満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその33

2012-01-15 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

自ら死を望んではいけない(さまざまなハディースより⑧)

 《アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「誰でも死を望んではいけません。善人は善行を増すかもしれず、悪人は悪行を改める機会に出会うかもしれないのですから。」》(アル=ブハーリーとムスリムによる伝承。引用はアル=ブハーリーの表現)
 《アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「誰も死を望んではいけません。死が来る前に死を祈願してはなりません。死んでしまえばその者の行為は中断されてしまいます。信者が長生きすることは、唯唯良いことなのです。」》(引用はムスリムによる表現)




 始めのハディースは、人間には人生の最後まで、善き人間になる機会が与えられていること、二つ目のハディースでは、アッラーは、何の条件もつけず、人間が長生きすることを望まれているのだと受け止めました。
 人生に絶望し、生きる目標を失い死んでしまいたい、という衝動に駆られたら、このハディースの言葉を思い出しましょう。

 アッラーは、常に当人にとってプラスになる機会を与えてくださるからです。そのプラスの内容が、当人にはすぐに理解できないことがあります。聖クルアーンに、
【自分たちのために善いことを、あなたがたは嫌うかもしれない。また自分のために悪いことを、好むかもしれない。あなたがたは知らないが、アッラーはご存知です。】(2章雌牛章216節)
とあります。

 自分の好むことが、必ずしも自分に良い結果をもたらすとは限らず、反対に自分の嫌悪することが、実は自分にとって良い結果につながっていくかも知れないのです。自分に降りかかる出来事を自分の好き嫌いの感情で判断してはならないのです。現実を淡々と受け止めることです。

 アッラーは向上のための機会を与えてくださる。このハディースは、人生の目的の一つである人格の向上を思い起こさせ、死への思いを引き止める言葉として語られています。
 
 気持ちが落ち着いたら、「私の命は誰から与えられたか。」、「人生の意味を与えられたのは誰か。」と考えましょう。そこには、アッラーしかいないのではないでしょうか。ですから、人は
【アッラーの慈悲に対して絶望してはならない】(39章集団章53節)
のです。

 二番目のハディースの、信者が長生きすることは、ただただ良いこととは、アッラーに感謝する人、頂いた命を大切にする人たちは、生きることそのもの、生きる行為が善であると言われている気がします。長生きし、生きていて良かったと感謝の気持ちを持ち、人間は生かされていることに気づくだけでも人格の向上の一つにつながると思います。アッラーの慈悲に対し、長寿を感謝しましょう。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام



200のハディースその32

2012-01-04 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

試験を受け入れる(さまざまなハディースより⑦)

 《アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「アッラーが誰かに良きことを望まれると、その者に苦難を与えて試されます。」》(アル=ブハーリーによる伝承)
 《アナス(رضى الله عنه)によると、アッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「アッラーが僕に良きことが望まれると、その者の罪に対する懲罰を審判の日に執行するまでに保留されます。」預言者(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「大きな報酬は大きな試練と共にあります。至高なるアッラーは、人を愛すればこそ試されるのです。そして、その試練に満足する者はアッラーの御満足を得ます。また、その試練を不満とする者は、アッラーの怒りを得ます。」》(ア=ッ=ティルミズィーによる伝承)




 人は人生において様々な試練を受けますが、自分の願いや目標を達成するために予想される試練は、ある程度は納得し我慢できます。しかし時として、予想もしない苦難を伴う試練に出会うことがあります。たとえば嘆く以外になすすべもないような苦難に遭遇した時、どこにも逃げ場がないような境遇に置かれた時、耐え忍ぶ以外に方法がない時などです。
 なぜ、私は、こんな目にあわなければならないのか、自分には非は無いのに、と疑問が生じた時、実はそれには、深い意味があるのだと、このハディースが教えてくれます。
 その意味は、苦難を伴う試練はアッラーからのお試しであり、それに耐える人には、多大な報奨が約束されるということです。また、試練を受ける人は、その人がアッラーに愛され、導かれる人であるというのです。また、苦難は、アッラーがその人に良き事を望まれるためでもあると述べられています。そして、導かれる人は、自分が犯した罪を、審判の日にではなく、前もって現世で精算を済ましてくれるというのです。審判の日に何も心配することがないことは素晴らしいことです。
 試練を、アッラーに仕える者の証として素直に受け入れ、耐え忍べば、必ず良いことが待っているのです。その良きことは、現世で実現するかもしれませんが、来世では必ず実現するでしょう。試練は未来を保証されるためにあると、受け止めることです。
 もし、このハディースの教えを知らなかったら、この世は不公平だらけだとして、人を恨み、社会を恨み、自分の人生を呪っていたかもしれません。しかし、今や、苦難の意味を理解した人は、どんな苦難に直面しても窮することはありません。最悪の事態に陥ったとしても、決して落胆せず、不満をいわず、受け入れるでしょう。アッラーのご配慮により、自分に最も相応しい所に行き着くことを知っているからです。
 試練にあっても、全てをアッラーにお任せすれば、一番良い方向に導いていただけることが、このハディースを通して理解することが出来ます。私たちはどのような事態になっても、恐れることなく、アッラーに感謝する気持ちを持ちたいものです。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

200のハディースその31

2012-01-03 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

厄災とあやまち(罪)の赦し(さまざまなハディースより⑥)

 《アブー・サイードとアブー・フライラ(رضى الله عنهما)によると、預言者(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「ムスリムを襲う災い、病、心配、悲しみ、苦悩は、針の一刺しに至るまで、アッラーはそのことによって、必ずその者を過ちを赦し給います。」(アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)》
 《イブン・マスード(رضى الله عنه)によると、私が預言者(صلى الله عليه و سلم)を訪ねた時、彼は熱を出していらした。「アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)様、激しい熱に襲われていますね。」と私が言うと、「どう、私はあなた方二人の男が熱を出しているかのような高熱を出しています。」と言われた。私は、「あなた様は二つの報奨を得ていらっしゃるということなのでしょうか。」と尋ねると、「そうです。ムスリムが針、あるいはそれ以上のものによって危害を受けたなら、アッラーはその見返りに、その人の悪行を御赦しになります。そして彼の罪は木が葉を落とすように、その人から落ちてしまうのです。」と答えられた。》(アル=ブハーリーによる伝承))




 人が突然災難に見舞われた時、不慮の事故に遭遇した時、病気で苦しんだ時など、当人の受ける精神的な苦しみや悲しみ、痛みや不安に対し、周りの人が出来ることは、慰めや励ましの言葉をかけることです。それで元気付けられたと感じる人もいるでしょう。

 これに対し、アッラーは人間の創造主でありますから、どんな小さいことも隅々まで把握されていて、精神的・肉体的苦痛や不安に耐えている気持ちなどは、当人と同じようにご存知です。当人が流す涙も、ため息も全て知悉なさっています。それはアッラーの御言葉
【本当にわれは人間を創った。そしてその魂が囁くことも知っている。われは(人間の)頚動脈よりも人間に近いのである。】(聖クルアーン50章(カーフ章)16節)
からも十分察することが出来ます。

 アッラーは私たちのすぐ近くにいらっしゃり、常に見守ってくださるだけではなく、私たちが受けた苦しみや痛みに対し報酬を与えてくださるというのです。その報酬とは、私たちの犯したあやまちや罪を赦し清めてくださることです。その赦された様子は、あたかも木から葉が落ちるように、あやまちや罪が消されるのです。

 このように、アッラーは災難にあった見返りとして、その悲しみが深ければ深いほど、痛みが大きければ大きいほど、その人の罪を軽くしてくださるのです。
 アッラーは当の本人の悲しみや痛みなど針の一刺しほどの小さなことも見逃さないお方です。そして、アッラーは人が絶望や孤独に陥らないように近くで見守っていらっしゃるわけです。その上に、あやまちや罪をも赦していただけるのですから、人間にとって最大の保護者といえます。この罪の赦しが、当人にとって最大の癒しとなり、悲しみや痛みにも耐えることができるのではないでしょうか。どのような局面においても、私たちはアッラーが常に人間を良い方向へと導いてくださるという安心感と有難さで満たされている存在であることは気づかされます。ですから、私たちは失意にあっても困惑することなく、泰然として態度を保ちたいものです。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام





【最後の審判の日 ― 報奨その3】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم                                            


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパ(生きているものがすべて死ぬ) → ④2回目のラッパ(全員復活) → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場) → ⑥全人類の結集  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧アッラーから記録書の授与 → ⑨自分の行いがはかりにかけられる → ⑩スィラート(地獄にかかる橋)を渡る → ⑪報奨(天国と地獄)



⑪ 報奨その3


質問:天国に、真っ先に入るのは誰でしょうか?また、一番最後に入るのは誰でしょうか?

答:預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はおっしゃいました。

≪「復活の日、私は天国の門に行きそこを開けるよう頼むが、番人はその時『あなたは誰ですか』とたずね、私が『ムハンマドです』と答えると『私はあなたのため、あなたがおいでになるまで誰にも門を開けてはならないと命じられていました。』ということだろう。」≫ ムスリム伝承

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の後に続いて、彼のウンマの人たちが次々に入っていきます。
≪その結果、天国の門を開けることを彼は許されます。こうして、生前信頼されていた者、親族に尽した者、次いで道の右と左の両側に立って待っていた者らは順次天国に送られて行きますが、あなたたちのうち、最初に送られる者は、まるで雷光のような速さでそこを通り過ぎることだろう」
この話に関連し、フザイファ(رضى الله عنه)は次のように伝えている。
「私はこうたずねました。『私の父母よりも尊いお方よ!“雷光の通りすぎるように”とはどんなことですか』
これに対し、み使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。
『あなたは雷光が、目ばたきする間にむこうに、またこちらにと走り回り、光る様子を見たことはありませんか。
その後の人々は風が吹き通って行くように、次いでは、鳥たちの飛び去り行くように通り過ぎて行くのです。
人々の通過する速さは、生前の行為のいかんによるのです。また、あなたたちの預言者(ムハンマドصلى الله عليه و سلم)はその道に立って“主よ、彼らを救い給え、救い給え”と祈り続けるのです。このようにして、生前の行為のもたらす力の弱いしもべらまで通って行き、遂には、這いずって道を進み行く者さえ現われるのです』」≫ ムスリム伝承

問:一番最後に天国に入る者は、どういう人でしょうか?最後になった人は、どうして最後なんでしょうか?また彼が天国で何をもらえるでしょうか?それについてのハディースがありますが、アッラーは、その人に、この世のすべてのものに比べてどのくらいのものを天国で与えるとおっしゃっていますか?

答:預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はおっしゃいました。

≪実に私は最後に地獄から出て、最後に天国に入る者を知っています。男は地獄から這い出してくると、祝福、至高なるアッラーは彼に言われます。「行って天国に入りなさい。」彼がそこに行くと、彼にはまるで満員のように見えます。そこで戻ってこう言います。「あぁ、主よ、そこは満員でした。」×2回・・「行って天国に入りなさい。実にあなたには、そこで、この世と同じものと、その10倍のものがあります。」・・・それが、天国で最下位の者です。≫ ブハーリーとムスリムの伝承

これはクルアーンの次に信憑性の確かな真正ハディースです。天国で一番最後に地獄から出されて、一番最後に天国に入る者でさえ、この世の10倍の恩恵が与えられるということは、もっと前に天国に入ることができたら、また、天国の一番上のフィルダウスに預言者さま(صلى الله عليه و سلم)と入る人たちは、どんなにすばらしいものを手に入れるのでしょうか?また、それがこの世のもののように一時的なものではなく、永遠に自分のものになることを考えると、いかに私たちが執着しているこの世がはかなく取るに足らないものかがわかります。アッラーよ、どうか私たちに、フィルダウスの最上階をお与えください。

問:天国に入る者に与えられる者で、誰にとってももっとも愛おしいものとハディースで言われているものは何でしょうか?


答:≪「天国の住民が天国に入って来た時、アッラーは
『あなた方に何かもっと望みのものを与えましょうか』とおたずねになるだろう。これに対し彼らは
『私たちの顔を輝かして下さったではありませんか。
私たちを天国に入らせ、地獄から救って下さったではありませんか』といって感謝することだろう。
するとアッラーはベールをお上げになります。アッラーから与えられるものの中で、至高偉大なる彼らの主を拝すること以上に彼らにとって愛おしいものはないであろう。 アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)はその後、次の聖句をお唱えになった。
【善行をした者には、天国に入るという素晴しい報奨もあり、また追加もある。】クルアーン第10章ユーヌス26節≫
ムスリム伝承




◇地獄の炎とその様

問:地獄には何個の扉がありますか?

答:【それ(地獄)には7つの門があり、各々の門には、かれら(罪人)の一団が割り当てられます。」】聖クルアーンヒジュル章 44節

すべての門にひとつの段階があるため、地獄には7つの段階があります。
7つの段階の名前:ジャハンナム(地獄)、サイール(燃え上がる)、ラザー(炎)、サカル(皮膚を焦がす地獄の火)、ジャヒーム(業火)、ハーウィヤ(欲望、落ちる、道楽する)、ハタマ(残骸、破壊)



・地獄の深さと熱さについて

≪私たちが、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)と一緒の時、なにかが落ちる音を聞きました。預言者(صلى الله عليه و سلم)が「なんの音かわかりますか」と言われたので、私たちは「アッラーとそのみ使い(صلى الله عليه و سلم)だけが、最もよくご存知です」と言いました。み使い(صلى الله عليه و سلم)は、その折、「これは七十年も前に地獄に投げこまれた石の音です。それがずっと地獄の中を落ちつづけ、今地獄の底に着いたのです」と言われました。≫ムスリム伝承

≪預言者(صلى الله عليه و سلم)は「アダムの子孫が燃やすあなた方の(この世の)火は、地獄の全業火の70分の1程度の熱さにすぎない。」と言われた≫  ムスリム伝承

・地獄の罰の性質:

1. 常に続く罰:【かれらの皮膚が焼け尽きる度に、われは他の皮膚でこれに替え、かれらに(飽くまで)
懲罰を味わわせるでしょう。】クルアーン 婦人章 56節

2.地獄の食べ物はどんなもの?

①【その時あなたがたは(どうであろう)、迷って(真理を)虚偽であるとした者よ。必ずあなたがたはザックームの木(の実)を食べ、それで満腹になるでしょう。】クルアーン 出来事章 51,52節

【それは地獄の底に生える木で、その実は、悪魔の頭のようである。かれらはこれを食べて、腹はそれでいっぱい。】クルアーン 整列章 64-66節
ザックームの実:そのひとかけらがこの世に落ちたら、この世の食べ物全てを腐らせるほど強力な実。

②【かれらには苦い茨の外に、食物はなく、それは栄養にもならず、飢えも癒せない。】クルアーン 圧倒的事態章 6,7節 
ダリーウ:とげがあり、毒を持つ植物。動物さえそれには近寄らない。

③【その日かれは、そこに友は無く、また、穢しい腐敗物の外に食物はない。それを食べるのは、罪人だけである。」】クルアーン 真実章 35-37節
ギスリーン:地獄で焼かれる人たちから流れ出る膿

3.地獄の飲み物の種類は?

【この者の後ろは地獄であって、汚らわしい水を飲まされる。かれはそれを飲み込もうとするが、なかなか飲み込めない。また死が凡ての方向から迫るが、かれは死にもしない。尚かれの後ろには容赦のない懲罰がある。】クルアーン イブラーヒーム章 16.17節

【本当にわれは、火を不義者のために準備している。その(煙と炎の)覆いは、かれらを取り囲む。もしかれらが(苦痛の)軽減を求めて叫ベば、かれらの顔を焼く、溶けた黄銅のような水が与えられよう。何と悪い飲物、何と悪い臥所であることよ。☆信仰して善行に勤しむ者には、本当にわれは、(唯)一つの善事にも、必ず報奨を空しくしない。これらの者にはアドン(エデン)の園があろう。川が下を流れ、そこで黄金の腕輪で身を飾り、美しい緑色の絹の長い衣や、厚い錦を装い、高座にゆったりと身を託す。何と幸福な恵み。何とよい臥所よ。】クルアーン 洞窟章 29―31節

アッラーが私たちに地獄の恐ろしさをこと細かく何度も繰り返しクルアーンやハディースでおっしゃるのは、何のためでしょうか。小さなお子さんが、交通事故にあうのを恐れるお母さんは、お子さんが外に出るときに、信号をちゃんと守るように、車には気を付けるようにと、口をすっぱくして教えませんか?小さなお子さんが針を出して遊んでいたら怒りませんか?窓から身を乗り出していたら、窓を開けたらだめ、としかりませんか?たたいてでも教えませんか?何のためでしょう?

私たちへのアッラーの大きな愛に気が付きましょう。地獄の記述を繰り返し読むたびに、またその恐ろしさや気持ちの悪さを聞くたびに、それをこの世で私たちに伝えてくださっているアッラーが、どんなに私たちのことを愛しているか。あの世ではなく、この世で私たちに知らせてくださっているアッラーが、私たちにどんなにそこに行ってほしくないと思って、繰り返し教えてくださっているかを考えましょう。無事に私のところへ来るんですよ、この世に騙されずに、あなたたちは頑張って私のところへ来るんですよ、とアッラーは繰り返しクルアーンの中でおっしゃっています。

→ 次回は、最後の審判の日に対する信仰の効果、إن شاء الله

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


【最後の審判の日 ― 報奨その2】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパ(生きているものがすべて死ぬ) → ④2回目のラッパ(全員復活) → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場) → ⑥全人類の結集  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧アッラーから記録書の授与 → ⑨自分の行いがはかりにかけられる → ⑩スィラート(地獄にかかる橋)を渡る → ⑪報奨 天国について


⑪ 報奨その2


質問:「ライヤーン」は、断食をしている時に亡くなった人が入る門か、常にスンナの断食をいつもたくさんしていた人が入る門か?

答:その人の人生の中でもっとも多い善行が、断食だったという人が入ります。人と比べて誰よりもたくさんしていた人が入るというわけではなく、あくまでもその人の人生の中で、どの善行が多いかによって、どの門から呼ばれるかが決まります。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

≪アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は「アッラーの道のために一対のものを捧げた者は『おおアッラーの下僕よ』と呼ばれて天国に招き入れられます。これは素晴らしいことです。また礼拝を規則正しく行っている家族の者は礼拝の門から招き入れられます。聖戦に参加した家族の者は聖戦の門から招き入れられます。サダカを行っている家族の者はサダカの門から招き入れられます。断食を行っている家族の者はライヤーン(注)の門から招き入れられる」と申されました。
アブー・バクル・シッディーク(رضى الله عنه)は
「アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)よ、人はどうしてもそれらの門の一から呼ばれて入らねばならないのでしょうか。
人はそれらの門だけから入るのでしょうか」と尋ねました。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は、
「その通り、私はあなた方がその人々の一人であるよう願っている」と仰いました。≫ムスリム伝承

一対のもの:銀と金、牛ニ頭や馬二頭、奴隷二人など、対にしてサダカするという解釈と、全ての崇拝行為、例えば、礼拝を2回することや、断食を二日することなどという解釈もあります。

天国にあるもの

2.高く構えた部屋

【だが主を畏れる者に対しては、館の上に高楼(高く構えた部屋)があり、その下には川が流れます。アッラーの御約束である。アッラーは決して約束を破られません。】聖クルアーン 集団章 20節

この部屋というのは、高い城のことです。

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこの城が誰のものかと尋ねられて、こう言われました。

≪良い言葉を話し、食べ物を与え、夜、人々が寝ている時に。礼拝をした人のものです。人々が寝ている時に。≫
ティルミズィー伝承

《「天国の信者は、彼らの上層に住む人々を彼らよりも秀れた人たちであるため、丁度、東や西の空の方角に輝きながら移動する星を眺めるように仰ぎ見ます。」
人々が「み使い様(صلى الله عليه و سلم)、そこは預言者たちだけの住む所で、彼ら以外には行けない場所なのですか」とたずねると、み使い(صلى الله عليه و سلم)は、「いや、私の生命を御手にされる方に誓って!アッラーを信仰し、その御言葉を信ずる者らは誰でもそこに行くことができます。」と言われました。 》
アル=ブハーリーとムスリム伝承

天国にあるもの

3.大きな木:

質問:天国にある大きな木はどのくらい大きいでしょうか??

答え:預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

《天国には、乗り手がその日陰を100年旅しても踏破できないほどの距離を持つ一本の樹があります。 》
アル=ブハーリーとムスリム伝承


天国にあるもの

4.果物:
【長く伸びる木陰の、絶え間なく流れる水の間で、豊かな果物が絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。】聖クルアーン 出来事章 20節

【かれらは、錦を張り詰めた寝床の上に寄り掛かり、楽園の果物は近く(手の届く所)にあろう。それであなたがたは、主の恩恵のどれを嘘と言うのか。】聖クルアーン 55慈悲あまねくお方章 54、55節

質問:天国というと必ず出て来る果樹園、この果樹園に、この世にいながら行くことができる方法があります。さて、それは何でしょうか?

預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

≪病人を見舞う者は戻るまで、いまだ天国の果樹園に居ます。≫ ムスリム伝承

天国にあるもの

5.市場

質問:天国の市場に行って帰ってくると、人々はどうなりますか?

≪天国には人々が毎週金曜日に集まる市場があります。そこでは、北風が吹いて、彼らの顔や衣服の上に芳香をまき散らし、彼らの魅力と美しさを増加させます。このような魅力や美を増した彼らが家族の許に戻ると、家族の者たちに『アッラーに誓って!あなたたちは、外出してから、一層、魅力的で美しくなりました』と言われるが、彼らはそれに対し『アッラーに誓って!留守の間にお前たちも魅力的で美しくなった』と言うことだろう≫
ムスリム伝承

天国にあるもの

6:家族

天国は、一人で住むところではありません。永遠の伴侶や子供達、家族と一緒に暖かな家庭の中で暮らします、إن شاء الله


【信仰する者たち、またかれらに従った信心深い子孫の者たち、われは、それらの者を(楽園において)一緒に
します。かれらの凡ての行為に対し、少しも(報奨を)軽減しないであろう。誰もがその稼ぎにたいし、報酬を受けます。またわれは果物、肉、その外かれらの望むものを与えよう。かれらはそこで互いに杯を交そう。その時にも虚しい話にふけることなく、乱暴も犯しません。】聖クルアーン 山章 21-24節

信仰する者と、その子孫を一緒にするという記述は、敬虔な親を持つ子供達は、彼らの善行が親の善行に届かなくとも、親のいる天国に入ることができる、という意味です。イブン・カシールのタフシール(クルアーン解説書)の中には、こうあります。「預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はおっしゃいました。≪もしある男が天国に入ると、彼の両親と妻と子供のことを尋ねます。するとこう言われます。「実に彼らは、あなたの位には追いつかなかったのですよ。」すると、男はこう言います。「ああ、主よ。私が善行を行ったのは、自分と、そして彼らのためです。」すると彼らは、彼に追いつくように命じられます。そして、イブン・アッバースは、【信仰する者たち、またかれらに従った信心深い子孫の者たち、われは、それらの者を(楽園において)一緒にします。】という節を読みました。これは、至高なるアッラーが、両親の善行の祝福によって、その子供達に与えられる恩恵です。一方、子供達の行いの祝福により両親に与えられる恩恵については、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこうおっしゃっています。≪実にアッラーは、天国において敬虔な僕の位を高められます。そして、彼はこう言います。「ああ、主よ。本当にこれが私のものですか?」すると、こうおっしゃいます。『あなたの子供があなたのためにしたイスティグファール(アッラーにお許しを請うこと)によるものです。』」イマーム・アハマド伝承

これを裏付けるムスリム伝承の別のハディースがあります。

≪もしもアーダムの息子(人間)が亡くなったら、次の三つのもの以外の彼の行いは断ち切られます。サダカ・ジャーリア(続くサダカ。本や井戸を寄付したりして、その恩恵をまだ人々が受け続けるサダカ。)、それによって役立つ知識、敬虔な子供が彼のためにするドゥアー。≫ ムスリム伝承

 クルアーンの中には、これに限らず、様々な天国の描写があります。お給仕をする永遠の少年、サルサビールと言う泉、美しい洋服、銀のブレスレット、銀の水差しとコップ、生姜の入った飲み物、などなど。一部をご紹介します。
【 かれらが耐え忍んだので、かれは楽園と絹(の衣)でかれらに報われ、その(楽園の)中で、寝床の上にゆったりと身を伸ばし、かれらは酷暑の太陽も、凍る寒気もおぼえないであろう。(樹木の)木陰はかれらの上を覆い、(果実の)房は慎ましく垂れ下る。銀の水差しとガラスの杯は、かれらの間に回されよう。ガラス(の杯と見えたの)は銀で造られていて、かれらは好みの量をそれに満たす。かれらはそこで、生姜を混ぜた杯の飲物を与えられよう。そこに、サルサビールと名付けられる泉がある。また永遠の少年たちがかれらの間を往来し、あなたがかれらを見ると、捲き散らされた真珠であると思うであろう。あなたは視線を向けると至福の壮大な王国を認めるであろう。かれらは美しい緑色の絹と錦の外衣を纒い、銀の腕輪で飾られ、主はかれらに純良な飲物を飲ませられる。「本当にこれはあなたがたに対する報奨である。あなたがたの努力が受け入られたのである。」(と仰せられよう)。われこそは、段階をおってあなたにクルアーンを下したものである。だから(伝道に専念し)、あなたの主の審判を耐え忍んで待て。かれらの中の罪ある者や、不信心者に従ってはならない。朝な夕なあなたの主の御名を唱念しなさい。そして夜の一部をかれにサジダし、長夜のしじまに、かれを讃えなさい。】聖クルアーン 76人間章 12-26節

→ 次回は、إن شاء اللهこの天国に、真っ先に入る人と一番最後に入る人について。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


【最後の審判の日 ― 報奨】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم
                                            
前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパ(生きているものがすべて死ぬ) → ④2回目のラッパ(全員復活) → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場) → ⑥全人類の結集  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧アッラーから記録書の授与 → ⑨自分の行いがはかりにかけられる → ⑩スィラート(地獄にかかる橋)を渡る



⑪報奨


 前回の講義では、スィラート(地獄の上にかかる橋)を渡ることによって、人々は2種類のグループに分かれることがわかりました。スィラートを渡れなかった人たちは橋から落ちて地獄へ、渡れた人は天国へという2グループです。これは、この世で私達がする行いによる結果です。このしくみについて、まずは次の2つのことを確認しておきましょう。

1.天国の恩恵と地獄の罰は、魂だけが受けるのではなく、体も受けるものである。:

復活も、結集も、清算も、すべては、魂だけのものではなく、体を伴ったものです。

2.天国も地獄も、一度入ったら、一部の例外を除いて、永遠にそこに住むことになる。:

アッラーは、天国と地獄に永遠に住み続けることについてこう仰いました。

【その時、みじめな者たちは、火獄の中にいよう。その中でかれらは、ため息とすすり泣き(に喘ぐだけである。あなたの主の御好みにならない以上、天と地の続くかぎり、その中に永遠に住むであろう。本当にあなたの主は、お望みのことを(必ず)成し遂げられる。(その日)幸福な者たちは楽園に入り、あなたの主の御好みによる以外、天と地の続く限り、その中に永遠に住むであろう。限りない賜物である。】聖クルアーン フード章106-108節

【本当に信仰を拒んで不信者として死ぬ者たち、かれらの上にはアッラーの譴責と、天使たちおよび全人類の呪いがある。かれらはその中に永遠に住むであろう。その懲罰は軽減されず、また猶予もないであろう。】聖クルアーン フード章161-162節

「一部の例外」というのは、地獄に入っても永遠に住むことにならない一部の例外的な人たちのことです。それは、誰だかわかりますか?

罪を犯したムスリム達です。彼らは、もしアッラーがお許しくだされば、そのまま天国に入ることができますが、もしお許しくださらなければ、この世で行なった悪事の罰として地獄に一旦入ってから、この世で持っていた信仰(イーマーン)の報奨として天国に行くことになります、إن شاء الله地獄に永遠に留まるムスリムはいません。彼らの永遠の住処は、最終的には天国です、إن شاء الله。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

《「『アッラー以外に神はない』と証言する者は、たとえ心に僅か大麦粒の重さほどの善意を持つ者であっても、業火から連れ出されるだろう。
また『アッラー以外に神はない』と証言する者は、たとえその心に小麦粒の重さほどの善意を持つ者であっても、業火から連れ出されるだろう。
更にまた『アッラー以外に神はない』と証言する者は、たとえその心に微塵の重さほどの善意を持つ者であっても、業火から連れ出されるだろう」》アルブハーリーとムスリム伝承

《執り成し役を許された人々は『アッラー以外に神はない』と証言し、心の中に大麦粒の重さほどの善意を持つ者であれば、それらの者が地獄から出られるよう、アッラーに懇願する。その結果彼らは天国の庭園に連れ出される。住民らが彼らの上に水を注ぎかけると、彼らは洪水の中で種が新芽をふきだすように蘇生し、焼けどの跡も消え去ってしまう。その後、彼らは主に懇願し、この世界の数々の恩恵を共々10倍にして与えられるのである」》ムスリム伝承

《私が主にむかって平伏すると、主は『ムハンマドよ。顔を上げよ。言うことがあれば聞きとどけ、願いごとがあればかなえ、執り成すことがあれば受け入れるであろう』と仰せになるでしょう。私が「主よ、私の民(ウンマ)を! 私の民を!」と言うと、
主は
一回目:『行って、心に小麦粒や大麦粒の重さほどでも信仰を持つ者があれば、地獄から連れだすように』とお命じになることだろう。
二回目:『行って、心にからし種の重さほどでも信仰を持つ者があれば、地獄から連れ出すように。』
三回目:『行って心の中に極く極く最少のからし種の重さほどでも信仰を持つ者があれば、地獄から連れ出すように”四回目:それで私が“主よ、アッラー以外に神はない と告白した者に対する権限を私にお与え下さい”と申しあげると、主は“心底からそれを告白したかどうかを識別することはお前の役目ではない(もしくは、お前に課せられた仕事ではない)。ともあれ、私の名誉、栄光、威厳、そして権力にかけて申すが、アッラー以外に神はない、と告白した者を私は必ず地獄から連れ出すであろう”といわれる』」》 ムスリム伝承

 こうして、天国の住人がすべて地獄から出されて天国に入り、地獄にもそれにふさわしい人しかいなくなったときに、両方に向って、そこに永遠に住むことが告げられます。

 《「アッラーは天国に入るべき者らを天国に入らしめ、地獄に入るべき者らを地獄に入らしめました。その後、告知役の者が、彼らの間に立って、『天国の住民たちよ、お前たちには“死”はない。地獄の住民たちよ、お前たちには“死”はない。お前たち全ての者は、そこで永遠に過すことだろう』と告げます。」》ムスリム伝承

質問:天国と地獄は、現在すでに存在しますか?

答え:スンニー派の学者達は、天国と地獄はアッラーの被創造物で、現在すでに存在するとしています。その証拠としては、
1.アーダム様(عليه السلام)とハワー様が天国に住んでいたというクルアーンの記述から。
2.聖クルアーンでも、すでに天国、地獄が人々のために用意されていると過去形で述べられているため。
【人間と石を燃料とする地獄の業火を恐れなさい。それは不信心者のために用意されています。】
聖クルアーン 雌牛章24節
【あなたがたの主の御赦しを得るため、競いなさい。天と地程の広い楽園に(入るために)。それは主を畏れる者のために、準備されています。】聖クルアーン イムラーン家章 133節

質問:天国とは?どこにありますか?

答:アラビア語では「ジャンナ」と言い、元の語源は、「 ن ن ج 」で、この意味は、「覆う」です。天国は緑が多くて、覆われているという感じでしょうか。アラビア語で天国「ジャンナ」という単語の意味は、木々で覆われた庭園という意味です。

 天国の定義は、「アッラーが、ご自分の僕達の中の善良な者たちに、約束された、来世のすみか住処」です。

では、天国の場所がどこにあるか?というと、七つの天の上にあります。その頂上にあるものは、アッラーの玉座です。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)がイスラーとミーラージュで旅をされたときに、七つの天の上でジブリールに会ったときのことが、こうクルアーンに記述があります。

【本当にかれ(ムハンマド)は、再度の降下においても、かれ(ジブリール)を見たのである。(誰も越せない)はて涯にある、スィドラ木の傍で。そのそばに終の住まいの楽園があります。】聖クルアーン 星章 13-15節
 
七つの天の上にあるスィドラ木のそばに天国があるということです。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

 《天国には100の段階があります。それぞれの段階の間は、空と大地の間ほどあります。フィルダウスは、その最も高い段階です。そこから、天国の4つの川が流れ出し、その上には、アッラーの玉座があります。あなた方がアッラーにお願いする時には、フィルダウスを望みなさい。》ティルミズィー伝承

質問:天国に入るには、いくつの扉があるでしょうか?

答:8つの扉があります。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。
《天国には8つの扉があります。その中にライヤーンという名の扉があり、断食をしている人以外は入ることはできません。》アル=ブハーリーの伝承

《天国にはライヤーンと呼ばれる門があり、復活の日、断食を行っている者はその門より入り、彼等以外の者は一緒に入ることはできません。そこでは先ず『断食をしている者達はどこか』という呼び掛けがあって、彼等はそこより入って行きます。そして彼等の最後の者が入った時、その門は閉じられ(その後は)誰一人入ることはできません。》ムスリム伝承

質問:天国の鍵は何でしょうか?

