箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著
「人格をつくる言葉」㊱ 自己の肉体を精霊の器とせよ。
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自分の肉体は自分そのものと思い込んでいる人は、肉体は必ず死ぬ現象を体験して、死ぬことを恐怖にとらえている。ゆえに、生きている間は楽しまなければ損であると信じているのである。
それが死後の世界へ来てみると、生前と変わらない景色が見えるから、「自分はまだ死んでいない」と感じるのである。しかし、この世の人たちの言葉や仕草はわかるのだが、こちらからの言葉や行動が全く伝わらないのである。「これは夢を見ているに違いない!」としか思えず、永遠と彷徨う=幽霊になるのである。
仏法真理をすこしでも学べば、魂は永遠であり、肉体は魂の器に過ぎない、と。肉体に振り回される魂ではなく、器に感謝しながらの人生を歩むことが理想である。
汚れた魂の器ではなく、努力精進する魂に役に立つ器であろうとすることも、魂の方の管理責任である。
単なる魂の器だとはせずに、魂を守ってくれる器であり、器を通しての諸問題もたくさんある。諸問題を解決する能力を鍛えてくれるものでもある。
大切に取り扱う姿勢が、精霊の宿る器となる。
生まれる前の人生計画を認めてもらい許可をいただけたから現在の自分がいるのである。そして、親を縁として肉体をいただいているのであるから、その肉体に不備があるとすれば、本人が望んだ事になるのだ。計画通りに進んでいるのである。肉体の不備を嘆くのではなく、これはすごい計画を立てたものだ、心して取り組もう!となるのが精進する姿勢であろう。