ヤオイソでフルーツサンドを食べてから、
阪急大宮前から京都市バスに乗って、島原 角屋へ行きました。
島原は、江戸期以来の公許の花街として発展してきた町ですが、
今では、島原入口の「大門」、揚屋(今で言う料亭)の「角屋」、
置屋(太夫や芸妓を派遣する店)の「輪違屋」が往時の名残をとどめるのみ。
…だそうです。
遊郭の吉原と一緒?と思われがちですが、島原は花街で、角屋は料亭です。
当時の一大文化サロンだったようです。
大門
島原の入り口です。少し雪が降ってきました。
大門をくぐると、タイムスリップしたよう。
角屋
そこかしこから、維新の志士たちが現れそう。
そうだったら、歩いてる貴方、びっくりするでしょうね
想像していたより大きな料亭です。
「久坂玄瑞の密議の角屋」の石碑
入ってすぐ、新選組の刀傷がありました。
お寺の庫裏ほどの大きな台所を備えているのが揚屋の条件。
中庭にちょうど降り始めたぼたん雪
しんしんと、この上なく美しい
一番大きな松の間
新選組の芹沢鴨にとって、最後の晩餐となった場所。
ここで泥酔して、壬生の八木邸に送られ、深夜に暗殺されました。
臥龍松の庭
奥には茶室があります。これも、揚屋としての条件です。
芹沢鴨が最後に見た景色。
幕末に詳しい訳でも、好きなわけでもないのですが、
幾度となく大河ドラマとかで見たシーンを思い出すに、
「ここが~、そうなんだ~」
八木邸に行った時にも感じた現実味のようなものが迫ってくるようでした。
網代の間
こちらも美しいお部屋です。
刀掛け、刀箪笥、天秤棒
そう!刀掛けに刀を置いて、そのままにするんだろうか?
って疑問が解けました
その刀をお店の人が刀箪笥にしまい、鍵をかけるのだそうです。
そう言えば、友人T、天秤棒を知ってました。 ほんとは何歳なん?
角屋に行くまでは、もう少し規模の小さいものを想像していました。
立派で驚きました。
また、私の想像力(妄想モード?)が刺激され、良い時間を過ごしました。
それではまた~
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