答:「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はいない。)」という言葉です。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

《天国の鍵は、アッラー以外に神はいない、というシャハーダ(証言)です。》ティルミズィー伝承
 
質問:天国には、どんなものがありますか?

答:天国にあるもの

1.建物
預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はこう言われました。

「アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)さま、人間は何から創られましたか?」と尋ねると、《液体からです。》と仰いました。「天国の建物は?」と尋ねると、《銀のブロックと金のブロックです。そして、壁に塗られているのは、最も香り豊かなじゃ香で、(天国の)小石は真珠と宝石、(天国の)土は、サフランです。》ティルミズィー伝承

→ 次回は、天国にあるものと天国にはいる人たちについて、
إن شاء الله


アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


【最後の審判の日 ― 秤&スィラート(道)】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم
                                            
最後の審判の日 ― ⑨ 秤(はかり)


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパによって、生きているものがすべて死ぬ → ④次のラッパによって、全員復活、再生する。 → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場)で、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にお会いする。 → ⑥全ての人類が結集され、自分の清算の番を待つ。  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧最も公正なアッラーの前に、整列し、記録書を受け取り、清算が始まる


⑨秤(はかり)


最後の審判の日、私達のこの世の行いが全て計られる秤があります。私たちがこの世で行った悪行と善行、その全てが、その秤の上に載せられます。その秤は、最も公正なアッラーが、精巧にお創りになったもので、狂いもなく正確で、間違えるということが決してありません。

【私は審判の日のために、公正な秤を設ける。1人として仮令芥子一粒の重さであっても不当に扱われることはない。私はそれを(計算に)持ち出す。私は清算者として万全である。】クルアーン 預言者章 47節

【 秤はその日、真正である。(善行の)目方の重い者は、成功する者である。また目方の軽い者は、わが印を軽んじたため、自分を損なう者である。】クルアーン高壁章8~9節日訳P179

 このときに秤の上に載せられる物は、私達の記録書か、行いそのものなのか、どちらでしょうか?大多数の学者の一致するところによると、それは、本ではなく、行いそのものです。その証拠として、以下のハディースをあげています。

《清潔は、信仰の半分です。「アル=ハムドゥリッラー(アッラーに全ての称賛あれ)」は、秤を満たします。「スブハーナッラーヒ ワ=ル=ハムドゥリッラー(アッラーに讃えあれ、アッラーに全ての称賛あれ)」は天と地の間を満たします。 》ムスリム伝承

《慈悲深きお方にとって愛しい言葉で、舌にとっては軽い言葉で、秤にとっては重い言葉は、「スブハーナッラーヒ ワ ビハムディヒ スブハーナッラーフ=ル=アズィーム(アッラーに讃えあれ、全ての称賛はアッラーのもの、偉大なるアッラーに讃えあれ。)」です。》アルブハーリーの伝承

 これらのハディースにあるのは、秤の上に、記録書が置かれるわけではなく、直接、「スブハーナッラー」と私たちが唱えた言葉が置かれる、という表現だからです。

 そして、その日、自分の行いをすべて秤にかけられる人々は、3種類の人に分かれます。

種類1)悪行よりも、善行の天秤の皿が、重かった者。この人たちは天国の住人になります。アッラーは仰いました。
【それで、かれの秤が(善行で)重い者は幸福で満ち足りて暮らすであろう。】クルアーン 恐れ戦く章 6、7節

種類2)善行よりも、悪行の天秤の皿が、重かった者。この人たちは地獄の住人になります。アッラーは仰いました。
【だが秤の軽い者は、奈落が、かれの里であろう。それが何であるかを、あなたに理解させるものは何か。(それは)焦熱(地獄)の火。】クルアーン 恐れ戦く章 8-11節

種類3)善行の皿と、悪行の皿が、まったく釣り合ってしまった者。彼らの行く先は、至高なるアッラーに一任されます。

 この秤は、どういう秤なのでしょうか。私たちはこの世で、いろいろなものを測るのに多くの器具があり、それぞれの器具には特有の役割があり、構造も違います。温度計・質量計・血圧計など様々です。讃えあるアッラーは、人間の行いを測る事ができる器具、秤を存在させる能力を当然のことながら持っています。そしてこの秤の真実は、讃えあるアッラーの知識に一任されているもので、私たち人間の頭で考えて知ることができるものではないことは確かです。


⑩スィラート(道)


秤にかけられた後、人々はスィラートと呼ばれる道へと向います。

1.スィラートの意味
アラビア語で、スィラートというのは、「道、進路」のことです。この世では、スィラートというのは、アッラーが、従うよう人間に命じているルールのことです。

【本当にこれはわれの正しい道である、それに従いなさい。(外の)道に従ってはならない。それらはかれの道からあなたがたを離れ去らせよう。このようにかれは命じられる。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。】クルアーン 家畜章 153節

また、来世では、最後の審判の日に、地獄の炎の上にかかっている橋のことです。全ての人間は、その橋をわたらなければなりません。信仰者は、それぞれの行いによってそこから救われ、そうでない者達は地獄の炎に落ちていきます。クルアーンでもそのことをこう説明しています。

【そしてあなたがたの中一人もそれを通り越せない。これはあなたがたの主が、成し遂げられる御神命である。それから、われは主を畏れる敬虔な者たちを救い出し、不義を行った者はそこにひざまづいたままで放って置こう。】クルアーン マリヤム章 71,72節

2. スィラートの特徴

①足がとても滑りやすい橋である。
《その後、地獄の上に一本の橋がかけられ、執り成し(弁護者)が許されるが、彼らはこの折『主よ、安全を守り給え。ご加護をお願い致します!』と述べることでありましょう」人々が「それはどんな橋ですか」とたずねると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は「すべりやすい所で、ここには鉤(かぎ)や鉄串(てつぐし)、それにナジュド地方でサアダーンと呼ばれているとげの樹のような針などが付いています」といわれ、また次のように話を続けられた。「ともあれ信者らはその橋を、雷、または風、或いは鳥、更には速い馬やらくだのように、まばたきする間に通ってしまいます。或る者らは安全に、或る者らは鉤(かぎ)でひっかけられながらも通り抜けるが、とらわれて捕われて地獄の火中にひとまとめに落される者らもいます。また信者らの中には更にその業火から救出される者もいます。》アルブハーリーとムスリム伝承

②髪の毛よりも細く、刀の先端よりも鋭い橋である。
預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

《私はその橋が髪の毛よりも細く、剣よりも鋭いと聞きました。》ムスリム伝承

3.スィラートの超え方

預言者ムハンマド様(صلى الله عليه و سلم)とそのウンマ(共同体)が、一番最初にそこを渡ります。

《 その後地獄の業火の上にかけられた一本の橋の上を、私と私の信徒たちは最初に渡ることになりますが、その日には使徒たち以外には誰も声を発する者はなく、その日の使徒たちの祈りも『アッラーよ、安全をお守り下さい。無事をお願い致します。』という言葉のみでありましょう」地獄には、サアダーンの樹のとげのように長い鉄製の鉤(かぎ)が置かれている。アッラーのみ使いは「サアダーンの樹を知っていますか」とおたずねになり、彼らが「はい」と答えるとこう言われた。「まことにこれらの鉄鉤(てつかぎ)は、サアダーンの樹のとげにも似ていますが、アッラー以外にその大きさについて知る方はおられない。これらの鉤(かぎ)が悪行を犯した者を捕らえるのです。信者のうち、善行者は捕らえられることはなく、その善行の故に救済され報奨される者もいます。》ムスリム伝承

また信仰者はその橋を渡るときに、光が照らし、困難なことは何もありません。クルアーンにある通りです。

【その日あなたは、信者の男と信者の女の、前の方や右側に、かれらの光が走るのを見るであろう。(かれらには言われよう。)「今日は、あなたがたへの吉報がある。川が下を流れる楽園のことである。永遠にその中に住むのである。それこそは、本当に偉大な幸福の成就である。」】クルアーン 鉄章 12節

 これらの人々は、この橋をいとも簡単に、雷のように、突風のように、鳥のように渡ります。それぞれのこの世での行いとイフラース(その行いをアッラーの為に純粋にしたかどうか)に応じて、橋を渡る早さは違います。

《それで人々は主の後に従って一緒に進み出すのである。その後、偽信者、篤信者の別なく全ての人々は明りを持たされ、彼に従って地獄の橋の上に行くが、そこにはアッラーが命ずるものを捕らえるための鉤(かぎ)や大串が用意されている。ここで偽信者らの明りは消える。そして篤信者らのみは救済されることになる。こうして救われた最初の一団は七万人にも及び、彼らの顔は満月の夜の光のように喜びに輝く。彼らは罪を問われることはないのである。続いて彼らのあとに従って橋をわたった者らも喜びのため、天空で最も明るい光を放つ星のような顔を見せる。》ムスリム伝承

一方、不信仰者たちは、足が滑ってどうしてもその橋を渡りきることはできず、次々と地獄へ落ちていきます。ウドゥーで足を洗う時のドゥアーにも、この時のことをアッラーにお願いするドゥアーをしながら洗います。右足を洗う時には、
اللَّهُمَّ ثَبِّتْ قَدَمَيَّ على الصِّراطِ المُستَقِيمِ مَعَ أَقْدَامِ عِبادِكَ الصَّالِحِين アッラーフンマ サッビトゥ カダマイヤ アラ=ッ=スィラーティ=ル=ムスタキーム マア アクダーミ イバーディカ=ッ=サーリヒーン」(アッラーよ、どうか私の両足を、あなたの誠実な僕達の足と共に、まっすぐな道に固定してください。)
左足を洗う時に、
اللَّهُمَّ إِنِّى أَعُوذُ بِكَ أَنْ تَزِلَّ قَدَمَيَّ عَلَى الصِّراطِ فِي النَّارِ يَومَ تَزِلّ أَقْدَامُ المُنَافِقِينَ وَ المُشرِكِين アッラーフンマ インニー アウーズビカ アン タズィッラ  カダマイヤ アラ=ッ=スィラーティ フィ=ン=ナーリ ヤウマ タズィッル アクダーム=ル=ムナーフィキーナ ワ=ル=ムシュリキーン」(アッラーよ、私は、あなたに、偽信者や不信者達の足が滑る日に、私の両足がスィラートから地獄に滑ることからの、ご加護を求めます。)
と言います。

4.スィラートにおける英知とその恐怖

全ての人が通らなければならないスィラートは、この世での、アッラーのお決めになられたイスラーム法のルールの象徴です。誰でも、この世で、ハラールのものだけを取り、アッラーが禁じられたハラームの物を避けて、アッラーの道からそれることなく、自分の生活を窮屈にさせた者の前には、地獄の炎の上にかかる橋が、広々と広がり、橋から落ちることはありません。反対に、誰でも、この世で楽々と、自分の欲するものだけを取って、それがハラールかハラームか気にかけず、気楽な生活を送って、アッラーのお決めになった限界を超えていた者には、明日、目の前のそのスィラートが、狭く通ることのできない橋になるでしょう。


→ 次回は、⑪報奨 について、إن شاء الله

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام