すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

人生の後半。

2016-01-07 23:17:55 | 日記・できごと
あけましておめでとうございます♡

実家で、寝正月を過ごし、副交感神経が優位になりすぎたのか、寝ても寝ても眠い脳。頭が腐りかけ寸前で、昨日から仕事が始まり、やっと日常が戻ってきました。

実家では小学生から高校生までの甥っ子、姪っ子に囲まれて、彼らの話を聞いたり、姿を見ていて、しみじみ感じました。

今、この人たちは、人生前半の上り坂をぐんぐん登ってる頃なんだなあと。

個人面談で褒められた
テストで学年3番をとった
早稲田に行きたい
時々友だちに仲間はずれにされる
オセロで負けて悔しい


自我に目覚め、自我を強化し、自我によって至福を感じる時もあれば、自我に奈落の底に突き落とされることも。

自我が色濃くなればなるほど、他者や社会も色濃くなり、比較の中で自分の立ち位置を固めようとあがき、他者や社会の中でひときわ目立つ何者かになることを夢見る時期。

こんな、人生前半のさらに前半の方たちに、

「他人と自分を比べなさんな」

と説いたって、暖簾に腕押し。

あったりまえですね。
自我っていうのは、比較がなくちゃ、優越感や劣等感がなくちゃ、育たないわけですから。

人生の後半にいる人間に染みる言葉は、染みないんですよね、彼らには。

でも、それでいいんです。人生後半に用意される宿題の先取りは良くない。

うんうん、しっかり競争しなさい。惨めさも、悔しさも、万能感も味わいなさい。私も、そうでしたよー。

なあんて、遠い目をした叔母さんは、あれこれ口出ししないで、ただ笑って見たり聞いたりしていました。


人生の前半が、こうして、自我を築く時期だとすれば、私の方は人生の後半に差し掛かり中。自我を手放していく時期なのでしょう。

といっても、自我に目覚めていない赤ちゃんのようになる、ということではなくて、

人生の前半で捨ててしまった自分、生きられなかった自分を取り入れ、統合し、自我を超えた自己の全体性を回復する時期ということです。

年をとってまあるくなる。

というのは、そういうことですね。半円だったり角張っていた自分が広がったり、削れたりして、本来の自分=自己に戻っていくとうこと。

仏教の「さとり」に至る道も、ユングのいう個性化の過程も、河合隼雄さんの「中年クライシス」も、恐らくはそういうことではないかと思います。

やらなかったことをやってみる
誤魔化してきたことと向き合う
思考、感情の棚卸しをする
自我を超える


人生の後半は、決して人生のおまけでもなければ、退屈な時期でもないはずです。よりよい自分を完結するために与えられたかけがえのない時間。

バランスを欠いた自我に固執すれば、病気や事故、争い事などの形を取って、自我を激しくゆさぶる出来事に遭遇することだってあるかもしれません。

それは、できるだけ避けたいもの。

これまでの自分とこれから起きてくることをドンと受け入れ、いらなくなったものは手放して、補うところは補い、限りなくまあるくなっていくこと。

人生の後半は、それを意識的にやっていこうと思います。













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