愛の起源より転載です。
本日は、『教育の法』より抜粋で第三章より
ほんの少しでも、皆さんの役に立ては嬉しいです。
*:..o○☆゜*:..o○☆゜*
『宗教的教育の目指すもの』
◆体育などで体を鍛えると、勉強が出来るようになる
社会に出てから意外に役に立つのは、体育です。
ただ、体育だけでなく、部活(クラブ活動)も含めての体力づくりというものが大きな意味を持っていることは、一定の年齢にならないとわかりません。
若い人は大抵、「体力があるのは当たり前だ」と思っているのですが、「体力がないために、実は勉強もできなくなっている」ということが、なかなか分からないのです。
私の場合、後から振り返ってみると、大学の専門部のときが、まさしくそうでした。
教養学部のときは、まだ体育の授業があったので、体を鍛えられたのですが、専門学部に行ってからは、体育が一切なくなってしまいましたし、部活もしませんでした。
大学には、勉強だけをしに行っていたのですが、なんか体が重いのです。
通学するだけでくたびれますし、勉強していても、あまり長く集中力が続きません。
それが今なら分かるのです。
しかし、当時は分かりませんでした。
学生なので、「体力を鍛えると勉強が出来るようになる」
ということは考えていなかったのです。
体力が勉強に影響を与えるのは、社会人になってからも同じです。
知力を長く保ち続けるための基礎は体力です。
私は、本を大量に読んでいますが、本だけを読んでいると、吸収力、理解力が、だんだん落ちていきます。
ところが、散歩なら散歩を一時間入れると、そのあと見違えるほど本が読めるのです。
一時間、散歩をするとその分、時間を損するように思うかもしれませんが、それを入れると血流が良くなり、内容を理解しながら本を早く読めるようになったりするのです。
◆体力を維持すれば、知的活動を続けることができる
部活をすることには、頭の中を空にするような効果があり、それで知識の吸収力が増すのです。
したがって、先生は生徒たちに、「体育などの運動によって肉体の基礎をつくることが、どれほど、知的なレベルを上げたり、維持したりすることに必要か」という、体育の大切さ、体力と勉強の関連を教えて下さい。
そうしないと、「秀才になるには勉強だけをすればよい」と思う人が出てきます。
実際には、それでは駄目であり、体力がなければ勉強は続かないのです。
つづく
本日は、『教育の法』より抜粋で第三章より
ほんの少しでも、皆さんの役に立ては嬉しいです。
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『宗教的教育の目指すもの』
◆体育などで体を鍛えると、勉強が出来るようになる
社会に出てから意外に役に立つのは、体育です。
ただ、体育だけでなく、部活(クラブ活動)も含めての体力づくりというものが大きな意味を持っていることは、一定の年齢にならないとわかりません。
若い人は大抵、「体力があるのは当たり前だ」と思っているのですが、「体力がないために、実は勉強もできなくなっている」ということが、なかなか分からないのです。
私の場合、後から振り返ってみると、大学の専門部のときが、まさしくそうでした。
教養学部のときは、まだ体育の授業があったので、体を鍛えられたのですが、専門学部に行ってからは、体育が一切なくなってしまいましたし、部活もしませんでした。
大学には、勉強だけをしに行っていたのですが、なんか体が重いのです。
通学するだけでくたびれますし、勉強していても、あまり長く集中力が続きません。
それが今なら分かるのです。
しかし、当時は分かりませんでした。
学生なので、「体力を鍛えると勉強が出来るようになる」
ということは考えていなかったのです。
体力が勉強に影響を与えるのは、社会人になってからも同じです。
知力を長く保ち続けるための基礎は体力です。
私は、本を大量に読んでいますが、本だけを読んでいると、吸収力、理解力が、だんだん落ちていきます。
ところが、散歩なら散歩を一時間入れると、そのあと見違えるほど本が読めるのです。
一時間、散歩をするとその分、時間を損するように思うかもしれませんが、それを入れると血流が良くなり、内容を理解しながら本を早く読めるようになったりするのです。
◆体力を維持すれば、知的活動を続けることができる
部活をすることには、頭の中を空にするような効果があり、それで知識の吸収力が増すのです。
したがって、先生は生徒たちに、「体育などの運動によって肉体の基礎をつくることが、どれほど、知的なレベルを上げたり、維持したりすることに必要か」という、体育の大切さ、体力と勉強の関連を教えて下さい。
そうしないと、「秀才になるには勉強だけをすればよい」と思う人が出てきます。
実際には、それでは駄目であり、体力がなければ勉強は続かないのです。
つづく