脳のミステリー

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283.中枢性疼痛に ハイパーグラフィアが疼く!

2008-07-25 08:01:50 | Weblog
末梢性の痛みに比べて頻度は低いのだが、より苦痛を伴い、難治性で厄介なのが中枢性の痛みである。今年に入ってから、私はこの中枢性疼痛に始終悩まされている。これは脳卒中の病変が直接の原因となって痛みをきたすもので、視床出血や視床梗塞による視床痛のほかに、大脳の出血や梗塞による中枢性疼痛、脳幹病変による中枢性疼痛なども知られている。
痛みを感じとるセンサーは体中至る所に張り巡らされていて、その信号は末梢の感覚神経のケーブルを通り、脊髄を経由して脳の視床というところで情報処理され、最後に大脳皮質の感覚中枢で痛みとして感じられると考えられているのは周知の事である。普通の痛み、すなわち末梢性の痛みは痛みセンサーの刺激で生じるのだが、中枢性の痛みの場合は、手足の末梢には痛み刺激が加わらないのに、視床や大脳の感覚神経の情報処理の異常のために、いわば「脳の中で」痛みを感じてしまうわけだ。だから安心していていいのは、例え痛みが強くても、脳卒中の再発を心配する必要はないということになる。
痛みは、脳卒中の発症直後から起こることもあるが、多くは何ヶ月かしてから始まる。半身、特に手足のうずくような耐え難い痛みで、痺れを伴うこともしばしばある。然るに私の場合は、痛みに絶えず痺れを伴っているのは確かである。
気分、天候(曇天、降雨の前にひどくなる)、気温(寒冷で悪化)、更に日本特有の湿気の影響を受けやすく、刺激でひどくなるのを防ぐ為にはどうしたらいいのか悩んでいる。

数年前、プロのマッサージ士が手や肩を揉んでくれたことがある。良かれと思ってか、その人は麻痺している右側の手や肩を集中的に揉んでくれた。実は、それが恐怖の始まりだった。「痛いからやめて!」と言っても「少しは我慢して!」と言うので私は拷問を受けたようでも我慢した。失礼だが、それは私にとっては確かに拷問そのものだった。だが、後になってマッサージを受けた手足が痛むことは無かったので適切な治療だったのだろうと思わざるを得なかった。実際には感覚が無いので痛いのかどうかも解らなかった。しかし、あの時の治療の痛みは忘れられない。そして私はリハビリ病院の療法士に相談してマッサージ士の診療所に通うのをやめた。理由は「肩や腕に触れられると自然に筋肉が萎縮してしまうから」という事だった。
あの頃の私の右半身は感覚も無ければ痛みもなかった。あるのは痺れだけだった。
あの頃の私は、同じような後遺症を受容して「痛い!」と苦しみ悩んでいる人を見て「可哀想に」と思っていた。故鶴見和子さんが「恥も外聞もなく罵声を発したいほど痛い!」と書き綴っているのを読んで「私はズッと幸せだ」なんて、やがてそんな時期が自分にもやって来ることも知らないで、他人事のように思っていたのである。鶴見さんは時折、NHKに出て話をされていたが、疼痛の話になって聞き手が「痛いでしょうね」なんて言おうものなら、彼女独特の言い回しで言ってたものだ。
「あんたになんか分かるわけないんだから、気休めはやめて頂戴!」
そんな放談を聞く度に、私はラジオに向かって「そうだ!そうだ!」と言っていたものである。威勢のいい鶴見和子さんが逝ってしまってもうどれくらいになるだろう。寂しい!
そして私は、発病直後の右片麻痺には感覚もなく、痺れもなく、痛みもなかったが、そんな状態の中で少しずつ体に変化が現れ始めたのだった。先ず痺れが来て、次ぎに痛みが来たのである。 
腕、肩、右顔面に鈍痛が少しづつ走り出し始めたのは、かなり初期の段階からである。腕、肩は少しは我慢できるが、特に右顔面は辛い。右顔面の鈍痛がひどい時は目の複視(左右の目のピントが合わない)もひどく用の無いときは目をつむっている時間が多い。幾分痛みが和らぐからである。
右半身の鈍痛が増すにつれて、ほんの少しづつ感覚が戻ってきていると云う感じは確かにあったが、だんだんひどくなる鈍痛には耐えがたいものがある。ただ寝ている時は鈍痛は多少なりとも和らぎ、眠気が睡魔に勝てなくなる頃には気が薄れていくのが日常だと言える。だが、朝 目覚めた時は痛みはほとんど無いが起きるとまた、鈍痛がおそってくると云う 繰り返しという事である。とにかく、痛みで寝れないということは無いので、それだけでも助かっている。それは今でも同じである。
それならば寝ていたらいい、という酷なことをいう人がいる。そんな人にはビンタを食らわしてやりたい! ズッと寝ていたら、第二の人生を貰った意味がない。
私は顔面の痛みがとれるなら、右手足はなくなってもいいとまで思う事がしばしばある。そのくらい顔面の痛みは憂鬱なのだ。主治医の脳神経外科医はそんな私にいとも簡単に言ってのける。
「冗談じゃない! 右半身が無くなったら何でバランスをとるの!」
私は反論する。
「慣れるんじゃないですか? 無いものはないって!」
医者は即応える。
「とんでもない。無くなったら他の機能に障害が出ますよ!」
「なるほど、一難去ってまた一難か~」
「そう、よく分かってるじゃない! どの難が最悪かは会ってみなければ分からないからね!」
神経の病気というのは大変難しく、ましてや脳神経となると、ほとんど分かっていないのではないだろう。血管を繋ぐような外科的な処置は脳であれ、どこであれ出来るようになったと思うが、神経となると、切れたものが繋がったにしても、それが通じているかどうか 医者側では分かりようが無い、患者にしか分からないのである。

仕方ない、生きている限り医者の助っ人になっていくか!
それでも最近の疼痺痛はハンパじゃない! 来週辺たり、以前会った神経内科の女医さんに予約をとって久しぶりに相談してみようか。それに例の私の著書「マイ・ラブ、マイ・ドッグ」の感想も聞いてみたい!