「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

大寒 ”寒梅を撮る姿勢腰の痛み”

2018-01-21 05:21:50 | 2012・1・1

昨日は二十四節気の最終節の大寒、一年で最も寒い日といわれている。今年の東京首都圏はいつになく好天に恵まれているが寒い。そのせいか、例年なら咲き出す二階のベランダの鉢植えの寒梅がまだ咲いていない。が、蕾は赤く膨らみ今日明日には咲きそうだ(写真)。これから節分にむかって、陽気は日一日と上向いてくる。老いの身には待たれる春である。

俳句には門外漢だが、江戸時代中期の俳人、与謝野蕪村には寒梅の句が多い。
◇ 寒梅を手折るひびきや老いが肘
◇ 寒梅やほくちにうつるニ三輪
◇ 寒梅や梅の花とはみつれども
蕪村は、この時代の人としては長命である。天明三年(1784年)68歳で他界している。僕はすでに蕪村よりも20年も長生きしているが、蕪村のうたたった”老いの肘”の心境がよく解る。

最近、とみに季節感の喪失が激しい東京である、戦前昭和の時代には、わが家のあたりでも夜半になると白装束、白鉢巻の寒詣りの太鼓や鈴の音が聞こえてきた。小学生だった僕も剣道の用具を肩にかけ学校の武道館へ通ったものだ。廊下を雑巾がけした手のかゆみと痛みが忘れられない。俳句の「季」にも困らなかったが、殺風景の現在はどうなのだろうか。くだらないことを思いながら、蕪村の句を真似して戯句を一句
◇ 寒梅を撮る姿勢腰の痛み

早朝上記ブログを書いたら昼近く、二輪三輪白い可憐な花をほころびさせ始めました。

史上最弱の横綱は 稀勢の里の連続欠場

2018-01-20 06:08:49 | 2012・1・1
横綱稀勢の里が5日までに1勝4敗とぶざまな成績だったが、昨日6目、ついに古傷を理由に休場した。横綱としての5場所連続欠場は14年前の武蔵丸以来だという。その上を行く記録としては17年前、貴乃花の7連続があるそうだ。しかし、武蔵丸も貴乃花も横綱在位が長く、武蔵丸32場所、貴乃花49場所のなかで引退する前の晩年の記録だ。稀勢の里の場合は昇進してまだ6場所である。芳しい記録ではない。

歴代の横綱の中で記録的には誰が一番弱いのか調べてみた。僕が相撲を見始めた昭和初期からの記録だが、在位数の最も少ないのは39代の前田山の6場所、ついで親方とケンカ別れして部屋を飛び出した60代双羽黒と33代武蔵山の8場所だが、成績をみると、武蔵山は8場所中7場所負け越しか休場、勝ち越した場所も7勝6敗(当時は13日制)、在位の勝敗は15勝15敗である。

NHKの朝の連続ドラマ「おしん」の耐え性にちなんで”おしん横綱”と言われた59代隆の里は、稀勢の里の先代師匠だったが、横綱在位15場所中、糖尿病と戦いながら筋トレを稽古に取り入れ話題になったが成績はあまりよくない。晩年7場所の成績は4場所連続欠場、1場所挟んんで、また2場所負け越し引退している。

稀勢の里の相撲は、親方鳴戸(隆の里}直伝だけに”おしん横綱”二世だともいう。取り口より長い大関時代、なんんども横綱昇進の機会がありながら逸しており、その苦労からの呼び方である。今場所の相撲を見ていると、一生懸命、相撲を取っている姿は好感が持てるが、横綱相撲ではない。場所後の横綱審議会で進退が問われることになるが、再起復活をかけて、もう一度チャンンスを与えてもよいのでは。

 国旗のない「国」への五輪出席と中国産キムチ

2018-01-19 06:49:24 | 2012・1・1
15年ほど前「冬のソナタ」で”韓流ブーム”があった頃、よく韓国へ観光旅行のお土産としてキムチを貰った。辛い物好きの僕は”さすが本物は美味しい”と食べたものだが、その”韓国産キムチ”の飲食店で食べる89.9%が中国からの輸入品だという。ネットで見つけたAFP電によると、これを裏付けるように韓国のキムチの外国からの輸入量は27万5000トンなのに対し輸出は僅か2万4000トンにすぎない。

2月9日から韓国の平昌で開かれる冬季五輪を前に、北朝鮮との間で選手団派遣で合意ができ、朝鮮半島をかたどった統一国旗で入場行進するという。かりに朝鮮半島の選手がメダルをとった場合、やはり掲揚旗は、この統一国旗であろう。安倍総理の平昌参加についてまだ総理は行くかどうか決定していない。国会開催中で時間の折り合いがつけばということらしい。

ところが連立与党の公明党や自民党内部からも安倍総理の参加を支持する声が起きている。隣国の開催であり、南北の統一は五輪の精神から言っても反対ではない。しかし、北朝鮮は世界の反対にもかかわらず、核実験を繰り返し、弾道弾をわが国の頭越しに飛ばしている国である。しかもわが国には拉致問題がある。

韓国の文在寅大統領は中国の習近平国家主席に五輪閉会式に招待したようだが、まだ公式な返事はないようだ。自民党の二階幹事長や公明党の山口代表が何故安倍総理の平昌五輪の開会式参加を勧めているのか。おそらく中国の「一帯一路」のバスに乗りおくれるなということだろうが、なぜ閉会式ではいけないのか。国旗を掲げて入場行進できない「国」に総理が敬意を表する必要はない。キムチを輸出して儲けている国さえ。まだ正式に出席するとは答えていない。


時代にあった高齢者社会施策を

2018-01-18 05:48:05 | 2012・1・1
政府の中長期的な「高齢社会施策大綱」が新聞に出ていた。高齢者の就業促進、年金給与改善を目的にしたもので、現行の施策が現実とかけ離れているので、これを是正しようというものだ。例えば、現在高齢者というと日本の社会では65歳を考えているが、現実にはまだ60歳定年の企業が多く、60歳―65歳の就業率は63.6%にすぎない。80歳代半ば過ぎの僕からみれば”小僧っ子”年齢なのに早くも3人に1人は年金生活に入っているのだ。

自分の例をあげて恐縮だが、僕らの世代は55歳が定年だった。人生50歳の時代の名残である。僕は昭和61年(1986年)に勤務地札幌で55歳定年を迎えることになっていたが、北海道には地縁、人縁がなく老後の生活が不安のため、50歳で生まれ故郷で多少生活の基盤のある東京に戻った。給料は大幅にダウンしたが、転業し65歳まで仕事を続けることがで出来、しかも派遣職なので、60歳からは厚生年金も支給された。

30年前とは社会環境も変わり、今では55歳といえば現役バリバリである。10年前に75歳以上の後期高齢者医療制度が発足した時でさえ、後期とは何事だと批判が出たが、今、100歳時代を迎えて60歳定年はあまりにも早すぎる。人生それぞれで画一的なことは言えないが60歳定年、65歳以降の年金開始は矛盾している。新しい「高齢社会施策大綱」は70歳年金開始も提案しているが、それが可能な人はそれもよい。

僕の場合、振り返ってみると、65歳で仕事を辞めたが、70歳までは働けた。しかし、余生を楽しむ時間があってもと辞めたがその余生も10年以上である。いずれにせよ、100歳時代が現実となってきている。時代にあった施策が必要であるのは間違いない。

また始まった野党の離合集散 希望を失った「希望の党」

2018-01-17 06:13:27 | 2012・1・1
23日から始まる通常国会を前に野党の希望の党と民進党とが統一会派を組むことで一致した。ところが、これに反対する希望の党の松沢成文参院代表らが離党を検討中だという。希望の党は昨年9月、前前原誠司民進党代表と小池百合子都知事が”鳴物入り”で結成してまだ半年にもならない。”泥船”に見えた民進党が、前原、小池氏の名を借りて再スタートできるという期待が一部にあったたが早くも亀裂が生じてきた。

野党には旧民主党系の政党が三つある。上記希望との党のほかに参院を中心とした民進党のグループ、それに昨年9月の総選挙を前にしてバタバタと誕生した立憲民主党。立憲民主党は今回の統一会派の動きには参加していないが、希望の党と民進党とは合意し、希望の党は17日の議員総会で最終的な決定をするが、それを前に松沢氏らの動きである。

旧民主党系の三政党の現状を整理してみた。国会議員数の多い順からゆけば、もっとも多いのが立憲民主党の62(衆56、参6)ついで民進党の残存55(衆13、参42)希望の党の54(衆51、参3)で、合計すれば、衆参合計国会議員数は171名の勢力である。2016年、当時の民主党と維新の党とが合併したときの民主党の国会議員数は128人であったから、数だけでいえば増えている。

衆参両院での巨大与党勢力に立ち向かうには、旧民主党系三党が一緒になっても足りない。昔、80年近く前、小学校の修身の時間で、戦国の武将、毛利元就が三人の子供に三本の矢を示し、三本の矢が一本の矢より強い教訓を垂れたこ故事を想い出した。野党が三党がバラバラで勝手なことを言い、政策より政党交付金目当ての政争を続けているかぎり、自公政権は安泰、高笑いである。

"Dカフェー” 認知症だけでなく 老若話し合いの場に

2018-01-16 05:56:59 | 2012・1・1
NHKテレビの朝の情報番組「アサイチ」で昨日、東京町田市の”Dカフェ”の取り組みを紹介していた。”Dカフェ”の「D」は認知症(Dimentia)の頭文字からきたもので、認知症の方でも自由に出入りでき、一般の方とお茶を飲みながら話し合い、治療に役立てばという発想のようである。

調べてみたら”Dカフェー”は、僕が住む目黒区にもあり、行政が中心となって、月に2回から3回、場所を決め、認知症や介護する家族、関係者が集まってお茶を飲む会はある。町田市の場合はそれとは違って、街中のカフェーを利用して認知症の患者が自由に一般のお客と話し合おうという試みだ。

僕は自分では物忘れは強いが、認知症とは思っていない。しかし、足腰の弱みもあって家に閉じこもりがちである。出来れば町田市のような”Dカフェ―”がって若い世代と話し合う場があればと思っている。介護Ⅰの認定を受けているが、デイサービスは一切受けていない。老人会にも加入しているが、”ならいごと”が中心の僕には向いていない。

旧臘、旧制中学時代の旧友会と同期入社の会を昼間、カフェで持った。80歳代後半の集まりは食事制限者が多く、参加者が自由に飲食をオーダーできるカフェ形態がよい。認知症患者だけに限らず高齢者が若い世代と自由に話ができ、情報交換できる場があってもよい。超高齢化時代である。世代間の格差が広がりつつある。そのためにも老若情報交換の場があてもよい。

張り手より、薄氷を踏むような横綱相撲は見たくない

2018-01-15 05:54:14 | 2012・1・1
大相撲の初日を昨日テレビでお茶の間観戦した。横綱日馬富士の暴行事件に始まって、これにからむ貴乃花親方の相撲協会への”反乱”そして立行司式守伊之助のセクハラなど不祥事続き直後の場所だったが、あけてみると、土俵は大入り札止め、結びの白鵬の相撲には44本の懸賞がつくという盛況である。協会に取っては”災い転じて”であった。

暦の干支の組み合わせで吉凶を占う「暦注」によれば、昨日は1月の亥の日で三隣亡で、物事を始める日としては忌日で、ふさわしくない。僕は「暦注」を信じるわけではないが、”凶事”が起こらなければよいと心配した。幸い、土俵は横綱稀勢の里が負け、この相撲に行司が差し違えがあっただけで、他の二横綱、二大関に波乱はなかった。

しかし、横綱白鵬の相撲は土俵際で阿武咲の怒涛の押しをやっとこらえ、突き落として勝つという薄氷の相撲だった。横綱審議会がクレームが出ている張り手はでなかったが、横綱相撲ではない、在位61場所の大横綱だから心配はないが、他の二横綱が心配だ。鶴竜は初日は勝ったが、二人とも四場所欠場後の場所である。早くも協会ご用立ての評論家の中には、稀勢の里弁護論が出てきて、完治するまで休めという意見もある。

ここ数場所相撲を見ていると、今、大相撲は世代交代期にあるのではないか。稀勢の里に勝った貴景勝、白鵬を土俵際まで押し込んだ安武咲を中心に若手の力士の台頭が目立つ。白鵬の相撲に難癖をつける前に素直に若手の活躍を評価すべきであろう。張り手は禁じ手ではない。それより、欠場続き、名前だけの横綱は引退させるべきだ。薄氷を踏むような横綱の相撲は見たくない。

性病チェック”M検”があった70年前の国立大入試

2018-01-14 06:11:50 | 2012・1・1
大学入試センター試験が昨日今日と行われているが豪雪のため一部の地域では試験の開始時間が繰り下げられるなど支障をきたしている。しかし、この混乱は今年に限った事ではない。毎年のことのように思われる。全国的にも一年で一番寒い時期に、なぜ、よりによって統一テストを実施するのか。学校ごとの入試が3月であっても、統一試験がその直前である必要はないと思うのだが。

僕が大学入試を受けた年は昭和23年(1948年)3月だったが、全国的な統一試験はなかった。70年前で記憶が薄れきているが、その代わりなのか”インテリジェント”とかいうメンタルテストを受けた。学科ごとの学力試験ではなくIQ(知能)テストで、これが大学入試に影響があったのかどうか不明だ。当時は試験日さえぶつからなければ公国立大学は幾つも受けられた。

僕は二校受けていずれも不合格であったが、そのうち受けた師範学校の身体検査が今でもトラウマ(心的外傷)として残っている。それは当時”M検”と呼ばれていた局部検査である。戦争が終わって3年目だが、徴兵検査のさいあった性病チェックがまだあったのである。思春期の青年にとっては大変な侮蔑で、僕はそのあとの面接試験では意識的に不合格になるように返答した。

この年のある私立大学の文系予科の作文の題目は「風」であったが、後年、不合格になった同じ仲間と当時のことを振り返り、話し合った際、彼は「風」を「虱」(しらみ)と間違えて書いたといっていた。もちろん冗談だとは思うが、反抗期で傷つきやすい年代である。ベストの環境下で試験に臨ませてやりたいものだ。

〝〇〇に刃物” ”年寄りに車”

2018-01-13 05:51:19 | 2012・1・1
禁止用語だが”〇〇に刃物”という諺がるが、最近多発する高齢者による死亡交通事故を見聞きすると、それにならって”年寄りに車”とも言いたくなる。先日、群馬県の前橋で85歳の男が、登校途中の女子高生二人をハンドルの操作を誤り、対向車に衝突したあとぶつかり重傷を負わせた。男は先月にも倉庫にぶつかる物件事故を起こし、家族から車のカギを取り上げられていたという。僕は同年配の老人として困ったものだと思っていたら、今度は大阪で、免許切れの91歳の男が2歳の幼女をはねてケガをさせている。いやはやである。

僕は東京という大都会に住んでおり、車の免許を持たないから、極論になるかもしれないが、75歳以上の高齢者は免許を自己返上するのではなくて運転を禁止した方がよいと思おう。人によって違いはあるが、やはり国が決めた後期高齢者になると、心身機能が間違いなく弱ってくる。とくに80歳代後半になると自分でもなさけなくなる。後期高齢者といわれる前は毎朝、早朝のラジオ体操に参加、自転車を自由に乗り回していたのだが、最近は怖くて乗れない。

長野市に住む88歳の義兄も最近まで車に乗っていたが、福祉のデイ.サービスを受けるようになってから乗るのをやめた。しかし、東京と違って車がなければ、毎日の買物にも困るし、病院通いにも支障がある。同じ長野に住む89歳の旧友も家族の勧めで免許証を自己返納した。しかし、全国的には県庁所在地の長野市より過疎の”限界集落”が多く、車がなければ生活できない地域が多いと聞く。年寄りから免許を取り上げたら生活できない地域もある。その対策をどうすべきかだが、このように老人の死亡交通事故が多ければ、”老人に車”の極論もでてくる。

膀胱ガン4回、大腸ガン2回 の患者からの報告

2018-01-12 07:03:36 | 2012・1・1
年が明けて間もないのに一昨日、国立病院へ通院してきた。治療ではなく検査である、僕は過去に膀胱ガン4回、大腸ガン2回の手術入院歴を持つが、今年は再発、転移のメドといわれる膀胱ガンが5年目、大腸ガンが二年目である。二つのガンとも退院後三か月に一回、通院して、膀胱ガンは内視鏡でチェック、大腸ガンも採血、CT,MRIで結果をみている。大腸ガンの結果は来週出るが、膀胱ガンは小さなポーリブがあるが、もう少し様子を見ることになった。

僕のガン病歴は2000年、70歳の時膀胱患部から出血、最初は、近くの医者から出血性膀胱炎と診断されたが、国立病院でガンと判明、半月ほど入院手術した。その後5年間、通院して初めは抗ガン剤などを患部に注入していたが、結果は良好、僕は完治したと思い通院を中止した。ところが10年目に高血糖知慮薬、アクトスを服用した時期に再発、それも二回に渡って入院手術した。そのあと最後の再発が2013年である。

大腸ガンは地域の無料診断で発見され2014年、国立病院でステージⅡと診断され、腹腔手術した。この時も病院定期的なチェックしていたが、約1年後の2016年1月、手術した患部のホチキス跡にガンが発見され今度は開腹手術した。幸い、今のところ結果は良好だが、日常の生活、特に食生活には老妻が細心の注意を払ってくれている。

二つのガンとも早期発見が幸いした。やはり病気は治療よりは予防が大切である、そのためにはガンについていえば、若い時にも定期的に、検査を義務づけるのが必要だ。問題は検査費用だ。ちなみに一昨日病院に支払った検査費は現役並み3割自己負担だが、1万5000円であった。それでも手術入院費よりは各段に安い、