Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

7月18日(月) この時代に、何が求められているのか

2022-07-18 20:30:42 | 日記

今日のテレ朝モーニングショーで、ようやく旧統一教会と自民党など政界との癒着の構図が話題にされました。長年、この統一教会を追及してきた有田芳生氏を呼んでの話でしたから、具体的で、戦慄すべき内容も含まれていました。スタッフの勇気ある姿勢が感じ取られ、久々のクリーンヒットでしたね。ネットでも話題に。番組では是非とも追及の手を緩めないでほしいものです。

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昨日昼には、大型ショッピングセンターの前で、月1回の定例スタンディングが行われました。池田町のいくつかの団体が共同で行っているものですが、道行く人もおらず、駐車場には車だけ。道路を通る車はあっても、何だろうくらいで通り過ぎる、そんな活動にどれだけの意義があるのか、いささか疑問に感じています。

いや、毎月、アピールする行動が大事なのだ、という反論があるでしょう。行動の意義は否定するものではありませんが、時期として、このような活動の形態が果たして有効なのかどうかという視点から見つめ直してみることも大事だろうというのが、私の考えです。

求められて、個人としての感想をマイク越しに話しました。私の話の中に、なぜ上記のような懸念を持つのか感じ取ってほしいと思うのですが、果たして通じるのかどうか。

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所感

安倍前首相が、旧統一教会に恨みを持つ者の手で殺害されるという許しがたい事件が起きた。
動機はどうあれ、重要な政治家が殺害されるという事件は、必ず歴史の転換点、急展開の分岐点となる。それは戦前の歴史が物語っている。

何故か。それは、権力がこの事件を最大限に利用し、これまでやりたくても出来なかったことを一挙に実現するテコとするからだ。やりたくても出来なかったこととは何か。

第1は、国全体を安倍礼賛一色に塗りつぶし、過去の所業にすべて蓋をすること。これに反対する者は非国民とでも言いかねない雰囲気を作り出すこと。
法的な根拠もなく、悪政の限りを尽くした安倍の国葬を持ち出して、安倍礼賛一色に染め上げようとしていることが何よりの証左となっている。

第2は、安倍の「偉業」を引き継ぐとして、改憲を強行し、戦争への道を一挙に進めようとすること。
衆議院の憲法審査会が過去のどの時期よりも速い週一のスピードで行われている。新型コロナやウクライナ情勢を利用して、9条への自衛隊の明記、緊急事態条項を盛り込むことを画策している。

第3は、国民の分断を図り、民主的な言論と活動を根絶やしにすること。秘密保護法、共謀罪など、法制化はほとんど完成しているから、あとは、ぃつでも運用で弾圧を強めるチャンスを狙うだけ。

これらの危険な動きに、大手商業メディアが権力に取り込まれていることによって、残念ながら国民の側から選挙でも具体的な運動でも有効なたたかいを組織できていない。
岸田政権にとっての選挙のない安定の3年間。おそらく日本の歴史にとって、この3年間は決定的な年になることは間違いない。

手をこまねいて、ウソの情報と監視カメラが溢れ、貧困と戦争に怯える暗黒の時代を招くのか、それとも、このような権力の狙いをくじき、希望を持てる時代の幕開けにできるのか。どのような行動をとって彼らに抗うのかが、ここに参加している一人一人に鋭く問われていると考える。

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7月18日(月) 妻の誕生日

2022-07-18 16:30:18 | 日記

今日は妻の誕生日。近くに子ども達がいるわけでもないので特段パーティーでもやるわけでもなく、静かに1日が流れていく。先日来、テレビでも高齢者は肉を食べましょうという番組が目立つので、今から焼き肉屋に出かけてお祝いをすることにしました。

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以前、話し言葉について、喋った言葉を文字にしたときに、そのまま主述の整った文章になっていることに憧れると書いたことがありました。勿論、今でも、いやむしろ以前より強くそのことを思うようになっています。

というのも、いま町の行財政改革委員会の会議録の文字起こし草稿を私が担当していて、3時間から4時間にわたる会議の発言をすべて収録する作業をしているからです。
話し言葉ですから、あっちへ行ったりこっちに来たりは当然あるし、まあとかえーとかのフィラーが多用されたり、方言が混じったりして、何を言っているのか即座には掴みにくくなったりというのはザラです。
それを後から読んでスッキリ意味の通る文章にして差し上げるわけですから、ある意味大変な仕事だし、場合によっては趣旨を曲げることもあり得るので、相当に緊張を要する作業なのです。

本来、役場の事務局が行わなければならない業務なのに、なぜ私がやっているのかという問題は、ここでは脇に置くことにしましょう。それは、それで、結構大変な意味を持っていることだけはメモしておくことにして。

折しも、MNEMOさんが、将棋の藤井聡太棋聖の話し言葉について書いており、頭脳明晰なのだから「若い世代を代表する日本語話者としての自覚も持ってもらいたい」と書いた一文を目にして、ウンウンと頷いたことでした。
何年か前にはインタビューを聞くたびに、何と「ま」とか「まあ」が多い人かしらと、少々ウンザリした記憶がありましたが、この前の話し方は、ちょっと大人っぽくなっていましたかね。

MNEMOさんの言い方を借りると、私が自らの経験に照らして何とか克服したいと思ったのは、まさに「文字にしたら文として破綻している口語文」でした。話し言葉としては何となく分かるようで、実は文字にすると、文字にすらならない発語のこと。

たとえば、ある集会で、原稿なしで話さなければならないときなどに、「破綻」が起こる。酷いときは、第1に、と話し始めながら、第2,第3に何を言いたかったのか忘れてしまう。これは惨めです。
かつて、労働組合での発言を、アホな編集者が”全くそのまま”文字起こしされたことがあって、冷や汗を流したことがありました。

前にも書いた(?)ように、私の解決法は、何かを話すときには、事前に、あるいは直前に項目だけでもメモをすること。瞬時に話を組み立てる能力の持ち合わせがないので、せめてちょっと前に、話の組み立てを準備しておくこと。これがあるとないとでは、まるで話し方が違います。
もう一つが、自分の発言をテープやレコーダーに記録すること。あとから、自分で聞いてちゃんとつじつまがあっているのかどうかが確認できます。何より、テープに取ることで、発語に緊張感が生まれますから。ちなみに、東京の塾での授業では、何度も記録をして、今でも残っています(ときどき富山弁のイントネーションが出てくるのはご愛敬)。

立て板に水のように、相手の気持ちを捉えながら話すことができる能力は素晴らしいものです。しかし、凡人はそんな芸当はなかなか出来るものではない。考えながら、訥々と話すことも悪いことではない。
しかし、話したことを、そのまま文字にしたときにどうなるのかを考えておくことは、私たちのコミュニケーションの重要な技量の1つであるだけではなく、子ども達にとっても(私たちにとっても)、大人になるつまり社会人として成熟するために習得すべき、人間として極めて重要な「わざ」であると私は思うのです。