満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその1

2006-07-13 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

 毎月一回開催されている、「ムスリムの集い」のプログラムの一つである「ハディースを読む」(アブドル・ラヒーム・アルファヒームケ編、大木博文氏訳、日本ムスリム協会発行)で使用されているテキストの一部を日本ムスリム協会の会報誌「アル=イスラーム」にヤヒヤ氏がご紹介なさっているものを、氏のご好意により本ブログでもご紹介していきます。。أن شاء الله

第一章、サダカと善行について(その一)

 サダカとは喜捨、施しを意味するアラビア語。ザカー(ト)が義務の喜捨であるのに対し、自発的な喜捨をサダカという。
サダカの意味は広く、単にお金や品物を出すだけでなく、自分の能力に応じて他人を助けるためにする慈善行為全てが含まれている。この章のサダカに関するハディースが17種収録されている。
「人の体のあらゆる部分は毎日、陽が昇ったらサダカをしなければなりません。二人の人の間を公正に執り成すこともサダカであり、家畜を連れた者が家畜に乗ろうとする時に手を貸したり、家畜に荷を積むのを手伝ってやるのもサダカです。また、善き言葉もサダカです。礼拝に向かって歩む一歩一歩もサダカです。また、道から障害物を取り除くこともサダカです。」(アル=ブハーリー、ムスリムによる伝承)
 このハディースからサダカが広い意味での人助けであり、日常生活の中でムスリムとして振舞う際の心がけであるように読み取れる。中でも隣人に善き言葉をかけることがサダカとされることに意外な感想を持たれるかもしれない。他のハディースには朗らかな顔で同胞に接することや良識にかなった行いをすること、さらに家族を扶養することもサダカとあるので、ますますその感が強くなる。そこでこう読み取れた。
 二人の間を公正に執り成せば、二人は満足感という恵みを得たことになる。善き言葉をかけられた隣人は気持ちよい気分という恵みを得られたことになる。つまりサダカ(施し)とは広い意味で人に恵みを与える行為なのだということになる。そして恵みを得た人は、人に感謝し、ひいては神(アッラー)に感謝するようになるという訳である。さらに恵みを与えてくれる大元は神(アッラー)なのだという意識に辿り着くことでサダカ(施し、恵み、感謝)が完結するのである。それで礼拝への一歩一歩が自分に命と体という恵みを与えてくれた神(アッラー)への感謝への表現となり、これもサダカとなるのである。

 礼拝についてであるが、ここでは一人でする礼拝ではなく、多くの人と一緒にする礼拝をさしている。「モスクで行う集団礼拝は、家や市場である礼拝よりも二十五段階も勝っている。」と他のハディースにあるように、一人での礼拝よりもできるだけ多くのムスリムと肩を並べることを勧めているのである。このことからイスラームでは宗教とは単に個人の自己成長を目指すだけでよしとするのではなく、人間の結びつきを重視していることがわかる。サダカの教えは、自分自身に責任を持つことだけでよしとする個人主義に陥ることなく、家族や隣人、社会においても責任を持ち他人に配慮する意識、連帯意識を強め、健全なコミュニティを維持する行動原理を説いていると言える。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام