あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

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三島の切腹は日本においてよりも白人社会でその意味を果たした

2014-11-12 00:00:10 | 日記

保身の塊の人や保身あっての人生だと考えている人に知ってほしい内容ですね。

 

奄美のアマちゃん より転載です。

以下あくまで私見。

三島の切腹がいかに大きな意味を持つものだったかというお話。



三島文学は日本よりも外国に対して、その影響力が非常に大きいのを、日本人はほとんど知らない。

三島は英語を学んでいたので、翻訳されても三島文学独特の耽美な文調が伝わりやすかった。

(三島自身が翻訳文をチェックすることができた)

そのため、世界の著名人には今でも三島ファンが多い。

ましてや、当時「東洋のサル」としか思われてなかった極東の一島国から発信された

三島の作品にある「日本の美学」のレベルの高さは、白人の文化人達を驚愕させた。

ノーベル文学賞を川端康成が受賞したとき、なぜ三島ではないのだと思った人も多い。それほどの格調の高さが三島文学にはあった。

その三島が、「檄文」と共に、「自衛隊の決起」を促して「切腹」したのだ。

この檄文の内容を、そして三島の切腹を「白人の立場から見た」ときに、どうであろうか?

三島の檄文にあるのは、明らかな「憲法九条というアメリカの欺瞞と、それに屈している日本のサムライ達への怒り」だった。

三島は、その死でもって世界に見せつけ、叫んだのだ。

「保身を捨てたサムライの魂を見せてやる!アメリカよ、白人共よ、俺達は天皇のためにいつでも死ねるぞ!」

と。

これは、欧米人にとって、非常に怖い内容だと思わないか?

三島はその強烈なる文学と死を持って、

白人社会に「日本の美しさと怖さ」を見せつけた。

そして、白人達のつくった「戦後秩序」の欺瞞を、世界に喧伝したのだ。

これは、何よりも三島にしかできなかったことであろうと思う。



そのハラキリの意図を、日本のマスコミは一切伝えなかった。

「強烈な劣等感から虚勢を張っている目立ちたがり屋の文学作家が、

自分のヒーロー願望のとおりに自殺した、劇場型公開自殺にすぎない」




と断じた。

たしかにその一面もあるだろう。

しかし、それはあくまで三島が【あえて晒していた】一面にすぎない。

ほとんどの日本人は、三島の虚勢や劣等感から生じたヒーロー願望という「三島がわざと見せていた」一側面を、




あたかも自分だけが見抜いたかのようにことさらにあげつらい、それを三島への評価につなげるが、

三島自身が、それを【あえて晒していた】という事実に気付かない。

三島の本当の恐ろしさがそこにあるのだと気付かないのだ。

あなたなら、すべての劣等感と繕いと虚勢と願望と内心の憤怒までも、

世間に晒して、それを批評される勇気があるか?

三島はそれをやってのけたのだ。

それこそが、三島が【世界に仕掛けた目】だ。

三島は非常に研ぎ澄まされた観察者でもあった。

三島はすべての自分の弱みをあえて晒し、弱みに狼狽する自分をも観察し続け、

自分自身の透徹した視点に見据えられる血反吐を吐くような精神の苦悩から、

あのどこまでも美しく優しい文学を完成させたのだ。

三島のあの虚勢の姿を見て嗤う者は、

三島の真似をできればしてみるがよい。

多くの人は、「そんなことする価値もない」と言うだろう。

しかし、私は断言する。

おそらく常人なら発狂するだろう。

「すべての虚勢や繕いを【あえて晒す】」ということが、

どれほどに耐え難いものであるか。

ほとんどの人間は、虚勢の背後にある「プライド」がそれを許さないから。

自分の劣等感や劣等感を繕うための虚勢を世間に指さされ嘲笑されたら、

私自身はすくなくとも正気でいる自信はない。

繰り返すが、

三島は、それをあえてやってのけたのだ。

そして、自分を笑う者や軽蔑する者を見ているのではない、

自分と、自分を笑う人々の内に横たわる

「虚勢や欺瞞に目を向ける勇気を持てないがための誤魔化しの心」

を、ジッと見ている。


その最後が、あの檄文だった。

自衛隊に対して、「キミ達がアメリカを護らねばならないこの矛盾をキミ達自身の手で暴け!」と、

三島は叫んだ。

三島の義挙は、

サムライ達に託した、

自分の生き様のすべてをこめた、国と人への愛だった。




最後に、

三島は、自衛隊が誰もついてこないと、おそらくは察していただろうと思う。

繰り返すが、三島の本心はあの檄文にある。

あの檄文を、読んでほしい。

あの檄文を、分かる人間達の元に伝えるために、

三島は命をなげうった。

命をかけて伝えたかった言葉がそこにある。



三島の死は、白人社会にこそ、伝えるべきことを伝えた。

それを本来は、ジェネラル(軍人)がしなければいけないことだとも三島は語っている。

三島は透徹した観察者だった。

しかし、観察者のみではなく、行動者だった。

三島は自分を嗤う日本人のために、その命を捧げたのだ。

三島の死を、決してナルシズムのみで語ってはならない。

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