満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその37

2013-03-03 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

現世の生活(さまざまなハディースより⑫)


《アブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い様(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「現世は、信者に牢獄、不信仰者の天国です。」》(ムスリムによる伝承)(注:信者には、不信仰者とは異なり、信仰上様々な規則や義務が課せられることを意味する。)




 牢獄とは、罪人を監禁する所であり、一日中拘束され、自由な行動はできず、看守の指示に従い、座ったり立ったり、与えられた食べ物を飲み食いしなければなりません。命令に従わない場合は罰を受けます。訳注では、信仰者には宗教的義務や規則があり、それに従わなければならないから、現世は牢獄だとしています。

 しかし、慈愛あまねくアッラーが、この世で牢獄の生活をさせるために、人間を創ったのではないので、このハディースは、来世での天国の素晴らしさを強調するために、現世は牢獄にようだという表現をしたものと私は理解しました。また不信仰者の天国という言い方も、来世での地獄の苦しみと比較すると、現世での苦難は天国のようなものだと思います。つまり、天国で祝福された生活は、現世の幸福とは比べものにならないほど大きく、現世での苦難は来世の懲罰に比べたら、取るに足らない事ということです。

 クルアーンには、天国や地獄についての記述がいくつもあります。たとえば、
 【現世の生活の楽しみは、来世に比べれば微少なものに過ぎない。】(9-38)【現世の生活は、遊びか戯れに過ぎない。だが主を畏れる者には、来世の住まいこそ最も優れている。】(6-32)【かれらに対しては、現世の生活でも罰が科せられる。だが来世の懲罰は更に厳しい。】(13:34)
 さて、ムスリムには宗教規定や行動規定があり、それが牢獄の規則と同じではないかという見方についてですが、イスラームは信徒に苦行を勧めたり、修道院生活のような禁欲を強いたりすることはありません。反対にそのような生き方を否定します。
 たとえば、次のようなハディースがあります。
 
 「三人の男が、それぞれ「わたしは夜通し祈ろうと思う」、また「わたしは絶えず断食し、決して食べない」、また「わたしは女を避け、決して結婚しない」と言った。そこへ預言者(صلى الله عليه و سلم)が来られて、《なぜあなたがたはそのようなことを言うんですか。わたしは誰よりも神を恐れ畏んでいるが、断食しては食べ、礼拝して眠り、また女を娶りもする。この私の慣行を嫌う者はわたしの仲間ではない》とおっしゃった。」(ブハーリーによる伝承)


このように、宗教的な行と生活が調和することが求められます。
 そして、神の代理者(2章30節)として、地上のすべての物は人間のために創られた(2章29節)ので、人間はアッラーの恵みを享受することが許されているのです。そうしますと、信仰者の現世は、来世で天国という報奨を得るための場所と考えて、少しでも長く現世に留まり、アッラーに感謝し、善行を積み重ねることではないかと思います。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

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