罪悪感の少ない人が世の中を変える、としみじみ思う。
罪悪感の少ない人といえば、あの人。
かつての職場で一緒に働いた同僚。仔猫みたいな愛くるしい容貌で、よく笑う人だった。冗談も毒舌も上司の悪口も、舌をペロっと出しながら、言いたい放題。悔しいけれど、全然嫌味じゃないのだ。
彼女が入社してしばらくして、突然始業時間が30分遅くなった。
家庭の事情で、彼女は始業時間に出社が間に合わないために、上司にかけあった。一人だけ特別扱いはできないから、と会社の始業時間も変わったのだ。
別に、彼女が物凄く優秀だったわけではないし、押しが強いわけでもないし、その会社が柔軟な社風だったわけでもないし、上司が物分りのいい風でもなかった。
「いっそのこと、みなさんも30分遅くしたらどうでしょ」
ケラケラ笑いながら、彼女は上司に言ったのだ。なんとなく、まあそれもいいか、という感じて彼女の意見が採用された。
その時は、表現を知らなかったけれど、彼女みたいな人を、罪悪感のない人というのだと、今ならわかる。
🔹🔹🔹
罪悪感がない人は、思ったことをそのまんま平気で口に出す。自分の希望を悪びれずに告げる。他の人にはタブーな事もシレッとさりげなく触れる。
で、その希望通りに事が運ばれていく。
なぜかって、それは、みんなが言えないこと、言わないことの中に、実は大切な事が詰まっているからだ。
逆に、実はどっちでもいいことだったりするから、声をあげたもの勝ちのところがあったりもする。
罪悪感のない人は、自分のためにそれをやり、結果として、周りの人にも恩恵をもたらす。
もちろん、うまくいかないこともあるけれど、それはそれでスルーする。
一度上手くいかないからって、気にしない。自分を引っ込めたりしない。反省はしても後悔は滅多にしない。また、何かあれば、自分の思ったことを口に出していく。
そして、どうしても自分と折り合えない環境ならば、さっさと去っていく。
その屈託のなさ、正義のヒーロー、ヒロインぶらないところが、なぜか不思議と周りを惹きつける。安心させる。
こんな例を、彼女に限らず、何人もの罪悪感のない人がやってのけるのを見てきた。
何人もの、と言っても、たくさんはいない。罪悪感がなくて、しかも嫌われない人というのは、希少価値だからね。
まあ、それでも嫌う人は嫌うだろうけど。でも、そんなことにもいちいちめげないのが、彼女らの専売特許だ。
🔹🔹🔹
私は、罪悪感をたくさん抱えてきたタイプの人間だ。
だから、彼女らのような真似はとても出来なかった。自分のために無邪気に動くことも苦手だった。こんな人には、とてもなれない、と思っていた。
あれから随分時間が経ち、相変わらず罪悪感はある。でも、その分量は格段に減った。世の中を変えるほどに変貌はできていないと思うけれど、少なくとも自分のために行動することはできるようになった。
その、経験から言えば、罪悪感って減らせるよ、って思っている。
純正の彼女らのようにはなれなくても、トレーニングすれば、減らせる。体験を重ねれば、減らせる。本当にそうなのだ。やるか、やらないか、だけなのだ。
🔸🔸🔸
どうすれば罪悪感を減らせるか、という部分については、また次回以降にぼちぼち。おいおい。
罪悪感の少ない人といえば、あの人。
かつての職場で一緒に働いた同僚。仔猫みたいな愛くるしい容貌で、よく笑う人だった。冗談も毒舌も上司の悪口も、舌をペロっと出しながら、言いたい放題。悔しいけれど、全然嫌味じゃないのだ。
彼女が入社してしばらくして、突然始業時間が30分遅くなった。
家庭の事情で、彼女は始業時間に出社が間に合わないために、上司にかけあった。一人だけ特別扱いはできないから、と会社の始業時間も変わったのだ。
別に、彼女が物凄く優秀だったわけではないし、押しが強いわけでもないし、その会社が柔軟な社風だったわけでもないし、上司が物分りのいい風でもなかった。
「いっそのこと、みなさんも30分遅くしたらどうでしょ」
ケラケラ笑いながら、彼女は上司に言ったのだ。なんとなく、まあそれもいいか、という感じて彼女の意見が採用された。
その時は、表現を知らなかったけれど、彼女みたいな人を、罪悪感のない人というのだと、今ならわかる。
🔹🔹🔹
罪悪感がない人は、思ったことをそのまんま平気で口に出す。自分の希望を悪びれずに告げる。他の人にはタブーな事もシレッとさりげなく触れる。
で、その希望通りに事が運ばれていく。
なぜかって、それは、みんなが言えないこと、言わないことの中に、実は大切な事が詰まっているからだ。
逆に、実はどっちでもいいことだったりするから、声をあげたもの勝ちのところがあったりもする。
罪悪感のない人は、自分のためにそれをやり、結果として、周りの人にも恩恵をもたらす。
もちろん、うまくいかないこともあるけれど、それはそれでスルーする。
一度上手くいかないからって、気にしない。自分を引っ込めたりしない。反省はしても後悔は滅多にしない。また、何かあれば、自分の思ったことを口に出していく。
そして、どうしても自分と折り合えない環境ならば、さっさと去っていく。
その屈託のなさ、正義のヒーロー、ヒロインぶらないところが、なぜか不思議と周りを惹きつける。安心させる。
こんな例を、彼女に限らず、何人もの罪悪感のない人がやってのけるのを見てきた。
何人もの、と言っても、たくさんはいない。罪悪感がなくて、しかも嫌われない人というのは、希少価値だからね。
まあ、それでも嫌う人は嫌うだろうけど。でも、そんなことにもいちいちめげないのが、彼女らの専売特許だ。
🔹🔹🔹
私は、罪悪感をたくさん抱えてきたタイプの人間だ。
だから、彼女らのような真似はとても出来なかった。自分のために無邪気に動くことも苦手だった。こんな人には、とてもなれない、と思っていた。
あれから随分時間が経ち、相変わらず罪悪感はある。でも、その分量は格段に減った。世の中を変えるほどに変貌はできていないと思うけれど、少なくとも自分のために行動することはできるようになった。
その、経験から言えば、罪悪感って減らせるよ、って思っている。
純正の彼女らのようにはなれなくても、トレーニングすれば、減らせる。体験を重ねれば、減らせる。本当にそうなのだ。やるか、やらないか、だけなのだ。
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どうすれば罪悪感を減らせるか、という部分については、また次回以降にぼちぼち。おいおい。
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