すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

罪悪感の減らし方。その1

2016-02-14 10:02:49 | My メソッド
罪悪感は、とてもやっかいな感情です。

嬉しい、悲しいのようにシンプルなものではなくて、なかなか自覚しずらい上に、違う感情に姿を変えやすいのが特徴。

感じるのが耐え難い不快な感情なので、そんな風に無意識の処理が行われるのでしょう。

罪悪感とは、言うなれば、

「私は悪い人間である」
「私は罪を犯している」


と自動思考して、発生している感情ですからね。

そんな客観的事実はないのに、あるいは何らかの失敗の事実はあっても、その責任をはるかにこえる分量で、自分が自分を、悪い、罪人だ、と思い込んでいるのです。

そんな感情、蓋をしたくなるのも無理はありません。でも蓋をしても消えるわけもなく、見ないふりをした感情は心の奥底に沈みこんでいきます。自分は罪深い人間だ、という信念の強化に力を貸すだけです。

罪悪感は、とっさに、その罪悪感を抱かせた他者への怒りにも姿を変えます。

たとえば、日常のこんな一場面。夫に「あれ、今日は冷蔵庫にビールないね」と言われて、突然怒り出す妻。「あたしは、あんたの召使いじゃないっ!」。

これは、ビールを買い忘れた、という妻の罪悪感から発生しています。罪悪感がなければ、「そう?じゃあ明日買っとくよ」とか「えー、もう飲んじゃったのー」で終わり。

でも、そんな風に流せないのは、最初に自分が自分を無意識に責めているから、夫が自分を責めているように感じて、感じたくもない罪悪感を感じさせた夫に怒りをぶつけてしまうのです。

罪悪感を貯めこむよりは怒りとして小出しできる方が健全とも言えますが、怒りの発生元が罪悪感であるという気づきがないと、不毛なコミニュケーションエラーは解消されないままになります。

🔸🔸🔸

罪悪感は、心の専門家と呼ばれる人たちの多くが「不要」「役に立たない」「問題解決を遅らせるだけ」と看破します。

罪悪感の強い人は、最初は、この解釈すら受け入れられないかもしれません。

でも、その感情が自分にも周りにももたらした結果についてつぶさに思いを馳せれば、見えてくるものがありやす。

罪悪感は、ひたすら自分からエネルギーを奪い、身動きを取れなくさせたり、罪悪感を埋め合わせる行動に駆り立てたりして、自分らしさを奪います。

周りに甘えや強い依存を生んだり、被害者や加害者を作ったりします。自分の責任を放棄する人を引き寄せたりします。

罪悪感は、罪悪感を感じさせて、他人をコントロールしたい人にだけ有用です。

例えば、ブラック企業。アルバイト社員ですら、簡単に辞めさせてもらえないという事例を聞いたことがあります。会社に迷惑をかけている、とか、自分は非常識だ、と思わされる言葉をなげかけられ、実際に自分を責めて身動きがとれなくまります。

これはまさに罪悪感の植え付けです。

元々罪悪感の強い人は、企業が悪い、という発想がなかなかできません。発想はあっても、「でも、私も悪いんだ」と自分の罪悪に比重を置きます。

このしくみを見ると、罪悪感が、真の反省を促したり、物事をよい方向に向かわせたり、人を幸せにする感情では決してないことがわかります。


つまり、罪悪感って幻想なんです。物語なんです。そこに、罪悪感に見合うだけの罪も悪も存在しないのに、

私、この人に悪いことをしてる。
私、みんなに迷惑をかけている。


と自動的に思い込んでしまう、

脳内だけの事実です。



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ここからは、
罪悪感を減らしたいと感じる方に。

罪悪感を減らすためには、まずは、このやっかいな感情から逃げ回らないことです。

そして、感じないための行動(例えば誰かの機嫌をとるなど)をする前に、怒りの感情に変える前に、しっかりと感じることがスタートです。

罪悪感を察知したときに、それを充分に感じて、その感情に「罪悪感」としっかりラベルを貼る必要があります。

自分の中から罪悪感を取り出して、自分と罪悪感との間に距離を置く感覚です。罪悪感、その存在を日に当てることです。

罪悪感を感じる事は、決して気持ちのよいものではありませんが、自分が意識的にその感情を迎えにいくことで、「私は、罪悪感を恐れていない」と、自分自身にアピールできます。

それだけでも、罪悪感をある程度手放すことができます。罪悪感を解放してやると、楽になった分だけ、そもそもこの罪悪感は必要ないのでは、という小さな気づき、疑問、認知の変化をもたらすこともあります。

罪悪感を直視しなければ、こうした変化は、起こりようがありません。

🔸🔸🔸

さらなるトレーニングは、行動→実感、この蓄積に尽きます。

詳しくは、また、次回♡


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