すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

飛行機が怖い。

2015-09-05 11:15:43 | 日記・できごと
20代の頃は、国内外色んな場所に旅行に出かけて、飛行機に乗りまくった。

これから旅に出るんだ~!という気分にさせてくれる空港の非日常的な雰囲気は大好きだったし、目指す地へ自分を運んでくれる飛行機に乗り込んだ時のワクワク感は格別だったっけ。

エンジン全開の飛行機が離陸する瞬間の、あのジェットコースター的な感じも、しばらくして心も身体も一緒になって浮遊する感じもたまらなかった。

そんな私が…
そんな私が…

この歳になって、まさかの「飛行機が怖い」人になってしまった。

きっかけは多分夫。この人が、かなりの飛行機嫌い。身近なところで飛行機嫌いの人なんて、初めてだった。これまで一緒に飛行機に乗った女友達は、むしろ飛行機が大好き、揺れるのもへっちゃら~の面々ばかりだったから。

たとえば新婚旅行、夫は乗り込む飛行機が小さな機材だったりすると怖いといい、離陸時には私の腕を掴んだ。空港が混雑していて着陸間際に再び機体が上向くと、私の顔を覗き込んでコレはまじヤバいかも、と真顔で焦る。気流の変化で機体が揺れると顔面蒼白になった。

最初は、面白がっていたけれど、その後飛行機に乗るたびに徐々に影響を受けたみたいだ。無意識に、できたら飛行機には乗りたくないな、と思うようになっていた。

でも、この夏引っ越しをして、帰省にも旅行にも飛行機が必須中の必須になった。もちろん新幹線という手もあるけれど、5歳児の息子と何時間も車内に缶詰めというのも、また別の恐怖。

母の恐怖をよそに、息子はお土産がもらえる飛行機が大好き

で、この夏だけで3回も飛行機に乗った。

その1回目で、「わたし、飛行機怖いんだ」とはっきりと自覚した。最初の兆候は、飛行機に乗る日が近づいてくると、そのことが頭から離れなくなってしまった、ということ。どこか身体に力が入った感じで、明らかに緊張があった。

いざ、フライトの日。空港に向かう車の中ですでに憂鬱だった。その憂鬱が恐怖に変わったのが、機材不良で修理のためにフライトが遅延となり、ゲートで待たされていた時だった。「機材の不良ってなんだろう」と不安になっていた私がふっと見上げたテレビモニターに、ある番組の紹介映像が映し出されていた。

NHKスペシャル「日航ジャンボ機墜落事故から30年」

センセーショナルな題字に重々しいナレーション。御巣鷹山に飛び散った粉々の機体、泣き叫ぶ遺族、機長のご家族のインタビュー…。

こ、こわい
なんだ、このタイミングは!
まさか、シンクロニシティ?暗示?

心臓の鼓動が一気に早くなった。この飛行機本当にマズイかもと思って、一人で縮み上がった。

どうせなら運休になってくれればいいのにと本気で願うのも虚しく、フライトの準備ができたとのアナウンス。傍には息子もいるし、湧き上がる恐怖と逃げ出したい衝動を無理やり押し込めて機内に乗り込んだ。

迎えてくれたCAさんの中に、気の強そうで運の良さそうな感じのする人がいた。とびきりの美人。なぜか「この飛行機、大丈夫かも」と根拠もなくうっすら思った。思おうとした。不幸な出来事とその人の雰囲気がマッチしない、というのがささやかなお守りになったのだ。

離陸の時と高度で揺れる時が一番駄目。手や足に力が入って、呼吸が速くなる。怖くなるとそのCAさんの姿を探して心を落ち着かせた。なんとか恐怖の時間をやり過ごし、飛行機は無事着陸した。

その日を境に、私の飛行機恐怖症は固定化した。例の日航ジャンボ機の墜落事故が発生から30年を迎えた節目の夏で、その関連ニュースや番組を頻繁に目にしたのも大きい。

帰省で次に飛行機に乗るまでの間、いてもたってもいられず、毎日毎日、暇さえあれば飛行機関連のネットサーフィンに明け暮れた。

そうしたものに触れれば触れるだけ恐怖は増幅されることは想像できたけれど、一方で恐怖症には暴露療法というのもあって、怖い対象に徐々に慣れていくことで恐怖が減る効果も知っていた。次のフライトの前に、自分がどっちに転ぶか、試してみたい気持ちもあった。いや違うな。何か決定的な安心材料を必死に探していたのだと思う。

