昨日は二十四節気の最終節の大寒、一年で最も寒い日といわれている。今年の東京首都圏はいつになく好天に恵まれているが寒い。そのせいか、例年なら咲き出す二階のベランダの鉢植えの寒梅がまだ咲いていない。が、蕾は赤く膨らみ今日明日には咲きそうだ(写真)。これから節分にむかって、陽気は日一日と上向いてくる。老いの身には待たれる春である。
俳句には門外漢だが、江戸時代中期の俳人、与謝野蕪村には寒梅の句が多い。
◇ 寒梅を手折るひびきや老いが肘
◇ 寒梅やほくちにうつるニ三輪
◇ 寒梅や梅の花とはみつれども
蕪村は、この時代の人としては長命である。天明三年(1784年)68歳で他界している。僕はすでに蕪村よりも20年も長生きしているが、蕪村のうたたった”老いの肘”の心境がよく解る。
最近、とみに季節感の喪失が激しい東京である、戦前昭和の時代には、わが家のあたりでも夜半になると白装束、白鉢巻の寒詣りの太鼓や鈴の音が聞こえてきた。小学生だった僕も剣道の用具を肩にかけ学校の武道館へ通ったものだ。廊下を雑巾がけした手のかゆみと痛みが忘れられない。俳句の「季」にも困らなかったが、殺風景の現在はどうなのだろうか。くだらないことを思いながら、蕪村の句を真似して戯句を一句
◇ 寒梅を撮る姿勢腰の痛み
早朝上記ブログを書いたら昼近く、二輪三輪白い可憐な花をほころびさせ始めました。