Mooの雑記帳

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3月24日(水) ロシアの侵略阻止、ウクライナ支援をめぐるいくつかの論点

2022-03-24 19:59:14 | 日記

ゼレンスキー大統領の国会演説がありました。同時通訳で聴いたものと翻訳で読むのとではかなり異なって、十分準備されながらも大変抑制的で、自国の未来への確固たる決意を感じ取ることができたように思います。

ウクライナへの対応について、2つの懸念するべきことがあります。
そのひとつは、これを利用して、この国の憲法改悪にまで持って行こうとする自公、維新などの動き。参議院の憲法審での自公の妄動はその現れでしょう。その先頭を走って先導役を果たしているのが、アベ、維新の「核共有」論です。

YouTubeの参院憲法審査会の紹介動画(TBSニュース)につけられていたコメントに、こんな書き込みを見かけました。

非核三原則では守り切れない事が解りました。明日に日本にウクライナと同じ事が起きた時与野党は国民にたいして、どう言う責任を取るのですか?

中国、ロシアから武力侵攻があったらどうするのか、いまのまま非核三原則にこだわっている限り日本を守ることができないのではないのか、という論法です。上の「与野党はどう責任を取るのか」という問いかけは、見当外れもいいところで、詰まるところロシアと同等の核武装をして侵略から守ると同時に、敵基地もたたくことができる軍備を持てと言っていることに等しい。そうすべきなのにしないのは与野党の責任であると主張したいならそうすればよろしい。それはプーチンと同列であり、歴史から何も学ばない亡国の論理です。

中国、北朝鮮の最近の動向とウクライナ情勢とが重なり合って、メディアを通してその雰囲気が作られていくことに最大限の警戒が必要です。相手が核で脅すなら、こちらも核を用意して対抗するという論理は、まさしくプーチンと同じ思考であって、ロシアに重大な危機が迫れば核を使うという先制使用を縛るのは核による抑止ではありえません。むしろ核抑止論の破綻がこのウクライナ情勢で鮮明になったのではないのか。

軍拡に走り、相手の基地を先制攻撃するという最近の岸田政権の動きも全く同様の論理に立っている。「9条で国民の命を守れるのか」という一見「そうかな」と思わせる受け狙いの物言いも、同じ土俵で物事を見ている。自国が侵略されたら、あらゆる可能な手段を講じてその国の人々の命を守るというのは、当然のことではあれ、侵略の口実を渡さない外交こそが必要です。

日本は、アメリカの事実上の従属国として、沖縄を中心に米軍基地を置き、自由気ままに使わせている。もし台湾有事となり米軍が関与することになれば沖縄の米軍基地や首都周辺の基地も、中国の攻撃の対象になり得る。自動的にそうなるのです。
日米同盟強化という路線には、ウクライナへのロシアの侵略という次元では見えない危険が埋め込まれている。そのことを忘れて憲法を変えようとするなら、その危険を一層強めるだけでしょう。

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そのふたつは、ウクライナ情勢の本質が、ロシアによる侵略であるという点を忘れて、相対的な立場を強調する動きです。
まだその詳しい実情は見えない部分がありますが、れいわ新選組の主張する「中立」という立場。

れいわ新選組は今月の2日の国会での「ロシアの侵略非難決議」に反対しました。「ロシア軍による侵略を最も強い言葉で非難し、即時に攻撃を停止し、部隊をロシア国内に撤収するよう強く求める立場」であるとしつつ、「異常な事態を終わらせようという具体性を伴った決議でなければ、また、言葉だけのやってる感を演出する決議になってしまう」、つまり、言葉だけの決議ではないかという言い方です。もっと実効性のある決議をという具体的な提案には、それなりの説得力がありますが、実はホームページを見てみると、その後、ウクライナ問題についての記事が驚くほど少ない事に気がつきます。

昨日の記事として、「ゼレンスキー大統領演説を受けて」という談話が載っており、そこでは冒頭「国会での演説に始めからスタンディング・オベーションというプログラムがが組まれていることが問題だ」という見解が披瀝されていました。これは正当な主張です。
続いて「日本は独自の立場を貫き、制裁の強化拡大に安易に加わるべきではない」「国際紛争を解決する手段として武力の行使と威嚇を永久に放棄した日本の行うべきは、ロシアとウクライナどちらの側にも立たず、あくまで中立の立場から今回の戦争の即時停戦を呼びかけ和平交渉のテーブルを提供することである」と述べられています。

人道支援としてウクライナから希望する人々を受け入れるために、航空機、船舶などの用意をするほか、医薬品、食料品などを大量に送ることも必要でしょう。これはれいわ新選組に言われなくても当然行うべきことです。日本政府のやっていることは、1億ドルを2億ドルに引き上げた程度。まだまだ足りません。しかし、「中立の立場から」というのは一体どういう意味か。私にはさっぱり分かりません。「侵略した方」にも「された方」のどちらにも立たずというのは、侵略を最も強い言葉で非難するという立場とどう折り合いをつけられるのか。

日本が行うべきウクライナ支援とロシア制裁は当然ながら日本国憲法に沿って自制的に行われるべきで、武器に類するものを送ったりすべきではなく、たとえ医療関係であっても自衛隊員を派遣するべきではありません。
制裁についても、アベ=プーチンの屈辱外交の汚点を引き継いだ中途半端な物となっており、れいわ新選組のことばを借りれば、「日本は独自の立場を貫」いて、それらを精算し今後の経済協力の枠組みをきっぱりと拒否する必要があります。政党としては当然自公政権にこのことを求めていかなければならない。れいわ新選組はこのことについては全く触れていません。

恥ずかしげもなくアベが「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。・・・ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」(首相官邸HP)と述べたのは、わずか3年程前の令和元年9月5日のことでしたよ。このことを忘れてはなりませんね。

れいわのツイッターを見ると、談話の下の書き込みには「ロシアは悪いと言いながら何ら戦争反対のための行動を行っていない」「この加害者と被害者の関係性が、この談話ではぼやかされています。ロシアとウクライナどちらの側にも立たず、あくまで中立の立場から」即時停戦を呼び掛け、和平交渉のテーブルを提供する、とのことですが、まず被害者であるウクライナの側に立つべきではないですか」という厳しい意見が並んでいました。それも当然でしょう。

また、都知事選に立ったこともある鳥越俊太郎氏は、ゼレンスキー大統領の国会演説について、「アメリカ議会でremember Pearl Harborなら日本の国会ではremember Hiroshima &Nagasakiでしょう!それ以外にはない!そこを外したら奴は単なるアホだ!」「私はゼレンスキーに国会演説のチャンスを与えるのには反対する!どんなに美しい言葉を使っても所詮紛争の一方当事者だ。台湾有事では台湾総統に国会でスピーチさせるのか?」などと、唖然とするようなことを口走っていました。いったい何なんですかね。

ウクライナ全土を攻撃の対象として侵略行為を行ったロシアと、それまで平和裏に過ごしていたウクライナとを同列の紛争国として扱う鳥越氏の論法は的外れだし、常軌を逸しています。結局、ウクライナの人々を支援する活動や、停戦とウクライナからの即時撤退をロシアに求める声の集中などの活動を萎縮させるだけでしかありません。

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ゼレンスキー大統領の1節を最後に掲げておきましょう。

最も大切なのは、地球上のすべての侵略者たちに、戦争を始めたり世界を破壊したりすれば大きな罰を受けることになると知らしめ、思いとどまらせることです。責任ある国々がまとまって平和を守るのは、全く論理的で正しいことです。