بسم الله الرحمان الرحيم
السلام عليكم
賞賛に値する人格、性質について[その4](関係のないことに立ち入らない)
アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「イスラームの良い点は、自分に関係のないことに立ち入らないことです。」(アッテルミズィーによる伝承)
(原訳者注:立派なムスリムになる条件の一つとして、他人のことに干渉しないこと)
他人への配慮の感覚が述べられているこのハディースを読むと、イスラームの教えは他人や社会との関わり方にも配慮しつつ自己の研鑚を図っていくものなのだな、と思います。
関係のないことに関わり立ち入ろうとする人は、善意から行う場合と自分の考えに従がわせようとする場合のどちらかとなりますが、どちらも歓迎されません。
自分が良かれと思い込み他人の行動に口を出すお節介は主観的善意であり自分の価値観の押し売りにすぎないからです。
受け取る側は相手の善意が分かっていても煩わしく感じたり素直に喜べない時もあるのです。関わろうとした人はせっかく親切にしてあげたのに自分の好意が無駄になったことを残念に思い、受け手はありがた迷惑の思いが残るのです。
親しい関係を築こうとした思惑が反って疎遠な関係を作ってしまいます。それで頼まれもしないことに関わらないことが無用な悩みや煩わしさを作らない教訓となります。
さらに歓迎されない関わり方は自分の意志に従わせようと他人の行動に口をさしはさむ行為です。干渉と呼ばれるこの行為は自分の主義主張を最善と考える独善から生まれます。受け手側には押し付けられるという意識が生じますから、親しい間柄でも大きなお世話と受け取られることもあります。ここで必要とされるのは相手を尊重する気持ちで他人の生き方や規範に干渉しないことです。それで他人のことに無闇に立ち入らず、自分と違う考えに対し寛容さを持つことが無益な争いを避ける道であるとの教訓が引き出されます。
このことから、他者との交流の有り方、礼儀作法が学ばれます。誰でも人には家族や友人にも干渉されたくない私的な時間や状況やプライバシーがあること。人は誰でも選択の自由があること。それは個人の自由と尊厳を尊重することであり、相手を尊重するが自分を尊重して貰うことになります。自分と意見が違う相手の存在を認めることは、結局は自分の存在も認められることにつながっていくのです。他者との交流を通して自己の主義主張や相手との立場の違いを広い視野から眺める余裕を持ちたいものです。
ただ、関係のないことに立ち入らないと言っても冷ややかな傍観者的態度や無関心を勧めるのでもなく、また隣人や社会との交流を断ち孤立を勧めるものでもありません。他者との程より距離感を保つことの大切さを教えていると捉えることです。イスラームでは個々の人が社会との関わり方においてバランス感覚・中庸の精神を持つことを重視します。このハディースを社会の健全さを保つための知恵の一つとして受けとめたいと思います。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام
السلام عليكم
賞賛に値する人格、性質について[その4](関係のないことに立ち入らない)
アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「イスラームの良い点は、自分に関係のないことに立ち入らないことです。」(アッテルミズィーによる伝承)
(原訳者注:立派なムスリムになる条件の一つとして、他人のことに干渉しないこと)
他人への配慮の感覚が述べられているこのハディースを読むと、イスラームの教えは他人や社会との関わり方にも配慮しつつ自己の研鑚を図っていくものなのだな、と思います。
関係のないことに関わり立ち入ろうとする人は、善意から行う場合と自分の考えに従がわせようとする場合のどちらかとなりますが、どちらも歓迎されません。
自分が良かれと思い込み他人の行動に口を出すお節介は主観的善意であり自分の価値観の押し売りにすぎないからです。
受け取る側は相手の善意が分かっていても煩わしく感じたり素直に喜べない時もあるのです。関わろうとした人はせっかく親切にしてあげたのに自分の好意が無駄になったことを残念に思い、受け手はありがた迷惑の思いが残るのです。
親しい関係を築こうとした思惑が反って疎遠な関係を作ってしまいます。それで頼まれもしないことに関わらないことが無用な悩みや煩わしさを作らない教訓となります。
さらに歓迎されない関わり方は自分の意志に従わせようと他人の行動に口をさしはさむ行為です。干渉と呼ばれるこの行為は自分の主義主張を最善と考える独善から生まれます。受け手側には押し付けられるという意識が生じますから、親しい間柄でも大きなお世話と受け取られることもあります。ここで必要とされるのは相手を尊重する気持ちで他人の生き方や規範に干渉しないことです。それで他人のことに無闇に立ち入らず、自分と違う考えに対し寛容さを持つことが無益な争いを避ける道であるとの教訓が引き出されます。
このことから、他者との交流の有り方、礼儀作法が学ばれます。誰でも人には家族や友人にも干渉されたくない私的な時間や状況やプライバシーがあること。人は誰でも選択の自由があること。それは個人の自由と尊厳を尊重することであり、相手を尊重するが自分を尊重して貰うことになります。自分と意見が違う相手の存在を認めることは、結局は自分の存在も認められることにつながっていくのです。他者との交流を通して自己の主義主張や相手との立場の違いを広い視野から眺める余裕を持ちたいものです。
ただ、関係のないことに立ち入らないと言っても冷ややかな傍観者的態度や無関心を勧めるのでもなく、また隣人や社会との交流を断ち孤立を勧めるものでもありません。他者との程より距離感を保つことの大切さを教えていると捉えることです。イスラームでは個々の人が社会との関わり方においてバランス感覚・中庸の精神を持つことを重視します。このハディースを社会の健全さを保つための知恵の一つとして受けとめたいと思います。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام