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~カウンター越しより~

シングルカスクについて

2006年04月14日 19時29分50秒 | Scotch Malt Whisky
「シングルカスク ウィスキー」
スコッチ派の方なら、1度は飲んだことのある、聞いたことのある言葉でしょう
この「シングルカスク」という言葉、お客さんからよく質問を受けます。
それは「カスク ストレングス」「シングルカスク ストレングス」の意味の違いです。
ボトルのラベルに「シングルカスク」と明記してあるものは、1つの樽だけからボトリングされた酒ということです。
※少し加水されているものが多く、加水されてない原酒のものは「シングルカスク ストレングス」と明記されます。
「カスク ストレングス」は、いくつかの樽を混ぜ合わせた原酒をボトリングされた酒ということで加水されていない、樽出しの原酒のアルコール度数のままのもの。
そして「シングルカスク ストレングス」は、1つの樽だけの原酒をそのまま加水せず、ボトリングした酒。
「シングルカスク ストレングス」の場合は樽ナンバー、蒸留年月日、樽の種類など明記されているものが大半です。
シングルモルトウィスキーを飲まれる時は、じっくりラベルを眺めながら、
香りや味を楽しんでみましょう。

ジャパニーズウィスキーの歴史

2006年04月14日 03時12分55秒 | Japanese Whisky

ウィスキーの五大産地はスコットランドアイルランドアメリカカナダそして日本
ジャパニーズウィスキーの歴史は・・・
1853年アメリカのペリーが浦賀に来航し入港した際、
日本の役人たちにウィスキーを振舞ったと記録されています。
1868年の明治維新後の1871年にウィスキーを初輸入されます。
当時ウィスキーは薬用酒的な扱いだった・・・品質は粗悪なものだったらしいが。

1900年頃の洋酒は中性アルコールに甘味料や香料、カラメル色素を加えたイミテーションばかりで、この時代が長くは続かないと感じた摂津酒造は
一人の男をスコットランドに留学させます。
その人が日本のウィスキーの父「竹鶴政孝」
1918年 竹鶴政孝氏は単身、アメリカ経由でスコットランドのグラスゴー大学に入学。
留学中、竹鶴氏はあちらこちらの蒸留所へ足を運び製造法を学びます。
ロングモーンヘーゼルバーンなど・・・
特にロングモーン蒸留所では、蒸留器を叩いてその反響で蒸留の進み具合を知るコツを体得したという。
※ちなみにアイルランドがウィスキーの発祥であると記した文献
「ヘンリー2世率いる兵士が、アイルランドの地元民がアクアヴィテを飲んでいた」
これを記述したネトルトン氏に実際に竹鶴氏は会ってウィスキー造りを学ぼうとしたが、法外な金額を言われ断念したらしい。

1921年 竹鶴氏は帰国。
本格的なウィスキー造りを目指そうとした竹鶴氏(摂津酒造)に、
戦後の不況が待ったをかけます。
竹鶴氏は摂津酒造を退社。

しかし、「どうしても本格的なウィスキー造りをやってみたい」という寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎氏の申し出を受け、10年間の契約で入社。

1923年 日本初のウィスキー蒸留所「山崎蒸留所」開設。
1929年 日本初のウィスキー「白札」発売。
1934年 竹鶴氏は10年間の契約期間を終え、退社。
竹鶴氏は独立し、自らが求めるウィスキー造りを追求すべく、
スコットランドに似た気候、風土、良質の水のある北海道の余市に
大日本果汁(後のニッカウヰスキー)を創業する。
 ※ ちなみに、「大日本果汁」の「日果」から「ニッカ」と名づけられた。

鳥井信治郎氏と竹鶴政孝氏、理想の国産ウィスキーを目指す二人。
竹鶴氏は、スコットランドに留学したことからスコッチに忠実なウィスキー造りを追求し、一方 鳥井氏は、日本の風土にあった日本人に愛されるウィスキー造りを追い求めた。
その後、軽井沢蒸留所(1955年)、ニッカ 仙台・宮城峡蒸留所(1969年)、サントリー白州蒸留所(1973年)、キリン御殿場蒸留所(1973年)と次々と創業していきます。
これからのジャパニーズウィスキーのさらなる発展に期待が持てます 。