満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

ナフス(自我)の浄化

2006-09-14 | ドゥ’アー
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

اللهُمَّ آتِ نَفْسِي تَقْوَاهَا وَ زَكِّيهَا أَنْتَ خَيْرُ مَن زَكَّهَا أَنتَ وَلِيهَا وَ مَولاَهَا

アッラーフンマ アーティ ナフスィー タクワーハー ワ ザッキーハー アンタ ハイル マン ザッカーハー
(アッラーよ、アッラーを畏れ敬い、清められた自我を私にお与え下さい。あなたこそ、自我を清める最も優れた御方であり、自我の保護者であり、支配者であられます。)

何か事をするときは、アッラーのためにするというニーヤ(意図)を持ちましょう。その際に次のドゥアーを言うといいのですが、いい忘れたら、朝夕2回言いましょう。

نَوَيْتُ طَاعَةَ اللهِ وَ َالتَّقْوَى عَلَيهَا هَذَا الْيَوْم

ナワイト ターアタ=ッ=ラーヒ ワッタクワー アライハー ハーザ=ル=ヤウム

(本日、アッラーへの恭順と畏れをもって行うことを私は意図しました)


人に褒められたとき、どうしても調子に乗りやすいので、その時にはこのアブー・バクルさま(رضى الله عنه)のドゥアーを言いましょう。

اللهُمَّ اِجْعَلْنِي خَيْراً مِمَّا يَظُنُّونَ وَ اغْفِرْلِي مَا لاَ يَعْلَمُونَ

アッラーフンマ=ジュアルニー ハイラン ミンマー ヤズンヌーナ ワ=グフィルニー マー ラー ヤアラムーン

(アッラーよ、彼らが思っているよりも私をよりよくしてください、そして彼らが知らないことについて私をお許しください)

ナフス(自我)を浄化するためには次のことを留意するといいかもしれません。

これは、尊敬するシスターのメールからの転記です。

①周りの人と比べて、アッラーの御前では、常に自分が一番最低の人間だと思う、又は他人のほうが常に自分より優れていると思うことです。

ー相手が非ムスリムの場合、その人が死ぬ前にムスリムになったらあるいは死ぬ直前にムスリムになったら、罪が全て消えるので、その人より前にムスリマになって罪を重ねている自分より、上の天国に入れるから。

ー相手がムスリムで自分より新しいムスリムの場合、その人のほうが自分より罪が少ない

ー相手がムスリムで自分より古いムスリムの場合、その人のほうが年上だから敬意を表すべき、あるいは自分より長い間善行を重ねている、あるいは自分よりアッラーのことを長く崇拝してきている、あるいは自分より知識や経験があると考える

②ある話(詳細は忘れたので正確ではないかも)
昔、傲慢な、土地の支配者がいて、道を歩くときには皆怖がって彼のために道を空けていましたが、ある日、一人の男が彼の通る道を空けなかったので、彼はその男に尋ねました。「私が誰か知っているのかね?」するとこの男はこう答えました。「イヤー、よく知ってます ;よ。あなたは、もともとは不浄な精液で、その最期は、数日後には誰も見向きもしない腐った死肉で,その二つの間はお腹に汚い排泄物を詰めて運んで歩いている方でしょ。よく知ってますよ。」 するとその支配者は、その通りだと、自分が威張っていたことが恥ずかしくなってこそこそといってしまいました。

このように、我々人間は、どんな地位にあろうと、どんな功績を挙げようと、元はこの支配者と同様の汚い存在で、それをアッラーの御慈悲で、イスラームを与えていただいて、又さまざまな機会や能力を授けて頂き、、時には天使より優れた地位にまで高められていただいているわけです。それは自分の力でもなんでもなくすべてアッラーから来ているもので、あなたがそれを誇る理由はありません。それよりも、まずそれを与えてくださったアッラーに感謝し、なぜアッラーがその能力などを与えてくださったか、何に使えとおっしゃっているかを考え、アッラーがお喜びになることに使わなければ逆に罰せられて当然です。

③イスティドラージュまたは試験と考える
ーイスティドラージュとは、アッラーが悪人を罰するため、わざとたくさんのニアマ(恩恵)を与え、その悪人がより傲慢になった時、あるいはそれらのニアマにおぼれてそれらから離れがたくなったときに、いきなりそれらを奪い去り罰を与えるというものです。ですから本当の信仰者は、ニアマが来たとき、感謝すると同時に、自分がこのニアマに値するわけはないので、これはイスティドラージュなのではと恐れ、ニアマが来るとよけいイバーダートに励んだり、イスティグファール(アッラーに赦しを請うこと)をしたりして、前よりももっと身を正したりします。

ー試験
ニアマが来たときに、これはアッラーが、私が傲慢になるか、それともニアマに対してそれを下さったアッラーに感謝するかをお試しになっていると考えます。

④自己満足→傲慢→妬み
自分はよくやってるなーとか、自分はうまくできたなと思ったときは要注意です。それは自己満足で(ウジュブ)、自己満足はやがて他人に対する優越感(キブル)となり、優越感があると、自分より下と思っていた人にニアマがきたときに許せなくなって、妬み(ハサド)につながりかねません。妬みは、アッラーが定めた、富やニアマの分配、つまりカダーとカダルに異議を唱えることになります。この3つの性質はシャイターンの持っている性質で、シャイターンが天国から追放され地獄行きとなる原因となりました。これらの性質をなくす努力がタズキヤ(魂浄化)と呼ばれます。それはイスラームの基本です。より詳しく知りたい方は、イマーム ガッザーリー のイフヤー ウルームッディーンを参照ください。

この自己満足を持たないためには、成功したときには、それを自分に帰せず、常にそれを実現させてくださったアッラーに帰して感謝することです。

⑤イスティグファール(アッラーに赦しを請うこと)と感謝
この二つを常に行っていれば、おごることはあまりないでしょう。イスティグファールする罪がないと思ったら、そう思ったこと自体が罪で、イスティグファールが必要です。

⑥人からほめられたとき
人からほめられると人間はおごりがちです。そういう時は、次のように考えます。自分にはそのほめられた面以外に、たくさんの欠点があって、それを知ったらそのほめた人は自分をさげすむに違いないのに、アッラーがその欠点を全て隠してくださり、数少ないよい面(それすらアッラーが与えてくださって自分で築いたものではない)を周りの人々に見せてくださった、そのことにまず感謝をしなければならない。 又、アッラーが隠してくださった面を出さないようにその悪い面をなくすよう努力し、アッラーが人々に見せかけてくれたよい面が自分の真の姿となるよう努力することも大切です。

知識をつければつけるほど、シャイターン達の長である、イブリースの高慢さに近づくという道もあることを、自分自身、肝に銘じておかなければ、と思います。
本当に、イスラームは、奥が深いです。アルハムドゥリッラー。


私も「初心に帰る」と言う言葉がありますが、常にニーヤを確かめ、ナフス(自我)が調子に乗らないように、浄化に努め、来るラマダーンは、浄化された状態で臨めたらと思います。

アッラーのご加護がありますように

والسلام

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