「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         奇奇怪怪な民主党のサポーター

2010-09-10 06:02:13 | Weblog
昨夕、TBS系テレビの「Nスタ」を見ていたら東京・板橋の自民党支持者の自宅へ
民主党代表選のサポーター投票用紙、約40通が送られてきたと、放送していた。そ
の一人が番組に出演、その用紙をかざしながら、自分は長年の自民党支持者で民
主党へ会費など払ったことはないと証言していた。用紙を送られてきた40人は、区
内の町会長などの要職者だという。奇奇怪怪な事件である。

民主党代表選は終盤に入り、昨日は札幌で小沢、菅両候補が街頭演説をしていたが
これが同じ党の政治家かと疑うほどののドロ試合で、パーフォーマンスにすぎない。
菅候補はドロ繩式の政策を展開、小沢候補は前時代的な表現で"命をかけて”の出馬
と叫んでいたが、小沢氏の命と引きかえに國が亡んではたまらない。

代表選の仕組みは複雑で、素人の僕にはサポーターの郵便投票が、全体の投票の中
で、どの程度の比重なのかよく判らない。党の規約によれば、年間2千円の会費を支払
えば在日外国人でも投票できるのだという。部外者の僕からみれば随分アバウトだ。

ひょっとすると、板橋のような事件は全国いたるところにあるかもしれない。何しろ鳩山由
起夫前代表のような前例がある。政治資金提供者のリストに亡くなっていた恩師の名前
まで書いていたのだから。”政治とカネ”で定評のある小沢代表のことだ。サポーターを
カネで買うことぐらい簡単だろう。いずれにせよ、あと数日で結果がわかるが、次回総選挙
では、こんな不明朗な代表選びの民主党には投票しないことだ。

        15年前の円高、猛暑の年

2010-09-09 05:17:12 | Weblog
先日来の連続猛暑は1995年(平成7年)以来15年ぶりの記録だそうだが、今度は
昨日、東京外為市場で、同じく15年ぶりという対ドル83円35銭という円高最高値を
つけた。”15年ぶり”という1995年という年は、どんな年だったか、改めてチェックし
てみた。

調べると、確かにこの年も異常な年であった。1月には阪神・淡路大震災が起き、3
月には地下鉄サリン事件、夏には0157食中毒事件が発生している。政治的にも不
安定な年で、前年に発足した社会党の村山富市・委員長を首班とする「自社さ」連
立政権が行詰まり、8月には内閣改造をしている。

円高はこの年の4月19日、瞬間最高値だが、79円75銭をつけ、その後も9月まで80
円台で推移している。これは政治の混迷につけこみ、当時のクリントン米政府が意図
的に市場介入を繰り返ししたからだ。

現在の円高について、野田財務相は”円高定着”に危機感を抱いており、白川日銀総
裁も再度にわたって金融緩和策を表明しているが、今のところ効果はない。やはり、問
題は民主党代表選にみられる政治の混乱である。同じ党内が二つの党に割れている印
象を与えては、政治的に安定しない。中国漁船の尖閣諸島での違法操業も、なにか
この時期を狙った意図的なものさえ感じる。

"今年は円高と猛暑と”15年ぶり”の記録破りが多いのが、何か一つ気になる。

        敬老金5千円 介護保険5千円

2010-09-08 05:54:57 | Weblog
23日の「敬老の日」を前に昨日、町の民生委員が僕の傘寿(80歳)のお祝い金、5千円
を家に届けに来てくれた。老妻の知合いの女性だが”所在不明”老人が問題になってい
る時だけに、僕はわざわざ玄関口まで出て”所在”を明らかにして御礼をいった。

たまたまだが、昨日の新聞に平成24年度から65歳以上の介護保険料の全国平均が現
行の4160円から1000円近く値上げされ、5000円にすることを厚労省で検討しているとの
記事があった。またまた老人いじめである。

僕の僅かばかりの年金は、年々介護保険料から始まって後期高齢者医療保険料、特別
住民税などの名目で差し引かれ、おまけに所得税まで取られている。年金は老後の安心
のために長年、かけてきた僕の最低保障だったのだが、めべりする一方だ。

民主党の代表選で小沢一郎候補が政治主導を唱え”役人になめられるな”と獅子吼してい
た。小沢氏は昨年夏の民主党の政権公約回帰を主張しているように思えるが、こと厚労省
に関する限り、小沢氏のいう通り、役人からなめられぱなしだ。なめられるというより民主党
のマニフェストが、そもそも出来もしないものを掲げた大風呂敷だったからなのだが。

小沢氏は民主党の公約は政治主導で守る、といっているが、わが国の現状をきちんと把握
しているのだろうか。政治家たちは豊かな老後が保証されているため、老人医療も介護の現
状もわかっていない。こういった連中の政治主導ではなにも解決されない。

さて、頂戴した傘寿のお祝い金、なにに使おうかな。目下思案中である。

   遅い柿の実の色づき 聞こえてこない日暮しの声

2010-09-07 06:22:10 | Weblog
いつまでこの暑さが続くのだろうか!この異常気象は色々と自然界にも影響を与えて
いるようにみえる。ラジオで地方のリスナーが今年は柿の実の色づきが例年より遅い
と報告していた。町名に「柿」の名がつくわが町はどうなのだろうかーと近所の柿の木
を観察してみた(写真)。木が小さいので判りにくいが、心なしやはり色づきは遅れて
いるようだ。

晩夏から初秋が俳句の季語になっている日暮(ひぐらし)の声を今年はまだ僕は聞いて
いない。日暮は、日の出前や日の入前後の気温が低くなった頃鳴くというが、今年の暑
さは、なかなか日暮にとって鳴く適温まで温度が下がらないのではないのだろうか。

昨日のNHKテレビの朝の番組で、目の”さんま祭り”を紹介していた。今年は海温が
高く、低温を好むさんまが日本列島近くに寄りつかず不漁で恒例の”さんま祭り”も中止
かと心配されていたが、産地,宮古の人たちの心意気で開催できたとテレビで言ってい
た。さんまは「秋刀魚」とも書き、これも俳句の季語は秋だと思うのだが、この暑さの中で
の”さんま祭り”は今ひとつピンとこない。

”さんま祭り”は目では三つあり、目の”公式”な”さんま祭り”は、区の広報によれば、
9月19日(日)に田道広場で開催される。こちらのさんまは、気仙沼から届けられる。暑さ
は、この頃になれば収まるのだろうか。さんまは、やはり秋刀魚の味。味にも季節感があ
るのでは。

"

            超高齢者の老老介護

2010-09-06 04:57:04 | Weblog
大正4年生まれ、95歳の先輩から手紙を頂いた。長年、ご自分の手で介護されてきた
奥様が、とうとう有料老人ホーム入りすることになった、と寂しい文面である。先輩の
奥さんは7月末に救急車で搬送され、その後退院したが、容態が思わしくなく,お子さ
んたちが心配してホーム入りを勧めたようだ。昨日、僕がお見舞いをかねて電話したと
ころ、ご夫婦とも知り合いの房総の老人ホームに入ることになったそうである。

超高齢化社会である。僕の周囲にもともに80歳を越えた元気なご夫婦が大勢おられる。
だが、皆、今は元気だが、問題は夫婦のうちの一人がいつ倒れるかもしれないという不
安である。核家族化が進み、ほとんどが子どもとは同居していない。詳しいことは知ら
ないが、95歳の先輩ご夫婦も二人だけで生活していたようだ。

毎月、高額な介護保険料を支払っており、最近は介護施設も充実してきたと聞く。が、明
治大正生まれの超高齢者の中には、出来れば国のお世話になりたくないという気持ちか
らか、最後まで夫婦だけで庇いあって生活したい傾向があるようだ。なんとはなく、先輩の
話の節々にもそれが感じられた。

年寄りになると頑固になる。多分、先輩の周囲の家族の方も先輩夫妻の老人ホーム入りの
説得には苦労されたと思う。結局、先輩の奥さんは房総の施設まで搬送できるまで体調が
戻っておらず、先輩一人が入所することになった。超高齢者社会が、すぐ目の先に来ている。
色々と考えさせられた。

       炎天下 行列ができる”かき氷”店

2010-09-05 05:07:34 | Weblog
9月に入っても東京の猛暑は一向に収まる気配がない。昨日、朝まだ涼しいうちにと
自転車で外出したら、すでに陽はギラギラと照っている。その炎天下、近くの目通り
の「ちもと」という和菓子店の前に人だかりがしている。(写真)前から気になっていた
のだが、聞いてみると、お目当ては、この店特製の”かき氷”だそうだ。

僕みたいな老人には、とても行列して食べる勇気も体力もない。なにがそんなに人気
なのか、ネットで調べてみた。目玉の”かき氷”は”おまかせ”といって”かき氷”の高さ
が20㎝もあるジャンボ・サイズで、氷のかき方が綿菓子みたいに繊細。かけてある”蜜”
は抹茶と練乳が半々、その下に店自慢の和菓子が10種類も入っているのだという。お
値段は1050円だが、十分満足感があるそうだ。

この炎天下、ご苦労さんの話だが、これもネット情報だが、休日など2,3時間待ちは覚
悟しなければならない。お客は店が用意したノートにまず名前を記入し、店員に大体の
入店可能時間を聞いて、また再来店するのだという。お客の中には、近くの図書館で時
間をつぶす人もいるという。これでは、とても老人には無理だ。

僕の想い出の中にある”かき氷”といえば、毎年、避暑地の海辺のよしず張りの店で食べ
た”スイ”だ。昔から”かき氷”のシロップはイチゴ、レモン、メロンが定番だったが”スイ”
といって砂糖水だけのものがあった。今でもあるのだろうか。鉢巻きをしたおじさんが汗だ
くになって、大きな氷をかんなの上でかいていた姿が目に浮かぶ。こんな”かき氷”なら
食べてみたい。グルメが食べられなくなった老人の僻みである。

    ある原爆被爆インドネシア人学者の死

2010-09-04 06:03:43 | Weblog
アリフィン・ベイさんが2日、ジャカルタ郊外タンゲランの自宅で老衰のため亡く
なられた。85歳の高齢であった。さきの「ブンガワン・ソロ」の歌手、ゲサンさん
の死といい、一つの時代が終わった感がある。日本で”ベイさん”と愛称で呼ば
れていたアリフィン・ベイさんは、日本と日本人の心を最もよく知るインドネシア
人の学者であった。

ベイさんが初めて日本に来たのは1944年(昭和19年)、日本政府が大東亜共栄
圏各地から招いた戦時留学生の一人としてであった。ベイさんは東京で日本語
を学んだあと、広島文理科大学(現在の広島大学)に留学、20年8月6日の原爆に
あっている。幸いベイさんは助かったが、マレーの同じ留学生仲間二人が亡くなっ
ている。

僕が初めてベイさんと会ったのは1966年(昭和41年)で、その時ベイさんはジャカ
ルタで「インドネシア・ヘラルド」という英字紙の編集長をしていた。ベイさんは西ス
マトラ出身の敬虔な回教徒だが、戦後米国の大学で学位をとっている國際政治学
者である。

数年前、脳疾患で倒れ自宅で家族に見守られ療養中だったが、親しい日本人の間
ではベイさんの前からの持病の喘息は、原爆の後遺症ではないかとささやかれていた。
ベイさんは一言もそんなことは周囲に言わなかったが、僕も原爆被爆と関係があるよ
うに感ぜられた。いずれにしても原爆被爆者である。一度診察の機会はあってもと思
いながら、機会を逸してしまったの残念である。

改めてお悔やみ申し上げます。合掌。

      前時代的な新聞の”ナベ・カマ”商法

2010-09-03 05:55:39 | Weblog
わが家では今月から一年間購読していたA紙をやめてB紙に切り替えた。B新聞は僕が
かって勤務していた義理からも継続して読みたかったのだが、トラブルがあり中止した。
その直後、拡張員がわが家にやってきて再読を迫るので、老妻が根負けして、来年から
という条件でOKしたら、お礼といって電気カマを置いていった。

一年たって9月1日が切り替え日だったのに、断ったA紙が相変わらずポストに入っており、
肝心のB紙が配達されてこない。新聞販売店のお客の管理はどうなっているのだろうか。
B紙の販売店に電話したら、あわてて持ってきたが、もし、こちらから電話せず、そのまま
にしていたら、電気カマまで呉れて勧誘した読者を失っていたところだ。

インターネットの普及で読者離れが進み、このところの不況から広告量が減って新聞経営
は大変らしい。それだからなのか、新聞も勧誘が激しくなっている。けっして電気カマで味
をしめたわけではないのだが、B紙のあと老妻は来年からという条件でC紙と契約したとい
う。そしてC紙からもお礼として洗剤とお米の袋を受け取っていた。新聞社にいわせれば不
良読者だが、家庭の主婦にすれば、呉れるものならーということだろう。

確かに最近の新聞は、どの新聞でも同じで特色がない。速報性ならインターネットに負ける
し、写真ならテレビ画面のほうが迫力がある。新聞の生き残る道は何なのか。やはりニュー
スの解説とその社の持つ主張ではないのだろうか。


       民主党代表選挙サポーター票の行方

2010-09-02 05:48:12 | Weblog
民主党代表選挙が昨日告知され、菅、小沢両候補の一騎打選が始まった。二人の候補
の立候補共同記者会見をテレビで見たが、率直な印象は、小沢氏がなぜこの時期に立
候補するのか、それより立候補する意図と政策が国民には、はっきりしないことだ。にもか
かわらず、党所属議員の半分が小沢氏を支持しているとのこと。おかしな政党だ。

フジテレビ系の特番に蓮舫行政改革相と山岡賢次副代表とが出ていた。面白い顔合わせ
などで見ていたら、山岡氏が”野党の中にも蓮舫さんみたいな人がいるが”と口をすべらせ
た。本人は多分気がついていないと思うが、小沢氏支持急先鋒の山岡氏にとっては、反対
派は、すでに”野党”なのだろう。

小沢氏支持決起大会で、やわらちゃんが気合をいれいたが、その近くで、かっての総理大臣
のうつろな顔が写っていた。この人たちは、昨年民主党が政権をとって以来、迷走を続け、そ
の反省もない”小鳩体制”の復活を望んでいるのだろうか。

僕は民主党の支持者ではないが、かりに小沢一郎氏が代表になり総理になれば、日本丸は
沈没の危険にあると思っている。その意味で代表選挙でのサポーター票が菅候補へ行くのを
期待している。選挙はポイント制で、サポーターの票は一人一票と数えられないが、多いにこ
したほうがよい。

この夏の異常な暑さはまだ当分続くという。その中での”猿山のボス争い”みたいな選挙選を
みるのはうんざりだ。岡村日商会頭が選挙戦の空白で日本経済が停滞するのを気遣ってい
たが、円高株安は大丈夫なのだろうか。

      ”天災は忘れた頃にやってくる!”

2010-09-01 04:55:59 | Weblog
北スマトラ(インドネシア)のシナブン山の噴火をテレビの画面でみた。黒い煙が
上空2000㍍の高さにわたって伸びている。僕は1998年、北スマトラの州都メダ
ンに半年ほど滞在したことがあり、あの辺りの地理には詳しいが、瞬間、シナブ
ンが何処だった判らなかった。そのはずである。シナブン山はインドネシア最大
の湖、トバ湖の北方30㌔にある山で、この400年ほど噴火した記録のない休火山
なのだ。

きょう9月1日は「防災の日」である。僕らの世代は9月1日が関東大震災が起きた
日であることはよく知っているが、若い世代はどうなのだろうかー。1923年9月1日
午前11時58分23秒、東京を中心に関東地方一帯にM7・9の海溝地震が発生した。
この地震で約200万人が被災し、地震による家屋の倒壊、火災、津浪などで14万
人の方が亡くなっている。あれから87年の歳月が流れ、直接地震を体験した人は
少なくなってきた。

徳川時代の安政年間(1855年)にも江戸に大地震が発生している。江戸時代だと
遠い昔のように錯覚するが、関東大震災との間隔は67年である。戦前の有名な気
象学者、寺田寅彦先生は”天災は忘れた頃にやってくる”といわれたそうだが、一つ
の警句である。

富士山の最後の噴火は1707年の宝永大噴火である。北スマトラのシナブン山の最
後の噴火は1600年だそうだから、宝永大噴火より100年も前だ。インドネシアの火山
分類によれば、シナブン山はタイプBの火山で、地震計も設置されていなかった。1991
年に大噴火したフィリピンのピナツオ火山は700年間も噴火がなかった。”天災は忘れ
た頃”にやってくる。絶えず防災心を持つことにしよう。