ある日は、日航ジャンボの墜落事故の原因を調べ、それ以外の最近の国内外の事故についても検索した。

またある日は、自分が乗る予定の航空会社の安全対策、機材についても調べた。

そして、またある日は、巷で飛行機が1番安全な乗り物と言われる所以、墜落事故が起きる確率などの統計を調べた。

別の日には、飛行機が飛ぶ原理、エンジンや翼などそれぞれが果たす役割、またそうした部品が飛行中な故障したらどうなるかなどを調べた。

わかったのは、飛行機事故は、滅多に起こらないということ。もちろんゼロではないけれど、この恐怖感に見合うほど危険なものでは全然ない。たとえば、

・国内の航空会社の墜落事故は、日航ジャンボ以降30年起きていない。国内線だけで一日2,000便。一年で730,000便。つまり掛ける30年、21,900,000便で墜落事故は起きていない。

・飛行機の性能は飛躍的に上がり、あらゆるトラブルを想定した安全装置が装備されている。

・とある統計によると、墜落事故の確率は0.0009%で、無作為に選んだ飛行機に毎日乗ったとして400年に一度遭うかどうか。アメリカのが航空会社に限れば更に低くて、0.000034%で8200年に一度となる。日本は、さらに低い。

・普通の飛行機は、双発機。つまりエンジンは二つある。エンジンが一つ故障しても、安全性にはなんら問題ない。二つ故障しても、しばらくは滑空できるし、二つ故障するなんてことはほぼ起こり得ない数字。

飛行機事故に遭遇するリスクは、私が日常生活を送る中で遭遇する死をもたらすどんなリスクよりもはるかに低い。車や電車で死亡事故に遭う可能性よりも、死に至る重篤な病気にかかる可能性よりも、恐ろしい犯罪に巻きこまれる可能性よりも、ずっとずっと低いってことなんだ。

仮に夫と息子が二人で旅行に出かけるとする。心情的に電車が一番いいけれど、車か飛行機か船かどれかで移動すると言われたら、見送る側としては、断然飛行機にして欲しいと思う。

つまり、私も飛行機を安全だとわかっているのに、自分が乗るとなると理屈ぬきで恐怖に圧倒されてしまうのだ。

理屈を超える脳内のエラーが起きている。間違った条件反射、思い込みがどこかの時点で起きてしまった、ということなんだ。

とまあ、ここまで整理したけれど、やっぱり簡単ではなかった。体が勝手に反応する。怖いものは怖い。何の解決もないままに、タイムアウト。帰省の日が来て、自宅と実家を飛行機で往復した。1回目の時よりは少しだけ落ち着いて乗れた気はするけれど、やっぱりどうしても怖さは無くならなかった。

ただこの二回のフライトで気づいたことがある。私が一番不快に感じるポイントは、乗るまでの数日間と、離陸の時。強い揺れがなければ高度を飛んでいる時や、着陸までの時間は比較的平気だ。このポイントをなんとかできれば少しはましになるかも。

自宅に帰ると、図書館で予約していたこんな本が届いている。ホントは、もっと早く読みたかったのだけれど、amazonでは新品の取り扱いがなかった。


恐怖症のメカニズム、飛行機の安全性、乗務員や整備士の厳しい訓練や仕事ぶり、そして、飛行機恐怖症を克服する自己管理プログラムなどがが章立てで詳しく解説されている。

一番共感したのは、「恐怖恐怖症」。飛行機が怖いというより、飛行機に乗って怖い思いをするのではないかと考えるのが怖いという状態。まさに、乗る前数日間の私の頭の中。飛行機が安全性の高い乗り物だということ、この恐怖は自分の思考が作りだしたものだということ、がしっかり腑に落ちれば、それも和らぐのかもしれない。

あと、離陸の時のコツは、とにかく力を抜くことらしい。飛行機と優秀な乗務員と整備士を信頼して心身を委ねること。私はいつも逆をやっていた。力みまくっていた。無意識に、もう後戻りできない離陸に抗っていたんだろうな。筋肉に力が入ると身体が酸素を必要とするため呼吸は荒くなる。身体が臨戦態勢になると、今度は心の方が強く影響を受けて恐怖が高じるというわけだ。まさに腑のスパイラルだったんだ。

本を読み終えて、飛行機恐怖症は脳に書き込まれたエラーとするならば、飛行機は楽しい、飛行機は安全、という思い込みを脳に書き込むこともきっと可能なんだろなってことが納得できた。

飛行機はやっぱり怖いけど、その利便性は捨てられない。だったら、少しでもその恐怖を減らす工夫を自分なりに見つけるしかない。毎度毎度こんなに消耗してたらたまらない。

次のフライトは、年末年始の帰省時。さあ、どうなることやら。

















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