において)。

「排泄」とはトイレで用を足すこと、つまり体に悪い余分な物を尿や便を通じて体の外に出すことです。

これは体が健康で清らかであり、病気にならないようにするためのアッラーからの恵みです。

この恵みに対してアッラーに感謝しましょう。

預言者(彼に祝福と平安あれ)はトイレから出ると次のように仰っていました:
「私に食べ物の美味しさを味あわせ、そのエネルギーを私に残し、その害を私から退けたアッラーに讃えあれ。」

また、トイレから出た時に「イスティグファール(アッラーに許しを請うこと)」をすることは食べ物の恵み、そして栄養を取る恵み、体を健康に保つための排泄が簡単である恵みに対するアッラーへの感謝を、私たちが十分にできていないからです。

さて、今回は私たちムスリムがどのようにトイレで用を足すべきかを一緒に勉強していきましょう。そしてこの次にトイレに入る時にはこれらの項目の1つでも行えるようにしましょう。


1‐トイレに入る前にノックをして中に誰もいないことを確かめよう。


私たちはトイレではアウラ(見せてはいけない部分)をあらわにします。
特に自分の家以外の場所、また公共の場では気をつけるようにしましょう。


2‐トイレに入る前にドゥアーを言い、左足からトイレに入るようにしよう。


預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)はトイレに入る時に次のように言いました。
「アッラーフンマ インニー アウーズ ビカ ミナルフブスィ ワルハバーイス。」
(アルブハーリーとムスリムの伝承)
これは「アッラーよ、私は男と女のシャイターンからあなたに助けを求めます。」という意味のドゥアーです。


3-トイレから出る時には右足から出て、ドゥアーを言おう。


預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)はトイレから出ると次のように言いました。

「グフラーナク。」(ムスリムの伝承)
「アルハムドゥリッラーヒッラズィー アズハバ アンニルアザー ワ アーファーニー。」(イブン マージャの伝承)

これは「アッラーよ、私を許してください。私から害を取り除き、健康を恵んでくださるアッラーに讃えあれ。」という意味のドゥアーです。

トイレに入る時に左足から入り、出る時に右足から出る事は、預言者ムハンマド(彼に祝福と平安あれ)の行っていたスンナの1つです。

預言者のスンナに従うことで、ムスリムはアッラーから報奨を得ます。


4-トイレに入る時には軽装を心がけ、着ている物に汚れがつかないようにしよう。


ナジャス(イスラームで不浄とされているもの)が服や体についている状態での礼拝は受け入れられません。いつも自分の体や服を清潔に保ちましょう。


5-アッラーの御名が書かれているものやクルアーンやクルアーンのアーヤが書かれている物をトイレに持ち込まないようにしよう。



6-トイレのドアを開けっ放しにせずにきちんと閉まっていることを確認しよう。もしトイレに入ってこようとしている人がいたら、中からドアをたたいて使用中であることを知らせよう。


用を足している時に話をするのはよくないことです。
「入っています。」というのではなく、ドアをたたいて自分が中にいることを知らせましょう。


7-トイレのドアを閉めるまでは用を足すために服をめくったりするのをやめよう。


人にアウラの部分を見せるのを避けるためです。


8-目を伏せ、アウラを見ないようにしよう。


アウラの部分(ここでは排泄器官のこと)は人に見せてもいけませんし、自分でも見てもいけません。


9-トイレで用を足している時に話をしたり、挨拶をしたり、返したりしないようにしよう。またズィクルを口に出して言わないようにしよう。


イブン ウマル(アッラーよ彼に満足したまえ)は次のように言いました:
「預言者(彼に祝福と平安あれ)が用を足している時にある男が通りかかり、預言者(彼に祝福と平安あれ)に挨拶したが、彼は返答しなかった。」(ムスリムの伝承)


10-立った状態で用を足さないようにしよう。


アーイシャ(アッラーよ彼女に満足したまえ)は言いました:
「あなたがたにアッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)が立った状態で放尿したと言った人がいたら、彼を信じないようにしなさい。」(アッティルミズィーの伝承)

ただし必要に迫られたり、病気などの場合には立った状態で用を足すことも許されます。
フザイファ(アッラーよ彼に満足したまえ)は次のように伝えました:
「アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は立った状態で放尿した。そこで私はウドゥーの水を彼に持ってきた。それで彼はウドゥーをし、靴下を撫でた。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)


11-イスティンジャーをする前に手を洗っておこう。


「イスティンジャー」とはトイレで用を足した後、清浄な水や紙や石などの液体か固形物で排泄器官を清めることです。




12-イスティンジャーを左手でしよう。


預言者(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:
「小用を足す時右手で陰茎をつかんだり、用便の折、右手を使って処理したりしてはならない。」(アルブハーリーとムスリムの伝承)


13-汚物が取れたことを確認し、シャリーアで決められたタハーラをきちんと行おう。


至高のアッラーは仰りました:
『アッラーはよく悔悟する者を愛し、またよく心身を清める者を愛される。』(2:222)

また預言者(彼に祝福と平安あれ)は次のように仰りました:
「尿から身を守りなさい。墓の罰の多くはそれ(尿)から来るのです。」(アッダーラクトゥニーの伝承)

審判の日に天国あるいは地獄に入る前でも、人は死ぬと、天国に入る者はその恩恵を、地獄に入る者はその罰を味わいます。それが「墓の罰」です。


14-トイレに汚れや臭いが残らないように、用を足した後にトイレをきれいにしよう。




15-トイレから出たらすぐに水と石鹸で両手を洗おう。


付け足し:
特におねしょをするお子さんをお持ちの御両親は、この問題に対して冷静に対処し、子供には「おねしょをしないようにするのは簡単だ」と感じさせることが大切です。また両親はおねしょのことをなるべく周り、特に兄弟たちには隠すようにし、兄弟から馬鹿にされることによって子供のプライドが傷つけられないようにすることが好まれます。また、できれば兄弟とは寝床を離したり別室で寝かせ、朝は兄弟が目覚める前にその子を起こし、布団を干したりたたんだりして兄弟に悟られないようにすることが好まれます。

参考文献:
『青少年のためのイスラームの礼儀作法』Dr.ムハンマド・ハイル・ファーティマ著
『イスラーム法とその法的典拠 1巻』Dr.ワハバ・アッズハイリー著
『幼児期の子供の教育におけるムスリムの父親の責任』アドナーン・ハサン・サーリフ・バーハーリス著
『日訳 サヒーフ ムスリム』日本ムスリム協会

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام


子供のためのイスラーム礼儀作法その1

2007-03-24 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

「子供のためのイスラーム礼儀作法」を翻訳なさったシスターのご了承とご協力により、満月通信アネックスにても、紹介できる運びとなりました。
ジャザーハッラーフ ハイラー

子供のためのイスラームの礼儀作法(1)眠りからの目覚め



ビスミッラーヒッラハマーニッラヒーム(慈悲あまねき慈愛深きアッラーの御名において)。

私たちは毎晩眠り、朝になると目を覚まします。

昼寝をする人もいます。

この毎日の当たり前の出来事である「私たちが眠り、そしてその後に目覚める」ということは、至高のアッラーのお力を示す輝かしいみしるしの1つです。

眠りからの目覚めは「死後の復活」の奇跡に似ています。

クルアーンには次のように書かれています:

((アッラーは魂を、その死に臨んで召し上げ給う。また、死ななかった者もその眠りにおいて。そして、死が定められた者を引き留め、別のものは定めの期限まで送り返し給う。まことに、この中には熟考する民への印がある。))(39:42)

また次のように書かれています。

((かれこそはおまえたちのために夜を衣とし、眠りを休息とし、昼を散開となし給うたお方。))(25:47)

私たちは「眠りからの目覚め」によって毎日をスタートさせます。

今回は、眠りから目覚めた時に私たちムスリムが何をすべきかを一緒に勉強しましょう。

そして自分の出来ることから少しずつ習慣づけていきましょう。

1‐ファジュルの前、またはファジュルの時間内に早起きしよう。

これは、アッラーから与えられる心の平安や静けさを得たり、健康的な習慣を身に付け、イバーダート(礼拝などの崇拝行為)や勉強のための清らかなすがすがしい時間を過ごすためです。

アッラーを畏れる者たちの特徴についてクルアーンには次のように述べられています:((夜のほんのわずかを眠り、黎明に、彼らは赦し請いをしていた。))(51:17-18)

アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は仰りました:

「仕事や用事を朝早く行いなさい。早朝に行う事には祝福と成功があります。」(アッタバラーニーの伝承)

2‐目覚めた時、心と頭と口に最初に上るものが、至高のアッラーとその唯一性のズィクル(念じること)であり、また預言者(彼に祝福と平安あれ)が口にしたドゥアーであるよう心がけよう。

クルアーンには次のように述べられています:

((そしておまえの主の御名を朝に夕に念唱せよ。))(76:25)

預言者(彼に祝福と平安あれ)は目覚めた時に次のように仰りました:

「アルハムドゥリッラーヒッラズィー アハヤーナー バァダ マー アマータナー 
ワ イライヒンヌシュール。」(アルブハーリーの伝承)

これは、「私たちを死なせた後に生き返らせ、また死後、かれのみもとに私たちを復活させるお方アッラーに称えあれ。」という意味のドゥアーです。

3-目覚めたらすぐに、タハーラ、ウドゥー、礼拝をしよう。

これらの行為をズィクルとドゥアーの後の1日を開くものとし、他のことに気を奪われないようにしましょう。

預言者は仰りました:「あなた方が寝るとシャイターンはそれぞれの結び目が「夜は長いから眠りなさい」という3つの結び目をあなた方の頭の後ろに結びつけます。そして目覚め、その者が至高のアッラーを念唱すれば1つ目の結び目は解け、ウドゥーをすれば2つ目の結び目が解け、礼拝をすれば最後の結び目が解けます。こうしてその者の心はよい状態となり活動的となって、そうでなければ心は悪い状態となって怠け者となります。」

4-目覚めた後、色々なことを考えたり空想に浸ったりしないように、寝床に留まったり、そこでゴロゴロしないようにしよう。

ふとんやベッドの中でゴロゴロしているうち、また眠りに落ちてしまうかもしれません。そして礼拝をするのが遅れてしまうかもしれません。

5-寒さや疲れ、そして眠気のために礼拝を怠らないようにしよう。

朝まで疲れや眠気が残らないように、夜は早く寝ることも大切ですね。

6-ファジュル後にすぐ、また眠らないようにしよう。また時間があるからといって礼拝を後回しにしないようにしよう。

時間があるからといって礼拝を後回しにするのは、ムスリムが礼拝を出来ないようにするためのシャイターンの囁きによるものです。

そしてなるべくファジュルの後は日が昇るまでズィクルをしたり、クルアーンを読んだりして過ごしましょう。ファジュルから日の出までの時間は1時間強です。1つのことに集中するのが難しければ、時間を幾つかに区切ってクルアーン・ズィクル・勉強・その他のことをしてみましょう。

預言者は次のように仰られました:「集団でファジュルの礼拝をし、それから座って日が昇るまでズィクルをし、それから2ラカートの礼拝をした者には、ハッジとウムラをしたのと同じくらいの報奨がある。」(アッティルミズィーの伝承)

アッラーを畏れる者たちの特徴についてクルアーンには次のように述べられています:((彼らは寝床に留まらず、畏れながら、また期待しながら彼らの主に祈り、われらが彼らに糧と恵んだものから費やす。))(32:16)

7-眠りから目覚めた後に口をすすぎ、正しい方法でスィワーク(歯を磨くための小枝)か歯ブラシと歯磨き粉で歯を磨こう。

これは口と歯を清潔に保つための習慣です。できればスィワークを使うのがいいと言われています(虫歯を防ぐ成分が含まれているそうです)。

アッラーの使徒(彼に祝福と平安あれ)は眠りから起きるとスィワークで口を磨いていました。

8-起きた後は自分以外の家族や近所の人たちに迷惑をかけないように静かに行動しよう。

一般に人々が寝ている時間に行動するときは静かに行動しましょう。

ムスリムは人が寝ている時間(夜中からファジュル前後にかけて)礼拝することを命じられていることがありますが、それは他人に迷惑をかけていいということではありません。

9-特に寒い季節の寝起きは、上着を着ずに暖かいところから寒いところへ急に移動しないようにしよう。

急に暖かいところから寒いところへ移動する事は体によくありません。

10-他の人を起こす時には「ラー イラーハ イッラッラー」か「アッサラート ハイルン ミナンナウム(礼拝は眠りよりよい)」という言葉で優しく小さな声で起こそう。

大声を出したり、眠っている人を激しく揺さぶったりして驚かせないようにしましょう。もし相手が起きるのを嫌がったらしばらく放っておいて、少し後にまた起こしてみましょう。

11-起きた後に寝室のドアや窓を開け空気を入れ替える。

新鮮な空気を吸って、心と体をすっきりさせましょう。

12-「ビスミッラー」と言って、風を通した後にベッドや布団などの寝床を整えよう。

寝巻きなどを置きっぱなし、脱ぎっぱなしにしないようにしましょう。毎日のこと、自分のことは自分でできるようになりましょう。


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسم

シャウワール月の6日間

2005-10-29 | ファトワ&フィクフ
بسم لله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

シャウワール月の斎戒について「満月通信アネックス2007/10/18付け」で一部訂正しています。ご覧下さい

例えば

Question:

女性はラマダーン中に生理により出来なかった分を先に埋め合わせるべきなのでしょうか、それともシャウワール月に奨励される6日間の断食を先にすべきなんでしょうか。


Answer:


アッラーに称えあれ。

もし女性が預言者のハディースに言われている報奨を強く望むのなら、「ラマダーン月の断食を行って続くシャウワール月に6日間の断食を行ったものは、まるで彼の一生分の断食をした者のようである。」(サヒーフムスリムNo.1984)

故に女性はラマダーン中行えなかった分を埋め合わせた後、シャウワール月の6日間を行うべきです。そうすればこのハディースは彼女にも適応され、彼女はそこで言われている報奨を手にすることができます。
彼女が行えなかったラマダーン月中の埋め合わせるべき日数を遅らせて、次の年のラマダーン月まで埋め合わせをすることも許されています。

Islam Q&A  Sheikh Muhammed Salih Al-Munajjid (www.islam-qa.com)
#4082


* Dr.ワハバ・アル=ズバイリー著「イスラーム法とその典拠」において


و يحصل له ثوابها و لو صام قضاء أو نَذْرًا غير ذلك

ワ ヤフスル ラフ サワーバハー ワ ラウ サーマ カダーァ アウ ナズラン アウ ガイラ ザーリク
(シャウワール月の6日間の報奨はサウムのカダーでもナズル<アッラーにドゥアーをし、それが成就したら断食をすると誓いを立てた場合>でもそれ以外の理由であっても得ることができる)

つまり二つのニーヤ(例えばラマダーン中のできなかった分のカダーとシャウワールの6日間の報奨を求めてすること)を持って断食を行うことができると言っています。アッラーフ アアラム

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام


斎戒その②

2005-09-23 | ファトワ&フィクフ
بسم اللهِ الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ー「アブー・フライラー(رضى الله عنه)によると
アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は『誰でもラマダーンの一日でも、ちゃんとした理由か本当の病気といったものなしに食べてしまえば、残りの生涯全てを断食したとしてもその一日を償う事はできない」
(アハマド、アッティルミディー、アブー・ダーウド、イブヌ・マージャの伝承)


ラマダーン月の真の徳と祝福はどんなことをしようと得られないということです。ラマダーン月に理由なしに失われた場合、いくら償いの断食をしようとも、祝福は取り戻せないということです。


断食を途中で解いた時に課される償いの種類が二つあります。

ひとつめはカダーと言われ、無効になった断食一日に対し、後日その無効になった日数分を断食します。

ふたつめは無効になったラマダーン月の断食一日に対し60日間続けて断食しなければならないカッファーラです。しかし、治る見込みが当分ない病気などの正当な理由があって、60日間続けての断食が無理な場合は次の四つの代替方法から選べます。

1. 二食分の食事を60人の貧しい人々に供する

2. 二食分の食事を貧しい人一人に60日分供する

3.3.5lbs.(約1.6kg)の小麦を60人の貧しい人に供する。またはそれを換算した現金を与える。(ちなみに日本での小麦の価格は1kg300円から500円ぐらいです)

4.3.5lbs.(約1.6kg)以上のの小麦か米か雑穀を貧しい人一人に60日分供する。またはそれに相当する現金を与える。(ちなみに日本での米の場合1kg300円から400円ぐらいです)

<断食が無効になり、カダー(埋め合わせ)が課される場合>

断食しているのに口に無理やり何かを入れられた場合

断食していると意識していたにもかかわらず、うがいの際に、水を飲んでしまった場合

故意に吐いた場合、そして戻したものを再び飲み込んだ場合

小石や紙片など食べ物でも薬でもないものを意図的に飲み込んだ場合

歯に詰まった穀物一グラム大の食べカスを飲み込んだ場合、もしくそれよりも小さいサイズであっても一旦取り出した後、それを飲み込んだ場合

耳に油を入れること(シャワーなどで耳に水が入った場合は無効にはならないが、それでも断食中の水泳等は控えたほうがいいでしょう)

鼻から深く煙などを肺まで吸い込んだ場合

歯茎から出血してそれに唾が混じっても血の色をした状態のものを飲み込んだ場合

断食していることを忘れてうっかり飲食してしまい、断食が無効になったと思って、再び飲食した場合

曇天や時計が狂っていためにスブフの時間の後もまだ飲食していたり、マグリブの時間の前に断食を解いてしまい、後でその過ちに気づいた場合

ハイドになってしまった場合

ラマダーン以外の断食で、正当な理由などで断食を途中で解いてしまった場合もカダーの対象になります。

上記の場合で断食が無効になった場合、できなかった日数分を後日、埋め合わせのために断食します。ラマダーン中に起こったこれらの無効になった分は速やかにカダーをしましょう。


<カダーとカッファラーの両方が課される場合>

飲食もしくは喫煙などの断食を無効にすることで、断食を解いた場合

スルマ(目のまわりにつける黒いマスカラのようなもの、虫除けなどの効果があるらしい)をつけてたり、髪に油をつけたりして、それで断食が無効になってしまったと思い、飲み食いした場合

意図的に薬を飲んだ場合


<断食が無効にならない行為>・・無効にならないため、そのまま断食をマグリブまで続行してください

うっかりして飲食した場合。

蚊・ハエなどといった物が口に飛び込みうっかり飲み込んでしまった場合

耳から水が入った場合

塵・ほこりなどをうっかり飲み込んだ場合

唾を飲み込んだ場合

注射

目にスルマをつけること

体を冷やすためにシャワーなどを浴びること

髪や体に油を塗ること

うっかり吐いてしまうこと

香水やイトルをつけること(ブルールやお線香の煙を吸い込んでしまうことやタバコを吸うことやその煙を吸い込むことは許されません)

歯磨き粉をつけないで、歯を磨くこと。ミスワークを使って歯を磨くこと

グスル(沐浴)を要する夢精をした場合。


上記の記述はダーワト=ル=ハックが出しているフィクフの本「タ’アリム=ル=ハック」(ハナフィー)からです。

アッラーフ アアラム


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

ストラ(遮蔽物)②

2005-07-26 | ファトワ&フィクフ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ストラの規定は法学派によって違いがありました。

ハナフィーは、棒の高さは腕の長さ以上で、直径は指の長さぐらいという規定があります。イマームの後ろに礼拝をするものはイマームがストラということになります。屋外でする場合は、配偶者に前に立ってもらってもいいですね。

ハンバリーは、高さは手ひとつまたはふたつ分という規定があります。低木や毛布の上で横たわる配偶者やらくだなどの動物でもかまいません。

シャーフィーのイマーム・ナワウィーは、「棒が見つかなければ、石を集めても彼の持ち物を置いても敷物を置いても、(何もなければ)地面に線を描いてもいい」と言っています。つまり高さの規定はないわけで、傘を地面に置いてもストラになります。
線を描く場合は、右から左へと描きます。イマーム・アハマドの見解では、三日月のように弧を描きながら線を描くようです。

これはイマーム・アハマドやアブー・ダーウードの伝承を根拠としています。

アッラーフ アアラム

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام