すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

自責の逆は、他責じゃない。

2016-02-24 23:05:16 | ひとりごと
春本番近し、ですね。

夕方延長保育に預けている息子を幼稚園に迎えに行くときの空の明るいことといったら。

冬がグングン遠のいていくのを感じます。

鼻もムズムズしてきたし。
それと、もう一つの徴候も。

去年も、こんなの書いてますが、今年も、先日のPMSあたりから、そのまま春先の不調に突入しました。



なあんにもやりたくないです。


おまけに、

肩が重いです。
立ちくらみがします。
テニスボールが見えなくなります。


そして、なにより、

自責に偏ります。


すでに、毎年の恒例行事のようなものなのに、「普段の私」から逸れるのがやっぱり恐ろしくて 、このまま自分はダメになってしまうかも、なんて妄想してジタバタします。

ジタバタする間に、知らず知らずに、意識が自責に向かいます。

それに気づくのが、

普段はなんでもない、
誰かの言葉が自分を責めているように感じる。
結果的に、その誰かを責める意識が高まる。


という現象に、ことごとく遭遇するからなんです。

自責 → 他責 →自責 →他責

を、時に静かに、時に激しく繰り返してるんですね。

この、エネルギーの消耗ッぷりたら、ハンパないです。

自責も、そして、他責も、果てしなくエネルギーを使う。

不調でエネルギーが足りてないのに、自分も他人も責めて、さらに減らす。最悪です。


昨日、そこに気づいて、どうしたらよいか考えました。


まず、

1 休む。寝る。横になる。

2 仕事も家事も、とにかく最低限。

3 意識を自分に集中させる。他者を意識から極力消す。


この3つを自分に課す。許す。
つまり、徹底的にマイペース。

昨日と今日、これを意識したら、肩が軽くなってエネルギーが少し戻りました。

で、あと、大事なのが、


自責をやめる

です。

自責をともなう思考・感情が出てきたら、観察して、味わって、「私ができなくても、誰かがやるでしょ」といった言葉を、自分に穏やかに掛け続けます。

ここで、他責はダメなんですね。そこに向かうと、結局自責に戻ってしまう。

自責をやめるということは、つまり自責の逆は、他責に向かうということではないんですね。

自責の逆は、自責をやめる。それだけです。


自責をやめるだけなら、エネルギーは減らないんですよ。

ちょっと、抽象的なんですが、この発見が今の私には大きくて。


今日は、省エネ稼働しながら、自責をやめたら、誰からも責められませんでした。そして、誰かを責めたくなる気持ちも全く起こりませんでした。


🔸🔸🔸

季節のリズムで減ったエネルギーは、また日が経てば戻ってきます。だからこんな時期は、自責に傾かないように気をつけていさえすれば、どうってことないはずです。


あと、「春先の不調」という表現も、そもそもよくないですね。すでに、私のジャッジが入っている。

エネルギーが低下している。ただ、それだけなんですから、そのように過ごせばいいってことです。


しばらくは、低空飛行の自分が、いかに心地よく過ごせるか、を試行錯誤してみます。

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