満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

預言者さま(サッラッラーフ アライヒ ワサッラム)の好まれた食べ物

2012-10-15 | ハディース&子どものための物語

بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم 



<アナス・ビン・マーリク(رضى الله عنه)は伝えている
ある仕立屋が食事を用意し、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)を招いた。
私はその御方と一緒に行った。
彼は大麦のパンとかぼちゃの入ったスープ、それと保存された乾燥肉をふるまった。
私はアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が皿の両側の、しかも御自分に近い方からそのかぼちゃを次々とお取りになるのを見た。
それで私はその日以後ずっとかぼちゃを好んで食べている。>
(ムスリム伝承 第3巻 154P)

この「かぼちゃ」をサヒーフムスリムの英語版は「pumpkin」と表示している。
アル=ブハーリーは日本語訳は「かぼちゃ」英語版は「gourd」

アラビア語原文では
「الدُّبَّاء」


「pumpkin」のアラビア語は
「قَرْع عَسَلِي」
(カルア アサリー)かぼちゃは 中央アメリカ原産で、西欧に紹介されたのは16世紀ではないかと思う。
預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の時代には アラビア半島には 中央アメリカ原産の かぼちゃは なかったはず。
この
「الدُّبَّاء」
は うり科であることは 確かだと思うのですが、「かぼちゃ」と日本語訳をあてるのは どうでしょうか。

スクワッシュとかズッキーニはアラビア語では
「قرع」「كوسة」

辞書には他に
「يَقطِين」
ともあります。



このフォーラムでは「スクワッシュ」になっていますね。

このサイトには「gourd」でも「bottle gourd」(夕顔)と特定しやすい表現になっています。「夕顔(かんぴょうの材料になる)」はもちが悪いのでスンナとして食べるなら冬瓜(wax gourd)でも可でしょうか。
アッラーフ アアラム

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

台座(玉座)の節

2012-10-15 | 聖クルアーン
بسم الله الرحمان الرحيم


السلام عليكم

台座(玉座)節(アーヤト=ル=クルシー)

第2章 雌牛章 255節
この台座(kursi)の語に因んで、この節は「台座(または玉座)の節」と呼ばれ、クルアーンの中で最も功徳のある節として尊重されている。「台座(kursi)」はアッラーの「玉座(‘arsh)」の下にあるとされている。(訳解 クルアーン52p)

この節はクルアーンの中で最も優れた節で、どんな節の読誦よりも報償が多い。それは、この節が神性の諸命題と神の肯定的表現による諸属性を合わせ含むからで、そのような節はほかにはない。アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。《クルアーンで最も大いなる節はクルシー(台座)の節である。これを読んだ者にアッラーは天使を遣わし、その天使はその時間から翌日まで彼の善行を書き留め、彼の悪行を消す。》《『アーヤト=ル=クルシー(台座の節)』を毎回の義務の礼拝の後に読んだ者に楽園を阻止するものは死だけである(死んでいないためにまだ入っていないだけである)。それを欠かさず行い続ける者は篤信者と崇拝者のほかにはいない。床に就く前にこれを読んだ者にアッラーは、彼自身と彼の隣人とその隣人と周囲の家々に安全をもたらし給う》
アブー・フライラ(رضى الله عنه)によるとアッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。《朝を迎えた時に『アーヤト=ル=クルシー(台座の節)』と第40章の〔ガーフィル〕の冒頭3節を読んだ者はその日は夕まで守り給う。そして夜にこれらを読んだ者はその晩は朝まで守り給う》。
《家で『アーヤト=ル=クルシー(台座の節)』を読んだ者は30日シャイターンが彼から遠ざかり、40夜悪魔使いが家に入らない。アリーよ、この節をおまえの子供と家の者と隣人に教えよ。これほど大きな節が下されたことはないのである》。
《アリーよ、人間の頭はアーダム(عليه السلام)であり、アラブの頭はムハンマド(صلى الله عليه و سلم)である。自慢で言うのではない。また、ペルシャ人の頭はサルマーン(رضى الله عنه)であり、ローマ人の頭はスハイブ(رضى الله عنه)で、エチオピア人の頭はビラール(رضى الله عنه)である。山の頭はシナイ山で、曜日の頭は金曜で、言葉の頭はクルアーンで、クルアーンの頭は雌牛章で、雌牛章の頭は『アーヤト=ル=クルシー(台座の節)』である》。(ジャラーライン 110p&111 アル=ジャマル脚注)

ウバイユ・ビン・カアブ(رضى الله عنه)は言った。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は《アブー・ムンズィルよ、あなたはクルアーンの中のどの節が最も偉大であるか知っていますか》と聞かれた。私は「アッラーとそのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が最も良く御存知です」と言った。み使い(صلى الله عليه و سلم)は再び《アブー・ムンズィルよ、あなたはクルアーンの中のどの節が最も偉大であるか知っていますか》と言われた。私は「【アッラー、彼の外に神はなく、永生に自在される御方】」(クルアーン第2章255節)」と言った。するとみ使い(صلى الله عليه و سلم)は、私の胸をお打ちになり《アブー・ムンズィルよ、その知識があなたに有益なものであるように》とおっしゃった(注)。
(注)これはアブー・ムンズィルが正しい答えをしたのに対する祝福である
(サヒーフ・ムスリム 第1巻551p)

アブーフライラ(رضى الله عنه)は語った。アッラーの使徒(صلى الله عليه و سلم)が私にラマダーンの喜捨の管理をお任せになっていたとき、或る者が来てその一部をとろうとしたので、わたしはその者を捉えて、「お前をアッラーの使徒Sの前につきだしてやる」と言った。すると、その者は「夜寝る前に『玉座』の節を唱えなさい。そうすれば、アッラーのもとから天使が来て絶えずあなたを護り、朝になるまでシャイターンは近づかないだろう」と言った。それを伝え聞いた預言者(صلى الله عليه و سلم)は《あれはシャイターンで大嘘つきだが、お前に言ったことは本当だ》とおっしゃった。(アル=ブハーリー 第4巻555p)

玉座節には アッラーの偉大な美名がある
アスマ・ビント・ヤズィード・ビン・ア=ッ=サカン(رعني الله عنها)は言った。
「私はこの二つの節について預言者さま(صلى الله عليه و سلم)がコメントなさるのを聞きました」
【اللّهُ لاَ إِلَـهَ إِلاَّ هُوَ الْحَيُّ الْقَيُّومُ】
『アッラー、かれの外に神はなく、永生に自存される御方。』
【اللّهُ لا إِلَـهَ إِلاَّ هُوَ الْحَيُّ الْقَيُّومُ】【الم】
『アリフ・ラーム・ミーム、アッラー、かれの外に神はなく、永生し自存される御方であられる。』
《この二つにはアッラーの偉大な御名が含まれている》
(イマーム・アハマド)

玉座節の中には アラビア語の完全な10の文がある

1.【اللّهُ لاَ إِلَـهَ إِلاَّ هُوَ】
アッラーフ ラーーーー イラーハ イッラー フ(ワ)
『アッラー、かれの外に神はなく』→ アッラーは唯一にして被創造物にとってたったひとつの崇める神である。
存在の中に、真に仕えるべき対象はアッラーをおいてない。(ジャラーライン111p)

2.【الْحَيُّ الْقَيُّومُ】
(ア)ル=ハイユ=ル=カイユー(ーーー)ム
『永生に自存される御方。』
アッラーは決して死なず、永遠に存続される御方で、全ての者やものを養われ、支えられている。全ての被造物は富める御方であるアッラーを必要としており、アッラーに頼っているが、アッラーご自身が必要とする被造物はない。

【وَمِنْ آيَاتِهِ أَن تَقُومَ السَّمَاء وَالْأَرْضُ بِأَمْرِهِ】
『またかれが、御意志によって、天と地を打ち建てられたのは、かれの印の一つである。
』(第30章ビザンチン章25節)

3.【لاَ تَأْخُذُهُ سِنَةٌ وَلاَ نَوْمٌ】
ラー タ・フズフ スィナトゥーーワ ラー ナウ(ーーーー)ム
『仮眠も熟睡も、かれをとらえることは出来ない。』
短所や無用心さや無意識といったことがアッラーに起こることは決してなく、むしろアッラーは常に覚醒されていてあらゆる魂が稼ぐことを制御なさっていて、森羅万象をあますことなくご覧になっていて、アッラーの知悉から漏れるものは一切なく、どんな秘密もアッラーにとっては秘密ではない。アッラーの完璧な性質のひとつとして、うたた寝も熟睡もアッラーには、効力がない。そのため、アッラーの御言葉に
【لاَ تَأْخُذُهُ سِنَةٌ】
『仮眠もかれをとらえることは出来ない』
うたた寝による無意識がアッラーを襲うことはないということであり、更にアッラーは続けて
【وَلاَ نَوْمٌ】
『熟睡も(かれをとらえることは出来ない)』
熟睡は(意識がなくなることは)仮眠よりも更に強く起こりえる。
つかの間の眠りも長い眠りも彼をとらえることはない。常に維持し給う御方であることの理由付けである。まどろみとは眠りに先立つ状態で、感覚が完全には去っていない。眠りの状態では、物事の知覚が絶え、それゆえ、眠りは死の兄弟と呼ばれる。(ジャラーライン111pアル=ジャマル脚注)
サヒーフ・ムスリムのハディースによると、
アブー・ムーサー(رضى الله عنه)は伝えている。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は私たちの問に立ってアッラーに関し、五つの事をこうお話しになった。すなわち《アッラーはお眠りにならない。また、眠りを必要とされない方である。アッラーはしもべらの所行を判定するための秤を低めたり、高めたりなさる方である。夜の行為は昼の行為の前に、また、昼の行為は夜の行為の前に、アッラーの許に報告される。》アッラーの覆い(ベール)は光りである〔アブー・バクル(رضى الله عنه)の伝えるハディースによると、“光り”ではなく“火”となっている〕もしアッラーがその覆い(ベール)をはずすようなことがあれば、お顔の輝きのため、その御目が届く範囲にあるアッラーの創造物は、全て焼き尽されるだろう》第1巻141P

4. 【لَّهُ مَا فِي السَّمَاوَاتِ وَمَا فِي الأَرْضِ】
ラフー マー フィ=ッ=サマーワーティ ワ マー フィ=ル=アルド
『天にあり地にある凡てのものは、かれの有である。』
全ての者はアッラーの僕であり、彼の王国の一部であり、彼の権力と権威の許にいる。
同様なアッラーの御言葉に
【إِن كُلُّ مَن فِي السَّمَاوَاتِ وَالْأَرْضِ إِلَّا آتِي الرَّحْمَنِ عَبْدًا】
【لَقَدْ أَحْصَاهُمْ وَعَدَّهُمْ عَدًّا】
【وَكُلُّهُمْ آتِيهِ يَوْمَ الْقِيَامَةِ فَرْدًا】

『天と地において、慈悲深き御方のしもべとして、罷り出ない者は唯の1人もないのである。本当にかれは、かれらの(すべて)を計算し、かれらの数を数えられる。また審判の日には、かれらは各々一人でかれの御許に罷り出る。』(第19章マルヤム章93~95節)

5. 【مَن ذَا الَّذِي يَشْفَعُ عِنْدَهُ إِلاَّ بِإِذْنِهِ】
マンーーザ=ッ=ラディー ヤシュファウ インダーフーーーー 
イッラー ビ=イズニ(ヒ)
『かれの許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。』
同様なアッラーの御言葉に
【وَكَم مِّن مَّلَكٍ فِي السَّمَاوَاتِ لَا تُغْنِي شَفَاعَتُهُمْ شَيْئًا】
【إِلَّا مِن بَعْدِ أَن يَأْذَنَ اللَّهُ لِمَن يَشَاء وَيَرْضَى】

『天に如何に天使がいても、アッラーが望まれ、その御喜びにあずかる者にたいする御許しがでた後でなければ、かれら(天使)の執り成しは何の役にも立たない。』(第53章星章26節)
【وَلَا يَشْفَعُونَ إِلَّا لِمَنِ ارْتَضَى】
『かれが受け入れる者の外は、執り成しをしない。』(第21章預言者章28節)
この節はアッラーの偉大さ、誇り、品格の高さ、そしてアッラーのお許しが無ければいかなる者であろうと彼に執り成しを挑むものはいない。実際に、執り成しについてハディースで預言者さま(صلى الله عليه و سلم)も仰っている。
《私は主の許に出かけ、玉座の下に来て、主を拝し平伏すると、主は、お望みのままに私をその状態に置かれた後、こういわれる。『ムハンマドよ、頭を上げよ。いうことがあれば聞き、頼み事があれば与え、執り成しがあれば受け入れるであろう』といわれる。アッラーは私が天国に入れる者のために平伏することをお許しなる》(サヒーフ・ムスリム第1巻166p一部)

6. 【يَعْلَمُ مَا بَيْنَ أَيْدِيهِمْ وَمَا خَلْفَهُمْ】
ヤアラム マー バイナ アイディーヒム ワ マー ハルファフム
『かれは(人びとの)、以前のことも以後のことをも知っておられる。』
これはアッラーが被造物について完全な知識をお持ちであることを言及している。過去についても現在についても未来についてもご存知である。同様なアッラーの御言葉に
【وَمَا نَتَنَزَّلُ إِلَّا بِأَمْرِ رَبِّكَ لَهُ مَا بَيْنَ أَيْدِينَا وَمَا خَلْفَنَا】
【وَمَا بَيْنَ ذَلِكَ وَمَا كَانَ رَبُّكَ نَسِيًّا】

『.(天使たちは言う。)「わたしたちは、主の御命令による外は下らない。わたしたち以前のこと、わたしたち以後のこと、またその間の凡てのことは、かれの統べられるところ。あなたがたの主は決して忘れられない。」(第19章64節)

7. 【وَلاَ يُحِيطُونَ بِشَيْءٍ مِّنْ عِلْمِهِ إِلاَّ بِمَا شَاء】
ワ ラー ユヒートゥーナ ビ=シャイイン(m)ーーーーミン イルミヒーーーー
イッラー ビマー シャーーーーー(ア)
『かれの御意に適ったことの外、かれらはかれの御知識に就いて、何も会得するところはないのである。』
アッラーの伝達とお許しがなければアッラーの御知識は誰も得ることがないという真理を言い切っている。誰もアッラーが伝えようとなさなければ、アッラーの御知識をアッラーの特質を習得できない。同様なアッラーの御言葉に
【وَلَا يُحِيطُونَ بِهِ عِلْمًا】
『だがかれら(人間)の知識では、それを計り知ることは出来ない。』(第20章ターハー章110節)

8. 【وَسِعَ كُرْسِيُّهُ السَّمَاوَاتِ وَالأَرْضَ】
ワスィア クルシーユフ=ッ=サマーワーティ ワ=ル=アルド
『かれの玉座は、凡ての天と地を覆って広がり、』
ワキーのタフスィール(解説)で、
イブン・アッバース(رضى الله عنه)は伝えている。《台座(クルシー)とは丸椅子のことであり、アッラーの玉座(アルシ)にすべき配慮を与えることは誰もできない》(アッタバラニー)アッダッハーク伝承ではイブン・アッバース(رضى الله عنه)は伝えている《もし7つの天と地と平らにして横につなげ広げ、その大きさを台座に比較すると、砂漠にある指輪ほどにしかならない》(イブン・アブー・ハキーム)
「台座に対する7つの天は、太陽の表面に投げ入れられた7つの銀貨でしかない」(ジャラーライン111p)
イブン・アッバース(رضى الله عنه)によると『彼の台座』とはアッラーの知識のことである。アッラーの玉座(アルシュ)の支え手の天使を台座(クルシー)の支え手の天使の間には70の陰からなる覆いと70の光からなる覆いがあり、一つの覆いは通り抜けるのに500年を要する厚さである。この覆いがなければ、台座の支え手は玉座の支え手の光に燃えてしまったであろう。(ジャラーライン第1巻111pアル=ジャマル脚注)

9. 【وَلاَ يَؤُودُهُ حِفْظُهُمَا】
ワ ラー ヤウードフー ヒフズフマー
『この2つを守って、疲れも覚えられない。』
天と地、またその間にあるものを守護することは、アッラーには全く重荷ではなく、またそれをすることに疲れを覚えることもない。むしろアッラーにとっては容易いことある。
その上、アッラーは全てのものを支え、すべてのものを余すところ無くご覧になり、彼の御知識から漏れるものはなく、何事もアッラーには秘密にはできない。全ての事象は彼の御前では明白となり、慎ましく、謙虚である。彼は最も豊かであり、全ての賛美を受けるのに値する御方である。彼はお望みのことをなし、自分たちがアッラーに尋ねられることはあっても、彼のなすことについて誰も彼に尋ねることはできない。アッラーは全てを凌駕する最高の権力をお持ちで、最も偉大である、彼以外に崇める価値のある神格者はなく、アッラー以上の主権者はいない。

10. 【وَهُوَ الْعَلِيُّ الْعَظِيمُ】
ワ フワ=ル=アリーユ=ル=アズィーム

『かれは至高にして至大であられる。』
【الْكَبِيرُ الْمُتَعَالِ】
『偉大にして至高の方であられる。』(第13章雷電章9節)


アッラーの祝福とご加護がありますように
والسلام