بسم الله الرحمان الرحيم
السلام عليكم
自ら死を望んではいけない(さまざまなハディースより⑧)
《アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「誰でも死を望んではいけません。善人は善行を増すかもしれず、悪人は悪行を改める機会に出会うかもしれないのですから。」》(アル=ブハーリーとムスリムによる伝承。引用はアル=ブハーリーの表現)
《アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「誰も死を望んではいけません。死が来る前に死を祈願してはなりません。死んでしまえばその者の行為は中断されてしまいます。信者が長生きすることは、唯唯良いことなのです。」》(引用はムスリムによる表現)
始めのハディースは、人間には人生の最後まで、善き人間になる機会が与えられていること、二つ目のハディースでは、アッラーは、何の条件もつけず、人間が長生きすることを望まれているのだと受け止めました。
人生に絶望し、生きる目標を失い死んでしまいたい、という衝動に駆られたら、このハディースの言葉を思い出しましょう。
アッラーは、常に当人にとってプラスになる機会を与えてくださるからです。そのプラスの内容が、当人にはすぐに理解できないことがあります。聖クルアーンに、
【自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分のために悪いことを、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーはご存知です。】(2章雌牛章216節)
とあります。
自分の好むことが、必ずしも自分に良い結果をもたらすとは限らず、反対に自分の嫌悪することが、実は自分にとって良い結果につながっていくかも知れないのです。自分に降りかかる出来事を自分の好き嫌いの感情で判断してはならないのです。現実を淡々と受け止めることです。
アッラーは向上のための機会を与えてくださる。このハディースは、人生の目的の一つである人格の向上を思い起こさせ、死への思いを引き止める言葉として語られています。
気持ちが落ち着いたら、「私の命は誰から与えられたか。」、「人生の意味を与えられたのは誰か。」と考えましょう。そこには、アッラーしかいないのではないでしょうか。ですから、人は
【アッラーの慈悲に対して絶望してはならない】(39章集団章53節)
のです。
二番目のハディースの、信者が長生きすることは、ただただ良いこととは、アッラーに感謝する人、頂いた命を大切にする人たちは、生きることそのもの、生きる行為が善であると言われている気がします。長生きし、生きていて良かったと感謝の気持ちを持ち、人間は生かされていることに気づくだけでも人格の向上の一つにつながると思います。アッラーの慈悲に対し、長寿を感謝しましょう。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام
السلام عليكم
自ら死を望んではいけない(さまざまなハディースより⑧)
《アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「誰でも死を望んではいけません。善人は善行を増すかもしれず、悪人は悪行を改める機会に出会うかもしれないのですから。」》(アル=ブハーリーとムスリムによる伝承。引用はアル=ブハーリーの表現)
《アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「誰も死を望んではいけません。死が来る前に死を祈願してはなりません。死んでしまえばその者の行為は中断されてしまいます。信者が長生きすることは、唯唯良いことなのです。」》(引用はムスリムによる表現)
始めのハディースは、人間には人生の最後まで、善き人間になる機会が与えられていること、二つ目のハディースでは、アッラーは、何の条件もつけず、人間が長生きすることを望まれているのだと受け止めました。
人生に絶望し、生きる目標を失い死んでしまいたい、という衝動に駆られたら、このハディースの言葉を思い出しましょう。
アッラーは、常に当人にとってプラスになる機会を与えてくださるからです。そのプラスの内容が、当人にはすぐに理解できないことがあります。聖クルアーンに、
【自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分のために悪いことを、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーはご存知です。】(2章雌牛章216節)
とあります。
自分の好むことが、必ずしも自分に良い結果をもたらすとは限らず、反対に自分の嫌悪することが、実は自分にとって良い結果につながっていくかも知れないのです。自分に降りかかる出来事を自分の好き嫌いの感情で判断してはならないのです。現実を淡々と受け止めることです。
アッラーは向上のための機会を与えてくださる。このハディースは、人生の目的の一つである人格の向上を思い起こさせ、死への思いを引き止める言葉として語られています。
気持ちが落ち着いたら、「私の命は誰から与えられたか。」、「人生の意味を与えられたのは誰か。」と考えましょう。そこには、アッラーしかいないのではないでしょうか。ですから、人は
【アッラーの慈悲に対して絶望してはならない】(39章集団章53節)
のです。
二番目のハディースの、信者が長生きすることは、ただただ良いこととは、アッラーに感謝する人、頂いた命を大切にする人たちは、生きることそのもの、生きる行為が善であると言われている気がします。長生きし、生きていて良かったと感謝の気持ちを持ち、人間は生かされていることに気づくだけでも人格の向上の一つにつながると思います。アッラーの慈悲に対し、長寿を感謝しましょう。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام